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2021年12月27日月曜日

恋占いの石/めくら石(京都府京都市)


京都府京都市東山区清水 清水寺

 

京都清水寺に接して、地主(じしゅ)神社が鎮座する。

地主神社境内に「恋占いの石」と名付けられた2つの岩石が、社殿前に左右対称に置かれている。



竹村俊則『昭和京都名所図会2 洛東下』(駸々堂出版、1981年)には「めくら石」の名で記され、現在の名称は配慮によるところもあるだろう。


恋占いは、次の手順を踏んで占う。

  1. 片方の石の前に立つ。
  2. 目をつぶって、もう片方の石のところまで歩いていく。
  3. 目をつぶりながら石のほうへうまくたどり着いたら、恋愛成就するという。


岩石の表面には「恋占いの石」を記す銘盤が埋め込まれている点を考えると、現在、岩石は信仰の中心とみるより、神社の祭神(大国主命)が「恋占いの石」という施設を経由させて恋占いの霊力を発動する「祭祀道具」「祭祀施設」と位置付けるのが適切だろう。


地主神社の公式ホームページによれば、「恋占いの石」は室町時代には「清水寺参詣曼荼羅」にそれらしき一対の岩石が描かれているといい、歴史的にそこまで遡ることができる。

縁のおはなし 縁のはじまり|地主物語|由来と歴史|縁結び祈願 京都地主神社

さらに、上記ページの神社の説明によると、「恋占いの石」がアメリカの原子物理学研究者ホースト博士なる人によって縄文時代の遺物である評価されたとの記述がある。

ここから神社の創建を縄文時代・神代に遡る根拠としているが、ホースト博士のその調査結果の詳細を知りたいところである。

(考古学者の所見によるわけではないのはなぜ?)

 

2021年12月12日日曜日

和貴宮神社の水越岩(京都府宮津市)


京都府宮津市宮本

 

宮津市の中心街に位置する和貴宮(わきみや/わきのみや)神社は、かつて「分宮」「別宮」「脇宮」の字を用い、丹後国一宮・籠神社の別社として位置づけられた旨の説がある。


和貴宮神社の境内には、水越岩(みなこしいわ・みこしいわ)が盤踞している。
(別称として波越岩・波越巖もあり)




和貴宮神社

水越岩の由来にはっきりしたものはなく、昔は岩に貝殻がひっついていたという話から水越岩までがかつての宮津の海岸線であったとか、神様がこの岩に座り釣りを楽しんだとか、はたまた陸と海の境界に鎮まる「依代」であったとか諸説ある。


もともとは岩礁の一部だった可能性は十分にある。

ここから現在の海岸線までは1kmも離れておらず、海岸線からの比高も数mの立地、岩の名前や付帯する情報全てが海に関わることなどを合わせると、特に異を挟む部分はない。


岩石信仰上の問題は、水越岩が海岸の岩塊だったとして、それがランドマークとしての対象にとどまっていたものか、それとも後世に神社が設けられるほどの神聖視の対象だったのかというところにある。


現在、水越岩の上には小祠が置かれ、少なくとも今は神聖視されているようにみえる。

しかし過去はどうか。


たとえば宮津市文化財保護協力委員や宮津地方史研究会委員などを歴任した、宮津の歴史・文化に詳しい宮城益雄氏の著書『宮津ええとこ』(あまのはしだて出版、2008年)では、水越岩について「その年代や、神社との関係は判然とはしない」と記されている。

現地の観光地図や昨今の観光冊子、インターネット上には「依代」「磐座」と記載しているものも散見されるが、この岩をまつっていたという歴史上の明確な記述は今のところ探せていない。

たとえば駅の観光地図には「神の依り代」とある。

しかし神社境内の看板は水越岩を海辺の跡とするにとどめる。この差に注意。



インタビュー掲載(2024.2.7)