ラベル 歴史学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 歴史学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年8月15日

岩屋岩蔭遺跡・金山巨石群(岐阜県下呂市)の批判的所見


岐阜県下呂市金山町岩瀬

概要と評価

かつて大狒狒(おおひひ)という怪物が横暴を極め人身御供を捧げていたが、これを聞いた源義仲が退治に向かい、大狒狒はこの岩屋に籠ったが討伐されたという。以後、岩屋内に妙見神社(岩屋神社)をまつる。

この場所から縄文時代早期・弥生時代の土器・石器、江戸時代の古銭が見つかったことから岩屋岩蔭遺跡の名がある。現在、報告書は「全国文化財総覧」において電子公開されている。

これとは別で、この遺跡が天文観測装置だったという説に立って「金山巨石群」と呼ぶ人々もいる。

岩屋内に日光が差し込む時期と差し込まない時期があり、光が当たる底面の岩石の光の当たり方と形状から二至二分の時期を知ることができるという。

2条の線刻とその上部に3つの横並びの窪みがあり、夏至になると窪みや線刻に日光が当たるという。

春分・秋分に、写真のE岩とF岩の隙間へ太陽が沈む様子が観察できるという。

上写真の岩石群の隙間に、冬至を中間とした120日間日光が差し込むという。


これに対する私の見解はすでに別で記したため、下に当該箇所を掲載する。

市井では,縄文時代に巨石を使って天体運行の観測などを行っていたという天体観測装置説が根付きつつあるので付言しておきたい。代表的な事例として岐阜県岩屋岩蔭遺跡(金山巨石群)が挙げられ,巨石の輪郭,隙間,重なり合い,岩肌の窪みなどを利用することで二至二分の時期や一年・閏年の周期,北極星や北斗七星の動きを知ることができるという(小林,2011)。
岩屋岩蔭遺跡は縄文時代早期と弥生時代の土器・石器,江戸時代の古銭が出土した県指定史跡だが,天体運行を観測できたという独自研究は史跡の評価とは別である。巨石を利用してさまざまな天体観測ができることは,実際に実験がなされているので間違いないがそこは問題ではない。本当の問題は,これが過去の人々によって意図的に編み出されたものなのか,それとも自然の景観が作り出した偶然の産物なのかというところにある。
すでに金山巨石群に対しては,地質学の立場から地滑りで巨石が動いて群集した自然現象という評価がある(宮下,ウェブサイト)。巨石群における観測の実態についても,夏至や春分を観測するのが1か所ではなく複数の地点に分散し,その観測の方法も日光の差し込みだったり岩石のどの位置に太陽が来ているかだったり,巨石の積み重ねを装置にしたと思えば巨石に「線刻・刻印」 を穿つ方法になったりと,統一感のある設計規格は見られず雑然としている。
考古学において天体観測の研究自体は現在まったく否定的ではなく,弥生・古墳時代では北條芳隆が考古天文学の立場で複数の遺跡の天体運行現象を論じている(北條,2017)。縄文時代でも,青森県三内丸山遺跡などで天体観測を意識したと推定される遺構が存在しており,人工的な遺構であれば当該期の天体への意識や観測を否定する立場ではない。
逆言するならば,岩石においては人工的な設置・加工の痕跡を証明できて初めて肯定的評価がなされるべきであり,自然のままの位置のみで天体や暦の観測ができるというのは証明にならない。それは,人が事物に対して無限大に意味付けすることを示すロールシャッハテストを持ち出すまでもないだろう。この点において,研究者自らの意味付けが恣意的でないかということに自己批判が必要なのであるが,いわゆる自然石を縄文時代の天体観測装置として取り上げる諸文献からはその自己批判を行った部分が読み取れない。このような現状に対して,地質学分野が岩石の自然・人為を科学的に判断していく意義は大であり,考古学や地質学がこれらの「縄文」歴史観の批判的検討を協業することで一般社会における歴史認識の醸成にも寄与できるものと提言したい。

・小林由来(2011):暦学。渡辺豊和[編著]『イワクラハンドブック』,312-321,イワクラ(磐座)学会,大阪。
・宮下 敦(ウェブサイト):岩屋岩蔭遺跡。http://earthprobe.blue.coocan.jp/megalith/iwaya.html[2022年8月14日閲覧]
・北條芳隆(2017):『古墳の方位と太陽』。280ページ,同成社,東京。

[引用元]吉川宗明「岩石信仰研究の視点」『変動帯の文化地質学』(京都大学学術出版会 2024年)

なお、金山巨石群の天文観測説を追究するため、遺跡指定されている地中を届出なしで掘ってしまった事案があるのはいただけない。無許可の発掘調査がなぜ推奨されないか、文化財保存とは何かという理念を学んでいないことがわかる一幕である。同好の方は厳に慎んでいただきたい。


岩石にできた穴に日光が入る統計的確率への疑義

金山巨石群は天文考古学の代表的な事例として長年知られてきたが、近年では愛媛県松山市の海岸沿いにある「白石の鼻」を縄文時代の人為的な天体観測装置とする説も盛んである。最近、統計学的視点からこれを「0.55%の奇跡」と呼ぶ記事が公開された。

Kimono club氏によるnote記事「0.55%の奇跡|愛媛・白石の鼻巨石群は古代の天文台か?」がそれで、岩石にできた貫通孔(太陽の光を通す穴)が特定の天文現象の方向を向く確率は1/180(0.55%)である、と統計学の大学教員としての立場から述べている。

この記事は、白石の鼻で継続的に天体観測活動を継続されている松山・白石の鼻巨石群振興会のホームページにも「オススメ記事」として紹介されており、天文考古学と遺跡を語るうえでも最新の言説と言える。

ここで述べられた統計的確率について私には疑義がある。天文考古学的な議論において批判的な見解が言語化されることは少ないと見受けるので、ここでまとめておきたい。


前提条件として、1個の岩石の1か所の貫通孔で計算するから1/180というだけであって、本来の母集団は全国に存在するすべての岩石の貫通孔・隙間を加算しなければいけないのではないか。

1つの岩石において1つの貫通孔しかなくて1/180の確率でも、全国に広げれば岩石の貫通孔をもつ場所は増加していき、全国のどこかでその現象が偶然ヒットする確率は当然上がる。単純に貫通孔の事例が全国規模で180か所を超えて確認されれば、そのうちの1か所は任意の方角を指し示していてもおかしくない。

偶然か人為かを判断するのであるから、日本の地質活動において偶然に出現しうるのかという視点で分析しないとならない。ならば、特定の1か所で確率を示すことなく、日本列島という地質全体を母数に置いて論じられなければならないだろう。


次に、特定の方位を向くのを1/180と設定しているが、分子の置き方に疑義がある。

天文考古学では、夏至・冬至・春分・秋分の二至二分の日の出・日の入の方向が注目されることが多い。この場合の直線で言うと「東西線」「真北から60度のライン」「真北から120度のライン」の少なくとも3本に意味が持たせられている。

どれかに一致すれば天文考古学的に評価されるのが実情なので、分子は3/180 = 1/60に上がると言って良い(二至二分以外にも意味を持たせるならさらに分子は増えて偶然一致確率は上がる)。


分母も正確なところでは180とは言えない。

これはKimono club氏も言及しており、実際は方位角(平面)だけでなく立体角(垂直側)の光の差し込みも考慮に入れなければならない。立体角をかけ合わせればさらに分母はふくらむことになる。

同氏はその計算結果を示していないが、私も専門ではないのでここはGemini(AI)に聞いて参考とするにとどめたい。Gemini回答によれば、球面幾何学の積分公式で立体角の計算を行った上で現実の大気差と太陽の視直径による補正を加えると、1/10615となるらしい。

ここに、二至二分で意味を持たせられる3本の直線の存在を分子に置くと、3/10615 ≒ 約1/3538となる。おそらくこれくらいが、本当のところの「貫通孔がたまたま二至二分で意味のある方向を向く確率」だろう。

なお、金山巨石群では貫通孔以外にも岩石の窪みやでっぱりなどの輪郭や配置状態にまで意味を持たせているため、偶然一致確率がさらに上がることは言うまでもない。


1/3538とは、全国に散らばる自然でできた岩石の貫通孔のうち、平均して3538個に1個は二至二分の意味のある方向を向いていておかしくないという確率である。

仮に、そのような貫通孔の事例が日本で100個ほど見つかる場合、日本列島における貫通孔の総数が353800個以上あるとわかれば「当然の現象(=偶然)」であり、その数より少なければ「偶然とは言えない現象(=人為?)」と言える。
(1/3538の確率、貫通孔事例100個、353800個の数値はすべて仮定の話である。独り歩きしないように釘を刺しておく)


つまり、母集団となる日本列島の貫通孔総数がある程度の範囲で数値化できない限り、目の前で見つかった貫通孔が偶然を超えた存在かどうかを評価することはできないのである。この点において、前掲記事に冠せられた「奇跡」の見出しは主観的な勇み足が過ぎる。

もし、その貫通孔の人為的設置や加工の明確な根拠を提示できないまま統計的な見地から論じたいのであれば、単に意味ある貫通孔の実数を報告するのではなく、日本全国にあるすべての貫通孔の総数(母集団)も報告しなければならない。


貫通孔の母集団はいかほどの数に上るのだろうか。高山険所の多い日本で1つ1つ実地を巡って悉皆調査することは不可能だが、想像もつかないほどの途方もない量に上ることは容易に想像できる。

たとえば、こういう谷間沿いに集積した岩海と呼ばれるような地形1つとっても、いくつもの貫通孔が潜んでいる。

岩石が重なるだけで、光の差し込む貫通孔は容易に生まれる(奈良県奈良市岩戸谷)

岩海に形成された岩屋では、このように複数の間から光が差し込む(岐阜県瑞浪市関の岩屋)

上写真の岩石1個だけで、地表と岩石の隙間に3つの貫通孔が生まれている(静岡県浜松市舘山寺)

亀裂・岩門なども含めると、1か所に複数個の貫通孔が存在することは普遍的である。


以上例示した場所は名所景勝として知られるものの一部であるが、このように特別視もされていない、単なる自然地形における貫通孔のほうが格段に多いだろう。

岩石が群れ集まるような場所は、土石流や地すべりなどを起こすような不安定な地形が多い。たとえば国土交通省が公表している「全国の土砂災害警戒区域の指定状況推移(令和8年6月末時点)」によれば、土砂災害警戒区域は日本全国に約72万か所存在する。これはあくまで生活地域の危険個所として指定される件数であり、生活圏外の山岳や海岸線の岩礁群を含めればさらなる増加が想定される。日本列島の約7割を山地が占めることを踏まえれば、岩石地形の総数はゆうに100万を超えた規模になると考えていいだろう。

これらの岩石地形それぞれに貫通孔の存在が想定される。日本列島の代表的地質である花崗岩地帯では、数mおきに格子状の節理(割れ目)が発生し、そのたびに貫通孔の生まれる余地がある。先ほど例示したように、1か所の岩石でも複数の貫通孔が形成されている。

現に、ここでもあそこでも光が差し込む岩が見つかったという報告を目にするが、たくさん見つかるのは母集団が巨大であるために起きる偶然説の補強にすら思える。

いずれにしても、意味のある方向を向く貫通孔の事例を見つけていくという分子のほうだけ追いかけていても、分母の検討がつけられない限り統計的に論じることはできないだろう。


他に検討しないといけない観点もある。変動帯に属する日本列島において地質活動による岩石の位置変化がなかったという前提に立ち、現在の配置で天文現象の調査をしていることの危うさである。

現在、意味のある方向の光がピンポイントな立体角で入っている場所があって、それが縄文時代の産物だったとしよう。それは活発な地質活動を続けてきた日本列島で数千年もの間、安定的にいられ続けて、縄文時代の時と寸分たがわずその岩石の配置状態のまま来たのかという疑義がある。

岩がわずか1度傾いただけで、その天文観測装置が正確であればあるほど機能不全となる。現在の配置で人為説を立証する場合は、その場所では地質変動がなかったこと、あるいは激しい地質活動の中でも1度の狂いもなく現代まで維持できるのだという岩石構造の安定性を論じる必要もあるだろう。


また、なぜ人為説立証の本家本流のアプローチである「岩石の人為性」の方向で追究しようとしないのかが不思議である。

前掲のKimono club氏の記事では、白石の鼻がかつて陸上にあったという地質情報を紹介しているが、ならば、この巨石群が花崗岩の「玉ねぎ状風化」による自然成因によるものであるという地質情報も公平に紹介すべきである。

同じ地質情報に依拠するなら、都合の良い情報だけを抜き出し、都合の悪い情報に触れないのは科学的な姿勢ではない。そして同じく地質学的な学知に基づいて、白石の鼻は地質学的には説明できないことを論ずればよい。

そして陸上における遺構として評価するのであれば、現地の海底において縄文時代の考古学的物証をつかむか、巨石を加工・運搬した際に岩石側あるいは地層面側にできるであろう痕跡をつかむかを、これは「ある/ない」の「ある」側に立つ人為説側が立証するしかない。


以上、最新のホットな話題である白石の鼻を例に天文考古学の問題を取り上げたが、「0.55%の奇跡」というセンセーショナルな見出しに乗りかかることなく、科学の俎上に乗せるならまず自らに執拗と言えるほどの批判的精神を宿し、否定に否定を重ねても否定しきれないものがあるのかを冷静に見つめることが望まれる。


2026年6月14日

文献紹介『祭祀遺跡とは何か』(穂積裕昌著 2026年)


穂積裕昌氏の新刊『祭祀遺跡とは何か』(雄山閣)が2026年4月に発表されました。

穂積氏は「水の祭祀」の代表的遺跡として知られる、三重県城之越遺跡の発掘調査に携わった考古学者として知られます。

本書はその書名が題するとおり、特に弥生・古墳時代の祭祀遺跡の最新総説として読むことができます。


第1章 「祭祀遺跡」の誕生
祭祀遺跡概念の総合研究史。この章を読むだけで最新の祭祀遺跡の知見を一気に習得。

第2章 神と死者、そして祖
第1章の最後で論点に挙がった「祖」が古墳時代祭祀のキーとなる。祖、上祖、葬と祭の関係。大陸・東アジアのスケールで日本列島の祭祀を検討。

第3章 弥生時代の「祭祀遺跡」
弥生時代の大型建物、銅鐸を代表とする青銅器埋納、弥生時代の遺物に刻まれた絵画文様。これらが祭祀と言えるのかどうかの論点整理。

第4章 創祀の契機
穂積氏が力点を置く、奈良時代文献群から当時およびそれより前の時代の祭祀観念を読み解く章。

第5章 儀礼の場
第4章より明らかとなった、祭祀の前段として行われることのある卜占・誓約を考古資料で見出す。

第6章 荒ぶる神への対抗
奈良時代文献、特に風土記を紐解き、祭祀遺跡が設けられた祈願目的の解明に踏み込む。

第7章 井泉への信仰と祭祀遺跡
穂積氏の専門とする水の祭祀遺跡を取り上げた章。井と泉の具体的分類と、山岳、河川、集落内など様々な場における考古資料の列挙。

第8章 磐座・磐境・神籬の成立
岩石信仰においては最も注目すべき章。これまでの古典的見解の焼き直しではなく新知見に富む。特に磐境に関しての論説が充実しており研究史に刻まれること確実。

第9章 祭祀遺跡と建物をめぐる諸問題
第3章で提起された弥生時代大型神殿説の検討から、弥生時代における大型建物と井泉の親和性から祭祀の場の萌芽を評価。政治・権力の場における祭祀と自然の地霊に根差す祭祀の2系統から最終的に神社祭祀につながる道筋を論証。

終章 祭祀遺跡から神社へ
弥生時代における地霊・穀霊への祭祀、古墳時代における荒ぶる神への祭祀と守護者としての神の祭祀と大陸由来のその祭祀と人格神化、それらの系統が祭祀遺跡から神社へ発展していくという歴史観を提示。


詳細は同書をご覧いただくとして、本記事では岩石信仰の範囲に限って、私が読みながら思ったことを記録します。


まず、穂積氏の専門領域である「水の祭祀」における岩石の扱いです。

城之越遺跡は日本庭園の源流とも表現されるような存在ですが、遺跡内の立石と石敷については「聖」と「美」の関係で悩ましい存在でした。

もちろんサニワ(斎庭)の観念があることから、庭と祭祀の場が矛盾しないことは承知していましたが、人工的に立てたいわゆる配石遺構と、自然の地表から露出した大地の働きとしての自然石岩盤との差異があったのかどうかという問題です。

風土記には、人と大地(地霊)の相克と表現できるような、地霊の討伐に関する記述が指摘されています。では古墳時代以前ではどうだったでしょうか。

岩石という素材においても、石材、古墳、祭祀遺跡の分布を見ると、採られて石材化した岩石とどうやらそうならなかった岩石に分かれるようです。

石を立てて立石にしたら、外形的なイメージからその岩石を憑依物としての磐座として認定して良いと言えるかは微妙です。大地に根差す自然岩盤の磐座と同じかという躊躇があり、自然に根差さなくても人が人工的に設置したら同機能となると言っていいのかは、まだ慎重に検討されるべき課題です。


城之越遺跡は湧水点である井泉1~3を有し、数多の石敷が構築される中で、井泉3だけは貼石がないなどの差異も有します。このように「規格的」ではない自然のランダムさを内包する解釈の難しい遺跡ですが、発掘を担当した穂積氏の最新の見解が本書の祭祀遺跡論の随所にちりばめられています。

このような井泉遺構の貼石や集石について、本書では奈良県纏向遺跡辻土坑1は祭祀の廃棄跡とみなすほか、鳥取県茶畑山道遺跡の集石群を水溜めとみなす解釈も勉強になりました。

岩石が整然とした意図的配列なのか無造作なのか、その判断基準をどのようにみなすとよいかは気になるところです。


そして第8章の「石の祭祀」です。

磐境について、ここまで具体化できるとは考えもつきませんでした。読後感として、磐境の位置づけに異論ありません。

三ツ寺Ⅰ遺跡の石敷遺構は磐境と同種の「聖域表示施設」だろうと拙論でもぼかして匂わせることはあったものの、はっきり書くことはできないままでした。磐座以上にアンタッチャブルだった磐境を今後議論の俎上に載せやすくなったと言えるでしょう。


一方で、磐座・磐境中心の分析で石神への検討が少なかったように思います。拙稿にも言及をいただきましたが、私が磐座・磐境・石神に限らずそれ以外の岩石の機能を提示した論旨が本書で検討されていないのは、穂積氏があくまでも古典に立脚するという姿勢だったためだと理解しています。

私は、最大公約数的に全時代全地域でこのような岩石の使われ方が想定されると提示したので、各時代のアプローチにおいてどうだったかは演繹的に検討せざるを得ません。古典に立脚する立場をとる以上、文献に現れない名称・用語は機能としてカウントしなかったのでしょう。


穂積氏は磐座遺跡認定の可否の一例として、福島県建鉾山遺跡の高木地区の御宝前奥にある巨岩を「磐座」遺跡とみなさず留保する立場をとりました。

山頂の建鉾石については、巨岩上に登らないと認識できないという点で当時の人々が岩石の上まで登って祭祀したかというと同じく疑問ですが、巨岩下の高木地区まで留保するのは私には意外でした。


私も批判的に自然石と祭祀遺跡の関係を見る立場ですが、高木地区の現地に立って感得するのは、巨岩が見えそうで見えない位置に御宝前と呼ばれる空間が位置することです。絶妙な位置と表現したいです。

高木地区の遺物出土地点に立つかぎり巨岩の姿は見えませんが(植生・繁茂の状況によっては見えるかも)、わずかにでも山側に歩けば1分もたたず巨岩が姿を見せるので、さすがに高木地区は巨岩の認識ありきで、あえて巨岩から離した場所に設けた、あるいは、御宝前に散らばる岩石群を「目印」「境界」として形成した祭祀遺跡と評価しています。

(私は、聖山と崇める契機に山中に立ち入った前史があり、山中に神の顕現を認めた結果、それ以後は山中奥深くに立ち入らずに山腹・山裾・山麓で祭祀を行ったという立場です)


このような距離のとりかたを以て、離れた場所から祭祀する岩石を「石神」候補たりうるものと仮定しています。

深澤太郎氏「高木地区の磐座群」『國學院大學博物館研究報告』41, 2025年)では、高木地区に散在する大小の岩石群を俗と聖を分かつ境界としての「磐座」とみなしているようですが、空間的な広がりを持つ岩石群ですので「磐境」とも言えそうです。

石神を直接見ないようにするという意味では、これも穂積氏が本書で重視した「遮蔽」の場と言えます。

御宝前が遮蔽の磐境の空間とするなら、遮蔽物の奥に控える一大巨岩は磐境ではないことは自明で、目の前で神迎えして祭祀の装置とすることが前提の磐座でもなく、それらの可能性が除外された先にある石神という指摘が初めて浮上します。石神は遺物出土地域から外れる特徴を備えるという想定も可能かもしれません。

柳田国男・折口信夫が石の話をしながらも「磐座」の語に重きを置かなかったように、石神を含めた多様な岩石信仰を想定することは重要かと存じます。


私自身、考古学の最新の知識をアップデートできていないところが多いので、本書で多数の遺跡の存在とその考古学的解釈を勉強することができました。

それら祭祀遺跡から見えてくる神祭りの姿を本書は描き出しており、資料第一主義が貫かれた全体の論旨に賛同しています。

記紀・風土記の利用においても慎重に慎重を重ねられており、大略、当時の人々の心を抽出することで古墳時代に援用可能とする見解は、私も今後の研究においてより奈良時代文献を用いていく励みとなりました。

皆様におかれても本書を通して最新の祭祀遺跡の知見を得られることをお薦めします。


楽天Amazon
[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

祭祀遺跡とは何か (考古学からみた古代祭祀 4) [ 穂積裕昌 ]
価格:5,280円(税込、送料無料) (2026/4/29時点)





2026年5月24日

赤色立体地図で岩石を識別できるか?

昨今、赤色立体地図を利用して古墳や城郭を発見する取り組みが活発です。

従来の等高線とは違い、航空レーザ測量による1m単位あるいはそれ未満での微細な地形の流れを確認できます。

古墳や城郭は大幅な地形改変を伴うため、自然地形に対して不自然な溝・段・平坦面などが残ります。面白いのは、人間の視野では現地で気づきにくい俯瞰的な地形改変が赤色立体地図だと浮かび上がるという点です。

それでは岩石の場合はどうなるでしょうか。

1m単位の地形の流れであれば、それより高さのある岩石の起伏が立体化されうるのではないかという狙いです。

これにより岩石信仰調査や自然石文化調査に援用できるのではないかという見通しを立てて、今回、いくつかの事例を皆さんと見ていきたいと思います。


赤色立体地図のデータについて

ウェブサイト「全国Q地図」では法令上公開・活用が可能なさまざまな地図情報がまとめられており、赤色立体地図も全国版・地域版・都道府県別で使用可能なものが網羅されています。

下のページが特にわかりやすいです。

全国の赤色立体地図、CS立体図が閲覧できます! | 全国Q地図


今回は、この内の「基盤地図情報(標高)1mメッシュ(DEM1A)【Q地図】」の赤色立体地図を使ってみます。

私が過去に訪れた岩石祭祀事例の中で、地形的特徴をもつと思われるものをピックアップして確認してみました。

確認してみてわかったこととして、すべての場所に赤色立体地図があるわけではないのが注意点です。

たとえば、賀茂神社の神籠石(群馬県桐生市)、金鑚神社の鏡岩(埼玉県児玉郡神川町)、白山神社の巨大岩塊(福井県勝山市)、金丸八幡神社の列石(徳島県三好郡東みよし町)などはその場所一帯が赤色化されていなかったため確認不能でした(公開されている範囲で)。

悉皆調査することはまだできない前提で、その他の場所をいくつか見てみましょう。

グレー表示の部分が赤色立体可能エリア(DEM1Aの場合)

なお、地図の引用・転載はこちらにあるとおり、全国Q地図・地理院タイルのクレジットが地図上に写っていれば、それをそのまま出典表示に変えることができます。


Case 1. 建鉾山


山腹から山頂にかけて数十m規模の一大巨岩です。
これがどのように表示されるかで赤色立体図の基本スペックが見えてくると思います。


比較できるように、左に従来の等高線地図、右に赤色立体地図を画面分割して掲載しました。

一目見て、等高線地図では緩やかな楕円形に見える山容も、実際には緩急のついた起伏のある山中地形であることがわかります。

そして一大巨岩。山頂から北の谷間に向かって筋状に隆起しているのがそれです。特に白光りと鮮明な赤色表示をなしているので、周辺地形と巨岩とを判別できます。

建鉾山の例では、赤色立体地図で岩石地形を確認できるという結果になりました。


Case 2. 榛名神社

榛名神社の御姿岩(群馬県高崎市)ならどうでしょうか。

高さ50m弱といわれる立岩です。想定としては、明らかな地形起伏として描かれるのではないでしょうか。


作図ツールを使って黄緑色の円で囲んだところが、御姿岩のある場所です。

社地を設ける際に整地した地形は明確に浮き出ていますが、御姿岩は…思ったより…目立っていません。御姿岩は立岩状なので上から見ると「点」表示になると考えられますが、50mという高低差が図化されていない気がします。

建鉾山は山と同体化した岩盤地形だから描かれて、御姿岩は地表から浮いた構造物的な扱いとして図化されないのか、レーザ識別の「癖」を知る必要があります。

榛名神社の例では、赤色立体地図で岩石地形を確認するのは難しいという結果になりました。


Case 3. 星ヶ見岩

岐阜県中津川市の巨石の宝庫として知られる星ヶ見公園はどのように見えるでしょうか。

こちらは探訪記事をまだ公開していないことに気づいたので、下に参考写真を掲載します。こんな山です。



星ヶ見公園の岩がムキムキしている様子がよく図化されています。これらの岩々は地形として認識されている様子で、地形認識だとこの規模の巨岩を赤色立体地図で確認するのは容易です。


Case 4.  渭伊神社境内遺跡

大多数の方が「天白磐座遺跡」と通称しつづける、渭伊神社境内遺跡(静岡県浜松市)です。

(棘のある言い方ですみませんが、学術的にここは譲れません)


ポツポツと岩石らしき隆起は見えますが…さて、これをもって岩石群の発見は容易と言えるでしょうか?

今回は事前にここに岩石群の遺跡があることがわかっていて、事後的に赤色立体地図を見にいっているから「まあ、あるよね」くらいの感想ですみます。しかし、本来の趣旨である未発見の岩石群を地図上で探そうという用途で考えるなら、これではやや厳しいでしょう。実際に現地に行ってみないとそれが岩石かどうかはわからないと思います。

人間の視覚に訴えるA岩、B岩、C岩のトライアングル景観が、赤色立体地図上ではなかったことにされるのもいろんな意味で興味深いです。

岩Aは高さ7m強あり図化されていると思いますが、高さ7mない道幅の整地跡のほうが鮮明に写るというのが赤色立体地図の特徴のようです。


Case 5. 東光寺山出世不動明王

近江富士に北接する東光寺山の出世不動明王(滋賀県野洲市)は、谷間にこんもりと隆起する岩塊でありこれがどのように図化されているか気になります。


右下の小さい丸のほうが、出世不動明王の岩塊です。

これはくっきり存在しています。当初の予想に応える結果であり、このように地形の隆起として認識されれば強いです。

岩石と関係ないですが、それ以上に予想外だったのは左上に囲んだ部分です。

ここは妙光寺山の頂上です。妙光寺山城という中世の山城が確認されていますが、前方後円形に見えなくもない。主軸の長さは100mに達しようかという大規模なもので、前方部と後円部のバランスを考え合わせると古墳時代後期の前方後円墳の特徴にも見えます。

妙光寺山の山麓・山腹には群集墳が存在しますが、山頂の前方後円墳は文化財総覧GISを見る限り報告されていません。山城のほか、山名のとおり山寺の整地地形の可能性もありますが、念のため今の流行に乗っかり、前方後円墳候補としてここで報告しておきます。


Case6 . 梅ヶ畑銅鐸埋納地

梅ヶ畑遺跡(京都市)と言えば、京都市唯一の銅鐸出土地で岩石信仰との関係も取り沙汰される重要遺跡です。


土地開発で完全に地形改変されているのがよくわかります。埋納地にあったという自然石群も今はなく、山頂尾根ですら本来の自然地形はまったく残っていないという事実を知るのにも、赤色立体地図を活用できることがわかる事例です。
ちなみに緑丸のすぐ左にポツポツ浮かんでいるのは御堂ヶ池群集墳です。


Case 7. 日室ヶ嶽

日室ヶ嶽(京都府福知山市)の東斜面は今も禁足地で、内部の様子は不明です。

このように、立ち入ることができない禁足地内の岩石群の存在を赤色立体地図で把握することは、本来の趣旨に適う使い方でしょう。


山頂から東にかけての斜面に、相当数のポツポツとした隆起が存在していることが窺えます。これまで見てきた事例を踏まえれば、これらがすべて岩石である可能性は高いです。

日室ヶ嶽の東斜面がなぜ禁足地であるか、そして、日室ヶ嶽の「磐座」とは山頂ではなく東斜面を指すのではないかなどの示唆を与えてくれます。

緑色の丸は、天岩戸神社の御座石があるはずの場所ですが、川の中の岩石は地形ではなく構造物としてはじかれてしまう模様です。


Case 8. 御社尾とハッチョウサン

御社尾(奈良県奈良市)は、都祁山口神社の裏の谷頭に位置し、二つの尾根が合流する特異な立地で知られます。


御社尾の岩塊(上の緑丸)は、なんとなく周辺より尖っているかなくらいの印象で岩石地形としては鮮明ではありません。小川光三氏が述べるような前方後円形も地形上では認められません。

下の緑丸はハッチョウサン(八王山)と呼ばれる場所で禁足地とみなされています。ここに列石らしきものがあると同・小川氏が書き残していますが地図上ではその列石具合が確認できず残念。こういう時に活躍できるとよかったのですが。


Case 9. ゴトビキ岩

ここで巨石の代表格・ゴトビキ岩(和歌山県新宮市)に登場願いましょう。


天磐盾に比定される神倉山の岩肌は、山塊の周縁にわたって明瞭に図化されていますが、それに比するとゴトビキ岩は緑丸の中で目立ちません。

高さ10mを超すと言われる巨岩ですが、存在していないような結果です。構造物扱いで除外されてしまったパターンでしょうか。このように岩石の「当たり」判定は微妙な位置づけにあるようです。


Case 10. 粟島神社の巨石

粟島神社の巨石(愛媛県大洲市)は、段丘上の高さ約4mの岩塊で人工説も出たことのある「ドルメン巨石遺跡」。


社地として整えられた平坦面に存在する巨石なので、そのギャップがどのように地図に表れるかの結果がこちらです。

緑丸の中にポツッと岩石の盛り上がりが見えます。見えますが、これは渭伊神社境内遺跡と同様に事前に知っているから事後的に識別できるだけで、事前情報なしでどれが岩石だと問われれば至難です。

高さ4mの「巨石」と形容される岩石で赤色立体地図上ではこの存在感ですから、岩石の識別に用いるには難しいという結論にならざるをえません。


Case 11. 猪群山

最後に猪群山の「環状列石」(大分県豊後高田市)を上空から眺めてみましょう。


ポツポツと岩の群れは視認できますが、それよりも視覚的に引っ張るのは山頂を取り囲む人為的な溝。

これは明治時代に山火事に備えて作られた防火施設です。やはりこういう人為的な地形改変に赤色立体地図は強く、また、視覚的にもこの防火壁が「環状列石」を誤認させる要因であることは岩石群の分布と照らし合わせれば瞭然です。


結論

いくつかの例を一緒に見てきました。

結論ですが、現状、岩石を見つけるのには適したツールとは言えません。

赤色立体地図では時に自然地形の岩盤として、時に構造物としての岩石として自動識別していることにより、一貫した調査に用いることができなさそうです。

しかし、その岩石が存在する場所の地面が、整地されているか自然地形のままかを判断する際の参考にはなります。

岩石信仰というのは自然風景と人の歴史の狭間の存在であり、単なる自然石として扱われることもあれば、真偽不明の人工物として持ち上げられることもありました。これまでは主に研究者の主観の問題領域でしたが、地図情報においても狭間・周縁の存在になりやすいのだと感じた次第です。


2026年5月3日

【歴史研究者向け】歴史学でカイ二乗検定・フィッシャー正確確率検定を用いる手順(フリー統計ソフト「EZR」の場合)

歴史研究者が学ぶべき最も重要な統計手法は「カイ二乗検定」といわれます。

カイ二乗検定などの意義については、過去の記事で紹介しました。

統計学まなびはじめ(『人文学のための計量分析入門』『基礎から学ぶ統計学』)


かつては手計算するしかなかった統計検定も、現代ではオンライン上で必要なデータを入れれば自動的に計算される時代です。

高等数学や統計学を修めた一部の人々しか扱えなかった検定が、今は門外漢でも利用できるということです。


では、歴史学でカイ二乗検定を扱う場合、どのような手順を踏んで算出まで導けばいいか?

書籍『自然石祭祀遺構の基礎的研究―巨石遺跡・磐座遺跡の時代を越えて―』で統計検定を使用した私が、実際にどのような試行錯誤を経て使用ツールとプロンプトを用いたか、備忘録と今後利用したいと考えている皆様へ向けて記録を残しておきます。

※2026年5月時点の情報です。めまぐるしく変わるweb環境のため、永久に使える方法とは限らないことをご了承ください。


【前提作業】データから分割表を作っておく

大前提として、検定で使用する「分割表」は事前に作っておいてください。

分割表は、何かの群ともう一つの別の群の数値を比較するために作られます。

たとえば、行を時代や場所などで設定すると、ある時代とある時代の何かを比べたり、ある場所とある場所の何かを比べたりできます。列は、単純な「あり/なし」や「Yes/No」などの二列分類でもいいですし、比較するに足る複数の項目を並べてもいいわけです。

分割表は基本的には2行×2列から構成されますが、別に3列・3行以上でもOKです(ただし検定後の評価に他の統計学的知識が必要になります)。

これらの分割表によって、何かの群ともう一つの群の間に、データ差や相関を見出しやすくなります。カイ二乗検定に使う場合は、ある群とある群の数値に相関関係があるか逆に独立関係にあるかを示すことになります。

どんな分割表を作るかは、まさに歴史研究をするあなたのオリジナリティーが発揮される部分です。数値化するために、件数を数えられる項目やカテゴリーがないかを探してみましょう。

歴史学における注意点を挙げるなら、同一線上で比較できないような不統一な群同士を比較することに意味はないでしょう。

また、分割表自体は百分率で表されることが多いですが、カイ二乗検定に用いる場合は百分率にせず、実際の数値(件数)で入力したままの表とすることに注意してください。


ありなし
A時代128144
B時代155230

表1:2つの時代の遺跡において、ある要素が認められるか認められないかを2行×2列分割表にしたもの(表内の数値は集計件数)


オンライン上の統計計算ツール

統計学の専門をかじっていない歴史研究者でも扱いやすいツールはあるのでしょうか。

一番かんたんなのは、インストール・ダウンロード作業をしなくてもブラウザ上の計算で完結するオンラインサイトです。


私が推奨するサイトとしては、エミュイン合同会社が運営する Reactive stat です。下にリンクを掲載します。

https://www.emuyn.net/stats/features

キャッチフレーズは「ブラウザだけで使える無料統計ソフト~信頼性の高い R で統計解析し、その結果を AI が解説します!」

サイトのコンセプトなどの詳細は上のリンク内をご確認いただきたいですが、一言で言えば、理数系に弱い私でも直感的に理解できるサービスでした。AI解説なしで統計解析するだけなら無料で利用できます。

怪しいサイトではなく、医学論文などでも対応できるように工夫が凝らされた設計です。統計検定の根拠も信頼性の高いと言われるR言語に基づいて行われており、サイト内の各記述を読む限り信頼が置けるサイトだと思います。

 Reactive stat でカイ二乗検定ができるページは下のURLです。

https://www.emuyn.net/stats/enter_and_analyze_two-way_table

ページ内にすでに分割表の欄が用意されているので、後はあらかじめ作成している分割表の数値を入力すれば、リアルタイムで検定結果が即算出されます。

元の分割表をExcelなどで作成している場合、コピペでうまくいける時とうまく貼れない時があります。元の分割表と見比べて誤りがないかよく確認しましょう。

先に例示した表1の分割表を Reactive stat に入力した場合、下のようになります。

Reactive stat にて作成

Reactive stat におけるカイ二乗検定結果例

カイ二乗検定の場合、次の3つの数値が算出されます。

  • Chi-Square 統計量 3.00
  • 自由度 1
  • p値 0.083

Chi-Square 統計量はカイ二乗統計量のことで、統計検定をする時に出される検定統計量です。この統計量の数値がいくつかによって、その分割表の群同士が相関か独立かを示唆する根拠となります。統計量が大きくなればなるほど、有意差があるという評価をします。

自由度は分割表の行数と列数で自動的に決まる数値ですが、その意味を理解して適切に取り扱うには正直、歴史研究者としては若干手に余る指標であり割愛します。

一番重要な指標は、最後のp値です。p値=確率であり、カイ二乗検定の場合はその分割表の数値の分布が偶然でも成立するものかどうかの確率を算出します。表1の例の場合、p値は0.083で8.3%という意味です。なにが8.3%なのかというと、この分割表は統計学的に8.3%の確率で偶然できあがる数値の分布ということです。

では、8.3%は確率的に高いのか低いのか。統計学では慣例的に有意差があるかどうかを判断する有意水準というものがあり、それは一般的に5%といわれています。

つまり、5%以上が出た場合は「有意差なし」、5%未満となった場合は「有意差あり」とみなします。どうやらこの有意差を5%で区分することが望ましいかどうかには多くの議論があるようですが、門外漢の歴史研究者にはどうしようもなく、現状通説的見解とされる5%有意水準を採用しておくのが妥当でしょう。

ということで、表1の場合は「有意差なし」の判定となります。A時代よりB時代のほうが「なし」の数が増えたように思えますが、統計学的には有意差があるとは言えない、という言いかたになります。


しかし、仮に表1の数値がこのように変わったらどうでしょうか。

表2:Reactive stat にて作成

A時代の「なし」を144から134に変えました。それ以外は同じ数値です。

表2でカイ二乗検定を実施した結果が下です。

  • Chi-Square 統計量 4.68
  • 自由度 1
  • p値 0.0305

検定統計量がさっきより増えて、p値は0.0305と小さくなりました。これは3.05%ということで有意水準5%未満になり、統計学的には「有意差あり」の判定となります。偶然起こるとは言いにくい、見逃せない数値の偏りなのです。

この、主観的に見れば「わずか」にも見える数値(件数)の違いを、統計学の根拠に基づいてp値という形で数量的な根拠を示してくれるのがカイ二乗検定です。

歴史研究者がやりがちな、大体これくらいの数値が出れば「高い割合」「低い割合」と評価してしまうのを、統計学的根拠に基づいて論ずることができるようになります。このことをクレール・ルメルシエ、クレール・ザルク[著] 長野壮一[訳]『人文学のための計量分析入門―歴史を数量化する―』(人文書院 2025年)は述べているのです。


カイ二乗検定が使えないならフィッシャー正確確率検定

しかし、これだけではまだ歴史研究者は安心して統計検定を使用できません。次は、カイ二乗検定を使えないケースがあることに注意が必要です。

それは、分割表の数値が少ない場合です。具体的な基準も決まっていて、分割表のセルに入る期待値が5件未満の場合です(最近は1件未満とする説もあるようですが、私には統計学領域の議論の判断がつかないため通説的見解の5件未満を採用します)。

期待値とは、いわゆる平均値と同義とされやすい概念ですが、平均値は実際のデータの単純平均であるのに対して、期待値はその名のとおり、データ標本で現れ出た数値が将来的にこれくらいになると理論的に期待される平均値となります。
表1の場合は次のとおり、Reactive stat 上でも「期待度数」という指標で計算できます。

Reactive stat で表1を期待度数表示した場合

ご覧のとおり、表1の場合は期待度数が5件をゆうに超えているので問題なくカイ二乗検定を使えます。いいかえれば、データ件数の多い分割表であればまずカイ二乗検定を使っておけば大丈夫です。

しかし、私が研究に用いたデータはそうではありませんでした。たとえば拙著には下のような分割表があります。

ありなし
A時代05
B時代052
C時代746
D時代543
E時代439
F時代319
表3:カイ二乗検定を使えない分割表の例

「あり」の要素が少なく、ほとんどの事例においてその要素が認められなかった場合、このような分割表が作成されます。
しかし、A時代、B時代に0件でC時代以降にわずかでも事例件数が存在するこの分割表において、主観ではなく統計的に意味がないかどうかを算出する意味はあるでしょう。

それでは、表3をReactive stat に入力して期待度数を表示してみましょう。

表3をReactive stat で作成

「あり」の列を見ていただければ一目瞭然ですが、期待度数で5件を上回っているセルが1つもありません。A時代の「あり」のセルは1件未満であり、最新の基準においてもカイ二乗検定には不適切な分割表となります。


では、カイ二乗検定が使えないならもう終わりなのかというとそうではなく、期待度数5件未満の統計表の場合は「フィッシャーの正確確率検定」(以下、フィッシャー検定と略)を使用することが推奨されています。

フィッシャー検定は、分割表の件数が少ない場合もカイ二乗検定のように、ある群とある群の相関/独立をp値で算出してくれる検定です。

カイ二乗検定との違いは、検定統計量が出ず、直接p値が出ます。また、カイ二乗検定に比べて膨大な計算量が必要となるため、データ数や列・行が多いと手計算どころかコンピュータ計算でも負荷がかかりすぎて計算エラーになる恐れがあります。
基本的には2列×2行の分割表であれば計算負荷はそこまでかからないといわれます。

とはいえ、Reactive stat では最大で6列×6行までの分割表について、カイ二乗検定と同時にフィッシャー検定の結果も自動計算してくれます。
カイ二乗検定結果のページをさらに下にスクロールすると下の画面が出てきます。
「Fisherの正確確率検定=フィッシャー検定」です。

Reactive stat におけるフィッシャー検定結果例

カイ二乗検定の時と違って、わかりやすくp値が書いてありません。
「Rの出力結果」と書いてある欄にこのようなテキストが表示されています。
      あり なし
A時代    0    5
B時代    0   52
C時代    7   46
D時代    5   43
E時代    4   39
F時代    3   19

#### Fisher の正確確率検定 

Fisher's Exact Test for Count Data

data:  .Table
p-value = 0.068
alternative hypothesis: two.sided

--------------------------------------------------------------
Analysis is conducted using R version 4.5.2 (2025-10-31) 
The script uses the following packages and versions:
この内の「p-value = 0.068」と書いてある部分がフィッシャー検定結果のp値です。
0.068ということで有意確率6.8%、すなわち統計的に「有意差なし」の判定です。

フィッシャー検定を用いることで、データ件数の少ない分割表においても、カイ二乗検定の代わりに有意差検定ができました。

フィッシャー検定で計算エラーが出る場合はモンテカルロ法を使用

Reactive stat が万能かというと、そうではありません。

たとえば下のような分割表の場合は、計算量の限界を超えたようでエラーが出ました。

表4:期待度数5未満があるのでフィッシャー検定を行うべき分割表の例(Reactive stat で作成)

表4のフィッシャー検定「Rの出力結果」は次のとおりです。

    列A 列B

行1   0   5

行2  19  33

行3  25  28

行4  34  14

行5  30  13

行6  14   8



#### Fisher の正確確率検定 



fisher.test(.Table) でエラー: 

  FEXACT error 7(location). LDSTP=18630 is too small for this problem,

  (pastp=64.2946, ipn_0:=ipoin[itp=71]=742, stp[ipn_0]=65.205).

Increase workspace or consider using 'simulate.p.value=TRUE'

実行が停止されました
「fisher.test でエラー」「実行が停止されました」のテキストが確認できます。そしてp値の表示が見当たりません。この場合、計算は失敗しています。

表3よりも表4のほうが全体のデータ件数が多いからこのようなことになるのだと思います。元来、フィッシャー検定は膨大な計算を伴うため2列×2行分割表に向いているとされる所以です。

こういう場合の対策方法はいくつかある模様です。
私なりにいろいろ調べた結果、たとえば下のwebページに参考となる情報がありました。

【フィッシャーの正確確率検定】エラーが出てしまって分析できないので... - Yahoo!知恵袋

Yahoo!知恵袋の問答ページですが、回答者は顕名の井口豊氏であり、同氏の研究室ホームページから統計解析の専門家でもあることがわかります。

回答結果をまとめると、解決法は大きく2種類。

  1. 計算に充てるコンピュータのメモリを増やす
  2. モンテカルロ法(モンテカルロシミュレーション)を用いる

1番目の方法であるメモリ増強の方法もいくつかあるようですが、私はうまくいかず撤退。
2番目のモンテカルロ法に頼みの綱を求めます。

モンテカルロ法とは何か?
計算回数の上限を決めて、正確な値ではなく近似値を求める手法です。当然ながら、計算回数が多いければ多いほど、より実際に近似した値が出ます。
フィッシャー検定は正確に出そうとすると膨大な計算を重ねて、コンピュータ的にはメモリの限界を迎えてエラーを吐きます。そのため、フィッシャー検定においてモンテカルロ法を適用することは有用なのです。

ではReactive stat でモンテカルロ法を適用できる設定はあるのかと確認してみたのですが、どうやら存在しない模様。
大変便利なブラウザ上計算ツールでしたが、どうやらここで別のツールに切り替えるしかないと判断しました。

最終的にEZRの運用を推奨

Reactive stat のサイトにも書いてありますが、統計の世界で信頼性があるのはR言語に基づいたプログラムです。

Reactive stat はその最も簡便なツールでしたが、フィッシャー検定を使いたいのに計算エラーが出る場合、もう一段階、専門寄りのツールに切り替える必要があります。

それがEZR(Easy R)です。

フリーソフトです。

Easyの名を冠するだけあって、これでもR言語プログラムを使いやすくしたというコンセプトですが、こちらはインストールが必要なアプリであり、Reactive stat サイトの言を借りると「統計解析の初心者には難しいという声も聞かれ」るそうです(だからReactive stat を公開した)。

私も最初ちんぷんかんぷんでしたが、フィッシャー検定のところだけ理解できればいいという心持ちで操作に慣れていきました。その手順をこちらにまとめます。


EZRのダウンロードページ

自治医科大学のHP内でダウンロードできます↓

https://www.jichi.ac.jp/usr/hema/EZR/statmed.html

なぜならEZRの開発者は、自治医科大学附属さいたま医療センター血液科教授(2026年5月時点)の神田善伸氏だからです。

Reactive stat もそうでしたが、EZRも含めて統計解析ソフトは主に医療統計分野で発展してきた経緯があります。医師や医学者が医学論文で用いるための統計解析を、統計に疎い人でも利用できるようにという思いで無償で公開しているものです。

だからといって医療分野限定の仕様ではなく、当然ながら統計学は数学の世界ですから、数量を扱うあらゆる分野の統計において活用できます。歴史学もありがたくこの恩恵にあずかりましょう。

Window版、Mac OS版、LINUX版が公開されているので、ご使用の機種に合わせてダウンロードしてください。

ダウンロード前に、HPに書いてある留意事項などは一通り読んでおいてください。注意点としては、無料で使用できますが、EZRを使って算出した結果はEZRを使用したことを出典として示すことが条件づけられています(当たり前ですが)。

その出典の記載方法もHPに例示されているのでご確認をお願いします。


インストール後の使用方法

ウインドウの指示どおりにインストールを終えると、ローカルのインストールフォルダ内に「EZR簡易マニュアル」(EZRman.pdf)があるはずです。まずはそちらをご一読ください。

マニュアルの一番下に解析可能な検定のチェックリストが画像に示されており、その中に「カイ2乗検定」「フィッシャーの正確検定」の項目があるのを見つけられるでしょう。EZRにこれらの検定機能が搭載されていることがわかります。


では、起動してからフィッシャー検定するまでの流れをスクリーンショット画像掲載で紹介しましょう。

EZRアプリを起動すると下のウインドウが自動的に表示されます。


しばらく時間がかかりますが、このウインドウをそのまま放置しておくと別のもう1つのウインドウがさらに出てきます。それが下画面です。

上画像のウインドウが検定作業をする画面となるのでご注意ください。

まず通常の検定方法を説明します。

ツールバーの「統計解析」▶「名義変数の解析」▶「分割表の直接入力と解析」をクリックします。


すると下のウインドウが出てきます。


分割表を直接入力できます。

自分で用意した分割表の行数・列数に増やして数値を入力し、「フィッシャーの正確検定」にチェックを入れた状態で「OK」ボタンを押せばRプログラムが働いて自動的にp値結果を算出してくれます。

が、Reactive stat と同様に、表4のようなデータ数の分割表ではエラーが返ってきます。

見た感じ、このウインドウではモンテカルロ法の設定が見当たりません。

ということで、EZRの「Rスクリプト」画面に、直接スクリプトを打ってモンテカルロ法を用いることを指示しなければなりません。

先に紹介した井口豊氏の記述を参考にして色々試した結果、下のスクリプトであれば正常に検定できました。


dat<- matrix(c(

0, 5,

19, 33,

25, 28,

34, 14,

30, 13,

14, 8

), ncol=2, byrow=T)


fisher.test(dat,

simulate.p.value = TRUE, B = 1000000)


分割表の行数・列数に応じてスクリプト内のテキストを変える必要があるので、応用できるように、このスクリプトのそれぞれの意味を説明します。


dat<- matrix(c(

マトリックス(分割表)のデータであることをRに指示するコードです。


0, 5,

19, 33,

25, 28,

34, 14,

30, 13,

14, 8

表4の分割表をスクリプト画面に打つ時の形がこうです。

行ごとに列のセルの数値をコンマと半角スペースで区切りながら入力していきます。

表4は6行×2列なのでこうしていますが、3列や4列なら行の右側にコンマで区切りながらセルの数値を入力していってください。

要注意点は、一番最後の行・列(一番右下)の数値の後にはコンマを入力しないこと。私は当初ここにコンマを打ったことでひたすらエラーが出て悩まされました。


), ncol=2, byrow=T)

「ncol=2」は2列という意味。Rに列数がわかるように指示しています。ですので、3列や4列なら「ncol=3」「ncol=4」のように変更しておいてください。

「byrow=T」は、行の横方向の順番で読み込んで表データを作成するようにRに指示するコードです。

つまり、これによって2列の分割表を行の横方向に読み込めるようになるということです。


fisher.test(dat,

フィッシャー検定を実施するためのコード。


simulate.p.value = TRUE, B = 1000000)

これがモンテカルロ法で近似的なp値を算出するためのコードです。

「B = 1000000」は、試行回数を1,000,000回に指定するという意味です。

モンテカルロ法で試行回数を何回に指定するかは、用いるデータや目指す研究目標によって様々だそうです。

私は、エラーが出なかった分割表を使って、EZRでこの試行回数を「B = 1000」「B = 10000」「B = 100000」…と数値を変えながら算出されるp値を見比べて、最終的に1,000,000回計算すれば実際のフィッシャー検定結果のp値と近似すると判断して、このようにしました。

皆さんも、用いるデータや調査精度に合わせて試行回数を調整してください。


ということで、このスクリプトをEZRの画面に入れてみましょう。


要注意点は、入力したスクリプトを「すべて選択」した状態にして「実行」ボタンを押すことです。選択してスクリプト範囲を青くした状態にしないとエラーとなります。

正常に実行された結果が下画像です。


「出力」欄に「p-value = 0.000157」の文字が確認できました。

有意確率0.0157%ということで、表4の分割表の数値の分布は、極めて0%に近い強い有意差が示されました。

2×2分割表なら、1行目と2行目に有意差があるということを明確に示しますが、3行以上や3列以上となると、どの行・列のセルに有意差が認められるのか(有意に多いのか/有意に少ないのか)を特定する作業が別途必要です。

カイ二乗検定やフィッシャー検定は、分割表全体を見て有意差があるかないか自体を検定するものであり、表のどことどこに有意差があるのかまでは示してくれないからです。

どのセルに有意差があるのかを評価する方法に「調整済み標準化残差」の分析があり、この値が1.96を超えるセルはp値が5%未満で有意差があると判定しますが、このあたりまでいくと本記事の目的のさらに先の内容に突入するので、説明はここまでとします。


数名の読者の方のお役に立てばそれでよいと考えて書きました。

『自然石祭祀遺構の基礎的研究―巨石遺跡・磐座遺跡の時代を越えて―』の補遺として、本記事も大きな仕事ができたと思っています。


参考文献(EZR出典)

Kanda Y. Investigation of the freely-available easy-to-use software “EZR” (Easy R) for medical statistics. Bone Marrow Transplant. 2013:48,452-458. advance online publication 3 December 2012; doi: 10.1038/bmt.2012.244


2026年1月4日

自然石祭祀遺構の資料化と分析

自然石祭祀遺構のデータ化を進めています。

考古学という物的側面から、自然石信仰を分析できることがまだあるのではないか、あきらめたくないという目的です。

製作途中なので一例を示しますが、座標データをGoogleマップにエクスポートすると下画像のようになります。

Googleマイマップより

1つ1つの事例に「時代」のデータも入力しているので、たとえば時代を絞ると

弥生時代の場合

古墳時代の場合

これは地図情報の見本でしたが、ほかの分析項目(変数)もデータ化しています。

前回の記事で触れた計量分析をかければ、これまで明らかにされなかった傾向が指摘できるのではという見通しを立てています。


自然石祭祀遺構とは何でしょうか?

自然石を祭祀した可能性が指摘されたことのある遺構です。


この名称の厳密さを定めるだけでも紆余曲折がありました。

この手の資料をまとめるのは2004年発表の「岩石に関わる祭祀行為―祭祀を考古学的に研究するために―」以来です。

あの時は岩石祭祀遺構と題して86例をリスト化しました。岩石祭祀遺跡と書かないのは、遺跡と書くと遺物を含み、祭祀用の石製品が出土した遺跡は膨大になるという思いからでした。

次に、岩石祭祀という括りではいわゆる環状列石、石室を構築する古墳・経塚・葬送祭祀、石仏や神像が彫られた石造物などを含みます。

以上の事例を含むと、僅少な自然石信仰の事例は埋もれてしまうでしょう。分析したい対象に注目するための絞り込みが必要でした。それで今回は自然石祭祀遺構としたわけです。


実際に事例を集計していくと、「自然石」の定義も存外奥が深く、考えざるを得ない分岐点が多くありました。その辺は語り出すと長いので研究として大成した時に文章にします。


そのような作業を経て、現時点で145事例を数えます。

2004年の86例より増えました。近年発掘された遺跡も含みますし、20年前と比べて手作業・目視以外で調べられる方法も増えましたので、それらの網羅的総計です。


それでも145事例です。

これは計量分析にかけるにおいて、まだ小規模データと言わざるを得ません。


前記事の議論を踏まえるなら、これを母集団とみなすか標本数とみなすか?

理念的には、これは「かつて存在した自然石祭祀の総体」において「現存した事例を数えたもの」という意味において、標本数とみなすべきでしょう。

とはいえ、これが母集団(存在したすべての自然石祭祀)における無作為抽出かというと疑問符が付きます。さまざまな理由により発掘調査の多かった場所、されにくかった場所から生じる偏りは間違いなくあります。


しかし埋蔵文化財の特性上、そのような限界がなくなり理念どおりにデータが揃う(=無作為に発掘される)時代は来ないと考えます。

ということで、その限界を認めつつ一歩を進める作業となります。

前提として145例を「現存する事例」の母集団と設定すれば、145例中の145例の分析は全数調査と言えます。

(そのうちの縄文・弥生などの「時代」で絞り込みをかけたものは無作為抽出ではないので結局、標本にはなりません)

全数調査は外れ値とも言えるような極端な事例の存在も含み、それを145例という規模で集計すれば凸凹とした事例に左右された分析結果となるでしょう。


それでも、それを明記して提示したいのです。なぜなら、今はそれ以前の「主観の意見表明」の段階を脱していないからです。
(縄文時代の巨石信仰は●●だねとか、古墳時代の磐座は●●県には多い少ないなど)


145例を「過去の歴史の表層に残った断片」と前置きして、定量化した基礎的研究を後世に提示しておくこと自体に意味を置いています。


それにしても、大学卒業と同時に一度手放した考古学の資料と、ここにきて差し向うことになりました。

まだ先の話ですが、困っているのは、これが形になった時に投稿できるような、適した考古学雑誌の縁がとっくにないことです。

私の所属学会が民俗学系と地質学系なので、今回のテーマが両方ともかみ合いません。

今ふりかえれば、お世話になった教授の退官記念論集に掲載するチャンスが数年前ありましたが、その時は研究のタイミングが合わず見送りました(記紀風土記と設楽町の研究中でした)。

考古学関係で良い投稿先がございましたらご紹介お待ちしています。


分析結果がどのクオリティになるかで、論文なのか研究ノートレベルなのかブログレベルでいいのかも、まだわかりません。

ただ、ブログの内容は私が死ぬ前に本にするつもりなので、まずはブログ以外の場所で残しておきたいです。

AI全盛とSNS時代の今、このブログ埋もれがちですし…


良い投稿先が見当たらなければ、実験的にAmazonのKDP(Kindle ダイレクト・パブリッシング)も視野に入れます。

私はAmazonに著者セントラルというページも持っていますし、KDPで論文や雑誌を発表されている実績も知っているので、選択肢の一つとして十分です。最終的に形にできる場所は確保できそうなので、後は分析作業を進めていこうと思います。


しばらくこの作業(統計学の学習と並行)に没頭するため、ブログの投稿数に影響する見通しです。

存在感がなくなりますが、やることはやっているので陰ながらお見守りいただき、ときどき様子を見にご訪問いただけましたら幸いです。


2026年1月2日

統計学まなびはじめ(『人文学のための計量分析入門』『基礎から学ぶ統計学』)

今後の研究に統計学的な手法を取り入れたいと思い、勉強をスタートしました。

クレール・ルメルシエ、クレール・ザルク[著] 長野壮一[訳]『人文学のための計量分析入門―歴史を数量化する―』(人文書院 2025年)

内容の忠実な要約とはなっていませんが、自分自身の申し送りとして以下にまとめました。


ーーー

・「しばしば」「一般的に」などの歴史叙述は「疑似定性的な手法」であり、単なる意見の表明で終わってしまう。

・歴史研究に有益な数量的手法を紹介。数学的原理、ソフトウェアの操作方法には触れず、使用する前の目的、注意点、落とし穴などに重点を置いた。

・統計学的に誤差の許容範囲を決めるのは標本数の大きさ。60,000人のうち1,000人でも、25,000人のうち1,000人でも、4億5000万人のうち1,000人でも誤差範囲は同じ。母集団における割合は関係ない。

・1,000人の標本であれば、誤差は通常許容される範囲にとどまる。標本の20%にある特性が認められた場合、母集団においての割合が19~21%の間に入る可能性は高く、15~25%に広げれば「ほぼ確実」である。

・しかし、歴史研究において1,000件の標本を用意することは難しい(他の標本と比較しようとすると2,000件)。歴史研究者は1つ1つの標本(事例)の多様な側面に関心を持つからだ。

・理に適った妥協点は300件の標本。300件中に見られる20%の特性は、母集団においても15~25%の間に収まる。

・事例収集の留意事項
①標本抽出の頻度より標本の大きさ(標本数)を重視する。
②小数点以下の記述は不要。それより有意差を記述。
③標本数は現実的な妥協点が300件で、1000件まで増やす分には誤差を減らすという点で価値があるが、それ以上は微小な誤差の修正となるので(母集団がいくつであっても)ほとんど意義がない。
④これらの標本は、無作為抽出されたものであること。

・無作為抽出は、表計算ソフトでRAND関数を用いればよい。特定の順番ごとに抽出するなどの手動抽出は偏りを生む危険が拭えない。

・百分率を表示する際の留意事項
①母集団の総数をNで示すこと。N>100の場合、小数点以下は不要。N>1000の場合、小数点は一桁で十分。
②百分率は比率であり、単純に足したり引いたりできない。10%から20%に増えた場合、増加率は100%でパーセンテージポイントが10ポイントである。

・分割表(ピボットテーブル)は、2つの変数(人物の年齢、書籍の長さ、訪問先の場所などの情報)に関係があるか、関係がないかを示すに有効。

・カイ二乗検定を行うと、分割表で注目した変数同士が、事例数の小ささゆえに偶然生じたのか、実際に関係性があるのかを、合理性に基づいた確信をもって述べることができる。

・オンライン上でカイ二乗検定を行える時代。百分率ではなく、事例の数を分割表に入力すると検定結果が出力される。p値(2つの変数が独立=無関係である確率)が5%未満であれば、慣例的に相関関係があるとみなされる。

・分割表とカイ二乗検定は、歴史学的な論証に強力な役割を果たすため、歴史研究者が学ぶべき最も重要な道具である。

・歴史研究者にとってデータ入力の時間は退屈ではなく、民俗学者や社会学者にとってのフィールドワークに比するものと言える。

・データ入力の十戒
①最初の一行は変数の見出しのみに使用。
②識別子に一列を使用。
③資料の表記にできるかぎり沿って入力。
④資料の典拠を示す。
⑤欠損データもデータとして残す。
⑥1つの情報に見えても、その情報を可能な限り多くの列に分割。(例)「姓名」→「姓」「名」など
⑦年月日はソフトウェアの日付形式を使わず、「年」「月」「日」の3列で入力。
⑧時間軸で情報が変容する場合、「何が起こったか」「いつ始まったか」「いつ終わったか」の3列以上で入力するエピソード形式が実用的。
⑨表計算ソフトでできる機能を使いこなせるようにしておく。
⑩データは頻繁に保存。

・数件から数十件しかない小さな母集団に対しては、論理学と集合論に立脚した質的比較分析(QCA)でアプローチする。

・少ない標本で大量の変数を取り扱う場合は因子分析でアプローチする。2つ、3つ程度の変数であれば因子分析は不要で、分割表とカイ二乗検定で十分。

・読みとりやすい図表を意識する。問題となりやすいのが円グラフ。人間は面を比較することが得意でなく、棒グラフで良い場合も多い。立体の円グラフなどは、遠近感による歪みで分かりにくくなるので、より悪い。男性の10%は色を識別することがうまくできないという研究もあるので、色付けでの識別も避けるべき。単純なほどよい。

・単純さという点で、スモールマルチプルは今なお有用。単純にグラフを連続して配置するだけなので、視覚的な比較が容易。

・棒グラフは、垂直方向より水平方向に表示が推奨。見出しが読み取りやすいため。1本の棒グラフに十数色の情報を詰め込むより、1つ1つの情報を棒グラフとして可視化して並べる方が理解しやすい。

・テキスト分析ソフトの使用は、主観や見落としを防止する。二つの用語が頻繁に近接すること、代名詞や前置詞の使い方、語彙の豊富さや貧弱さ、テキスト間の距離など、人が自明としてしまい読めていない傾向を浮かび上がらせる。そのためにはコーパスの構築が不可欠で、そのコーパスはソフトウェアの有意性検定にかける。

・数量的手法には過失や改竄の危険性が伴うが、数量的手法をとるということは、選択や手順を明確にしないといけない。仮説を明示し、その限界も考慮されないといけない。これらの前提が明示されるので、他の研究者がアプローチできるという意味で利点である。歴史学における直感や創造性を制限するものではなく、むしろ刺激することにつながると考えている。

ーーー


一読して得た知見をメモしましたが、前提知識が足らず、主に後半部は消化不良となりました。最低限、歴史学に携わるものとしてカイ二乗検定を扱えるようになりたいと思いますが、さらなる基礎学習の必要を痛感しました。

そこで、統計学の手始めの書を求めて次の本へ移りました。


中原治『基礎から学ぶ統計学』(羊土社 2022年)

しかし、p.9で本書の前提知識が示され、高校数学で学ぶ「確率」「場合の数」「数列」の知識が必要である旨が書いてありました。

あくまで基礎でよいとのことですが、私は高校2年生以降数学を学んでいない人間なので、ここで高校数学の学び直しを迫られました。こうやって、過去に逃げたことのツケをいつか払うことになるわけです。

実際に本書を読み始め、p.35の二項分布の節で数式が増えてきて足踏みしてしまいました。いったんここまでです。


ということで、統計学の前に数学A、数学Bまで立ち戻って学び直しています。テキストを手にしてまだ序盤も序盤ですが、はたしてどこまで理解できるやら。ハラハラしながら1ページずつ自学しています。

遠回りなことをしているように見えるかもしれませんが、最終的にたどりつきたいゴールがあります。そのために必要な知識にしばらく向き合っていきます。


2025年10月13日

「霊神碑」の岩石信仰

霊神碑(れいじんひ)とは、下写真のような石碑を指す。

愛知県名古屋市名東区 大石神社境内

寺社巡りをされている方の中には、このような「●●霊神」と刻まれた岩石を、境内でご覧になった経験があるのではないだろうか。

石面に刻まれた神号を見ると、日本神話では聞いたことがない神々ばかりであり、個人の姓名を冠した霊神号も多く見かける。

岐阜県各務原市 迫間不動境内。無数の石柱に家の霊神名や個人の霊神名が刻まれる。

三重県四日市市 福徳寿御嶽神社境内。こちらは「霊神」以外に「大神」表記も見られ人名以外の事象にも神号が贈られる。霊神碑からの派生と見てよい。

「霊神」というカテゴリーの中で一定の統一性はありながら、刻まれる内容は多様性に富んでおり、これは神なのか墓なのか記念碑なのか、前提知識なしでは評価に困る特異な岩石である。


霊神碑は、木曽御嶽山を信仰する人々が結成する講によって建立された石碑である。

御嶽山は岐阜県と長野県の県境にそびえるが、中部地方のみにとどまらず、東北から中国・四国地方にも霊神碑の存在を確認できる。

これは御嶽山を信仰する御嶽講の人々が日本各地に広めた結果と考えられ、御嶽山との直接的な関係だけでなく、人が岩石に神の名を刻む行為としての視点からも興味深い社会的現象である。

この記事では、霊神碑の現在的な学説をおさらいした上で、岩石信仰という観点に立った時の霊神碑の位置づけについてまとめておく。


御嶽山と霊神碑の基礎知識

2022年、霊神碑を専門的に研究する愛知学院大学教授の小林奈央子氏の研究発表を聴講する機会があった。その後、その発表内容は下記論文として結実した。

本記事では、小林氏の研究に基づき御嶽山と霊神碑の最新の研究状況を紹介しよう。


■ 御嶽山の名称

御嶽という尊称は他地域にも認められるので、区別のため木曽御嶽と記されることもある。

また、歴史的な雅称としては「王の御嶽」「金の御嶽」がある。特に「王の御嶽」は、その読みかた「おうのみたけ」が転訛して「おんたけ」となった可能性も指摘されている。


■ 御嶽山の開山者

御嶽山の山中および山麓には御嶽神社が鎮座する。江戸時代中期までは御嶽神社による所定の潔斎の上で登拝許可を受けた者しか登れない山だった。

このような状況を一変させ、庶民が登れるようにした18世紀の「開山者」が2名いる。後に集団化された各地の御嶽講にとっての開祖とされる。

  • 覚明(1719~1786年)…尾張国出身
  • 普寛(1731~1801年)…武蔵国出身

この2名を慕った人々により、中部地方と関東地方では御嶽行者や御嶽行場が多く生まれることになった。


■ 霊神碑の歴史

本来は、覚明・普寛を死後に追善しようと供養塔を建てたのが最初である。

「霊神」の字を刻んだ最古例は、弘化2年(1854年)の「大阿闍梨覚明霊神」である。ただし、それに先行する天保14年(1843年)の「覚明神霊」の事例もあり、当初は「霊神」と「神霊」の号が定まっていなかった模様である。

明治時代に入ると、覚明・普寛以外の行者や信者にも「霊神」号がつけられた霊神碑が増加する。とりわけ功績高い行者や、講活動に尽力した篤信者に霊神号が授けられるようになった。生前に霊神号を授けられるケースもあった。

霊神碑の脇や背面には俗名・造立年・享年・造立者が刻まれるのが一般的で、霊神碑の建立年代調査によれば昭和戦前期にかけて造立のピークを迎えるが、1950~1960年代にも造立の小ブームがあったようである。

御嶽山の山中には、現在約3万基が存在するといわれている。御嶽山だけが造立の場ではなく、さまざまな地域の講が自らの講社・教会の敷地などに「霊神場」と呼ばれる、霊神碑を建立するための空間を形成した。

覚明から「覚」または「明」の一字を採った霊神碑と、普寛の「普」「寛」の一字を採った霊神碑の系譜に分かれる。それぞれの開祖の出身地に合わせて、前者は東海地方に多く、後者は関東地方に多いとのことである。


■ 霊神碑の形態

扁平な自然石をそのまま石碑に用いたものと、自然石を整形して表面を平らに削ったものがある。いずれにしても「扁平」が良いらしい。

岩石のフォルムは、角のない丸みを帯びたものもあれば角柱状のものもあり定まっていない。

標準的なサイズは、高さ1.5m、幅1m、厚さ20㎝程度で、墓石よりはやや小ぶりのサイズと評価できる。大きい事例では高さ3mを越える。


■ 霊神碑の性格の変化

先述のとおり、霊神碑はもともと供養塔だった。すなわち故人への鎮魂や作善のための奉納物だった。

しかし、時代を経て建立数が増えるにつれて、奉納物から「御霊の宿る施設」へ性格が変化した。

その証拠として、霊神碑には「御霊移し」という祭祀行為が伴うようになった。

御霊(みたま)とは故人の霊魂であり、人が亡くなると墓が建てられる。墓は遺骨が埋葬される施設だが、それとは別で、御霊を宿すための施設として霊神碑が用いられる。

生前に霊神碑を造っておく場合、霊神碑の刻字の「霊」の部分に赤を入れておく。没後すぐではなく、半年~1年の間に赤を消して、故人の御霊を霊神碑に宿す「御霊移し」がおこなわれるという。

これらの点から、小林氏は霊神碑が供養塔から「御霊の依り代」に変化したと表現しており、それはまるで墓石が当初「死者が極楽往生するための菩提」を目的にしていたものから、宝暦年間(1751~1764年)以降は「霊位」(死者の霊魂の依り代)に変化した流れと類似性があることに触れている。

※なお、「依代」概念は折口信夫が創出した分析概念であり、歴史的な事物に対して真に同時代的な説明をするに適切な用語であるかどうかには批判点もある(参考記事「依代と御形と磐座について―祭祀考古学の最新研究から―」)。その議論を踏まえるなら、霊神碑や霊位は「故人の魂の憑依物」と表現するのがより客観的かもしれない。


岩石信仰の観点からのまとめ

小林氏による霊神碑の最新研究を以上紹介した。今後、各地の霊神碑を観察して歴史の中に位置付ける際に学ぶ点が多い。


江戸中期~後期の墓石の性格変化、江戸後期~明治以降の霊神碑の性格変化は、それぞれ岩石信仰(岩石を用いた信仰)の変遷と言える。

私が作成した「岩石祭祀の機能分類」においては、墓石や霊神碑の元来的機能「供養のための奉納物」は、「BBB類型 鎮め・清めの道具」「BBC類型 奉納物」の2つの要素が複合していると考えることができる。

そして、墓石や霊神碑が変容した「故人の魂の憑依物」は「BAA類型 憑依物(旧・依代概念)」の機能であり、願いをかなえる道具から信仰対象が宿る施設に岩石に込められたものが変化したとまとめられる。


岩石信仰の諸事例を鑑みれば、同一の岩石が単一の機能のみを永続的に保ち続けるわけではなく、人々によって同時に複数の機能(性格)を込められることもあれば、時代変化の中で岩石に期待されたものもしばしば変化する。そのような事例は他にも多く見られる。

しかし、自然石の場合は元来込められていた人間の意図が見えにくいために至極当然の変化と言えるが、霊神碑は単なる自然石ではない。文字情報がある岩石(石造物)である。このように明確に人間の意図が読み取れる場合であっても、岩石の機能が変化しうるケースを示したと言える。

もしかしたら文字情報があることで、文字に引っ張られた要因もあるのではないかと感じる。元来は供養の対象としての「人名+霊神」が、「霊神」という文字の強さに引っ張られて霊神を物体化・可視化する祭祀対象に変わったという見方である。


自然石の岩石信仰においては、神への畏敬的信仰から信仰心なしの特別視へと人々の認識が親近的に変わるという仮説がある(たとえば林宏氏『鏡岩紀行』中日新聞社 2000年 における鏡石・鏡岩信仰のケースでの指摘)。

人々の知(文化・技術)が成熟するにつれて、岩石に対する「未知」が薄れることによるものという理解に立った仮説である。


一方、霊神碑のケースでは奉納のためのツールが御霊の憑依物として、限りなく信仰対象に近い存在へ聖化した(霊肉分離の考え方に基づけば、信仰対象と同一とまでは言えない)。

同じく人々の知(文化・技術)の結晶である文字が、岩石の「未知」を言語化した結果、岩石そのものの性質に左右される必要なく、文字から岩石に聖性を読みとったのではないか。

文字が一種の権威性を発揮し、聖なる要素を強化したのではないかという私見を記して本記事を終えたい。


2025年8月1日

研究会「宗教認知科学からみる考古学―顔身体象徴を中心に―」メモ(2025.7.26)

國學院大學研究開発推進センター・国立歴史民俗博物館による合同研究会「宗教認知科学からみる考古学―顔身体象徴を中心に―」が、一般向けにも無料開放されていたのでZoom参加した。

事前に発表されていた出席者の名前を見るだけでも、信仰心・宗教心なるものを研究する第一人者が集うイベントであることは明白で、非常に有難い勉強の機会となった。

あくまでも岩石信仰の研究としての立場からではあるが、参加しながらメモした内容を以下にまとめる。吉川の主観を含む部分は「→」の記号で表した。


松本久史先生の挨拶

國學院大學の主催側としてのメッセージとして、現在大学として取り組んでいる「カミ学」の話。

カミ学では、カミを3つの深化(進化?)で考えようとしているとのこと。

→その3つは話し言葉と書き言葉の違いもありちょっとわからないところがあり、まとめられなかった。


いずれにしてもこのイベントが「カミ学」の弾みになればと願っている。

→現地会場に何名いるかはわからなかったが、オンライン上には約80名が参加していた。名前の知っている方もちらほら…。


中村耕作先生の挨拶

今回のサブタイトルである「顔身体象徴」を専門にされている。考古学以外では心理学などのアプローチも活用されている。

顔がついた縄文土器に関心を抱いている。顔身体土器という。土器に顔がついているという行いはどういう意味をもつのか。

土偶はそれ自体の機能が形から読み取りにくいが、顔身体土器は土器であるので、土偶と違ってある程度、器の形などの考古学的側面からその器の物理的機能を推定しやすい。


小林達雄の土偶論では、各人がそれぞれに「ナニモノカ」を知覚していたが、ある時、誰かが「実体化」をおこなった。それが他の人々の共通認識になったとする仮説がある。

→土偶以外のカミにも使えそうな論理である。


顔造形表現にどんな意味があるのかについては、山口真美「赤ちゃんは顔をよむ」(2003年)やスチュアート・E・ガスリー「神仏はなぜ人のかたちをしているのか」(2016年)などにおいて、なぜ壁のシミが顔に見えるのかなどのヒトの認知傾向について参考になるところが多い。

そのガスリーの文献訳者であり宗教認知科学の研究者である藤井修平先生を今回招聘した。


藤井修平先生の講演「神・霊魂をいかに考えるか―宗教認知科学と考古学の連携可能性―」

宗教認知科学(CSR)の概要については、当ブログの過去記事「『科学で宗教が解明できるか』(2023年)学習メモ」参照。その前提の上で新しく得た知見を以下に追記する。


素早く自動的、直観的な傾向、ヒトの認知メカニズム、普遍的なもの(いわゆるシステム1)を扱うのがCSR。

→個別性・後天性をどうするか問題。CSRは敢えて取り扱わないという姿勢もありか。岩石信仰は非言語領域に根っこがあるとしたらCSRの研究は有用性が高いと考える。


ヒトの遺伝子は、生物進化のなかで淘汰・適応されて現生人類になってからはその後変化していないというのが、ヒトの認知メカニズムの普遍性の根拠(もし遺伝子由来と仮定するならば)。


「超自然的行為者」…神仏から精霊、妖怪までを含めた概念。

→吉川が超自然的存在とか信仰対象とか呼んでいたものに相当。これからこの用語を使うか…。


超自然的行為者をどう認知するか。

1.反直観(ボイヤー)…常識的予想をわずかに裏切る存在に超自然的行為を認知する。

→簡単に言うと、いわゆるサプライズは記憶に残るということに通ずる。しかしサプライズすぎてはいけない。

2.パターン認識…ヒトがパターンに当てはめる傾向。アポフェニアともいう。詳しくは次の3つ。 

  1. 錯誤相関(現代の陰謀論などもこれに含まれる)
  2. パレイドリア(擬人観など)
  3. 行為者検知(ADD)
  4. 心の理論


自然物や人工物が、顔をもっている(パレイドリア)、意図をもっている(ADD)、生きている(アニマティズム)、感情や信念をもっている(心の理論)というようにCSRでは解釈される。

→岩石の場合、岩石特有の心理要因は何か。顔に似た姿石や巨石巨岩などはわかりやすいが、そういった要素を取り除いた「何の特徴もない単なる石ころ」が神聖となる要因は何かを追究しており、そこにはまだ応えきれていない。


霊魂のメカニズム

1.社会的交換(Cohen 2007)…何かをしたら、何かをしてもらうという取引の公平性の感覚。返報性の原理と同質か。(例)祖霊から恩恵をもらったら捧げものをする、災厄が起こったら祟りを鎮めるなど

2.心身二元論…身体と別の実態が宿っているという信念。デカルトほか哲学での長い議論がある。子ども、非西洋文化においても、体と別に魂があるという考えはあり、普遍性が認められる考え。

3.シミュレーション制約(自分が死んだ後をシミュレーションしきれず、想像できず、そこから祖霊が生まれるなどの仮説)、心理的本質主義(ヒトには本質や不変のものを求める傾向がある。身体が入れ物で魂が本質という考えへ行く)、オフライン社会的推論(その場にいない、その場に見えないものを考えることができるヒトの能力。目に見えない霊魂を考えられるということ)、埋葬・葬送儀礼(他の生物よりも人の遺体には過剰に危険性・不快感を感じる傾向が指摘されている。儀礼は集団を結束を強める)

4.ビッグ・ゴッド理論


認知考古学について、カートパトリック、ロッサノの研究(2022)によるヒトの宗教認知の歴史仮説

  • 16万年前~ 肉抜きされた頭蓋骨の事例。骨、頭に本質を見出しているとしたら心理的本質主義の表れか。
  • 7万年前~ 洞窟の絵の事例。絵を捧げものとするなら社会的交換の表れか。
  • 2万3千年前~ 動物霊の絵の事例。アニミズムの表れ。
  • 3千年前~ 神に危機の助けを求める捧げもの。愛着の表れ。


認知考古学ひいてはCSRへの批判的な見方

極めて原初的・先天的な認知能力には有用だが、認知能力が複雑化・後天的影響を受けた後の時代にどこまで当てはめられるのか。更新世までの研究にしか使えないのでは。

あそこもそうなら、ここも同じじゃないか、は暴論かもという指摘。

これらについては、普遍的なものがわかれば、そうではないものがその文化の固有的なものと言えるのではないかという考え方で当たりたい。

さらに、最近は認知歴史学が提案されている。

認知歴史学ではどちらを重視するではなく、人類共通の要素と、文化特有の要素の二重構造で考えるというのが今の流れ。

考古学においては、過去の資料を定量化・統計処理して分析していくことで、過去の人々に「アンケート」をとり、過去の人々を「可視化」できる方向性がある。


日本の歴史、日本の考古学にどのようにCSRを導入できるかは、笹生先生例を紹介した。

→弥生・古墳時代にはすでに文化的・固有的なものはあったと思われる。その点で、その時代をCSRだけで語り切ってよいか(吉川個人としては笹生先生の坐す神→招き迎える神の直線的な変遷には2022年拙論で疑問を呈していた。同時併存的な可能性も想定してほしい)。また、日本列島の自然環境に言及される一幕もあったが、日本列島は変動帯であるからこその地質学的なアプローチも環境が育む固有性を補強するに必要かもしれないと感じた。


笹生衛先生のコメント

神道においての祭祀儀礼の重要性から、儀礼を重視。繰り返される儀礼により超自然行為者(神)はさらに強化される日本列島の特徴を指摘。

人が亡くなり一定期間たち、生前のその人を知る人々がいなくなると、ボイヤーの人物ファイル理論でいう人物ファイル(人格)が喪失されるので、個人人格のない祖霊になると言えるのではないか。柳田国男の個別霊→先祖になるという話と照合。

古墳祭祀は、なくなりそうな人物ファイルを保存しようと、被葬者の副葬品や食膳を通しておこなったCSRでいう「適応」行為の例ではないかと指摘。頭部を赤彩したり石枕を置いたり頭部への副葬が多いのも頭部重視、つまり人物ファイルにおける個人の人格を強く表す頭部重視の表れ。遺体と個人の人格がかなり結びついているという点で、『礼記』の魂魄論のような霊肉二元論を素朴に当てはめることはできないのではないか。

→まとめかたや発表のしかたの印象と思うが、理論が先で考古学的物証をそれらに当てはめていくあたりが演繹的でよいかどうか。論文化される折には、他の可能性(ないとは言えない)への批判的検証のフェーズもほしいところ。

→石枕にも頭蓋骨同様に赤彩する事例があるとのこと。石枕と頭蓋骨の同質性が浮かぶ。骨と石を同質視する精神観や、山を肉体とする精神観もある。コメントを聞いていて、地中から出る岩盤は肉の中から出る骨に通じ、視覚的には反直観性に当たるのではないかという着想を得た(根拠なし)。石枕の存在は岩石との関わりから引き続き注目したい資料である。


認知考古学の松本直子先生のコメント

Joseph HenrichのWEIRD(ウィアード)における指摘

1.ヒトの心理に関する研究の多くは、極めて偏ったサンプルに基づいている。欧米系のサンプルによる研究が多い。

2.ヒトの心理は予想以上に多様性に富んでいる。現代人においてもそう。

3.非西洋の人々のサンプルを含めた研究によれば、西洋人のサンプルは分布の最端部に位置するという話。

→普遍性を標榜するCSRの偏りを暗示するという点で、重要かつ同意できる視点。


マテリアマインドの概念(物と心の共創関係)

ホモサピエンスになってから脳の容量は変わらないが、この1.5万年で急速にいろいろな物にあふれ、それによりヒトの行動は複雑化したと言える。その中で生まれるヒトの心の変化をマテリアマインドととらえる。

つまり、意識は生得的なものではなく、文化や言語による「ソフトウェア革命」によって変容したと言えるのではないかという仮説。その点で、CSRをそのまま移植することへの批判的姿勢を示した。

パレイドリアであれば、今の人も昔の人も、同一のものをみれば同じように顔と認知したと言えるのか? 欧米圏では四角い模様と認知した画像が、非西洋圏では四角に見えず丸に見えたなどの実験結果がある。私たちは「四角」に見える文明に生きた特殊な人々と自覚して、むしろ先史時代の人類から離れた後天的認知に影響を受けている危険性を指摘。

→同時代でも地域で異なる認知結果が出るのであれば、時間軸で離れた人々の認知も想像をはるかに越えた違いがあるのかもしれない、という前提で物事を考えることが大事。


ヒト形人工物についての考え

日本列島の場合は初期の土偶岩偶などの身体表現において、女性の胴部(胸など)を表現した遺物が多く、顔を表現しないという傾向が指摘できる。ならば、顔を重視したという認知科学的な見方とはかみ合わない事実。

  • 松本先生による縄文土偶の特徴…小さい、女性が多い、身体的特徴の表現、写実的ではない、集落から出土、そして初期には頭・手足がない
  • それに対しての弥生時代絵画の特徴…小さい、男女ともいる、顔・行為の表現がある、象徴的・記号的、集落から出土
  • 古墳時代の人物埴輪…大きい、男女とも、衣服・装身具、行為の表現、墓から出土

→時代ごとの差異が浮き彫りになり興味深い。異なる時代ごとに固有性の差があることは否めず、通史的に一つの認知に立脚した歴史観は語れなさそう。どこまでが先天的でどこからが後天的かという議論につながる。


質疑応答

・立ち位置の違い

藤井先生は更新世・旧石器時代のヒトの認知は現代まで基本的に変わらないという立場で、松本先生はその後マインドが変わったという立場であり、大きな分かれ目なので質疑応答レベルではコメントをするのに難しい。藤井先生は、昔と今に共通性があるとみなす、それがよりシンプルに考えることにつながるという科学的立場に立つ。


・超自然的行為者の認識をどう認めるか

笹生先生コメント…祭祀遺跡の立地。特に山と川を重視。延喜式祝詞の山口に坐す神の話が残る山に祭祀遺跡がある。日本の場合は、認知だけでなく他の要素を絡めて立論可能。


・顔身体表現について、人じゃなくて神や精霊のようなものだとみなすとき、どうやってカミ的なもの(条件)と評価するかに関心がある。また、顔身体表現が消える時代が来る。それはCSRでどう説明できるか。

藤井先生…CSRでは「傾向」があるからといって必ずそうなるということを示すわけではない。出てきやすい要因・条件があったということを分析するのはあり。

中村先生…現代日本において、このような顔身体表現の例が見られないのはどうしてだろうということを考えたい。

藤井先生…土偶が神なのか人なのか何なのかは、複合的に考えたい。神の条件。もしかしたら、場所が変われば機能も変わるのかもしれないという話。


・吉川から藤井先生への質問

吉川「最近、竹沢尚一郎氏の『ホモ・サピエンスの宗教史:宗教は人類になにをもたらしたのか』という本を読みました。私の読解不足かもしれませんが、この本によれば、宗教の発生においてカミ観念の成立を先に置かず、まずは儀礼を重視した立場と理解して読みましたが、このような竹沢氏の研究をどのように位置づけていらっしゃるでしょうか?」

藤井先生回答…昨年、竹沢説について議論した。どちらが宗教の本質というわけではないと考えている。観念も儀礼も、順次、相互的な作用でそれぞれ成立していったという理解。(やや困りながらもご返答いただきました、ありがとうございます)

→反直観的な直観が最初にあり、非言語領域で儀礼が成立し、その後にシステム2的にカミ観念を編み出したとすれば論理は通るが、そういう理解で吉川は当面行きたいと思う。


・吉川のもう一つの疑問

社会を論じる中で埋没しやすい、人の個体差の問題。

遺伝子は同じでも、感受性には個体差があるのでは。岩石においては、それに含まれた地磁気の感知の違いなど。まったく感受しない人に対して、無意識下でも感知する人が一方でいるから、宗教者と呼ばれる存在が生まれるのではないか。そのような突然変異的なものや、統計に埋もれた外れ値へのまなざし。そして、感知できない側の人がそのような存在の影響によって、どうやって変容していくか。

ビッグヒストリーを語る場合、どうしても社会全体の語り口になってしまい社会的な研究となりやすいが、個人性の研究の視点が特に信仰・宗教史には必要ではないか。

CSRは統計の科学の道を歩むが、ヒト個体の分析の集積体でもあるので、統計からはじかれた個体こそ宗教的成立の要因が潜むという問題意識と、個人と社会の鍔迫り合いでヒトの先天的認知がどのように後天的影響で変化していくかの絵も描けるのではないかと思う。