2026年10月18日

谺石(岐阜県中津川市)

岐阜県中津川市落合

こだま石と読む。

中山道の落合宿と馬籠宿をつなぐ道中に「谺石」の看板が目に入った。

正確には旧中山道沿いではなく、現在は車道として拡幅されたつづら折りの坂にある。

あまり情報が入ってこない岩石だが、すぐ近くに小規模ながら「こだま石公園」があり、webサイト「中山道(木曽街道)六十九次・ひとり旅」によれば、かつては看板に「石に向かって叫んで下さい」と書かれていたらしい。

音が反響する岩石としてのこだま石一例に数えてよいだろう。


2026年10月10日

笠置山(岐阜県恵那市)

岐阜県恵那市中野方町

笠置山 恵那郡中野方村の東南に峙ち、中野方、蛭川、笠置の三村に跨っている。古くは山の形をとって舟伏山と呼んでいた。海抜一一二七、九米。頂上あたり全山熊笹でおほはれ、山頂には鬱々たる太古さながらの巨木を存して居り、又奇岩怪石の賞すべきが少くない、曰く物見岩、百丈岩、潜り岩等
『濃飛の誇り』上卷,岐阜日日新聞社,[1931]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1900931 (参照 2026-10-10)
笠置山(江戸時代までは舟伏山が主流)

物見岩

百丈岩/百畳岩

潜り岩/くぐり岩

富士見岩

山頂の笠置神社奥社の背後斜面

一時期、ペトログラフ探しが過熱していた頃、山中の岩石にペトログラフの存在が報告された。その名残を示す看板。

「NO.6 水を我らにと祈る」。実際にこれらが人為的線刻であるかは後世の批判的検討を待ちたい。


中野方観光協会発行のリーフレット「岩になる。」には下記の岩石群も紹介されている。

・亀岩洞窟/亀天水神
水がわきだす洞窟で、かつて炭焼きをしていた農夫たちに水神として信仰された。洞窟の天井は亀のような形をしていて、洞窟の奥には万病を治すという岩石がまつられている。未訪。

・男岩/上タル(巨大夫婦岩)
高さ約30mといわれる巨岩。未訪。

・女岩/下タル(巨大夫婦岩)
高さ約58mといわれる巨岩。未訪。

男岩と女岩を総称して「タル」あるいは「巨大夫婦岩」という。詳細沿革は情報収集不足につき不明。

2026年10月4日

女夫岩(岐阜県中津川市)

岐阜県中津川市駒場桃山

男岩。根石・男根岩とも称す。高さ7m、胴回り24m。

女岩。陰石・女陰岩とも称す。高さ3m、胴回り30m。

両岩の位置。隣り合わせて存在する。

陰陽石の代表格に挙げられることもある名石だが、その歴史ははっきりせず、出自不明の数多の逸話に彩られている。

まず、現地看板は壮大な由来を物語る。
イザナキ・イザナミの両神が恵那の地で天照大神を産み、両神の化身であるこの二岩を女夫岩と名づけた。その後、元正天皇の治世時(715~724年)、山上憶良が女夫神社を勧請したという。しかし、憶良が女夫神社を建てたという歴史的な裏付けを欠いており自称の域を出ない。

現地看板

性神研究で知られる民俗学者の伊藤堅吉氏は、嫁に逃げられた飛騨の若男と婿に捨てられた東海道筋の娘がこの地で邂逅したことで息絶え、やがてムクムクと女夫岩が姿を見せたという縁起譚を記している(伊藤堅吉『いんよう石:みようと石の姿と土俗』図譜新社 1967年)。
伊藤氏の想像による筆致が混ざるのでどこまでが史実を反映した紹介か掴みかねるが、日本神話に擬せられる前の伝承はこのようなものだったのかもしれない。

これとはまた異なる文脈で、女夫岩の存在が世に知られるようになったのは近代という話もある。
明治初期頃には杉や桧などの樹林であった。その後、山林が伐採され、ようやく人目をひくようになった。以来、万物出生の源といわれ、縁結びの神としてあがめられるようになったのである。
林久統 著『滅びゆく性神と秘仏を訪ねて』伊豆編,大孝弥栄会,1972. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12169060 (参照 2026-10-04)
川ばたにあるので、たびかさなる洪水のために、この女夫岩は大正時代まではすっかり泥砂に埋まっていたものを掘り出したのである。
柳沢清士 著『信濃交通史研究 : 柳沢清士遺稿集』,柳沢二葉,1988.11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13269864 (参照 2026-10-04)

以上、複数の説を紹介したが、上記には矛盾した記述も含まれることから、おそらくはいずれかが後世の創作か誤りだろうと思われる。


女夫岩が存する桃山は現在、桃山公園として整備されており、同公園内には恵北高椅(けいほくたかはし)神社も鎮座する。
料理の神である栃木県小山市の高椅神社を昭和53年にこの地に分祀したものだが、その境内に包丁塚(包丁供養処)と呼ばれる石穴がある。
不要になった料理用刃物を神前に供え、刃物の供養を祈った後にこの石穴に刃物を奉納すると供養されるという。物の魂を鎮める岩石祭祀の場と言える。

恵北高椅神社

包丁塚の看板

2026年9月28日

2026年9月21日

鮒岩(岐阜県中津川市)


岐阜県中津川市苗木

 

鮒岩

山の外から撮影

丸山(かつては甲山とも呼ばれた)という比高30mほどの独立丘の南面にある巨岩。全長7m、高さ5m、推定重量200tの規模を持つ巨岩が、山肌の露岩の上にゴロンと載る。現在は市指定天然記念物となっている。

鮒岩の傍らに丸山神社が鎮座する。江戸時代、水野某という藩士が白山神社の名で勧請し、後に山名を採り丸山神社に改称されたことがわかっている(東山道彦『恵那山をめぐる歴史と伝説』岐阜郷土出版社 1988年)。

神社と鮒岩の直接的な関係は明らかでなく、現地解説板によれば、新田淳『苗木村明細記』(明治16年)という文献に「丸山の内石に立ちたる大岩鮒の浮きたる形にしてまことに奇石なるべし」との評が記される以外、鮒岩に付帯する伝承や古記録が存在していない。

苗木城下の街道沿いに位置するため、城下町が形成された折からよく知られた存在だったことは想像に難くない。苗木城自体が巨石群からなる丘陵だったため、奇岩怪石溢れる当地でどの程度の存在感を放ったのかは想像しにくいところである。