ページ

↑ からメニューを選択できます

2023年8月30日水曜日

岩崎神社の神座石/御神楽石(岐阜県不破郡垂井町)


岐阜県不破郡垂井町岩手


岩崎神社は10世紀編纂とされる『美濃国神名帳』に記載があり、15世紀にはこの辺りを治めた岩手家の氏神として尊崇されたという。寛正2年(1460年)の棟札が社殿に残る。


本殿の背後、山裾川沿いに「神座石(かぐらいし)」あるいは「御神楽石(おかぐらいし)」と呼ばれる岩石がまつられている。

かつてはこの岩石の前に小祠を置き、石前明神(いわさきみょうじん)と呼んだという。

この祠を岩手家が氏神と位置づけ、現在の形に整備したのが岩崎神社といわれる。

神座石/御神楽石

写真右奥に見えるのが岩崎神社本殿

「神座」に重きを置けば磐座としての性格で、「神楽」に重きを置いても、演者が石上で歌舞を献じた神人合一の場と見ることができ、そのような磐座施設が後世に神跡化したものと推測される。

2つの山に挟まれて岩手川が流れており、川がちょうど里に入るところに神座石は位置する。

川の要衝を占め、里と山の境界となる場所に神のまつり場を設けた例としても理解できる。


なお、岩崎神社の北方にそびえる大石山は大岩壁が露出し、麓に築かれた古墳の石室石材なども大石山から切り出されたと考えられている。

古墳時代における生業としての石材利用と、岩石に手を入れずに祭祀の対象とした岩石信仰が両立していたのかが気になる。


参考文献
不破郡地名研究会・編 『ふるさとものがたり 不破の地名』 不破郡教育委員会 1988年

岩手川(写真左)と神楽石をまつる玉垣(写真右)

岩崎神社社殿に接して岩壁が露出する。

岩崎神社境内にも岩石が飾られている。


2023年8月20日日曜日

日吉山王神社の岩石群(山梨県山梨市)


山梨県山梨市牧丘町室伏

 

室伏 乙ヶ妻集落の鎮守。

本殿の北東隅に接して、山肌から岩が露出している。

本殿 - 拝殿の主軸と異なる方向であり、この岩が明確にまつられているという証拠は見当たらないが、この岩を始点に山の斜面を登っていくと尾根沿いに岩石群が散在している。





2023年8月15日火曜日

大石神社(山梨県山梨市)


山梨県山梨市西

 

大石山と呼ばれる山に大石神社が鎮座する。延喜式内社の物部神社の論社の一つである。

この地域を岩手と呼び、岩手八景・山梨市八景の一つに大石山の奇岩群が挙げられる。

大石神社

現地看板

現地看板および土橋里木『甲斐の伝説』(第一法規出版、1975年)によると、甲石・浮舟石・産屋石・影向石・屏風石・烏帽子石・立烏帽子石・指門石・浮橋石・胎内石・笠石・乳石・子守石・富岩・尾笠石・八畳石・石廠といった名前がついているという。


特に本殿背後の甲石は高さ12m、周囲67~68mで、中心的存在である。

文化年間成立の『甲斐国志』はこの石を「首鎧(かぶと)に似たり」と記し、「御影石」という名で表現しているが花崗岩としての名称を指したものかもしれない。

浮舟石(写真左手前) 甲石(写真奥)

産屋石(写真右手前) 甲石(写真奥)

影向石

立烏帽子石

烏帽子石

指門石

百足石

『甲斐国志』には、神宝に「拳石」があることも記す。

「長四五寸其形握りたるが如し」ということで、長さ15㎝弱でおそらくは手でギュッと握られた跡のような複数の凹部が入った奇石なのだろうと思われる。

これだけの巨岩を擁する神社でも、別で神宝として拳大の岩石を奉ずるという事実に注目したい。


2023年8月6日日曜日

山梨岡神社(山梨県山梨市下石森)


山梨県山梨市下石森


石森山・石森岡と呼ばれる小丘に大小の岩石が群れており、正しく石の森である。


吉村光敏氏「信仰巨石の地学観察技能講座」(2016年)によると、この岩の群れは人工的に構築されたものではなく、元は同一の岩塊が地震などによる炸裂破壊の現象によってこのような岩の群れに化したと考えられている。

開拓地を馴らした際にかき集めた土石の積み重なりなら、巨石が丘の上に乗ることはないだろう。


合計22体の岩石に名前がつけられている。

1つ1つの岩石自体に深いいわれはないかもしれないが、当時の人達の熱や愛着を示すものであり、現代人とはまた異なる認知のあらわれを読みとることもできるだろう。

現地ですべてを特定できなかったが、境内に掲げられていた岩石群の位置図に沿って紹介する。


ハ:石上松 ニ:烏帽子石


ネ:蓬莱石

ホ:駆上石

ヘ:桃石

「阿夫利神社」周辺の岩群

上看板1~11を写真に照らし合わせる。

タ:枕石

レ:要石

ソ:兜石

ツ:獅子石

ナ:朝日崔

石森山頂上の琴比羅神社

山梨岡神社社殿(写真右奥)