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2025年12月30日

石薬師寺の本尊石仏御開扉(三重県鈴鹿市)

三重県鈴鹿市石薬師町


東海道の石薬師宿の地名は石薬師寺(旧称・西福寺)に由来する。名のとおり、石の薬師を本尊とする。
縁起は以下のとおりである。

高富山石薬師寺

現地由来板

つまり、森の中で発光する自然石をまつったのが草創であり、その後、弘法大師により石肌に像刻されたという二段階の流れになっている。
自然石信仰に端を発して仏を感得したケースとして興味深い。


秘仏ではあるが、毎年12月20日のおすす払いの時に開扉されることを知り、2025年12月20日に拝観した。


写真撮影はできないので文章のみでの報告となるが、ご住職から直接案内をいただくことができた。

本堂奥だけ数段落ち込んだ空間があり、扉がすでに開いた状態で石肌が見えていた。暗がりの中、火でぼうっと灯された石仏の存在感は特筆すべきものがあった。

岩石の形状は幅広な立石状である。花崗岩ということで、全体的に白っぽい石肌には磨かれたような滑らかさがありつつ、花崗岩特有のざらざらした鉱物同士の等粒状組織も見せる。
高さ約2mとのことで、現状の床面の高さだと人の身長と同じくらいだが、かつてはもう一段床面を下げていたそうで、本尊を見上げるように拝むように設計されていた。

ご住職からは、もっと近くでご覧いただいて良いですよとお許しいただいたので、岩石と地面の接地面がどのようになっているのか注目した。
床面は砂利混じりの地面となっており、地表からそのまま岩石が屹立しているようだった。地表面に岩盤が露出している様子はなく、それは境内の本堂周辺を見るかぎりでも露岩とは無縁の地質に見えた。
(地質図上では堆積岩相となっている)

外から本堂下を観察するかぎりでは、境内はよく整備されており現状露岩地形ではない。

このように一見するかぎりでは、露岩のない場所に突如現れた異質な岩石に見えるが、縁起では金輪際(大地の底)から湧出した岩石ということで、地下に根を張る自然石としての信仰を伝えている。
仏教霊場において金輪際とつながる霊石の存在は、滋賀県石山寺、奈良県長谷寺など各地に見られる。これはそもそも、仏教書において仏菩薩の座する金剛座の地下は金輪まで続くという金輪際伝承が存在するからである。横田隆志氏『中世長谷寺の歴史と説話伝承』(和泉書院 2023年)によると、金輪際伝承の淵源はインドで4~5世紀成立とされる『阿毘達磨倶舎論』までたどれるという。


なお、境内看板では本尊石仏の写真が貼られている。ご住職によると「今は写真禁止とさせていただいている」との返答だったので、かつては写真が許容されていたのだろう。参考として掲載する。

境内看板

「平安時代後期の作」との説明が付され、いわゆる伝弘法大師の信仰ということになるが、この像容は薬師如来ではなく阿弥陀如来と考えられている。この辺りの造形評価については、石造美術の大家である川勝政太郎氏の記述を引いて結句に代えたい。

石薬師像のこの豊満な様式は平安時代後期をよくあらわすものといわざるを得ない。おおまかな衣文や面貌に女神像を思わせるものがある。まことにまれな古石仏である。ところが石仏の形相は来迎相の阿弥陀如来で、平安後期流行の仏であるが、後世里人の信仰は薬師に移って、いつか石薬師とよぶようになったのである。
川勝政太郎 著『石造美術入門 : 歴史と鑑賞』,社会思想社,1967. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2514170 (参照 2025-12-30)


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