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2020年2月9日日曜日

三井山と御井神社の岩石信仰(岐阜県各務原市)


岐阜県各務原市三井山町

御井神社の神体石



三井山(みいやま)は標高108.8mの低山だが、頂上にはかつて延喜式内社の御井神社が鎮座したという。
三井山の山名は御井神社にちなむものと思われ、本来は「御井」、つまり、井水にまつわる聖地だった。山の南麓には三井池が広がるが、この池は古代からあったという。また、西隣には新境川、さらに南に行くと木曽川が流れている。水に事欠かない環境と言える。

天文年間(1532~1554年)、三井山に三井城が築かれたことから御井神社は東麓に遷座した。現在、三井山から東1kmほどの各務原市三井町に御井神社が鎮座している。

御井神社

現社地はかつて御旅所といわれた跡に建ち、ここにも「神水の泉」と呼ばれる泉が湧き出ている。
境内には春日村(現・揖斐川町)のさざれ石が安置されているが、目に付いたのは『美濃國志』(美濃国誌)の御井神社の記述部分を写したと思われる石碑。

そこには「神体小海石安神璽トス」「以石為神璽」とあり、御井神社のご神体が石であると言及されている。神璽であることから本殿内に安置されていると思われ確認はできないが、海水の中の石を神聖視する一事例である。

境内に安置されたさざれ石

三井山の「磐座」


三井山の南山裾へ目を転じると、ちょうど三井山と三井池の狭間に「三井山立岩不動明王」が立つ。




斜面の流れに逆らうように盛り上がった露岩の懐に不動明王像を置いてある。
製作・奉献年につながる刻字などがないかを観察したが特になく、いつ頃に始まった祭祀かは判然としない。
像は小ぶりで素朴な作りながらも丁寧な彫刻であり、光背に朱が塗られ、光背と立像の間に明瞭な立体感が見られるのが特徴。

10分も登れば山頂に到着する。
山頂には御井神社奥之宮の祠がまつられている。


傍らにある奥之宮創建由来の石碑には「いま城址に磐座ありて神域と畏み齋域と崇め奉る」との記述があった。
山の西斜面に広がる露岩群が、その「磐座」に該当するものと思われる。






西斜面から北西斜面に落ち込むように露出する岩崖などは、低山には似つかわしくない荒々しい光景だ。

山頂には山の南と西から取りつくルートがあるが、西からのルート上にはこのような光景を断続的かつ広範囲に見かける。この露岩群の特定の一つではなく、すべてを一括して磐座と呼んだのかもしれない。

しかし、当山には三井城が築かれた。
このような自然の岩盤を利用した山城だろうと察せられるが、これらの岩盤がすべて原初のままとは考えづらく、特に山頂一帯は少なからず土地利用がされているうえでの現状の景観と捉えなければならない。

現地看板

また、「磐座」という呼称は、看板を書いた作者の知識により当てられた用語ではないかという疑いがある。自然石をただの自然石ととらえたか、神聖な存在としてとらえたかは当時の人々が記した確かな記録が求められる。後世の人々が裏付けなしに記した考え(看板)だけではいけない。築城前、築城後の三井山信仰史は批判的に検討される必要がある。

また、山中には十数基からなる三井山古墳群が分布し、横穴式石室の円墳で古墳時代後期の群集墳と考えられている。

これらの古墳群と山中の露岩群が、各々どのような認識(墓域と神域の空間認識/石材の選択非選択)のもと並存していたかも気になるところである。

三井山古墳群の一基


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