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2021年8月23日月曜日

岩神神社(奈良県吉野郡吉野町)


奈良県吉野郡吉野町矢治





吉野地域を代表すると言ってよい、巨岩信仰の神社。

祭神は諸説あるようだが、本来は人格神としての信仰ではないということを表すのかもしれない。


現在は「岩穂押開神」で通っていることが多いようだが、これは『古事記』でいう石押分、『日本書紀』でいう磐排別から来たものとされている。

山に入りたまへば、また尾生る人に遇ひたまひき。この人巖(いはお)を押し分けて出で来たりき。ここに「汝は誰ぞ。」と問ひたまへば、「僕は國つ神、名は石押分(いはおしわく)の子と謂ふ。」(『古事記』中つ巻)
倉野憲司校注『古事記』(岩波書店、1963年)より

尾有りて磐石(いは)を披けて出れり。天皇問ひて曰はく、「汝は何人ぞ」とのたまふ。対へて曰さく、「臣は是磐排別(いはおしわく)が子なり」とまうす。(『日本書紀』巻第三)
坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀』全5巻(岩波書店、1994年)より

吉野の岩神神社がモデルでこの物語が創られたとは即断できず、逆に記紀神話の影響で後世に伝承地が勃興した可能性も想定しなければならない。


記紀記述上の特徴も触れておこう。


物語で登場したのは、イハオシワクではなく、イハオシワクの「子」である。

厳密に読むと、イハオシワクおよびその子は「巖」「磐石」そのものではなく、岩石は押し開かれる対象となっている。

『記紀』における「天の磐座(石位)」も、常に「引き開く」「押しはなつ」「離れる」対象として描かれている。

この点を考えると、イハオシワクが動かした岩石は多分に磐座的と言え、かつ、中から出てくるという点では、内部空間をもつ岩屋のような描かれかたでもあると言える。

まとめると、岩石=神と呼ばれる関係ではなく、むしろその岩石を動かしたという行為に神格があり、岩石は装置的・サブ的なのである。


吉野の岩神神社がこの物語の岩石を指すかは、繰り返しとなるがわからない。

現地看板によると、「岩神」の名は少なくとも元禄4年(1691年)まで遡れるとのことだが、その頃には岩石=神としての信仰であり、岩石は装置でもサブでもない主役として君臨している。

岩神神社 境内全景

岩神神社の対面に流れる吉野川


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