2026年10月10日

笠置山(岐阜県恵那市)

岐阜県恵那市中野方町

笠置山 恵那郡中野方村の東南に峙ち、中野方、蛭川、笠置の三村に跨っている。古くは山の形をとって舟伏山と呼んでいた。海抜一一二七、九米。頂上あたり全山熊笹でおほはれ、山頂には鬱々たる太古さながらの巨木を存して居り、又奇岩怪石の賞すべきが少くない、曰く物見岩、百丈岩、潜り岩等
『濃飛の誇り』上卷,岐阜日日新聞社,[1931]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1900931 (参照 2026-10-10)
笠置山(江戸時代までは舟伏山が主流)

物見岩

百丈岩/百畳岩

潜り岩/くぐり岩

富士見岩

山頂の笠置神社奥社の背後斜面

一時期、ペトログラフ探しが過熱していた頃、山中の岩石にペトログラフの存在が報告された。その名残を示す看板。

「NO.6 水を我らにと祈る」。実際にこれらが人為的線刻であるかは後世の批判的検討を待ちたい。


中野方観光協会発行のリーフレット「岩になる。」には下記の岩石群も紹介されている。

・亀岩洞窟/亀天水神
水がわきだす洞窟で、かつて炭焼きをしていた農夫たちに水神として信仰された。洞窟の天井は亀のような形をしていて、洞窟の奥には万病を治すという岩石がまつられている。未訪。

・男岩/上タル(巨大夫婦岩)
高さ約30mといわれる巨岩。未訪。

・女岩/下タル(巨大夫婦岩)
高さ約58mといわれる巨岩。未訪。

男岩と女岩を総称して「タル」あるいは「巨大夫婦岩」という。詳細沿革は情報収集不足につき不明。

2026年10月4日

女夫岩(岐阜県中津川市)

岐阜県中津川市駒場桃山

男岩。根石・男根岩とも称す。高さ7m、胴回り24m。

女岩。陰石・女陰岩とも称す。高さ3m、胴回り30m。

両岩の位置。隣り合わせて存在する。

陰陽石の代表格に挙げられることもある名石だが、その歴史ははっきりせず、出自不明の数多の逸話に彩られている。

まず、現地看板は壮大な由来を物語る。
イザナキ・イザナミの両神が恵那の地で天照大神を産み、両神の化身であるこの二岩を女夫岩と名づけた。その後、元正天皇の治世時(715~724年)、山上憶良が女夫神社を勧請したという。しかし、憶良が女夫神社を建てたという歴史的な裏付けを欠いており自称の域を出ない。

現地看板

性神研究で知られる民俗学者の伊藤堅吉氏は、嫁に逃げられた飛騨の若男と婿に捨てられた東海道筋の娘がこの地で邂逅したことで息絶え、やがてムクムクと女夫岩が姿を見せたという縁起譚を記している(伊藤堅吉『いんよう石:みようと石の姿と土俗』図譜新社 1967年)。
伊藤氏の想像による筆致が混ざるのでどこまでが史実を反映した紹介か掴みかねるが、日本神話に擬せられる前の伝承はこのようなものだったのかもしれない。

これとはまた異なる文脈で、女夫岩の存在が世に知られるようになったのは近代という話もある。
明治初期頃には杉や桧などの樹林であった。その後、山林が伐採され、ようやく人目をひくようになった。以来、万物出生の源といわれ、縁結びの神としてあがめられるようになったのである。
林久統 著『滅びゆく性神と秘仏を訪ねて』伊豆編,大孝弥栄会,1972. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12169060 (参照 2026-10-04)
川ばたにあるので、たびかさなる洪水のために、この女夫岩は大正時代まではすっかり泥砂に埋まっていたものを掘り出したのである。
柳沢清士 著『信濃交通史研究 : 柳沢清士遺稿集』,柳沢二葉,1988.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13269864 (参照 2026-10-04)

以上、複数の説を紹介したが、上記には矛盾した記述も含まれることから、おそらくはいずれかが後世の創作か誤りだろうと思われる。


女夫岩が存する桃山は現在、桃山公園として整備されており、同公園内には恵北高椅(けいほくたかはし)神社も鎮座する。
料理の神である栃木県小山市の高椅神社を昭和53年にこの地に分祀したものだが、その境内に包丁塚(包丁供養処)と呼ばれる石穴がある。
不要になった料理用刃物を神前に供え、刃物の供養を祈った後にこの石穴に刃物を奉納すると供養されるという。物の魂を鎮める岩石祭祀の場と言える。

恵北高椅神社

包丁塚の看板

2026年9月28日

2026年9月21日

鮒岩(岐阜県中津川市)


岐阜県中津川市苗木

 

鮒岩

山の外から撮影

丸山(かつては甲山とも呼ばれた)という比高30mほどの独立丘の南面にある巨岩。全長7m、高さ5m、推定重量200tの規模を持つ巨岩が、山肌の露岩の上にゴロンと載る。現在は市指定天然記念物となっている。

鮒岩の傍らに丸山神社が鎮座する。江戸時代、水野某という藩士が白山神社の名で勧請し、後に山名を採り丸山神社に改称されたことがわかっている(東山道彦『恵那山をめぐる歴史と伝説』岐阜郷土出版社 1988年)。

神社と鮒岩の直接的な関係は明らかでなく、現地解説板によれば、新田淳『苗木村明細記』(明治16年)という文献に「丸山の内石に立ちたる大岩鮒の浮きたる形にしてまことに奇石なるべし」との評が記される以外、鮒岩に付帯する伝承や古記録が存在していない。

苗木城下の街道沿いに位置するため、城下町が形成された折からよく知られた存在だったことは想像に難くない。苗木城自体が巨石群からなる丘陵だったため、奇岩怪石溢れる当地でどの程度の存在感を放ったのかは想像しにくいところである。


2026年9月14日

星ヶ見岩(岐阜県中津川市)


岐阜県中津川市駒場 星ヶ見公園

 

長年の風化・浸食によって巨大な花崗岩に大きな亀裂の空間ができ、そこから真上を見上げると日中でも北極星を仰ぐことができることから「星ヶ見岩」の名前が付いたという。

星ヶ見岩以外にも全山に奇岩怪石が露出しており、目立つ岩石に対しては名前が付けられている。現在は遊歩道や案内板なども設置され、星ヶ見公園として整備されている。


江戸時代には「星ヶ宮」としてまつられ、星ヶ見岩の内部空間にまつられた妙見大菩薩には嘉永3年(1850年)の記銘が残る。星見の場所であり、妙見(北極星)信仰の場所であったことを今に伝える。

ただ、江戸時代に「星ヶ宮」と記した出典(地図?)が不詳であるのと、それより前の歴史記録の有無については確認できていない。

岩石信仰と天文の関係事例として近世の確かな歴史の残る好資料であり、さらなる研究の進展が待ち望まれる。


なお、星ヶ見公園の周囲には「ひょうたん池」と「神谷池」があり岩山の風景とあいまって美観をなすが、この2つの池は人工的につくられたため池であり、元来の景観と異なることに注意が必要である。


ひょうたん池から望む星ヶ見公園

星ヶ見公園の巨岩群(写真中央が星ヶ見岩)

星ヶ見岩には「北辰門」の字が刻まれる。

星ヶ見岩の亀裂入口

亀裂内の空間は妙見大菩薩の霊場を擁する。

内部空間から見上げた上空

星ヶ見岩と妙見大菩薩の位置関係

大小の二艘がある舟形の岩石を舟岩と呼ぶ。こちらは舟岩(小)

舟岩(大)。全長約9m。

お化け傘岩/お化けきのこ岩。逆三角形の形状を持ち、その異形から命名された。高さ5m。