ページ

↑ からメニューを選択できます

2022年8月28日日曜日

鵜戸神宮の岩石信仰(宮崎県日南市)


宮崎県日南市宮浦


鵜戸窟(うどのいわや)/御窟/霊窟

窟の入口

窟の奥から入口に向かって撮影

窟の上部の一部

鵜戸神宮社殿

「海岸に臨んで大なる靈窟あり、是れを鵜戶窟と云ふ、即ち鷓鴣草葺不合尊降誕の地なりと云ふ。」(鵜戸神宮社務所 1942年)


御乳岩/御乳石(おちちいわ/おちちいし)


「女人産して乳の足らざるに霊験ありといふ。」(鵜戸神宮社務所 1942年)


御霊石(ごれいせき)


「この御霊石は、室町時代中頃より祀られており、鵜戸山大権現仁王護国寺の信仰のなごりと思われる。願い事は諸願成就し、国家安泰を祈祷して、霊験あらたかと伝えられている。」(現地看板)


神舡石(しんこうせき/みさねばへ)/御船岩/御舟岩

写真右の岩礁が神舡石か。

「一番北にあるのを神舡石といふ。今は御船岩といふ。」(鵜戸神宮社務所 1942年)


桝形岩/亀石/亀石桝形岩

注連縄に囲われた中に「桝形」がある。

「運玉」を投げて桝形に入れば祈願成就というが(1個入りました)

「古くより参拝者は亀石の桝形穴に向かってお金を投げ入れる風習がありました。ところが昭和二十七年頃、落ちたお金を求め崖を降り磯に出る子がいて問題となりました。賽銭に変わるものをと、鵜戸神宮共に試行錯誤した結果、昭和二十九年に粘土を丸め運の文字を刻し、素焼きにした『運玉』が誕生いたしました。」(現地看板)

かつては「観音ばへ」(鵜戸神宮社務所 1942年)とも呼ばれたものかどうか未確定。


二柱岩

現地に明確な標示がないので推定。

「五名石」の一つという。


扇ばへ/扇岩

推定(自信なし)

「五名石」の一つという。


雀ばへ/雀岩

推定(自信なし)

「五名石」の一つという。


女夫ばへ/夫婦岩

推定(自信なし)

「五名石」の一つという。


神犬石(いぬいし)



「八丁坂(本参道)から、御本殿を御守護するように見えることから神犬石と呼ばれている。」(現地看板)

神犬石近くにある丸石(上に鎌が置かれていた)


鵜戸山八丁坂の石段と階段供養塔

摩耗した石段

八丁坂の頂上を少しだけ西に下ると石碑が存在する。

「奉寄進階石供養塔」と刻まれている様子。

「石段に近づいてハッと驚いた。石段は、一段に石三つを並べる形で作られ、それがずっと上部へ続いている。その一つ一つの石が、長い間の参拝者の歩みによってみごとに摩滅し、それが前夜の雨の湿気を含んで一つ一つ鈍い光を発しているのである。三列の石の中ではどの段も真中の段が著しく減っている。いったいこの石段を何人の人が歩いてきたのだろう。そしてどんな思いを抱いて歩んだのだろう。鵜戸山には、階段供養塔がある。それには、寛政七年(一七九五)と刻まれているのだから、それ以前に、石段は供養されねばならぬほど摩耗していたのである。まさに信仰の力と言うべきか。」(野本 1982年)


不動窟/波切不動尊/波切神社

鵜戸神宮境内から片道徒歩20分とのこと。時間が足らずやむなく諦めた。

「昔はここに不動尊を安置してゐたので不動窟と呼んでゐる。」(鵜戸神宮社務所 1942年)


鵜居石/鵜ノ石(ていこいし/うのいし)

「彦火々出見尊が釣糸を垂れ給ひしところと傳へてゐる。石は鵜戸山の南北兩海岸にある。」(鵜戸神宮社務所 1942年)

鵜戸神宮社務所で授与している由緒書掲載の絵地図によれば、鵜居石は鵜戸神宮南の千畳敷の近くの海上にあり、鵜ノ石は波切神社のさらに北の海上に描かれている。両方とも未訪。


参考文献

  • 官幣大社鵜戸神宮社務所・編『鵜戸の宮居』1942年
  • 野本寛一『石と日本人』樹石社 1982年


2022年8月8日月曜日

ガンガン石(宮崎県延岡市)


宮崎県延岡市大貫町




鳥居龍蔵『上代の日向延岡』(鳥居人類学研究所 1935)において以下のとおり報告されている。

南方村野地に、ガンガン石と称するものがある。(略)天然の露出岩石の上に、数枚の巨石を置いたものである。この石は人が手で揺がすと揺ぐので、ガンガン石といはれ、巨石として祀られて居る。私はこれは巨石遺跡ではなからうかと思ひ、調査に赴いたのであった。
このガンガン石は一見自然の岩のやうに見えるが、一巨岩の上に他の巨石を積み重ねて居るからこれは人為になったものと思はれる。これを村人が古くからガンガン石と称するのは、それが揺れて音を発するから斯く云ふのであって、こは上に巨石を人為で置いてある証拠である。さればガンガン石はまさしく巨石遺跡として見るべきものである。(鳥居、1935年、p.165)

鳥居は同書において、延岡市に数多くの巨石遺跡があることを報告しており、現在も残る代表的な事例の一つとして知られる。

興味深いのは、ガンガン石の傍らに小祠があり、その中に高さ3尺4寸(約1m)の地蔵形の石像があり、鳥居はこれを筑紫国造磐井の墓で知られる岩戸山古墳の石人と類似すると指摘した。
鳥居が訪れた時は、ガンガン石の祠の後ろに円墳が存在し、その円墳に付随するものだったのではないかと推測している。

この「石人」は通称「野地の石人」と呼ばれ、現在は愛宕地蔵の名で堂内にまつられている。

ガンガン石が人為的な遺構であるか、人為的としてそれがいつの構築か、野地の石人が真に岩戸山古墳のそれと同形式か、多くのことが置き去りにされたまま存在している。