2023年3月19日日曜日

『科学で宗教が解明できるか』(2023年)学習メモ


藤井修平氏『科学で宗教が解明できるか 進化生物学・認知科学に基づく宗教理論の誕生』(勁草書房 2023年)を読みながら、私自身が今後覚えておきたいと思った重要な部分をメモしたものである。

自分用申し送りの色が濃いため、読者に読ませる体裁で文章を書いていないが、本書の概要紹介と同様の問題意識をもつ方の検索向けに掲載しておく。

(私の誤読・解釈が入り混じるため、正確な理解は本書を参照されたい)


ミルチャ・エリアーデへの批判とそれ以降の宗教研究


批判点① 反歴史主義

人類の心には普遍的な共通性があるというエリアーデの前提は、原初性を絶対視して反証不能。歴史的変化を考慮に入れていない。


批判点② 非還元主義

宗教および宗教研究は他の分野には還元できない固有・独自の存在であるというエリアーデの非還元主義は、信仰者にのみ理解が可能で非信仰者には介入不可能という断絶をもたらす。


批判点③ 規範性・神学性

エリアーデは聖なるものの実在を仮定しており、学術活動ではなく宗教的活動になっている。また、エリアーデ自身に政治的な偏りが指摘されている。


→以上の批判点により、世界的にはエリアーデは宗教学者ではなく思想家として位置づけられており、エリアーデ研究を無批判に用いる時代は終わっている。


宗教研究と宗教活動を区別する神学性批判から、科学を重視するモダニストが生まれた。具体的には、宗教認知科学(CSR)で普遍的な宗教研究を可能として、エリアーデの非還元主義を超克するという取り組みが盛んになった。

そのモダニストに対立するのがポストモダニスト。科学にも人間の主観が入り、科学知の絶対性・普遍性を疑問視する立場。CSRについても科学絶対視を疑問視。系譜学(過去の言説の分析)でエリアーデの半歴史主義や政治的イデオロギーを超克する。


日本においては、モダニスト側の研究が日本語に翻訳されることは少なく、ポストモダン側に寄った状況が続いた。日本におけるモダニスト不在は宗教研究・知見の多くを見落とすことになり大きな問題。だから本書が詳細を取り上げて補う。


モダニストの理論的根拠としての生物学・自然科学


ダーウィンの進化論

ダーウィンの進化論は非常に単純な原則ということもあり、多様な分野に応用してすべてを説明しつく「現代総合説」が誕生。しかし、これは「万能酸」という危険性も指摘されている。

生物学の進化に、本来、進歩の意味は含まれない。変化の意味にとどまる。


進化(変化)の要因は自然選択。自然選択とは、ある環境下で有利な形質をもった個体が生き残り、それにより特定の形質をもった生物に変わること。この自然選択の主体には3つの説がある。

  • 生物集団内には遺伝的な変異が存在し、個体差が生じる。突然変異やランダムに遺伝子が変化する個体説。
  • 集団選択で自己犠牲する説。
  • 現代総合説は、遺伝子レベルで「利他行動」「血縁選択」があるという説を重視。この現代総合説が他の分野にもこの進化理論を応用していく。


現代総合説・社会生物学

現代総合説を『社会生物学』(1975年)と銘打って人間研究に用いたのが生物学者エドワード・O・ウィルソン。

人間は、遺伝子によって本性が決まり、攻撃行動、男女差、利他行動、宗教などの社会行動を行うとした。

人間の本性は変えられないから戦争や不平等を肯定するという道徳的な批判があり、後年、遺伝的な影響と本性が変えられないことはイコールではないことを言及して理論修正した。

遺伝子の影響を絶対視して、人間が生み出す文化による後天的変化を考慮しないという批判もあり、これにも理論修正して「遺伝子と文化の共進化」を論じるようになった。

これによって社会生物学は生き残り、宗教に関する分野では次の2つの研究が生まれた。


進化心理学

自然選択により最適化をめざそうとする人間の心理メカニズムに着目(1992年の論文集『適応した心』で創唱)。

人間の自然選択は約250万年前~約1万年前の更新世のあいだに形成されたもので、狩猟採集社会の心理メカニズムがそれ以後の現代までの1万年間の人間行動の基盤となっていると考える。この1万年間では十分な進化の時間がとれず、だから現代社会において人間が非適用的になっている場面がみられる。

配偶者選択、親族関係の構築、集団内での協力と対立など、生存と再生産に関する研究が中心。宗教は生存と再生産には直接寄与せず、生物の適応によるものではなく、人間が進化して得たさまざまな心的能力・認知的能力の副産物とみなす。

その点で、文化や学習による後天的な変化の可能性はほとんど考慮されない。その点で非歴史的だが還元性はある。


具体例① 人類学者スチュアート・ガスリーによる「擬人観」…人間以外の対象に人間的特徴を見出すこと(1993年~2015年)

ある対象が、自分と同じ人間のような人格を持つか、持たないかを判断する時に、人格を持つと判断したほうが生存に有利に働くから、一種の適応となる。この適応行為の副産物から宗教が生まれたと考える。

多数の例から、擬人観は人類普遍の現象と結論付ける。

擬人観は科学など他の分野でも現れるが中心的ではない。しかし宗教において擬人観は中心的であるという(しかし、擬人観が宗教成立の必須条件というわけではない)。

後年、心理学者ジャスティン・バレットは(2000年~2004年)は、無生物が生きているようにみえること、偶然の出来事に何者かの意図を感じること、自然界に意図・目的・デザインを感じる人間の心的傾向を「過敏な行為者探知装置(HADD)」と名づけた。擬人観もその一種であり、HADDが人に備わっていることで、実際は行為者がいなくてもそこに行為者を見出すことで宗教観念が生み出されるとした。

→HADDへの反論あり。何らかの起源の説明は現時点での機能を説明することにはならないという「発生論的誤謬」に該当し、HADDのような認知能力の誤作動で宗教が生まれたとしても、現在もその宗教が保持される理由はHADDに限られないというもの。


具体例② マヤ人の子供の実験(2002年)

普段トルティーヤが入っている箱を見せて、中のトルティーヤは食べてズボンを入れておいたと説明する。下の3者が見たら中に何が入っていると思うだろうと子どもに聞く。

  • 人間の場合→トルティーヤ
  • 森の精霊→トルティーヤとズボンが半々
  • キリスト教の神の場合→ズボン

→子供は直観的に、人より神のほうが能力を有していると考えていると言える。


具体例③ ニュージーランドの社会調査(2015年)

宗教と出生率の関係。教会出席頻度が高いと出生率も良いという相関関係が統計的に出た。

教会出席が社会的評判を生み性的魅力につながるからかという推論。

宗教が生存選択と再生産に寄与するから宗教は適応的行為であるという説。


文化進化論

ロバート・ボイドとピーター・リチャーソンが代表的な研究者(1985年)。

人間の行動は、遺伝的な心理メカニズムよりも文化が大きく影響するという考え方で、進化心理学に相対するもの。進化心理学が反歴史主義・普遍主義的なのに対し、文化進化論は歴史主義・個別主義に立つ。

文化の定義は「教育や模倣によって種の他の成員から獲得される、個人の表現型に影響を及ぼしうる情報」。

文化は、遺伝子の進化とは異なる過程で伝達され、文化は工業製品のように徐々に洗練されたものになっていくと考えられる。

文化の選択の方法は次の3つ。

  1. 内容バイアス…何らかの本質的魅力を有するものが支持される
  2. 頻度依存バイアス…多く見られるものに従う
  3. モデルによるバイアス…地位が高く模範的な人物の好みを模倣する

宗教が例に挙げられる。

宗教は、集団内にシンボル体系を作り上げることによって、社会統合やコミュニケーションの推進という利益を与えられる。宗教を有さないより宗教を有したほうが生存する、利益を得るという視点(世俗的有用性)で宗教をとらえる。

したがって、宗教は集団を維持するために必要な制度と言え、それは人類にとって適応の産物とみなすことができ、そこが進化心理学とは異なる。

キリスト教神学は現世での節制を命じており、これは遺伝子レベルの適応的行動とは言えず、宗教文化の影響下にある集団行動の一例で、遺伝子より文化が人間行動の決定要因として上回ることを示す。


具体例① アラ・ノレンザヤンの実験(2013年)と超自然的懲罰仮説

不正を行える状況下で知識テストを実施。参加者の一部には、十戒を想起させた。結果、十戒を想起した群は、他の群に比べて不正率が低かった。

人が監視するより、神が監視するほうが、人はより道徳的・向社会的にふるまう。

神の概念を有していない場合でも、運命やカルマといった形で超自然的懲罰の観念はみられるという。


具体例② ビッグ・ゴッド(2013年)

小集団では統制が効いていたものが、集団が大きくなるとさらに強力な統制システムが求められる。そこでゴッドがビッグゴッドになり、社会が大規模になると道徳性と宗教はますます結びつき、教義は規則的になり、超自然的な罰は強化される。


CSR(宗教認知科学)


認知科学・認知心理学の見地に依拠して宗教を研究する。テスト可能な科学であることを自認し、人類に普遍的な心的傾向・宗教現象を説明できるような一般法則を導き出すことが目的。

CSRは科学的・自然科学的とみなされているが、それは人文学・社会科学と両立不可能というわけではない。両者の境界は曖昧である。


ステュアート・ガスリーの「宗教の認知的理論」(1980年)

1.世界に見出される現象は曖昧であり、人間は解釈を必要とする。

2.その現象は、類似した現象をモデルにして人間に解釈される。

3.そのモデルは、頻繁に起こる現象や重要な現象に従って選ばれる。

4.人間は周囲にいる他者から重要な影響を受けるので、人間を見出すモデルが解釈に用いられやすい。実際、周囲の現象に人間的特徴を読みとる事例が多い。

5.このモデルが、宗教の認知的基盤となる。

→これが、先述した「擬人観」の根拠となる。


人類学者ダン・スペルベルの「表象の疫学」(1984年)

表象の伝播を疫病の広がりにたとえる。伝播の誘因子は次の2種

1.人間の心的能力要因…「石炭は黒い」などの直観的信念

2.生態学的要因(社会形態など)…「すべての人間は生まれつき平等」などの反省的信念


トーマス・ローソンとロバート・マコーリーの儀礼能力理論(1990年)

人間は言語を自ずから獲得できるように、儀礼の行為者は儀礼を自然に形成する能力がある。儀礼は言語とのアナロジーによって理解できるという考えに基づく。

宗教的儀礼の普遍法則を2つ提示する。

1.超人間的行為者の原則…すべての儀礼には超人間的行為者を含み、儀礼の行為者か儀礼の受容者・行為とむすびついている。

2.超人間の近接性の法則…超人間的行為者が儀礼に深くかかわるほどその儀礼は重要視される。

(例)インドのヴェーダ文献における供儀の研究および、通常/特別の2種類の人物・素材による儀礼のテキストを読ませた心理学的実験で、通常より特別なほうが効果を感じるという直観結果が統計的に有意に出た。


バスカル・ボイヤーの研究(1990年~2001年)

伝統が反復されるのは、単に人々が保守的だからではなく、それは記憶のプロセスと関連しているからと考える。記憶には、記憶されやすいものとされづらいものがあるとの主張。

人の心に共通性があるのなら、宗教にも普遍的な現象が生まれ、それが世界中で類似した信仰体系として複数出現するのではないか。

反直観的概念…カメルーンのファン人は魔女にだけある臓器があり夜中に臓器が飛んでのりうつる人に能力を授けるという話があるが、これは当のファン人の間でも奇妙なことと思う人がいるらしい。しかし、この奇妙と思う、直感から反するために、逆にこの信念は信じられると述べる。宗教はこうした反直観的概念を含み、これによって特徴づけられるとした。

直観は、人は年を取ると死ぬ、死者は話さない、木や石などの自然物は自分から動かないなどの常識的観念と言い換えられる。こうした1つ1つの常識を「存在カテゴリー」と呼び、それぞれの存在カテゴリーに関して反直観的情報を含むと宗教家が促されるとした。

この反直観はあまりにも大きい(破天荒)すぎると人々には記憶されにくく人々に広まりにくいが、存在カテゴリーの直観をわずかに違反した「最小反直観」が、人々には記憶されやすく宗教として広まりやすいとボイヤーは考えた。

(例)存在カテゴリーにおいて違反を含む記述と含まない記述を複数読ませ、その後思い出せた記述を集計した結果、違反がある記述の萌芽「裏切り」の印象深い記憶として残るという結果が出た。フランス、ガボン、ネパールの3つの地域で類似した結果が出たので、通文化的な心理学実験として知られる。


ミッキーマウス問題(2002年)

ボイヤーの反直観は、たとえばミッキーマウスなどの創作物にも多く存在するが、それらは宗教にならない。反直観だけをもって宗教ができるわけではないことをどう説明するかという問題。

※類語…大人になると信じられなくなる「サンタクロース問題」、時代によって信じられなくなる「ゼウス問題」、一切の文化から切り離された人でも神を信じるのかという「ターザン問題」


ピュシアイネンがこれに説明を試みた。

・反直観は宗教の必要条件ではあるが十分条件ではない。

・反直観は、宗教以外にも科学、創作、妄想にもみられる。

・科学の直観は自発的に生まれない、創作は真実とみなされない、妄想は集団的にならない。

・反直観のうち、自発的に生まれ、真実とみなされ、集団化するものが宗教的概念と定義づけられる。

・それに加えて、儀礼に参加して怒りや恐怖の感情を喚起することで宗教は信じられるとする。


トッド・トレムリンは、神の条件として「社会的機能を有すること」を考えた(2006年)。

通常の人間は、他者の情報を把握しているわけではない。神は、社会的な情報を際限なく完全にアクセスできる存在とみなされるからこそ、宗教的行為者は重要視されるとした。反直観的行為者の中でも社会的機能を持つものが宗教的行為者となった。


ハーヴィー・ホワイトハウスの「宗教性の二様態理論」(1995年~2004年)

1.教義的様態…教義などの言語が意味記憶によって記憶され、言語の繰り返し記憶によって形成されるので知的で統一的で反復的で感情的な要素は少ない。

2.写象的様態…強烈な宗教体験などの図像的イメージがエピソード記憶として鮮烈に記憶されるので、感情的、多様的、散発的となる。

(例)二つのグループに分けて儀礼をおこない、片方は赤い照明を用いて、音楽や太鼓の音量を大きくした(写象として強烈にした)。その結果、照明と音を写象的にしたグループのほうが、おこなった行為に対する自分の感情を解釈する言葉の数が増えた(感情的になった)という心理学的実験。


その他のCSRの知見

・宗教の二重過程理論…人の思考には、素早い・自動的・直観的な思考の「システムⅠ」と、慎重・意識的・反省的な思考の「システムⅡ」があるという心理学の研究があり、それを宗教に応用し、一つの宗教や宗教者の中にもこの2つの思考が入り混じること。

・種々雑多な目的論…子供が自然界に機能・目的・デザインを見出す傾向。

・子供が、生物の死後もその生物に心理的機能や認知的機能が継続していると考える傾向。

→子供の心理は後天的な学習の影響をあまり受けていないので、人間心理の普遍性を示すものとして用いられる。人間の自然的な認知は6歳までの幼児期に起こるという説もある。それに対して、子供が宗教的な心理を示すのはあくまでも発達の一段階の特徴であり大人の宗教観をそのまま表すわけではないとみなす立場もある。


CSRへの批判


マッカチオンの指摘(2012年)

「心や脳に宗教の起源を求めるのに夢中になって……彼らは部分から全体へ、偶然から必然へ、歴史から非歴史へ、個別から普遍へ、文化から本性へと移ることの明らかな安易さに関する疑問に答えられていない。」


・CSRには理論的・方法論的な核がなく、進化心理学などの学問との明確な区別がないため分野として不安定。

・科学者としての訓練を受けていない学者が、心理学的な論文を満足に読めているのか。

・仮説をテストするというより、すでに存在する事例に対して心理学の理論を適用するだけの「アームチェア科学」である。

・普遍主義的であり、文化や歴史の文脈性を無視している。 

・還元主義的であり、生物学・心理学・神経科学などの枠組みで単純化しており、宗教の要素の重要な部分をそぎ落としている危険性。


論点① 普遍主義か個別主義か

認知メカニズムは、普遍的に神が信じられるのはなぜかという問いには答えられているかもしれないが、ある個人がなぜ神を信じているかという個別的な問いに答えているわけではない(アク・ヴィサラ2018年)。特定の人にだけなぜ宗教心が生まれるのかを説明できていない。

→個別事象の取り扱いは別の回答方法が必要で、両主義の長所・短所を取り上げたうえで異なるアプローチで対話するのが最善である。


論点② CSRは客観的な説明で、解釈ではないと言いきれるか

説明を行う際には解釈は必須であり、説明アプローチを用いる科学でも、意味や解釈の問題から逃れることはできない(ギャヴィン・フラッド1999年)

宗教者の行動や宗教者が使う言葉をそのまま受け入れずに、研究者が別の用語や概念に置き換えて説明する時点で、意味論の観点ではそれは二次的であり宗教現象と正しく一致した説明と言えるか担保できない(マーク・ガーディナー、スティーヴン・エングラー2015年)

CSRは文化や意味を考慮に入れない「文化消去主義」であり、無意識の認知に、文化的な意味や言語を組み込まなければならない(イェベ・シンディング・イェンセン2013年)


論点③ 「宗教」の概念の取り扱いかた

いかなる宗教の概念にも何らかの偏りが指摘できる。大きくは、宗教を集団活動とみなす定義と信念と結びつける定義の2つに分かれる。

  • E.O.ウィルソン「個人を説得し、集団の利益のためにその直接的な利己的利益を抑えさせるための過程」(1990年)
  • D.S.ウィルソン「人々が求める利益の生産のための集合的活動」(2002年)
  • アトラン「死や欺きといった人々の実存的不安を抑制する超自然的行為者の反事実的・反直観的世界に対する、ある共同体の負担の大きく偽りがたい参加」(2002年)
  • ボイヤー「観察不可能な、自然の外の行為者と過程に関する観念の群」(1994年)
  • ピュシアイネン「個人的な反直観表象およびそれと関連する実践や組織」(2001年)


既存の概念の再記述のみに陥らないように。「超越→超自然・反直観」「神→反直観的・超人間的行為者」など。

宗教(自然発生的で直観的で普遍的なもの)と神学(意図的で反省的で個別的なもの)の上下優劣をイデオロギーとして抱いていないか。どちらかを好むということの偏り。

組織化された宗教だけに着目しないこと。癒し手や霊媒師などの「非公式の専門家」に頼る人々への軽視。


論点④ 「科学」の概念の取り扱いかた

  • マイケル・ルース「科学はその定義上、ナチュラルで、反復可能で、法則に支配されるものを扱う」(1982年)
  • ウィルソン「世界についての知識を集め、その知識を検証可能な法則や原理に凝縮する、組織化された体系的な事業」(1998年)

というが、これらの科学の定義にも批判がある。

理論がテスト可能であることが科学の要件とされやすいが、創造科学をテストすることは不可能であり、反証主義では進化論も疑えてしまうことなど、さまざまな反例によって要件とは言えないことが明らかとなっている。

科学と宗教は対立物ではなく、どちらかというとそれは政治的対立だったのであり、神学も進化論から示唆が得られるように、両立可能といわれている。


まとめ

1.人間行動はどこまで普遍的共通要素により説明可能で、どこからそれが不可能になるのか。

2.自然科学と人文・社会科学の差異はどこまで認めることができるか。

3.社会的水準と生物的水準の双方を反映する視点はいかにして可能か。


科学が抱える「ナチュラリズム」という一つの宗教思想


9.11テロ以降に、神は妄想であるとして宗教批判をおこなったドーキンスは進化心理学やCSRに立脚したものであるが、その研究の理論選択が恣意的であり、つまり無神論原理主義ともいうべきイデオロギー性が批判されている。

(例)意識や心の存在は唯物論では説明できない、宗教を否定しない科学者もおり科学から必然的に無神論が導かれるわけではない

→現代科学がナチュラリズムを内包するかぎり超自然的存在は否定され、そのような世界観はイデオロギー的であって受け入れるべきではない。


ダーウィンの進化論が正しければ、生物は自然選択の産物でありそこに人生の意味や道徳は存在しなくなる。宗教を否定すれば代わりにどのような世界観、価値観を提供すればよいのかという問題が取り上げられている。

ドーキンスは、自然科学がもたらす自然への畏敬の気持ちは宗教心と比肩しうる価値観であると説き、科学は伝統的信仰より魅力的な観念としての「事実の宗教」と位置付けられうる。


「宗教的ナチュラリズム」の誕生

超自然(神、魂、天国など)は存在しないという仮定のもと、自然のなかで認識できる宗教的と呼ぶのにふさわしい出来事、過程、反応。科学的知識がもたらす世界観を信頼する中でも生まれる宗教的機能。自然が崇拝対象。


具体例① クロスビーの「自然教」

宗教の6つの機能を提示した。

  1. 独自性
  2. 優先性
  3. 浸透性
  4. 正当性
  5. 永続性
  6. 秘匿性


さらに、自然の四つの価値を提示した。

  1. 生物の行列(生物の歴史的な繫がり)は聖なるもの
  2. 生物多様性は聖なるもの
  3. バイオリージョン(特定の環境を有する生態学的な地域)は聖なるもの
  4. ガイアは聖なるもの

→自然は、宗教の6側面をすべて備えるから宗教たりうるとする。


宗教を「超自然的・超越的存在への信仰」とする定義もナチュラリズムでは否定でき、新たな定義として「意味や価値の源泉となるもの」が代表的。

神は宗教の絶対条件ではない。無神論でも、価値の完全で独立した実在性を受け入れる態度は経験であり宗教的態度といえる(ロナルド・ドゥオーキン2014年)。

科学的世界観が浸透した社会では、既存の宗教は衰退していくだろう。それと同時に、環境問題が深刻化して地球が破滅になった時、人間は新たな宗教を生み出し、それが宗教的ナチュラリズムだろう(ルー『宗教は神についてのものにあらず』2005年)


科学と宗教の共存の研究領域


イアン・ハーバーの「科学と宗教」の関係の4分類(2000年~2004年)

1.対立…科学と宗教の闘争は不可避

2.独立…科学と宗教は扱う対象も目的も異なり独立する

3.対話…宗教は科学が提起する問いに答えていくべき

4.統合…宗教と科学が協力し合って同一を目指す →これを目指す研究領域


CSRが取り上げる心の理論やHADDは、人間に備え付けられた「神の機構」ではないか。カルヴァンの「神性の感覚」の概念と一致し、それにより生み出された信念は誤りとは言えない。自然的な説明と超自然的な説明の双方が正しいのかもしれない(バレット2011年)。


神経科学と宗教を結びつけた「神経神学」

・人間の脳には、神的なものを感じて宗教体験を引き起こす能力がある(アシュブルック・オルブライト1997年)

・神秘体験は脳の活動と推定でき、人間には宗教活動をおこなう生物学的・神経科学的機構が存在する(アンドリュー・ニューバーグ2001年~2003年)


アーミン・ギアーツによる神経神学の批判(2009年)

1.宗教者の文化的・社会的文脈が無視されている。

2.宗教を体験に還元し、特定の専門家のみが宗教を特権的にアクセスできるというスタンスの問題。

3.科学と宗教を混ぜ合わせることはこれまでの研究でも問題点が指摘されている。

4.研究者が宗教的主張をおこなうことの問題。


意味管理理論

宗教は人生において究極の意味となり、それによって信仰者は実存的な諸問題に対処できるようになるので、宗教は人の幸福や精神的健康に肯定的効果をもたらすものとして人の利益になるから宗教は存在する。

進化生物学と同じく、宗教を信じることは人にとって利益があるという点で副産物ではなく適応の結果とするところに通ずる。また、現代においても宗教にメリットがあるという主張に通ずる。

(例)マインドフルネスなど、宗教の実践行為が精神的健康につながるとする臨床試験結果もあり、これらも宗教の現代における共存の一例として挙げられる。


科学と宗教の共存に対する批判点

・既存宗教の現世的な利益だけを略奪する点で、宗教の一面だけをくりぬいた危険性があり、倫理的な側面が考慮されていない。既存宗教にとっては対立の素にもなる。

・宗教の効果を取り入れた方法論は、それ自体が宗教側面を有することになり、宗教としての扱いを受けうること。

・宗教研究者と宗教実践者の境界が曖昧になり、宗教研究が神学的になり権力としての宗教組織との結びつきが生まれ、研究がイデオロギー的になるところに批判の余地がある。


まとめ

理論は、地域の社会的背景に影響される。

宗教的ナチュラリズム、無神論はアメリカ主体の現象。CSRはヨーロッパが中心。宗教の行程・否定にはキリスト教を母体とした議論にもなり、キリスト教圏の社会的背景で理論や議論が生まれる。

より多くの他地域での理論の社会参加が望まれる。


宗教研究においては、宗教者や神学的な研究を排除すべきではなく、宗教者がかかわることで有意義な議論が生まれる。宗教者が抱える前提と同様に、科学者も同等に前提を抱えて研究している。

そして、神学的ではないとされる科学研究においても、「宗教擁護/宗教批判/どちらの姿勢も見られない残余としての中立」のいずれのイデオロギーが窺われるかという批判的視点が向けられて、神学的立場と均等な関係になる。

イデオロギー的な偏りを意識すること。社会との結びつきにおいてバランスを欠いていないか、議論の中で修正を施していく。理論は、現実の社会・政治を動かす力を秘めており、だからこそいかに社会的・政治的問題を生み出しうるかまでを明らかにして批判していくことが求められる。


北米の宗教学と比較して日本国内の宗教学においては、本書で取り上げた科学的宗教理論の紹介・周知・議論が不足していた。科学的宗教理論を用いて宗教を研究する土台がこれで構築でき、同時に、科学的宗教理論の批判を踏まえて導入していく必要性も提示されている。

科学的宗教理論を批判的に導入する手順としては、

・科学の普遍主義(後天的な社会・文化の個別要素を下位に置く)は支持できるか、支持できないか。

・科学の還元主義(対象の要素を断片化)は支持できるか、支持できないか。

・科学の説明(文化や意味を消去して、研究者が外部の立場から宗教者の信念を別の用語に置き換えること)は支持できるか、支持できないか。

・神学批判(特定の宗教的信念を肯定する根拠を提供する研究への批判)は支持できるか、支持できないか。


筆者が挙げる具体的な論点としては、

・人間行動はどこまで普遍的共通要素により説明可能で、どこからそれが不可能となるのか。

・自然科学と人文・社会科学の差異はどこまで認めることができるか。

・社会的水準(後天的文化)と生物学的水準(生得的遺伝)の双方を反映する視点はいかにして可能か。

・科学の発展によって宗教がどのように影響を受け、新たな宗教が生まれたかを、対象化する必要性。(例)無神論、宗教的ナチュラリズム、神経神学の宗教的な要素の取り扱い。


2023年3月9日木曜日

倉石忠彦「道祖神伝承における自然石道祖神」(2023年)書評


倉石忠彦氏の論文「道祖神伝承における自然石道祖神」(『信濃』第75巻第1巻、2023年)は、道祖神の素材として用いられる岩石のうち、自然石のままでまつられた道祖神に着目して書かれた論考である。

挑戦的な研究・提言にあふれており、大きく4つに分けて紹介したい。


地質環境と照らし合わせた取り組み


長野県を例にして、本考では地質環境と自然石道祖神に相関関係があることを論ずる。

よく知られるとおり、長野県は南北に中央構造線が走り、松本盆地から静岡にかけて糸魚川・静岡構造線が走る地質環境にある。

倉石氏は、この地質図に自然石道祖神の分布と、その対比として道祖神碑石(人工的に整形された道祖神)の分布の種類の分布図を作成した。

その結果、道祖神碑石はフォッサマグナ内外に分布しており地質との関係は明確でないのに対し、自然石道祖神は大きく千曲川流域、犀川中~下流域、天竜川上流~三峰川流域の3か所に分布が色濃いことがわかった。

そして、前2者はフォッサマグナ内の堆積岩・火山岩を主たる地質で共通し、最後者は一部異なる地質をみせるもののフォッサマグナの西側に分布するという特徴をもち、その意味が何を示すかは不明ながらも「地質環境が自然石道祖神に何らかの影響を与えているだろうことは推測される」と評価した。


一つ一つの自然石道祖神の岩石の種類が同定されている段階ではないということで、倉石氏はこれ以上の言及を避けるが、道祖神以外の自然石信仰を分布に落としたならどのように展開が運ぶか興味深いところである。

私も常々、岩石を取り上げる一人として地質や岩石鉱物との比較分析を試みたいと考えているが、難作業でありなかなか手が付けられていない。

地質環境が伝承文化にも影響していることに着目する研究は、近年、地質学者からも挙がっている。日本列島が変動帯のなかにあるということをもって、変動帯から起因するさまざまな地質的特徴が日本文化の独自性に影響を及ぼしたとの仮説をもつ方もいる。

このように、民俗信仰を人文学の文脈のみで語らず、「岩石」という自然環境との関係で位置づけようとした点が挑戦的である。


道祖神の認識過程 ~自然風景が神になるまで~


本考には「道祖神の認識過程」としてまとめられた図が掲載されている。

これが、道祖神にかぎらず、世界をどのように認識して神を知覚するかという流れも論ずることができそうな、大変普遍的なものとなっている。

  1. まず、非文化としての無秩序・混沌な「バ(場)」「シゼン」があり、
  2. その「バ」「シゼン」の中で、人が体系化した「文化」の中で「自然」を認識して、
  3. 文化の中で位置づけられた自然は「風景」となり、
  4. その風景の中に、石が認識され、
  5. 伝承文化の影響下で、石が「碑石道祖神」「自然石道祖神」として知覚される。


ある人が見れば単なる自然石でも、ある人にとってはその石は神なのだとする、この同一物に対する二つの反応の違いを、背景となる「文化」の違いから切り分ける考え方と言える。


「自然」の中に「石」を見出し、それが伝承者の伝承の世界観のなかで位置づけられ、その一つが道祖神となるというくだりは、言語化されていなかった認識の機微をさらに丹念に選り分けてみていけそうだと感じた。


自然という風景の中で、しばしば石が目に止まる時がある。

これは私の考えだが、この「目に止まる」という反応は、一種の「異物感」があるということなのだと今は理解している。

異物感に対する不安定な感情が、その人自身の思想背景の中で理屈(安定)を求めることで、異物感への一種の解消をおこなった結果が道祖神であり、また、ほかの何かの機能・性格に分かれるのではないか。

倉石氏は、不変でありながら成長するという相反した石の感情があると例示しているが、こういった相反した不安定さも、石への異物感につながるのかもしれない。


また、神の気配を認めるための形状は人によって広がりがあり、だから依代は一定の形状や岩石のみを持つわけではなく、それが現状の自然石信仰のバリエーションにつながっているという指摘にも同意したい。


自然石道祖神の形態分類


本考では、自然石を形態から分類しようとする挑戦的な案が提示されている。


私の場合は、これまで機能の分類で岩石信仰を整理してきた。

その理由は、自然石は自然物なのだから、それらは意図しない造形をしており、その不整形、多面的な形状を分類することの至難さもあるし、人としての意図がないものを分類することの無意味さを感じることによるものだった。


しかし「道祖神」として知覚された自然石の一群を分類することは、人が自然風景の何に(道祖)神を見出したのかという点で、価値あるものと思う。

倉石氏は、長野県内の自然石道祖神の事例を集成したことで、自然石道祖神をA・B・C・Dの4つの大きさ、E・Fの2つの形状、G・Hの祭祀形態に分類した。


法量による分類

  • A 小型自然石 … 20㎝未満
  • B 中型自然石 … 20㎝以上~200㎝未満
  • C 大型自然石 … 200㎝以上
  • D 巨石


形状的分類

  • E 自然石
    ①定型 … a.球形 b.性器形態石 c.仏塔残欠
    ②不定型 … a.多孔石塊 b.多瘤石塊 c.多棘石塊 d.その他
  • F 巨石


祭祀形態分類

  • G 放置石
    ①単独放置
    ②集積放置
  • H 碑状立石
    ①単独立石
    ②列石


自然石の形態分類として一つの画期と言え、今後、本考を元に他の自然石信仰も研究されていくべきだろう。


なお、巨石の自然石道祖神の例はほとんど確認されていないらしい。たしかに私もほとんど頭に思い浮かばない。

データをたどって1つだけ思い当たったのは、佐賀県佐賀市の下田山(通称「巨石パーク」)にある「道祖神石(さやのかみいし)」と呼ばれているものである。人々の道中安全の守護神とされ、3つの岩石がいわゆるドルメン状に集積しており、若干の室状空間を形成している。いわゆる自然の巨石と言える規模だ。

下田山の道祖神石

ただし、この道祖神石がいつから道祖神と呼ばれているのかは歴史的にたどれていない。本例においては昭和10年代までその名を遡ることはできたものの、当時、これらの巨石を一種の町おこしに利用した歴史があり、その時に道祖神石の名前が後付けられた可能性がまだぬぐえない。参考の参考として付記しておく。


自然石道祖神 調査項目表の提案


そして、本考末尾に掲げられた「自然石道祖神 調査項目表」の案にも触れなければならない。

一見してとても有用性の高いもので、調査項目の種類、そしてその細目の一つ一つから、倉石氏のこれまでの研究の蓄積を読みとれる。

倉石忠彦「道祖神伝承における自然石道祖神」(2023年)掲載


以下、本調査票に対しての私の所感を記す。


・呼称

岩石1個1個の名称と、岩石が寄り集まって群をなした状態での名称に違いがあるケースを熟知した項目分けになっている。


・自然石はどのようなところにまつられているか

この項目は、路傍・辻といった道の立地、または碑石型道祖神とのセット関係があって、初めてその自然石が道祖神として把握されることがわかる。


・自然石道祖神の祭祀形態

先述した形態分類の項目となる。

道祖神から離れても、単独存在であるか集積存在であるか、定型として括れるような形状かそうではない不定型か、不定型なら多孔・多瘤・多棘のいずれかといった分類は自然石信仰において示唆に富む。


・まつられている自然石の種類

産地の項目があり、それが必ずしも自然科学的な分析ではなく、①村内(どこにでもある) ②地域外(産地から運んでくる) ③川原から拾ってくる ④その他 となっており、その石を何と呼んでいるかといった聞き取りも含めて、現地の方からの視点に立脚した民俗学的なアプローチと言える。


・自然石を道祖神としてまつるようになったことについての言い伝えはあるか

2段階の聞き取り項目となっており、単に言い伝えの有無を記録するだけでなく、「同じような形の自然石を、道祖神として追加することがあるか」という2段階目がある。

信仰を定点的なものとせず、時間軸の中で変化する可能性を理解し、自ずと、未来に変化する可能性についても記録するという所に独自の着眼点がある。

さらに、その理由としても「神体として追加する」「奉賽物として追加する」「何ということなく道祖神のところに持ってくる」の3細目が用意されているのが奥深い。研究者が早急に理由付けず、「何ということなく」という反応を記すことは重要である。


・自然石はどのように扱われるか

この項目では、大きく「まつりの時」と「まつりの時以外」の2パターンを記録する。

まつり以外での岩石の用いられかたに目を配ることで、年間・季節・天候・昼夜といった環境変化で岩石の認識、位置づけが変化する可能性に着目している。それはひいては、岩石と神の関係性を解く鍵にもなりうるだろう。


道祖神をテーマにした調査票ではあるが、上記に所感を織り交ぜたとおり、私自身も自らの岩石信仰の調査にも取り入れたいと刺激を受けた部分が多々ある。

かつて私は「岩石祭祀事例の調査表」を作成したことがあるが、ここに今回の自然石道祖神を反映してアップデートし、複数の現場で試行錯誤してみたいと思う。


2023年2月20日月曜日

一番好きな「推し岩」「推し石」は何ですか?


「吉川さんが今まで見てきた岩・石で、一番好きな場所を教えてもらえますか?」

この前、上のご質問をいただいて、ごにょごにょ濁してお返事したのが悔いに残っています。

1位は決められないと思いますけど…と、気遣ってご質問くださったのにもかかわらず。


自分の一番好きな"推し"岩石というものを、建前だけでなく本音でも考えたことがないのです。

まだ自分が行ったことのない場所がたくさんあるから、仮決定もしていない。かっこつけていえば、常に最新が最高かもしれない、という心持ちでしょうか。


そうはいっても、雑談レベルでさえ毎回たいした答えを返せておらず自分で嫌になるので、今後の自分のために、これまで訪れた場所を思い返して頭の中を整頓してみます。

この記事で書いたことすべて主観ということで、ひとつよろしくお願いします。


巨石・巨岩部門

巨石・巨岩って、それだけで周辺の景観、なんなら今までの自分の記憶と比しての「異物感」があると思うんです。それが巨大なものが発する心的要素なのだと今はとらえています。

そういう意味で、歴史的経緯などと関係なく、感覚的に好きな岩石として挙げます。


■ おかめさんのはら(三重県桑名市)


多度山の一峰を瓶尾山と呼び、その尾根を「おかめさんのはら」や「亀の尾」と呼びます。

上写真が代表的ですが、岩石で敷きつめられたかのような尾根なんですね。

単独の巨岩・巨石ではなく、多数の巨岩・巨石が一面に織りなす光景の空間力、視界にあたえる力という意味で強く印象に残る場所でした。

多度大社と多度山の岩石信仰(三重県桑名市)


■ 兵主神社の影向石(兵庫県丹波市)


上は、私のパソコンの壁紙を数年間飾る写真です。その点では、私の無意識ではこの岩石が一番好きなのでしょうか?

地面からこの場所だけムキムキと隆起するさまを感じたというか、地表に顔をのぞかせた岩石の異質感をその場で感じたものです。初見で主観的に惹かれるものがあり、立ち去りがたい記憶があったことを思い出します。

ちょうど、この岩石だけ光が当たり、周囲の社叢の鬱蒼とした景観との差異や、岩盤を取り巻く玉垣の少しくたっとした佇まい、そしてこの聖地を護持してきた神社のもつ視覚的な要素などもその主観と相俟っていることは否定できません。

兵主神社の影向石(兵庫県丹波市)


■ 俱盧尊佛/黒尊佛/鉾島(和歌山県田辺市)


一回でたどりつけず、苦労して訪れた場所という思い出補正もあります。アクセスがどちらかというと秘されることの多かった場所で、隠されると神秘性が増すというような「後天的」な要素も私の主観をかき乱しています。

それでも、上写真で伝わるでしょうか、この岩石の岩肌の多面的なグラデーション。特に、下部の青白く色が変わるところには、異物感といいますかイキモノ感すら言葉として説明できるような迫力が否応なくありました。

もちろん、これをみて単なる岩じゃんという感想があってもいいと思います。むしろ、その受け止め方の違いが出たほうが人間の複雑さの証明となり、なおのこと岩石信仰研究の原動力となります。

津荷谷の俱盧尊佛/黒尊佛/黒尊仏/鉾島(和歌山県田辺市)


小石部門

巨石・巨岩の「魅力」は、理屈だけでなく感情面でも私のなかにある程度は備わっているのだと思います。だから巨石・巨岩部門で3か所を選べました。

その一方、逆向きの興味関心として、私はただでかいというよりは、小石や何の変哲もないといわれそうな自然石に、人々の物語や伝説が付されている現象に強く興味を抱くようです。

自分の感覚とそぐわないからかもしれません。自分の感覚との「異物感」と表現したらいいでしょうか。

異物感は心の不安を増長するので、自分の心の中で理屈をつけて折り合いをつけたいのかもしれません。だからこのような岩石信仰研究をしている節もどうやらあるのですが(自分でも言語化に困る核心的な部分のため、これくらいの表現とさせてください)、このような疑問や不安を解明したいという意味で吸引力をもつ岩石を挙げます。


■ 岩神/おんじく石/温石(福井県大飯郡高浜町)


岩石自体が異形という点で惹きつけるものはありますが、この岩石が「この世をば打ちこわす」と言葉を発する岩神としてまつられ、まつられながら岩石は削り取られ、石のかけらを温めると痛みが取れるという温石の役目も果たしたという多面性。

人と神の関係は一言で言えない複雑なもので、ひとつの岩石がたどった歴史の重さも想像されるという点で、ここに推せます。

岩神/おんじく石/温石(福井県大飯郡高浜町)


■ 調宮神社の列石(滋賀県犬上郡多賀町)

調宮神社といえば、社殿奥の社叢内に屹立する立石の存在が本邦界隈では注目されがちですが、私は奥の立石より、上に掲載した境内入口の列石に惹かれます。

駐車場や外の舗装道と明らかに区画するために並べられた列石なのですが、岩石の大きさは不揃いで、敷きつめられた密度もスカスカ。いつ並べられたかわからないが、結果として現在の景観は苔むして、不整形な自然石だからか却ってなにか言語化しにくい感情を喚起する。

調宮神社に話がおよぶ時は、いつもこの列石のことをやや熱っぽく触れるのですが(調宮神社に話がおよぶことがほとんどないので人生で2回くらいか)、この狭い岩石界隈でもまだ理解が得られたことはありません。

調宮神社(滋賀県犬上郡多賀町)


■ 阿呆賢さん(京都府京都市)


「あほかし」さんです。名前がいいですねえ。

神占石や重軽石の別称もあるとおり占いの道具としての岩石であり、この種の類例には事欠きませんが、さん付けされて人格化したところに独自性があります。

そして、岩石自体の黒光りした、全体として楕円形ではありつつも自然石然とした部分も残す"ランダムさ"もまた、私にとっては疑問や不安の対象となりえます。

今宮神社の岩石祭祀事例(京都府京都市)


人生のマイルストーンとしての岩石

旧ホームページで一度ふりかえったことがあります。確認したら2008年のことで、想像より昔すぎて自分でびっくりしました。

これこそ思い出補正の執着心以外の何物でもありませんが、自分の気持ちに整理をつけるために書いておきます。


■ 山の神遺跡(奈良県)と保久良神社の立岩(兵庫県)

山の神遺跡


保久良神社の立岩

二つ同時で失礼します。私が人生で初めて認識した岩石信仰です。

山の神遺跡は高校日本史の資料集で、保久良神社の立岩は『ムー』での出会いでした。ほぼ同時期で、この二つが重なったから、ああこういう世界があるんだという認識にいたったわけです。つまり、本を通して初めて知ったというマイルストーンです。

両者とも、後年に現地に立った時はえもいわれぬ感情に包まれたことは言うまでもありません。

三輪山の磐座群と周辺の岩石信仰(奈良県桜井市)

保久良神社の列石を巡る磐境説とその批判的検討(兵庫県神戸市)


■ 猪子山(滋賀県東近江市)

猪子山中の「岩船」

大学生になって、初めて自覚的に自分の足で赴き、目におさめた岩石信仰の現場でした。

なぜ猪子山にしたのか、詳しい心の流れは自分自身覚えていませんが、藤本浩一氏の『磐座紀行』に掲載されていて、見たいと思ったのだと思います。

猪子山には山麓から山頂にいたるまで複数の岩石祭祀事例がありますが、麓から登って最初に目にするのは上写真の「岩船」ということで掲載しました。

猪子山の岩石信仰(滋賀県東近江市)


■ 山添村(奈良県山辺郡山添村)

山添村内の「天王の森」

私が岩石祭祀の機能分類を作るきっかけとなった場所です。村内で計82事例の岩石に出会い、どのように理解すればよいか一番ウーンウーン唸って出てきた考えかたでした。研究上の画期としていつまでもありつづけるでしょう。

山添村の岩石信仰(奈良県山辺郡山添村)


■ 与喜山(奈良県桜井市)

『岩石を信仰していた日本人』の表紙写真に採用した与喜山中の「北ののぞき」

約15年、断続しながらも何度も足を運んだ山でした。一つの地にこだわって調べ続ける、フィールドワークの大切さを学ぶことができました。

1か所、どうしても見つけられない場所が山中にあり、そこと出会うために15年を費やしました。しかしその結果蓄積できた学びを小考にまとめることができたのは、いわゆる「研究者として与喜山に呼ばれていた」とまで言える貴重な経験でした。

与喜山の旧跡群まとめ(奈良県桜井市)


■ 真清田弘法(愛知県名古屋市)

森徳一郎『郷土史談(三二) 真清田神宝流出記(5) 十六 龍神石』1935年

一時期、とりつかれたように調べていた存在でした。結局謎がまあまあなレベルで解けていないのですが、今は時間もたち、落ち着いてしまいました。よくないですね。

インターネットの大海でキーパーソンと会えるか委ねていましたが、まだその時期ではないようです…。

真清田神社の神体石と覚王山日泰寺の真清田弘法


■ 夫婦石/妻夫石/妋石(三重県四日市市)


マイルストーンという点では、自宅からもっとも近い岩石信仰の一つでありながら、その存在を認識するのに時間を要した本例を見逃すわけにはいきません。

地元の歴史を掘り下げる機会があり、そうすると知らなかった岩石信仰がたくさん出るわけです。あちこちに足を運び、目移りしようとする自分に「足下を固めろよ」と警鐘を鳴らしてくれる岩石たちです。

東海道の夫婦石/妻夫石/妋石(三重県四日市市)


なお、2023年現在のマイルストーンは愛知県北設楽郡設楽町の岩石群です。

2019年末から関心を抱き、今年には調査を終えて記録にまとめたいと思います。

愛知県設楽町名倉(大名倉・東納庫・西納庫)における岩石信仰の文献調査


まずはここから案内したい入門編

これまで取り上げた場所以外で、特に、比較的行きやすいところを紹介して終わります。

(険しい山登りなどを必要としないという意味で。お住まいによってアクセスのしやすさは異なります)


■ 榛名神社・榛名山(群馬県高崎市)


奇岩怪石の宝庫。一日ゆっくりたっぷりと、岩石信仰を堪能できる場所。関東に住んでいたら、私ならここへ最初に案内するかな。

榛名神社・榛名山の岩石信仰(群馬県高崎市)

■ 太郎坊宮(滋賀県東近江市)


麓に降り立った時から、岩石信仰をわかりやすく期待できる場所。初見からの印象良しとして入門編に最適。
(車で中腹まで行けますし)

太郎坊宮と瓦屋寺とその周辺の岩石信仰(滋賀県東近江市)


■ 元伊勢内宮皇大神社・天岩戸神社(京都府福知山市)

推し神社になるのだと思います。岩石信仰だけでなく、山岳信仰や河川信仰などの自然物信仰が凝縮された場所巡りとしてもお薦めできます。

元伊勢内宮皇大神社・天岩戸神社・日室ヶ嶽の岩石信仰(京都府福知山市)


ほかに天乃石立神社(奈良県奈良市)もわかりやすくて好きですが、一刀石が鬼滅の刃ブームで人口膾炙状態になったので、書き添えるのみにとどめます。


おわりに

たくさん挙げてしまいました。


ボリューム的に、何回かに記事を分割して書けば良かったのですが、衝動的に書きたいのと1ページで全情報が見られるようにしたい、インターネット旧世代としての嬉しみを優先しました。


結局、一番好きな場所はどこですか?と問われたら、瞬時にこれくらいの場所が脳内でオーバーフローして、答えられなくなるのだと思ってくださいませ。

ということで今度から聞かれたら、この記事を見せていきたいと思います。


2023年2月19日日曜日

妙見大菩薩石聚神社/石牟礼妙見大菩薩/妙見神社の岩石信仰(鹿児島県日置市)


鹿児島県日置市吹上町中之里

妙見神社社殿の背後に巨石群が控える。

社殿側から拝む巨石群の全景。階段と手すりの整備は巨石に手を入れるものであり、必須だったかは悩ましいところ。

巨石の群れの内部には岩陰状の空間がみられ、内部に立ち入ることもできる。

巨石の頂部の一つ。このように穴が開いた岩石構造をもつものが多い。

巨石群から東を眺めれば遠くに水平線(東シナ海)もみえる。

「成功」と刻まれた岩肌。おそらく戦前戦後の刻字と思われるものが複数みられる。

それらの刻まれた字にあやかって、現在これらの名前が岩石に冠される。


一般には「妙見神社の巨石群」の名で知られる。

近年、地元の方々が神社の整備や顕彰を進めており、「落ちない岩」や「努力・祈・成功の岩」と命名された合格祈願にかかわるものや、「男性岩・女性岩・子ども岩」の命名で子宝安産や家庭円満にかかわるものとして、パワースポットとしての色を強めている。

歴史的にはどうだったかという部分で、ここに記録を残しておきたい。


社頭に掲示された「妙見神社由緒書」は文字が消えかかっているが、そこに「石聚神社」の名がみえ、以下のとおり記されている。

石聚(むれ)神社 岩石の群がる石牟礼が此の名称の出所

所在 小牧のミケン(筆者注:判読しにくい)から此処へ移転になったという伝説がある

石牟礼(いしむれ)が地名として残り、それはつまり当地の「石の群れ」から由来したという説である。

「聚」は「衆」であり、石の集まりを社名にしたという点で岩石信仰に端を発する神社とみることに特に異は挟まない。


境内に建つ、享保年間の奉納と思われる「石垣誌」にも「石牟礼妙見大菩薩」の刻字がある。

さらに、柚木英一氏「道で出会った石の神」(『鹿児島民俗』78号、1983年)には、「この神社は吹上町中之里石牟礼に在って、古い社名が、妙見大菩薩石聚神社」とある。


冒頭の由緒書では遷座説もあるようだが、巨石が移設されたとは考えにくいので、神仏分離以前の聖地としての在り方がこの名に伝わり残ると言えるだろう。

本記事では、歴史的に辿ることができて、当地の岩石信仰と神仏の関係をよく表す、妙見大菩薩石聚神社・石牟礼妙見大菩薩の名を優先して表題に掲げておくことにする。


2023年2月13日月曜日

湯之浦の「神籠石」「天狗岩」「環状列石」(鹿児島県日置市)


鹿児島県日置市吹上町湯之浦字鍋石ヶ岡


神籠石の概要

鍋石山、ナベ石岡、天狗殿の山、天狗どんの山、兜山などと呼ばれる標高117mの山(以下、鍋石山)に、「神籠石」「天狗岩」「環状列石」と呼ばれる3か所の岩石群の存在が報告されている(大岳 2000年・徳留 2002年)。

2003年、地元の吹上郷土研究会によって神籠石までの山道が整備され、道が荒れているとか急登であるとかいう話も聞くが、私の感想としては今も比較的山道は明瞭である。

登山口から約10分登ると神籠石の場所へ到着し、現地には同会が立てた看板がまだ残る。

神籠石(南から)

神籠石(東から)

神籠石(西から)

斜面下部から上部までの最大高で10mを越えるとされる。

全国各地、神籠石と呼ばれる自然石や地名は数多あるが、当地の神籠石の特徴をまとめるなら、

  • 岩窟状の内部空間を有し、そこに後世磨崖仏が彫られる。
  • 鏡餅状の岩石を積み重ねたような景観を一部に見せる。

この2点が挙げられるだろうか。鏡餅状は鍋形と言い換えても良く、地名の鍋石をよく表した景観だと率直に感じた。

かつては、特に冬季は麓からこの神籠石の姿が望めたという。


全国各地の神籠石を実地調査した向井一雄氏によると、神籠石の形態としてはいくつかのパターンに分かれるといい、下記のように整理している(向井 2019年)。

  1. 窪み、穴、隙間(室状)
  2. スジ・割れ目
  3. 上に石を乗せる(積み重ね)
  4. 円形や立方形で上部が平たい形
  5. 水中にある事例などもある

湯之浦の神籠石の場合は1と3の要素が含まれており、後述するように頂面が平たいので広い意味で言えば4の要素も含む。
神籠石がどのような性格の信仰なのかはまだ答えが出ていない問題であるが、当地の神籠石は神籠石分布の中では南限に近い事例でありながら、全国各地の類例と共通する外形要素を兼ね揃える好例であることは認めて良いだろう。


なお個人的には、当地の神籠石が山頂ではなく山頂直下の斜面に位置するという点も注目している。

この岩石構造物は自然の営為とみなす立場であるが、山の最高所である頂上を外した場所にこのような岩石が存在するという点で、当地の信仰世界観に影響を与えたものはあったと思われる。

というのも、たとえば福岡県日峯山遺跡は古墳時代の岩石祭祀の遺跡だが、山頂で祭祀を行わず、山頂直下の岩石の前で祭祀を行なったと推測され、山頂を外して祭祀行為を行うことに意味が置かれていた可能性もあるからだ。


「こうごいし」か「しんごいし」か

神籠石は「こうごいし」と読む。

大岳吉之助氏は、神籠石は古代山城説・磐境説で議論が巻き起こった九州北部中心に多い列石を指すものだから、当地の神籠石は列石状とは言い難く、本来の読みは「しんごいし」だったと類推する説をとる。

しかし、大岳氏の依拠した神籠石の学説は古く、現在は神籠石は列石とは関係のない岩石から由来する名称で、また、今日では磐境説は否定されていて古代山城説を支持する考古学的根拠が揃っており、いま異論の余地はない。


さらに、当地には地名で中世山城の皮籠石城が残っていることも大きい。

鍋石山の主に西側にあった城で、皮籠石城は伊作城の支城の一つだった。この山城の存在によって、神籠をしんごと読むからしんごいしだとする根拠は崩れ去り、皮籠石の城名から「皮」の字も伝えることから、当地の神籠石は「こうごいし」、さらに言うなら元は「かわごいし」の音が源流だった可能性を伝えている。


ちなみに、神籠石を磐座と同義とみなす向きもあるようだが、語義研究からも実例研究からもこの二つが同義であるとは証明されていない。文脈の異なる「磐座」の概念を早計に持ち出すことは慎重であったほうが良い。


神籠石の岩陰空間と磨崖仏

神籠石の岩陰空間と磨崖仏(天井石の右側を支える岩肌に見える)

当地の神籠石の下は岩窟状になっており、トンネルのように潜ることができる。

ここは神様が通る道だったという言い伝えが残っている。


そして、この岩陰部分の岩肌には磨崖仏と複数名の人名が刻まれている。


「奉供養光明真言十万遍」の字が読み取れる。

現地に同行・案内いただいた窪壮一朗氏、川田達也氏の所見では、十万遍を唱えてその記念に彫った磨崖仏で、集団が彫刻した磨崖仏というのも珍しいとのことだった。

口承によると、この磨崖仏は天保年間(1830年~1844年)に刻まれたもので、この場所から石を切り出して伊作に米蔵を造るために石工が彫ったと伝わる。

現地の摩崖仏の側には、文久年間(1861年~1864年)の修験者名と共に、海蔵院二十三世法印亮賢の名が刻まれているという(徳留 2003年)。亮賢は元禄6年(1693年)没とのことで、17世紀から19世紀にかけての年代幅が広がっているが、これらの摩崖仏と刻字が同時・同一集団になされたものとも言い切れない。


神籠石の天井部

神籠石の天井部(頂部)

神籠石の天井部には平らな石面が広がっており、約4m×5mほどの広さをもつ。相撲の土俵場くらいの広さとも形容される。

天井部の石の上からは、麓の湯之元集落を見下ろすこともできる。今でこそ樹林がかなり遮っているが、かつては見晴らしに良かったことは容易に想像される。

神籠石天井部から麓を眺める。

この天井部の岩石は、鬼または天狗が持ち上げたといい、そのために鬼または天狗の手形が残るという。物語系統が鬼説と天狗説に分かれるようである。

天井石の底部。抉れているような石面をいくつか認められるが、これらが「手形」と語られるものか?

神籠石の天井の石面に、鳥の餌として餅を小さく刻んで撒く風習があったという。

神籠石の天井部の岩石上を土俵に見立て、相撲を取ったという話もある。


春と秋の2回、三味線太鼓で囃して酒肴を交わした「岡上り」があったという。これが祭祀だったか娯楽の一環だったかは、当時(おそらく1920-30年代)参加した古老の見解では判然としなかったという。

これは『吹上郷土史』下巻に記された行事「でばい」と同じものと指すと思われ、村人が総出で神籠石へ行き、見晴らしの良い場所で三味線太鼓を鳴らし歌い、酒を飲むのだという、


天狗岩

天狗岩は、神籠石から東200m地点にあり、急斜面に露出した巨岩群からせり出したものという。

これがどこのことなのか、今一つはっきりしない。

神籠石から東に同標高をたどって歩いていくと、木に掴まりながらでないと立っていられない急斜面上に、多数の巨岩巨石が露出している一帯がある。




これらすべてを天狗岩と総称してもよさそうな存在感だが、どうやら下記Facebook投稿のような、天狗の鼻のように突き出た岩のことを特にそう呼ぶらしい。


残念ながらこの岩を現地で特定できなかったが、後述する「環状列石」から南に下り、現れる巨岩群をさらに東に行った下写真の辺りが怪しい。

写真右奥の巨岩の上部に、天狗の鼻のようなせり出しが認められる。

上写真の拡大

天狗岩の近くには、かつて「天狗殿の松」と呼ばれる大松があったそうだが、昭和30年代の台風や松食い虫のために枯れて今はない。

なお、天狗岩の崖面にも仏像が彫刻されているという話が残っているらしいが、神籠石の摩崖仏と混同している可能性もある話なので参考程度に記しておく。


山頂の「環状列石」について

鍋石山頂上には「環状列石」ではないかと俗に呼ばれる岩石群がある。考古資料認定や文化財登録をされているものではない。




岩石の規模としては先述の神籠石・天狗岩のような巨岩ではなく、人為的に運搬・設置できるものである。

たしかに何か寄せ集めたようにも感じる岩石の群集も窺えるが、少なくとも「環状」とまでは呼べないと記しておく。


この「列石」については、終戦後に食糧増産のためにこの山も開墾され、その時に畑地の土留めをした結果がこの列石様の構造物なのではないかと、下野敏見氏が2000年の講演「南九州の石神信仰を訪ねて」内で発言したという(大岳 2000年)。比較的冷静な評価と言え、参考としたい。

先述のとおりこの山には皮籠石城もあったのだから、仮に「環状列石」が先史時代の産物であったとして、後世の改変や再利用を通過しなかったとは考えにくい。地表に露出する現状の景観をもって「太古」を幻視する危うさを抱きながら岩石信仰に接したほうが良い。


参考文献

  • 大岳吉之助「湯之浦の天狗岩および神籠石について」2000年(非公刊)
  • 徳留秋輝「薩摩半島の巨石文化を探る―巨石信仰と磐座と神社の起源等について―」『鹿児島民具』第15号 2002年
  • 向井一雄「石神・磐座・磐境といわれているもの」『第59回古代山城研究会例会 古代山城と祭祀・寺院 神籠石論争から四天王信仰まで 予稿集』古代山城研究会 2019年
  • 吹上町教育委員会・編『吹上郷土史』上・中・下巻 1966年