静岡県浜松市浜名区堀谷
社頭扁額には「荒鎺山」とある。 |
明治時代に建てられた石碑には「荒鎺●神」とある。 ※●は「大」「土」「之」のいずれかで、現地案内を参考にすると「荒鎺大神」か。 |
岩石頂上。岩山の観を呈す。 |
向かって右側から撮影。 |
向かって左側から撮影。 |
神社から道路を挟んだ向かい側にも注連が張られた露岩が存在。かつては道路をまたいで岩石同士を注連縄で渡していたともいわれる。 |
字・堀谷に鎮座するアラハバキ神社なので堀谷アラハバキ神社と表記されることがあるが、単にアラハバキ神社ないしは、社殿を擁さないので扁額・石碑に記された荒鎺山・荒鎺大神が元来的な呼称だろう。
いくつかのソースで文献調査を行ったが、当社の文献史学的な情報にたどりつくことはできなかった。いわゆるアラハバキ信仰の詳細についても不明といわざるを得ない。
補足情報として、旧堀谷村は石灰が産出される地として明治時代以前から知られていたようである(浜松県[編]『遠江国地誌小成』1874年)。
当社の北500mという距離には、堀谷洞窟という石灰岩の鍾乳洞がある。
人類学者の近藤恵氏を中心としたグループが2021~2024年度にわたって堀谷洞窟を調査しており、結果、縄文時代草創期に遡る可能性をもつ土器片の発見にいたった(「静岡県西部の石灰岩地帯における旧石器~縄文時代層の人類学・考古学的調査」)。
堀谷が縄文時代から人足のあった地であることはたしかである(これをもってアラハバキと縄文時代を接続するのは安易である)。
遠州山辺の道の会の会員である郷土史家・小野田正吉氏が当社について講演をされている。小野田氏であれば地元に伝わる資料などをお持ちのことと思い、詳しくご教示を乞いたいものである。
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