郡上八幡城下を散策すると、必ずと言って良いほど目に入るのがこの岩山である。
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| 吉田川沿いに岩山が屹立する。 |
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| 岩山中腹まで参道が切り込むように造られている。 |
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| 白龍稲荷神社の名でまつられる。(以上、向井一雄氏提供写真) |
岩山には現在、白龍稲荷神社が建立されているが、その沿革は郡上八幡観光協会の下記Facebook投稿に詳しい。
まとめると、
- 江戸時代の地図には「神路山」「キシツルギ山」と記される場所だった。
- 岸劔神社の境内に属する岩山だったが、明治19年(1896年)に神社が郡上八幡城内に遷座したため、個人に移譲された。
- 白龍稲荷神社はその後、大正~昭和初期に建立されたものである。
ということで、歴史的には岸劔神社旧地の神路山・キシツルギ山と呼ぶべき存在らしい。
さらに、岸劔神社はかつて岩剣神社の別称もあったという。それは、神社創建の由来と関わっている。多少の揺らぎがあるので、いくつかの文献を引く。
八幡城下清水彦右衛門なる人吉田川下流の岩間に荘厳なる御剣のかかれるを発見し小祠を営んで奉斎した。慶長一九年当城下の氏神として社殿を造営、岩剣神社として崇められたと言う。
神社本庁調査部 編『神社名鑑』,神社本庁神社名鑑刊行会,1963. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2997363 (参照 2026-10-25)
八幡城下の吉田川の岸(現在の宮ヶ瀬橋の下)の岩間に剣のかかっているのを清水彦右衛門がみつけ自分の家に持ち帰った(現在この岩をかかり岩という)。
太田成和 編『郡上八幡町史』下巻,八幡町,1961. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3008816 (参照 2026-10-25)
仲上善六といへる人、宮が瀬(後ちの名付)洗場の岩上に、不動尊の御剣漂着せるを発見して拾ひ帰り、小山の巖上に小祠を営みて納めけるが、種々の奇瑞ありとて、町内挙りて領主に請ひ、北町の氏神と崇めたり、かかり岩、宮が瀬、岸剣の名は皆是れに因由せり。
戸塚城崖 編『郡上郡案内』,岐阜県郡上郡協賛会,大正6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/958178 (参照 2026-10-25)
どうやら吉田川上流から流れてきた剣が当地の「かかり岩(掛かり岩)」と呼ばれる岩間に漂着し、その剣を岩上にまつったのが岩剣神社、ひいては岸劔神社の元になったことがわかる。
掛かり岩と岩山は別の存在であり、前掲『郡上八幡町史』下巻には掛かり岩の写真も掲載されている。川岸に突き出た岩の突端に御幣をあしらった写真で、ドンビキ岩の別称も付記している。これが今もこのような形で「現在の宮ヶ瀬橋の下の岩間」にあるのかは未確認である。
さらに、この流れ着いた剣は由来不明の存在ではなく、吉田川上流の明宝・気良の地に鎮座した鳥居宮(とりのみや)の神体剣だった。
『明宝村史 通史編』下(明宝村 1993年)には「鳥居宮と成就の宮」の伝説として詳しく記録されている。別場所なので大略を紹介するにとどめるが、雨乞いのために吉田川にある「み幸岩(神流岩)」に鳥居宮の神剣をまつったところ大雨が降り、その濁流で神剣も流されてその漂着先が当地の掛かり岩だったという。このため鳥居宮は別の神を勧請することになり今は「神輿岩」として旧跡ととどめるのみとなり、一方の掛かり岩側では神剣を「成就の宮」と呼んでまつり、後に岸劔神社を号したという。
ここで多くの岩石群の名称が登場したが、また機会があれば明宝・気良の現地を確認したい。一応、Googleマップにこの辺りかと思われるポイントを打っておいた。
郡上八幡城下の岩山は白龍稲荷神社のみの歴史にとどまらず、郡上八幡の氏神である岸劔神社の旧跡であり、上流の鳥居宮と複数の岩石信仰を取り持つ場でもあった。



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