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穂積裕昌氏の新刊『祭祀遺跡とは何か』(雄山閣)が2026年4月に発表されました。
穂積氏は「水の祭祀」の代表的遺跡として知られる、三重県城之越遺跡の発掘調査に携わった考古学者として知られます。
本書はその書名が題するとおり、特に弥生・古墳時代の祭祀遺跡の最新総説として読むことができます。
第1章 「祭祀遺跡」の誕生
祭祀遺跡概念の総合研究史。この章を読むだけで最新の祭祀遺跡の知見を一気に習得。
第2章 神と死者、そして祖
第1章の最後で論点に挙がった「祖」が古墳時代祭祀のキーとなる。祖、上祖、葬と祭の関係。大陸・東アジアのスケールで日本列島の祭祀を検討。
第3章 弥生時代の「祭祀遺跡」
弥生時代の大型建物、銅鐸を代表とする青銅器埋納、弥生時代の遺物に刻まれた絵画文様。これらが祭祀と言えるのかどうかの論点整理。
第4章 創祀の契機
穂積氏が力点を置く、奈良時代文献群から当時およびそれより前の時代の祭祀観念を読み解く章。
第5章 儀礼の場
第4章より明らかとなった、祭祀の前段として行われることのある卜占・誓約を考古資料で見出す。
第6章 荒ぶる神への対抗
奈良時代文献、特に風土記を紐解き、祭祀遺跡が設けられた祈願目的の解明に踏み込む。
第7章 井泉への信仰と祭祀遺跡
穂積氏の専門とする水の祭祀遺跡を取り上げた章。井と泉の具体的分類と、山岳、河川、集落内など様々な場における考古資料の列挙。
第8章 磐座・磐境・神籬の成立
岩石信仰においては最も注目すべき章。これまでの古典的見解の焼き直しではなく新知見に富む。特に磐境に関しての論説が充実しており研究史に刻まれること確実。
第9章 祭祀遺跡と建物をめぐる諸問題
第3章で提起された弥生時代大型神殿説の検討から、弥生時代における大型建物と井泉の親和性から祭祀の場の萌芽を評価。政治・権力の場における祭祀と自然の地霊に根差す祭祀の2系統から最終的に神社祭祀につながる道筋を論証。
終章 祭祀遺跡から神社へ
弥生時代における地霊・穀霊への祭祀、古墳時代における荒ぶる神への祭祀と守護者としての神の祭祀と大陸由来のその祭祀と人格神化、それらの系統が祭祀遺跡から神社へ発展していくという歴史観を提示。
詳細は同書をご覧いただくとして、本記事では岩石信仰の範囲に限って、私が読みながら思ったことを記録します。
まず、穂積氏の専門領域である「水の祭祀」における岩石の扱いです。
城之越遺跡は日本庭園の源流とも表現されるような存在ですが、遺跡内の立石と石敷については「聖」と「美」の関係で悩ましい存在でした。
もちろんサニワ(斎庭)の観念があることから、庭と祭祀の場が矛盾しないことは承知していましたが、人工的に立てたいわゆる配石遺構と、自然の地表から露出した大地の働きとしての自然石岩盤との差異があったのかどうかという問題です。
風土記には、人と大地(地霊)の相克と表現できるような、地霊の討伐に関する記述が指摘されています。では古墳時代以前ではどうだったでしょうか。
岩石という素材においても、石材、古墳、祭祀遺跡の分布を見ると、採られて石材化した岩石とどうやらそうならなかった岩石に分かれるようです。
石を立てて立石にしたら、外形的なイメージからその岩石を憑依物としての磐座として認定して良いと言えるかは微妙です。大地に根差す自然岩盤の磐座と同じかという躊躇があり、自然に根差さなくても人が人工的に設置したら同機能となると言っていいのかは、まだ慎重に検討されるべき課題です。
城之越遺跡は湧水点である井泉1~3を有し、数多の石敷が構築される中で、井泉3だけは貼石がないなどの差異も有します。このように「規格的」ではない自然のランダムさを内包する解釈の難しい遺跡ですが、発掘を担当した穂積氏の最新の見解が本書の祭祀遺跡論の随所にちりばめられています。
このような井泉遺構の貼石や集石について、本書では奈良県纏向遺跡辻土坑1は祭祀の廃棄跡とみなすほか、鳥取県茶畑山道遺跡の集石群を水溜めとみなす解釈も勉強になりました。
岩石が整然とした意図的配列なのか無造作なのか、その判断基準をどのようにみなすとよいかは気になるところです。
そして第8章の「石の祭祀」です。
磐境について、ここまで具体化できるとは考えもつきませんでした。読後感として、磐境の位置づけに異論ありません。
三ツ寺Ⅰ遺跡の石敷遺構は磐境と同種の「聖域表示施設」だろうと拙論でもぼかして匂わせることはあったものの、はっきり書くことはできないままでした。磐座以上にアンタッチャブルだった磐境を今後議論の俎上に載せやすくなったと言えるでしょう。
一方で、磐座・磐境中心の分析で石神への検討が少なかったように思います。拙稿にも言及をいただきましたが、私が磐座・磐境・石神に限らずそれ以外の岩石の機能を提示した論旨が本書で検討されていないのは、穂積氏があくまでも古典に立脚するという姿勢だったためだと理解しています。
私は、最大公約数的に全時代全地域でこのような岩石の使われ方が想定されると提示したので、各時代のアプローチにおいてどうだったかは演繹的に検討せざるを得ません。古典に立脚する立場をとる以上、文献に現れない名称・用語は機能としてカウントしなかったのでしょう。
穂積氏は磐座遺跡認定の可否の一例として、福島県建鉾山遺跡の高木地区の御宝前奥にある巨岩を「磐座」遺跡とみなさず留保する立場をとりました。
山頂の建鉾石については、巨岩上に登らないと認識できないという点で当時の人々が岩石の上まで登って祭祀したかというと同じく疑問ですが、巨岩下の高木地区まで留保するのは私には意外でした。
私も批判的に自然石と祭祀遺跡の関係を見る立場ですが、高木地区の現地に立って感得するのは、巨岩が見えそうで見えない位置に御宝前と呼ばれる空間が位置することです。絶妙な位置と表現したいです。
高木地区の遺物出土地点に立つかぎり巨岩の姿は見えませんが(植生・繁茂の状況によっては見えるかも)、わずかにでも山側に歩けば1分もたたず巨岩が姿を見せるので、さすがに高木地区は巨岩の認識ありきで、あえて巨岩から離した場所に設けた、あるいは、御宝前に散らばる岩石群を「目印」「境界」として形成した祭祀遺跡と評価しています。
(私は、聖山と崇める契機に山中に立ち入った前史があり、山中に神の顕現を認めた結果、それ以後は山中奥深くに立ち入らずに山腹・山裾・山麓で祭祀を行ったという立場です)
このような距離のとりかたを以て、離れた場所から祭祀する岩石を「石神」候補たりうるものと仮定しています。
深澤太郎氏「高木地区の磐座群」『國學院大學博物館研究報告』41, 2025年)では、高木地区に散在する大小の岩石群を俗と聖を分かつ境界としての「磐座」とみなしているようですが、空間的な広がりを持つ岩石群ですので「磐境」とも言えそうです。
石神を直接見ないようにするという意味では、これも穂積氏が本書で重視した「遮蔽」の場と言えます。
御宝前が遮蔽の磐境の空間とするなら、遮蔽物の奥に控える一大巨岩は磐境ではないことは自明で、目の前で神迎えして祭祀の装置とすることが前提の磐座でもなく、それらの可能性が除外された先にある石神という指摘が初めて浮上します。石神は遺物出土地域から外れる特徴を備えるという想定も可能かもしれません。
柳田国男・折口信夫が石の話をしながらも「磐座」の語に重きを置かなかったように、石神を含めた多様な岩石信仰を想定することは重要かと存じます。
私自身、考古学の最新の知識をアップデートできていないところが多いので、本書で多数の遺跡の存在とその考古学的解釈を勉強することができました。
それら祭祀遺跡から見えてくる神祭りの姿を本書は描き出しており、資料第一主義が貫かれた全体の論旨に賛同しています。
記紀・風土記の利用においても慎重に慎重を重ねられており、大略、当時の人々の心を抽出することで古墳時代に援用可能とする見解は、私も今後の研究においてより奈良時代文献を用いていく励みとなりました。
皆様におかれても本書を通して最新の祭祀遺跡の知見を得られることをお薦めします。
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「しゃこちゃんのお部屋」が閉鎖されていました。
しゃこちゃんのお部屋とは何か?
青森県つがる市が呼びかけた縄文ファンの部室「しゃこちゃんの部屋(仮)」ではありません。
これより前の1990年代から存在する老舗巨石サイトです。
私が初めて出会った思い出の巨石サイトとして過去記事でも紹介しました。
磐座で有名な場所はどこですか?~磐座巨石本から決定版を決める~
ここ数年は更新されていなかったと記憶していますが、個人サイトはアーカイブとしても残らず無念です。
現在はAI最適化のAIOの時代ともいわれますが、ネットの表示上位を見ても広告スポンサーとドメインの資本力の嵐で、いわゆる磐座・巨石分野の上位ラインナップを見ても質的には正直疑問です。
このような現状はインターネットユーザーの総意ではなかったはずですが、内容が充実していても個人サイトは軒並み敗北です。
![]() |
| こんなサイトもありましたがweb上ではすっかり痕跡も辿れませんね |
インターネットはこんなもんじゃなかったよ、ということで、今回は個人サイト特集です。
近著で「2001年からホームページを始めて、インターネット上の情報発信を続けながら各種プラットフォームの栄枯盛衰を目の当たりにしてきた」と書きました、不詳私めが磐座・巨石分野の現存サイトを選定いたしました。
現代のプラットフォーマ―たちから作為的に存在感を消されているだけで、まだ良質なサイトは存在します。
古き良き「リンク集」としてどうぞご活用ください。
この手の老舗サイトの中でも、2000年頃にはすでに王者の風格でした。掲示板が梁山泊の如き様相。サイト更新は停止状態ですが、現行掲示板は何とか生きています。正確には神社総合サイトですが「磐座いこら」のコーナーに磐座がまとまっています。
「アカデミカ」です。歴史系総合リンク集でした。インターネット黎明期にお世話になった方も多いのではないでしょうか。リンク切れまくっていますが検索画面が生きていて、「磐座」「巨石」で検索すると1996~2000年頃の懐かしページ名がぽろぽろ見つかります。これこそが老舗サイトです。
https://www2m.biglobe.ne.jp/~Accord/AKA/index.htm
独自の視座に立ちながら定期的に更新されています。さぞ一家言ある方とお見受けしています。ドメインパワーも強く、現在の磐座・巨石系個人サイトの代表格に数えて差し支えないでしょう。
https://megalithtrek.web.fc2.com/
一定の更新ペースを守りながら現役稼働しています。モノクロ岩石写真の魅力。『日本のパワースポット案内巨石巡礼50』著者の岡田謙二氏のサイト。
http://home.s01.itscom.net/sahara/stone/
更新は終了されたようですが、アーカイブを残していただいています。「求道者」と言えばかつての巨石サイト代表格の一角であり勝手ながら「戦友」でもありました。
https://hatazoku.d.dooo.jp/sub0.htm
日本語版をhtml→pdfでアーカイブ化していただいています。巨石サイトと呼ぶよりも、もっと大きな括りとしての超古代系サイトの重鎮でした。日本ピラミッドや神代文字もすっかり下火になった感があります。
https://www.gainendesign.com/taizan/
2016年に解散した岡山県の郷土団体ブログですが、新プロジェクト「岡山の磐座位置経路探索記録」が稼働しているのをどれだけの同好の士がご存じでしょうか? 駐車位置のマップコードをマップ化しているとはなんと有難い心遣いなのでしょう。
更新は終了されていますが、「巨石の森」は瀬戸内地域の巨石ソースとして豊富な知見を得られます。Googleマイマップ「西日本巨石スポット」も有用。
https://www.gd.il24.net/~shamon/
古くから検索にかかり存じていました。中根洋治氏の『愛知発巨石信仰』の大部分転載が認められますが、オリジナル部分との区別は比較的明瞭。中根氏著書を未所持の方で愛知県の磐座・巨石を知りたい方は参考大でしょう。
https://www.hm.aitai.ne.jp/~kuensan-2/kyosekikensaku.htm
越後国延喜式内社・三宅神社を出発点に「磐座=穴」説の立場に立つ。新潟の知られざる岩石信仰を知るならここしかないと思っています。拙サイト掲示板晩期に交流させていただきました。HP&ブログ更新が途絶えてしまいましたが待ち望んでいます。
https://koshi-miyake.hatenablog.com/
諏訪の"たしかな"岩石信仰をたくさんこちらのサイトから教えていただきました。諏訪七石に関する記事を捲るだけでも精緻冷静な調査に拠ることをご理解いただけます。
宮城県旧伊具郡(丸森町・角田市)の巨石サイト。古くから存するサイトで相互リンク先でもありましたが、運営元はなんとお寺(曹洞宗金龍山瑞雲寺)ということを知り驚きました。
「いぼ石」(疣石)情報No.1と私が思うサイト。皮膚科の医院さんのホームページだったようです。効能に関する記述の保証は持てません…。
https://hiramatu-hifuka.com/iboibo/ibozen1.html
「力石」研究の第一人者・高島愼助氏のサイト。現在も精力的に運営されています。奇しくもも高島氏と同じ四日市市在住ですが、これまで接点のないままーー。
https://www.za.ztv.ne.jp/takashim/
イワクラ学会が解散して現在は日本天文考古学会理事の平津豊氏のサイト。イラクラ学会の会報アーカイブ事業にも取り組まれています。イワクラペディアの拡充に期待。個人的には、「岩石遺構」「岩石信仰」の名称採用をいただいたことに感謝します。
イワクラ学会理事だった江頭務氏のサイト。1にも2にも「巨石のある祭祀遺跡地名表」の仕事が有効活用されるべきです。学会解散により、早期にサイト内容のアーカイブ化が各人推奨されます。
https://yamauo1945.sakura.ne.jp/iwakura.html
イワクラ学会理事だった高木寛治氏が2005~2008年のみ更新されていたブログ。石の哲学とはこのことです。全貌は高木氏が上梓された書籍を参照(当HPの「カタログ」で紹介)。
http://makabekt.cocolog-nifty.com/makabekt/
『磐座百選』著者の池田清隆氏の晩年コラム。逝去された後も出版社ページに保存されています。ご自宅に据えられた「磐座」の歴史記録をたどれるのは最早ここだけでは?
http://www.demadosha.co.jp/Column-Ikeda.html
磐座・巨石分野のネット情報として唯一と言って良い、地学に基づいた岩石の構築原因が解説されています。東日本の代表的な磐座・巨石の多くが自然成因で説明可能であることがわかります。西日本版も欲しかったと高望みを記しておきます。
本庄範光氏作成のGoogleマイマップ。地方別に磐座MAPを用意されていますが、数多ある磐座・巨石マップでは最大級の収録数です。ブログはスピリチュアルしていますが、このマップ作成に注いだ情熱に対しては脱帽せざるを得ません。ご存じの方は皆さん陰ながら参照してますよね・・・?
https://ameblo.jp/norimitsuhonjo/entry-12242379280.html
㈱石文社 石文化研究所運営の石情報サイト。『月刊石材』発行元ですので石材系の情報が多めですが、広く岩石に関する文化を情報化しようという試みが窺われます。現在、岩石と文化の関係を結ぶ活発的な団体は少ないので貴重。
磐座・巨石ブログ界の最大手はこちら。運営者の方も知る人ぞ知るこの道の大家ですが、好んで公表されていないようですので控えます。いつまでも斯界の先達としてご教示賜りたく思います。
http://sazanami217.blog.fc2.com/
X界における総合ポータル。変わらぬ最新情報発信&シェアに感謝です。私はXを撤退したので、毎回いいね押すのを遠慮して数か月に1回押すようにしています。
YouTubeに有益情報はないのかということで推したいチャンネルがこちら。盆栽・水石界の重鎮である森前誠二氏が主宰。ご本人解説の水石文化の動画は有料級情報。再生リスト「水石」からどうぞ。
https://www.youtube.com/@WABICHANNEL-kf5xf
水石系サイトからもう一つ。水石ブームの歴史的経緯から、「現代」の水石のありかたを模索するところに特徴があります。さらなる継続的更新を期待しています。
思い出したり新たに見つけたりしたら追加します。
歴史研究者が学ぶべき最も重要な統計手法は「カイ二乗検定」といわれます。
カイ二乗検定などの意義については、過去の記事で紹介しました。
統計学まなびはじめ(『人文学のための計量分析入門』『基礎から学ぶ統計学』)
かつては手計算するしかなかった統計検定も、現代ではオンライン上で必要なデータを入れれば自動的に計算される時代です。
高等数学や統計学を修めた一部の人々しか扱えなかった検定が、今は門外漢でも利用できるということです。
では、歴史学でカイ二乗検定を扱う場合、どのような手順を踏んで算出まで導けばいいか?
書籍『自然石祭祀遺構の基礎的研究―巨石遺跡・磐座遺跡の時代を越えて―』で統計検定を使用した私が、実際にどのような試行錯誤を経て使用ツールとプロンプトを用いたか、備忘録と今後利用したいと考えている皆様へ向けて記録を残しておきます。
※2026年5月時点の情報です。めまぐるしく変わるweb環境のため、永久に使える方法とは限らないことをご了承ください。
大前提として、検定で使用する「分割表」は事前に作っておいてください。
分割表は、何かの群ともう一つの別の群の数値を比較するために作られます。
たとえば、行を時代や場所などで設定すると、ある時代とある時代の何かを比べたり、ある場所とある場所の何かを比べたりできます。列は、単純な「あり/なし」や「Yes/No」などの二列分類でもいいですし、比較するに足る複数の項目を並べてもいいわけです。
分割表は基本的には2行×2列から構成されますが、別に3列・3行以上でもOKです(ただし検定後の評価に他の統計学的知識が必要になります)。
これらの分割表によって、何かの群ともう一つの群の間に、データ差や相関を見出しやすくなります。カイ二乗検定に使う場合は、ある群とある群の数値に相関関係があるか逆に独立関係にあるかを示すことになります。
どんな分割表を作るかは、まさに歴史研究をするあなたのオリジナリティーが発揮される部分です。数値化するために、件数を数えられる項目やカテゴリーがないかを探してみましょう。
歴史学における注意点を挙げるなら、同一線上で比較できないような不統一な群同士を比較することに意味はないでしょう。
また、分割表自体は百分率で表されることが多いですが、カイ二乗検定に用いる場合は百分率にせず、実際の数値(件数)で入力したままの表とすることに注意してください。
| あり | なし | |
| A時代 | 128 | 144 |
| B時代 | 155 | 230 |
表1:2つの時代の遺跡において、ある要素が認められるか認められないかを2行×2列分割表にしたもの(表内の数値は集計件数)
統計学の専門をかじっていない歴史研究者でも扱いやすいツールはあるのでしょうか。
一番かんたんなのは、インストール・ダウンロード作業をしなくてもブラウザ上の計算で完結するオンラインサイトです。
私が推奨するサイトとしては、エミュイン合同会社が運営する Reactive stat です。下にリンクを掲載します。
https://www.emuyn.net/stats/features
キャッチフレーズは「ブラウザだけで使える無料統計ソフト~信頼性の高い R で統計解析し、その結果を AI が解説します!」
サイトのコンセプトなどの詳細は上のリンク内をご確認いただきたいですが、一言で言えば、理数系に弱い私でも直感的に理解できるサービスでした。AI解説なしで統計解析するだけなら無料で利用できます。
怪しいサイトではなく、医学論文などでも対応できるように工夫が凝らされた設計です。統計検定の根拠も信頼性の高いと言われるR言語に基づいて行われており、サイト内の各記述を読む限り信頼が置けるサイトだと思います。
Reactive stat でカイ二乗検定ができるページは下のURLです。
https://www.emuyn.net/stats/enter_and_analyze_two-way_table
ページ内にすでに分割表の欄が用意されているので、後はあらかじめ作成している分割表の数値を入力すれば、リアルタイムで検定結果が即算出されます。
元の分割表をExcelなどで作成している場合、コピペでうまくいける時とうまく貼れない時があります。元の分割表と見比べて誤りがないかよく確認しましょう。
先に例示した表1の分割表を Reactive stat に入力した場合、下のようになります。
![]() |
| Reactive stat にて作成 |
![]() |
| Reactive stat におけるカイ二乗検定結果例 |
カイ二乗検定の場合、次の3つの数値が算出されます。
Chi-Square 統計量はカイ二乗統計量のことで、統計検定をする時に出される検定統計量です。この統計量の数値がいくつかによって、その分割表の群同士が相関か独立かを示唆する根拠となります。統計量が大きくなればなるほど、有意差があるという評価をします。
自由度は分割表の行数と列数で自動的に決まる数値ですが、その意味を理解して適切に取り扱うには正直、歴史研究者としては若干手に余る指標であり割愛します。
一番重要な指標は、最後のp値です。p値=確率であり、カイ二乗検定の場合はその分割表の数値の分布が偶然でも成立するものかどうかの確率を算出します。表1の例の場合、p値は0.083で8.3%という意味です。なにが8.3%なのかというと、この分割表は統計学的に8.3%の確率で偶然できあがる数値の分布ということです。
では、8.3%は確率的に高いのか低いのか。統計学では慣例的に有意差があるかどうかを判断する有意水準というものがあり、それは一般的に5%といわれています。
つまり、5%以上が出た場合は「有意差なし」、5%未満となった場合は「有意差あり」とみなします。どうやらこの有意差を5%で区分することが望ましいかどうかには多くの議論があるようですが、門外漢の歴史研究者にはどうしようもなく、現状通説的見解とされる5%有意水準を採用しておくのが妥当でしょう。
ということで、表1の場合は「有意差なし」の判定となります。A時代よりB時代のほうが「なし」の数が増えたように思えますが、統計学的には有意差があるとは言えない、という言いかたになります。
しかし、仮に表1の数値がこのように変わったらどうでしょうか。
![]() |
| 表2:Reactive stat にて作成 |
A時代の「なし」を144から134に変えました。それ以外は同じ数値です。
表2でカイ二乗検定を実施した結果が下です。
検定統計量がさっきより増えて、p値は0.0305と小さくなりました。これは3.05%ということで有意水準5%未満になり、統計学的には「有意差あり」の判定となります。偶然起こるとは言いにくい、見逃せない数値の偏りなのです。
この、主観的に見れば「わずか」にも見える数値(件数)の違いを、統計学の根拠に基づいてp値という形で数量的な根拠を示してくれるのがカイ二乗検定です。
歴史研究者がやりがちな、大体これくらいの数値が出れば「高い割合」「低い割合」と評価してしまうのを、統計学的根拠に基づいて論ずることができるようになります。このことをクレール・ルメルシエ、クレール・ザルク[著] 長野壮一[訳]『人文学のための計量分析入門―歴史を数量化する―』(人文書院 2025年)は述べているのです。
しかし、これだけではまだ歴史研究者は安心して統計検定を使用できません。次は、カイ二乗検定を使えないケースがあることに注意が必要です。
それは、分割表の数値が少ない場合です。具体的な基準も決まっていて、分割表のセルに入る期待値が5件未満の場合です(最近は1件未満とする説もあるようですが、私には統計学領域の議論の判断がつかないため通説的見解の5件未満を採用します)。
![]() |
| Reactive stat で表1を期待度数表示した場合 |
| あり | なし | |
| A時代 | 0 | 5 |
| B時代 | 0 | 52 |
| C時代 | 7 | 46 |
| D時代 | 5 | 43 |
| E時代 | 4 | 39 |
| F時代 | 3 | 19 |
![]() |
| 表3をReactive stat で作成 |
![]() |
| Reactive stat におけるフィッシャー検定結果例 |
あり なしA時代 0 5B時代 0 52C時代 7 46D時代 5 43E時代 4 39F時代 3 19#### Fisher の正確確率検定Fisher's Exact Test for Count Datadata: .Tablep-value = 0.068alternative hypothesis: two.sided--------------------------------------------------------------Analysis is conducted using R version 4.5.2 (2025-10-31)The script uses the following packages and versions:
Reactive stat が万能かというと、そうではありません。
たとえば下のような分割表の場合は、計算量の限界を超えたようでエラーが出ました。
![]() |
| 表4:期待度数5未満があるのでフィッシャー検定を行うべき分割表の例(Reactive stat で作成) |
表4のフィッシャー検定「Rの出力結果」は次のとおりです。
列A 列B行1 0 5行2 19 33行3 25 28行4 34 14行5 30 13行6 14 8#### Fisher の正確確率検定fisher.test(.Table) でエラー:FEXACT error 7(location). LDSTP=18630 is too small for this problem,(pastp=64.2946, ipn_0:=ipoin[itp=71]=742, stp[ipn_0]=65.205).Increase workspace or consider using 'simulate.p.value=TRUE'実行が停止されました
Reactive stat のサイトにも書いてありますが、統計の世界で信頼性があるのはR言語に基づいたプログラムです。
Reactive stat はその最も簡便なツールでしたが、フィッシャー検定を使いたいのに計算エラーが出る場合、もう一段階、専門寄りのツールに切り替える必要があります。
それがEZR(Easy R)です。
フリーソフトです。
Easyの名を冠するだけあって、これでもR言語プログラムを使いやすくしたというコンセプトですが、こちらはインストールが必要なアプリであり、Reactive stat サイトの言を借りると「統計解析の初心者には難しいという声も聞かれ」るそうです(だからReactive stat を公開した)。
私も最初ちんぷんかんぷんでしたが、フィッシャー検定のところだけ理解できればいいという心持ちで操作に慣れていきました。その手順をこちらにまとめます。
自治医科大学のHP内でダウンロードできます↓
https://www.jichi.ac.jp/usr/hema/EZR/statmed.html
なぜならEZRの開発者は、自治医科大学附属さいたま医療センター血液科教授(2026年5月時点)の神田善伸氏だからです。
Reactive stat もそうでしたが、EZRも含めて統計解析ソフトは主に医療統計分野で発展してきた経緯があります。医師や医学者が医学論文で用いるための統計解析を、統計に疎い人でも利用できるようにという思いで無償で公開しているものです。
だからといって医療分野限定の仕様ではなく、当然ながら統計学は数学の世界ですから、数量を扱うあらゆる分野の統計において活用できます。歴史学もありがたくこの恩恵にあずかりましょう。
Window版、Mac OS版、LINUX版が公開されているので、ご使用の機種に合わせてダウンロードしてください。
ダウンロード前に、HPに書いてある留意事項などは一通り読んでおいてください。注意点としては、無料で使用できますが、EZRを使って算出した結果はEZRを使用したことを出典として示すことが条件づけられています(当たり前ですが)。
その出典の記載方法もHPに例示されているのでご確認をお願いします。
ウインドウの指示どおりにインストールを終えると、ローカルのインストールフォルダ内に「EZR簡易マニュアル」(EZRman.pdf)があるはずです。まずはそちらをご一読ください。
マニュアルの一番下に解析可能な検定のチェックリストが画像に示されており、その中に「カイ2乗検定」「フィッシャーの正確検定」の項目があるのを見つけられるでしょう。EZRにこれらの検定機能が搭載されていることがわかります。
では、起動してからフィッシャー検定するまでの流れをスクリーンショット画像掲載で紹介しましょう。
しばらく時間がかかりますが、このウインドウをそのまま放置しておくと別のもう1つのウインドウがさらに出てきます。それが下画面です。
上画像のウインドウが検定作業をする画面となるのでご注意ください。
まず通常の検定方法を説明します。
ツールバーの「統計解析」▶「名義変数の解析」▶「分割表の直接入力と解析」をクリックします。
すると下のウインドウが出てきます。
分割表を直接入力できます。
自分で用意した分割表の行数・列数に増やして数値を入力し、「フィッシャーの正確検定」にチェックを入れた状態で「OK」ボタンを押せばRプログラムが働いて自動的にp値結果を算出してくれます。
が、Reactive stat と同様に、表4のようなデータ数の分割表ではエラーが返ってきます。
見た感じ、このウインドウではモンテカルロ法の設定が見当たりません。
ということで、EZRの「Rスクリプト」画面に、直接スクリプトを打ってモンテカルロ法を用いることを指示しなければなりません。
先に紹介した井口豊氏の記述を参考にして色々試した結果、下のスクリプトであれば正常に検定できました。
dat<- matrix(c(
0, 5,
19, 33,
25, 28,
34, 14,
30, 13,
14, 8
), ncol=2, byrow=T)
fisher.test(dat,
simulate.p.value = TRUE, B = 1000000)
分割表の行数・列数に応じてスクリプト内のテキストを変える必要があるので、応用できるように、このスクリプトのそれぞれの意味を説明します。
dat<- matrix(c(
マトリックス(分割表)のデータであることをRに指示するコードです。
0, 5,
19, 33,
25, 28,
34, 14,
30, 13,
14, 8
表4の分割表をスクリプト画面に打つ時の形がこうです。
行ごとに列のセルの数値をコンマと半角スペースで区切りながら入力していきます。
表4は6行×2列なのでこうしていますが、3列や4列なら行の右側にコンマで区切りながらセルの数値を入力していってください。
要注意点は、一番最後の行・列(一番右下)の数値の後にはコンマを入力しないこと。私は当初ここにコンマを打ったことでひたすらエラーが出て悩まされました。
), ncol=2, byrow=T)
「ncol=2」は2列という意味。Rに列数がわかるように指示しています。ですので、3列や4列なら「ncol=3」「ncol=4」のように変更しておいてください。
「byrow=T」は、行の横方向の順番で読み込んで表データを作成するようにRに指示するコードです。
つまり、これによって2列の分割表を行の横方向に読み込めるようになるということです。
fisher.test(dat,
フィッシャー検定を実施するためのコード。
simulate.p.value = TRUE, B = 1000000)
これがモンテカルロ法で近似的なp値を算出するためのコードです。
「B = 1000000」は、試行回数を1,000,000回に指定するという意味です。
モンテカルロ法で試行回数を何回に指定するかは、用いるデータや目指す研究目標によって様々だそうです。
私は、エラーが出なかった分割表を使って、EZRでこの試行回数を「B = 1000」「B = 10000」「B = 100000」…と数値を変えながら算出されるp値を見比べて、最終的に1,000,000回計算すれば実際のフィッシャー検定結果のp値と近似すると判断して、このようにしました。
皆さんも、用いるデータや調査精度に合わせて試行回数を調整してください。
ということで、このスクリプトをEZRの画面に入れてみましょう。
要注意点は、入力したスクリプトを「すべて選択」した状態にして「実行」ボタンを押すことです。選択してスクリプト範囲を青くした状態にしないとエラーとなります。
正常に実行された結果が下画像です。
「出力」欄に「p-value = 0.000157」の文字が確認できました。
有意確率0.0157%ということで、表4の分割表の数値の分布は、極めて0%に近い強い有意差が示されました。
2×2分割表なら、1行目と2行目に有意差があるということを明確に示しますが、3行以上や3列以上となると、どの行・列のセルに有意差が認められるのか(有意に多いのか/有意に少ないのか)を特定する作業が別途必要です。
カイ二乗検定やフィッシャー検定は、分割表全体を見て有意差があるかないか自体を検定するものであり、表のどことどこに有意差があるのかまでは示してくれないからです。
どのセルに有意差があるのかを評価する方法に「調整済み標準化残差」の分析があり、この値が1.96を超えるセルはp値が5%未満で有意差があると判定しますが、このあたりまでいくと本記事の目的のさらに先の内容に突入するので、説明はここまでとします。
数名の読者の方のお役に立てばそれでよいと考えて書きました。
『自然石祭祀遺構の基礎的研究―巨石遺跡・磐座遺跡の時代を越えて―』の補遺として、本記事も大きな仕事ができたと思っています。
参考文献(EZR出典)
Kanda Y. Investigation of the freely-available easy-to-use software “EZR” (Easy R) for medical statistics. Bone Marrow Transplant. 2013:48,452-458. advance online publication 3 December 2012; doi: 10.1038/bmt.2012.244
今後の研究に統計学的な手法を取り入れたいと思い、勉強をスタートしました。
クレール・ルメルシエ、クレール・ザルク[著] 長野壮一[訳]『人文学のための計量分析入門―歴史を数量化する―』(人文書院 2025年)
内容の忠実な要約とはなっていませんが、自分自身の申し送りとして以下にまとめました。
ーーー
・「しばしば」「一般的に」などの歴史叙述は「疑似定性的な手法」であり、単なる意見の表明で終わってしまう。
・歴史研究に有益な数量的手法を紹介。数学的原理、ソフトウェアの操作方法には触れず、使用する前の目的、注意点、落とし穴などに重点を置いた。
・統計学的に誤差の許容範囲を決めるのは標本数の大きさ。60,000人のうち1,000人でも、25,000人のうち1,000人でも、4億5000万人のうち1,000人でも誤差範囲は同じ。母集団における割合は関係ない。
・1,000人の標本であれば、誤差は通常許容される範囲にとどまる。標本の20%にある特性が認められた場合、母集団においての割合が19~21%の間に入る可能性は高く、15~25%に広げれば「ほぼ確実」である。
・しかし、歴史研究において1,000件の標本を用意することは難しい(他の標本と比較しようとすると2,000件)。歴史研究者は1つ1つの標本(事例)の多様な側面に関心を持つからだ。
・理に適った妥協点は300件の標本。300件中に見られる20%の特性は、母集団においても15~25%の間に収まる。
・事例収集の留意事項
①標本抽出の頻度より標本の大きさ(標本数)を重視する。
②小数点以下の記述は不要。それより有意差を記述。
③標本数は現実的な妥協点が300件で、1000件まで増やす分には誤差を減らすという点で価値があるが、それ以上は微小な誤差の修正となるので(母集団がいくつであっても)ほとんど意義がない。
④これらの標本は、無作為抽出されたものであること。
・無作為抽出は、表計算ソフトでRAND関数を用いればよい。特定の順番ごとに抽出するなどの手動抽出は偏りを生む危険が拭えない。
・百分率を表示する際の留意事項
①母集団の総数をNで示すこと。N>100の場合、小数点以下は不要。N>1000の場合、小数点は一桁で十分。
②百分率は比率であり、単純に足したり引いたりできない。10%から20%に増えた場合、増加率は100%でパーセンテージポイントが10ポイントである。
・分割表(ピボットテーブル)は、2つの変数(人物の年齢、書籍の長さ、訪問先の場所などの情報)に関係があるか、関係がないかを示すに有効。
・カイ二乗検定を行うと、分割表で注目した変数同士が、事例数の小ささゆえに偶然生じたのか、実際に関係性があるのかを、合理性に基づいた確信をもって述べることができる。
・オンライン上でカイ二乗検定を行える時代。百分率ではなく、事例の数を分割表に入力すると検定結果が出力される。p値(2つの変数が独立=無関係である確率)が5%未満であれば、慣例的に相関関係があるとみなされる。
・分割表とカイ二乗検定は、歴史学的な論証に強力な役割を果たすため、歴史研究者が学ぶべき最も重要な道具である。
・歴史研究者にとってデータ入力の時間は退屈ではなく、民俗学者や社会学者にとってのフィールドワークに比するものと言える。
・データ入力の十戒
①最初の一行は変数の見出しのみに使用。
②識別子に一列を使用。
③資料の表記にできるかぎり沿って入力。
④資料の典拠を示す。
⑤欠損データもデータとして残す。
⑥1つの情報に見えても、その情報を可能な限り多くの列に分割。(例)「姓名」→「姓」「名」など
⑦年月日はソフトウェアの日付形式を使わず、「年」「月」「日」の3列で入力。
⑧時間軸で情報が変容する場合、「何が起こったか」「いつ始まったか」「いつ終わったか」の3列以上で入力するエピソード形式が実用的。
⑨表計算ソフトでできる機能を使いこなせるようにしておく。
⑩データは頻繁に保存。
・数件から数十件しかない小さな母集団に対しては、論理学と集合論に立脚した質的比較分析(QCA)でアプローチする。
・少ない標本で大量の変数を取り扱う場合は因子分析でアプローチする。2つ、3つ程度の変数であれば因子分析は不要で、分割表とカイ二乗検定で十分。
・読みとりやすい図表を意識する。問題となりやすいのが円グラフ。人間は面を比較することが得意でなく、棒グラフで良い場合も多い。立体の円グラフなどは、遠近感による歪みで分かりにくくなるので、より悪い。男性の10%は色を識別することがうまくできないという研究もあるので、色付けでの識別も避けるべき。単純なほどよい。
・単純さという点で、スモールマルチプルは今なお有用。単純にグラフを連続して配置するだけなので、視覚的な比較が容易。
・棒グラフは、垂直方向より水平方向に表示が推奨。見出しが読み取りやすいため。1本の棒グラフに十数色の情報を詰め込むより、1つ1つの情報を棒グラフとして可視化して並べる方が理解しやすい。
・テキスト分析ソフトの使用は、主観や見落としを防止する。二つの用語が頻繁に近接すること、代名詞や前置詞の使い方、語彙の豊富さや貧弱さ、テキスト間の距離など、人が自明としてしまい読めていない傾向を浮かび上がらせる。そのためにはコーパスの構築が不可欠で、そのコーパスはソフトウェアの有意性検定にかける。
・数量的手法には過失や改竄の危険性が伴うが、数量的手法をとるということは、選択や手順を明確にしないといけない。仮説を明示し、その限界も考慮されないといけない。これらの前提が明示されるので、他の研究者がアプローチできるという意味で利点である。歴史学における直感や創造性を制限するものではなく、むしろ刺激することにつながると考えている。
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一読して得た知見をメモしましたが、前提知識が足らず、主に後半部は消化不良となりました。最低限、歴史学に携わるものとしてカイ二乗検定を扱えるようになりたいと思いますが、さらなる基礎学習の必要を痛感しました。
そこで、統計学の手始めの書を求めて次の本へ移りました。
中原治『基礎から学ぶ統計学』(羊土社 2022年)
しかし、p.9で本書の前提知識が示され、高校数学で学ぶ「確率」「場合の数」「数列」の知識が必要である旨が書いてありました。
あくまで基礎でよいとのことですが、私は高校2年生以降数学を学んでいない人間なので、ここで高校数学の学び直しを迫られました。こうやって、過去に逃げたことのツケをいつか払うことになるわけです。
実際に本書を読み始め、p.35の二項分布の節で数式が増えてきて足踏みしてしまいました。いったんここまでです。
ということで、統計学の前に数学A、数学Bまで立ち戻って学び直しています。テキストを手にしてまだ序盤も序盤ですが、はたしてどこまで理解できるやら。ハラハラしながら1ページずつ自学しています。
遠回りなことをしているように見えるかもしれませんが、最終的にたどりつきたいゴールがあります。そのために必要な知識にしばらく向き合っていきます。
さて、この石特集号に記された数多の岩石について、誰が一つ一つをあらためて吟味しただろうか。
同書では住所も旧村単位の表記が多く、それに加えて「私の郷里の山の中」「●●氏邸の裏山」などの困った紹介も散見する。
発刊当時の時代背景を加味すればやむなしだが、『郷土』石特集号を手に携えて現地を訪ねても特定は困難を極めるだろう。
掲載された一つ一つの記録を、まさに岩石の文化財として再点検しなければならない。
このページでは、調べられる範囲で掲載事例の岩石の現在地をGoogleマップで示した。
※追記:複数のGoogleマップを同時掲載するとページが重くなり正常に表示されなかったので、最初の事例を除いて後はリンクを貼るのみに変更した。
その他の留意事項は次のとおりである。
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立命館大学考古学研究会[編集・発行]『松尾山寺遺跡―平安京周辺山林寺院の調査・研究―』(2025年)が発行されました。
2003年、初めて松尾山を紹介されてその時に登った一人として、20年越しの区切りを見た思いです。
京都市の松尾大社の裏山・松尾山で見つかった寺院跡の調査報告書です。
京都で見つかっている、古代から中世にかけての山林寺院遺跡の一例となりますが、他例と比べて土師器の割合が高い遺物構成というのが特徴ということがわかりました。
灯明を灯すための皿が多く出土した同市内の梅ヶ畑遺跡との関連性が挙げられていて、興味深く読みました。
梅ヶ畑遺跡は発見当時、仏教系祭祀遺跡という位置づけでしたが、京都市埋蔵文化財研究所による遺物再整理を通して寺院跡という見直しがされていたことも初めて知りました。
報告書では、岩石信仰と山寺の近接性も指摘されていました。
正確に書けば、報告書上では「岩石信仰」ではなく「磐座」「巨石」「巨岩」の3つの表現が同義的に使われていました。
当会の過去会報『考古館』での私の議論(2001年~2003年)が継承されていないのは残念ですが、継承できなかったのは私の力不足でもあります。
巨石信仰・巨岩信仰という言葉自体が不適切というわけではありません。
"巨大な岩石"という"巨大さ"に信仰の要因の重きを置く文意として使ったのであればアリだと思います。
実際、松尾山の磐座も類例として挙げられた大宮釈迦谷遺跡・西賀茂妙見堂遺跡の事例も"巨大な岩石"と言えるので、巨大なものへの信仰という共通性はあるでしょう。
ただ、せめて巨岩と巨石の表現一致は欲しいところです。
(石と岩の概念整理)
山中の寺院と平地の神社との関係、社地に対する神宮寺としての関係なども問題提起されていました。
報告書では明示されていませんでしたが、管見のかぎりではに岩石信仰との関係も複数事例を挙げることができます。
その辺りをまとめると下のとおりです。
| 遺跡名 | 岩石 | 寺院 | 神社 | 古墳 | |
松尾山寺遺跡 | 名称 | 磐座(ご神跡) | 松尾山寺 | 松尾大社 | 松尾山古墳群 |
| 立地 | 山頂直下 | 山腹平坦地 | 山裾 | 山頂尾根 | |
梅ヶ畑遺跡 | 名称 | 石塊・巨岩群 | ? | 御堂ヶ池古墳群 | |
| 立地 | 山頂・山頂直下 | 山頂 | 山頂尾根 | ||
大宮釈迦谷遺跡 | 名称 | 巨石 | 釈迦谷廃寺 | 上賀茂神社 | |
| 立地 | ? | 山腹 | 対岸平地 | ||
西賀茂妙見堂遺跡 | 名称 | 巨石 | 霊巌寺 | 上賀茂神社 | |
| 立地 | ? | 今昔物語伝承上 | 対岸平地 | ||
上賀茂神社 | 名称 | 降臨石 | 神宮寺 | 上賀茂神社 | |
| 立地 | 神山山頂 | 神宮寺山山腹 | 神宮寺山山裾 | ||
参考:滋賀県日吉大社事例 | 名称 | 金大巌 | 日吉神宮寺 | 日吉大社 | 日吉古墳群 |
| 立地 | 山腹 | 山腹 | 山裾 | 山裾~山腹 | |
突貫で作ったので色々調べが足らないところもありますが、岩石と山林寺院の関係については距離の近さ/遠さをどのように評価するかという論点は提示できます。
滋賀県日吉大社事例では、金大巌と日吉神宮寺が山域を分け合って存在していたという説が出されており、他例でも検討されるべきテーマです(「金大巌と日吉大社の岩石信仰」)。
梅ヶ畑遺跡の石塊と寺院跡は立地を同じくする同居例と数えられるかもしれませんが、梅ヶ畑遺跡における岩石信仰は厳密にいえば山頂の石塊と山頂直下斜面上の巨岩群(銅鐸出土地で今は消失)の2地点に分かれます。
この場合、寺院跡と銅鐸出土地の巨岩群とは、直線的な距離とは別で、立地としての空間の分け合いが認められます。
その観点から松尾山をふりかえると、松尾山の磐座(ご神跡)は山頂直下斜面上に存在するのに対して、松尾山寺は北に離れた山腹平坦地に築かれています。尾根は1つ分またいで山域を分け合っているという考え方もできるかもしれません。
神社については梅ヶ畑においてこれといった神社が指摘できませんが、古墳については報告書でも指摘されているように古墳時代後期の群集墳が共に存在しています。
これらの立地は、山頂尾根に数十基が分布しており、岩石信仰の関係でみれば、梅ヶ畑は古墳のすぐ上に銅鐸埋納地の巨岩、松尾山は逆に磐座(ご神跡)の上の尾根に古墳が築かれています。
その点で両者の立地に統一性があるわけではありませんが、それは自然石が人の手によらない地質的存在であることと、古墳は尾根上のほうが作りやすいという築造条件によるものなど、信仰上の問題とは別の要因も考えないといけません。
言い方を変えれば、そのような諸条件・諸要因による規制を受けても問題ないという信仰のありかただったとも言えます。
対応する神社や古墳を指摘できない事例もあるので、前掲表の事例群がぞれぞれ比較対象として適切かには異論もあると思いますが、時代を越えて山地利用をおこなう際に、それ以前に存在した「聖地」を後世の人々がどのように位置づけて、山での同居ないしは住み分けなどを図っていたかはさらに注目されてよい問題でしょう。
立命考古研の皆様には、山林寺院跡発見によって測量が途絶した松尾山古墳群の調査の再開を望みたい、と勝手な希望を記して今後の活動継続を祈っています。
『書物の王国⑥ 鉱物』(国書刊行会 1997年)は、巻末の解題を記した高原英理氏によると、氏が責任編者になって選定した鉱物に関する古今東西の選集である。
高原氏自身が「私の伝えたいヴィジョンはひとまずここにある」(p.221)と認めるとおり、体系的な基準で編まれたものというより、鉱物に惹かれた高原氏の「癖」と、版権・訳書・紙幅の力学によって計36の作品が収録された。
鉱物に惹かれるものの共通項として、高原氏は次の表現で言葉に言い表している。
客観したがる傾向は私のことかとドキッとしたし、4つ目の「無視できなさ」は岩石への特別視の共通項として見逃せない重要なキーワードのように感じる。
本書は「鉱物」括りなので自然石以外の鉱山鉱石・水晶・宝石などのモチーフも含まれるが、自然の石・岩をモチーフにしてつくられた作品も多い。
その意味において、自然石文化における一角に自然石から触発された物語があることは否めない。いわば神話もその一種であり、物語化の末に信仰も生まれると言える。そのような視点から本書掲載の作品を敷衍したい。
高原氏の解題分類に沿って、自然石に関わる部分に限って注目的な記述を紹介する。
※過去記事ですでに取り上げた作品は除外。
ジョルジュ・サンド「馬鹿石、泥石」
フランス中どこでも大石は農民の想像力を刺激している。(p.123)
石はときと場合によっては口をきくにちがいないと思われている。(略)しかし石たちは頑固で偏狭なので、それ以上の言葉を教えることはできない。ときには、その近くを通っても石が見えないことがある。というのは、実際、そこにいないからなのだという。(略)彼らは性悪な以上に馬鹿なので、ときどき居場所をまちがえる。前の晩には荒地に転っていた石が翌日は同じ時刻に、種をまいた畑に立っていたりする。作物はだめになる。柵もこわされる。しかし、そのばあい、地主には言わないほうがいい。(略)石のほうでもいずれは元の場所へ戻らなければならないことになっている。もしすぐに元の場所が思いだせなかったら困るのは石のほうなのだ。(p.125)
葛洪「石随」
神山は五百年にして開き、その中から石随が流れ出る。これを服すれば、その寿命は天とともに終わる(pp.50-51)
蒲松齢「石を愛する男」
天下の宝は、これを愛惜する人に与えらるべきです。この石もいい持ち主を見つけたというもので、私もうれしく思います。だがこの石は自分から世に出ることをいそぐのです。世に出ることが早いと、魔劫がまだのぞかれないのです。(略)並すぐれた物は、禍のもとである。身をもって石に殉じようとするにいたっては、執着もまた甚だしい! だが結局は石が人と最後までいっしょになっていたのだから、石に情がないなどとだれが言えようか!(pp.55-57)
根岸鎮衛「石中蟄龍の事」
「左様に怪しき石ならば、如何なる害をなすやも知れぬ。焼き捨つるがよかろう」と述べたが、「それはとんでもない事」と斥け、結局、人家より離れた所に一宇の堂社があるゆえ、そこに納めるのがよかろうと決した。一同は件の堂社へ赴き、石を納め置いて帰った。然るにその夜、件の堂中より雲を起し豪雨を降らせ、風雨雷鳴と共に上天するものがあった。後刻、堂社に到り検分したところ、かの石は二つに砕け、堂の様子は全く龍の昇天した跡の体であったと、邑中の者が奇異の思いをなした。その節、「石を焼くべし」と発言した者の家宅は微塵になったという。(pp.71-72)
アンドレ・ブルトン「石の言語」
石は、成人に達した人間の大多数をすこしも立ちどまらせずに、そのまま通りすぎさせてしまうわけだが、それでも万が一ひきとめられるような人がいると、もうとらえて離さなくなるのが常である。(p.149)
おなじ道すじをゆくふたりの人間でも、両者が奇妙に似かよっているのでないかぎりは、おなじ石を拾いあつめることはできないはずだ、と私には思われる。ことほどさように、たとえまったく象徴的なかたちでしかみたされない状況であるにせよ、人は深層でなにか欲求を感じた対象だけを発見するものなのだ。(p.151)
ためらいこそ、こうした石に、「自然の気まぐれ」と芸術作品とのあいだの、ひとつの鍵としての位置をさずけがちなものである。(略)人間はみずからのもっとも貴重な特質のいくつかを放棄したことによって、石たちを残骸とみなしおおせることができたのだと思われる。石たちは――とくに硬い石たちは――まともに耳をかたむけようとする人々に対して、語りかけつづける。(p.154)
ピエール・ガスカール「鍾乳石」
何ともわけのわからぬ重なり方や曲がり具合のせいで、石の形は、個々に見ようが全体として見ようが、全然定義できず、幾何学の法則に還元できず、したがって記述できない。(略)鍾乳石や石筍の形成を支配する非合理なるものは、原始芸術を支配する非合理に近い。(p.155)
石に新しい名前をつけ、それを通じて洞窟の各部をも新たな名称で呼ぼうとするのは、多分この洞窟が自分たちのものだということを確認し、また洞窟に寄せているひそかな期待を表明するためでもあろう。だが遠慮からか、内心を見すかされるのを嫌ってか、どんな名前にも満足できず、やがて思いついたのは、石とそれを容れている広間を単なる番号で呼ぶことであった。(p.160)
稲垣足穂「水晶物語」
路ばたの石も、海岸の石も、共に永い永い歴史を持っているのだと云わなければならない。(略)ただひとり石や砂だけがずっと続けて昔通りだ――これは何故であろう。おしまいのそのおしまいに石はどうなるのか。この同じ場所に再び埋まってしまうならば、その次に自分のような者によって拾い上げられるまでには、きっと何万年かが経過している。それでも石は目立つほどに小さくなっているわけであるまい。更に次回に何万年が続く……とうとう粉微塵になる時がきたところで、その粒の一つ一つには永い歴史の記憶が含まっている。(p.36)
日野啓三「石の花」
石を集め出してみるとそれは思いがけなくきれいな鉱物があって、そのうちにこんな石の話の花園ができてしまったんですね。石の花なんて言ったって、死んだ石ころじゃないかとおっしゃるのですか。まあ、そんなことを。結晶もスクスクと成長するにでございますよ。(p.139)
「物質の深みに封じこめられている何かと、われわれの意識の奥に閉じこめられている何かとは、もしかすると同じものかもしれない」「わたしたちが石の花を育て咲かせようとしていることは、そうすると、わたしたち自身のなかの新しい何かを解き放つことでもあるのですね」(p.140)
オハマ族の歌「岩」
かぎりなく遠い むかしから じっと おまえは休んでいる 走る小路のまんなかで 吹く風のまんなかで(p.135)
株式会社エス出版部より編集・発行された『日本人と石』(1992年)は、「第1部 心」「第2部 技」「第3部 西洋との出会い」の3部に分かれて、石に関する信仰・芸術・石造技術・建築を中心に構成された全144ページの写真集である。
今となっては出版意図がつかめないところがあるが、バブル崩壊直後、出版不況の入口に立ちつつも、英対訳を載せた豪華版で西洋文明の公害化に対する警句も散りばめられた一種の時代感がふんだんである。
巻頭言を飾るのが国立国際美術館長の木村重信氏「石と日本人についての芸術的考察」である。これが短文ながら、石と人間の関係を芸術分野から考える際の有効な資料となるので、次の記述を紹介する。
日本の芸術家は、石に対して付加する述語ではなく、主語である石そのものの実存を問題にする。したがって欧米の彫刻がひとつのコンストラクションであるとするならば、日本の石庭はかかるコンストラクションを否定し、いわばアレンジするだけである。欧米的芸術観ではアレンジしただけでは芸術にならず、コンストラクトして初めて芸術となる。しかし日本人はそうは考えず、アレンジメントこそ重要な芸術的契機であるとする。(略)アレンジメントには、いけばなの場合も、石庭の場合も、自然のものをどのように組み合わせても、もの自体は自然を越えることはできないという考えがひそんでいる。(同書p.13)
「日本の芸術家は~」「日本人は~」などの主語が大きく、学術的にデータを明示した論拠になっていない。言い換えれば西洋=人工、東洋=自然を貴ぶとする1992時点の構図であり、それ以降相対主義が進んだ2025年現在では人口膾炙の文明観と言えるが、アレンジメントの概念は今なお参考となると思う。
自然が主語であり、アレンジメントは自然を越えることがないという木村氏の見方は、そのまま、自然の石のままの方が芸術になりうるという許容を生み出し、なぜ自然石の石肌をそのままにして置いたか、石を動かしても自然芸術として鑑賞されたのはなぜか、の回答となる。
また木村氏は、自然がもたらす「偶然性」が鑑賞者に自由を確保することにつながり、鑑賞者の感受性や想像力いかんで芸術としての価値は大きくも小さくも変化し、その鑑賞作用によってある人には作品となり、ある人には作品となりえないというところに自然の美があるという鑑賞観を提示している。
美の認定も人の心理ありきで、自然物は「偶然性」が「美の訴え(契機)」となる論理は、自然石信仰を含めた自然石文化を考える上での重要な指標となるだろう。
岩田慶治『草木虫魚の人類学』(講談社 1991年)の第2章第2節が「石」であり、海外のアニミズム(草木虫魚教)に関する石の事例を取り上げている。
緑石を加工して石器を作る。
日常使用は打製石器のままでよいが、加工と研磨を加えたものは装飾品となる。
それらの中で、何世代にもわたり研磨されたものは、労力の結集、祖先伝来の宝器となり、子孫の礼拝を受ける。
これは石が石でなくなり、石のメタモルフォ―ゼと岩田氏は形容する。
自然石信仰とはまた異なる、加工された石に対する信仰と言える。
インドネシア領カリマンタンとの国境地帯に多くの巨石が残るといい、ケラビット族の所産とされる。
バトゥ・ナンガンとバトゥ・シノパッドという二種類の巨石構造物を作る(バトゥは「石」の意)。
村人の話によると、バトゥを作ることで個人の霊を慰め、個人の霊魂がさまよわないようにするためだという。
ケラビット族は4種類の階級に分かれていて、バトゥを作るのは第一階級のみという。
バトゥ・ナンガン
ナンガンは「支える」の意。大石を数個の石で支えたもの。いわゆるドルメン型の構造物。
生前に功績を残した人物や首長を記念して、死後に村人が建てる。
バトゥ・シノパッド
シノパッドは「立てる」の意。細長い石を地上に垂直に立てたもの。いわゆるメンヒル型の構造物。
祖父母、父母の死後に子孫が建てる。
バトゥを作る時のルール
個人の記憶が残る死後1~2年のうちに行う。
バトゥの立地は、山地だが村人がよく通る場所が選ばれる。峠道が多い。
村人が結集して石をその山地に運ぶ。
七日七夜にわたる祭りを行う。故人の思い出を語り、家畜を屠り供えて、村人全員で共食の後に歌と踊りを連日行う。
興味深いこととして、現在のケラビット族はバトゥを作らないが、それ以外は今も同様の祭りを行うということで、石は主役ではなくなっている。
岩田氏は「石はカミの依り代でありえたのだろうか」という疑問を投げかけているが、その答えは明言されていない。
ドルメン、メンヒルに属する巨石文化の典型的事例として語られるものだろう。
| 『石仏の解体』目次 |
佐藤宗太郎『石仏の解体』(学芸書林 1974年)は、石仏に対する世間の風潮に疑問を呈した本として読む前から注目していた。
思想家の吉本隆明が序文を寄せ、「なぜ対象は<石仏>でなければならなかったのか? <石>の造型でありさえすれば何でもよかったのではないか、というαでもありωである問いが、佐藤宗太郎にのこされるようにおもわれた」(p.13)と、佐藤氏が石仏に惹かれてしまった主観的な部分と冷徹に石の要素を構造化しようとした二つの心の葛藤で書かれた作品と評する(この序文は、本文を読んだ後に読まれるべき性質の文である)。
当時、佐藤氏は石仏を撮る写真家だった。最初は石仏にただ惹かれて写真を撮り続け、誰かのセンチメンタルな言葉を借りて石仏をわかった気持ちでいたが、その危なさに気づいて本書を書くことになった。
本書に通底するのは、石仏を自分の心の慰みものとして叙情的に語らず、あるいは仏教的・美術的など一角に寄らず、石の「造形(かたち)」を細かく分解・分析して、石と石仏の精神的関係を追い求めようとした思索である。
「石仏」を「磐座」「巨石」などに替えれば、恐ろしいほど現代人が再生産している人の性(自分の主観を対象に重ね合わせる)に対する忠告と言える。
本書の読後感としては、たとえば第1章はインタビュー形式で構成され一見平易に読めるが、「~的」「~性」などの抽象的な語彙がふんだんで、それぞれの語彙の定義がはっきりしていないため読みながら意味をとりづらい部分がある。佐藤氏自身が本書を書きながら思索を重ねているからだろう、本書の前半と後半で考えを訂正している箇所さえある。
また、石仏の事例は多く取り上げられ具体的だが、核心に触れる部分はデータ(石仏のポテンシャルを数値化するくだりはあるが、主観を数値化したものなので定性)に基づいた話ではなく随想・直観による論旨のため、言い過ぎや意味を持たせすぎの面もある。佐藤氏自身は章題に「私情」と書いており自覚的と思うが、言語化されていないものを言語化し過ぎようとしていて、すべてに意味を持たせようとしたことが逆に正確さから離れるように感じた。
したがって、万人が読んで納得するものとはなっていないが、本書の石仏を巡る哲学的提言は現在も未解決の問題提起ばかりである。そこに本書の唯一無二の意義がある。
ということで、あくまでも岩石の精神に関する部分に限って、以下注目すべき記述を引く。
「何気なく、ただひっそりとたた佇む名もなき石の仏」「その姿や表情の素朴な美しさ」「言うに言われぬ親しみ」「石仏に接すると心が洗われる」「石仏はこころのふるさと」等々々――。これらは石仏を愛する人々の言葉である。実は筆者が石仏行脚を始めたころ、既にそのように言われていたし、筆者も当初は全く同じ言葉を使って石仏を賛美していた。だが、こうした石仏の愛し方や見方は間違いではないけれど、本当に石仏の価値や内容を認めていることにはならないのではないか、という気がしてきた。愛するという心情におぼれてはいけない。愛すればこそ対象の本質を真剣に考えねばならないと意識した。(p.11)
本書のきっかけを記す一文。石仏を題材とするがそれにとどまらず、どのような研究テーマにおいても、研究者が研究対象に対して抱かないとならない境地として読める。
簡単にいえば「石仏」が安っぽく落着いてしまっていることです。<石仏なるもの>は<こういうもの>だと何んとなくわかってしまったような風潮が感じられることは、正直に言って愉快なことではありません。(p.14)
世間のイメージに迎合した理解や、辞典的な理解で一つの概念を終えようとする危うさが「こういうもの」の表現に込められている。
自分では一応現代人――近代的な感覚・認識をもって生きているという意味でですが――それが「石」に対してある種の<感応>をもったということが、自分なりに非常に興味深かった。しかしそれが何故なのか、何故「石」が生き生きと、激しくこちらに迫ってくるのか、よくわからない。それで何んとしてもそれをわかってやろうと意識し出した。(p.31)
佐藤氏なりの石への感情の言語化が見られる。生き生きとしている石、生気を持つ石を感受するというケース。近代合理主義的な理屈を抜きに、佐藤氏が受け身的に惹かれるという構図である。
石仏を始めたときからわかっていたんですが、行脚が深まるにつれて、それが想像以上の数量なんで、本当にびっくりしました。数量それ自体が日本の石仏の性格を表示する一種の「質」を示している感じ――いわば「質量」の大きさとなって迫ってくる感じでした。(p.36)
石仏の数多あるところに人々の生活をみる境地と佐藤氏は述べるが、量の多さが質を示すというのは、私も岩石信仰の事例に毎日のように出会って「思い」の質量をつくづく実感する。
岩に対っていった昔の人達の造形意欲とか、あるいは岩に対わせた理念とか精神力の激しさとかに対して、現代人であるわれわれのある種の<弱さ>というものを痛感して一層無力感が強まるんです。(pp.59-60)
佐藤氏は、だから弱さをカバーするためにひたすら石仏に時間をかけて訪ね、写真を収め、渉猟するのだという。これでも、昔の人が持っていた信仰や祈りの精神からは遠くかけ離れて、やはり無力感に悩まされるというのは、信仰心をもたない研究者全員が同じ思いだろう。
私は石仏の<宗教的内実>を考えるに際して、<宗教性>と<彫刻性>と<自然性>の三つの概念を柱とする<立体構造>を想定した。(略)<自然性>とは石仏を思考し、かつ論ずる場合に絶対に捨象出来ない<相>である、と私は確信している。これを除外すると、石仏が石仏でなくなってしまうからである。(p.105)
p.182にこの「石仏の概念立体構造図」が掲載されており、先にこの図を見ながらのほうが理解しやすい。
三角柱の概念図であり、研究者はどの角度と視野で三角柱を横から見るかという点で多くの示唆を与える。そして、三角柱の底面こそが造立者が見た視点であり、研究者からは見えない「世界の相違」という諦念にも似た問題提起がなされる。
岩と石の性格の違いは極めて大きい。<岩>とは大地の骨のごときものであって、その現示の様相の一端が岩壁であったり岩盤などである。岩山の無限の奥行。絶対値では示しえない大きさ。それを考えただけでも<岩>は個体ではない。<岩>は人間的なスケールでは測りえない無限性をもつ。<岩>は確かに実体として見えているが、同時にその無限性において、一種の<空間性>を兼備している。(略)<石>は岩山から分離して生じたものである。その分離のしかたによって、その<石>の性格が著しく異っている。(p.132)
岩と石の違いを説明する節で、ここは長いため補足的にまとめる。
佐藤氏は岩石を「岩ー岩塊ー自然石ー不定形石材ー定形石材」に分類する。これは一種の序列にもなっており、左から右の順で「自然性」が希薄になるという。「不定形石材」は、自然石の姿形をある程度残したまま石材として用いられる石であり、そこには自然性が宿るという点で注目すべき概念である。
前掲記述のとおり、岩は無限性そして空間性をもつ。岩から離れた石は大地から離れた個体となるという点で、岩とは異なる性質となる。
たしかに大地から動かせない岩は、大地を込みにした不可分の存在であるから、空間的であると言えるだろう。ならば、岩石信仰の要素の一つに空間性が認められるのは確定とみてよい。
ただし、石と岩の歴史的な語義に基づいて佐藤氏は語っているわけではなく、古典における石・岩の使い分けや語義については定まっていない。
したがって、このくだりは「動かない岩石」と「動かせる岩石」の持つ、それぞれの岩石の特性を指摘したものと受け止めるのが適切である。
<岩>はあくまで自然そのものとして存在し、<石>は自然に抵抗して存立する。強いて言えば、<岩>は原始に位置し、<石材>は文明を背負ってきた。<岩>と<定形石材>の中間に位置する<自然石>や<不定形石材>は、そのあつかわれ方によって、原始性も文明性も保有することになる。(p.135)
岩は本来的には不変ではなく絶えず変化している物質だが、人間の尺度から見たら不変である。このように岩には人間的尺度・生物的尺度を越えた不変性があり、だからいつの時代の人間から見ても岩の姿には原始性(原初性)が宿る。
そんな岩から離れた石は、堅牢な物質的特性をもつことから、以後、石の外部の自然から影響を受けにくい存在として、自然に抵抗する役目を担うという逆説性を帯びたのだと説く。
岩があっても、必ずしも磨崖仏は刻まれはしないのである。実際的にみて、わが国の摩崖仏は全国でおよそ二百ヶ所程度である。それに比べて自然の岩や山に対する信仰――即ち宗教的な意味性が確立した自然空間のの実例は数え切れないほどである。しかも、それらの多くは、摩崖仏を刻むに適した条件を備えているのである。これらのことは至極当然のことであるが、摩崖仏の造顕の意味を考えるとき、深く認識しておく必要がある。(p.143)
なぜ磨崖仏が彫られた岩石と、見逃された岩石があったのかという、あまり他に見ない問題提起であり当然未解明のテーマである。
<仏像>と<岩>とでは明らかにその<世界>が違う。一方は観念的空間であり、他方は現実の存在感によって支配される――言わば<実質的>な空間である。(略)<岩>のカミ(あるいは霊)は仏像として造形化されて、はじめて確かなイメージとなって顕現した。<仏像>は<岩>の無限の<質量>によって現実的な実体感を得、その位置する世界を観念上の空間から、より実存的な空間に位置をかえた。相異なる信仰、相異なる世界の重合。(p.146)
磨崖仏がなぜ自然石に彫られたのか、両者の相乗効果を端的に記した箇所になる。
<岩>は自然としての存在そのものであり、空間的である。<共同視覚的>発想をするなら<岩>はすでに<他界>に位置していると言えよう。その意味からも、<岩>自体がすでに宗教的な存在であるといっていい。その意味でさらに極論すれば、自然性を即宗教性と考えてもいい。(p.169)
岩は空間的で、生活のムラを起点とする共同体の人々から見ればそれは「他界」に属したという論理で、石ひいては外界の自然界は宗教性を帯びたと発展するが、おしなべてそう言えるかというとちょっと言いすぎか。推測に推測を重ねて論理が進むため、土台の根拠をどこまで信じていいかで本書の後半の受け止め方は一本の筋のように心細い。
佐藤氏は縄文時代から石の信仰は連綿と続くことを例示の一つとしているが、持ち運ばれ並べられた石が石の信仰(石が信仰対象か)と呼べるかは批判の余地があり、また、大地に根差していない石に、佐藤氏が言うような宗教性の要件たる空間性・他界性をもっていたとする証明にはなっていない。
さらに、神聖視・特別視されなかった岩も無数に存在しており、それらの岩に対する補足説明が要るだろう。それらの岩は記録が失われただけか、岩の宗教性を感じとれなかった人の感受性側の問題か。つまるところ、自然・岩に自ずとおしなべて宗教性は宿るのか、その宗教性を感受できるかできないかの人の間の認知の差なのか。
造像の志向性が優先し、それによって<岩>本来の宗教性が阻害されているようにみえる。強いて言えば、仏師達の高度な技法が<岩>を単なる素材と化してしまっているのである。彫りすぎである。私はそのところに臼杵磨崖仏の<岩の造形>としての一つの欠点をみる。(p.174)
臼杵磨崖仏は「彫りすぎ」とする評である。美術的観点に裏打ちされたものと受け止めるべきか、佐藤氏の主観として閑却するか、私にはわからない。定量的なものではない「美」の領域の扱いかたにかかわる。
これに関連して、佐藤氏は岩から離れた独立石仏の場合も、岩より自然性は希薄ながら、自然と人為の調和による美があるとする。すなわち、人為が自然を殺しているとは限らないということである。
人間が自然をさらに美にしたいと思い、自然に手を入れつつも、一方で、手を入れない部分もあった。それが「成功」したかどうかは、本来的には作り手にしかわからないが、つくられたものを見る「受け手側」が各々生み出す美の認識も実際として存在する。
難しいのは、それらの認識が必ずしも言語化の形をとっていないだろうことで、それをどこまで文章化できるのか。そして、文章化することが他人を表現するという点において正確なのかという疑問が私にはある。
鎌倉時代以降になると比較的硬質の石材を刻む技術の発達によって、<石>の自然性がほとんど無視されたような石仏も多く出現してくる。そこでは<石>は完全に素材化し、ノミに対して全く抵抗感を示さない。つまり<石>の内面性は彫技によって阻害され、ただ単に<石肌>という表皮的な感触性として<石>の意味があるだけなのである。(p.177)
鎌倉時代の前と後で、石仏がこのようであると言い切れるかどうかは要審議である。
石材は運搬可能であり、石工が自分の工房で石仏を刻めるし、労力も技術も惜しまず使える。つまり職能者として日常的な自分の<空間>で仕事が出来る。だが磨崖仏はそういうわけにはいかない。絶対なる<存在>である<岩>――その支配する空間、つまり非日常的な<世界>に入って仕事をしなければならないのである(しかも彫刻に困難な硬い岩に対って……)。そこでは岩はすでに<神>であり<仏>であるのだ。それに対って像を刻むことの、その行為自体がすでにある種の宗教的営為であり、宗教的営為としての意識を石工に要求している。(p.283)
他界たる空間内の岩で彫ること自体が宗教的行為であるとする。
佐藤氏は石仏造立を全国的におこなった主体を宗教者の聖たちに比定しているが、宗教的行為を行う石工も宗教者と同等である。
岩石における宗教性の追究が本書のテーマであるが、岩石に対峙する人間側においても、宗教的なものは宗教者のみの専売特許ときっぱり分けきれるものではなく、生活の延長線上の行為に宗教性が帯びうることを「空間」の違いで喝破した一文と言えるのではないか。
岩石の哲学に関する新著として、高木寛治氏の『石に救われる―石の書―』(吉備人出版 2024年)を読んだ。
高木氏はイワクラ学会理事として知られるが、氏の刊行歴に「石と在る」を見かけた時、ブログ「石と在る」の方だと初めてつながった。
「石と在る」は2005年~2008年に更新されていて、ブログ自体はまだ残っている。投稿内容を見れば石への造詣の深さは一目瞭然で、石を哲学的に思索する方として当時からとても気になっていた。このような形で邂逅できてうれしい。
2003年刊の第1集『石と在る』から、2023年刊の第5集『石を祀る―神々の里・総社のイワクラ(磐座)―』までの発表済み文章の自選という形をとる。
2024年の書籍と紹介するには高木氏にとっても古い言説も含まれると思うが、高木氏の言を借りれば「執筆から二〇年近い年月が経過したが、石に対する想いはほとんど変化していないことに驚くとともに安堵もしている」(p.45)の一文もあり、自選であることから2024年時点の一人の石好きの言葉として受け取ることができるだろう。
高木氏の本書のもっともありがたいところは、古今東西の石の本を類を見ないほどまとめきり、本書に収録したことである。
私のように、岩石信仰に関する本だけでもない。一般的イメージの、岩石学・鉱物学からのアプロ―チだけでもない。
地学などの理系の石の本から、歴史、詩、小説に登場する文系の石の本まで、分野関係なく「石と人との関わりについて全体を展望する意図があって書かれたと思われる本」を蒐集している。
たとえば高木氏は水石(鑑賞石の山水景石)をきっかけに石拾いを始めたが、当時の水石ブームのなか高価で売買されていた風潮に異議申し立てをはかり書かれた河野宗一『石と人生』(私家版 1968年)、石仏に魅せられた自分に内的矛盾を感じて作品化したという佐藤宗太郎『石仏の解体』(学芸書林)、石狂・石道楽と称されて崑崙山を模した石崑崙を築いた石井金三朗『石崑崙』(私家版 1935年)など、まったく知らない石と人のディープな本が紹介されている。
数例を挙げるだけでも、それらを蒐集した高木氏の視点の独自性が窺われるだろう。
石の本を蒐集する+石に関する随筆を書くという両輪で、石と関わってきた著者。
高木氏の著書で知り、私が新たに買った本は次のとおりである。
本書によって多くの石の関連本が散逸せず、高木氏に感謝しかない。
拙著『岩石を信仰していた日本人』も紹介いただいており、私のホームページ(2012年の文章ということで旧ホームページ)を以前より注目いただいていたとのことでありがたい思いである。イワクラ学会誌に私の論稿があればもっと良かったのではないかという過分なお言葉もいただいているが、私とイワクラ学会の関係は前記事に書いたとおりでご容赦願うしかない。
岩石祭祀事例集成表に粗密があると記した私の「言い逃れ」にも注意深く確認をいただいており、岡山県の場合は私が62例を挙げたのに対して別文献では岡山県の磐座が101例、「星と太陽の会」の探訪を踏まえると実際は数百カ所に上るだろうとの指摘も具体的でそのとおりと思う。
私が「おわりに」で書いた文を長めに引用していただいている。なぜ岩石信仰に興味を持つようになったのかという書き出しから、岩石の哲学的なアプローチを今後深めていくという決意表明の部分である。それから14年、一応このような形で宣言どおり哲学的アプローチのインプット中である。
感情を入れないように書いた本でわずかに感情を込めたのが「おわりに」なので、高木氏の求めるところと符合したのだと思う。昔書いた文章なので今は青臭さで恥ずかしいが偽りはない。
高木氏も書中で「いつごろから、なぜ石に惹かれるようになったのか、今となっては定かではないが、人の生活の根源をかたちづくっている石が、動物や植物、天候などの他の自然要素に較べ、多くの人から関心が払われる度合いが少ないことが背景にあるような気がする。石に関する書物は、店頭でもほとんど見かけない。」(p.159)と書いている。私の「おわりに」と通じ合う部分がして同感を得たりの思いである。
高木氏は石に惹かれた時の自身の精神状態を、もったいぶらずに言語化している。
「『存在の不安』に根差している」(p.10)
「たまたま立ち寄った『石』の盆栽とも言える『水石展』で、形容しがたい石の自然美と沈黙、そして多様な形態を備えた不動の、静寂の中の、小さいが堂々とした存在に、なぜか心惹かれる思いがしたのである。」(p.11)
そして、高木氏は自らが石から離れられなくなっている理由を、自らの内面のみならず、古今東西の先達の本が記した「言葉」からヒントを得ようとしている。
その言語化に大きく寄与するものの一つが「石をモチーフとした詩歌」であり、たとえば加藤克己『石百歌』(四季出版)はその書名のとおり百首を越える石の短歌が収められ、とりわけ高木氏の石のイメージを豊かにしてくれたらしい。
使われる言葉が難解でなく、短く端的に表現される詩歌は「処世訓」にさえなったといい、高木氏はそのような詩歌に出会ったらノートにずっと書き留めていた。書き留めることで、自分の感情の解決に必要な時に引き出せるのだろう。
先出の加藤氏は自らの石の歌に対して、石は自分の生命そのものを宿したものと表したというが、その点で岩石が人間の写し鏡であり、岩石を通して人間を語っているに相違ない。
形式は変われど、私がブログで本書も含め、各種の記録を行うのと同じかもしれない。
当ブログをお読みの方なら磐座・巨石信仰に興味のある方が多いだろうが、高木氏は水石と石拾いから磐座へ関心を広げた方なので、その関心領域は石の総体である。
信仰の石に関するものなら、次は古墳、墓石、石仏、石塔、石碑というところか。それにもとどまらない。
信仰や精神世界と一見無縁と思われやすい、生活の中の石にも着目している。
山田卓三・編『ふるさとを感じる あそび事典 したいさせたい原体験3000集』(原体験教材開発研究グループ 農文協)には「石体験」の種類として次が挙げられるという。
子どもを対象とする研究では、ヒトの先天的な精神・感覚の発露とみなす評価がある。
その点で、石の原体験という視点は興味深い。
高木氏はそれに加えて、「石を積む」「石で何かを模して玩具、置物、芸術作品にする」「石を熱くする」も提案している。
また、高木氏は子どもの頃に不思議に思った石について以下の事例を述懐している。
これらの中には、大人になってから岩石の一種であると知ったものもあるという。
近代科学における岩石の領域とも言え、近代科学以前では石の概念に入らなかったものもあるだろう。その点で、どこまでを原初の人が石とみなしたものの精神と見るかには多少の腑分けや注意がいりそうではある。
それでも、高木氏の子供時代の生活体験の豊富さは、かつての石と人の関係を現代人が想像するに参考となる。
「当時、舗装された道路などほとんどなく、空き地もあちらこちらにいっぱいあった。そして、そこらには大小の石ころが無数にあった。しかし、今、世の中はうつろい、地面の多くが疑似石などで覆い尽くされ、それらの『石』はいつのまにか、すっかり身辺から姿を消してしまった。」(p.54)
そのように石がありふれていた時代に、特別視・神聖視された岩石とは何だったのだろうかという興味がもたげてくる。
少なくとも、現代、石の体験に乏しい私たちが物珍しさで驚くような巨石・磐座との感覚とはまた異なるだろうことは想像できる。
「私には、動物の体の中の『骨』や『歯』、体を覆う亀の『甲羅』、貝や蝸牛などの『殻』は、一種の石ではないかと思えて仕方がない。」(p.40)
硬さの象徴、白さの象徴としての石というだけの随想ではとどまらず、高木氏は後漢末の成立とされる『釈名』の「地は石を以て骨と為す」も紹介している。石と骨の同義を説くものであり、久門正雄『石の鑑賞』(理想社)では石の異名を「地骨」「山骨」「山体」「天地の骨」と称し、天地をつなぐものを「雲根」と称したのは、すべて人が石を自然界で見立てた精神観である。
高木氏は医師としての知識から、体内をめぐる鉱物と人の関係にも注目する。
動物は石を作ることができるという次の例示は、氏ならではの観察眼、本領発揮と言える。
耳石は、内耳の耳石器にあり、体の均衡を保つもの。
結石は、詳しくは尿路結石、胆石、唾石、扁桃結石、静脈結石、膵石、胃石、腸結石、鼻石、歯石に分かれ、詳細の成因は異なるという。
体内の石も、重要でもあり有害にもなる二面性を語るもので、体内の石が人に牙をむいた時、真摯に向き合うことが石との付き合い方に通ずると高木氏は述べる。
水石にせよ石拾いにせよ、それらは自然石の本来あった場所を移動して、場合によっては一部に手を入れて加工・切削され、置かれる場所も人の意図によっては配置される。
自然石を愛でるとはいえ、これは本当の自然を対象とした精神といえるのかという疑問はある。
これについては、高木氏が古本で見つけた内藤濯『未知の人への返書』(中公文庫)の中の作品「石を前にして」の記述に一つの答えがある。日本庭園における庭石や飛石の置きかたについての考えである。孫引きとなるが下記掲載する。
「飛石をならべたのは、むろん人間である。だが、この場合は、自然が人工を見えなくしているのである。あるいは、自然が人工を美しく生かしているのである。自然の生き方――ひいては石の生き方と、人間の自然の生き方との調和ということがもし考えられるなら、それこそ美しさの絶頂であろう」(pp.172-173)
本書における核心部分の記述は以下にある。
「人類の営みの全体が、石の増殖への協力加担ではないか」(p.48)
「石のなかの原子力までもとりだしてしまった人類は、今、すこし立ち止まって、見えない石(宇宙)の大きなたくらみがひそむ『石の夢』の分析を行ってみる必要があるのではないだろうか。そのためには、石との対話を深めていくことが避けられない」(p.49)
「石の夢」とはシャルル・ピエール・ボードレールの同名の詩から借りた表現であるが、高木氏は澁澤龍彦が言うところの「石は大地という源泉に所属する」という石の哲学や、栗田勇の「1個1個の石の中に神の世界、夢の世界がある」という言説を受けて、こう結ぶ。
「いわゆる石(宇宙の要素とみなしたい)は生きている、石は人智では、理解の及ばぬ深いたくらみを抱いているのではないかとの想いがふくらんでくる。」(pp.255-256)
石は宇宙の要素として生きていて、それぞれの石は生物時間とは異なる経過の中で生きるように夢見ていて、石の中で夢が無限大に増殖している、それを人間は1個の石からどれだけ受け取っていけるかということと私は解釈している。
高木氏が著書で繰り返し引用・紹介する記述の一つに、絵本『すべての人に石がひつよう』訳者の北山耕平のあとがきがある。変化の時代には自分の石を見つけて、その石と共に残りの人生を歩むことで、地球由来で小さな地球ともいえる石が記憶装置となってくれることの心強さを伝えている。
高木氏も本書の「おわりに」で、国民1人1人が、自宅内やベランダにでも置けるような手ごろな石を持つ習慣を提案している。それより良いとするのが、近くに参拝するような磐座を再発見することというが、これは住んでいる土地によるだろうとして手元の石を推奨している。
これは現代にゼロから創られた文化ではなく、武士の家の生まれだった津田左右吉が誕生日の祝いには小さな石が1個添えられ、毎年の誕生日では常にその同じ石を用いたそうである(長田弘『本に語らせよ』幻戯書房 2015年)。その人の一生の石という風習についてどこまで遡るのかは研究が不足している。
人類の歴史の99%は石器時代ということで、高木氏は石と人の不可分な関係を説く。
たしかに、人と石の関わりは「石器」という二文字が放つ一般的イメージ以上に、単なる加工と利用の関係にとどまらない。高木氏が引用する岩田慶治『草木虫花の人類学―アニミズムの世界―』(講談社学術文庫)にあるように、代々研磨加工、そして労力を重ねられて光沢を放つ石器はもはや宝器や精神的象徴のようなものである。
しかし一方で、石器時代というのは石器、つまり石が腐らず地中で残りやすいからこそ考古資料として残りやすいに過ぎない。
ヒトは石だけでなく、身の回りに存するものをすべて利用に用いていたはずで、草木との関係、水・風や日々変わる天候、そして虫から猛獣にいたる他の生物との関わりなど、これら有機物は残らないから結果的に石のウエイトが大きく見えていないかにも気をつけたい。もちろん、そういった石の遺存性自体は注目するに値するが、やや歴史を俯瞰する現代人視点に囚われている。
子どもの原体験として石に触る、石のにおいをかぐ――の例が挙がったが、それは赤子が身の回りのものをすべて手に取って口に入れるがごとく、石に限らずおこなわれたことだろう。そしてそれぞれの自然物や身の回りの「物質」から感受する精神があって後天的な知識・経験の獲得につながっただろう。
私は、他の自然物とは異なる、石からしか得られない感受・精神とは何だったのかを追究していきたい。
そして、石に感受しなくても石を利用することはできる。人間社会の中で、感受した人に倣えば石の使い方は模倣できるからだ。岩石信仰でさえ、真の意味で信仰心を感受できたのは一部で、社会の序列の中で石に感受しなくとも建前として石をまつった人々もいた。
「石は、成人に達した人間の大多数をすこしも立ちどまらせずに、そのまま通りすぎさせてしまうわけだが、それでも万が一ひきとめられるような人がいると、もう、とらえられて放さなくなるのが常である」(p.191/アンドレ・ブルトン『石の言語』より)のである。
石を利用することは数多あれど、石にとらわれて離れられなくなる人は、また別の精神なのである。
石を利用することと石を感受することは異なるという視点で、石と人のある種純粋ではない関係も見ていかなければならない。
その際には、あまり近代科学以降の知に寄りかからないようにはしたい。西洋を石の文化、日本を木・紙・水などの文化と対置する、あるいはそのアンチテーゼを問う言説などもその一つである。しらずしらず、自分が「最近」のだれかの言葉で語ってしまわないためだ。
「岩石は地球の原初を伝える存在」という切り口で石に関する思いを語るのは、無自覚の科学知に寄りかかった感情で危うい。だれかの言語で自分の非言語領域を代弁されないように。
— 吉川宗明(よしかわ むねあき) (@megalithmury) May 31, 2024