2026年6月28日

Google広告の自動最適化をオフにしました

6月27日からGoogleが Ad intents という自動広告を当サイトへ掲載してきました。

検索バーのような形の広告が、サイト画面上に表示されるタイプです。

試しにリンク先を踏んでみたら、ブラウザがウイルスに侵入されました系の詐欺サイトへ誘導を食らいました。


そこで即、この Ad intents が掲載されないように対応完了したことをお知らせします。

なお、簡単に掲載オフできず多少勉強しました。試行錯誤したため、同じく悩まされているサイト管理人の方々に向けて以下対応方法を記しておきます。


対応したこと

  1. GoogleAdsense管理画面の「最適化」タブ→「テスト」タブ内に Ad intents が6月27日から自動作成・自動配信していることを確認(Googleがどんな広告が良いかというテストを自動的にしている)
  2. Ad intents のステータスを「オリジナル」に選択することでテストを停止。
  3. 今後、Googleが勝手にサイト内に自動広告を新規に作らないように、「広告」タブ→「サイトごと」→右端「編集」ボタン→「自動最適化」タブ→自動最適化を「オフ」


Googleに限りませんが、こんな詐欺サイト広告を承認して、自動で広告配信する時代はつくづく狂っていますね。
(しかも、掲載オフがやりにくいように設計されている)

私の目が黒いうちは、このようなユーザーエクスペリエンスを侵害するような広告設定は手動でオフにし続けていきます。

広告業者も毎日増殖していて、いたちごっこに際限はありません。完璧に防ぐことはできないかもしれませんが、当ブログ記事が読みやすいように良心的なサイト運用を心がけています。


本サイトの広告ポリシーについて

本サイトでは、ページごとにウインドウが出てくるようなオーバーレイ広告・全画面広告を閲覧の邪魔と考え、管理者権限で非表示設定としています。その分、ページの脇に表示されている広告(Google AdSense)をクリックいただきますと当サイト管理人に些少の謝礼が入りますので、当サイト運営継続のために応援をいただけますと幸甚です。


高鴨神社の大黒石(奈良県御所市)

奈良県御所市鴨神

境内に大黒石と刻せる黒色烏帽子形奇石あり。
奈良県南葛城郡 編『奈良県南葛城郡誌』,南葛城郡,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/980729 (参照 2026-06-28)


2026年6月14日

文献紹介『祭祀遺跡とは何か』(穂積裕昌著 2026年)


穂積裕昌氏の新刊『祭祀遺跡とは何か』(雄山閣)が2026年4月に発表されました。

穂積氏は「水の祭祀」の代表的遺跡として知られる、三重県城之越遺跡の発掘調査に携わった考古学者として知られます。

本書はその書名が題するとおり、特に弥生・古墳時代の祭祀遺跡の最新総説として読むことができます。


第1章 「祭祀遺跡」の誕生
祭祀遺跡概念の総合研究史。この章を読むだけで最新の祭祀遺跡の知見を一気に習得。

第2章 神と死者、そして祖
第1章の最後で論点に挙がった「祖」が古墳時代祭祀のキーとなる。祖、上祖、葬と祭の関係。大陸・東アジアのスケールで日本列島の祭祀を検討。

第3章 弥生時代の「祭祀遺跡」
弥生時代の大型建物、銅鐸を代表とする青銅器埋納、弥生時代の遺物に刻まれた絵画文様。これらが祭祀と言えるのかどうかの論点整理。

第4章 創祀の契機
穂積氏が力点を置く、奈良時代文献群から当時およびそれより前の時代の祭祀観念を読み解く章。

第5章 儀礼の場
第4章より明らかとなった、祭祀の前段として行われることのある卜占・誓約を考古資料で見出す。

第6章 荒ぶる神への対抗
奈良時代文献、特に風土記を紐解き、祭祀遺跡が設けられた祈願目的の解明に踏み込む。

第7章 井泉への信仰と祭祀遺跡
穂積氏の専門とする水の祭祀遺跡を取り上げた章。井と泉の具体的分類と、山岳、河川、集落内など様々な場における考古資料の列挙。

第8章 磐座・磐境・神籬の成立
岩石信仰においては最も注目すべき章。これまでの古典的見解の焼き直しではなく新知見に富む。特に磐境に関しての論説が充実しており研究史に刻まれること確実。

第9章 祭祀遺跡と建物をめぐる諸問題
第3章で提起された弥生時代大型神殿説の検討から、弥生時代における大型建物と井泉の親和性から祭祀の場の萌芽を評価。政治・権力の場における祭祀と自然の地霊に根差す祭祀の2系統から最終的に神社祭祀につながる道筋を論証。

終章 祭祀遺跡から神社へ
弥生時代における地霊・穀霊への祭祀、古墳時代における荒ぶる神への祭祀と守護者としての神の祭祀と大陸由来のその祭祀と人格神化、それらの系統が祭祀遺跡から神社へ発展していくという歴史観を提示。


詳細は同書をご覧いただくとして、本記事では岩石信仰の範囲に限って、私が読みながら思ったことを記録します。


まず、穂積氏の専門領域である「水の祭祀」における岩石の扱いです。

城之越遺跡は日本庭園の源流とも表現されるような存在ですが、遺跡内の立石と石敷については「聖」と「美」の関係で悩ましい存在でした。

もちろんサニワ(斎庭)の観念があることから、庭と祭祀の場が矛盾しないことは承知していましたが、人工的に立てたいわゆる配石遺構と、自然の地表から露出した大地の働きとしての自然石岩盤との差異があったのかどうかという問題です。

風土記には、人と大地(地霊)の相克と表現できるような、地霊の討伐に関する記述が指摘されています。では古墳時代以前ではどうだったでしょうか。

岩石という素材においても、石材、古墳、祭祀遺跡の分布を見ると、採られて石材化した岩石とどうやらそうならなかった岩石に分かれるようです。

石を立てて立石にしたら、外形的なイメージからその岩石を憑依物としての磐座として認定して良いと言えるかは微妙です。大地に根差す自然岩盤の磐座と同じかという躊躇があり、自然に根差さなくても人が人工的に設置したら同機能となると言っていいのかは、まだ慎重に検討されるべき課題です。


城之越遺跡は湧水点である井泉1~3を有し、数多の石敷が構築される中で、井泉3だけは貼石がないなどの差異も有します。このように「規格的」ではない自然のランダムさを内包する解釈の難しい遺跡ですが、発掘を担当した穂積氏の最新の見解が本書の祭祀遺跡論の随所にちりばめられています。

このような井泉遺構の貼石や集石について、本書では奈良県纏向遺跡辻土坑1は祭祀の廃棄跡とみなすほか、鳥取県茶畑山道遺跡の集石群を水溜めとみなす解釈も勉強になりました。

岩石が整然とした意図的配列なのか無造作なのか、その判断基準をどのようにみなすとよいかは気になるところです。


そして第8章の「石の祭祀」です。

磐境について、ここまで具体化できるとは考えもつきませんでした。読後感として、磐境の位置づけに異論ありません。

三ツ寺Ⅰ遺跡の石敷遺構は磐境と同種の「聖域表示施設」だろうと拙論でもぼかして匂わせることはあったものの、はっきり書くことはできないままでした。磐座以上にアンタッチャブルだった磐境を今後議論の俎上に載せやすくなったと言えるでしょう。


一方で、磐座・磐境中心の分析で石神への検討が少なかったように思います。拙稿にも言及をいただきましたが、私が磐座・磐境・石神に限らずそれ以外の岩石の機能を提示した論旨が本書で検討されていないのは、穂積氏があくまでも古典に立脚するという姿勢だったためだと理解しています。

私は、最大公約数的に全時代全地域でこのような岩石の使われ方が想定されると提示したので、各時代のアプローチにおいてどうだったかは演繹的に検討せざるを得ません。古典に立脚する立場をとる以上、文献に現れない名称・用語は機能としてカウントしなかったのでしょう。


穂積氏は磐座遺跡認定の可否の一例として、福島県建鉾山遺跡の高木地区の御宝前奥にある巨岩を「磐座」遺跡とみなさず留保する立場をとりました。

山頂の建鉾石については、巨岩上に登らないと認識できないという点で当時の人々が岩石の上まで登って祭祀したかというと同じく疑問ですが、巨岩下の高木地区まで留保するのは私には意外でした。


私も批判的に自然石と祭祀遺跡の関係を見る立場ですが、高木地区の現地に立って感得するのは、巨岩が見えそうで見えない位置に御宝前と呼ばれる空間が位置することです。絶妙な位置と表現したいです。

高木地区の遺物出土地点に立つかぎり巨岩の姿は見えませんが(植生・繁茂の状況によっては見えるかも)、わずかにでも山側に歩けば1分もたたず巨岩が姿を見せるので、さすがに高木地区は巨岩の認識ありきで、あえて巨岩から離した場所に設けた、あるいは、御宝前に散らばる岩石群を「目印」「境界」として形成した祭祀遺跡と評価しています。

(私は、聖山と崇める契機に山中に立ち入った前史があり、山中に神の顕現を認めた結果、それ以後は山中奥深くに立ち入らずに山腹・山裾・山麓で祭祀を行ったという立場です)


このような距離のとりかたを以て、離れた場所から祭祀する岩石を「石神」候補たりうるものと仮定しています。

深澤太郎氏「高木地区の磐座群」『國學院大學博物館研究報告』41, 2025年)では、高木地区に散在する大小の岩石群を俗と聖を分かつ境界としての「磐座」とみなしているようですが、空間的な広がりを持つ岩石群ですので「磐境」とも言えそうです。

石神を直接見ないようにするという意味では、これも穂積氏が本書で重視した「遮蔽」の場と言えます。

御宝前が遮蔽の磐境の空間とするなら、遮蔽物の奥に控える一大巨岩は磐境ではないことは自明で、目の前で神迎えして祭祀の装置とすることが前提の磐座でもなく、それらの可能性が除外された先にある石神という指摘が初めて浮上します。石神は遺物出土地域から外れる特徴を備えるという想定も可能かもしれません。

柳田国男・折口信夫が石の話をしながらも「磐座」の語に重きを置かなかったように、石神を含めた多様な岩石信仰を想定することは重要かと存じます。


私自身、考古学の最新の知識をアップデートできていないところが多いので、本書で多数の遺跡の存在とその考古学的解釈を勉強することができました。

それら祭祀遺跡から見えてくる神祭りの姿を本書は描き出しており、資料第一主義が貫かれた全体の論旨に賛同しています。

記紀・風土記の利用においても慎重に慎重を重ねられており、大略、当時の人々の心を抽出することで古墳時代に援用可能とする見解は、私も今後の研究においてより奈良時代文献を用いていく励みとなりました。

皆様におかれても本書を通して最新の祭祀遺跡の知見を得られることをお薦めします。


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2026年6月7日

次の調査地

奈良県桜井市与喜山(2002年~2017年)、愛知県北設楽郡設楽町(2019年~2023年)に続く、次の調査地です。

前作でアウトプットできるものを大体吐き出したので、しばらく特定の地域に没入します。


特に、ある程度長期的な時間軸の中でそのフィールドに根差さないと、わからないことが多いという実感があります。

近年、アームチェア的なデータ分析が続きました。その反動で、今度は特定地域の特定事情を捨象せず拾い上げられないかと思うわけです。

昔どこかで書いたことがありますが、研究というより、「現在の記録」という視点にシフトしたいという気持ちが強くなってきました。

過去の前に、そもそも現在の理解でさえ雲をつかむようなところがあり、現在の岩石と人間の精神的関係にもうすこし目を向けてからでないと、過去の歴史を研究するのは「暴力的なものがある」と感じる段階に来てしまいました。


どうしても趣味の範囲でやるしかないので、専門研究者のように数か月間その集落で暮らせず(つまり参与観察に至れない)、休日に通える範囲でないといけません。今のところ候補地は

尾張本宮山地域(愛知)

都祁地域(奈良)

近江富士地域(滋賀)

いずれも隣県です。本当は三重県北部地域で見つけられればいいのですが、まだ出会えず(いつか巡り合う余地を否定せず)


尾張本宮山は断続的に調べているのですが、掘り下げるほどに興味深い地域です。『尾張名所図会』と現在の本宮山を見比べるだけでも複数の論点を見出すことができます。名所図会と現在の登山ルートが違い、今は山腹に広大な採石場があるので山の様子が辿りにくく、信仰と生業の関係性で現在も含めた歴史を語れるエリアです。

都祁地域は、数年前に映画取材の関係で掘り下げる時期がありましたが、都祁のみならず周辺の長谷・室生・奥三輪も含めると壮大なテーマです。かつて近接する与喜山地域をフィールドにしていた杵柄はありますが、大和高原は歴史的に「古代ロマン」に彩られたフィールドでもあるので、数多の通説に振り回されないという点では難敵かもしれません。

近江富士(三上山)地域は、先日の赤色立体地図の記事で妙光寺山の「前方後円地形」を取り上げましたが、奇しくも先日の報道も重なりました。滋賀県守山市伊勢遺跡を越える(?)弥生時代最大級の「神殿跡」と銘打たれた中畑・古里遺跡が、ちょうど妙光寺山の西麓なのです。当HPの「情報募集中」のページでも近江富士情報をいくつか募集していますが、これらがどのように絡み合うのか考えると調査の宝庫です。ただ、最新遺跡を含むのでこちらはしばらく推移を見ますし、考古学の専門の方に任せた方がいいのかもと思っています。


以上三地域の歴史に関して、何らかの情報をお持ちの方や、現地に詳しい方がいらっしゃいましたら、些細なことでもお聞かせください。皆様の情報も踏まえて調査地を決めます。

なお、現在学をやりたいという私の今時点の問題意識から言えば、最初に挙げた尾張本宮山が第一候補です。

それでも三地域を紹介した理由は、私の体は1つなので、ほかの方で調査していただける方がいればそれでもかまわないという思いからです。

私は、自分の研究や調査を独り占めしたいという欲望が薄く、調べたことや分かったことは公共に広く知られてほしいと思っています。だから、私の代わりにだれか解き明かしてください(でも誰もやってくれないなら自分がやる)の心持ちです。


昨年あたりから報道のとおり熊が出やすくなり、念のため山に行くのを控え続けています。

長野県の「郷土石特集号」の事例地を巡るという旅程も計画段階までは終わっているのですが、結局、行けないままとなっています(こちらは単純な探訪旅行です)。

このように、探訪もままならず牛歩的に時機を待つ日々ですが、当面は水面下で調査を続けます。いつかはこれらが結びついて巡り合う機縁もあるかと信じて書かせていただきました。ご情報などお待ちしています。


2026年5月24日

赤色立体地図で岩石を識別できるか?

昨今、赤色立体地図を利用して古墳や城郭を発見する取り組みが活発です。

従来の等高線とは違い、航空レーザ測量による1m単位あるいはそれ未満での微細な地形の流れを確認できます。

古墳や城郭は大幅な地形改変を伴うため、自然地形に対して不自然な溝・段・平坦面などが残ります。面白いのは、人間の視野では現地で気づきにくい俯瞰的な地形改変が赤色立体地図だと浮かび上がるという点です。

それでは岩石の場合はどうなるでしょうか。

1m単位の地形の流れであれば、それより高さのある岩石の起伏が立体化されうるのではないかという狙いです。

これにより岩石信仰調査や自然石文化調査に援用できるのではないかという見通しを立てて、今回、いくつかの事例を皆さんと見ていきたいと思います。


赤色立体地図のデータについて

ウェブサイト「全国Q地図」では法令上公開・活用が可能なさまざまな地図情報がまとめられており、赤色立体地図も全国版・地域版・都道府県別で使用可能なものが網羅されています。

下のページが特にわかりやすいです。

全国の赤色立体地図、CS立体図が閲覧できます! | 全国Q地図


今回は、この内の「基盤地図情報(標高)1mメッシュ(DEM1A)【Q地図】」の赤色立体地図を使ってみます。

私が過去に訪れた岩石祭祀事例の中で、地形的特徴をもつと思われるものをピックアップして確認してみました。

確認してみてわかったこととして、すべての場所に赤色立体地図があるわけではないのが注意点です。

たとえば、賀茂神社の神籠石(群馬県桐生市)金鑚神社の鏡岩(埼玉県児玉郡神川町)白山神社の巨大岩塊(福井県勝山市)金丸八幡神社の列石(徳島県三好郡東みよし町)などはその場所一帯が赤色化されていなかったため確認不能でした(公開されている範囲で)。

悉皆調査することはまだできない前提で、その他の場所をいくつか見てみましょう。

グレー表示の部分が赤色立体可能エリア(DEM1Aの場合)

なお、地図の引用・転載はこちらにあるとおり、全国Q地図・地理院タイルのクレジットが地図上に写っていれば、それをそのまま出典表示に変えることができます。


Case 1. 建鉾山


山腹から山頂にかけて数十m規模の一大巨岩です。
これがどのように表示されるかで赤色立体図の基本スペックが見えてくると思います。


比較できるように、左に従来の等高線地図、右に赤色立体地図を画面分割して掲載しました。

一目見て、等高線地図では緩やかな楕円形に見える山容も、実際には緩急のついた起伏のある山中地形であることがわかります。

そして一大巨岩。山頂から北の谷間に向かって筋状に隆起しているのがそれです。特に白光りと鮮明な赤色表示をなしているので、周辺地形と巨岩とを判別できます。

建鉾山の例では、赤色立体地図で岩石地形を確認できるという結果になりました。


Case 2. 榛名神社

榛名神社の御姿岩(群馬県高崎市)ならどうでしょうか。

高さ50m弱といわれる立岩です。想定としては、明らかな地形起伏として描かれるのではないでしょうか。


作図ツールを使って黄緑色の円で囲んだところが、御姿岩のある場所です。

社地を設ける際に整地した地形は明確に浮き出ていますが、御姿岩は…思ったより…目立っていません。御姿岩は立岩状なので上から見ると「点」表示になると考えられますが、50mという高低差が図化されていない気がします。

建鉾山は山と同体化した岩盤地形だから描かれて、御姿岩は地表から浮いた構造物的な扱いとして図化されないのか、レーザ識別の「癖」を知る必要があります。

榛名神社の例では、赤色立体地図で岩石地形を確認するのは難しいという結果になりました。


Case 3. 星ヶ見岩

岐阜県中津川市の巨石の宝庫として知られる星ヶ見公園はどのように見えるでしょうか。

こちらは探訪記事をまだ公開していないことに気づいたので、下に参考写真を掲載します。こんな山です。



星ヶ見公園の岩がムキムキしている様子がよく図化されています。これらの岩々は地形として認識されている様子で、地形認識だとこの規模の巨岩を赤色立体地図で確認するのは容易です。


Case 4.  渭伊神社境内遺跡

大多数の方が「天白磐座遺跡」と通称しつづける、渭伊神社境内遺跡(静岡県浜松市)です。

(棘のある言い方ですみませんが、学術的にここは譲れません)


ポツポツと岩石らしき隆起は見えますが…さて、これをもって岩石群の発見は容易と言えるでしょうか?

今回は事前にここに岩石群の遺跡があることがわかっていて、事後的に赤色立体地図を見にいっているから「まあ、あるよね」くらいの感想ですみます。しかし、本来の趣旨である未発見の岩石群を地図上で探そうという用途で考えるなら、これではやや厳しいでしょう。実際に現地に行ってみないとそれが岩石かどうかはわからないと思います。

人間の視覚に訴えるA岩、B岩、C岩のトライアングル景観が、赤色立体地図上ではなかったことにされるのもいろんな意味で興味深いです。

岩Aは高さ7m強あり図化されていると思いますが、高さ7mない道幅の整地跡のほうが鮮明に写るというのが赤色立体地図の特徴のようです。


Case 5. 東光寺山出世不動明王

近江富士に北接する東光寺山の出世不動明王(滋賀県野洲市)は、谷間にこんもりと隆起する岩塊でありこれがどのように図化されているか気になります。


右下の小さい丸のほうが、出世不動明王の岩塊です。

これはくっきり存在しています。当初の予想に応える結果であり、このように地形の隆起として認識されれば強いです。

岩石と関係ないですが、それ以上に予想外だったのは左上に囲んだ部分です。

ここは妙光寺山の頂上です。妙光寺山城という中世の山城が確認されていますが、前方後円形に見えなくもない。主軸の長さは100mに達しようかという大規模なもので、前方部と後円部のバランスを考え合わせると古墳時代後期の前方後円墳の特徴にも見えます。

妙光寺山の山麓・山腹には群集墳が存在しますが、山頂の前方後円墳は文化財総覧GISを見る限り報告されていません。山城のほか、山名のとおり山寺の整地地形の可能性もありますが、念のため今の流行に乗っかり、前方後円墳候補としてここで報告しておきます。


Case6 . 梅ヶ畑銅鐸埋納地

梅ヶ畑遺跡(京都市)と言えば、京都市唯一の銅鐸出土地で岩石信仰との関係も取り沙汰される重要遺跡です。


土地開発で完全に地形改変されているのがよくわかります。埋納地にあったという自然石群も今はなく、山頂尾根ですら本来の自然地形はまったく残っていないという事実を知るのにも、赤色立体地図を活用できることがわかる事例です。
ちなみに緑丸のすぐ左にポツポツ浮かんでいるのは御堂ヶ池群集墳です。


Case 7. 日室ヶ嶽

日室ヶ嶽(京都府福知山市)の東斜面は今も禁足地で、内部の様子は不明です。

このように、立ち入ることができない禁足地内の岩石群の存在を赤色立体地図で把握することは、本来の趣旨に適う使い方でしょう。


山頂から東にかけての斜面に、相当数のポツポツとした隆起が存在していることが窺えます。これまで見てきた事例を踏まえれば、これらがすべて岩石である可能性は高いです。

日室ヶ嶽の東斜面がなぜ禁足地であるか、そして、日室ヶ嶽の「磐座」とは山頂ではなく東斜面を指すのではないかなどの示唆を与えてくれます。

緑色の丸は、天岩戸神社の御座石があるはずの場所ですが、川の中の岩石は地形ではなく構造物としてはじかれてしまう模様です。


Case 8. 御社尾とハッチョウサン

御社尾(奈良県奈良市)は、都祁山口神社の裏の谷頭に位置し、二つの尾根が合流する特異な立地で知られます。


御社尾の岩塊(上の緑丸)は、なんとなく周辺より尖っているかなくらいの印象で岩石地形としては鮮明ではありません。小川光三氏が述べるような前方後円形も地形上では認められません。

下の緑丸はハッチョウサン(八王山)と呼ばれる場所で禁足地とみなされています。ここに列石らしきものがあると同・小川氏が書き残していますが地図上ではその列石具合が確認できず残念。こういう時に活躍できるとよかったのですが。


Case 9. ゴトビキ岩

ここで巨石の代表格・ゴトビキ岩(和歌山県新宮市)に登場願いましょう。


天磐盾に比定される神倉山の岩肌は、山塊の周縁にわたって明瞭に図化されていますが、それに比するとゴトビキ岩は緑丸の中で目立ちません。

高さ10mを超すと言われる巨岩ですが、存在していないような結果です。構造物扱いで除外されてしまったパターンでしょうか。このように岩石の「当たり」判定は微妙な位置づけにあるようです。


Case 10. 粟島神社の巨石

粟島神社の巨石(愛媛県大洲市)は、段丘上の高さ約4mの岩塊で人工説も出たことのある「ドルメン巨石遺跡」。


社地として整えられた平坦面に存在する巨石なので、そのギャップがどのように地図に表れるかの結果がこちらです。

緑丸の中にポツッと岩石の盛り上がりが見えます。見えますが、これは渭伊神社境内遺跡と同様に事前に知っているから事後的に識別できるだけで、事前情報なしでどれが岩石だと問われれば至難です。

高さ4mの「巨石」と形容される岩石で赤色立体地図上ではこの存在感ですから、岩石の識別に用いるには難しいという結論にならざるをえません。


Case 11. 猪群山

最後に猪群山の「環状列石」(大分県豊後高田市)を上空から眺めてみましょう。


ポツポツと岩の群れは視認できますが、それよりも視覚的に引っ張るのは山頂を取り囲む人為的な溝。

これは明治時代に山火事に備えて作られた防火施設です。やはりこういう人為的な地形改変に赤色立体地図は強く、また、視覚的にもこの防火壁が「環状列石」を誤認させる要因であることは岩石群の分布と照らし合わせれば瞭然です。


結論

いくつかの例を一緒に見てきました。

結論ですが、現状、岩石を見つけるのには適したツールとは言えません。

赤色立体地図では時に自然地形の岩盤として、時に構造物としての岩石として自動識別していることにより、一貫した調査に用いることができなさそうです。

しかし、その岩石が存在する場所の地面が、整地されているか自然地形のままかを判断する際の参考にはなります。

岩石信仰というのは自然風景と人の歴史の狭間の存在であり、単なる自然石として扱われることもあれば、真偽不明の人工物として持ち上げられることもありました。これまでは主に研究者の主観の問題領域でしたが、地図情報においても狭間・周縁の存在になりやすいのだと感じた次第です。