岐阜県中津川市落合
こだま石と読む。
中山道の落合宿と馬籠宿をつなぐ道中に「谺石」の看板が目に入った。
正確には旧中山道沿いではなく、現在は車道として拡幅されたつづら折りの坂にある。
あまり情報が入ってこない岩石だが、すぐ近くに小規模ながら「こだま石公園」があり、webサイト「中山道(木曽街道)六十九次・ひとり旅」によれば、かつては看板に「石に向かって叫んで下さい」と書かれていたらしい。
音が反響する岩石としてのこだま石一例に数えてよいだろう。
こだま石と読む。
中山道の落合宿と馬籠宿をつなぐ道中に「谺石」の看板が目に入った。
正確には旧中山道沿いではなく、現在は車道として拡幅されたつづら折りの坂にある。
あまり情報が入ってこない岩石だが、すぐ近くに小規模ながら「こだま石公園」があり、webサイト「中山道(木曽街道)六十九次・ひとり旅」によれば、かつては看板に「石に向かって叫んで下さい」と書かれていたらしい。
音が反響する岩石としてのこだま石一例に数えてよいだろう。
笠置山 恵那郡中野方村の東南に峙ち、中野方、蛭川、笠置の三村に跨っている。古くは山の形をとって舟伏山と呼んでいた。海抜一一二七、九米。頂上あたり全山熊笹でおほはれ、山頂には鬱々たる太古さながらの巨木を存して居り、又奇岩怪石の賞すべきが少くない、曰く物見岩、百丈岩、潜り岩等『濃飛の誇り』上卷,岐阜日日新聞社,[1931]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1900931 (参照 2026-10-10)
| 笠置山(江戸時代までは舟伏山が主流) |
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| 物見岩 |
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| 百丈岩/百畳岩 |
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| 潜り岩/くぐり岩 |
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| 富士見岩 |
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| 山頂の笠置神社奥社の背後斜面 |
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| 一時期、ペトログラフ探しが過熱していた頃、山中の岩石にペトログラフの存在が報告された。その名残を示す看板。 |
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| 「NO.6 水を我らにと祈る」。実際にこれらが人為的線刻であるかは後世の批判的検討を待ちたい。 |
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| 現地看板 |
明治初期頃には杉や桧などの樹林であった。その後、山林が伐採され、ようやく人目をひくようになった。以来、万物出生の源といわれ、縁結びの神としてあがめられるようになったのである。林久統 著『滅びゆく性神と秘仏を訪ねて』伊豆編,大孝弥栄会,1972. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12169060 (参照 2026-10-04)
川ばたにあるので、たびかさなる洪水のために、この女夫岩は大正時代まではすっかり泥砂に埋まっていたものを掘り出したのである。柳沢清士 著『信濃交通史研究 : 柳沢清士遺稿集』,柳沢二葉,1988.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13269864 (参照 2026-10-04)
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| 包丁塚の看板 |
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| 鮒岩 |
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| 山の外から撮影 |
丸山(かつては甲山とも呼ばれた)という比高30mほどの独立丘の南面にある巨岩。全長7m、高さ5m、推定重量200tの規模を持つ巨岩が、山肌の露岩の上にゴロンと載る。現在は市指定天然記念物となっている。
鮒岩の傍らに丸山神社が鎮座する。江戸時代、水野某という藩士が白山神社の名で勧請し、後に山名を採り丸山神社に改称されたことがわかっている(東山道彦『恵那山をめぐる歴史と伝説』岐阜郷土出版社 1988年)。
神社と鮒岩の直接的な関係は明らかでなく、現地解説板によれば、新田淳『苗木村明細記』(明治16年)という文献に「丸山の内石に立ちたる大岩鮒の浮きたる形にしてまことに奇石なるべし」との評が記される以外、鮒岩に付帯する伝承や古記録が存在していない。
苗木城下の街道沿いに位置するため、城下町が形成された折からよく知られた存在だったことは想像に難くない。苗木城自体が巨石群からなる丘陵だったため、奇岩怪石溢れる当地でどの程度の存在感を放ったのかは想像しにくいところである。