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2025年8月1日

研究会「宗教認知科学からみる考古学―顔身体象徴を中心に―」メモ(2025.7.26)

國學院大學研究開発推進センター・国立歴史民俗博物館による合同研究会「宗教認知科学からみる考古学―顔身体象徴を中心に―」が、一般向けにも無料開放されていたのでZoom参加した。

事前に発表されていた出席者の名前を見るだけでも、信仰心・宗教心なるものを研究する第一人者が集うイベントであることは明白で、非常に有難い勉強の機会となった。

あくまでも岩石信仰の研究としての立場からではあるが、参加しながらメモした内容を以下にまとめる。吉川の主観を含む部分は「→」の記号で表した。


松本久史先生の挨拶

國學院大學の主催側としてのメッセージとして、現在大学として取り組んでいる「カミ学」の話。

カミ学では、カミを3つの深化(進化?)で考えようとしているとのこと。

→その3つは話し言葉と書き言葉の違いもありちょっとわからないところがあり、まとめられなかった。


いずれにしてもこのイベントが「カミ学」の弾みになればと願っている。

→現地会場に何名いるかはわからなかったが、オンライン上には約80名が参加していた。名前の知っている方もちらほら…。


中村耕作先生の挨拶

今回のサブタイトルである「顔身体象徴」を専門にされている。考古学以外では心理学などのアプローチも活用されている。

顔がついた縄文土器に関心を抱いている。顔身体土器という。土器に顔がついているという行いはどういう意味をもつのか。

土偶はそれ自体の機能が形から読み取りにくいが、顔身体土器は土器であるので、土偶と違ってある程度、器の形などの考古学的側面からその器の物理的機能を推定しやすい。


小林達雄の土偶論では、各人がそれぞれに「ナニモノカ」を知覚していたが、ある時、誰かが「実体化」をおこなった。それが他の人々の共通認識になったとする仮説がある。

→土偶以外のカミにも使えそうな論理である。


顔造形表現にどんな意味があるのかについては、山口真美「赤ちゃんは顔をよむ」(2003年)やスチュアート・E・ガスリー「神仏はなぜ人のかたちをしているのか」(2016年)などにおいて、なぜ壁のシミが顔に見えるのかなどのヒトの認知傾向について参考になるところが多い。

そのガスリーの文献訳者であり宗教認知科学の研究者である藤井修平先生を今回招聘した。


藤井修平先生の講演「神・霊魂をいかに考えるか―宗教認知科学と考古学の連携可能性―」

宗教認知科学(CSR)の概要については、当ブログの過去記事「『科学で宗教が解明できるか』(2023年)学習メモ」参照。その前提の上で新しく得た知見を以下に追記する。


素早く自動的、直観的な傾向、ヒトの認知メカニズム、普遍的なもの(いわゆるシステム1)を扱うのがCSR。

→個別性・後天性をどうするか問題。CSRは敢えて取り扱わないという姿勢もありか。岩石信仰は非言語領域に根っこがあるとしたらCSRの研究は有用性が高いと考える。


ヒトの遺伝子は、生物進化のなかで淘汰・適応されて現生人類になってからはその後変化していないというのが、ヒトの認知メカニズムの普遍性の根拠(もし遺伝子由来と仮定するならば)。


「超自然的行為者」…神仏から精霊、妖怪までを含めた概念。

→吉川が超自然的存在とか信仰対象とか呼んでいたものに相当。これからこの用語を使うか…。


超自然的行為者をどう認知するか。

1.反直観(ボイヤー)…常識的予想をわずかに裏切る存在に超自然的行為を認知する。

→簡単に言うと、いわゆるサプライズは記憶に残るということに通ずる。しかしサプライズすぎてはいけない。

2.パターン認識…ヒトがパターンに当てはめる傾向。アポフェニアともいう。詳しくは次の3つ。 

  1. 錯誤相関(現代の陰謀論などもこれに含まれる)
  2. パレイドリア(擬人観など)
  3. 行為者検知(ADD)
  4. 心の理論


自然物や人工物が、顔をもっている(パレイドリア)、意図をもっている(ADD)、生きている(アニマティズム)、感情や信念をもっている(心の理論)というようにCSRでは解釈される。

→岩石の場合、岩石特有の心理要因は何か。顔に似た姿石や巨石巨岩などはわかりやすいが、そういった要素を取り除いた「何の特徴もない単なる石ころ」が神聖となる要因は何かを追究しており、そこにはまだ応えきれていない。


霊魂のメカニズム

1.社会的交換(Cohen 2007)…何かをしたら、何かをしてもらうという取引の公平性の感覚。返報性の原理と同質か。(例)祖霊から恩恵をもらったら捧げものをする、災厄が起こったら祟りを鎮めるなど

2.心身二元論…身体と別の実態が宿っているという信念。デカルトほか哲学での長い議論がある。子ども、非西洋文化においても、体と別に魂があるという考えはあり、普遍性が認められる考え。

3.シミュレーション制約(自分が死んだ後をシミュレーションしきれず、想像できず、そこから祖霊が生まれるなどの仮説)、心理的本質主義(ヒトには本質や不変のものを求める傾向がある。身体が入れ物で魂が本質という考えへ行く)、オフライン社会的推論(その場にいない、その場に見えないものを考えることができるヒトの能力。目に見えない霊魂を考えられるということ)、埋葬・葬送儀礼(他の生物よりも人の遺体には過剰に危険性・不快感を感じる傾向が指摘されている。儀礼は集団を結束を強める)

4.ビッグ・ゴッド理論


認知考古学について、カートパトリック、ロッサノの研究(2022)によるヒトの宗教認知の歴史仮説

  • 16万年前~ 肉抜きされた頭蓋骨の事例。骨、頭に本質を見出しているとしたら心理的本質主義の表れか。
  • 7万年前~ 洞窟の絵の事例。絵を捧げものとするなら社会的交換の表れか。
  • 2万3千年前~ 動物霊の絵の事例。アニミズムの表れ。
  • 3千年前~ 神に危機の助けを求める捧げもの。愛着の表れ。


認知考古学ひいてはCSRへの批判的な見方

極めて原初的・先天的な認知能力には有用だが、認知能力が複雑化・後天的影響を受けた後の時代にどこまで当てはめられるのか。更新世までの研究にしか使えないのでは。

あそこもそうなら、ここも同じじゃないか、は暴論かもという指摘。

これらについては、普遍的なものがわかれば、そうではないものがその文化の固有的なものと言えるのではないかという考え方で当たりたい。

さらに、最近は認知歴史学が提案されている。

認知歴史学ではどちらを重視するではなく、人類共通の要素と、文化特有の要素の二重構造で考えるというのが今の流れ。

考古学においては、過去の資料を定量化・統計処理して分析していくことで、過去の人々に「アンケート」をとり、過去の人々を「可視化」できる方向性がある。


日本の歴史、日本の考古学にどのようにCSRを導入できるかは、笹生先生例を紹介した。

→弥生・古墳時代にはすでに文化的・固有的なものはあったと思われる。その点で、その時代をCSRだけで語り切ってよいか(吉川個人としては笹生先生の坐す神→招き迎える神の直線的な変遷には2022年拙論で疑問を呈していた。同時併存的な可能性も想定してほしい)。また、日本列島の自然環境に言及される一幕もあったが、日本列島は変動帯であるからこその地質学的なアプローチも環境が育む固有性を補強するに必要かもしれないと感じた。


笹生衛先生のコメント

神道においての祭祀儀礼の重要性から、儀礼を重視。繰り返される儀礼により超自然行為者(神)はさらに強化される日本列島の特徴を指摘。

人が亡くなり一定期間たち、生前のその人を知る人々がいなくなると、ボイヤーの人物ファイル理論でいう人物ファイル(人格)が喪失されるので、個人人格のない祖霊になると言えるのではないか。柳田国男の個別霊→先祖になるという話と照合。

古墳祭祀は、なくなりそうな人物ファイルを保存しようと、被葬者の副葬品や食膳を通しておこなったCSRでいう「適応」行為の例ではないかと指摘。頭部を赤彩したり石枕を置いたり頭部への副葬が多いのも頭部重視、つまり人物ファイルにおける個人の人格を強く表す頭部重視の表れ。遺体と個人の人格がかなり結びついているという点で、『礼記』の魂魄論のような霊肉二元論を素朴に当てはめることはできないのではないか。

→まとめかたや発表のしかたの印象と思うが、理論が先で考古学的物証をそれらに当てはめていくあたりが演繹的でよいかどうか。論文化される折には、他の可能性(ないとは言えない)への批判的検証のフェーズもほしいところ。

→石枕にも頭蓋骨同様に赤彩する事例があるとのこと。石枕と頭蓋骨の同質性が浮かぶ。骨と石を同質視する精神観や、山を肉体とする精神観もある。コメントを聞いていて、地中から出る岩盤は肉の中から出る骨に通じ、視覚的には反直観性に当たるのではないかという着想を得た(根拠なし)。石枕の存在は岩石との関わりから引き続き注目したい資料である。


認知考古学の松本直子先生のコメント

Joseph HenrichのWEIRD(ウィアード)における指摘

1.ヒトの心理に関する研究の多くは、極めて偏ったサンプルに基づいている。欧米系のサンプルによる研究が多い。

2.ヒトの心理は予想以上に多様性に富んでいる。現代人においてもそう。

3.非西洋の人々のサンプルを含めた研究によれば、西洋人のサンプルは分布の最端部に位置するという話。

→普遍性を標榜するCSRの偏りを暗示するという点で、重要かつ同意できる視点。


マテリアマインドの概念(物と心の共創関係)

ホモサピエンスになってから脳の容量は変わらないが、この1.5万年で急速にいろいろな物にあふれ、それによりヒトの行動は複雑化したと言える。その中で生まれるヒトの心の変化をマテリアマインドととらえる。

つまり、意識は生得的なものではなく、文化や言語による「ソフトウェア革命」によって変容したと言えるのではないかという仮説。その点で、CSRをそのまま移植することへの批判的姿勢を示した。

パレイドリアであれば、今の人も昔の人も、同一のものをみれば同じように顔と認知したと言えるのか? 欧米圏では四角い模様と認知した画像が、非西洋圏では四角に見えず丸に見えたなどの実験結果がある。私たちは「四角」に見える文明に生きた特殊な人々と自覚して、むしろ先史時代の人類から離れた後天的認知に影響を受けている危険性を指摘。

→同時代でも地域で異なる認知結果が出るのであれば、時間軸で離れた人々の認知も想像をはるかに越えた違いがあるのかもしれない、という前提で物事を考えることが大事。


ヒト形人工物についての考え

日本列島の場合は初期の土偶岩偶などの身体表現において、女性の胴部(胸など)を表現した遺物が多く、顔を表現しないという傾向が指摘できる。ならば、顔を重視したという認知科学的な見方とはかみ合わない事実。

  • 松本先生による縄文土偶の特徴…小さい、女性が多い、身体的特徴の表現、写実的ではない、集落から出土、そして初期には頭・手足がない
  • それに対しての弥生時代絵画の特徴…小さい、男女ともいる、顔・行為の表現がある、象徴的・記号的、集落から出土
  • 古墳時代の人物埴輪…大きい、男女とも、衣服・装身具、行為の表現、墓から出土

→時代ごとの差異が浮き彫りになり興味深い。異なる時代ごとに固有性の差があることは否めず、通史的に一つの認知に立脚した歴史観は語れなさそう。どこまでが先天的でどこからが後天的かという議論につながる。


質疑応答

・立ち位置の違い

藤井先生は更新世・旧石器時代のヒトの認知は現代まで基本的に変わらないという立場で、松本先生はその後マインドが変わったという立場であり、大きな分かれ目なので質疑応答レベルではコメントをするのに難しい。藤井先生は、昔と今に共通性があるとみなす、それがよりシンプルに考えることにつながるという科学的立場に立つ。


・超自然的行為者の認識をどう認めるか

笹生先生コメント…祭祀遺跡の立地。特に山と川を重視。延喜式祝詞の山口に坐す神の話が残る山に祭祀遺跡がある。日本の場合は、認知だけでなく他の要素を絡めて立論可能。


・顔身体表現について、人じゃなくて神や精霊のようなものだとみなすとき、どうやってカミ的なもの(条件)と評価するかに関心がある。また、顔身体表現が消える時代が来る。それはCSRでどう説明できるか。

藤井先生…CSRでは「傾向」があるからといって必ずそうなるということを示すわけではない。出てきやすい要因・条件があったということを分析するのはあり。

中村先生…現代日本において、このような顔身体表現の例が見られないのはどうしてだろうということを考えたい。

藤井先生…土偶が神なのか人なのか何なのかは、複合的に考えたい。神の条件。もしかしたら、場所が変われば機能も変わるのかもしれないという話。


・吉川から藤井先生への質問

吉川「最近、竹沢尚一郎氏の『ホモ・サピエンスの宗教史:宗教は人類になにをもたらしたのか』という本を読みました。私の読解不足かもしれませんが、この本によれば、宗教の発生においてカミ観念の成立を先に置かず、まずは儀礼を重視した立場と理解して読みましたが、このような竹沢氏の研究をどのように位置づけていらっしゃるでしょうか?」

藤井先生回答…昨年、竹沢説について議論した。どちらが宗教の本質というわけではないと考えている。観念も儀礼も、順次、相互的な作用でそれぞれ成立していったという理解。(やや困りながらもご返答いただきました、ありがとうございます)

→反直観的な直観が最初にあり、非言語領域で儀礼が成立し、その後にシステム2的にカミ観念を編み出したとすれば論理は通るが、そういう理解で吉川は当面行きたいと思う。


・吉川のもう一つの疑問

社会を論じる中で埋没しやすい、人の個体差の問題。

遺伝子は同じでも、感受性には個体差があるのでは。岩石においては、それに含まれた地磁気の感知の違いなど。まったく感受しない人に対して、無意識下でも感知する人が一方でいるから、宗教者と呼ばれる存在が生まれるのではないか。そのような突然変異的なものや、統計に埋もれた外れ値へのまなざし。そして、感知できない側の人がそのような存在の影響によって、どうやって変容していくか。

ビッグヒストリーを語る場合、どうしても社会全体の語り口になってしまい社会的な研究となりやすいが、個人性の研究の視点が特に信仰・宗教史には必要ではないか。

CSRは統計の科学の道を歩むが、ヒト個体の分析の集積体でもあるので、統計からはじかれた個体こそ宗教的成立の要因が潜むという問題意識と、個人と社会の鍔迫り合いでヒトの先天的認知がどのように後天的影響で変化していくかの絵も描けるのではないかと思う。


2025年3月19日

自然石文化における岩石文学作品集『書物の王国⑥ 鉱物』メモ

『書物の王国⑥ 鉱物』(国書刊行会 1997年)は、巻末の解題を記した高原英理氏によると、氏が責任編者になって選定した鉱物に関する古今東西の選集である。

高原氏自身が「私の伝えたいヴィジョンはひとまずここにある」(p.221)と認めるとおり、体系的な基準で編まれたものというより、鉱物に惹かれた高原氏の「癖」と、版権・訳書・紙幅の力学によって計36の作品が収録された。

鉱物に惹かれるものの共通項として、高原氏は次の表現で言葉に言い表している。

  • 自己に囚われたくないとする客観志向
  • 静謐なものへの憧れ
  • 人間を離れたがる傾向
  • 永遠志向
  • 生き物である人間が無機物を前にして、到底かないそうにないと無視できなくなったときの慌てぶり

客観したがる傾向は私のことかとドキッとしたし、4つ目の「無視できなさ」は岩石への特別視の共通項として見逃せない重要なキーワードのように感じる。


本書は「鉱物」括りなので自然石以外の鉱山鉱石・水晶・宝石などのモチーフも含まれるが、自然の石・岩をモチーフにしてつくられた作品も多い。

その意味において、自然石文化における一角に自然石から触発された物語があることは否めない。いわば神話もその一種であり、物語化の末に信仰も生まれると言える。そのような視点から本書掲載の作品を敷衍したい。

高原氏の解題分類に沿って、自然石に関わる部分に限って注目的な記述を紹介する。

※過去記事ですでに取り上げた作品は除外。


神話・伝説・民間伝承ブロック

ジョルジュ・サンド「馬鹿石、泥石」

フランス中どこでも大石は農民の想像力を刺激している。(p.123)

石はときと場合によっては口をきくにちがいないと思われている。(略)しかし石たちは頑固で偏狭なので、それ以上の言葉を教えることはできない。ときには、その近くを通っても石が見えないことがある。というのは、実際、そこにいないからなのだという。(略)彼らは性悪な以上に馬鹿なので、ときどき居場所をまちがえる。前の晩には荒地に転っていた石が翌日は同じ時刻に、種をまいた畑に立っていたりする。作物はだめになる。柵もこわされる。しかし、そのばあい、地主には言わないほうがいい。(略)石のほうでもいずれは元の場所へ戻らなければならないことになっている。もしすぐに元の場所が思いだせなかったら困るのは石のほうなのだ。(p.125)

葛洪「石随」

神山は五百年にして開き、その中から石随が流れ出る。これを服すれば、その寿命は天とともに終わる(pp.50-51)

蒲松齢「石を愛する男」

天下の宝は、これを愛惜する人に与えらるべきです。この石もいい持ち主を見つけたというもので、私もうれしく思います。だがこの石は自分から世に出ることをいそぐのです。世に出ることが早いと、魔劫がまだのぞかれないのです。(略)並すぐれた物は、禍のもとである。身をもって石に殉じようとするにいたっては、執着もまた甚だしい! だが結局は石が人と最後までいっしょになっていたのだから、石に情がないなどとだれが言えようか!(pp.55-57)


日本の怪談奇談ブロック

根岸鎮衛「石中蟄龍の事」

「左様に怪しき石ならば、如何なる害をなすやも知れぬ。焼き捨つるがよかろう」と述べたが、「それはとんでもない事」と斥け、結局、人家より離れた所に一宇の堂社があるゆえ、そこに納めるのがよかろうと決した。一同は件の堂社へ赴き、石を納め置いて帰った。然るにその夜、件の堂中より雲を起し豪雨を降らせ、風雨雷鳴と共に上天するものがあった。後刻、堂社に到り検分したところ、かの石は二つに砕け、堂の様子は全く龍の昇天した跡の体であったと、邑中の者が奇異の思いをなした。その節、「石を焼くべし」と発言した者の家宅は微塵になったという。(pp.71-72)


鉱物をめぐる思想・随想ブロック

アンドレ・ブルトン「石の言語」

石は、成人に達した人間の大多数をすこしも立ちどまらせずに、そのまま通りすぎさせてしまうわけだが、それでも万が一ひきとめられるような人がいると、もうとらえて離さなくなるのが常である。(p.149)

おなじ道すじをゆくふたりの人間でも、両者が奇妙に似かよっているのでないかぎりは、おなじ石を拾いあつめることはできないはずだ、と私には思われる。ことほどさように、たとえまったく象徴的なかたちでしかみたされない状況であるにせよ、人は深層でなにか欲求を感じた対象だけを発見するものなのだ。(p.151)

ためらいこそ、こうした石に、「自然の気まぐれ」と芸術作品とのあいだの、ひとつの鍵としての位置をさずけがちなものである。(略)人間はみずからのもっとも貴重な特質のいくつかを放棄したことによって、石たちを残骸とみなしおおせることができたのだと思われる。石たちは――とくに硬い石たちは――まともに耳をかたむけようとする人々に対して、語りかけつづける。(p.154)

ピエール・ガスカール「鍾乳石」

何ともわけのわからぬ重なり方や曲がり具合のせいで、石の形は、個々に見ようが全体として見ようが、全然定義できず、幾何学の法則に還元できず、したがって記述できない。(略)鍾乳石や石筍の形成を支配する非合理なるものは、原始芸術を支配する非合理に近い。(p.155)

石に新しい名前をつけ、それを通じて洞窟の各部をも新たな名称で呼ぼうとするのは、多分この洞窟が自分たちのものだということを確認し、また洞窟に寄せているひそかな期待を表明するためでもあろう。だが遠慮からか、内心を見すかされるのを嫌ってか、どんな名前にも満足できず、やがて思いついたのは、石とそれを容れている広間を単なる番号で呼ぶことであった。(p.160)


日本の小説ブロック

稲垣足穂「水晶物語」

路ばたの石も、海岸の石も、共に永い永い歴史を持っているのだと云わなければならない。(略)ただひとり石や砂だけがずっと続けて昔通りだ――これは何故であろう。おしまいのそのおしまいに石はどうなるのか。この同じ場所に再び埋まってしまうならば、その次に自分のような者によって拾い上げられるまでには、きっと何万年かが経過している。それでも石は目立つほどに小さくなっているわけであるまい。更に次回に何万年が続く……とうとう粉微塵になる時がきたところで、その粒の一つ一つには永い歴史の記憶が含まっている。(p.36)

日野啓三「石の花」

石を集め出してみるとそれは思いがけなくきれいな鉱物があって、そのうちにこんな石の話の花園ができてしまったんですね。石の花なんて言ったって、死んだ石ころじゃないかとおっしゃるのですか。まあ、そんなことを。結晶もスクスクと成長するにでございますよ。(p.139)

「物質の深みに封じこめられている何かと、われわれの意識の奥に閉じこめられている何かとは、もしかすると同じものかもしれない」「わたしたちが石の花を育て咲かせようとしていることは、そうすると、わたしたち自身のなかの新しい何かを解き放つことでもあるのですね」(p.140)


詩歌ブロック

オハマ族の歌「岩」

かぎりなく遠い むかしから じっと おまえは休んでいる 走る小路のまんなかで 吹く風のまんなかで(p.135)


2025年3月16日

木村重信「石と日本人についての芸術的考察」(『日本人と石』より)

株式会社エス出版部より編集・発行された『日本人と石』(1992年)は、「第1部 心」「第2部 技」「第3部 西洋との出会い」の3部に分かれて、石に関する信仰・芸術・石造技術・建築を中心に構成された全144ページの写真集である。

今となっては出版意図がつかめないところがあるが、バブル崩壊直後、出版不況の入口に立ちつつも、英対訳を載せた豪華版で西洋文明の公害化に対する警句も散りばめられた一種の時代感がふんだんである。

巻頭言を飾るのが国立国際美術館長の木村重信氏「石と日本人についての芸術的考察」である。これが短文ながら、石と人間の関係を芸術分野から考える際の有効な資料となるので、次の記述を紹介する。


日本の芸術家は、石に対して付加する述語ではなく、主語である石そのものの実存を問題にする。したがって欧米の彫刻がひとつのコンストラクションであるとするならば、日本の石庭はかかるコンストラクションを否定し、いわばアレンジするだけである。欧米的芸術観ではアレンジしただけでは芸術にならず、コンストラクトして初めて芸術となる。しかし日本人はそうは考えず、アレンジメントこそ重要な芸術的契機であるとする。(略)アレンジメントには、いけばなの場合も、石庭の場合も、自然のものをどのように組み合わせても、もの自体は自然を越えることはできないという考えがひそんでいる。(同書p.13)


「日本の芸術家は~」「日本人は~」などの主語が大きく、学術的にデータを明示した論拠になっていない。言い換えれば西洋=人工、東洋=自然を貴ぶとする1992時点の構図であり、それ以降相対主義が進んだ2025年現在では人口膾炙の文明観と言えるが、アレンジメントの概念は今なお参考となると思う。

自然が主語であり、アレンジメントは自然を越えることがないという木村氏の見方は、そのまま、自然の石のままの方が芸術になりうるという許容を生み出し、なぜ自然石の石肌をそのままにして置いたか、石を動かしても自然芸術として鑑賞されたのはなぜか、の回答となる。

また木村氏は、自然がもたらす「偶然性」が鑑賞者に自由を確保することにつながり、鑑賞者の感受性や想像力いかんで芸術としての価値は大きくも小さくも変化し、その鑑賞作用によってある人には作品となり、ある人には作品となりえないというところに自然の美があるという鑑賞観を提示している。

美の認定も人の心理ありきで、自然物は「偶然性」が「美の訴え(契機)」となる論理は、自然石信仰を含めた自然石文化を考える上での重要な指標となるだろう。


2025年3月4日

佐藤宗太郎『石仏の解体』(1974年)メモ

『石仏の解体』目次

佐藤宗太郎『石仏の解体』(学芸書林 1974年)は、石仏に対する世間の風潮に疑問を呈した本として読む前から注目していた。

思想家の吉本隆明が序文を寄せ、「なぜ対象は<石仏>でなければならなかったのか? <石>の造型でありさえすれば何でもよかったのではないか、というαでもありωである問いが、佐藤宗太郎にのこされるようにおもわれた」(p.13)と、佐藤氏が石仏に惹かれてしまった主観的な部分と冷徹に石の要素を構造化しようとした二つの心の葛藤で書かれた作品と評する(この序文は、本文を読んだ後に読まれるべき性質の文である)。


当時、佐藤氏は石仏を撮る写真家だった。最初は石仏にただ惹かれて写真を撮り続け、誰かのセンチメンタルな言葉を借りて石仏をわかった気持ちでいたが、その危なさに気づいて本書を書くことになった。

本書に通底するのは、石仏を自分の心の慰みものとして叙情的に語らず、あるいは仏教的・美術的など一角に寄らず、石の「造形(かたち)」を細かく分解・分析して、石と石仏の精神的関係を追い求めようとした思索である。

「石仏」を「磐座」「巨石」などに替えれば、恐ろしいほど現代人が再生産している人の性(自分の主観を対象に重ね合わせる)に対する忠告と言える。


本書の読後感としては、たとえば第1章はインタビュー形式で構成され一見平易に読めるが、「~的」「~性」などの抽象的な語彙がふんだんで、それぞれの語彙の定義がはっきりしていないため読みながら意味をとりづらい部分がある。佐藤氏自身が本書を書きながら思索を重ねているからだろう、本書の前半と後半で考えを訂正している箇所さえある。

また、石仏の事例は多く取り上げられ具体的だが、核心に触れる部分はデータ(石仏のポテンシャルを数値化するくだりはあるが、主観を数値化したものなので定性)に基づいた話ではなく随想・直観による論旨のため、言い過ぎや意味を持たせすぎの面もある。佐藤氏自身は章題に「私情」と書いており自覚的と思うが、言語化されていないものを言語化し過ぎようとしていて、すべてに意味を持たせようとしたことが逆に正確さから離れるように感じた。

したがって、万人が読んで納得するものとはなっていないが、本書の石仏を巡る哲学的提言は現在も未解決の問題提起ばかりである。そこに本書の唯一無二の意義がある。

ということで、あくまでも岩石の精神に関する部分に限って、以下注目すべき記述を引く。


「何気なく、ただひっそりとたた佇む名もなき石の仏」「その姿や表情の素朴な美しさ」「言うに言われぬ親しみ」「石仏に接すると心が洗われる」「石仏はこころのふるさと」等々々――。これらは石仏を愛する人々の言葉である。実は筆者が石仏行脚を始めたころ、既にそのように言われていたし、筆者も当初は全く同じ言葉を使って石仏を賛美していた。だが、こうした石仏の愛し方や見方は間違いではないけれど、本当に石仏の価値や内容を認めていることにはならないのではないか、という気がしてきた。愛するという心情におぼれてはいけない。愛すればこそ対象の本質を真剣に考えねばならないと意識した。(p.11)

本書のきっかけを記す一文。石仏を題材とするがそれにとどまらず、どのような研究テーマにおいても、研究者が研究対象に対して抱かないとならない境地として読める。


簡単にいえば「石仏」が安っぽく落着いてしまっていることです。<石仏なるもの>は<こういうもの>だと何んとなくわかってしまったような風潮が感じられることは、正直に言って愉快なことではありません。(p.14)

世間のイメージに迎合した理解や、辞典的な理解で一つの概念を終えようとする危うさが「こういうもの」の表現に込められている。


自分では一応現代人――近代的な感覚・認識をもって生きているという意味でですが――それが「石」に対してある種の<感応>をもったということが、自分なりに非常に興味深かった。しかしそれが何故なのか、何故「石」が生き生きと、激しくこちらに迫ってくるのか、よくわからない。それで何んとしてもそれをわかってやろうと意識し出した。(p.31)

佐藤氏なりの石への感情の言語化が見られる。生き生きとしている石、生気を持つ石を感受するというケース。近代合理主義的な理屈を抜きに、佐藤氏が受け身的に惹かれるという構図である。


石仏を始めたときからわかっていたんですが、行脚が深まるにつれて、それが想像以上の数量なんで、本当にびっくりしました。数量それ自体が日本の石仏の性格を表示する一種の「質」を示している感じ――いわば「質量」の大きさとなって迫ってくる感じでした。(p.36)

石仏の数多あるところに人々の生活をみる境地と佐藤氏は述べるが、量の多さが質を示すというのは、私も岩石信仰の事例に毎日のように出会って「思い」の質量をつくづく実感する。


岩に対っていった昔の人達の造形意欲とか、あるいは岩に対わせた理念とか精神力の激しさとかに対して、現代人であるわれわれのある種の<弱さ>というものを痛感して一層無力感が強まるんです。(pp.59-60)

佐藤氏は、だから弱さをカバーするためにひたすら石仏に時間をかけて訪ね、写真を収め、渉猟するのだという。これでも、昔の人が持っていた信仰や祈りの精神からは遠くかけ離れて、やはり無力感に悩まされるというのは、信仰心をもたない研究者全員が同じ思いだろう。


私は石仏の<宗教的内実>を考えるに際して、<宗教性>と<彫刻性>と<自然性>の三つの概念を柱とする<立体構造>を想定した。(略)<自然性>とは石仏を思考し、かつ論ずる場合に絶対に捨象出来ない<相>である、と私は確信している。これを除外すると、石仏が石仏でなくなってしまうからである。(p.105)

p.182にこの「石仏の概念立体構造図」が掲載されており、先にこの図を見ながらのほうが理解しやすい。

三角柱の概念図であり、研究者はどの角度と視野で三角柱を横から見るかという点で多くの示唆を与える。そして、三角柱の底面こそが造立者が見た視点であり、研究者からは見えない「世界の相違」という諦念にも似た問題提起がなされる。


岩と石の性格の違いは極めて大きい。<岩>とは大地の骨のごときものであって、その現示の様相の一端が岩壁であったり岩盤などである。岩山の無限の奥行。絶対値では示しえない大きさ。それを考えただけでも<岩>は個体ではない。<岩>は人間的なスケールでは測りえない無限性をもつ。<岩>は確かに実体として見えているが、同時にその無限性において、一種の<空間性>を兼備している。(略)<石>は岩山から分離して生じたものである。その分離のしかたによって、その<石>の性格が著しく異っている。(p.132)

岩と石の違いを説明する節で、ここは長いため補足的にまとめる。

佐藤氏は岩石を「岩ー岩塊ー自然石ー不定形石材ー定形石材」に分類する。これは一種の序列にもなっており、左から右の順で「自然性」が希薄になるという。「不定形石材」は、自然石の姿形をある程度残したまま石材として用いられる石であり、そこには自然性が宿るという点で注目すべき概念である。

前掲記述のとおり、岩は無限性そして空間性をもつ。岩から離れた石は大地から離れた個体となるという点で、岩とは異なる性質となる。

たしかに大地から動かせない岩は、大地を込みにした不可分の存在であるから、空間的であると言えるだろう。ならば、岩石信仰の要素の一つに空間性が認められるのは確定とみてよい。

ただし、石と岩の歴史的な語義に基づいて佐藤氏は語っているわけではなく、古典における石・岩の使い分けや語義については定まっていない。

したがって、このくだりは「動かない岩石」と「動かせる岩石」の持つ、それぞれの岩石の特性を指摘したものと受け止めるのが適切である。


<岩>はあくまで自然そのものとして存在し、<石>は自然に抵抗して存立する。強いて言えば、<岩>は原始に位置し、<石材>は文明を背負ってきた。<岩>と<定形石材>の中間に位置する<自然石>や<不定形石材>は、そのあつかわれ方によって、原始性も文明性も保有することになる。(p.135)

岩は本来的には不変ではなく絶えず変化している物質だが、人間の尺度から見たら不変である。このように岩には人間的尺度・生物的尺度を越えた不変性があり、だからいつの時代の人間から見ても岩の姿には原始性(原初性)が宿る。

そんな岩から離れた石は、堅牢な物質的特性をもつことから、以後、石の外部の自然から影響を受けにくい存在として、自然に抵抗する役目を担うという逆説性を帯びたのだと説く。


岩があっても、必ずしも磨崖仏は刻まれはしないのである。実際的にみて、わが国の摩崖仏は全国でおよそ二百ヶ所程度である。それに比べて自然の岩や山に対する信仰――即ち宗教的な意味性が確立した自然空間のの実例は数え切れないほどである。しかも、それらの多くは、摩崖仏を刻むに適した条件を備えているのである。これらのことは至極当然のことであるが、摩崖仏の造顕の意味を考えるとき、深く認識しておく必要がある。(p.143)

なぜ磨崖仏が彫られた岩石と、見逃された岩石があったのかという、あまり他に見ない問題提起であり当然未解明のテーマである。


<仏像>と<岩>とでは明らかにその<世界>が違う。一方は観念的空間であり、他方は現実の存在感によって支配される――言わば<実質的>な空間である。(略)<岩>のカミ(あるいは霊)は仏像として造形化されて、はじめて確かなイメージとなって顕現した。<仏像>は<岩>の無限の<質量>によって現実的な実体感を得、その位置する世界を観念上の空間から、より実存的な空間に位置をかえた。相異なる信仰、相異なる世界の重合。(p.146)

磨崖仏がなぜ自然石に彫られたのか、両者の相乗効果を端的に記した箇所になる。


<岩>は自然としての存在そのものであり、空間的である。<共同視覚的>発想をするなら<岩>はすでに<他界>に位置していると言えよう。その意味からも、<岩>自体がすでに宗教的な存在であるといっていい。その意味でさらに極論すれば、自然性を即宗教性と考えてもいい。(p.169)

岩は空間的で、生活のムラを起点とする共同体の人々から見ればそれは「他界」に属したという論理で、石ひいては外界の自然界は宗教性を帯びたと発展するが、おしなべてそう言えるかというとちょっと言いすぎか。推測に推測を重ねて論理が進むため、土台の根拠をどこまで信じていいかで本書の後半の受け止め方は一本の筋のように心細い。

佐藤氏は縄文時代から石の信仰は連綿と続くことを例示の一つとしているが、持ち運ばれ並べられた石が石の信仰(石が信仰対象か)と呼べるかは批判の余地があり、また、大地に根差していない石に、佐藤氏が言うような宗教性の要件たる空間性・他界性をもっていたとする証明にはなっていない。

さらに、神聖視・特別視されなかった岩も無数に存在しており、それらの岩に対する補足説明が要るだろう。それらの岩は記録が失われただけか、岩の宗教性を感じとれなかった人の感受性側の問題か。つまるところ、自然・岩に自ずとおしなべて宗教性は宿るのか、その宗教性を感受できるかできないかの人の間の認知の差なのか。


造像の志向性が優先し、それによって<岩>本来の宗教性が阻害されているようにみえる。強いて言えば、仏師達の高度な技法が<岩>を単なる素材と化してしまっているのである。彫りすぎである。私はそのところに臼杵磨崖仏の<岩の造形>としての一つの欠点をみる。(p.174)

臼杵磨崖仏は「彫りすぎ」とする評である。美術的観点に裏打ちされたものと受け止めるべきか、佐藤氏の主観として閑却するか、私にはわからない。定量的なものではない「美」の領域の扱いかたにかかわる。

これに関連して、佐藤氏は岩から離れた独立石仏の場合も、岩より自然性は希薄ながら、自然と人為の調和による美があるとする。すなわち、人為が自然を殺しているとは限らないということである。

人間が自然をさらに美にしたいと思い、自然に手を入れつつも、一方で、手を入れない部分もあった。それが「成功」したかどうかは、本来的には作り手にしかわからないが、つくられたものを見る「受け手側」が各々生み出す美の認識も実際として存在する。

難しいのは、それらの認識が必ずしも言語化の形をとっていないだろうことで、それをどこまで文章化できるのか。そして、文章化することが他人を表現するという点において正確なのかという疑問が私にはある。


鎌倉時代以降になると比較的硬質の石材を刻む技術の発達によって、<石>の自然性がほとんど無視されたような石仏も多く出現してくる。そこでは<石>は完全に素材化し、ノミに対して全く抵抗感を示さない。つまり<石>の内面性は彫技によって阻害され、ただ単に<石肌>という表皮的な感触性として<石>の意味があるだけなのである。(p.177)

鎌倉時代の前と後で、石仏がこのようであると言い切れるかどうかは要審議である。


石材は運搬可能であり、石工が自分の工房で石仏を刻めるし、労力も技術も惜しまず使える。つまり職能者として日常的な自分の<空間>で仕事が出来る。だが磨崖仏はそういうわけにはいかない。絶対なる<存在>である<岩>――その支配する空間、つまり非日常的な<世界>に入って仕事をしなければならないのである(しかも彫刻に困難な硬い岩に対って……)。そこでは岩はすでに<神>であり<仏>であるのだ。それに対って像を刻むことの、その行為自体がすでにある種の宗教的営為であり、宗教的営為としての意識を石工に要求している。(p.283)

他界たる空間内の岩で彫ること自体が宗教的行為であるとする。

佐藤氏は石仏造立を全国的におこなった主体を宗教者の聖たちに比定しているが、宗教的行為を行う石工も宗教者と同等である。

岩石における宗教性の追究が本書のテーマであるが、岩石に対峙する人間側においても、宗教的なものは宗教者のみの専売特許ときっぱり分けきれるものではなく、生活の延長線上の行為に宗教性が帯びうることを「空間」の違いで喝破した一文と言えるのではないか。


2025年2月24日

高木寛治『石に救われる―石の書―』(2024年)書評

岩石の哲学に関する新著として、高木寛治氏の『石に救われる―石の書―』(吉備人出版 2024年)を読んだ。


高木氏はイワクラ学会理事として知られるが、氏の刊行歴に「石と在る」を見かけた時、ブログ「石と在る」の方だと初めてつながった。

「石と在る」は2005年~2008年に更新されていて、ブログ自体はまだ残っている。投稿内容を見れば石への造詣の深さは一目瞭然で、石を哲学的に思索する方として当時からとても気になっていた。このような形で邂逅できてうれしい。


2003年刊の第1集『石と在る』から、2023年刊の第5集『石を祀る―神々の里・総社のイワクラ(磐座)―』までの発表済み文章の自選という形をとる。

2024年の書籍と紹介するには高木氏にとっても古い言説も含まれると思うが、高木氏の言を借りれば「執筆から二〇年近い年月が経過したが、石に対する想いはほとんど変化していないことに驚くとともに安堵もしている」(p.45)の一文もあり、自選であることから2024年時点の一人の石好きの言葉として受け取ることができるだろう。


石の本の集成

高木氏の本書のもっともありがたいところは、古今東西の石の本を類を見ないほどまとめきり、本書に収録したことである。

私のように、岩石信仰に関する本だけでもない。一般的イメージの、岩石学・鉱物学からのアプロ―チだけでもない。

地学などの理系の石の本から、歴史、詩、小説に登場する文系の石の本まで、分野関係なく「石と人との関わりについて全体を展望する意図があって書かれたと思われる本」を蒐集している。


たとえば高木氏は水石(鑑賞石の山水景石)をきっかけに石拾いを始めたが、当時の水石ブームのなか高価で売買されていた風潮に異議申し立てをはかり書かれた河野宗一『石と人生』(私家版 1968年)、石仏に魅せられた自分に内的矛盾を感じて作品化したという佐藤宗太郎『石仏の解体』(学芸書林)、石狂・石道楽と称されて崑崙山を模した石崑崙を築いた石井金三朗『石崑崙』(私家版 1935年)など、まったく知らない石と人のディープな本が紹介されている。

数例を挙げるだけでも、それらを蒐集した高木氏の視点の独自性が窺われるだろう。

石の本を蒐集する+石に関する随筆を書くという両輪で、石と関わってきた著者。

高木氏の著書で知り、私が新たに買った本は次のとおりである。

  • 久門正雄『石の鑑賞』理想社 1954年
  • 河野宗一『石と人生』醇和同窓会 1968年
  • エス出版部『日本人と石』1992年
  • バード・ベイラー『すべてのひとに石がひつよう』河出書房新社 2017年
  • 白水晴雄『石のはなし』技報堂 1992年
  • 佐藤宗太郎『石仏の解体』学芸書林 1974年
  • 岩田慶治『草木虫魚の人類学―アニミズムの世界』講談社学術文庫 1991年
  • アンドレ・ブルトン『鉱物』国書刊行会 1997年

本書によって多くの石の関連本が散逸せず、高木氏に感謝しかない。


拙著『岩石を信仰していた日本人』も紹介いただいており、私のホームページ(2012年の文章ということで旧ホームページ)を以前より注目いただいていたとのことでありがたい思いである。イワクラ学会誌に私の論稿があればもっと良かったのではないかという過分なお言葉もいただいているが、私とイワクラ学会の関係は前記事に書いたとおりでご容赦願うしかない。

岩石祭祀事例集成表に粗密があると記した私の「言い逃れ」にも注意深く確認をいただいており、岡山県の場合は私が62例を挙げたのに対して別文献では岡山県の磐座が101例、「星と太陽の会」の探訪を踏まえると実際は数百カ所に上るだろうとの指摘も具体的でそのとおりと思う。

私が「おわりに」で書いた文を長めに引用していただいている。なぜ岩石信仰に興味を持つようになったのかという書き出しから、岩石の哲学的なアプローチを今後深めていくという決意表明の部分である。それから14年、一応このような形で宣言どおり哲学的アプローチのインプット中である。

感情を入れないように書いた本でわずかに感情を込めたのが「おわりに」なので、高木氏の求めるところと符合したのだと思う。昔書いた文章なので今は青臭さで恥ずかしいが偽りはない。

高木氏も書中で「いつごろから、なぜ石に惹かれるようになったのか、今となっては定かではないが、人の生活の根源をかたちづくっている石が、動物や植物、天候などの他の自然要素に較べ、多くの人から関心が払われる度合いが少ないことが背景にあるような気がする。石に関する書物は、店頭でもほとんど見かけない。」(p.159)と書いている。私の「おわりに」と通じ合う部分がして同感を得たりの思いである。


石の出会いときっかけ

高木氏は石に惹かれた時の自身の精神状態を、もったいぶらずに言語化している。

「『存在の不安』に根差している」(p.10)

「たまたま立ち寄った『石』の盆栽とも言える『水石展』で、形容しがたい石の自然美と沈黙、そして多様な形態を備えた不動の、静寂の中の、小さいが堂々とした存在に、なぜか心惹かれる思いがしたのである。」(p.11)

そして、高木氏は自らが石から離れられなくなっている理由を、自らの内面のみならず、古今東西の先達の本が記した「言葉」からヒントを得ようとしている。


その言語化に大きく寄与するものの一つが「石をモチーフとした詩歌」であり、たとえば加藤克己『石百歌』(四季出版)はその書名のとおり百首を越える石の短歌が収められ、とりわけ高木氏の石のイメージを豊かにしてくれたらしい。

使われる言葉が難解でなく、短く端的に表現される詩歌は「処世訓」にさえなったといい、高木氏はそのような詩歌に出会ったらノートにずっと書き留めていた。書き留めることで、自分の感情の解決に必要な時に引き出せるのだろう。

先出の加藤氏は自らの石の歌に対して、石は自分の生命そのものを宿したものと表したというが、その点で岩石が人間の写し鏡であり、岩石を通して人間を語っているに相違ない。

形式は変われど、私がブログで本書も含め、各種の記録を行うのと同じかもしれない。


生活の中の石

当ブログをお読みの方なら磐座・巨石信仰に興味のある方が多いだろうが、高木氏は水石と石拾いから磐座へ関心を広げた方なので、その関心領域は石の総体である。

信仰の石に関するものなら、次は古墳、墓石、石仏、石塔、石碑というところか。それにもとどまらない。

信仰や精神世界と一見無縁と思われやすい、生活の中の石にも着目している。


石垣

  • 城の石垣や石塁や石蔵だけではない。
  • 氾濫や洪水から防ぐための河川の石垣
  • 石垣の壁の家
  • 石垣の塀
  • 石垣でできた突堤
  • 田畑を守る石垣
  • 猪垣

その他の石

  • 石橋
  • 石段
  • 石畳、石敷きの道
  • 漬物石
  • 軽石
  • 砥石
  • 硯
  • 石臼
  • 力石
  • 鉄道線路の敷石
  • 投石 遊びとしてのつぶてから、儀式・戦争に用いられた石投げ、投石具、石弾まで
  • 硝石 爆薬の原料
  • 宝石
  • 薬石 鉱物から薬品や化学物質を取り出す
  • 温石
  • 碁石
  • 石焼き芋


子どもの石体験

山田卓三・編『ふるさとを感じる あそび事典 したいさせたい原体験3000集』(原体験教材開発研究グループ 農文協)には「石体験」の種類として次が挙げられるという。

  • 石に触る
  • 石のにおいをかぐ
  • 石をなめてみる
  • 石をたたく
  • 石を探す
  • 石を並べる
  • 石を割る
  • 石でたたく、つぶす
  • 石で絵や文字をかく
  • 石の上を歩く
  • 石で水切りをする
  • 石で的当てをする
  • 石けりをする
  • 岩登りをする

子どもを対象とする研究では、ヒトの先天的な精神・感覚の発露とみなす評価がある。

その点で、石の原体験という視点は興味深い。

高木氏はそれに加えて、「石を積む」「石で何かを模して玩具、置物、芸術作品にする」「石を熱くする」も提案している。


また、高木氏は子どもの頃に不思議に思った石について以下の事例を述懐している。

  • 軽石 石といえば重いイメージなのに軽いのが不思議だった。
  • 石炭 燃える石。蒸気機関車の時代には駅には石炭が山積みで、宝物のように思えた。
  • 磁石 川原で砂鉄を集めて遊んだ。石といいより金属の一種。
  • 化石 高い山の上に、海中生物の歴史が石の中に閉じ込められている地球のダイナミズム。なにもかもが石になっていく自然の摂理。
  • 鍾乳石・水晶 子どもながら欲しいと思った。
  • 蝋石 コンクリートや石敷き面に絵や文字を書いて遊んだ。
  • 硫黄 祖母や母が庭で硫黄を使って強烈な臭いと共に干瓢づくりをしていた。
  • 隕石 大人になってからも、隕石伝説に出会う。


これらの中には、大人になってから岩石の一種であると知ったものもあるという。

近代科学における岩石の領域とも言え、近代科学以前では石の概念に入らなかったものもあるだろう。その点で、どこまでを原初の人が石とみなしたものの精神と見るかには多少の腑分けや注意がいりそうではある。

それでも、高木氏の子供時代の生活体験の豊富さは、かつての石と人の関係を現代人が想像するに参考となる。

「当時、舗装された道路などほとんどなく、空き地もあちらこちらにいっぱいあった。そして、そこらには大小の石ころが無数にあった。しかし、今、世の中はうつろい、地面の多くが疑似石などで覆い尽くされ、それらの『石』はいつのまにか、すっかり身辺から姿を消してしまった。」(p.54)

そのように石がありふれていた時代に、特別視・神聖視された岩石とは何だったのだろうかという興味がもたげてくる。

少なくとも、現代、石の体験に乏しい私たちが物珍しさで驚くような巨石・磐座との感覚とはまた異なるだろうことは想像できる。


体の中の石

「私には、動物の体の中の『骨』や『歯』、体を覆う亀の『甲羅』、貝や蝸牛などの『殻』は、一種の石ではないかと思えて仕方がない。」(p.40)

硬さの象徴、白さの象徴としての石というだけの随想ではとどまらず、高木氏は後漢末の成立とされる『釈名』の「地は石を以て骨と為す」も紹介している。石と骨の同義を説くものであり、久門正雄『石の鑑賞』(理想社)では石の異名を「地骨」「山骨」「山体」「天地の骨」と称し、天地をつなぐものを「雲根」と称したのは、すべて人が石を自然界で見立てた精神観である。


高木氏は医師としての知識から、体内をめぐる鉱物と人の関係にも注目する。

動物は石を作ることができるという次の例示は、氏ならではの観察眼、本領発揮と言える。

耳石は、内耳の耳石器にあり、体の均衡を保つもの。

結石は、詳しくは尿路結石、胆石、唾石、扁桃結石、静脈結石、膵石、胃石、腸結石、鼻石、歯石に分かれ、詳細の成因は異なるという。

体内の石も、重要でもあり有害にもなる二面性を語るもので、体内の石が人に牙をむいた時、真摯に向き合うことが石との付き合い方に通ずると高木氏は述べる。


自然石を動かすことについて

水石にせよ石拾いにせよ、それらは自然石の本来あった場所を移動して、場合によっては一部に手を入れて加工・切削され、置かれる場所も人の意図によっては配置される。

自然石を愛でるとはいえ、これは本当の自然を対象とした精神といえるのかという疑問はある。

これについては、高木氏が古本で見つけた内藤濯『未知の人への返書』(中公文庫)の中の作品「石を前にして」の記述に一つの答えがある。日本庭園における庭石や飛石の置きかたについての考えである。孫引きとなるが下記掲載する。

「飛石をならべたのは、むろん人間である。だが、この場合は、自然が人工を見えなくしているのである。あるいは、自然が人工を美しく生かしているのである。自然の生き方――ひいては石の生き方と、人間の自然の生き方との調和ということがもし考えられるなら、それこそ美しさの絶頂であろう」(pp.172-173)


高木氏の石の哲学

本書における核心部分の記述は以下にある。

「人類の営みの全体が、石の増殖への協力加担ではないか」(p.48)

「石のなかの原子力までもとりだしてしまった人類は、今、すこし立ち止まって、見えない石(宇宙)の大きなたくらみがひそむ『石の夢』の分析を行ってみる必要があるのではないだろうか。そのためには、石との対話を深めていくことが避けられない」(p.49)

「石の夢」とはシャルル・ピエール・ボードレールの同名の詩から借りた表現であるが、高木氏は澁澤龍彦が言うところの「石は大地という源泉に所属する」という石の哲学や、栗田勇の「1個1個の石の中に神の世界、夢の世界がある」という言説を受けて、こう結ぶ。

「いわゆる石(宇宙の要素とみなしたい)は生きている、石は人智では、理解の及ばぬ深いたくらみを抱いているのではないかとの想いがふくらんでくる。」(pp.255-256)

石は宇宙の要素として生きていて、それぞれの石は生物時間とは異なる経過の中で生きるように夢見ていて、石の中で夢が無限大に増殖している、それを人間は1個の石からどれだけ受け取っていけるかということと私は解釈している。


高木氏が著書で繰り返し引用・紹介する記述の一つに、絵本『すべての人に石がひつよう』訳者の北山耕平のあとがきがある。変化の時代には自分の石を見つけて、その石と共に残りの人生を歩むことで、地球由来で小さな地球ともいえる石が記憶装置となってくれることの心強さを伝えている。

高木氏も本書の「おわりに」で、国民1人1人が、自宅内やベランダにでも置けるような手ごろな石を持つ習慣を提案している。それより良いとするのが、近くに参拝するような磐座を再発見することというが、これは住んでいる土地によるだろうとして手元の石を推奨している。

これは現代にゼロから創られた文化ではなく、武士の家の生まれだった津田左右吉が誕生日の祝いには小さな石が1個添えられ、毎年の誕生日では常にその同じ石を用いたそうである(長田弘『本に語らせよ』幻戯書房 2015年)。その人の一生の石という風習についてどこまで遡るのかは研究が不足している。


人類の歴史の99%は石器時代ということで、高木氏は石と人の不可分な関係を説く。

たしかに、人と石の関わりは「石器」という二文字が放つ一般的イメージ以上に、単なる加工と利用の関係にとどまらない。高木氏が引用する岩田慶治『草木虫花の人類学―アニミズムの世界―』(講談社学術文庫)にあるように、代々研磨加工、そして労力を重ねられて光沢を放つ石器はもはや宝器や精神的象徴のようなものである。

しかし一方で、石器時代というのは石器、つまり石が腐らず地中で残りやすいからこそ考古資料として残りやすいに過ぎない。

ヒトは石だけでなく、身の回りに存するものをすべて利用に用いていたはずで、草木との関係、水・風や日々変わる天候、そして虫から猛獣にいたる他の生物との関わりなど、これら有機物は残らないから結果的に石のウエイトが大きく見えていないかにも気をつけたい。もちろん、そういった石の遺存性自体は注目するに値するが、やや歴史を俯瞰する現代人視点に囚われている。

子どもの原体験として石に触る、石のにおいをかぐ――の例が挙がったが、それは赤子が身の回りのものをすべて手に取って口に入れるがごとく、石に限らずおこなわれたことだろう。そしてそれぞれの自然物や身の回りの「物質」から感受する精神があって後天的な知識・経験の獲得につながっただろう。

私は、他の自然物とは異なる、石からしか得られない感受・精神とは何だったのかを追究していきたい。

そして、石に感受しなくても石を利用することはできる。人間社会の中で、感受した人に倣えば石の使い方は模倣できるからだ。岩石信仰でさえ、真の意味で信仰心を感受できたのは一部で、社会の序列の中で石に感受しなくとも建前として石をまつった人々もいた。

「石は、成人に達した人間の大多数をすこしも立ちどまらせずに、そのまま通りすぎさせてしまうわけだが、それでも万が一ひきとめられるような人がいると、もう、とらえられて放さなくなるのが常である」(p.191/アンドレ・ブルトン『石の言語』より)のである。

石を利用することは数多あれど、石にとらわれて離れられなくなる人は、また別の精神なのである。

石を利用することと石を感受することは異なるという視点で、石と人のある種純粋ではない関係も見ていかなければならない。

その際には、あまり近代科学以降の知に寄りかからないようにはしたい。西洋を石の文化、日本を木・紙・水などの文化と対置する、あるいはそのアンチテーゼを問う言説などもその一つである。しらずしらず、自分が「最近」のだれかの言葉で語ってしまわないためだ。


2024年2月25日

大嶋仁『石を巡り、石を考える』(2023年)学習メモ

大嶋仁『石を巡り、石を考える』(石風社 2023年)を読んで、今後の研究につながる部分を記録したものである。

大嶋仁氏は、日本比較文学会の会長を務めた人文学の研究者で、氏にとって石をテーマに扱った研究は本書が初となる。

大嶋氏自身の生涯の中での石の関わりや世界各地の石の遍歴を含んだ内容でもあり、氏の岩石の哲学が込められた1冊となっている。


1.本記事は個人的メモのため、読ませるように文章を整理できていない。

2.岩石信仰と関連する部分で今後有用と思われる情報を中心にピックアップしたため、本記事は必ずしも本書の要点をまとめたものとはなっていない。


本書を書くきっかけとなった動画

著者(以下、大嶋氏を指す)が岩石や地球に興味を持つようになり、本書を書くに至ったきっかけの動画が紹介されている。

著者がこの動画から得た学びを列挙する。

  • 地球が作り出す電磁場が地球を守っており、地球の存在が少しも安泰ではないこと。
  • 地球の様々な活動が熱、電磁場、大気、水、そして生命を生み出したこと。
  • 自分に来ている世界が地熱の上にあると実感できること。
  • 地球の終焉、人類の絶滅を淡々と語るところに無常観を感じさせるが、感情を廃して科学的態度で貫かれている。


ガリシアの石

スペイン北西部のガリシア地方は雨が多く湿潤な気候である。ガリシア地方には岩山が多く、石工の数も多いという。

ガリシア地方の町は石に彩られており、特徴として石がざらざらしていて磨かれていないことに著者は注目する。

磨く技術がなかったのではなく、磨こうという意思がもともとないのだ。磨くとは粗削りな表面を消したい、化粧をさせたいということである。磨きたくないとは、粗削りなままでいい、化粧をしてはいかんという意味である。

これを、無意識のうちの石の信仰ととらえる。そして、多湿な気候のため粗削りな石が黒ずんでおり、水の信仰にもつながるとみている。著者の言葉を借りれば「ここの石は呼吸している」という表現になる。


巨石文化とケルトは関係ない

ドルメンなどの巨石文化はヨーロッパの西外れの大西洋沿いに位置し、これはケルト文化圏と重なる。

しかし、ケルトの出現はドルメンより後なので時代が異なり、本来は関係がない。

ケルト人はそれ以降にヨーロッパへ来た人々に追われたため、ヨーロッパの「最果て」の地である西外れに流れ着いたため、巨石文化の分布とたまたま重なったという説明で足りる。

巨石文化がなぜ大西洋沿いに分布するのかは説明できていないが、ガリシア地方もまた大西洋沿いで湿潤な「水の信仰」の地だった。


石の信仰要因

新石器時代に巨石文化が流行った理由を著者はこう説明する。

地磁気を感じる力は文明の発達とともに衰えたが、それが衰えないようにという工夫が巨石文化となって現れたと見ることもできる。ということは、すでにあの先史時代において地磁気を感じる力の衰えが自覚されていたということで、それを食い止めるために石の力を象徴する建造物が必要だったのである。

石の力とは何か。著者はそれを物理学的に説明すれば地球の磁力であるとする。小石であっても地球の磁石としての微小部分を担っていて、さらに巨石となれば一つの地磁場となる。

動物には本来磁場を感じとる力があり、現代人にはその力がほとんど失われてしまったが、新石器時代人は現代人よりその感度が高かったはずで、岩石、特に、巨大な岩石であればあるほどそこに宿る磁力を感知し、それを「不思議な力」への信仰としたのではないかという論理である。聖地やパワースポットの誕生も、そのような地磁気を感知する能力によるものとみる。

新石器時代人が現代人より地磁気を感じとる力があったかどうかは未解明で推測となり、無意識で地磁気を感じとったことでどのような心理・信仰となるのかは説明されていないが、岩石信仰を科学的に説明した文として注目したい。


キリスト教圏における岩石の聖性の位置づけ

現代のケルトの末裔に「あなたは石を信仰してますか」と尋ねても怪訝な顔をするだけだろう。よほどのスノッブでなければ、「はい、もちろん」などとは言うまい。「信仰」という言葉は彼らの中では教会、カトリック教会と結びつき、彼らにはそれ以外は考えられないのだ。あのケネス・ホワイトでさえ、聖なる岩を「祭壇」と呼び、カトリックの聖体拝領と結びつけているではないか。

ホワイトは、波が打ち寄せる海辺の自然岩を「あらゆる天候に耐えてきた石」で、フジツボの王冠を被った「年老いた」「聖なる岩」で「祭壇」と表現した。

これは一見、自然を崇拝するケルト文化の心性につながるようで、著者はホワイトを含めたキリスト教世界観に生きる人々が、聖なる岩を神として信仰するわけにはいかず、キリスト教世界観のなかでケルト文化や自然を取り上げざるをえない限界を指摘した。

岩石が神聖であることを語る時、西欧近代化された価値観を脱し、神話世界の言語を手に入れなければならない。


対馬で出会った人々の言葉

歴史というものも岩がじっと見とどけてきたんでしょうから、こりゃもう岩の勝利ですわな。岩にしみ入る蝉の声どころか、歴史まで染み入ってしまう。

対馬の岩の凄みを、対馬が背負ってきた歴史と共に語る大阪からの旅行客。第一印象が岩だったという対馬。著者も同感し、「石が島民を作り、島民が石を生きる」と表現した。

石だけでなく巨木も多い対馬において、著者は島南部の龍良山の裾に広がる原始林を訪れる。遊歩道が整備されているということだったが判然とせず、あきらめて帰った後に地元の人に尋ねると「前はもっときれいでした。遊歩道なんてもの、なかったんですから。」と言われて著者は仰天した。

遊歩道がなかった方が「きれい」だったというその発想。私たちが抱く感覚とはまるで違う。


ロジェ・カイヨワ『石』の評価

『石』は、第1章で中国の石に関する神話や伝説を取り上げ、第2章で鉱石を中心として石の物理的な外形を自然礼賛的に表現し、第3章以降は科学的ベクトルというよりは道徳・思想的な色が濃くなると評する。

著者は『石』を美しい文だが空虚であり、特に石を審美的に見すぎて科学的でないという点で、「石の感触を得られない」と断じた。

著者の興味関心は、岩石を地球史の記録物として、科学的に解読する哲学を追求しようとしている。


宮沢賢治の地質学的知性

著者は、科学的に解読した哲学として宮沢賢治を挙げる。

賢治の詩は、無意識のレベルで言語化された「心象スケッチ」で、心理学研究の対象としての資料になるものとして重視している。

それでありながら、賢治はたしかな地質学的な知識のうえで記述する「地質学的知性」を有しており、それは何なのかというと宇宙から地へ空間的・時間的に掘り下げていく地層学的理論であるという。

このような地質学的知性は他にもフロイトの精神分析が地質学的な掘り下げであったり、レヴィ=ストロースの人類学調査方法が常に下へ下へ、時の不可逆性を重視した点で地質学的であると評価している。

すべてに共通するものとして、地球に表れた地質や岩石、そして人間の個人的な精神から社会集団の行動まで、それらを「地球内部からの手紙」と位置づけ、その手紙を読み解こうという姿勢にあふれているとまとめられる。


石に親しみを覚えるのは、人はかつて石だったから?

人は死ねば土に還るというが、土になった私たちはやがて硬い石へと変貌する。私たちの生は石化し、地中に埋もれる。たとえ灰になっても、同じである。石を懐かしむ詩人には、「自分はかつて石だった」という記憶があるのだ。

ドイツの詩人ノヴァーリスは、鉱山学校で地質学・鉱物学を学び、石を自然界の理念形・至高的存在とみなし、石から鉱物、そして植物、動物、人間が定義されると考えた。

ノヴァーリスに言わせれば、人間は大地が最後に生んだ地層のようなものであり、その意味において、人間は自然界の新参者としての鉱物なのだという。

ここに人と石が地質学的に同系譜の中で語られうる。現代科学においてもデータ至上主義ではなく、目の前の石を見て、科学哲学を地質学的知性で学んでいくことの重要性を著者は説いている。


科学者への警鐘

本書のエピローグで、「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」の松尾芭蕉の句に対し、実際に声がしみ入るのかという著者の問いが記される。

科学者の立場からは、わざわざ句や詩歌を科学的に正当化する必要がどこにあるのかという疑問も起こるかもしれないが、そこに向き合うのが優れた詩人でもある優れた科学者となりうるだろうと著者は考えている。

量子力学の発達した現在、蝉の声の力が見直される可能性はあるのではないか。石が蝉の声を体内にしみ込ませ、それを記憶の貯蔵庫に保存している可能性もある。初めは表面にしか浸透しなかった音声も、それが莫大な数の虫の音声ともなれば、少しずつ深く浸透する。そして、それが何年もつづけば、石の方でもその浸透を許す構造変化を起こし、かくして芭蕉の聞いた「しみ入る」が現実になることも考えられる。

著者は人文科学の専門家であるため、上記の「仮説」がどの程度の核心を突いているか不明だが、岩石と生物、ひいては人間との歴史においても、人々と関わった岩石とそうならなかった岩石での構造的な違いを示唆する問いとなっている。

地球の存立にとって重要な磁力がどこから来るのかを突き止めてダイナモ理論として発表したウォルター・エルサッサーは、理論物理学、気象学、地球化学、生物学と自らの問題意識に沿って次々に専門分野を変えた。それは、自らを科学者ではなく自然哲学者でありたいと考えていたかららしい。

エルサッサーは、原子爆弾の開発・投下によって、科学から自然哲学が終焉したという発言を残した。

著者は、哲学を失った科学が暴走する例を挙げて、それらに共通する過ちは、目の前に見えているもの(光景・人・地球)を見ず、想像せず、数値やデータという高みからはじき出したものをもって判断するというところにあると規定する。

石に目を落とせば、眼前の石を見つけて、石に戻り、そこから時には詩人となって想像力や直観を働かせたうえで、そこに地質学的知性を加えて科学することを現代科学者たちへ提言するのが本書である。


2023年12月30日

映画「君たちはどう生きるか」に登場した石

2023年7月に公開された宮﨑駿監督の映画「君たちはどう生きるか」では、石がさまざまなモチーフとして登場した。けっして石が主題の映画ではないが、妙に石が多用されてあれらは何だったのか印象に残るらしい。作品自体の評価は手に負えないが、石の部分だけ触れておこう。


全体を通しての石の印象

本編序盤で主人公が傷をつけるため拾った石から、中盤の異世界で登場する石、現実世界へ持ち帰ってきた石まで、映画全編にわたって石が散りばめられている。

一見して国内外の石の思想やイメージが混濁していて、おそらく意図的だろうがそれをあまり整理整頓していない印象だ。

物語の流れ自体もカオスだが、石の取り扱いもカオスである。本作を作るのに無数の元ネタが存在し、それらを吸収した宮﨑監督の脳内が開陳されている。

だから気をつけたいのは、たとえば本作を見ると石と人の原初的なものがわかるとか、核心めいた答えをつかめると思うと危ない。

宮﨑監督が人生の中で後天的に獲得してきた石の知のいくつかを、あえて脳内のまま展示したので、私たちが覗き見てカオスをどう秩序付けるかを託されているという立ち位置を自覚しておきたい。


石の塔の構造(隕石・石の主・石の産屋)

石の塔は、作品中で現実世界と異世界を繋ぐ媒体であり、元は隕石として描かれる。隕石そのものは外見的にも物理的にも特殊な石で、わかりやすい異世界からの来訪者である。

石の塔と聞いて思い出すのは心理学者のユングである。

彼は後半生において、石に一種の表現をしたいと思い、石を組んで自分の家を作り、たびたび増築し、その構造物を「塔」と呼んだ。

ユングは一人で集中したい時に石の塔へ駆け込み、本人の言葉を借りれば石の中は生まれ変われる母の胎内のようなものだと表現した。映画を観覧した方なら、石の塔の思想背景に相通ずるものを感じられるのではないだろうか。

石の中から新たな命が誕生するという精神性は他にもある。ローマ帝国時代に流行ったミトラ教の神は岩石から産まれ、台湾原住民の各部族では岩石が割れてその部族の始祖が産まれたという伝説が共有されている。

そんな石の塔の中には「石の主」がいて、石の主と人は契約を交わす関係らしい。元が隕石なので石には破壊的な力を内在しているシーンが描かれるが、石の主が作品内で擬人化されることはない。

その代わり、石の塔の最奥部に「石の産屋」が登場し、主人公はそこで継母と出会う。継母は誘われるかのように無自覚のまま異世界の石の産屋に逃げ込んでいた。

現実世界にいたたまれず、石の中へ退避する。

先のユングにとっても石はそのような「アジール」だったが、万葉集や常陸国風土記にも周囲からの言葉に耐えられない時は石室や石城に籠ろうという歌が残っている。


石の墓

石の中へ逃げ込みたいという思想は、そのまま石の中で死ぬという行為とも親しくなる。岩窟に籠り続けて入寂する仏僧の事例も多い。

異世界の中で、石の産屋とは別で「石の墓」が登場する。ちょうど中盤のカオスな物語の中で唐突に現れる。

見た目は巨石を組んで構築した石舞台古墳かのようである。横穴式石室であればそのまま墓であり、日本神話のイザナキとイザナミの黄泉国神話は横穴式石室の埋葬・追葬儀礼を神話化したものだという説もあるほどである。

主人公の実母は火災で亡くなり、異世界では火を操るキャラクターだった。石の墓に誰が葬られているのかは明示されていないが、火で死に、火の神カグツチを産んだイザナミが想起される装置である。

石の塔からつながる他界は死者の世界として描かれるが、そこから新しい命(ワラワラ)が天井に上ってもいる。それはしばしば「死と再生」という概念で語られるが、国内の前近代の民俗儀礼においては、石に子宝安産を願う事例もある一方で避妊、間引きなどで子殺しを行う事例も確認されている。

石の中で産み、石の中で死ぬ世界が両立しているのである。


石の積み木

作中後半で、悪意のある石と悪意のない石の対比が語られる。

石の塔の主人たる大叔父が積んだ石の積み木を見て、墓に使われるような石は悪い石と主人公が発言した。そこで、大叔父が、積みあがっていない状態の石を別で授け、それは悪意のない石として表現された。この「石の積み木」は、監督が観客にそれぞれの人生をどう生きるかを託すメタファーとして用いられたと考えられる。

積みあがっていない石には悪意はなく、無垢のように思える。だが、人は産まれてから今までの間に、すでに石と何らかの形でつきあっており、石の知識やイメージを後天的に獲得している。その意味で、無垢な石はあり得ない。

子どもなら、産まれて間もないため石に接する経験は少なく、無垢に近い存在として取り上げられるのかもしれない。しかし、人間の認知機能の研究分野では、その人の先天的な認知機能は六歳までの幼児期に確立されるという説もある。

赤子ならともかく、映画の主人公くらいの年であればすでに無垢の存在ではない。

石も同様に、感情をもたない無機物だから無垢のモチーフにされるが、それ自体が思い違いで無垢な石は一種の理想なのである。


主人公が手に取った石二つ

主人公が自発的に手に取った石は二つある。

一つ目は、本編前半で拾った石で頭をぶつけて嘘をついた場面。その時についた傷を後半部では悪意の証と明言する。その場にたまたまあった石を無分別に選択しただけだが、この時点で主人公は無垢ではいられない。

二つ目は、本編最後に主人公が異世界から持って帰ってきてポケットに入れた石。持ってきてはダメな石だが、多少の力なので影響は少ないと作中で解説されている。

川の石をむやみに拾ってはいけないといった民俗は多く、その思想に対する反抗とみることもできるが、これも石の先天的なイメージをむしろ利用している。

つまり、石の塔の主人たる大叔父は主人公、ひいては私たち受け手に無垢の石の理想を求めるが、すでに大叔父に出会う前から人と石の関係は無垢ではないし、大叔父が差し出す無垢と言っている石も実は無垢ではない。

さらにいえば、石の塔の核となる隕石は、自分が無垢でいようと思っても、外来から突如やってくる異質な存在との出会いでもある。石をどのように欲し、扱い、出会いたいと思っていても、外部との関わりなしではいられないし、本作のように論理が非整合的で答えが用意されていない、論理的に世界のすべてが理解できるようになっていない。

石自体が、人によっては他の何かに置き換えできる「無垢ではないイメージ」である。それをどのように置き換えて受け止めるかも個々人の人生である。まさにどのように生きるかを試されている。


初出記事

「路傍の自然石考⑬ 映画『君たちはどう生きるか』に登場した石」『パッション』第73号(2003年9月発行)
※紙幅の関係上、本記事を1ページに圧縮して掲載したものとなっている。

2023年11月28日

『宗教の起源――私たちにはなぜ<神>が必要だったのか』(2023年)学習メモ


注意点

本ページは、ロビン・ダンバー[著]・小田哲[訳]・長谷川眞理子[解説]『宗教の起源――私たちにはなぜ<神>が必要だったのか』(白揚舎 2023年)を読みながら記録したメモである。


1.個人的メモのため、読ませるように文章を整理できていない。

2.岩石信仰と関連する部分で今後有用と思われる情報を中心にピックアップしたため、必ずしも本書の要点をまとめたものとはなっていない。


ロビン・ダンバー(Robin Dunbar)

人類学者、進化心理学の研究者。オックスフォード大学名誉教授。

人間が集団を安定的に形成できる規模は平均150人とした「ダンバー数」の提唱者で知られる。


ダンバーの研究姿勢

文化ごとに、目に映る世界の姿は異なる。だから、別の文化をながめるとき、私たちはただの観光客で、旅の雑感を述べる以上のことはできないという考えもあるだろう。

しかし、このような独我論ではそれ以上の議論を放棄しているし、人類が積み重ねてきた多くの宗教体験に対して、トライアンドエラーを重ねながら修正してきた科学がアプローチできる余地が見過ごされている。


宗教・宗教心の定義は、大きくとらえたい。定義は頭の中にしか存在せず、理解したいのは現実世界の現象にあるからだ。定義のどこかの部分が当てはまれば、漠然な対象なのであるからそれでよしとする。

それを踏まえて、宗教の最小限の定義は「霊もしくは力が存在する超自然的世界に対する信仰」とする。この定義によって、必ずしも神を置かない宗教も含められる。

そして、信仰心は一人でも持てるが、宗教は2人以上が同じ信仰を信じること。そこに社会性が生まれる。


一神教でもアニミズムは生きている。アニミズムが先にあり、そのうえで教義宗教が層のように重なった。

(例)ウィッシング・ウェル(コインを投げ込むと願いが叶うとされる井戸への信仰)


家族や友人が死に接した時、死者がどこかで生きていて、いつかまた会えると思えれば慰めや希望になり、それが霊魂や祖霊や霊的世界の信念につながる。


宗教の起源をトランス状態に求める

宗教の土台は、トランス状態のときに抱く感情にある。

知性で考える理論ではなく、生身で反応する感情から最初期の宗教心は発生した。


トランス状態になるために行う体験を神秘体験と呼ぶ。

このような神秘体験を求める神秘志向には3つの特徴がある。

1.トランス状態に容易に入れる感受性

2.人智を超えた世界の存在を信じていること

3.隠れた力が味方になるという信念


トランスとは「自発的かそうでないかにかかわらず、常軌を逸した心理状態に陥ること」を指す。

覚醒しているが外部刺激に反応せず、通常の感覚はゼロまたは限りなく弱い。身体は激しく動く場合と微動だにしない場合もあり一定しない。

トランスの原形とも言えるのが狩猟採集民族(カラハリ砂漠のサン人ほか)がおこなう舞踊や音楽だが、それ以外にも瞑想や身体的に負担の大きい姿勢や断食、苦痛、暑熱などの儀式もあり、トランスへの入口は多様である。


トランスによって得られる感覚は、暗い穴またはトンネルに入るような感覚というのがどの部族社会でも同じという。また、強烈な光が伴うことも共通の現象である。

ひとたびトンネルを抜けて霊界へ入れば、通常は自由に動き回れる。ただし霊界には、現世に帰還させないようにする悪い霊がいて、帰り口が見つからない可能性がある。トランスに伴う激しい行為で人が死ぬこともあり、その場合は霊界から戻ってこれなくなったと解釈される。

霊界の出口に無事案内してくれるのはだいたいの場合、善良な祖先という。

このようにしてトランス世界から帰還すると、気分爽快、愉快、心が甘くなるなどの穏やかな感情で満たされる。

トランスがどの程度一般的な体験なのかは議論があるが、共通の神経作用で起こるのだから普遍的な現象にはちがいない。


シャーマンの3つの役割

1.生活の不確実性(予言、治療、狩猟採集の成功)

2.通過儀礼および社会的現象(出産、死、結婚、戦争、紛争解決、雨乞い)

3.共同体運営(法的、政治的問題)

このうち、2018年のManvir Singhの実験では、生活の不確実性に対して儀式を行うシャーマンが80%以上を占めることがわかった。

予言が的中するかどうかより、切迫した事態を乗り切る心構えを持たせることの方が重要なのかもしれない。

シャーマンによる効果は、プラセボ効果だったり、用いた薬物や植物に実際に薬効があったりするかもしれない。しかしそもそも相互関係を見つけ出すのは人間の得意技で、効果があるかどうかに科学的な理由を説明する必要はなかった。


宗教が必要とされた因果関係

多くのパターン、要素が想定されるが、最も可能性が高い因果関係を提示。


1.まずは外的脅威が存在

↓

2.それに対して集団の必要性が出る。

↓

3.外的脅威が大きければ大きいほど、集団規模が大きくなる必要があるが、結束しにくくなるので、ここで宗教が求められる。


宗教に変わる何かも想定されうるが、現代において宗教に替わる価値観で人々を連帯させ続けている仕組みがうまくいっているわけではなく、今も世界各地で宗教という枠組みが利用されている。


社会脳仮説

人類がもつ脳は、集団規模が大きくなるにつれて複雑化する集団対応のために社会脳と呼ばれる脳の進化を促した。

特に、知恵を巡らせるときに用いる新皮質は、哺乳類全体では脳の容積に占める割合は10-40%に対して、ヒトは80%に達する。

脳の大きさによって、その種が形成できる集団規模が決まるというのが社会脳仮説。

そして、サル、類人猿が築く集団規模と新皮質の大きさから人間本来が形成できる集団規模が数値的に推測でき、それはおおむね150人となる。

この150という数値は、人間が築いた様々な共同体・組織を研究対象とした20以上の研究でも、おおよそ一個人が維持し続けられる社会集団が100-200人の間に収まると裏づけられた。つまり平均して150人となる。


動物のグルーミングの代わりに、人間は宗教に置きかえた

サルや類人猿は、1日の約5分の1をグルーミング(相手の毛づくろい)に費やす。

社会的グルーミングの真の価値は、皮膚に指がゆっくりと触れる時の感覚にある。このときにC触覚繊維と呼ばれる求心性神経が反応し、この神経は脳に直結しており脳の奥深くでエンドルフィンの分泌を促す効果がある。

エンドルフィンは脳内で働く鎮痛剤で、化学構造がアヘンによく似ていて、気持ちを落ち着かせて幸福感をもたらし、痛みを和らげる。そして副次的効果として、体内に侵入する病原体やがん細胞を発見して破壊するNK細胞を増殖させ、グルーミングしてくれる相手への帰属意識と信頼感も強める。


このグルーミングの弱点は、同時に二つの個体へ行うことが現実的に難しいので、集団規模が広がる人類の場合は、グルーミングに頼らずエンドルフィン分泌につながる行為を模索することになった。

そうして獲得していった順が、笑うこと、踊ること、物語で感情を動かすこと、宴を開くこと、宗教儀式となる。これらは遠隔的グルーミングと言え、集団規模が増えて直接面識がない相手にも社会的やり取りが出来て結束できる手段となった。


宗教、恋愛、美、カルト

宗教的感情と恋愛感情は驚くほど似ている。神に恋するという例が複数見られる。

両者に共通するのは、現実の相手に恋するのではなく、頭の中で理想化した偶像に恋をしているという点。そして、相手との関係に没入するあまり、批判的思考が低下する。そこに、騙し騙されのカルトの構造が生まれる余地がある。


人間に備わるメンタライジング能力

メンタライジング能力とは、自分の世界だけではなく、相手には別の世界があり心があると想像できる能力のこと。

このメンタライジング能力が高い人ほど、宗教心を抱きやすいという傾向が認められる。

一次 「私が思う。」…宗教にならない段階

二次 「あなたがこう思っていると、私は理解する。」…宗教にならない段階

三次 「あなたは神が存在すると考えていると、私は理解する」…宗教的事実の認定

四次 三次+「神が私たちを罰するだろうと私は思う」…個人宗教

五次 三次+「あなたが考えていると私は思う」…共有宗教

従属節を持つ言葉が複雑化していく中で、宗教という抽象概念が理解されていく。


神秘を抱く感覚の科学的根拠

トランス状態に入った仏僧の脳をスキャン装置で調べたところ、左頭頂葉後部(空間的な自己認識に関する領域)の活動が落ちて、眼窩前頭皮質の活動が顕著に高まった。空間認識が遮断されることで視床下部に信号が送られて恍惚とした解放感が押し寄せ、これをゴッド・スポット(神の領域)と呼ぶ。

そして、視床下部は脳内にエンドルフィンを分泌する領域の一つで、眼窩前頭皮質にもエンドルフィン受容体がぎっしり詰まっている。


ほかに、宗教的な体験(声が聞こえる、神秘体験、異言)をしやすい特徴として、特定の神経ネットワークが関わっていることが指摘されている。ドーパミンやセロトニンなどの神経伝達物質系の活動など。


儀式の起源

儀式の起源は、動物の遊び行動にある。

遊び行動には、同じ行動の繰り返しが伴う場合があり、これが儀式的な性格を帯びる。遊びによって笑顔が起こり、エンドルフィン分泌が引き起こされる。

エンドルフィンは脳内鎮痛剤なので、痛みを誘発すると分泌される。しかし痛み以上に出やすいのが、踊りなどのリズミカルな運動であり、持続的で弱い痛みにエンドルフィン系は反応する。

最も古い儀式は、人間を気まぐれに懲らしめる神々をなだめる目的から始まった。


先史時代の宗教事例

約40万年前のスペイン北部のアタプエルカの洞窟群にシマ・デ・ロス・ウエソス(骨の穴)と呼ばれる場所がある。

深さ13mの穴の底から28体分の骨が見つかった。

暗い洞窟で知覚がゆがみ、トランス状態に入りやすい感情と言える。

洞窟の効果として、声を発すると音が良く響きあい、ハミングや合唱によってハーモニーが生まれる条件が備わっていた。洞窟を住居とするネアンデルタール人が音楽を編み出したかもしれない。

音楽によって、エンドルフィンは更に分泌されたことだろう。


第一段階の宗教とは

脳が大きくなって高度なメンタライジングができるようになったことで、自分の世界とは別の世界があるのではないかと疑問を抱くようになったところから発生した。

道徳規範・行動規範などの教義が定まっていない、没入型の宗教。35-50人のバンドで生活し、100-200人の共同体を結束させるために求められた宗教。

神というより、自然の特徴と結びついた霊的存在や、トランス状態を経由して入れる霊界は信じていた可能性がある。


宗教の順番

世界各地の33の現存する狩猟採集社会を対象に、それらの宗教的特徴を統計的に分析した研究によると、宗教的特徴は6つに大別される。


1.アニミズム信仰

2.シャーマニズム

3.祖先崇拝

4.死後世界への信仰

5.特定の居場所を持つ地域神への信仰

6.人間の営みに介入する、高みから道徳を説く神


このうち、発生順序として最も古いのはアニミズムだった。

死後世界への信仰は決して普遍的ではなく、アニミズムより後に2,4,5とともにまとまって出現した。

6の高き神は、狩猟採集社会においては信じられていなかった。

この研究から、原初の宗教はアニミズムであり、その後に、他の宗教の形が互いに関連しあって同時期にまとまって現れたと考えられる。


宗教が、自分と別の相手へ自身が得た神秘体験や感覚を意思疎通しなければ成立しないことを考えると、アニミズムの原初宗教は言語の出現以降と考えられる。


社会集団にはストレスを伴う

外的脅威から身を護るために集団が求められたが、集団生活にはストレスが伴う。

サン人の「星の病」は、集団を支配する力で、嫉妬、怒り、いさかいを産み、贈答の効果をなくすという。女性はストレスによって月経が乱れて不妊となりやすくなる。この病による結束の乱れを防ぐため、サン人はトランス・ダンスを踊って立て直すのだという。

集団が大きくなると不妊の原因が生まれるのは哺乳類全体が抱える問題と言える。


精神的症状と宗教

臨床および神経生物学的な事例分析により、統合失調症と宗教体験は脳内で同じ認知プロセスが関わっているというサイモン・デインの研究がある。

統合失調症患者の最大70%が幻聴、幻視、宗教的妄想を経験する。他に、陰謀論を唱えたり、自分は執拗に迫害を受けていると考える傾向にある。

統合失調症、双極性障害の躁状態、激しい動きを伴う宗教的行動は、いずれも脳の同じ領域が過活動を起こしている。それらはDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)を司る部分で、DMNを強く刺激すると恍惚感が生まれる。

なお、これらの症状は人によって有無をはっきり区別できる性質のものではなく、私たち全員が属しているものと理解したい。


こうしてトランス状態に入りやすい、神秘体験を起こしやすい人はシャーマンやカリスマ指導者となる。見た目や挙動が奇妙で狂人扱いされる場合もあるが、それでも彼らのことを信じる人がいる。その理由は

1.その他大勢に埋没しない。

2.突出した存在を頼みにしたい。

このような人々の存在により、一度自然発生的に生まれて発展した社会集団も、人が持つ150人までという社会脳の制約を受けて、統制が崩れ、ストレスが生まれ、組織を崩していく。だから、現在の世界宗教が複数ありながらもそれに安住できず、人類は新しい宗教へ分裂していく。


長谷川眞理子氏(自然人類学者・進化生物学者)の解説

長谷川氏自身は、集団が同じ儀式や行動を行うという宗教の働きについて、その同調性を個人的信条として嫌っている。未知の現象に対して宗教的な説明されることも受け付けず占いも信じない。

ダンバーは150人というダンバー数を提示して、150人以上の数が集まって住むようになったことで宗教による結束が必要と考えた。

ダンバー自身は宗教に対してどういう信条・態度なのかは表明していないが、人類の大部分がなぜ宗教を信仰して必要としたのかを、生物の進化から分析するという点で理解できる。


2023年7月17日

田中正造が小石を拾う理由

関根久夫氏「田中正造の墓と遺品の小石―正造が残した3個の小石―」(『ぐるり埼玉・石ものがたり49』pp.284-290, 幹書房, 2014年)で、田中正造と石の関係について知った。

おそらく関係諸氏の中ではすでに有名な話で、私が知るのが遅すぎたくらいで恥じ入るばかりである。


正造には小石を拾う趣味があり、足尾銅山鉱毒事件に一生を捧げた彼にとって、唯一とも言える趣味だったらしい。

その中でも特に3つの小石は、正造が亡くなる時に枕元に置いていた布袋に入っていた。

これらは現在、栃木県指定文化財として保存されている。

栃木県指定文化財/田中正造遺品・9点|佐野市


正造の小石を主人公に置いた絵本も発刊されており、小石は現代でも更なる物語を紡いでいる。

【書籍紹介】『わたしは石のかけら もうひとつの田中正造物語』


東京新聞2018年2月18日付記事によると、正造から石をもらった人も複数おり、家宝として大切にしている所もあると書かれている。

ここまでくると、正造への敬仰の象徴としての岩石物語と言える。

「小石」から見た正造 絵本に


興味深いのが、正造が自身の日記で小石拾いの理由について記した事実である。

没年である大正2年1月9日の日記に次のとおりある(関根氏前掲書より)。

「思ふニ、予正造が道路に小石を拾ふハ、美なる小石の人ニ蹴られ、車ニ砕かるゝを忍びざれバなり。海浜に小石の美なるを拾ふハ、まさつ自然の成功をたのしみてなり。人の心凡此くの如シ。我亦人と同じ。只人ハ見て拾わず、我ハ之を拾ふのみ。衆人の中ニハ見もせずして踏蹴けて行くもの多し。」


この文のさらに続く部分が、雨宮義人氏「田中正造翁の拾った庶民の心の美」にある(『日本』22(9)(260),日本学協会,1972-09. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/11397114)。

「今の眼中、人民も同胞も兄弟もないものが、如何にして泥土に塗れた小石を顧みやうか。これ不善者の常である。汝の身心、玉でなくして、玉を愛してはなるまい。まして碌々たる石塊の中に玉があると思へない程度では、どうしようもあるまい。漠然、天下を見る状態では、砂利泥土しか映つて来まい」


岩石と人間の精神的関係において、当事者が理由を明記した貴重な記録の一例と言える。

正造の場合は自身の信条が先にあって、その行動実践の一つに小石拾いを据えていたことがわかる。

凡そ人が石に美や憐憫を感じることはあれど、実際に行動に移すことは少ない。その逆を行って、石を救って石の中に玉を期待することで、自身の信条も玉でありつづけようとする美学に基づいている。


正造の3つの石のうち、1個は渡良瀬産の桜石と考えられており、石肌に桜の花びら状の模様が付く、いわゆる名石の範疇である。

残る2個の石は不整形で他の何物にもたとえにくい、前掲関根氏の言葉を借りれば「どこにでもあるような小石」であり、正造はそこに価値を認めようとした。

その結果、正造が最初は理屈だったのが小石に接するうちに理屈を越えた感情でこれら小石に接せられたのか、日々、石の玉ならざるところと玉でありつづけようとする理屈のぶつかり合いだったのか、正造の書きかたではどちらの可能性もある。


2023年7月9日

岩石の性質メモ ~雑誌『高梁川』の石特集より~

『特集 石』目次

岡山県を南北に流れる一級河川・高梁川(たかはしがわ)を軸にして郷土を掘り下げる『高梁川』という雑誌がある(発行元の高梁川流域連盟HP)。

この『高梁川』第38号(1981年)が「特集 石」と題され、約250ページひたすらに各分野有識者の石をテーマにした文章を読むことができる。

雑誌の立ち位置から高梁川流域を主に岡山県と絡めた分も多いが、視座を全国に置いたものも散見される。

ここでは、とりわけ岩石と人間の精神的関係において普遍化できうると思われる部分をメモして後考に供したい。


青山忠一「石をめぐる故事と諺」

石の「い」は、いる、いすわる、など、しっかりとそこにいる、の意で、「し」は、しめかたまる、の義だと言う。また別に、「い」は単なる発語で、「し」はしずむ、とか下とかの語だとも説かれている。

石(いし)を「い」「し」に分けてそれぞれの語義を説いたものになるが、この説の出典が欲しいところ。

また、1981年当時の記述であるため、現在の研究状況において本説がどのような評価であるかの追跡が必要である。


著者の青山忠一氏は国文学者で、当時は二松学舎大学教授だった。

本タイトルのとおり、さまざまな石の故事・諺が紹介されている。箇条書きで列挙する。


  • 毛切石…江戸時代、先頭に置かれて陰毛を切りそろえた軽石。単に「石」とも称した。
  • 石に立つ矢の例…「念力巌も通す」と同じ。石を固いものの代表とみる例。
  • 石で根継ぎ…柱が朽ちる前に石で継ぐことで、石の固さに期待している。
  • 石の上にも三年…冷たい石が、三年かけると相応にぬくもりを感じる。
  • 石に噛りつく
  • 石橋を叩いて渡る
  • 金部金吉金兜
  • 石の文…冷たくそっけない手紙。固いものは自ずと冷たく非情にうつる。
  • 石に灸…熱くもかゆくもない。無反応。
  • 石に針
  • 石を抱いて寝る…丸太と添い寝といった塩梅。木石(ぼくせき)の観念。
  • 石を抱かせる…拷問刑。大抵の者が耐え切れず白状する。
  • 石を抱いて淵に入る…求めて危険に向かう。危険の象徴。
  • 石から綿…ありえないもののたとえ。
  • 石に花咲く
  • 石の腸
  • 石のもの言う世のならい
  • 石仏も物を言う…日頃寡黙なものが沈黙を破る。誰が何を言うかわからないという戒め。
  • 石が流れて木の葉が沈む…『陸賈新語』由来。
  • 石に口漱ぎ流れに枕す…『蜀志』由来。流石の語源、夏目漱石の逸話と絡める。


宇佐美英治「石の子」

石について一家言ある詩人・文学者の宇佐美英治。

(※「宇佐美英治「殺生石」~『日本の名随筆 石』を読む その14~」参照)


「石の子」とは、宇佐美英治の姪の上の子「タノちゃん」を指す。

宇佐美氏は自宅書斎の脇机にさまざまな石を並べて、愛玩していた。

そのコレクションに家族、親族、知人のほとんどは関心を示すことはなかったが(わかる)、親族で唯一例外だったのがタノちゃんだった。4才か5才くらいだったという。


「石の子」では、宇佐美氏とタノちゃんの石を巡るやりとりがほのぼのと描かれ、最終的にタノちゃんが「これがほしい」と要望した書斎の石を宇佐美氏があげるという顛末である。

タノちゃんが欲しいと言った石は黄銅鉱で、石自体はぎらぎらと輝くある種"わかりやすい"石だったので、タノちゃんがその石を欲しがったこと自体に宇佐美氏は特に疑問をもたない。

逆に宇佐美氏は、「心を動かされぬ大人の方がよほど私には不思議に思われる」と大人に矛先を向け、「地下の秘光に対する感応には何かそれぞれの人にとって運命的なものが関わりあっているのかもしれない」と神秘の煙に巻く。


子どもは人間の原初に近い存在であるため、岩石と人間の精神的関係を考える際にも、最も「ピュア」な事例として考える対象となりうる。

その点で、宇佐美氏が子どもの好みを、

  • 草や花に見入る子
  • 蝶や犬、鳥や獣、なべて生き物が好きな子
  • 石や鉄が好きな子

の3種に類別し、岩石・鉱物・金属を同グループに所属させ、人間の原初の一つの流派に置いたことは参考となる。

(実際には時代によって自然物以外に興味関心は移ることは多かろうことは現代のデジタルネイティブを見てもわかるが、あくまでも5才以前における自然物への好みととらえたい)


なお、宇佐美氏がタノちゃんに託したメッセージが文末に書かれている。タノちゃんがはたして宇佐美氏のこの文を読む機会に浴したのか不明であるため、タノちゃんの目に触れる確率を僅かでも高めるために以下紹介する。

タノちゃんはいまは小学三年生のはずである。タノちゃんは大きくなったとき、地質学者や賢治やリルケのような人になるだろうか。それとも中年をすぎてから、ふとしたはずみで石が好きになり、Iさんのような石気ちがいになるだろうか。タノちゃんは石屋さんにも彫刻家にも、地理学者にもならないかもしれない。しかしタノちゃんが四十才か五十才になったとき、この文章がまだどこかに残っているとしたら、いつかこの一文を読んで、幼かった日のことやこんな男がいたことを思い出してくれることを私は願っている。

本書刊行の1981年から現在2023年まで42年が経ち、小学3年のタノちゃんはちょうど宇佐美氏が思い描いた50歳代のタノさんに到達したはずである。


壺阪輝代「石の連想」

詩人の壺阪輝代氏は、石を主題にした詩を書くことが多いという。

その理由を壺阪氏自身がふりかえってみると、子どもの頃の2つのエピソードによるものだと紹介している。


よく川へ遊びに行っていた私は、ある日きれいな石を拾って帰った。私が持っている石が川の石であることを聞いた祖母が「川の石は拾うものではないよ。川の中には死んだ人の霊が宿っているのだから」と、私の手の中の石を眺めながら言ったことがある。当時、「死」というものに対する漠然とした恐れを抱きはじめていた私は、祖母が語っていることの本当の意味はわからなかったが、手に持っている石の中に、死んだ人が生きつづけているのだと、自分なりに感じることができた。(略)私は、すぐにもとあったところに石を捨てに行った。


当時私が住んでいた家の裏から山へ続く道があり、その途中の草むらに横たわったいた石のことである。その石は扉くらいの大きさがあり、上に向いた部分が平らであったので、小さな子供達の格好の遊び場所であった。(略)子供心に、なぜこんな大きな石があるのか不思議で、母に尋ねたことがある。母は、「これはむえんぼとけさんの石だよ。なんでもクロエモンという人の石らしい」と教えてくれた。「むえんぼとけ」という意味はよくわからなかったが、クロエモンという人がこの石の中に生きつづけているにだろうち思った。石の中から声が聞こえてきそうな気がして、私は恐いような冒険したいような気持で、恐る恐る石に耳をあてたものだ。また、石の下にどこか入口があって、そこから中へ入っていけるのではないか、と思ってさがしたこともある。


石にこだわりを持った人が、ある程度明確に自分のきっかけを明文化したという点で貴重な記述と言える。

ただし、これらの記述を読むかぎり、先天的というより後天的な要素が濃いように思われる。

高梁川という一大河川において岩石が多く存在する自然環境に育ったというのも、もちろんあるだろう。

それに加えて、盆行事の精霊流しがあって子どもの頃の壺阪氏もそれをすでに知っていたという文化的背景が、無意識に死生観を育んでいた可能性もある。


そしてエピソードトークにおいては、自分一人だけの心だけで完結していない。祖母から川の石についてのタブーを聞かされ、そのタブーについては壺阪氏自身から生まれたものではなく、あたえられた知識である。なぜそのタブーが存在するのか祖母は教えてくれない。理由がわからないからこそ論理付けしたくなる。そこから各個人の新しい心が生まれる。

クロエモンの石についても、幸運にも過去の話者たる母が存在していた。母が前世代から受け継いだ物語がなければ、壺阪氏からの疑問に深みをもつ答えを返すことはなかっただろう。

そして壺阪氏自身が、疑問に思ったことをすぐに尋ねたり、実際に石にいろんな行動をうつしたりする知的好奇心の塊だったという属性もある。同じ情報を受け取っても、人によって無反応であればそこで話は終わる。さらに、壺阪氏自身が幼い頃の出来事を上記のレベルで言語化できる人物だったことなど、さまざまな因子が偶発的に重なってこの記述が発生している。


実際には、川の石を無邪気に拾う人もいるし、それを許す文化環境も存在する。自然に触れる機会が少ない都市部の人々においてなら、石の体験・物語・話者が少ないなかで石に出会う物語はどのように異なるのだろうか。

その点で、環境下によって異なる反応は普遍的、先天的とはまだ言いにくい。翻って岩石の多種多様性を示す個別的経験の事例なのである。


寺田武弘「石には季節がない」

大きな石には、途方もない安心感と同時に。無言の恐れがある。(略)大石を割ったときに注意して見ると、割れた石の表面を、かすかな水分が引いていく。ときに、水滴のこぼれたことがあって石工に聞くと ”そりゃ、石の涙じゃ” ――。しばし石の重さを忘れた。春先や、秋の夕暮れに、石に寄りかかるようにして彫っていると、昼間の太陽のぬくもりを、まるで石の体温のように感ずることがある。


彫刻師である寺田武弘氏の上記のくだりは、石に日常的に接して、見ているだけでなく手を入れて石の別の面を見た人でないと書けない。

石を「その時」だけでなく、職業的にいつも関わらざるをえない状態に置かれた人は、また常人とは異なる心理を生じただろう。

無言の恐れを常人として抱いていても、仕事として手を加えて割るという状況下に置かれる。そこで割られて初めて目撃した石面だけでも、新しい刺激やインスピレーションを受ける。それは、岩石の一つとして同じ模様や形状がないという性質のなせる業でもあるかもしれない。

それだけでなく、本記述においては石の涙や石の体温といった現象が登場する。涙や体温は石と人を同一視しており、いわゆる「擬人観」の例として位置づけることができる。

これらがただの「精神的な異常」ではなく、自然科学のなかでじゅうぶん説明できる現象だとよく表現された文である。自然科学はある程度の再現性、不変性を担保する。


馬越道也「北木島の石材採掘史について」

岡山県笠岡市の笠岡諸島のひとつ、北木島で石材業に就く馬越道也氏による、自らの生業と自らの生まれ育った島の一大自分史が記される。

「特集 石」のなかでも最大紙幅の30頁におよぶ本稿の終盤で「石の心」と題された節がある。現役の石工の一人による石の精神的記述として紹介する。


人に心があるように石にも心があると思う。禅問答のようであるが、石の心は公平無私であり。真理に忠実であり、接する人に無限の教訓を与えていると思う。石は矢孔を掘ってクサビ(矢)を入れて叩けば割れるが、忠実に力学の法則に従って割れる。いささかの不合理も許さない。石は物理学の貴重な鏡であり、師である。採石場の石壁に向ってさまざまな岩石の亀裂を眺めるとき、いつどうしてこのような亀裂が出来たのかと限りない興味を覚える。盤石も寸余の矢で割れ、磨けば玉ともなり、碑となっては万人を偉仰せしめ墓となっては苔むして静かに史を語る。一旦怒れば大地震となって断層を残し、人々に多くの訓戒と宿命を説く。


岩石に四六時中接した当事者だからこそ感得した「石のルール」があり、それは現代の知識・価値観と矛盾しない。

矛盾しているとしたら、それは岩石が人にコントロールされる時もあるし(物理学の鏡であり、寸余の矢で盤石も割れる)、コントロールされない一面を見せることもある(さまざまな亀裂の尽きることのない成因、怒りとしての災害・断層)という二面性と混沌である。

ここで非実用としての岩石の精神と、実用としての科学の一種の統合を見たように思う。


塩尻備章「魔性の舞台に舞う―私の岩登り考―」

登山家の塩尻備章氏は、特に岩登りを愛好しており、その魅力を文にしたためている。

岩石に対して「登る」という形で精神的愛着を示すその仔細が参考になる。


岩登りの魅力の一つは「死への恐怖」と言えようか。きりたつ絶壁を登攀してゆく人を素晴しいと思って眺めるのは、それはその人が死と隣り合わせにいるというまぎれもない真実を見ているからである。そしてその行為が無償の行為だから美しいのである。


ほかに塩尻氏の記述でハッとした部分を紹介する。


「岩を登りに行く人にとって、その過程の山登りは付随的なものであり、目的は岩登りとしても、たいていの人は山の中にある岩を登りにいくという認識をもっているようである」

「岩へ登る行為は修行僧にも似たものと述べたが、成程苦しみも恐さも同じように味わっても、しょせん遊びである以上、岩登りをする者に人間的な成長はあまり期待しえない。このことは私と私の知っている愛すべき山仲間の真実がもの語る。」

「何故岩を登るのか。岩登りの魅力とは、岩を登る人達の答えは各々違うだろう。ただ高ければビルでも登る人もいる。私は、やはり本当の岩場が良い。そこには自然の息づかいがあり詩情がある。圧倒的な岩壁が人の心のやさしさを拒絶する。」


岩登りを、岩石に関する他の心情(信仰など)に置き換えても成立しそうな普遍性がみられそうでありながら、塩尻氏が岩登りと修行僧(信仰)は違う、と当事者がバッサリ斬っているその事実に、人間と岩石の精神的関係を安易にイコールにむすぶ早計に襟を正される思いがした。


2023年3月19日

『科学で宗教が解明できるか』(2023年)学習メモ


藤井修平氏『科学で宗教が解明できるか 進化生物学・認知科学に基づく宗教理論の誕生』(勁草書房 2023年)を読みながら、私自身が今後覚えておきたいと思った重要な部分をメモしたものである。

自分用申し送りの色が濃いため、読者に読ませる体裁で文章を書いていないが、本書の概要紹介と同様の問題意識をもつ方の検索向けに掲載しておく。

(私の誤読・解釈が入り混じるため、正確な理解は本書を参照されたい)


ミルチャ・エリアーデへの批判とそれ以降の宗教研究


批判点① 反歴史主義

人類の心には普遍的な共通性があるというエリアーデの前提は、原初性を絶対視して反証不能。歴史的変化を考慮に入れていない。


批判点② 非還元主義

宗教および宗教研究は他の分野には還元できない固有・独自の存在であるというエリアーデの非還元主義は、信仰者にのみ理解が可能で非信仰者には介入不可能という断絶をもたらす。


批判点③ 規範性・神学性

エリアーデは聖なるものの実在を仮定しており、学術活動ではなく宗教的活動になっている。また、エリアーデ自身に政治的な偏りが指摘されている。


→以上の批判点により、世界的にはエリアーデは宗教学者ではなく思想家として位置づけられており、エリアーデ研究を無批判に用いる時代は終わっている。


宗教研究と宗教活動を区別する神学性批判から、科学を重視するモダニストが生まれた。具体的には、宗教認知科学(CSR)で普遍的な宗教研究を可能として、エリアーデの非還元主義を超克するという取り組みが盛んになった。

そのモダニストに対立するのがポストモダニスト。科学にも人間の主観が入り、科学知の絶対性・普遍性を疑問視する立場。CSRについても科学絶対視を疑問視。系譜学(過去の言説の分析)でエリアーデの半歴史主義や政治的イデオロギーを超克する。


日本においては、モダニスト側の研究が日本語に翻訳されることは少なく、ポストモダン側に寄った状況が続いた。日本におけるモダニスト不在は宗教研究・知見の多くを見落とすことになり大きな問題。だから本書が詳細を取り上げて補う。


モダニストの理論的根拠としての生物学・自然科学


ダーウィンの進化論

ダーウィンの進化論は非常に単純な原則ということもあり、多様な分野に応用してすべてを説明しつく「現代総合説」が誕生。しかし、これは「万能酸」という危険性も指摘されている。

生物学の進化に、本来、進歩の意味は含まれない。変化の意味にとどまる。


進化(変化)の要因は自然選択。自然選択とは、ある環境下で有利な形質をもった個体が生き残り、それにより特定の形質をもった生物に変わること。この自然選択の主体には3つの説がある。

  • 生物集団内には遺伝的な変異が存在し、個体差が生じる。突然変異やランダムに遺伝子が変化する個体説。
  • 集団選択で自己犠牲する説。
  • 現代総合説は、遺伝子レベルで「利他行動」「血縁選択」があるという説を重視。この現代総合説が他の分野にもこの進化理論を応用していく。


現代総合説・社会生物学

現代総合説を『社会生物学』(1975年)と銘打って人間研究に用いたのが生物学者エドワード・O・ウィルソン。

人間は、遺伝子によって本性が決まり、攻撃行動、男女差、利他行動、宗教などの社会行動を行うとした。

人間の本性は変えられないから戦争や不平等を肯定するという道徳的な批判があり、後年、遺伝的な影響と本性が変えられないことはイコールではないことを言及して理論修正した。

遺伝子の影響を絶対視して、人間が生み出す文化による後天的変化を考慮しないという批判もあり、これにも理論修正して「遺伝子と文化の共進化」を論じるようになった。

これによって社会生物学は生き残り、宗教に関する分野では次の2つの研究が生まれた。


進化心理学

自然選択により最適化をめざそうとする人間の心理メカニズムに着目(1992年の論文集『適応した心』で創唱)。

人間の自然選択は約250万年前~約1万年前の更新世のあいだに形成されたもので、狩猟採集社会の心理メカニズムがそれ以後の現代までの1万年間の人間行動の基盤となっていると考える。この1万年間では十分な進化の時間がとれず、だから現代社会において人間が非適用的になっている場面がみられる。

配偶者選択、親族関係の構築、集団内での協力と対立など、生存と再生産に関する研究が中心。宗教は生存と再生産には直接寄与せず、生物の適応によるものではなく、人間が進化して得たさまざまな心的能力・認知的能力の副産物とみなす。

その点で、文化や学習による後天的な変化の可能性はほとんど考慮されない。その点で非歴史的だが還元性はある。


具体例① 人類学者スチュアート・ガスリーによる「擬人観」…人間以外の対象に人間的特徴を見出すこと(1993年~2015年)

ある対象が、自分と同じ人間のような人格を持つか、持たないかを判断する時に、人格を持つと判断したほうが生存に有利に働くから、一種の適応となる。この適応行為の副産物から宗教が生まれたと考える。

多数の例から、擬人観は人類普遍の現象と結論付ける。

擬人観は科学など他の分野でも現れるが中心的ではない。しかし宗教において擬人観は中心的であるという(しかし、擬人観が宗教成立の必須条件というわけではない)。

後年、心理学者ジャスティン・バレットは(2000年~2004年)は、無生物が生きているようにみえること、偶然の出来事に何者かの意図を感じること、自然界に意図・目的・デザインを感じる人間の心的傾向を「過敏な行為者探知装置(HADD)」と名づけた。擬人観もその一種であり、HADDが人に備わっていることで、実際は行為者がいなくてもそこに行為者を見出すことで宗教観念が生み出されるとした。

→HADDへの反論あり。何らかの起源の説明は現時点での機能を説明することにはならないという「発生論的誤謬」に該当し、HADDのような認知能力の誤作動で宗教が生まれたとしても、現在もその宗教が保持される理由はHADDに限られないというもの。


具体例② マヤ人の子供の実験(2002年)

普段トルティーヤが入っている箱を見せて、中のトルティーヤは食べてズボンを入れておいたと説明する。下の3者が見たら中に何が入っていると思うだろうと子どもに聞く。

  • 人間の場合→トルティーヤ
  • 森の精霊→トルティーヤとズボンが半々
  • キリスト教の神の場合→ズボン

→子供は直観的に、人より神のほうが能力を有していると考えていると言える。


具体例③ ニュージーランドの社会調査(2015年)

宗教と出生率の関係。教会出席頻度が高いと出生率も良いという相関関係が統計的に出た。

教会出席が社会的評判を生み性的魅力につながるからかという推論。

宗教が生存選択と再生産に寄与するから宗教は適応的行為であるという説。


文化進化論

ロバート・ボイドとピーター・リチャーソンが代表的な研究者(1985年)。

人間の行動は、遺伝的な心理メカニズムよりも文化が大きく影響するという考え方で、進化心理学に相対するもの。進化心理学が反歴史主義・普遍主義的なのに対し、文化進化論は歴史主義・個別主義に立つ。

文化の定義は「教育や模倣によって種の他の成員から獲得される、個人の表現型に影響を及ぼしうる情報」。

文化は、遺伝子の進化とは異なる過程で伝達され、文化は工業製品のように徐々に洗練されたものになっていくと考えられる。

文化の選択の方法は次の3つ。

  1. 内容バイアス…何らかの本質的魅力を有するものが支持される
  2. 頻度依存バイアス…多く見られるものに従う
  3. モデルによるバイアス…地位が高く模範的な人物の好みを模倣する

宗教が例に挙げられる。

宗教は、集団内にシンボル体系を作り上げることによって、社会統合やコミュニケーションの推進という利益を与えられる。宗教を有さないより宗教を有したほうが生存する、利益を得るという視点(世俗的有用性)で宗教をとらえる。

したがって、宗教は集団を維持するために必要な制度と言え、それは人類にとって適応の産物とみなすことができ、そこが進化心理学とは異なる。

キリスト教神学は現世での節制を命じており、これは遺伝子レベルの適応的行動とは言えず、宗教文化の影響下にある集団行動の一例で、遺伝子より文化が人間行動の決定要因として上回ることを示す。


具体例① アラ・ノレンザヤンの実験(2013年)と超自然的懲罰仮説

不正を行える状況下で知識テストを実施。参加者の一部には、十戒を想起させた。結果、十戒を想起した群は、他の群に比べて不正率が低かった。

人が監視するより、神が監視するほうが、人はより道徳的・向社会的にふるまう。

神の概念を有していない場合でも、運命やカルマといった形で超自然的懲罰の観念はみられるという。


具体例② ビッグ・ゴッド(2013年)

小集団では統制が効いていたものが、集団が大きくなるとさらに強力な統制システムが求められる。そこでゴッドがビッグゴッドになり、社会が大規模になると道徳性と宗教はますます結びつき、教義は規則的になり、超自然的な罰は強化される。


CSR(宗教認知科学)


認知科学・認知心理学の見地に依拠して宗教を研究する。テスト可能な科学であることを自認し、人類に普遍的な心的傾向・宗教現象を説明できるような一般法則を導き出すことが目的。

CSRは科学的・自然科学的とみなされているが、それは人文学・社会科学と両立不可能というわけではない。両者の境界は曖昧である。


ステュアート・ガスリーの「宗教の認知的理論」(1980年)

1.世界に見出される現象は曖昧であり、人間は解釈を必要とする。

2.その現象は、類似した現象をモデルにして人間に解釈される。

3.そのモデルは、頻繁に起こる現象や重要な現象に従って選ばれる。

4.人間は周囲にいる他者から重要な影響を受けるので、人間を見出すモデルが解釈に用いられやすい。実際、周囲の現象に人間的特徴を読みとる事例が多い。

5.このモデルが、宗教の認知的基盤となる。

→これが、先述した「擬人観」の根拠となる。


人類学者ダン・スペルベルの「表象の疫学」(1984年)

表象の伝播を疫病の広がりにたとえる。伝播の誘因子は次の2種

1.人間の心的能力要因…「石炭は黒い」などの直観的信念

2.生態学的要因(社会形態など)…「すべての人間は生まれつき平等」などの反省的信念


トーマス・ローソンとロバート・マコーリーの儀礼能力理論(1990年)

人間は言語を自ずから獲得できるように、儀礼の行為者は儀礼を自然に形成する能力がある。儀礼は言語とのアナロジーによって理解できるという考えに基づく。

宗教的儀礼の普遍法則を2つ提示する。

1.超人間的行為者の原則…すべての儀礼には超人間的行為者を含み、儀礼の行為者か儀礼の受容者・行為とむすびついている。

2.超人間の近接性の法則…超人間的行為者が儀礼に深くかかわるほどその儀礼は重要視される。

(例)インドのヴェーダ文献における供儀の研究および、通常/特別の2種類の人物・素材による儀礼のテキストを読ませた心理学的実験で、通常より特別なほうが効果を感じるという直観結果が統計的に有意に出た。


バスカル・ボイヤーの研究(1990年~2001年)

伝統が反復されるのは、単に人々が保守的だからではなく、それは記憶のプロセスと関連しているからと考える。記憶には、記憶されやすいものとされづらいものがあるとの主張。

人の心に共通性があるのなら、宗教にも普遍的な現象が生まれ、それが世界中で類似した信仰体系として複数出現するのではないか。

反直観的概念…カメルーンのファン人は魔女にだけある臓器があり夜中に臓器が飛んでのりうつる人に能力を授けるという話があるが、これは当のファン人の間でも奇妙なことと思う人がいるらしい。しかし、この奇妙と思う、直感から反するために、逆にこの信念は信じられると述べる。宗教はこうした反直観的概念を含み、これによって特徴づけられるとした。

直観は、人は年を取ると死ぬ、死者は話さない、木や石などの自然物は自分から動かないなどの常識的観念と言い換えられる。こうした1つ1つの常識を「存在カテゴリー」と呼び、それぞれの存在カテゴリーに関して反直観的情報を含むと宗教家が促されるとした。

この反直観はあまりにも大きい(破天荒)すぎると人々には記憶されにくく人々に広まりにくいが、存在カテゴリーの直観をわずかに違反した「最小反直観」が、人々には記憶されやすく宗教として広まりやすいとボイヤーは考えた。

(例)存在カテゴリーにおいて違反を含む記述と含まない記述を複数読ませ、その後思い出せた記述を集計した結果、違反がある記述の萌芽「裏切り」の印象深い記憶として残るという結果が出た。フランス、ガボン、ネパールの3つの地域で類似した結果が出たので、通文化的な心理学実験として知られる。


ミッキーマウス問題(2002年)

ボイヤーの反直観は、たとえばミッキーマウスなどの創作物にも多く存在するが、それらは宗教にならない。反直観だけをもって宗教ができるわけではないことをどう説明するかという問題。

※類語…大人になると信じられなくなる「サンタクロース問題」、時代によって信じられなくなる「ゼウス問題」、一切の文化から切り離された人でも神を信じるのかという「ターザン問題」


ピュシアイネンがこれに説明を試みた。

・反直観は宗教の必要条件ではあるが十分条件ではない。

・反直観は、宗教以外にも科学、創作、妄想にもみられる。

・科学の直観は自発的に生まれない、創作は真実とみなされない、妄想は集団的にならない。

・反直観のうち、自発的に生まれ、真実とみなされ、集団化するものが宗教的概念と定義づけられる。

・それに加えて、儀礼に参加して怒りや恐怖の感情を喚起することで宗教は信じられるとする。


トッド・トレムリンは、神の条件として「社会的機能を有すること」を考えた(2006年)。

通常の人間は、他者の情報を把握しているわけではない。神は、社会的な情報を際限なく完全にアクセスできる存在とみなされるからこそ、宗教的行為者は重要視されるとした。反直観的行為者の中でも社会的機能を持つものが宗教的行為者となった。


ハーヴィー・ホワイトハウスの「宗教性の二様態理論」(1995年~2004年)

1.教義的様態…教義などの言語が意味記憶によって記憶され、言語の繰り返し記憶によって形成されるので知的で統一的で反復的で感情的な要素は少ない。

2.写象的様態…強烈な宗教体験などの図像的イメージがエピソード記憶として鮮烈に記憶されるので、感情的、多様的、散発的となる。

(例)二つのグループに分けて儀礼をおこない、片方は赤い照明を用いて、音楽や太鼓の音量を大きくした(写象として強烈にした)。その結果、照明と音を写象的にしたグループのほうが、おこなった行為に対する自分の感情を解釈する言葉の数が増えた(感情的になった)という心理学的実験。


その他のCSRの知見

・宗教の二重過程理論…人の思考には、素早い・自動的・直観的な思考の「システムⅠ」と、慎重・意識的・反省的な思考の「システムⅡ」があるという心理学の研究があり、それを宗教に応用し、一つの宗教や宗教者の中にもこの2つの思考が入り混じること。

・種々雑多な目的論…子供が自然界に機能・目的・デザインを見出す傾向。

・子供が、生物の死後もその生物に心理的機能や認知的機能が継続していると考える傾向。

→子供の心理は後天的な学習の影響をあまり受けていないので、人間心理の普遍性を示すものとして用いられる。人間の自然的な認知は6歳までの幼児期に起こるという説もある。それに対して、子供が宗教的な心理を示すのはあくまでも発達の一段階の特徴であり大人の宗教観をそのまま表すわけではないとみなす立場もある。


CSRへの批判


マッカチオンの指摘(2012年)

「心や脳に宗教の起源を求めるのに夢中になって……彼らは部分から全体へ、偶然から必然へ、歴史から非歴史へ、個別から普遍へ、文化から本性へと移ることの明らかな安易さに関する疑問に答えられていない。」


・CSRには理論的・方法論的な核がなく、進化心理学などの学問との明確な区別がないため分野として不安定。

・科学者としての訓練を受けていない学者が、心理学的な論文を満足に読めているのか。

・仮説をテストするというより、すでに存在する事例に対して心理学の理論を適用するだけの「アームチェア科学」である。

・普遍主義的であり、文化や歴史の文脈性を無視している。 

・還元主義的であり、生物学・心理学・神経科学などの枠組みで単純化しており、宗教の要素の重要な部分をそぎ落としている危険性。


論点① 普遍主義か個別主義か

認知メカニズムは、普遍的に神が信じられるのはなぜかという問いには答えられているかもしれないが、ある個人がなぜ神を信じているかという個別的な問いに答えているわけではない(アク・ヴィサラ2018年)。特定の人にだけなぜ宗教心が生まれるのかを説明できていない。

→個別事象の取り扱いは別の回答方法が必要で、両主義の長所・短所を取り上げたうえで異なるアプローチで対話するのが最善である。


論点② CSRは客観的な説明で、解釈ではないと言いきれるか

説明を行う際には解釈は必須であり、説明アプローチを用いる科学でも、意味や解釈の問題から逃れることはできない(ギャヴィン・フラッド1999年)

宗教者の行動や宗教者が使う言葉をそのまま受け入れずに、研究者が別の用語や概念に置き換えて説明する時点で、意味論の観点ではそれは二次的であり宗教現象と正しく一致した説明と言えるか担保できない(マーク・ガーディナー、スティーヴン・エングラー2015年)

CSRは文化や意味を考慮に入れない「文化消去主義」であり、無意識の認知に、文化的な意味や言語を組み込まなければならない(イェベ・シンディング・イェンセン2013年)


論点③ 「宗教」の概念の取り扱いかた

いかなる宗教の概念にも何らかの偏りが指摘できる。大きくは、宗教を集団活動とみなす定義と信念と結びつける定義の2つに分かれる。

  • E.O.ウィルソン「個人を説得し、集団の利益のためにその直接的な利己的利益を抑えさせるための過程」(1990年)
  • D.S.ウィルソン「人々が求める利益の生産のための集合的活動」(2002年)
  • アトラン「死や欺きといった人々の実存的不安を抑制する超自然的行為者の反事実的・反直観的世界に対する、ある共同体の負担の大きく偽りがたい参加」(2002年)
  • ボイヤー「観察不可能な、自然の外の行為者と過程に関する観念の群」(1994年)
  • ピュシアイネン「個人的な反直観表象およびそれと関連する実践や組織」(2001年)


既存の概念の再記述のみに陥らないように。「超越→超自然・反直観」「神→反直観的・超人間的行為者」など。

宗教(自然発生的で直観的で普遍的なもの)と神学(意図的で反省的で個別的なもの)の上下優劣をイデオロギーとして抱いていないか。どちらかを好むということの偏り。

組織化された宗教だけに着目しないこと。癒し手や霊媒師などの「非公式の専門家」に頼る人々への軽視。


論点④ 「科学」の概念の取り扱いかた

  • マイケル・ルース「科学はその定義上、ナチュラルで、反復可能で、法則に支配されるものを扱う」(1982年)
  • ウィルソン「世界についての知識を集め、その知識を検証可能な法則や原理に凝縮する、組織化された体系的な事業」(1998年)

というが、これらの科学の定義にも批判がある。

理論がテスト可能であることが科学の要件とされやすいが、創造科学をテストすることは不可能であり、反証主義では進化論も疑えてしまうことなど、さまざまな反例によって要件とは言えないことが明らかとなっている。

科学と宗教は対立物ではなく、どちらかというとそれは政治的対立だったのであり、神学も進化論から示唆が得られるように、両立可能といわれている。


まとめ

1.人間行動はどこまで普遍的共通要素により説明可能で、どこからそれが不可能になるのか。

2.自然科学と人文・社会科学の差異はどこまで認めることができるか。

3.社会的水準と生物的水準の双方を反映する視点はいかにして可能か。


科学が抱える「ナチュラリズム」という一つの宗教思想


9.11テロ以降に、神は妄想であるとして宗教批判をおこなったドーキンスは進化心理学やCSRに立脚したものであるが、その研究の理論選択が恣意的であり、つまり無神論原理主義ともいうべきイデオロギー性が批判されている。

(例)意識や心の存在は唯物論では説明できない、宗教を否定しない科学者もおり科学から必然的に無神論が導かれるわけではない

→現代科学がナチュラリズムを内包するかぎり超自然的存在は否定され、そのような世界観はイデオロギー的であって受け入れるべきではない。


ダーウィンの進化論が正しければ、生物は自然選択の産物でありそこに人生の意味や道徳は存在しなくなる。宗教を否定すれば代わりにどのような世界観、価値観を提供すればよいのかという問題が取り上げられている。

ドーキンスは、自然科学がもたらす自然への畏敬の気持ちは宗教心と比肩しうる価値観であると説き、科学は伝統的信仰より魅力的な観念としての「事実の宗教」と位置付けられうる。


「宗教的ナチュラリズム」の誕生

超自然(神、魂、天国など)は存在しないという仮定のもと、自然のなかで認識できる宗教的と呼ぶのにふさわしい出来事、過程、反応。科学的知識がもたらす世界観を信頼する中でも生まれる宗教的機能。自然が崇拝対象。


具体例① クロスビーの「自然教」

宗教の6つの機能を提示した。

  1. 独自性
  2. 優先性
  3. 浸透性
  4. 正当性
  5. 永続性
  6. 秘匿性


さらに、自然の四つの価値を提示した。

  1. 生物の行列(生物の歴史的な繫がり)は聖なるもの
  2. 生物多様性は聖なるもの
  3. バイオリージョン(特定の環境を有する生態学的な地域)は聖なるもの
  4. ガイアは聖なるもの

→自然は、宗教の6側面をすべて備えるから宗教たりうるとする。


宗教を「超自然的・超越的存在への信仰」とする定義もナチュラリズムでは否定でき、新たな定義として「意味や価値の源泉となるもの」が代表的。

神は宗教の絶対条件ではない。無神論でも、価値の完全で独立した実在性を受け入れる態度は経験であり宗教的態度といえる(ロナルド・ドゥオーキン2014年)。

科学的世界観が浸透した社会では、既存の宗教は衰退していくだろう。それと同時に、環境問題が深刻化して地球が破滅になった時、人間は新たな宗教を生み出し、それが宗教的ナチュラリズムだろう(ルー『宗教は神についてのものにあらず』2005年)


科学と宗教の共存の研究領域


イアン・ハーバーの「科学と宗教」の関係の4分類(2000年~2004年)

1.対立…科学と宗教の闘争は不可避

2.独立…科学と宗教は扱う対象も目的も異なり独立する

3.対話…宗教は科学が提起する問いに答えていくべき

4.統合…宗教と科学が協力し合って同一を目指す →これを目指す研究領域


CSRが取り上げる心の理論やHADDは、人間に備え付けられた「神の機構」ではないか。カルヴァンの「神性の感覚」の概念と一致し、それにより生み出された信念は誤りとは言えない。自然的な説明と超自然的な説明の双方が正しいのかもしれない(バレット2011年)。


神経科学と宗教を結びつけた「神経神学」

・人間の脳には、神的なものを感じて宗教体験を引き起こす能力がある(アシュブルック・オルブライト1997年)

・神秘体験は脳の活動と推定でき、人間には宗教活動をおこなう生物学的・神経科学的機構が存在する(アンドリュー・ニューバーグ2001年~2003年)


アーミン・ギアーツによる神経神学の批判(2009年)

1.宗教者の文化的・社会的文脈が無視されている。

2.宗教を体験に還元し、特定の専門家のみが宗教を特権的にアクセスできるというスタンスの問題。

3.科学と宗教を混ぜ合わせることはこれまでの研究でも問題点が指摘されている。

4.研究者が宗教的主張をおこなうことの問題。


意味管理理論

宗教は人生において究極の意味となり、それによって信仰者は実存的な諸問題に対処できるようになるので、宗教は人の幸福や精神的健康に肯定的効果をもたらすものとして人の利益になるから宗教は存在する。

進化生物学と同じく、宗教を信じることは人にとって利益があるという点で副産物ではなく適応の結果とするところに通ずる。また、現代においても宗教にメリットがあるという主張に通ずる。

(例)マインドフルネスなど、宗教の実践行為が精神的健康につながるとする臨床試験結果もあり、これらも宗教の現代における共存の一例として挙げられる。


科学と宗教の共存に対する批判点

・既存宗教の現世的な利益だけを略奪する点で、宗教の一面だけをくりぬいた危険性があり、倫理的な側面が考慮されていない。既存宗教にとっては対立の素にもなる。

・宗教の効果を取り入れた方法論は、それ自体が宗教側面を有することになり、宗教としての扱いを受けうること。

・宗教研究者と宗教実践者の境界が曖昧になり、宗教研究が神学的になり権力としての宗教組織との結びつきが生まれ、研究がイデオロギー的になるところに批判の余地がある。


まとめ

理論は、地域の社会的背景に影響される。

宗教的ナチュラリズム、無神論はアメリカ主体の現象。CSRはヨーロッパが中心。宗教の行程・否定にはキリスト教を母体とした議論にもなり、キリスト教圏の社会的背景で理論や議論が生まれる。

より多くの他地域での理論の社会参加が望まれる。


宗教研究においては、宗教者や神学的な研究を排除すべきではなく、宗教者がかかわることで有意義な議論が生まれる。宗教者が抱える前提と同様に、科学者も同等に前提を抱えて研究している。

そして、神学的ではないとされる科学研究においても、「宗教擁護/宗教批判/どちらの姿勢も見られない残余としての中立」のいずれのイデオロギーが窺われるかという批判的視点が向けられて、神学的立場と均等な関係になる。

イデオロギー的な偏りを意識すること。社会との結びつきにおいてバランスを欠いていないか、議論の中で修正を施していく。理論は、現実の社会・政治を動かす力を秘めており、だからこそいかに社会的・政治的問題を生み出しうるかまでを明らかにして批判していくことが求められる。


北米の宗教学と比較して日本国内の宗教学においては、本書で取り上げた科学的宗教理論の紹介・周知・議論が不足していた。科学的宗教理論を用いて宗教を研究する土台がこれで構築でき、同時に、科学的宗教理論の批判を踏まえて導入していく必要性も提示されている。

科学的宗教理論を批判的に導入する手順としては、

・科学の普遍主義(後天的な社会・文化の個別要素を下位に置く)は支持できるか、支持できないか。

・科学の還元主義(対象の要素を断片化)は支持できるか、支持できないか。

・科学の説明(文化や意味を消去して、研究者が外部の立場から宗教者の信念を別の用語に置き換えること)は支持できるか、支持できないか。

・神学批判(特定の宗教的信念を肯定する根拠を提供する研究への批判)は支持できるか、支持できないか。


筆者が挙げる具体的な論点としては、

・人間行動はどこまで普遍的共通要素により説明可能で、どこからそれが不可能となるのか。

・自然科学と人文・社会科学の差異はどこまで認めることができるか。

・社会的水準(後天的文化)と生物学的水準(生得的遺伝)の双方を反映する視点はいかにして可能か。

・科学の発展によって宗教がどのように影響を受け、新たな宗教が生まれたかを、対象化する必要性。(例)無神論、宗教的ナチュラリズム、神経神学の宗教的な要素の取り扱い。


2022年12月25日

岩石に彫刻することで得られるものは

竜ヶ城一千梵字仏蹟(鹿児島県)

先日、「鹿児島磨崖仏巡礼」vol.5のイベント「岩石信仰と磨崖仏」で講演をおこないました。

当日の様子は、主催者の一人でいらっしゃる窪壮一朗さんがブログに詳しく書かれているのでぜひご覧ください。

「鹿児島磨崖仏巡礼vol.5 -岩石信仰と磨崖仏」、吉川宗明さんを招いて盛大に開催!


鹿児島の摩崖仏、石造物に接して

本イベントのメインテーマは、摩崖仏の謎の解明にあります。

私は自然石信仰を主に取り扱ってきたため磨崖仏は門外漢で来たところがあり、鹿児島というフィールドを通して磨崖仏、そして石造物文化の見聞を広げる大きな機会となりました。

旧薩摩藩領内で盛んに造られた「田の神様(タノカンサア)」(隼人歴史民俗資料館所蔵資料)

馬の守り神としての「牧の神」(石碑下部に馬の彫刻がみえる)

近代の戦役記念碑・戦没者慰霊塔。不整形な自然石の形が多い。

墓石の一つ。墓域における統一感はなく、近世においても自由な石造物文化が認められる。

これらの石造物に通貫する価値観を挙げるなら、それは

「岩石に何かを彫りこまずにはいられない/刻みこまずにはいられない」

という点です。


とはいえ、上写真に挙げた自然石型の記念碑や自然岩の磨崖仏のように、岩石の性質を完全になきものとしてしまうのではなく、岩石の視覚的な外形・輪郭はそのまま活かされたかのような趣も感じ取れます。


タノカンサアの石像に限っては、顔面が白く塗られることもよくあるそうです。この点では、岩肌より顔の化粧が優先されたことがわかります。

では岩石である意味はないのかというと、タノカンサアの中には地区の家々で持ち回りでまつる移動型の石像もあったそうです。

窪さんが疑問に挙げたこととして印象に残ったのが、像を持ち歩く前提ならもっと軽い素材のものでもいいのに、どうしてそんな重い岩石で作ったのかという問いです。

便利より不便を選んだ理由に、岩石でないとならない精神的な要因があったのかどうか。


私はその場で即答できず、そして今も答えを用意できませんが、岩石を選び、彫刻する時には次の「瞬間」と「立場」で心理の種類が変わったのではないかと思うのです。


瞬間

  • 彫りたい対象を模索し、彷徨うとき
  • 岩石の存在を人づてに聞くとき
  • 岩石の存在に偶然出会うとき
  • 母岩から必要な岩石を切り出すとき、拾うとき
  • 岩石に彫刻の手を入れようとするとき
  • 加工しているとき
  • 加工した中から新たな石面を見たとき
  • 岩石を加工する中で破片が飛び出るとき
  • 季節、天候、時間帯、乾湿、陰影により、異なる岩石の様態に接したとき
  • 最終的な完成品に接したとき


立場

  • 最初にその岩石に出会った人
  • その岩石に彫刻を施さず、そのままにするという選択をした人
  • 最初にその岩石を彫刻したいと思った人
  • その彫刻者の影響下で共感できた人々(支持者、従者、子孫、同集団内の人々など)
  • その彫刻者の影響下で、共感できないものの従った人々
  • 彫刻後に、その彫刻された岩石に接した人(継承する人、再活用する人、対抗する人)


同じ人間でも、同じものに接してまったく同一の感情になるわけではないのが人間の複雑なところです。

同一人物の中でさえ、自然の岩石に出会い、石造物ができるまでの一つ一つの瞬間のなかで、岩石に見出した感情は刻一刻と変化したでしょう。しかもそれは、先天的な"ピュア"な内発的感情によるものと、後天的な知識・立場・背景によるものの両面があったでしょう。

さらに、完成した石造物に対して、彫刻した当事者と同じ感情を周囲の人々が感じたとは限りません。

イベント事に対して、熱心に取り組む人もいれば、集団に属すから嫌々参加する人もいるように、人の心理にグラデーションがあったとみるのが自然です。

そして、上の瞬間・立場のいずれにおいても、岩石に何らの心理的反応も生じなかった人もいたとまで折り込みたいです。これらすべてを取り扱うのが、岩石に対する人の心理です。


彫刻家の発言より

とはいえ、細別化しすぎると正直何から手を付けたらいいか手に負えないという現状があるので、まずは岩石を彫刻したいと考えた当事者から始めてみましょう。

ヒントとなるのは、石の彫刻家の発言です。時代も地域も異なるということに注意をしないとなりませんが、このブログで紹介してきた例を数例再掲します。

磨崖仏はその岩を彫り尽くすことが目的なのではなく、あくまでその岩の聖性を抽出するために、仏等の様々なしるしが刻まれると考えられる。(青野文昭氏)

青野文昭氏の「表現のみち・おく」が石を哲学している

石工の人々にためしに聞いて御覧なさい。必ず異口同音に答へるでせう。石は生きて居ります・・・・・・と。(尾崎放哉氏)

尾崎放哉「石」 ~『日本の名随筆 石』を読む その3~

アトリエに置いてある大理石が、汗をかいていた。(舟越保武氏)

石の彫刻家・舟越保武氏が岩石に対して感じた思い

私は自分の内奥の想いとか、私のえた知識を、石に何らかの表現をしなければならない、いいかえれば、石に信仰告白をしなければならなくなっていた。(C・G・ユング。徳井いつこ氏訳)

石に語らせる~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その4~

岩石は生きている、という一文は、石を生業としない大多数の現代人(私を含む)には何のことやら、というところもあります。

文章どおりに受け止めてよいのか、というところに問題の根深さがありそうですが、「岩石が生きている」という発想は、岩石が主体で人が客体と言えます。

一方で、岩石に何かの表現をしたいという一文は、人を主体とした欲望であり、岩石は客体と言えます。


「岩石は生きている」と「岩石に何かの表現をしたい」の二つが、対立的ではなくむしろ止揚したところに、彫刻者の心があるように今は理解したいです。

磨崖仏や信仰に関わる石造物は、岩石が生きるという認知がすでに超越的であり、聖性の要因となりえます。いや、記念碑やモニュメントにおいてさえも、人が主体で岩石が客体という色が濃くなりながらも、岩石に込められたかつての聖性の残滓が岩石という素材を選ばせたのかもしれません。


岩石の聖性とは何か?

私が2022年までに言語化できたのは、『古事記』『日本書紀』『風土記』の奈良時代文献から抽出した「境界性」「忌避性」「生死性」「堅固性」「移動性」「永遠性」「非実用性」の7つの精神性です。詳細は論文として書きました。

論文紹介「『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか―奈良時代以前の岩石信仰と祭祀遺跡研究に資するために」(2022年)

この7つの精神性ですべての岩石を通観できるとは到底思っていません。


たとえば會津八一氏は、「石は案外脆いもので寿命はかへつて紙墨にも及ばない」(會津八一「一片の石」~『日本の名随筆 石』を読む その10~)と、岩石の永遠性への反例を紹介しています。やはり時代、場所、立場、瞬間が変われば岩石の心理は変わるのです。

まずは現段階の参考としていただければ、というところです。


特定の岩石を強調、見える化するということ

そうそう、講演の中で日本列島最古級の磨崖仏「狛坂寺跡磨崖仏」(滋賀県)に触れました。

そこで、日本列島における初期磨崖仏の石窟タイプと露岩タイプの特徴の違いを紹介したのですが、かなり端折ってしまいました、

私が依拠した、藤岡英礼氏の論文「狛坂寺跡磨崖仏と山寺」『季刊考古学』第156号(2021年)より該当部分を引用して補足説明に代えます。

「大規模な露岩の摩崖仏は、石窟の摩崖仏よりもわずかに早く伝来したが」「露岩タイプの摩崖仏は、境内周縁に位置することで聖域を外部に示すモニュメント(指標)となり、場の中心を志向する石窟や中心堂舎とは異なる役割を持ったと考えられる。」(藤岡氏、2021年、p.25-26)

露岩がただそこにあるだけでは、聖地であることを示しきれなかった、だから仏を彫ってわかりやすく聖度を高めたということです。

窪さんが提唱された、自然石の聖性をさらに強調・見える化した「荘厳(しょうごん)磨崖仏」の考えかたに通じます。


民話・伝説に登場する岩や石には、「石を撫でる」「石が泣き出す」「石がしゃべる」など、石が人間のように動く話が時折みられます。

これは中近世の遊行者・座頭・巫女たちが全国各地を練り歩き、宗教知識を持たない庶民にわかりやすく伝えるため、地元に存在する岩石を人間の身体技法にたとえて物語化したという説があります(石上堅氏『石の伝説』雪華社、1963年)。


いわば、岩石を「荘厳」する方法には、言葉(民話・伝説・物語)で明確化していくアプローチと、彫刻・加工で明確化していくアプローチがあったということになります。


イベント翌日に、窪さんと川田達也さんから鹿児島の摩崖仏などを案内いただきました。

そのときおっしゃられていたのが、彫りにくい場所や足場の悪い場所に彫刻がみられるということです。

それを一言で言えば、厳しいことにあえて向かっていく彫刻者のパッションということになりますが、この記事の今までの話を踏まえれば、これも"難しい存在を超克していくことで、わかりやすくしていく"という荘厳の一種なのではないでしょうか。
(その彫刻が、必ずしも彫刻者以外にわかりやすいかどうかは置いておき)


自然石そのものには、人の意思が介在しないわけですから、その視覚的性質はすべてにおいて、掴みづらい、不安定な存在だったと言えるでしょう。

その"混沌"をそのまま受け止めて信仰対象とした自然石信仰と、"混沌"の不安定さを解決したく、意味を一意にするために彫刻を施した石造物信仰に反応が分かれたということで、今回の問いをまとめられそうです。


これはヒトが持つ、未知のものを解明したい、謎のものを明らかにしたい、という根源的な知的好奇心がなした業です。その知的好奇心が、岩石の荘厳、岩石の聖化につながっていく可能性を感じました。

岩石に神聖さを感じ、彫刻や祭祀をして一手間をかけたい人の心の動きは、信仰者にとっての謎解き行為なのかもしれませんね。


2020年11月29日

西郷信綱「長谷寺の夢」(『古代人と夢』平凡社 1993年)

 


小泊瀬山の石城


古代文学者の西郷信綱氏による、古代人の夢について考究した本書に、長谷寺と岩石についての考察が見られるので、与喜山研究の一端として取り上げたい。

万葉集に下記の歌が登場する。

事しあらば 小泊瀬(ヲハツセ)山の 石城(イハキ)にも 隠(コモ)らば共に な思ひ我が背

小泊瀬山は、長谷寺が建つ山のことを指す。

西郷氏は、この「石城」のことを、いわゆる砦・墓の類ではなく、自然の岩窟と解釈するのが適切と説いている。

その根拠として、万葉集では死のことを「磐根を枕く」と表現していること、考古学的にも洞穴遺跡における人骨出土例があること、民俗学の成果で山=死後の世界という山中他界観が支持されていたことなどを挙げている。


「磐根(石根)」については、記紀・風土記では下記の例が該当する。

  1. 葦原中国は、磐根・木株・草葉も、猶能く言語ふ。夜は熛火の若に喧響ひ、昼は五月蠅如す沸き騰る(日本書紀一書)
  2. 畝傍の橿原に、宮柱底磐(したついは)の根に太立て(略)神日本磐余彦火火出見天皇と曰す(日本書紀)
  3. 宇迦の山の山本に、底つ石根に宮柱ふとしり(古事記)

例1では、磐根は"生きているモノ"としての表現となっている。

例2と例3では、宮殿の柱を建てる好地として磐(石)の根が選ばれていることを示す。

いずれの例も、死との直接的関連性は認められず、岩石を以てすなわち死とイコールになるわけではない。あくまでも岩石が包含する精神性の一側面という評価が正しい。

山=死後の世界という山中他界観も、現在では多面的な山の位置づけが指摘されているため注意したい。


西郷氏は万葉集収録の「神さぶる 磐根こごしき み吉野の 水分山を 見ればかなしも」の歌において、岩と水と山の連環を指摘し、これら大地に属するものは神話的に母性原理を示すものだったと述べている。

抽象性を高めると、大地に根差す自然物はすべて母性となってしまうので、細やかな差異が見過ごされてしまう危険もあるだろう。

山があればそこに水が流れ、石が露出するのは、本来的には自然環境の摂理である。そしてそれらは、視覚的にも人々への恩恵という面でも荒ぶりという面でも、異なる刺激を人々に与えるはずである。

山が、産みの源泉で母性と結びつくという発想は一側面であり、各自然要素を一緒くたにできてしまう魔法の解釈であり、もろ刃の剣でもある。
他の側面が一つの説に収斂される中で振り落とされてしまうのは避けなければならない。


さて、小泊瀬山の石城に話を戻すが、長谷寺の山にこのような岩窟(洞穴/岩穴)、または古墳石室や砦の存在は確認できているだろうか。それとも、歌のモチーフであり必ずしも実在するものではないと考えるべきか。

西郷氏は、岩窟にこだわる必要はなく、岩の極致は山であり、山全体を「こもりくの泊瀬」と呼ぶことから山全体が岩窟だったと解釈を拡大していき、最終的に以下の如く位置づける。

「洞窟は先ずすばり云って住居であろう、そして住居であるということは、最初の住居であるとともに、それが最後の住居であるということでもあろう。云いかえると、それは胎であるとともに墓所であることを意味する。こうして、洞窟は母性と死とのダブル・イメージとなるのである。」(西郷氏が林達夫氏「精神史 ―― 一つの方法序説」『岩波講座哲学』Ⅳより引用する形で結論したもの)

あらゆる諸要素が連想し合う、物質的想像力やモノ学に通ずる発想であるが、洞窟がずばり住居であるかの最初の前提については批判的検討が必要だろう。


少なくとも言えることは、石城の「城」は境を示す音の「キ」であり、歌のテーマから見ても、日常空間と隠れる場所の結界を果たす役割を岩石に求めているという点である。

岩窟であろうと石室であろうと砦であろうと、石で形成された空間は必ずしも密閉性の高い入口を有していないし、歌のモチーフとして有名な場所であることは、隠れる機能という面では矛盾した存在にもなる。
この点を踏まえると、岩石という素材は、物理的な境界が役に立ったから求められたと考えるより、精神的な境界性を求められて選定されて、たびたび歌に詠まれたのではないだろうか。


長谷観音と岩石


長谷寺本尊の十一面観音が、金剛宝磐石(『長谷寺縁起文』による呼称)という大岩石の上に立つという霊夢伝承は比較的知られた話である。

西郷氏は本書にて、「とくに注目したいのは、長谷観音の立地としてここで巌ないし岩場が強調されている点である」と問題提起しており、とりわけ、観音が岩石の上に立つという構図が、多くの図像に見られることを下記のとおり指摘している。以下引用する。

たとえば『仏像図彙』によって三十三観音の姿を見ると、岩と水に縁のあるもの、とりわけ岩上に坐した姿がその大部分を占めている。京都大徳寺の牧谿筆の観音も岩上趺坐である。専門家にたださねばならぬが、観音のこの岩座は図像学的にも独自な意味をもっているのではなかろうか。(『古代人と夢』より)

西郷氏の指摘から25年超を経て現在、観音と岩石の図像的な意味について検討された例はあるだろうか。


西郷氏は、長谷観音が天照大御神と同体とされたことを重視して、天照大御神が天岩戸に籠ったことから、岩石を媒介にして長谷観音と天照大御神がつながったという推測を施している。

しかしこの推測はやや素朴というほかない。
正暦元年(990年)、長谷寺が藤原氏の氏寺・興福寺の下に属することになり、同様に藤原氏の氏神である春日大明神と長谷寺を紐付けるため、春日大明神と同神化していた天照大神を長谷観音の顕現としたという政治的影響下を無視することはできない。

逵日出典「長谷寺にみる天神信仰」『古代山岳寺院の研究一長谷寺史の研究』(巌南堂書店、1979年)
https://www.megalithmury.com/2016/03/1979.html#toc_headline_5


また、岩石信仰の観点から見ると、天岩戸を以て岩石が媒介にできるという論理を是とすれば、それは天照大御神だけではなく、岩石と親和性の神は他にも多く神話伝説に登場する。つまり、天照だけではなくあらゆる神と紐付けることがこの論理だと可能となり、天照に限った話ではなくなるのである。


なお、長谷寺十一面観音が立つ岩石のありかたについては、記載文献によって微妙な揺らぎがあることを以前以下のブログ記事で記したことがあるので、併せて参考にされたい。

源為憲「長谷の菩薩戒」(『三宝絵』984年)
https://www.megalithmury.com/2016/03/984.html


『長谷寺縁起文』は、金剛宝磐石が山中に埋まっていて、それが自ら姿を現したという流れと、仏を立てる穴も自然に開いていたと記す。

一方、上記縁起文より制作時代が遡る『三宝絵』は、金剛宝磐石を徳道上人が人為的に掘り起こしたという流れであり、仏を立てる足形の窪みや穴の存在は記していない。

このことから、時代が古い『三宝絵』のほうがドラマ性や自然造仏性が低く、その後、『長谷寺縁起文』の時には後世的影響が付加された岩石信仰の物語に仕立てられているという傾向が指摘できる。

岩石信仰、ひいては岩石と人の心理的な認識を検討する際には、岩石と人の心理を取り巻く歴史的な背景を考慮して、それが岩石だけを見つめる際には一種の「ノイズ」になっていることをあらかじめ他例でも考えていかないといけない。そのようなことを示唆してくれる事例である。


2019年10月12日

堀秀道『宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか』(どうぶつ社 2006年)を読んで


鉱物科学研究所所長の堀秀道氏の著書。
「宮沢賢治はなぜ石が好きになったのか」はかなりインパクトがあるが、実は宮沢賢治の話は300頁のうちの冒頭約10頁だけという、恐ろしくリスキーなタイトルである。

章立ては次のとおり。


  • パート1 石と芸術家の物語(宮沢賢治・ミケルアンジェロ・モーツァルト・ゲーテほか)
  • パート2 石と歴史の物語(吉良上野介・イスラム・石の都・平賀源内・石神問答ほか)
  • パート3 石をめぐる人々の物語(ミネラルショー・コレクション・産地ほか)
  • パート4 誕生石の謎(ざくろ石・紫水晶・血石・ダイヤモンドほか)
  • パート5 不思議な石の物語(砂漠のバラ、インド魔術、火星の石、鑑定の基礎知識ほか)


堀氏がこれまで様々な雑誌等に寄稿した石の文章も収録されている。
本書で興味深かった記述をいくつか紹介していこう。

宮沢賢治が石を好きになった理由


本書のタイトルに対する回答はあるのか。

なにしろ彼は子供の頃から変わっていたから……ではちっとも答えになっていないではないか。文献上に私はついに答えを見付けることができなかった。

結論からいうと No. だった。
でも、他人さまの心のうちなど他人がそうそうわかるはずないので、むしろ良心的な回答と言える。

賢治が生まれた北上川へ行き、北上川ダイヤモンドが分布する白い浅瀬が朝夕照らされる光景に賢治の原点を見たとも現地での所感を綴る堀氏だが、これはエッセイ的表現か。
この光景を見た人ならだれでも石好きになってしまうが、誰しもがそういうわけではないことからも、感受性とやらに根本原因がありそうな気がする。

鉱物と岩石の定義


鉱物学者としての知識が開陳され、本書の安定感に一役買っているのも特徴だろう。
たとえば、墓石の観察を通して鉱物と岩石の定義について触れるページがある。

 一定の化学組成をもち一定の原子(またはイオン)配列をもつものを「鉱物」という。鉱物は原則的に結晶をしている(例えば水晶)。その大きさは顕微鏡サイズから大きくて数メートル大で、一〇メートルを超すような例は本当に例外的である。したがって、地層を作ったり、山を形成しているものは鉱物ではなく、鉱物の集合体である。この集合体を「岩石」という。
 漢字の「岩」が石と山から出来ているのはこの関係を文字通り表現している。
 鉱物の名前には黄鉄鉱のように「鉱」が金属系に付き、方解石のように非金属系には「石」が付くのが日本の習慣で、国際性はないが、悪くはないと思う。

わかりやすい。
おかげで、エッセイとして確信犯的に記している部分まで、まるで客観的な根拠があるかのような迫力がある(上記例では、岩が石と山の関係を表すという部分)。

鉱物を包含する概念として岩石があることは、岩石信仰の範囲を考えるうえでも重要である。

鉱物収集はスポーツか


ロシアの鉱物学者フェルスマンが鉱物収集をスポーツとたとえた。
堀氏はそこから話を広げ、スポーツに取り組む際のルールについて四か条を提示している。

一、採集した石を他の場所へ捨てない……A地点の石をB地点へ捨て、それを別の人がB地点の石として採集することのないようにします。
一、必要以上に採集しない……石は二度とできませんし、あなただけの産地でもありません。必要最小限度に止めます。
一、採集品に責任を持つ……地球の一片を自分の責任でもってきたのですから、その責任をまっとうするよう心掛けたいものです。よく見、よく調べ、よく保管することです。そして新事実があれば公表することです。採集品を捨てたり、放置するようでは、あなたは知的スポーツを楽しむエリートから自然を破壊する無頼漢に堕落してしまいます。
一、天然記念物などで規制された場所へは立ち入らない。

堀氏の石への哲学がにじみ出た、メッセージ性のある部分と感じた。
鉱物学者らしいと思うのは、「新事実があれば公表すること」のあたり。新たな発見をオープンにしてほしいという、学問への誠実さがこう書かせている。

一方で、ルールをつくることで、それ以外の行動が許されないというのも創造性を失わせてしまう。
最初の二か条と四か条目はまさにその通りでうなずけるが、三か条目は異論も許されていいだろう。
たとえば、私は自分の石を所有しているが、その石をよく調べようというところに本質を置いていない(特に、鉱物的な意味で)。
また、石を愛する人が外部に積極的に石への思いを発表する必要もないと思っている。石の信仰を保持する人の中には、石を非公開とすることもあり、その思いもまた尊重されるべきである。もちろん、研究という視点で見れば損失であるが、研究者のエゴであることも認めなければならない。

石を愛する人がすべて鉱物的な探究心を持つ人なら堀氏のルールに沿えるが、そうではない。現に私は堀氏の興味関心とはまた異なる眼で岩石を見ているため、三カ条目はやや限定的な石のオーディエンスに向けたメッセージに感じた。

石を公開する人と公開しない人、石を採集しながら保管がずさんな人、新しい石をどんどん欲しがる人、石の組成を学問的に追求したい人、そんな人々の心の動きに興味がある人…石に対峙して生まれる人のリアクションは色々だろう。
それを人のルールで規制することはクリエイティブではなく、本来の人と石の関係からは恣意的な軌道修正が入っている。

堀氏は別頁で、鉱物への認識に対して「国民の大多数が旧石器時代を脱却していない」と語るが、発展段階説が唯一の正解でもないだろう。
原初的な世界がむき出しになっているのならば、それはそれで貴重な他者として「介入せず」「尊重する」まなざしをむければ良い。


2019年4月1日

『石はきれい、石は不思議』(2007年)を素直な気持ちで読む


『石はきれい、石は不思議』は、株式会社LIXILが催した「石はきれい、石は不思議/津軽・石の旅展」のブックレットとして発行され、総頁も80ページに満たない冊子である。



冒頭は「石を拾いに津軽へ。」と題し、津軽の浜辺で拾った石たちのフォトギャラリーの体裁である。
石を見て各々が自由自在に受けとめればよく、さらりとした導入から始まるが、後半になると石に一家言を持つ識者や先達たちのコラムやインタビューが登場する。

あたかも、五感でラテラルに受け止めさせた冒頭に対して、その五感の一つの答えあわせを用意して言語化しようとする後半の構成だった。
深淵に入っていくような意図的な試みのように感じた。

執筆者・話者は次のとおりである。
  • 堀秀道氏(鉱物科学研究所所長)
  • 中沢新一氏(思想家・宗教学者)
  • 奥泉光氏(『石の来歴』で芥川賞受賞の小説家)
  • 中里和人氏(写真家)
  • 牧野喜美雄氏(津軽で石を拾い31年の石の達人)
  • 石戸谷秀一氏(津軽で石を拾い15年の石の達人)

各人が、石に惹かれることについて言葉を発し、LIXIL編集部がそれを文章にまとめている。編集部文責と思われる文章も多く、この世界にかなり造詣の深い人がいるのではないかと思わせる。
タイトルのポップさに対して、中身は大層真面目な本だった。私も大真面目に受けとめて、素直に読んでみたい。


石を拾いに津軽へ。

執筆者名が明かされていないので、おそらく編集部の責によるコーナーだろう。

なぜ津軽が取り上げられるのかというと、石拾いを趣味とする人々の間で津軽半島は錦石を代表とする美しい石が採れる産地として有名だからだ。

本文では「錦石」と「舎利石」の二つが代表格として紹介されている。

錦石は、青・黄・緑の色が織物の錦のように織り交ざった一見して賑やかな石の総称である。
舎利石は小さな粒状の石英を指し、かつてはこれを仏舎利に見立てて仏塔に収められてきて、津軽産は珍重されたという。

そんな津軽で拾った石たちの写真集に、キャプションが添えられているが、その合間に古今東西の先達の格言が挿入されているのも含蓄深い。いくつか紹介しよう。

無言の石は、動物や植物以上に自然の力を強く感じさせるのである。われわれは生命のない石に生命以上に力強いなにものかを感じるのだ(矢内原伊作『石との対話』)

石に浮かび上がるイメージが喚起する想像力の遊び(編集部)

石は地球の記憶装置。石との付き合い方がわかってくれば、地球との付き合い方もわかる(編集部)

石が描く模様とその神秘は、いつの時代も人の想像力をかき立てる(編集部)


堀秀道氏「石の旅 本州最北へ」

堀氏は、先に触れた舎利石についてさらに追究している。

舎利石は鉱物学的には石英とその仲間の玉髄という。
玉髄は ほぼ100%石英だが、そこに不純物が混じると透明感がなくなり、それは碧玉として扱われる。
また、光沢の差もあるようで、碧玉は濡らすと光沢が出るが乾くと鈍くなる。玉髄は乾いていても光沢面を持つ。

玉髄は珍しい石ではなく、全角各地の海岸や川原で見ることができた。
しかし、堀氏が津軽今別の海岸を中心にリサーチしたところでは、長い石拾いの歴史の中でおおむね拾いつくされたのか、 玉髄を見つけることはできなかったという。

碧玉はまだたくさん見つかるようで、現代ではこの碧玉を機械研磨することで「五色の銘石」化し、これが錦石として出回っているという話を付記している。

堀氏はこれを地元を潤す「仏縁」と表現している。
石に対して本来善悪などないはずだが、なぜ人の業が際立って響いてくるのだろうか。


中沢新一氏「石神の先史学」

ここで、山梨県の丸石神研究で有名な民俗学者・中沢厚氏の息子である中沢新一氏のコラム、その名も「石神の先史学」が登場する。この壮大なタイトルに惹かれてこの本を買った経緯がある。

実際は見開き2ページのコラムであるが、限られた紙幅に中沢氏の思想が凝縮されており、相当行間を読む必要がある。

中沢氏がまず取り上げるのは、先史時代の人類が刻んだ岩壁画である。
中沢氏によると、現代の研究ではこれらの岩壁画は、私たちが絵を描くという行為とは異なる意味があったということを明らかにしたらしい。

現代の私たちは、絵を描くという行為を、すでにあるイメージを「表象」するためにおこなうと定義されている。
私たちにとっての絵は、頭の中にある思想の「再現」なのだという。

一方、旧石器の人々にとっての絵を描くという行為は、行為の位置付けが違うという。
「ないものをあらしめる」ために描いたのだという。

それは旧石器の人々にとっては思想やイメージではなく、紛れもない現実だったとみなすということだろうか。
当時の人々にとっては、精霊や霊力はファンタジーではなく現実だった。
しかし、残念ながら「見えない」のである。

実在しているのに、見えないというもどかしさがある。
見えないと、精霊や霊力や現実化するタイミングや場所がわからない。
だから、見えるように絵を描いたという論理である。

現代人は、すでにあるものを見える形にさらに表現する。
旧石器の人々は、ないと困るのであるようにした。

先史時代には、大地に精霊がいるという発想があったと中沢氏は述べる。
大地にいる精霊が、この世界のどこかを「門(境界)」にしていると考えた。

それが洞窟であり、洞窟の岩壁であり、岩や石だったと中沢氏は論及する。


大地に潜む精霊は、こちらの世界に越境しようとしている。そのゲートを開けるために、境界面と考えられる岩石に絵を描くことで、見えないものをあるようにして、精霊が越境できるように変化を起こしにいった。
そういう風に考えるのである。

この「大地に対する岩石の位置付け」が人々の心の中に残り続けた。

神社や教会や寺院などの壮麗な建築物が宗教施設となってからは、それらが神の「門」となったので、岩石を「門」とする考え方は古いものとして追いやられるようになった。

しかし、「人類の心は大地とのつながりを失っては、長く持続していくことはできない」と中沢氏は考える。
その発露として、文明化された時代においても岩石が地表から露出していて、それがある人にとって原初の心を再起させるものだったとしたら、その岩石は後世においても「門」となった。
興味深い形や、Y字形をした場所、門や穴を想起させる場所は、磐座やサエノカミと呼ばれまつられるようになった。

理由は、岩石が「大地との深々とした接触を保っている」からである。
岩山や岩肌・洞窟は大地との根続き感が濃厚に残るが、地表から少しだけ見る露岩や、地表から切り離された1個の石にも、大地を想起させる要素が人類のDNAには刻み込まれているということだろうか。

最後に中沢氏は、このような新しくて小さい「石の神」は「古層の神としての威厳をもち続けながら、少しも威張ったところがない」から「愛している」と吐露する。
二面性を持つものに人は惹かれるというところがうまく集約された表現だと思う。


奥泉光氏「石には宇宙史が凝縮されている」

奥泉氏は『石の来歴』という小説の作者である。
私は『石の来歴』を未読のためまた小説も石の哲学として読みたいが、奥泉氏自身がまとめたところの紹介では以下があらすじである。
太平洋戦争末期、レイテ島で上等兵から「河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている」と聞かされた主人公が、戦後、岩石蒐集に取り憑つかれ、そのために妻は狂気に走り、子供は死に至るという話です。
まさにあらすじなので受け止め方多々だが、奥泉氏自身が種明かしをしているのは、

  • 作者自身が、なんとも思っていなかった石が実は宇宙の歴史を凝縮するものと考えたらすごいということに気づき、その驚きを作品に投影したかった。
  • 人間の営みに対して、石の歴史から見たらほんの僅かのささいな出来事に見え、その時間の流れ方の差をテーマにしたかった。
  • 主人公の苦しみを回復し、励ます要素として石を登場させた。

奥泉氏の話の中で印象深いのは、石は永遠不変ではなく、人間から見たら永久に見える存在だが、石自身の時間の中では石も運動していて、刻一刻と変化し、いつかは死ぬという視点で見ていることだ。

岩は風化作用で細かく砕かれて、石になる。石はやがて砂や土になり、水に運ばれて湖沼や海底に堆積し、固まって再び岩になる。またはマグマに溶けて元に還っていく。石は不動のものと思いがちですが、一瞬も静止することなく変化し、絶えず循環しているわけです。

石の永遠性という、使い古された言葉へのアンチテーゼとして覚えておきたい視点である。

そんな「運動している石」のある瞬間と、私たちの人生のある瞬間が重なり合う。
私たちが見ている石の姿はこういう奇跡的な瞬間なのであり、そこを魅力とみなすのが奥泉氏の見方だ。

奥泉氏はもうひとつ面白い視点を提示している。
石を単なる無機物ではなくひとつの生命とみなす詩人や思想家がいて、その気持ちは理解できるものの、奥泉氏は「やはり無機物は無機物で、人間と石とは違う」という立場を表明していることだ。
その理由がまた独自的で、人も石も同じ生命とみなすと、人間の論理や道徳の根拠がなくなってしまうからだという。

奥泉氏は作家として、石を自分と同じと見ず、他者と捉えたい。
他者の内面に共感しながら、一方で否定的にアイロニカルに見る。
そうやって世界を二重化することで、人と石は違うという立場を堅持しつつ、石の魅力を感じたいという。


中里和人氏「津軽探石行」

中里氏は、津軽の石拾いの達人である牧野喜美雄氏・石戸谷秀一氏の両名に出会った。

両氏の詳細は後述するとして、中里氏は会った感想として「やって来た石は、拾った人そのものの化身」であると表現した。

牧野氏と石戸谷氏のコレクションの差に気付いた中里氏は、どちらにもこの列島の風土が積み重ねてきた文化性に基づいているものと考え、両名でそれが二つの側面で分かれたとみなした。

石の世界の中で、同じリアクションにならないという多様性や両義性、二面性といったものをはらむ記述だった。
それでは実際に石の達人たちのインタビューに移ってみよう。


牧野喜美雄氏「石は人間の気持ちが及ばない世界をもっている」

インタビューから窺われる牧野氏の言葉はやわらかいのに、それでいて直截的だ。

まず、牧野氏の石拾いの信条を感じられる部分を列挙してまとめたい。

  • 海岸で、砂の上に出ていて、見えている石だけを拾う。
  • 掘ってまで探すのは後から来る人の考えるとやりすぎ。
  • 拾った石は天日にさらす。それで落ちる色は落ちていいと思う。
  • 人の作為が入っていない石がいい。人間の感性が無為であることに品格がある。
  • 自然石は、形が気に入らないところがあって、それでいい。気に入らないところがあるからいい。
  • 石の立場に立って考えると、自分以上に石を求める人がいたらそのほうが石にとっていいので、執着せずにあげる。
自然の経過を受けた有様のようなものを大切にする牧野氏からは、自然石に対する感情の言語的なヒントをいただいた気がする。

牧野氏のコレクションは、このように天日でさらすことで「軟らかいところが削れて、硬い所ばかりが残って、何というか、苔むした感じ」の石たちになる。
これを先出の中里氏は「明るくも寂びの利いた、艶やかな色彩世界」と評した。「侘び寂び」感がキーワードだろう。


石戸谷秀一氏「後世に恥じないきれいな石を残していきたい」



牧野氏が「私が持っていない津軽の良い石をみたいなら石戸谷氏」というもう一人の達人、石戸谷氏。
石戸谷氏の石拾いのポイントをまとめてみよう。

  • 貝採り用のジョレンを改良した道具で、波が引いて次の波が来る前に石を採る。
  • 冬の荒波は、海底の石を砂浜に連れてくる。そんな大きい波の後の一瞬を狙う。釣りのイメージだが、命綱をつけることもある危険な行為。
  • 手に取って駄目な石はすぐ海へ戻す。
  • 迷った石は浜側に投げてあとで吟味する。
  • 石を眺める目的は、展示会でどう表現するかの構想を練るため。
  • 磨き方で石の模様はすぐ変わる。磨いてきれいになる石は、きれいにしてあげるべき。


研磨された華やかな原色感。
中里氏の評は「縄文以来見続けてきた堆積色による力」である。
縄文時代の評は異論もあるだろうが、芸術家を刺激した一連の土器・土偶に原色感を見る気持ちは理解できる。そういえば縄文時代の石製品も研磨の文化だった。

石を自然の恩恵の形で享受しようとする牧野氏に対して、石のまだ見ぬ姿を積極的に開拓していこうとする石戸谷氏。
明らかに石の追求のしかたが異なっている。

私には、自然石をそのまま拝して祭祀した人たちの一派と、山に登り岩場を登り頂上を極めようとする修行者の一派の関係とオーバーラップした。

石をどのようにして求めようとしたか、のアプローチが行きつくところは岩石信仰になりうる。
小説家の奥泉氏が「僕自身は石に取り憑かれるまでにはいかなかったけど」と語ったように、石に生命を認めて、石の世界観に人が取りこまれるかどうかが岩石信仰の境界線なのかもしれない。

そのようなところまで思いを馳せながら、本書の最終章に畳み掛けてくるのが「達人の石コレクション」。
これまでの経緯を踏まえて達人の石の写真を眺めていると、何か深いことを思索したくなるけれど、先達の格言の前では陳腐に過ぎるので、最後は「天与の絵画」と題された石のキャプションを引用して終わりとしたい。

フランスの社会学者・哲学者のロジェ・カイヨワは名著『石が書く』のなかで、石そのものがもつ驚くべき模様を克明に綴っている。自然がつくる造形の神秘。芸術家にとって、石は創造の源泉でもあった。