2024年7月23日火曜日

旧Twitter(現X)のつぶやき

Xの投稿(2018~2024年)を終えることにしました。

Xのアルゴリズムが不明瞭のため、休眠アカウントが突然削除されてもいいように、ここにログを移しておくことにしました。

ブログ更新投稿、書籍紹介投稿、宣伝投稿、画像メイン投稿などは基本的に割愛。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2018年7月29日

twitterを始めました。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2018年8月17日

地元四日市市で、新たに7つの岩石信仰の事例を知りました。まだまだある(あった)んだろうなあ。自らの故郷への無知を恥じ入りました。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2018年8月17日

皆さんの地元も、石がないように見えて実際は石の宝庫なのかもしれません。自戒を込めてですが、いわゆる、○○県は巨石の宝庫だとか、磐座がないという言説がいかに危ういか。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2018年8月17日

石の調べ方

1.地元の図書館の郷土資料コーナーを片っ端から調べる。

2.地区の広報だよりが穴場。昔の記事に、歴史好きの古老や郷土史家が記事を書いている場合がある。

3.webは国立国会図書館のデジタルアーカイブなどで古文献調査が捗る。

皆さんもこの方法で知られざる石探しライフを

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2018年8月18日

この前見つけた三重県の岩石祭祀事例をプロットしたら、交差しあう3つのレイラインが書けちゃいました(もちろん歴史的背景は無視)。このように3~4地点を直線で結ぶラインは湯水の如く作れます。三角形や円も作れるでしょう。定説を疑うのはOKです。でもその前に、自分の閃きを疑うのが批判的思考。 

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2018年10月31日

「近世以降の『鎌倉絵図』にみる観光資源の価値継承に関する研究」押田佳子氏

https://t.co/9UjDE5oxad

14ページに鎌倉の「石・岩」の調査がまとめられていますが、残存率は40%。これが本当なら、どれほどの石・岩が消失したことか。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2018年11月30日

岩石は喋らないし、意思を持っていません。では岩石を喋らせているのは誰?無意味であるはずの岩石に、意味を持たせているのは誰?

私が岩石信仰を研究する目的は、人の心が透けて見えるからです。岩石は人の心を映す鏡みたいなもの。ザラザラゴツゴツな模様を見て、ものする人が多い事実を広めたい。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年1月31日

山の中にある磐座と呼ばれるもの。聖山=禁足地に囚われると矛盾した存在となる。

例えば三輪山が聖山となったのは、山頂の奥津磐座も一因だったのでは。山頂に踏み入れないと存在を認識できない。

山に立ち入ってはいけないという人、神に会うために立ち入る人。

古代人も一通りの評価ではいけない。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年2月4日

Google+終了のお知らせ。

私が入っている神社・仏閣コミュニティは毎日いろんな人が投稿するアクティブなコミュニティだった。

考古学的な視点でみると、インターネットの資料は「地中奥深くに埋もれる」というより「不定期に盗掘に遭って資料が失われる」イメージ。 https://t.co/BAWmpOwYZl

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年2月24日

廣瀬匠氏『天文の世界史』集英社 2017年

「冬至の日の出、日の入に合わせて石などが配置されたとされる遺構は数多く、イギリスのストーンヘンジはその中でも特に有名なのですが、こうした主張のほとんどは根拠が乏しく、たまたまそこに石があったり置かれたりしただけだと考えた方が自然な場合が多い」 https://t.co/bzel9qhtoG

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年3月18日

聞き取りをするとき、必ずしも話者がそのことについて言語化できているわけではない。

たとえば、なぜあなたは石が好きなんですか?と聞かれても、私はそれをうまく説明できない。

とってつけた回答をすることもあるだろうが、それは言葉にしようとして整合性をつけただけで、世界観のすべてではない。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年3月25日

批判的研究は学問の大切な作法だが、研究ではなく人を批判しだすと、しっぺ返しと不毛な連鎖に陥る。

フォーカスするのはあくまでも研究内容。

「未確定の歴史」という対象に向かって、共に立ち向かうという力の向き方を目指したい。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年3月30日

桐原健氏が『和名類聚抄』を引いて石と岩の概念を語る。

「石は人力で持ち運びできるものであり、磐・巌は大地に食い込んで動かない、人力では如何ともなし得ない大石」

「縄文時代にあって主たる祭祀の対象となったのは石であり、古墳時代祭祀の対象は磐・巌で、これは古典にいう磐座に通じている」 https://t.co/rQQWjE4HFP

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年4月1日

レイワ

岩はいってるね。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年4月27日

現地看板は信じすぎないように。

どこかのだれかのストーリーを一冊だけ読まされる。それ以上でもそれ以下でもない。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年5月21日

「現代の科学的思考はあまり役に立たない。客観的な定義よりも、奇岩を神聖なものと見立てる主観や感性こそが頼りだ」

気持ちはわかるが、再現性のあることを書かないと読み手は信者になるかアンチになるしかない。

私はまだ学問であることにこだわりたい。それでも無理だったら、そちら側へ行きます。 https://t.co/98gZQ6tNLt

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年6月1日

氾濫する情報と、少数派に追いやられた情報。

石も同じですね。

その石の話、出処をたどるとどこに行きつきますか?

当事者に行きつくことは、限りなく少ない。

原状が保管されたフィルムを見ることより、誰かが新しく作ったフィルムを見せられることのほうが多い。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年6月16日

佐渡島の小布勢神社では御食石の祭があり、神主は祝詞奏上後、甘酒と餅を御食石めがけて投げ、投げ終わったら後ろを振り向かずに神社へ急ぎ帰るそう。

神聖な対象に媒体を投げることはタブーではないことがわかる。 

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年6月21日

社会は多様化しているといわれますが、人間が関心を持てる領域には時間も資源も限界があります。

人気があること、知名度があること、生産性があることを目的に追い求めると、こういった「使えないと判断された世界」は消えていくでしょう。

でも、私は価値を発見できてないだけなんだと思います。 

https://t.co/mudK1B3UfJ

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年9月29日

石積みがあるからと言って、すぐに神殿や宗教とか思っちゃうと危ない。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年10月13日

巨石で信仰の場となったものと、巨石なのに信仰に行かず好奇や鑑賞の対象となったものの差とは何だったのか。

岩石の大きさが、信仰の有無を左右していない。

巨石信仰とは、巨石だから信仰となっていない事実に目を向けなければならない。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年11月29日

“しめ縄をつけようか”

この心の動きがポイント https://t.co/8MR7H0eziP

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年12月6日

正直こんな石が大切にされているのか、と思うこともある。私に生まれてしまった気持ちなんだからしょうがない。

でも、それはその石への知識がないだけ、と思うようにしている。知識がないと、その石を大切にしてきた人に向けるための想像力のバックボーンが足らないから。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年12月11日

磐座と書いてあったら、それは本当に磐座なのかと疑う所からスタートするのが岩石に対する作法。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年12月12日

岩石の伝説を聞き取ったら、隣の家の人にも聞いてみる。

ものの本に載っている伝説は、沢山いたはずの話者の特定の一人を掬い上げたものだからだ。

複数のソースを掬うことで、基層と上書きされた後天的な知識を分離させる。

しかし現実は厳しく、隣の人に聞くと返ってくるのは「なにそれ知らない」

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年12月13日

岩石信仰において注連縄ほど頼りにならないものはない。

昨日にはなかったかもしれないし、明日にもなくなるかもしれない。

注連縄や鳥居や灯籠を取り外した先に岩石があるが、それらなしで岩石信仰とわかるか自信がない。

看板すらなければさまよってしまうひ弱な存在が研究をしている。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年12月14日

石神を信仰していた村人が、隣村の石神まで信仰できたか。

イボ石、夜泣き石、重軽石は全国にあるが、取っ替え引っ替えされたとして同じく信仰されたか。

いつもと違う川や海浜で石を拾って奉納しても祭礼は成り立つか。

岩石信仰は、岩石そのものから端を発する部分がどこまであるだろうか。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2019年12月29日

「岩石を崇拝しているのではなく、岩石は標識で、岩石を通して別の何かを崇拝しているのだ。」

この命題は、0か100かの一択に囚われている。

岩石は不朽で永遠性があるから、岩石は原初性を感じるから、といった理屈で岩石に惹かれるのか?

岩石を、素材の概念や理屈で考えるのは限界がある。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年1月6日

石神と磐座のどちらが先行した概念だったかは、実はまだ解明されていない問題。私は結論するのにはまだ資料不足、時期尚早だと思います。

資料がお互い多すぎて、どちらにも与することができない。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年1月6日

石の背後に神の気配を見るのが磐座的な発想だが、石と神は別概念だから、それを言っては全てが磐座だ。

私が問題提起するのはそこではなく、石と神を言葉でなく感覚で同一視する心理。

奇石に出会ってギョッとする感覚は、石を通して別の何かを見ている訳でもない。石を見て、ただ石に惑わされている。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年1月11日

集落でまつられなくなった巨岩の前で踊ったり祈ったりするスピ系の若者たちがいて、集落の人々が怖がっているという話を聞いたことがある。

ムラの垣根を土足で踏み入る行為だが、集落ですでにまつられていない巨岩に、若者たちが訪ねるから道が残り、巨岩の歴史が続く。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年1月22日

神聖な岩がすべて磐座とは限らないので、すべてが神の坐す岩ではなく、手を触れる、動かすなどして機能を発揮する霊石もあります。

ただし、歴史を知らない限りは手を触れないのが無難な選択です。大切なのは、石の歴史を知ろうとし、石の歴史を尊重する対応をとること。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年1月26日

不動産開発や都市計画で地形改変される時、単なる岩の出た場所として破壊されるか、それとも遥か彼方そこが聖なる存在だったという歴史の可能性を垣間見て破壊されるか だけでも違う。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年1月30日

ある考古資料を「祭祀の痕跡」と考える時に起こりやすい思考パターン。


1.自分の理解できないもの、わけのわからないものを祭祀で括る方法

自らの価値観以外の存在を否定するスタンスであり、不適切なパターン。


2.見た目のイメージ(形状・立地・分布状況)から推定する方法

原始的なやり方だが、主観の外を出ない。


3.文献資料・民俗資料から当てはめて推定する方法

取り扱いに注意。考古資料に対する多様な解釈を、文献や民俗資料で最初から縛ってしまってはいけない。


4.考古資料の在り方からあくまでも認定する方法

理想だが困難。解釈をする時に、必ず自分の経験則やバックボーンとなってきた様々な知識を、解釈の材料に入れざるを得ないから。


5.祭祀以外の行為が可能性として認められない場合、初めてその存在を「祭祀」と解釈する方法

この方法を貫徹するには、祭祀以外の他の可能性を批判検討できることが要求される。つまり、祭祀だけでなく、あらゆることに広く精通している能力が要求され、考古学における祭祀研究の困難さを物語る。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年2月1日

たまたまそこに岩石がなく、別の場所からわざわざ岩石を持ってきて祭祀場を築いた場合、祭祀発生要因は「その場所に祭祀場が希求されたから」で、場所>岩石と言える。

このように岩石信仰は岩石への神聖視ありきで生まれていないが、なぜ岩石を選んだかは実用的側面以外の要素も可能性に入れたい。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年2月5日

「この岩はまつられています」「御神体石です」という説明を受けるとそのままフーンと聞き流してしまいそうだが、よく考えると漠然とした話。 

岩をまつると、岩を信じるは同義?神体石の体とは何か。今そこにいるあなたと、岩石を最初にまつった人の心は同じか。

そこが伝承の中で曖昧になっている。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年2月6日

聖地を訪れる時は、ついつい利便性や安全性から晴天時に訪れがちだが、晴天で会うその場所は一面的だと気をつけたい。

雨が降った当日にしか姿を見せない沢や草木の音がある。

利便や安全が除かれた時に聖地の環境性が滲み出る。

とはいえ身の安全と、自身の体感=古代人の価値観ではないことに留意。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年2月10日

磐座や巨石信仰は、原初的な信仰だから縄文の香りを残していて、神社の祭神や沿革などの文字記録は後から付け加えられたもの、という主張を見聞きすることがあるけど、それで地道な史料読解を避ける言い訳にしてない?

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年2月10日

この100年間で、どれだけの岩石信仰が生まれたのかに思いを馳せると、岩石信仰は心の原初性の一片ではあるかもしれないけれど、歴史的な原初性はなにも担保しない。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年2月13日

岩石の輪郭、手触り、模様、色、周囲の環境のうち、時代を経ても移ろいにくい属性は何だろう。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年2月17日

社会で求められるサービスが高度化してきて、余暇も仕事に還元していかないと満足なサービスを提供しにくい時代なのかなと、仕事をしていて感じます。

凡人は、時間をかけて量をこなし、同業に勝つ。必ずしも結果に結びつかない時代ですが。それがまた不安と戦いながらメンタルを削ることになる。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年2月23日

奇岩の命名権。

「岩石に名前を付けるということ」を読んでからもう一度ご検討を(だめとは言ってません) https://t.co/a4c8lFePdk

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年3月8日

この素朴な疑問に応える必要はあるでしょうね。

>岩の下にある隙間をなんらかの意味があるように捉えてる人がいるようだが(中略)こんなに岩がたくさんあれば、どうとでも組み合わせができるんじゃないのかな?必然よりも、偶然説が大事でしょ。

https://t.co/wZQOaCuIhY

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年3月25日

研究よりも記録を優先したいこの先の日本の情勢

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年3月28日

やぐらの「くら」をいわくらの「くら」で例示していますが、「くら」そのものは内部に空間を持つもの、何かを収納できる場所という意味だと思います。

「くら」自体に聖なる意味が籠っているとは限らないので、ミスリードしやすい点に注意です。 https://t.co/VZzz7DIKc1

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年4月10日

妻に「石の声が聞こえないの?」と言われた。

今まで聞こえている人だと思ってたんだ。聞こえません(笑)

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年4月20日

ブログを更新しました。

新潟県だけで23事例あります。「○○県は磐座が多い」「○○県は不毛の地」固定観念を揺るがすにはじゅうぶんでしょう。

『日本伝説名彙』石・岩の部 事例リスト

https://t.co/fxFMpu8QZ5

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年4月20日

地元には、石を拾って神前に奉納する祭りがあります。

今、この祭礼を行うか自治会で議題に上がっています。

祭車は自粛するが、石は拾うだろうという見通し。

何が祭祀の本義で目的か、各地の祭祀は問われている気がします。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年6月14日

椿大神社の人が、ある個人邸にまつられている石に毎年お供え物をもって神事を行うという話を再度聞く。もともと椿にあった石とは限らないが、何かしらの由縁があるものと思われる。

石はそんなに大きいものではなく人頭大レベル。実際見た人の知り合い経由での又聞きのため、それ以上のことは不確か。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年7月21日

不動産としての岩石に惹かれる人と、動産としての岩石に惹かれる人がいる。

これって、けっこう別世界レベルの分かれ目だと思う。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年7月30日

数十年後、数百年後の人喰岩を考えるとき、この工事看板は保存されないだろうから、今しか存在しない貴重な歴史資料となるのでは。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年8月23日

多様性を認めるということは、土地の人が必ずしも土地の歴史を守らなくてもいいことも認めなければならない。

じゃあ、だれが土地の歴史を守るかというのも多様性社会。土地の外からも手を挙げやすく、受け入れやすくする土壌が必要なのでは。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年8月25日

石長比売は「石の如くに、常はに堅はに動かず」というけど、石長比売自身は移動しているよね。

このように、岩石自体の不動性を売りにしながら、神は移動性を持っている例がある。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年8月25日

石押分(の子)だって、巖(いはお)を押し分けて出で来たわけだから、巖の重量感や不動性を頼りにしているのに、結局巖は動いて、石押分の子も移動しているわけで。

岩石の境界性がそうさせるのかな。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年8月30日

本圀寺境内で「磐座」を「再発見」したという木下達文京都橘大学教授の寄稿。

縄文と直結するのは慎重でありたいですが、興味深いです。

『護山會報』第30号(2020年8月1日発行)

https://t.co/6aUETCUOCo

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年9月12日

良い言葉が浮かばない時、書きなら推敲できるけど、しゃべりは推敲できない。

だから発言にはそんなに目くじら立てない。

これは自分を正当化したいからの心理ね。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年9月16日

神戸市にある「大輪田泊の石椋(いわくら)」は、正しくは「いわくら」ではなく「いしくら」という情報を聞きました。

仁寿3年(853年)「太政官符」の「石(イシ)掠」の用例が根拠です。

磐座の系譜というよりは、石垣につながるイシガケ・イシグロ・イシグラの系譜か。

https://t.co/3nZ2gJ7pH1

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年9月22日

グサリと刺さります。信仰研究などというのは、言葉にするほどカオスになるのはこれまでの教典も然りな話で。

では論文というものも、言語化に囚われない形式の発表が生まれないものか? https://t.co/zEwpGz1jRv

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年10月27日

古神道、縄文文明、巨石遺構といった言葉には、ご自身がどう考えてその用語を註釈なしで使っているのかということを逐一確認していきたい。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年11月5日

「神谷磐座」のH27年製作看板を作ったのは誰だろう?昔はそのような看板は立っておらず、歴史が独り歩きしている。

使っている独自用語で、バックボーンの予測はつくけれども、自説を現地の看板で展開するのは慎んでほしい。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年11月13日

考古学、ひいては歴史に対する考え方がまとまっています。

記録(学問的な)をとること、公開(誰しもが追試可能な)をすること。そして、不要不急・力不足な調査をするぐらいなら、そのままにした方が良いこと。破壊ですら一つの歴史です。 https://t.co/5i2xpcC4CY

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年12月18日

南信州地域資料センター「資料渉猟余話」の103-104,111-113「山上の神殿」の調査が面白い。

戦前、自らの祖先の故地に神社を「再建」した男の話と、男の死から70年、所在地がわからなくなった山上の神社の調査行。

この宮之本神社には、40人以上が乗れた磐座もあった。

https://t.co/Bg81gK1QZ7

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2020年12月29日

この時期(冬至前後)朝鳥明神の記事のアクセスが増えるが、太陽観測装置云々に対して疑義を呈した部分があるので、とある方面から頗る評判が悪いらしい。神職さんも不快感を示されたとか。すみません。

でも、みんな横並びの同意見の中なら、一人くらい言わないといけない。

https://t.co/oPjwS0jq9O

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年1月9日

はたして話者の方が快く、オンライン聞き取りや動画・写真・3D記録に協力するか(そのようなアプローチができるか)という変容も必要だけれど。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年1月9日

変化が激しく、時間と資源が限られている時代下なので、即データベースできる動きは歓迎します。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年1月14日

これは難しい問題。石神と呼びながら、当事者がそこまで意識して言葉を使っていない可能性と、石神でありつつ神格はアマビエであることも両立する可能性。これは石神の定義にも関わる問題だけど。概念規定やはり大事。 https://t.co/WzImZi1MGs

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年1月17日

理屈や言語で説明できない領域を、どう表すか。信仰の再現性。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年1月18日

町の広報はブルーオーシャン

>広報ぜんつうじの中には、市民の皆さんから寄稿いただいたものも多く存在します。このページでは「石の民俗」として、11か月の間、市内の「石」にまつわるエピソードについて紹介したものを掲載します。

石の民俗 - 香川県善通寺市ホームページ https://t.co/nqLuYkfYx7

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年3月25日

4連休を論文に当てて感じたこと。

・研究は9割完成でも、論文としては1割レベルということ

・自らの分を知ること

・戦うフィールドを決めるという意味でも、引き算の美学

・数多の犠牲の上で成り立つ行為(善悪の意味関係なし)

・ルーティンの中で、楽しみ要素を自分で見つけること大事!

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年4月3日

地質と歴史の間に、自然石信仰や自然石への特別視を位置づけるのはまだまだ難しいようです。

「第28回企画展 やっぱり石が好き!三重の岩石鉱物」(三重県総合博物館)

https://t.co/KuaA2XiXnD

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年4月8日

自然石巡り派の実感からすると、昔ゴルフ場、今ソーラーパネルといった趣。

数十年後のメンテナンスとか、考えてやっているとは思えず、縮小経済のこの国の行く末が思いやられる。 https://t.co/oEJYDjgBmi

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年4月11日

石を積みたくなる気持ちは人間の本能に近いと思うのが感性で、そう言えるのかと疑うのが歴史学で、石を積むと道迷いの原因や環境破壊につながると考えるのが未来志向。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年4月16日

平安時代の大形住居から出土した大石。調査担当者は磐座説と石神説の両論併記。磐座一辺倒でなく良いと思います。

住居内の大石の下から土器が複数埋められ、大石の周りには小ぶりの石が取り囲む。何でしょう、これ?

【発掘された松本2020】報告②堀の内遺跡・兎川寺遺跡 https://t.co/nsp9Tedjaq

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年4月18日

どこも大なり小なり後世的な影響は受けて今に至るのですが、率直に言えば、明治政府下の神道、戦前の新宗教と霊学関係、戦後のオカルト超古代史ブーム、2010年以降のパワースポット・スピリチュアルブーム…このあたりの重層性が加わると、その影響が薄い場所と比べて10倍(当社比)調査が難しくなる。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年5月27日

群馬県渋川市の硯石が、正規の許可を得ずに動かされて、岩肌が傷ついた状態で近くに移設・安置されたという問題の続報。

高木市長が関与を否定 硯石問題と社協人事介入 渋川市議会百条委|社会・話題|上毛新聞ニュース https://t.co/spbHr5AmXf

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年5月27日

先ほどの硯石のニュースと並べると、「岩石がその場所にあること」の意味は大きい。

踏むと幸せ?ハート形の石、登山道に戻る 一時不明に(朝日新聞デジタル)

#Yahooニュース

https://t.co/AOjLMTY7iH

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年6月21日

この手のネタは、昔から焼き直しされ続けているだけで、先行研究や資料批判などを踏まえられたものは少ない。

でも、言い続けていると勝ちな風潮あるので、批判側も負けずに言い続けていきたいですね。 https://t.co/YZ8XtrERNK

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年6月29日

>石は人間臭さを感じる言葉なので、山奥にある巨石は必然的に岩と付くものが多いのです。

石に魂がこもるのが岩という説もあるくらいなので、人間臭いのは岩という考え方もできる。

石大神と書いて高さ100mを越える岩山もあるから、難しい解釈。

岩と石の違いを考える

https://t.co/iBqClfNxHr

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年7月8日

>インターネットに永久不滅はない

>Googleがブログサービス「Blogger」の提供を“たまたま”続けているからにすぎない https://t.co/lvy1e2tQU8

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年8月3日

巨石=縄文時代という図式が広まっていらようですが、自然石信仰と石造物祭祀を混同してはいけません。

縄文時代の自然石信仰を証明するのはまだまだ途上。弥生時代でさえ難しいのに…。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年8月11日

人工的な加工痕を検出できる石材と、それらが存在しない自然石との対比で研究が進んでいくことを願います。

新たな採石遺構調査へ 小豆島 石丁場委が初会合 残石の分布状況確認も | 香川のニュース | 四国新聞社 https://t.co/sn8u06HZOr @shikokunewsより

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年8月22日

岩石に造詣の詳しい考古学者または地質学者が、岩石の人為設置・人為加工を証明してから「縄文の巨石観測装置」の話は聞きたい。

(縄文土器と石器が散布していることは、巨石の観測装置としての証明にはならない)

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年9月16日

今回は1886年の絵図に描かれた場所の再発見でしたが、100年以上前、50年前にわかっていたことの再確認作業が今後増加していくはず。 https://t.co/JLC1dhDa3W

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年9月18日

信仰が途切れた限界集落や廃村の岩石で、スピリチュアルな人々が新しい信仰をしている例を聞きます。

眉をひそめる向きも理解できますが、この人々のおかげで岩石への道が維持され、閉鎖的であるほど途絶するという一種の皮肉。

今していることが即歴史でもあり、信仰に大小はあるのかという視点も。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年9月18日

歴史的な記録は記録で正確にとり、現状についてどの立場をとるのかについては、多分に信条的なもので変わるでしょう。守りたい信仰側の立場に立つのか、文化財保護の立場に立つのか、歴史の改変者でいるのか第三者でいるのか等々。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年9月26日

ライドされた側の岩石の影響。

> 京丹後市久美浜町にある神谷神社——神谷太刀宮という場所があるんですが(略)地域側から集客をもくろんだ「聖地」アピールがなされるようになってきましたが、あくまでこれらは「草の根」の活動で、誤解を恐れずに言えば、作品にフリーライドした活動ともいえます。 https://t.co/1MU3yK4zSX

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2021年12月13日

16年前に亡くなりました

はご本人の話を聞きたくても手も足も出ないが

5年前に出会えれば、その岩石はあった

と聞くと、どうにかできたかと思う。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年1月24日

クラの地名が多いという新潟、福島、長野にいわゆる磐座事例が多いかというと、異論もあるところだと思います。

クラという言葉自体には岩石の意味は本来こもっていなかったという立場です。 https://t.co/g9AH5wZHtb

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年2月7日

20年前と、インターネットの使い方も見え方も全然違う。いつまで対応できるかなと思う時はある。 https://t.co/lkvJLSyqAI

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年2月20日

BTS神社は洞穴内にあるということで、是非はともかく、私は岩石信仰の事例として収集する必要が生ずる。

分類としては●信仰の領域と推察。詳しくは拙著の276ページにて。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年4月6日

特別視と神聖視は概念としては異なるが、言語化されていない限り人が線引きするのは避けたい。

(研究上のみならず当人の感情を左右する意味においても)

資料として便宜的に区分する手続き上では、似ていながら厳密には異なるであろう類義語を複数用いることで、それを心のグラデーション幅としたい。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年5月30日

1987年作成の文書らしいが面白い内容。

自然石であっても、人間行為の働きかけによって神聖性が与えられた岩石には、自然の土地ではなく物件としての認定が可能となり、補償の対象となるという判断。

「信仰対象となる山中・巨岩の補償事例」

https://t.co/aLpShMEWDw

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年6月2日

プラシーボ効果とロールシャッハテストは、岩石をものするときの前提。

【時事メディカル】教えて!けいゆう先生|花こう岩が病気に効く?

~平時なら容易に気付けるはずが~ https://t.co/lXw2MXeZRx #時事メディカル

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年7月11日

古代遺跡と観光資源とパワースポットの三段重ねの水脈はどこから来るのだろう。遺跡の認定は正しい手続きを求めます。 https://t.co/gjMmHJUjog

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年8月1日

始めるより続けるが難しいとはよくいうけれど、この20年インターネットの趨勢を見て感じるのは、終わることを設計して始め続けることの難しさ。後継者作りがうまくいかないのと似たものと思う。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年8月27日

信仰という言葉の問題。信仰は敬虔なものばかりではないので、信じることはあれど仰ぐかは別問題です。信仰に代わる適切な語を用意できないので、私は偽信仰、亜信仰、親近的信仰、畏敬的信仰、畏怖などの細分化で留保しています。

岩石崇拝という言葉もあるけど私が崇拝を使わない理由と似ています。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年9月8日

自然石信仰は、有形と無形の狭間に立つ文化財と位置付けています。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年10月5日

岩石を愛でる心はあるけれど、自分のその感覚を信じていない。同じく、あれとこれは共通性があると感じることはあるけれど、その自分を信じないことにしている。

自分の研究姿勢の根っこはそこで、自分を信じていないから研究の動機になる。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年10月27日

人がしゃべることはだいたい宗教だよ。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年12月1日

無能の代名詞としての石。財としての石。

石を自分だけのものにするというのは、石の歴史に手を加えるということ。思うよりも無ではない…。 https://t.co/eMSBBtR4Yw

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2022年12月6日

昔のホームページに書いていた情報は、本に転載した部分だけしか今は読めない。

インターネット情報を紙で出版しておく意味をひしひし感じる。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年1月2日

磐座は自然信仰だ、いや磐座は人工的に組んだのだ、ぜんぶ磐座と呼べばいいじゃないですか、石好きなんですね等。

私がこれらの言説に接して20年。同じ繰り返しに絶望する日もありますが、恐ろしいほど読まれていないし、史資料の扱いの難しさを示すと言えます。

ということで同じことを言い続けます。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年2月8日

人に感謝された結果お金をいただけて仕事になるという論理を聞くけれど、歴史に携わっていてバグだと思うのは、今いる人だけに感謝じゃなく、今いない「いつかどこか」の人に感謝される場合、結果は今来るわけではないこと。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年2月12日

創られた伝統論は通過されるべきだけど、信仰当事者の前やその場で発言するのは無粋。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年2月15日

人はなぜ石を積むのか習俗の問題。善悪とか是非も含めて、言語化されていない根深い問題と思います。 https://t.co/3OkB2o4m4Z

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年4月20日

甲元眞之氏の私家版の論集『甘瞑』在庫なし。「神が依り憑く磐」は季刊考古学で読んだが、他は未見。古書で訪ねたい一冊。

目次

磐座と神の降臨

神が依り憑く磐

諏訪瀬島切石遺跡の再検討

磐座と神社

埋蔵文化財保護の意義

甘瞑 / | 歴史・考古学専門書店 六一書房 https://t.co/j1vzVk1HWh

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年4月28日

疑問点

・スリットの認定基準。スリットではないものとの違い。感性以上の根拠。

・ラインから外れた巨石の分布の提示と評価。

・現在露出している岩石がなぜ縄文と言い切れるか。巨石と太陽=縄文という前提への疑問。

縄文人の道しるべか? 中津川ー関、同緯度に謎の巨石群https://t.co/T0DYtC2Wk9

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年5月3日

土佐清水市の新市史が23'末刊行らしく、唐人駄場に磐座巡りコースが整備されたとの由。

船形石はギリシャ神話のアルゴー船に類似などの文が掲載されているが大丈夫か。

観光課やジオ関係だけでなく、考古学の専門家も入れたほうが良いと思う。

令和5年度市史編さん便り第2号

https://t.co/6GPTcHWicp

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年5月15日

磐座・巨石においても現地の清掃や整備をされる場合、切にお願いします。

ただでさえも認定が難しい祭祀遺跡の資料価値が毀損されるので、中途半端に手を加えるくらいなら何も手をつけず後世に保全するほうが良いのです。 https://t.co/EMrWK9Wv7H

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年5月27日

考古学としては、従来より踏み込んだ史観を示している。 反証としては、大和も沖ノ島も歩けば山に当たるレベル(沖ノ島は島そのものが山)で、山があれば自然河川も流れて岩石も露出する。それは大和と沖ノ島に限ったことではない。それを「地域設計」と概念付けてよいかというところに疑問がある。 https://t.co/yhPF22SGpz

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年6月9日

時代の流れ(アップデート)が速いから、「伝統」の数も激増して軋轢につながることもあるでしょう。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年6月11日

神社で岩、石が大切にされていたら全部ご神体とひっくるめる段階からアップデートしていきたいですね。

私は、ご神体という言葉がもつ深みも腑分けしていきたい。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年7月1日

学問的な関心と、信仰心に言語化を求めることの危うい関係に気をつけたい。

当事者でさえ言葉で考えないところが、核心かもしれないから。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年7月2日

人の心の中を「調査」するって凄まじい行為です。

輪郭のないものだから、無理に輪郭をつけてしまう言語化やルール作りも取り扱い注意。

求める結果が得られないことも多いが、それくらいがちょうど良い。その中で相手様からポロポロと溢れてきたものがキャッチできれば、それがすべて大成果なのです。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2023年8月23日

最近YouTubeの影響による「磐座・巨石」が多いようで。知らない所で人気が出るのは多様化の証ですが、取り上げられかたは旧・超古代史の文脈でそこに多様性はない。

四半世紀前に一度通過した私から申し上げるのは、心惹かれるそんな自分の感性を疑い、地味と感じた存在に価値が隠れているということ。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年3月8日

「付説 員弁郡藤原村春日神社 ―旧称「石神社」― 霊石と境内発見の鏡について」

(岩野見司『考古学上からみた北伊勢』1956年)

1885年頃に道路工事で除去された霊石を約70年後に聞き取り。さらに約70年を経て発見。

切れかけた歴史の糸を70年周期で紡いでいく心持ち。

https://t.co/nytZBUzLBW

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年3月15日

岩石信仰の論点を整理する中で、岩屋岩蔭遺跡(金山巨石群)の考古学・地質学に裏付けられないままの独り歩きに釘を刺したことが個人的な仕事。

数十年後に意味が出てくることを意図して、全体的に遺言めいたメッセージを込めました。ネットが消えても紙の本で辿れるようになり、ひとまず安堵です。 https://t.co/XuZptiTokM https://t.co/ashcfug0KQ

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年4月29日

民俗学的なるものがまだ私にはわからない。その中で、ポピュラーとそうでないものの境目あたりの線引きできないものなどをいろいろ気にしてしまった。名前は一度付けたら上書きを繰り返すのでレッテルのほうに行かないように心配するばかりだが、岩石信仰を標榜した私が言えた立場ではない。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月10日

何事も言語化できると思って結果窮屈になっている問題に最近よく出会う。まだ言葉で表していくことを諦めたくないけれど、次の段階にも進みたい。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月12日

個人の思いを理解しようというのに、公開されているものだけで語ろうとするのが難しいと知ってからがスタート。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月12日

自分のアカウントの投稿だけ見てても、自分のことわかった気になれない。それこそあれだけ書いたブログでも。ああ言葉は難しい。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月12日

信仰研究を通して、社会性の中でぼやかされている個人単位の心理に興味をもつようになってきた。自分が信じるものが、周囲との関わりの中でいかにそのままではいられないかということ。これは岩石と自分だけのマンツーマンの関係を維持することがいかに無理であるかを示す。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月12日

つまり、ゼロスタートのピュアな岩石信仰はたぶん存在しえないが、社会的影響や生物的遺伝だけでなく個人間の生物差は確かにある。ヒトの身体差を心理差とみて各岩石の個体差とぶつかる中で多様な心理が生まれくるのはじゅうぶん考えられるという仮説。

その多様な心理を社会がプレスするのである。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月12日

社会の方に目が向く宗教研究とは別で、社会と宗教にプレスされた個人の信じるエゴを岩石に見たい。プレスされてるんでぐちゃぐちゃですけど。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月12日

要するに強者の信仰ではなく弱者の信仰への追究。それは弱者が正義であることを表すのではなく同様にエゴでありいつ何時でも強者と同じ方向へむかう危うさをはらんだもので上も下もないが、だから人間研究の意味があるのではないかと考えて。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月15日

たとえば「天白磐座遺跡」になる前の「拝み所」など。名前以外、何がどうだったのかわからなくなっていて、遺跡のイメージが先行している。聖地を調査されたくないという思いもこの段階で尊重されなければならない。 https://t.co/RsDuexXAs6

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月18日

人間同士の争いは完結。硯石にとっては一過の歴史となるか。

群馬・渋川市の巨石「硯石」問題 市と市議の和解が成立 前橋地裁 | 上毛新聞社のニュースサイト https://t.co/LPX5y6iNxH

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月20日

水石の売却・処分をみると、その岩石の魅力・鑑賞性というものは、後天的な要因が多いのだな。フォーマットがないままで惹きつける岩石の力ってあるのか?

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月21日

このようなインターネットになるとは残念。私は死ぬ前にブログ書籍化して国会図書館納本できるのか(ただし頒布条件必要) https://t.co/JKrrd7K1OU

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年5月31日

「岩石は地球の原初を伝える存在」という切り口で石に関する思いを語るのは、無自覚の科学知に寄りかかった感情で危うい。だれかの言語で自分の非言語領域を代弁されないように。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年6月6日

作り手自身が美と聖を分類しているわけでもないけれど、自分に見えてないものが他者が腑分けできることもあると考えていきたい。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年6月16日

倉石忠彦氏、佐藤観石氏、池田清隆氏と、岩石を深く洞察する先達の訃報が相次ぐ。

今後の高齢化社会を考えれば覚悟し続けないといけないが、先達に代わる世代交替が進んでいるかというと、私も含めてうまくいっているとは思えない。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年6月16日

2001年にこの世界に入り、あれも足らないこれも足らないで、自分の研究にも限界を感じるこの頃。そろそろ調査・観察の役に専念したいが、後進といえば宋丹丹氏の研究を除いて心当たりがない。宋氏もずっと日本で研究していただけるのか、石の研究領域を全うするのかわからない。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年6月16日

大場磐雄氏から数えれば、私が死んで25年は現われないか、少子化でもっとか。

私ごときがいけしゃあしゃあとやっているほどのブルーオーシャンですが、X界での認知度向上も力及ばずYouTubeインフルエンスに負け、あまり関心を引く領域ではないことを認めます。

吉川宗明(よしかわ むねあき) @megalithmury  2024年6月23日

ブログを更新しました。

Xがリンク付き投稿をするアカウントをオススメに表示しないようにしている噂を聞き、この数年思う所もあるので本ポストを最後にX投稿は控えます。

ブログで書きたいことは書いているので見に来てください。

「石山寺の岩石信仰(滋賀県大津市)」 https://t.co/VDqlUMCAQ4

 

2024年7月22日月曜日

大名倉の山の神近傍の巨岩と二つの立石(愛知県北設楽郡設楽町)


大名倉地区の鎮守・白鳥神社の原鎮座地に「山の神」がまつられ、傍に巨岩が存在したというが昭和の林鉄工事・道路工事で失われた。

そして今、現地は設楽ダム建設のために水没の憂き目にある。

大名倉橋の東側はダム工事中だが、東海自然歩道でもあるためその範囲は歩ける日がある(工事状況による)。

ダム工事のための道路の中に、以前の地形をとどめる一画がある。

ここが白鳥神社の原鎮座地とされる場所で、かつては石仏群なども存したという(新鎮座地へ移設済)。

原鎮座地には自然石も残る。巨岩の手前に配されたという外輪石の残滓の可能性を挙げておく。

その他、外輪石候補。名倉川沿い。

白鳥神社原鎮座地の上方斜面の岩石。山の神近傍に存したという某氏崇敬の二立石の候補とする。

度重なる工事の歴史により原形をとどめているとは言い難いが、立石状ではある。

工事中の斜面からも露岩が入り混じる地質であることがわかる。

大名倉橋の傍らに寄せ集められた岩石群。鉢巻石状の帯が走るものもある。

詳細は以下の文献で報告済。

吉川宗明「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」『地質と文化』第6巻第2号 pp.81-106 2023年





2024年7月18日木曜日

穴瀧(愛知県北設楽郡設楽町)




詳細は以下の文献で報告済。

吉川宗明「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」『地質と文化』第6巻第2号 pp.81-106 2023年





2024年7月11日木曜日

東堂神社のおとぼ様(愛知県北設楽郡設楽町)


おそらく「おとぼ様」と呼ばれた岩石。寸法が一致。

東堂神社境内には他にも大小の岩石が散在する。

石塔残欠

詳細は以下の文献で報告済。

吉川宗明「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」『地質と文化』第6巻第2号 pp.81-106 2023年





2024年7月7日日曜日

コウゴ/光石(愛知県北設楽郡設楽町)


川向小学校方面から望む光石山。澤田久夫氏は三角形の山と形容する。

光石山には、林道南岳線を利用する。林道はすぐ終わり、見つけにくいがそのまま踏み跡が続く。

現地で会った地元の方も認識していたガレ場

岩窟状になった場所。すぐ行き止まりで、特筆すべき痕跡はなかった。

岩窟の上方斜面にも岩石の露出が続く。

岩窟から下方斜面にも岩石の露出が続く(冬の積雪時の撮影)

全体として帯状の道のように岩石の露出が続いている。

光石山の頂上には露岩はあまりみられない(南北のピークがあり、こちらは南側の標高645mピーク)

ピークの直下斜面には岩肌様に露岩群が姿を見せる。澤田氏はこれを岩山と形容したか。

ピーク直下の露岩はそのまま岩窟方面に向かって石の道が続く。「コウゴ」「光石」という地名が山頂の岩山またはこの石の道に由来したものかは確定していない。

詳細は以下の文献で報告済。

吉川宗明「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」『地質と文化』第6巻第2号 pp.81-106 2023年