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2024年5月19日

『最新 地学事典』掲載項目の「磐座」補注


地学団体研究会・最新地学事典編集委員会[編]『最新 地学事典』(平凡社)が2024年3月に刊行され、「磐座」の項目を私が担当しました。

記事執筆に際しては200字を目安にとの条件がありましたので、極めて端的に磐座の説明を施しました。

今後、インターネットを含めた一般社会の中で「磐座」の正しい用法が広まるように本記事を掲載します。


磐座の定義紹介

以下、『最新 地学事典』p.108より引用。

いわくら 磐座

stones and rocks where spirits dwell

日本列島において、神や精霊が宿ると信じられた岩石。「座」の字をもつが、各地の事例における岩石の形状は必ずしも台座状ではなく一定しない。また、岩石の大小や自然・人工の別を問わない。磐座の表記は『日本書紀』が初出で、同時代の『古事記』では石位、『風土記』では石坐の字で表記される。現在では神聖な岩石全般を表す言葉としても普及するが、類語に磐境(いわさか)・石神(いしがみ)などが知られ、学史上ではそれぞれ意味が異なるとされる。[吉川 宗明]

 

補注

英訳 stones and rocks where spirits dwell
安直に Iwakura と書くことも考えましたが、Iwakura はイワクラ(磐座)学会が国際用語として普及を目指しており、同学会が提示するカタカナのイワクラの概念は狭義の磐座の概念とは異なるものとして意図的に設定されています。
そのため、地学事典に本来の用語として掲載する磐座は Iwakura を使用せず、用語の意味を正確に定義づけるものとしました。
「磐」は、出典の『日本書紀』において「石」との区別がほとんどされておらず、日本語における岩と石の両義を兼ねるものと考えられ、stones and rocks としました。
「座」は、日本各地の実例を勘案するかぎり座る様態だけを指さず、適切な表現として dwell(宿る)を採用しました。日本における神(カミ)概念は英訳において spirit(s) が望ましいと考えました。

日本列島において、神や精霊が宿ると信じられた岩石。
つまり、英訳 stones and rocks where spirits dwell に照応する端的な定義が上記です。
補記するならば、磐座概念は神道文脈であることを考えて日本列島限定の概念として取り扱うべきです。海外において同様の信仰構造を有する事例もありえますが、それを「磐座」という言葉で置き換える行為は、日本を中心に置いて他者を同一化する異文化理解からはかけ離れたものであり不適切です。
また、「信じられた」を挟むことは自明ですが、英訳ではこれ以上長くすることを控えて割愛しました。

「座」の字をもつが、各地の事例における岩石の形状は必ずしも台座状ではなく一定しない。また、岩石の大小や自然・人工の別を問わない。
磐座の一般的イメージと実情の乖離がこれ以上進まないように、200字の中で必要な説明と考えて加えました。
すべての磐座事例を踏まえるかぎり、磐座とは神の座石だけでも語れず、自然信仰の象徴として取り扱うのも不正確で、巨石遺構の代替語としてもありえないのです。ぜひお気をつけください。

磐座の表記は『日本書紀』が初出で、同時代の『古事記』では石位、『風土記』では石坐の字で表記される。
「磐座」「石位」「石坐」は史料上、同列で表記されていい「いわくら」の字です。
「位」「坐」をも内包した「クラ」の幅広い性格を認めつつ、本来的には字より音が先行するこの言葉が「磐座」という一語彙に押し出されていく流れに考えを巡らせたいものです。

現在では神聖な岩石全般を表す言葉としても普及するが、類語に磐境(いわさか)・石神(いしがみ)などが知られ、学史上ではそれぞれ意味が異なるとされる。

末尾のこの一文が重要と考えます。

客観に徹するため、現在の「磐座」概念が神聖な岩石全般を呼ぶ時にもっとも手っ取り早い用語として使用されていることは事実であり、このことはしっかり書いておかないとならないと思いました。

今回、「磐座」は社会に普及している地学関係の言葉として評価されたことから、「地学教育」の分野において新規収録されました。

であれば、どのようなイメージをもって社会に普及されているかを明記することは本事典に盛り込まれるべきであると判断し、私個人としては先述の経緯から誤ったイメージとは知りつつあえて書きました。この思いを感じとっていただければ幸いです。

それに続く磐座・石神・磐境の「学史上ではそれぞれ意味が異なるとされる」の一文で現状への疑問も浮かぶように配慮しました。石神・磐境の事典への立項は相成りませんでしたので、それ以上は人文系の各種事典に託された仕事となると思います。


なお、本事典には類語として「巨石文化」(p.373)も立項されています。

そちらの項目は巨石写真家で知られる須田郡司さんが執筆されており、建造物としての人工の巨石文化(おそらくこちらがパブリックイメージ)と、自然物に対する巨石への文化に大別しているのが特徴です。

人工の巨石文化を墓所、宗教施設、暦、天体観測所とみなして、自然物の巨石は信仰の拠り所として、注意深く前者と後者を分けて説明されています。

「岩質は花崗岩が顕著」と明記されているのは踏み込んだ記述と感じますが、巨石に限れば巨石を形成しやすい花崗岩がたしかに多いのかもしれませんが、いずれにしても巨石文化のデータ数の母数と、岩種ごとのデータを提示しないとなかなか恐くて明言できません。

また、巨石ではない岩石(巨石とは何か?の問題が常に浮上します)を含めるとどうなるのか、岩石の大小と岩種の関係は相関するのかなど、未解明のテーマは多いと言えるでしょう。


岩石に関する定義まとめ

関連事項として、岩・石に関する用語が『最新 地学事典』でどのように説明されているかをまとめておきます。

いわ 岩 rock

地質学分野でいう岩石に相当するが、主として土木工学の分野で使用する用語。(略)岩は土に対しある程度以上の硬さがあるものをいう。(略)[皆川 潤] p.108より

地質学の中では俗称としての位置づけにありますが、興味深いのは、岩と対比されるのは石ではなく土という点です。

土に硬さが加わることで岩になるという関係が描かれています。


いし 石 stone

(1)岩石、鉱物の俗称。

(2)海図図式の低質記号では St と表示され、径256㎜以上の礫。(略)[岩淵 義郎] p.84より

岩と同様に地質学では俗称として扱われます。この点で、学術用語としての総称は岩石そして岩石を含む鉱物が適切となります。

また、礫と石の大きさによる区分も説明されています。小礫―礫―粗礫―石という小大関係です。


がんせき 岩石 rock

地球上層部(地殻および少なくとも上部マントル)を構成する物質。数種(まれに一種)の鉱物の集合体。(略)鉱石は有用金属を多量に含む特殊な岩石。石炭・岩塩なども特殊な岩石。[端山 好和] p.320より

岩石は鉱物の集合体で、特に有効な金属を含む場合は鉱石として別で呼称されます。

私が使用する岩石信仰の概念を顧みると、地表に露出して人類が出会えることのできる鉱物の集合体に対して、実用的に有用か無用かとは別で信仰の心理を持つにいたるもの、という定義に収まるでしょうか。

岩が rock で石が stone で岩石になると rock になるあたりが、執筆者が異なるので何とも言えませんが面白くもモヤモヤします。

私はこのあたりの言語運用の曖昧さを包括するため、stones and rocks で岩石を表すことにします。


こうぶつ 鉱物 mineral

天然に産する無機質の均等物質で規則的原子配列をもち、ほぼ一定の化学組成をもつもの。ここで、ほぼ一定の化学組成と曖昧に定義してあるのは、固溶体を作るということに対応している。国際鉱物学連合(IMA)の新鉱物・命名・分類委員会としては鉱物を「地質学的な過程を経て形成された固形物質」と簡潔に定義。(略)[赤井 純治・宮脇 律郎] p.488より

岩石を構成する鉱物の定義。天然であること、地質学的過程を経ること、固形であること、そしてそれが集合した物質が岩石であると地学的に定義づけられると言えます。


本書は1648ページの本冊と、376ページからなる『付図付表・索引』の別冊の2冊をカバーに入れて合冊したものとなります。

「最新」の名を冠することからこれ以上の改訂を出版社として企図しているかは不明ですが、将来的には電子書籍化も検討されていると聞きました。

何かしらの形で、本書の知識が広く社会に普及すればと願っています。


2023年11月26日

『出雲と大和』の磐座祭祀論


村井康彦氏の『出雲と大和―古代国家の原像をたずねて―』(岩波書店 2013年)に 「磐座祭祀をたどる」と題された一節がある。

この中で大略、磐座は出雲系統の祭祀・信仰を象徴するものだったとする仮説が提示されている。

書名タイトルが示すとおり、本書は大和朝廷成立にいたるまでの出雲の影響を論ずる内容であり、古代史において出雲は熱く注目される存在の一つであるだけに、本書の磐座論の影響も古代史研究において今後大きな比重を占めるのではないかと思われる。

本記事では、村井氏の磐座論がどのような根拠で展開されているかを読みながら所見をメモしていきたい。


村井氏の磐座論の最初の例示は、京都府亀岡市の出雲大神宮の磐座から始まる。

社殿背後の御蔭山山麓から山裾にかけて数ヶ所の磐座が分布しており、山岳信仰や岩石信仰が盛んだったことを推測させる。

しかし、残念ながらこれらの岩石群は歴史的に文献で確認できる存在ではない。この1点を以て、岩石群を神社以前に先立つ歴史資料として私は根拠に用いない判断をする。

本書では交野市の磐船神社も例示され、饒速日尊の天磐船の社伝が紹介されて出雲との関連が説かれるが、社伝で語られる神社創建の由緒をそのまま実際の歴史の古さに置き換えられない。

磐船神社の他にも、各地の神社の祭神から出雲とのつながりが模索されているが、各神社の社伝や『先代旧事本紀』や『倭姫命世紀』などの文献の引きかたを読むかぎり、文献登場以前の古層を伝える記述とて信頼するにじゅうぶんな史料批判をおこなったようにはみえなかった。

たとえば、三輪山における奥津磐座・中津磐座・辺津磐座概念が古代まで遡りうるかは懐疑的であるにも関わらず、特に疑問なく採用されて岡山県宮座山の奥津・中津・辺津と対照させているあたりなどに、史料批判の不足を感じる。


また、村井氏は磐船神社の磐船の織りなす雰囲気から縄文・弥生の時代まで遡りうるものと記したり、籠神社の真名井神社磐座が木の根が絡みついた光景から由緒の古さや神さびた雰囲気を感じたり、見た目が立派な磐座は●●であるなどと記すが、これらの感想は生活基盤も知識背景も隔絶した現代人の主観であり、学術研究としては書くものではない。客観性担保の観点から言えば、この記述の中で巨石でない岩石は閑却されている。


本節には「訪れた磐座所在地」という分布図が掲載されている。

出雲を中心に磐座が濃密な分布を見せるが、キャプションが書くとおり、これは村井氏が訪れた場所を分布に落としたものに過ぎず、分布論的には何の意味もなさない。キャプションが堂々と書いているからミスリードさせる意図はないのだろうが、「出雲に磐座が多い」という感想を視覚的に抱く読者は一定数いるだろう。


村井氏は日本古代・中世史の専門研究者であるが、祭祀・信仰の世界に関しては明文化されていない資料が多いからこそ、その解釈には自らが抱いた宗教的感情・精神に沿って論じて良いという一種のロマンが許されているように思う。しかし、これらの危うい記述を重ねていくことで論証として許されるというなら、それは楽観的に過ぎるだろう。


ほかにも『古事記』の「出雲の石硐(いはくま)の曽宮」を、特に根拠なく「岩陰だろうか」という着想からスタートして、いつのまにか「磐座祭祀そのものであろう」と展開する論理を、認めることはできない。

私は、本例の「石」が物質の岩石を指すか不明のため、積極的評価はしていない。歴史を復元する人は、そう慎重であるべきだと思う。


加茂岩倉遺跡とその近くにある大岩、そして近くの山中にある矢櫃神社の巨石も例示される。

この事例は古くから遺跡(青銅器)と巨石信仰の関連性を語る事例として取りあげられやすいが、当地の場合解決しないといけないのは、遺跡から目に見える範囲の近さに巨石があるわけではなく徒歩数十分かかる距離を「近く」と呼んでいいのかという問題である。「近い」の概念に本来検討すべき問題がある。

徒歩数十分の距離にある岩石と何らかの遺跡を結びつけて良いのなら、もはや色々なものが「関係がある存在」として扱えてしまうだろう。


なぜこのことを重くとらえるのかというと、不明な問題を解決して安心を得たいため、すべてに関係性を見出そうとしてしまうのがヒトの認知構造だからである(ステュアート・ガスリーの「宗教の認知的理論」ほか、宗教認知科学の諸研究より)。

自己批判なしの関連性や結びつけは無尽蔵であり、どのような仮説でもできあがってしまう素地がある。しかし現実はその結びつけどおりでないことも当然多い。現代に生きる私たちどうしでさえ、相手が何を考えているかわからないから、その不安を解決するために主観的な理屈を結びつけてしまうことはある。今を生きていない過去の人々を物するならば、なおのことだろう。

その点で、本書にはいくつもの出雲系との関連を窺わせる岩石が登場するが、数をいくつ重ねていっても、当事者が残した明示的な記録がない限り(当事者が残した記録でさえ文字通りに解釈できないこともあるのに)、判断基準は私たち現代人側にある。

研究対象の人間と自分との間に価値観の断絶があるという配慮をもち、確定的でないものを結びつけていって自他同一の錯覚に陥るのではなく、自己批判の上で錯覚を極力そぎ落としていく姿勢が望まれる。


ただし念を押すと、村井氏は磐座信仰を「出雲系の信仰圏に限るものではない」とも釘を刺していることは触れておきたい。

村井氏は「あえて」磐座を表現するなら「出雲系の神々の世界の徴証」だとみなしており、出雲族が鉱山開発、鉄生産のために山中に分け入る中で巨石に出会ったことが磐座信仰につながり、出雲の特徴的な信仰になったと評価しているのである。

ただその場合は、出雲族以外が鉱山に手を出さず製鉄に関与しなかったという前提が必要なように思う。一部族のみが金属をつかさどったと考えるほうが難しいのではないか。しかも、その生業を文献伝承上の神名・地名・氏族研究などの形而上概念で証明させることは難しいだろう。

つまり、「出雲系の神々の世界の微証」という前提でさえ、土台がゆるぎないテーゼというわけではないのである。


歴史研究とは、常に自己批判的でありたいと思う。

村井氏のいう磐座は、いわゆる自然石としての巨石に対する信仰を一括した用語になっている。厳密にいえば村井氏は「巨石に神の霊が宿るとする磐座信仰」と述べているが、それ以外の石そのものを神とする石神信仰や、巨石以外の岩石信仰は言及されていない。実質的に、古代の石の信仰はすべて磐座に一括されている理解に落ち着いている。

そもそも石神と磐座を同列に並べて良いものか、岩石の祭祀はおしなべて磐座なのかといった疑問は、村井氏著書より前の拙著(2011年)で問題提起済みのテーマであり、この議論を通過して解決しなければ古代の磐座論は先へ進めない。


磐座や巨石は、真に「出雲系の神々の世界の微証」と言えるのだろうか。

村井氏は「丹後から飛び立った天磐船は、各地の出雲系の神々をあらたに見出し、繋ぎ合わせるという役割を果した」と記すが、自然信仰である巨石・磐座を、人格神をベースとした体系的神話のみで成立させる危うさはないだろうか。


たとえば『出雲国風土記』に登場する「石神」は、特定の神名がつく前の自然神としてのありかたを伝えている。

琴引山の石神の記述では一切の神名が記されず、大船山(神名樋山)の石神の記述では「謂はゆる石神は、即ち是、多伎都比古命の御託なり」と追記的に触れられ、前後関係から考えれば多伎都比古命が後世付加的で人格神以前の石神が元来のありかただろうと考えられる。

したがって、出雲系の磐座信仰を論ずる際に、いわゆる出雲神話という体系に拠ること自体が、磐座信仰・石神信仰なるものの本質を見えなくしてしまう恐れがある。


本記事は岩石信仰研究の立場から、村井氏著書のとりわけ磐座祭祀論の部分のみに絞って取り上げたものに過ぎないが、以上を踏まえた結論としては、磐座祭祀が出雲系祭祀の徴証だったという論には賛同いたしかねる。


2023年6月4日

勝尾寺の八天石蔵からみる「イワクラ」「イシクラ」の諸問題(大阪府箕面市)


大阪府箕面市 勝尾寺一帯

 

八天石蔵の由来

勝運祈願の勝ちダルマで有名な勝尾寺に、八天石蔵(はってんいしぐら)と呼ばれる石積施設がある。

八天石蔵とは何か。『箕面市史』から引用する。

「寛喜二年(筆者注:1230年)正月の四至注文に『四角四天王石蔵』と呼ばれた石蔵が、勝尾寺の開基と伝えられる開成皇子の結界に際して設けられ、その後に八天之石蔵がつくられたと解することができる。(略)勝尾寺のまわり八ヵ所に八天之形像が埋められ、その上に石を畳んで壇を築いた、いわゆる『八天之石蔵』のあったこと、そしてそれが勝尾寺領の境界を示す牓示であったことを知ることができる。」

箕面市史編集委員会 編『箕面市史』第1巻 (本編),箕面市,1964. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3008156 (参照 2023-06-04)

八天石蔵の一つ「持国天王石蔵」

八天石蔵のなかでは、東の境界に建つ石蔵である(冒頭GoogleMap参照)

現地看板

持国天王石蔵には、勝尾寺園地の駐車場から案内標識が出ている。
(勝尾寺園地は無料駐車場であり、勝尾寺参拝時にも有用である)

すなわち、八天石蔵とは寺の領域を示すために置いた施設である。

寺社の四至(東西南北)の領域を確定するために牓示の石柱が建てられた例は各地にみられるが、八天石蔵の特異な点は牓示が石柱ではなく3段からなる石壇を構築し、さらにその下に八天(四天王・四明王)の仏像を壺に入れて埋納したというところにある。

単なる境界標示の目的にとどまらず、それぞれが仏を宿す結界という意味も込められ、その名を「石蔵」と呼んだのである。


このような施設の類例はほとんどないとされており、規模・時代が違ってもいいなら岡山県赤磐市の熊山遺跡や奈良県奈良市の頭塔(ずとう)が僅かながら類似形態として挙げられるだろうか。いずれも広くとらえて仏塔の範疇で考えることはできる。

しかし、頭塔については見た目こそ石の塔の趣だが、実質は盛り土の表面に石を葺いたものであり、どちらかというと古墳の造り方に近い。どちらかといえば、熊山遺跡のように総石造りの壇状施設の文脈でとらえたほうがよさそうだ。

(熊山遺跡の石壇が、熊山山頂の露岩上に構築されているのも、岩石信仰の観点からは注目できる。ただし熊山の露岩が即・磐座と呼ばれるような祭祀対象だったかは即断できない)


考古学者の狭川真一氏がweb上で報告した「瀬戸内周辺における古代仏塔の研究-経納遺跡の研究を中心に-」によると、八天石蔵・熊山遺跡と比較に足る事例として兵庫県佐用町の経納遺跡を取り上げている。こちらも3段からなる石壇遺構であり熊山遺跡と同時期・同時期の可能性が示唆されている。


なお、勝尾寺境内の三宝荒神社(荒神堂)の裏手に「八天要石」または「影向石」と呼ばれる八角柱の石柱があり、石柱下には不動明王像が埋まっているという逸話もあるようで、これも伝承上では石蔵と同機能と言える。

立地的には勝尾寺境内ということで石蔵の中枢的役割を担うかのようだが、埋納されるのが不動明王であるなら冒頭前掲書のとおり、八天石蔵において当初設けられたのは「天王」であり「明王」は後出するため、八角柱という形態も考えあわせて石蔵成立後の聖跡かもしれない。

三宝荒神社。探訪時、八天要石を知らず残念ながら見過ごした。


石蔵と経塚の異同点

積み石の下に仏を埋納したという石蔵の祭祀に近いものとしては、経文を筒などの容器に入れてそれを積み石で覆った経塚が想起される。

経塚については、末法思想に伴い経文を未来に保存するために構築されたもの、そこから派生して作善のために構築されたことが多く、石蔵の牓示の機能からは少し性格が離れたもののようにも思える。

しかし岩石信仰の観点に立つと、自然石信仰の地を後世に経塚として用いた事例が知られており、静岡県浜松市の渭伊神社境内遺跡(通称・天白磐座遺跡)、三重県桑名市の多度経塚、三重県伊賀市の猪田経塚、京都府宮津市の真名井神社経塚などを挙げることができる。

最前者の渭伊神社境内遺跡は古墳時代の祭祀遺物群が見つかった巨岩群をそのまま経塚として利用している。他の例も多度大社・猪田神社・真名井神社いずれも延喜式内社クラスの古社であり、それらの神社が神聖視する自然岩群の近くに経塚を設けている。

このように、まずは神祭りの場がありそこに経塚の機能を追加したと考えることができる。経塚も単に単独で成立した存在ではなく、それ以前からの祭祀や聖地の影響を受けたうえで複合する場合がある。


石蔵と岩倉 ~京都四岩倉との比較~

八天石蔵の石蔵は「イシグラ」「イシクラ」と読むが、石蔵を「イワクラ」と呼ぶ例もある。そうすると、石蔵も自然石信仰のいわゆる「磐座」などと無関係ではなくなってくる。

その一例として、経塚と石蔵の牓示の関係でも思い起こされるのが、平安京の四方に桓武天皇が一切経を埋納したとされる「四岩倉」伝説である。

これは桓武天皇の同時代文献に明記された事跡ではないが、少なくとも『雍州府志』(1682~1686年成立)、『京羽二重織留』(1685年成立)までは本伝説の記述を認めることができる。

それ以前の文献に本伝説の記述を見つけることがまだできていないが、伝説を抜きにして四岩倉の名称自体はさらに古く遡ることができる。たとえば北岩倉は『日本三代実録』(901年成立)において「石座神社」の名で、西岩倉は『今昔物語集』(平安末期成立)に「西石蔵」の名で登場する(「西」と冠しているので、この頃には他の方位の「石蔵」もあった可能性は高い)。


京都四岩倉伝説については下記事で詳述しているので、これ以上はそちらを参照されたい。

京都「四岩倉」伝説について


「イワクラ」「イシクラ」概念史の中の八天石蔵の位置づけ

ということで、長い寄り道をしてきたが、ここで勝尾寺の八天石蔵と同じ「石蔵」の表記と初めて出会う。岩石信仰の見地から、他例と比較した八天石蔵の位置づけを試みてみよう。


平安京四岩倉伝説は「岩倉」の表記で知られるが、上述のとおり「岩倉」表記は17世紀文献までしか遡れない。それ以前は「石蔵」表記であり、『今昔物語集』の平安末期(12世紀後半)と八天石蔵が構築・記述された寛喜2年(1230年)頃は最大100年ほどの開きはありそうだが比較的近い年代観を共有している。

そして、さらに遡り『日本三大実録』の10世紀初頭では「石座」の表記である。この石座神社は京都四岩倉の中で唯一、自然の露岩をまつる「磐座」としての場所であり、ほかの三岩倉とは性格を異にした出自だった可能性もある。たとえば、神祭りの磐座祭祀の一字である石座だった場所が、中世以降に経塚・牓示の文脈である石蔵の影響を受けて四岩倉として再編された可能性などである。


もう一つの傍証として、兵庫県相生市の磐座神社の事例を取り上げておきたい。

詳しくは上リンクを参照してほしいが、磐座神社は『万葉集』にうたわれた「矢野神山」の候補地といわれ、山麓の境内および裏山の数か所に巨岩群が分布している。

今でこそ磐座神社表記であるが、当社はかつて石蔵明神・磐蔵地蔵権現・岩倉権現などと複数の表記で記されていたことがわかっている。山中の奥の院とされる巨岩には、背中合わせに神社の社祠と阿弥陀堂がまつられており、中世には神仏習合の地であったと思われる。

磐座神社も「石蔵」「磐蔵」「岩倉」などの「蔵・倉」グループに属す時代があり、いやむしろ、現代の「磐座」の表記が本来的であったかどうかも批判的にみないといけないかもしれない。

「磐座」は奈良時代の『日本書紀』、平安時代の『延喜式』祝詞・神名帳に登場する「イワクラ」の古い表記用例ではあるが、全国各地の実例を踏まえるかぎり、その後は中近世の長い時代にわたり積極的に用いられることはなかったように思われる。おそらく、神道に携わる一部の人々にしか広まらなかった概念だったのだろう。

それが江戸時代末期に国学者により神道的なものを復古・喧伝するにあたり、"神社以前の原始信仰"の一つである「磐座」にスポットが再び当たり、明治時代以降にかけて磐座の使用例は神道学者、神社関係者、研究者(市井含む)の間で増えていったことは、いちいち例示しないが当時の文献・雑誌のテキスト検索を行えば明らかと言える。この動きの中で、古代からの「磐座」と近代以降命名の「磐座」が混濁して現代に至っていることは、この20年ばかりの筆者の調査研究の中でも多く感じることである。

八天石蔵の事例から話を広げて、「イワクラ」「イシクラ」の語を巡る岩石信仰の諸問題を書き連ねることになったが、そのような点でも八天石蔵は数々の系統からなる事例群の結節点とも言える存在である。

冒頭に引用した『箕面市史』の文中にあるとおり、八天石蔵は勝尾寺開祖・開成皇子の結界に際して設けられたといういわれがあるが、開成皇子は桓武天皇の庶兄に当たる。四岩倉伝説で平安京の四至に経文を埋めたという桓武天皇と奇しくも絡んでくるのも興味深い。


まとめると、「イワクラ」の字は石座(古代)→石蔵(中世)→岩倉(近世以降)の時系列で追うことができ、八天石蔵は中世のイワクラ表記の影響を受けた事例として位置づけることができる。

そして、石座と石蔵とは直線的な系譜が結べるとは限らず、同じ「イワクラ」の音を共通するものでも、出自が「神祭りの磐座系統」と「経塚・牓示の石蔵系統」の二系統から始まっており、それが神仏習合で祭祀を同じくしていく中で岩倉などの表記も生まれていき、現在の複合的なイワクラ概念世界に至ったという流れが想定される。

他にも、音は異なるが仏像が立つ「岩座(イワザ)」の系統や、石垣や城郭施設に用いられる「石椋(イシクラ ※石蔵表記も用いられることがある)」の系統なども無関係だったとは思えず、音または字が近い概念同士は時代経過の中でどんどん混ざり合い、相互に影響しあっていったのではないか。


単に「イワクラ」を神祭りのそれとみるのではなく、また、音だけでなく字からも文脈・系統は異なり、磐座・石座・石蔵・岩倉などのそれぞれの字に込められた意味を細かく腑分けしていくことも重要な歴史学上のテーマであるように感じる。


2022年7月17日

論文紹介「『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか―奈良時代以前の岩石信仰と祭祀遺跡研究に資するために」(2022年)

『地質と文化』第5巻第1号(2022年6月30日発行)に論文を発表しました。


『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか
―奈良時代以前の岩石信仰と祭祀遺跡研究に資するために―


・論文(掲載誌オンライン公開pdf)
https://drive.google.com/file/d/1Mi3lGIblp-0D_SOXAdxTO2u1YI-IsonD/view

・論文使用データ(excel)
https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/download/542368/bccf29a0d97bee9f7e3f5397cb8d71b6/26280?col_no=2&frame_id=1068049

――目次――

1.問題の所在

2.論点の整理

2-1.先行研究の整理方法
2-2.論点その1 岩石に帯びる普遍的な精神性とは
2-3.論点その2 神は岩石に対してどのように宿ったか
2-4.論点のまとめ

3.『古事記』『日本書紀』『風土記』における岩石記述のデータ化

3-1.分析史料
3-2.分析方法
3-3.岩石の精神性に関する記述
3-4.岩石とともに登場する自然物の記述
3-5.岩石の機能に関する記述

4.神の宿りかたについての再検討

4-1.石神に関する記述
4-2.磐座に関する記述
4-3.磐境に関する記述
4-4.神の宿りかたに関する記述

5.まとめ

補遺

――――

本文34ページ、表37ページの計71ページです。
字数制限のない掲載誌でしたので、それに甘えて論文としても長くなりました。お時間のある時にどうぞ。

自己書評

本論文のダイジェストは、論文冒頭に載せた要旨のとおりですが、論文紹介も兼ねて、著者なりのポイントを章別にコメントいたします。

■ 1章(問題の所在)

問題の所在は、2002年の頃から私の中ではずっと変わっていません。
その状況を動かすために、論文を書いているのだと思います。
毎回同じ問題を取り上げているなと思われたヘビーユーザーの皆様がおられたら恐縮です。

今回は「時間軸・空間軸を絞ること」「他の時代や外国の史資料に安易に依拠しないこと」をテーマに置いています。
論文サブタイトルが示すように、私の最終研究テーマは文献登場以前の岩石信仰にあります。
その土台は、まず国内最古級をもっとも遡及できる文献群『記紀』『風土記』に求めました。
ですので、文献登場以前を解明する論文ではなく、「隣接」することが目的だと書きました。

なお、『萬葉集』もその点においては有用な史料ですが、歌謡を明示的に解釈することは現状難しいため分析からは外しました。いつか、分析の手立てが自分なりに掴めればと思います。

■ 2章(論点の整理)

先行研究をまとめた章です。
ただし、網羅的にはまとめていません。紙幅が足らないのと、論点がぼやけるのが理由です。
査読のなかで、取り上げる論点についてさらにわかりやすくできないかとご意見もいただいたので、最終的には「論点その1」と「論点その2」に節を分けて、最後に箇条書きで論点を書きだしたという流れです。

研究史は、各研究者の研究紹介を事実面で記していくのが基本形です。
しかし、特に石井匠氏の研究については本論の研究方針を決定づける内容でもあったため、本論では研究史の中で石井氏と私の立場を対比することにボリュームをとりました。

■ 3章(データ分析)

本論文のメインとなるデータ分析の章です。
掲載誌が地質学分野ということもあり、分析史料である『記紀』『風土記』についての基本的な紹介にも紙幅を割きました。時折、歴史学畑の方には初歩的な記述や注もありますがご寛恕を。
概要とはいえど、いざ文章にしようとすると下手なことは書けず、国文学の先学にかなり頼っています。

さて、本論文に自己批判を入れるとしたら、データ分析の手法が正しいかということです。

本論では、岩石の記述を文の固まりで1事例化しましたが、文献記述は本来定性的なものでそれを定量化することには困難が伴います。
だから、単語単位で分析をかけるテキストマイニングであればまだ大方が肯定される範囲ですが、意味のある文章の固まりで1事例とするとその事例の分け方に恣意的なリスクが出てきます。

たとえば、岩石の単語が1カ所しか出てこない記述を1事例とするのと、岩石の単語が一文に複数出てくる記述を1事例とするのを、同じ1事例と扱ってよいのか。
悩むところでしたが、データとしては同じ1事例でも、分析項目別に数値化してその数値を考察に用いれば問題は解消されると考え、「岩石の精神性」「岩石とともに登場する自然物」「岩石の機能」の3つのアプローチで3種のデータを考察に用いる形で対応しました。

もう一つの自己批判点は、精神性や機能といった定性的評価に陥りやすいものを認定する際に、分析者各自で揺らぎが出ないかという問題です。
基本姿勢は、本論文中で記したとおりです。文字に書かれていること以上の暗示的解釈を極力省くことで、どなたがみても肯定いただけるレベルまで消極的評価にこだわりました。さらに、生データもさらけ出し、細部においてもマスクデータをなくすようにしました。

それでも多少のデータ解釈の揺らぎはあることと覚悟しています。
しかしそれはいわゆる誤差の範囲内に収まると認識しており、第5図、第6図、第10図などに示したグラフの各要素の比率などについては大きく評価が変わるものではないと考えています。

いずれにしても、他者(この場合は『記紀』『風土記』という時代の離れた他者)の文章を現代人が論理的文章という論理の中で定性的に解釈することの限界を感じて、最低限明示できるデータを提示することに価値を置いたのが本論文です。

■ 4章(考察)

3章のデータを受けて、本論の結論部分となる考察の章です。

一見、3章のデータと絡まない独立した章のようにも見えますが、石神においては第4表に「岩石の精神性」「岩石とともに登場する自然物」の分析項目を入れて、p.25~p.26でわずかながらできうる歴史叙述もおこないました。
磐座は、その石神に対する対比としての第5表とp.27~p.28の奈良~平安時代の歴史叙述。
磐境は、よくいわれる磐座と磐境の異同性について、岩石の精神性から概念差を論じました。
ほかにも、私なりに考えていた石神・磐座・磐境に関する着想や視点を諸々ちりばめたつもりです。その評価はいつか登場するだろう後学に託します。

最後の第4節では「神の宿りかた」の考察を据えて、研究史で触れた笹生衛氏の「坐す神」論について私見を述べました。
論文ですので批判めいた部分もありますが、真っ向から否定しているような「択一的」な考察ではありません。
目指したのは、択一・収斂ではなく多様性・個別性の提示です。「坐す神」も存在することを認めたうえで、それだけではない信仰のありかたを岩石信仰の領域で指摘したものになります。

現在の祭祀考古学の主流が、やや一面的な方向で世界観が固定されていることに危惧を感じたのも、本論文の執筆にとりかかった動機の一つです。
文献登場以前の信仰世界を研究する際の、ある種の揺り動かしが成功していたなら私の問題意識はかなえられたと言えます。

■ 5章(まとめ)

まとめは第11図に込めました。

第11図の諸要素に「ほか」と補足したのは、この概念図が未成であり、今後の研究の中で批判されながら拡充されていくべき期待を込めています。
なぜなら、個々人の世界観は多様であり、一人がその歴史を語りきることはまだできないと自覚しているからです。

2011年の『岩石を信仰していた日本人』では、第11図のうちの「選択」を取り上げました。
2022年の本論文では、第11図の「現象」を取り上げました。
今後は、迂遠的にはなりますが、第11図の「背景」を追究していく必要性を感じます。

それと同時に、本論文で提示した岩石の精神性、機能などが本来私が関心を持つ文献登場以前の時代にどこまで蓋然性をもてるかの追究も必要です。

一つの方向性は、たとえば奈良時代以外のほかの時代の史資料でも同様のデータ分析をおこない、その数値化をおこなうことで、もし本論文と同傾向であれば時代を超えた普遍性と言える蓋然性は上がります。一方で、そうではない傾向が出れば安直な文献以前への当てはめは戒めなければなりません。前向きに言えば、岩石信仰の多様性・個別性はさらに具体化される結果になったとも評価できるでしょう。

時間軸だけでなく、空間軸でも同傾向か異なる傾向かをはっきりしていくと、人間の普遍性にいきつくか人間の個別性にいきつくかを見定めることも可能です。
その点では、海外における岩石信仰の諸文献も同様のデータ分析が求められますが、私一人でどこまでいけるやら、という気の遠くなる展望を書きました。

■ 補遺

本文より頁数の多い37ページです。
『地質と文化』編集委員会の方々には、そもそも表を掲載する紙幅も含めて検討、調整を重ねていただきました。
表のExcelデータ散逸を危惧して、紙媒体で将来的に残せるように掲載していただきました。

Excelデータがオンライン公開されているうちは、インターネットでExcelファイルをダウンロードして、項目別にフィルターをかけたほうが参照しやすいです。

本記事の冒頭にもダウンロードリンクを貼りましたが、pdf論文内の注20からリンクも飛べるようにしてありますので、お手数ですが論文本文は印刷してExcelはパソコンで開いて照らし合わせるのが一番読みやすいのではないかと思います。


電子ジャーナル掲載であれば、ネットから消えない限りは多くの読者の方に開かれた状態で、今後検索の便にも果たせるかと願っています。
一人でも多くの方に届けば著者として幸甚です。お力をお借りできるのなら、皆様からお知り合いの方へのご紹介もよろしくお願いいたします。

2020年9月24日

巨石に関わる祭祀遺跡論・磐座論・依代論 ~時枝務氏「三輪山の祭祀空間」(2016年)を読んで~


表題の「三輪山の祭祀空間」は、時枝務氏が2016年に著された研究書『山岳宗教遺跡の研究』(岩田書院、2016年)の所収論文(25頁~47頁)を指します。

時枝務氏は立正大学教授で『修験道の考古学的研究』(雄山閣、2005年)、『山岳考古学―山岳遺跡研究の動向と課題―』(ニューサイエンス社、2011年)などの著書で知られる、修験道や山岳宗教を考古学的に追究する専門家です。


岩石信仰研究においても、山の考古学は極めて密接な関係にあるため、本書の全篇において学ぶ点がありますが、この記事では第一部第一章に属する「三輪山の祭祀空間」の論に絞って、私見を述べたいと思います。

本論では、三輪山山麓の代表的な磐座遺跡として有名な山ノ神祭祀遺跡を主に検討対象として、古墳時代の山麓祭祀の様相について論じられており、その中で磐座・石神・磐境に絡む論が紙幅を割かれています。

これは、近年の考古学の研究ではほとんど見られないものです。本書は350部しか発行されていないと奥付に書かれているので、その点でも、本記事で広く関係諸氏の方々に周知できればと考えています。


自分向けの備忘録としてメモしたところもありますので、やや文脈を省略するところがありますがご容赦ください。


山ノ神祭祀遺跡は祭祀遺跡か


山ノ神祭祀遺跡は「巨石をアプリオリに磐座とする」(28頁)素朴な解釈がされてきましたが、時枝氏は改めてこの遺跡が磐座なのか、何なのかを検討しています。

発掘は1918年の昔。

実測図はありますが、当時の実測技術のため正確さがやや疑問なのと、実測時点ですでに複数の盗掘にあった後で、巨石の位置が信頼ならないとする見方が有力です。

時枝氏は、最終的に「巨石は自然のままであった可能性があるが、小石は人為的に敷かれたものと判断され、自然を利用しながら構築した祭場と考えるのが最大公約数的な見解」(30頁)と判断しています。

この遺跡は発掘当初、古墳説もありましたが、時枝氏は出土した遺物が各地の祭祀遺跡で見られるものなので、祭祀遺跡説を追認する形ととっています。

ただ、古墳の副葬品と祭祀遺跡の祭祀遺物にも共通性は多いので、なぜ古墳説を除外しきれるのかについては、これまでの研究者と同様、さらに批判的に古墳側の遺物と比較してもいいのではないかとも思います。


山ノ神祭祀遺跡は磐座か


さて、時枝氏の問題提起はさらにその奥に迫り、祭祀遺跡は祭祀遺跡でも、この巨石は磐座と決めていいのか、について言及しています。

時枝氏は研究史を紐解き、神道考古学の大場磐雄氏が戦前の研究では磐座に絞り込んでおらず、石神・磐境の可能性についても併記していたことを述べています。

それが、戦後の研究では磐境と石神の解釈がなくなり、磐座に断定したという考えの変化も指摘しています。

時枝氏いわく、磐境は臨時的に置かれる施設だから、遺跡として残りにくいという前提条件を根拠に、大場氏は磐境説を排除したのではないかと推測していますが、実際のところは大場氏が明記していないので不明です。


石神と磐座の違いを整理


ほとんどの研究者が看過してきた、石神と磐座の差異について時枝氏は取り上げています。

いわく、
「石神は、それ自身が神であり、神は巨石のある場所に常住する」(32頁)
「磐座は、去来する神が、祭りに際して占める座であり、臨時に設けられた祭場」(32頁)
と定義をふりかえっていて、首肯できるものです。

さらに、上記の定義であるから、
「磐座も、神が来臨している際、すなわち祭りがおこなわれている間は、石神と同様に祭祀対象なのである。石神と磐座の差異は、神が去来するか否かにあり、神の在所をどことみるかにあるのである。」(32頁)
という、古墳時代の神観に関わる問題へ発展していきます。

この流れや問題提起については、時枝氏はすでに「神道考古学における依代の問題」(『立正大学大学院紀要』第31号 2015年)で古墳時代の神観を國學院大學笹生衛氏の学説に沿って検討しており、これについては私もすでに別記事で私見を述べました。
改めて、そこで述べた各種議論と響き合う話になってきました。

「依代」と「御形」と「磐座」について―祭祀考古学の最新研究から―(前編)


三輪山の多くの巨石群を「石神説」または「磐座説」で解釈する


三輪山山麓には、多くの祭祀遺跡、そして遺跡かどうかはわからないものの、磐座と称されたり由来不明ながらまつられていたりする巨石群が山中から麓にかけて分布しています。

これらの祭祀遺跡や巨石群の位置づけを、石神説と磐座説の二通りの解釈で時枝氏は下記のとおり整理しています。


・石神説
「それぞれの祭祀遺跡に祀られた神は、そこに常住する神で、土地の性格を強く反映した個性的な神格をもつ神が、三輪山の山内と山麓の至るところに遍満していた状況を想定することができる。三輪山は、まさに精霊が跋扈する、アニミズムの山として位置づけられることになる。」(37頁)


・磐座説
「祭祀遺跡で祀られた神は、山頂などから去来する神で、祭祀遺跡が異なっても祭神は同一であると理解できることになる。」(37頁)


時枝氏の仮説に対する疑問1.時代を飛び越えた文献援用


以上の時枝氏の研究は、大場磐雄氏以来閑却されていた石神・磐座の差異に改めて着目する試みであり、大変有用なものでした。

この流れを踏まえて、時枝氏はいよいよ山ノ神祭祀遺跡が磐座なのか石神なのかへの結論を出すわけですが、このあたりからやや私にとっては首肯しにくい論理も登場するので、そのあたりを触れておきたいと思います。


まず、時枝氏は山ノ神祭祀遺跡を磐座か石神かを絞り込むための根拠として、『日本書紀』崇神天皇条の三輪山神婚伝承を援用します。

三輪山の神は複数おらず大物主神だけであることや、山から山麓の嫁に会いに来たということが読み取れるので、複数の神々を前提とする石神説よりも特定の神が複数の祭場に現れた磐座説のほうが適合的だと結論づけています。


これはとても有名な伝承であり、おっしゃられていることも至極納得なのですが、とても残念なのが、なぜここで最終的に奈良時代の文献の心性・認識を以て古墳時代の三輪山の祭祀遺跡の神観を証明しようとしたのかということです。

これは、つねづね祭祀と考古学でいわれている、安易な文献援用であり、奈良時代と古墳時代では数百年の心の飛躍があります。

時枝氏もそこは本書の冒頭で、文献資料や民俗資料では古墳時代研究は頼りなく考古資料に立脚すべきと主張していたのに、最終的に文献のそのままの援用ではいけないでしょう。


なお、三輪山の山中の磐座群を奥津・中津・辺津磐座の3つで空間的にとらえることを時枝氏は肯定的ですが、この用語の初出である『大三輪神三社鎮座次第』は中世から近世文献説もあり、資料批判が必要です。
このあたりも、時間軸が異なる資料に基づいた解釈は控えたほうが無難でしょう。


時枝氏の仮説に対する疑問2.石神と磐座以外の解釈は?


また、いつのまにか磐境説が時枝氏の検討からも外れているのも解せません。

大場氏を批判しながら、時枝氏も磐境についてはアプリオリで巨石の数多ある解釈から外し、石神か磐座かの二択に問題を簡略化しています。

時枝氏も論ずるように、三輪山山麓の巨石群が山体と麓の傾斜変換点に沿って帯状・弧状に分布しているのであれば、たとえばそれら巨石群が全体として磐境(聖俗の境界)としての機能を有していたという説もじゅうぶん触れられるべきではないでしょうか。


さらに申し上げると、巨石の解釈は石神・磐座・磐境の3種類に限らないというのは、私が2011年『岩石を信仰していた日本人』で問題提起したことでもあります。

たとえば、神が占める磐座ではなく司祭者側である人が占める台座石であったという解釈、石占としての装置や道具としての解釈、岩石自体が奉献物の一つだったとする解釈、禊祓の場という解釈なども、検討領域に入れてみていいでしょう。

大変残念なことに、時枝氏は巻末の参考文献リストを見る限り拙著に当たっていないようですので、岩石の祭祀遺跡に対する解釈幅が大場氏以来の旧解釈でとどまっています。

そして、このことによってもう一つ、時枝氏説に対しての疑問が広がることになります。


時枝氏の仮説に対する疑問3.古墳時代の山岳信仰は山麓祭祀だけ?


時枝氏は、山ノ神祭祀遺跡を磐座と判断して、その神観を、三輪山の神が山麓ぎりぎりのところにある磐座まで来て、人々は山麓の磐座で祭祀したという「山麓祭祀」が古墳時代の山岳信仰のかたちだったと論じています。

これ自体は、民俗学で旧来いわれていた学説を追認したようなもので、山岳仏教で山中に登る修行者が現れるまでは、山は禁足地であり遠くから拝する対象だったとする観念です。

本論はあくまでも三輪山を取り上げたものなので、三輪山についてはその観念でも良いかもしれませんが、時枝氏はこのモデルケースを以て古墳時代全体の山岳信仰を山麓祭祀に当てはめすぎではないかという危惧があります。


これについても、私は『岩石を信仰していた日本人』で「山の境界論再考」という小考をしたためており、そこで古墳時代の岩石祭祀遺跡が山麓祭祀一辺倒ではなかったことを指摘しています。

具体的には、群馬県櫃石遺跡、滋賀県瓦屋寺山遺跡、島根県大船山遺跡、福岡県日峯山遺跡など、ある程度山腹に入り込んで、時には山頂直下まで入り込んだうえで祭祀遺物が見つかっている山岳祭祀遺跡が複数確認されています。
(時枝氏も『山岳考古学―山岳遺跡研究の動向と課題―』などで遺跡集成しているのでこれらの遺跡を知っているはずなのですが…)

そこで、従来の山麓祭祀にとらわれた山岳信仰観に一石を投じるため、私は「山腹境界論」とでもいうべき概念を披露したのですが、読まれていないので時枝氏論文においてもこの問題意識については置かれたままとなっている状況です。


時枝氏の仮説に対する疑問4.依代と磐座は違うといいますが…

本記事の途中でも紹介しましたが、時枝氏は折口信夫の「依代」概念への批判的研究でも知られます。

本論文においてもそのあたりを念頭に置いた記述があります。引用すると、

「磐座を考えるにあたって注意しなければならないのは、磐座はあくまでも祭場を構成する設備の一種であって、依代ではないことである。依代は、神が憑依する際の目印であって、憑依する対象ではない。(略)磐座に依代を付けた可能性はあるが、それは磐座のような堅固なものではなく、祭りに際して臨時に設けられたものであったことはいうまでもない。磐座は、依代と切り離して論じる必要があり、折口の依代論とは別個に考察されなければならない。」(44-45頁。傍線部は私が強調)

との部分です。
目印である依代と、憑依物である磐座は違うとの持論です。

これについて、私は前掲の過去ブログ記事でこう書きました。

憑依する目的物(樹木や岩石)が祭祀の対象で、その先に目印とついていた依代は、目印だから祭祀の対象でないとみなす時枝氏の考えは、必ずしもそう言えるのかという疑問があります。
依代は単なる目印ではなく、祭祀に用いられていて、神の目にとまる機能を持つのだから「聖なる印」なのであり、依代自体に聖性が帯びるのもごくごく自然なことだと思うのです。
また、信仰・祭祀の当事者自身が、そこまで機能論的に明確に"樹木・岩石が神の宿る部分"、"依代はあくまでも目印"と切り分けていたかもグレーゾーンです。
依代という装飾部分を込みにした全体が憑依物だと信じられていたことを想定することも、まったく不自然ではないと思われます。これは折口概念の拡大解釈とは全く別の次元の問題です。


そもそも、時枝氏自身にも矛盾している記述が見受けられます。
44-45頁で上記のとおり、依代は目印で磐座は目印ではないと述べながらも、38頁には下記の記述があります。

「巨石が山中と密接に関わる場であることを示す証拠と考えられ、山中に坐す神が山麓に顕現する際の目印とされたのであろう。」(38頁。傍線部は私が強調)


こちらでは、巨石が神が顕現する目印にされたと言っており、磐座は目印ではないとする先の言と矛盾します。

でも、目印とはつまりそういうことで、神は目印を通して憑依する場所を定めるのですから、祭祀の当事者からすると必ずしも機能論的、ないしは理屈的な発想ではなく、依代も岩石もその総体として神が顕現する存在だったと考えられるでしょう。


近年の祭祀考古学では、磐座や依代を分析概念の一言で相対化する傾向が見受けられますが、それに替わるモデルも定まっていない状況です。

引き続き、私は岩石信仰の事例を一つ一つ虚心に見ながら、結論を決めずに見えてくる世界観が何かを帰納していきたいと思います。


2020年1月3日

歴史学的に磐座・巨石を研究するときの注意事項


磐座や巨石信仰のことを知りたいと思ったとき、インターネットや本でたくさんの情報に出会います。

私も折に触れて検索や文献収集をしているのですが、ある視点が少ないと感じました。
それは、磐座や巨石信仰は歴史的な文化財、ということです。

このページでは、磐座や巨石信仰をこれから勉強してみたいと思った方のために、歴史学という学問でできそうなことを5つのポイントにまとめておきます。

1.歴史学の基本的な方法を知る


歴史には、ついついロマンを求めてしまいがちです。
それは全否定されるものでもありませんが、歴史が現代人に娯楽的に消費されるための素材だけになってしまっては、少々もったいないです。

あと、歴史に対して失礼かも。

そこで、一歩冷静になって歴史を取り扱うための作法のようなものが歴史学です。

歴史学は科学の一分野です。
科学なので、大前提は「追試ができること」です。
研究者がある説を唱えたとして、他のだれでも同じ方法で調べれば、同じ結果が出るという再現性がないと、それは科学ではなく、歴史学ではありません。

だから、調査方法や、調査に使った資料が公表されていない文章は、追試ができないという点で失格です。
磐座や巨石信仰は宗教的な性格を帯びるので、霊能者のお告げやパワーを感じるなどの理由が使われるケースがありますが、これは歴史学ではないので注意しましょう。

歴史資料は、文献資料・考古資料・民俗資料の3種類に分かれます。
それぞれの特性を把握して取り扱いたいところです。


■文献資料

文字で書かれた資料。古文書などです。
古文書は実物をおいそれと見られるものではないですし、崩し字が読めない、昔の言葉の意味が今の言葉の意味と異なるなど、扱う上でのハードルがあります。

実物でない場合は、なるべく信頼できるソースに当たりましょう。具体的には、翻刻・活字化された文章を選ぶことです。
意訳・現代語訳された文章に拠るのは危険です。訳した人の主張が混ざります。

また、文献資料は、文字が書けた人の立場の歴史であるということも注意ポイントです。文字を残せなかった立場の人々の方が多かったということを、特に地域の信仰となりやすい岩石信仰においては含んでおかないといけません。

■考古資料

地中に残る資料。遺跡・遺構・遺物を指します。
文字が残っていない時代のことを研究する場合には、一番使うことになる資料です。

でも、発掘は勝手にできません。
というか、法律的にもしてはいけません。 
ときどき、磐座や巨石の周りを掘ってしまっている人がいます。アウトですのでご注意ください。

考古学では、土の中から見つかった資料を、事細かに記録します。なぜかというと、一度堀ったところは二度と同じように戻せないからです。地層がぶっ壊されるので。
歴史の真相を知りたい!という浪漫心で地中を掘ってしまうのは我欲です。土の下の歴史は永久に復元できなくなります。だから、考古資料は考古学の技術がある組織に委ねましょう。

ということで、考古資料を取り扱う際も、多くの場合は実際の発掘を通して知るのではなく、専門の方が発掘して記録した発掘調査報告書を参考にすることになります。

この点で、考古資料は発掘調査者という人間を通して文献資料化してしまいます。
さらに、それをどう取り扱うかは、文字がないからこそ資料からメッセージがダイレクトに伝わらず、より研究者自身の価値観に委ねられます。


■民俗資料

民俗資料は、文字で書かれた資料や、土の下から出る資料から零れ落ちたものになります。

民俗学といえば伝説・昔話や祭り・風習などが知られますが、伝説や昔話は「口」を介して残る資料であり、祭りや風習は「動作」を介して残る資料という点で、民俗資料の特徴をよくとらえています。

おおむね、固定化しない人の言動資料ともいったところです。
民俗資料は古文書や考古資料に比べ、村の古老の聞き取りや観察などを通して自分で開拓できますが、だからこそ注意点があります。

それは、調査対象が一人の生きている人間であり、調べようとしていることは、目で見えず手で触れないような「言葉」「心」を扱うということです。
実体のないものはこちらの誘導の仕方や、相手の態度次第で変幻自在に形を変えます。そもそも「資料」化できるかどうかが注意ポイントです。


2.資料批判(史料批判)をしているか


歴史資料というものが、いろいろな取り扱いのハードルがあることを見てきました。

つまり、人が介する限り、歴史資料は「主観」から逃れられないということです。

人が書いた文章、人が話したこと、人が思ったこと、すべて主観的です。
どの立場、思惑、意図で書かれたのか、これらは歴史の語られ方を限定していきます。

だから、資料批判(史料批判)をしないといけません。
その文献に書いてあることの批判、その考古資料のとらえ方の批判、その聞き取り観察情報の批判。

こんな状態ですので、できるかぎり信頼できる資料を使うのは最低限の作法です。
いわゆる一次資料、原典と呼ばれるものです。
また、研究者自身も批判され、その批判に打ち克った研究者の文章を参考にすることも大事です。
追試・再現性の原則に照らし合わせて、すこしでも信頼性に欠けるものは、一片の真実が含まれていたとしても、自分にとって都合の良い情報だったとしても、それを追試再現する術がないかぎり、資料として使わないことが研究者自身に課せられた冷徹な態度です。

3.信じていい情報かどうかの見分け方


テクニック的なところでいえば、その文章における参考文献の挙げかたである程度、情報の信頼性の見分けができます(絶対ではないですので例外は常にあると思ってお読みください)。

論文を引用していない。特に、査読つきの雑誌の論文を引用していないのは危険臭が漂います。
査読とは、論文が審査されて実際に不掲載ということが起こりえないと、本当の意味での査読とはいいがたく、そのような査読雑誌がどうか見極めるのは難しいですが。

雑誌論文は、雑誌ごとでの信頼性というのがある程度見極めの基準になります。
学術性・専門性が上がれば上がるほど、一般書店には置かれなくなるので、知名度=信頼性というわけではありません。

マニアックな雑誌ほどいいというわけではありませんが、一般書籍を参照しただけで構成された文章は、そのまま調べ方の浅さを示すようなものです。

そもそも出典を示さない文章であれば、それは追試・再現ができない可能性が上がります。
また、インターネットであれば、同じワードで検索してみることをおすすめします。どこかのだれかの文の転載ということも往々にしてあります。
同じことを、すでに昔の方が書いていたという場合もあります。

参考文献と似ていることとして、先行研究が上がっていない研究も危険です。それまでの研究者へ失礼にもなります。

同じ結論の繰り返しでは研究になりません。解明されていない余地を取り上げ、どこまでわかっていて、どこがわかっていないのかを明らかにすることで、後学に資する研究となります。

さらに、研究は常に更新されているので、最近の研究も取り上げられているか。これは、研究者自身がアンテナを張って勉強し続けているかの証明になります。

歴史自体も常に進んでいます。
ある時点での歴史が、それ以前も永久不変と考えたり、それ以降も永久不変と考えたりしないことです。
歴史自体も、解明されていないことが多いわけですから、常にアップデートされているつもりで危機感をもって情報収集したいところです。

主張のしかたも注意です。
結論が最初から決まっていると、すべての資料や論理がその結論のために染まっていきます。前提条件がない、仮定に仮定を重ねるなど…。
主張に、常に自己批判が伴っているかが、文章の信頼性を担保します。

歴史に、自身の政治的主張と絡めるケースもあります。
結果的に自然と、という場合もありますが、これも結論が政治的信条や宗教的信条にある場合は、途中の文章がすべて主観に染まっていきます。
アカデミズムへの毛嫌いをする文章も、この点で主観から逸脱しやすいです。アカデミズムを批判するなら、アマチュアリズムも批判してこそです。自らと、自らの同胞も批判して研究者です。

4.自己批判しているか


これをつきつめると、自己批判精神と言ってもいいでしょう。

自分すら一人の人間として客観的でいられないと考えて、主観的な自分をたえず批判できなければ、歴史にタッチするのは危険な行為と思ってよいでしょう。

現場や経験を数多く知っていると自負する経験主義は、だからこそなおさら危険です。
歴史の場合は、特に。価値観が同じである保証はないので、ならばまだ資料第一主義のほうが妥当性があります。

目の前にある現場、現物、資料は事実そのものだが、それを見た人間は事実どおりに受け止められなかったりするし、意図的でない嘘もついたりします。

人を介した情報には、事実と解釈が入り交ざります。
事実と解釈をひとつずつ、より分けましょう。そして、事実は事実だけでまとめて、解釈は解釈でまとめ、取り扱いを別にする文章に再構築しましょう。

また、資料として残っているのは、過去にあったすべての事象のうちのごく一部だけという前提も覚えておくことが大切です。
これは、残っている資料がすべての歴史と思わないところにあります。
書かれていないこと=ゼロではありません。

同様に、自分の推論と当てはまるものだけで研究をするのではなく、当てはまらなかったものに対する解釈も怠らないことです。

5.過去の人々を裁くという重みを知る


「こうである」と、一択で結論を出す行為は危険です。

いま生きている目の前の人のことすらはっきりわからないのに、過去のある地点の人を文字化するという重みです。

注意点としては、自分の都合の悪い事実ほど大切にしましょう。

歴史が好きで歴史研究をしているんだという自分の偏愛を自覚し、一歩離れた姿勢を持つと、ちょうどよいかもしれません。

そのほか

5項目を書いてしまい、文量も多くなりましたので、このあたりで区切っておきます。
あと書こうと思っていたことを、備忘録ついでにメモしておきます。


  1. 信仰している人には、敬意を払うが、信じすぎないこと。
  2. スピリチュアルとのつきあいかた…歴史に軽重はないので、スピリチュアルも歴史と捉える。自分が歴史に取り込まれるかどうかはまた別問題。
  3. 信仰は、かならずしも論理的ではないということ。感情の世界、無意識の世界、平常の意識ではない状態。それを覗き見ようとするある種で危険な行為。
  4. 祭神・神話とのつきあいかた…明治時代以降の神仏分離、神社合祀を調べておくのは前提条件。江戸時代以前も祭神の変更、勧請が山のようにあり、固定的でなかったこと。
  5. 話者の後天的知識に注意…今は情報化・グローバリズムの時代です。古老が教科書知識で語る可能性も。
  6. 使う用語にこだわる…しょせん用語、定義とか言ってしまうとまずい。自分への過信と、読者への配慮不足、言葉を大切に扱えない研究の信頼性。用語にこだわるのは、自分を信用していないから。
  7. 神道、古神道、原始神道、アニミズム、縄文といった言葉がもつ心地よい響きにだまされない。
  8. データを集める…1例だけですべてを覆さない。資料は、年代の検討をしたうえで扱いを変える。データ収集は面倒な作業だが、面倒な作業に頭をつっこんでこそ自己批判。研究=好きなことだけをすることではない。
  9. かならずといっていいほど、そのテーマを解明するために、自分の専門外のことも勉強しないといけない段階が出てくる。
  10. 今、身の回りにある文化・伝統がいつからあるか、自分の思考回路がいつからの常識かを疑う。「古そうなもの」は「新しいもの」ではないかと、疑う。一方、「新しいアイデア」は「古くから存在していたものではないか」とも疑う。



2019年2月18日

磐座で有名な場所はどこですか?~磐座巨石本から決定版を決める~



"一番有名な磐座は何ですか?"
"代表的な巨石を教えてください"

今回の記事では、このご質問にお答えします。

そう思ったきっかけがあります。
代表的な磐座を紹介しているwebページを最近見たのですが、そこで第一に挙げられていたのが奈良県桜井市の與喜天満神社の鵝形石でした。

何をもって磐座の代表格とするかは意見が分かれるところでしょうが、この鵝形石はさすがに全国の磐座愛好家の異論噴出では、と要らぬ心配をしてしまいました。
(鵝形石が悪いわけではありません、あしからず)

これはおそらく、Wikipediaの「磐座」の参考画像が鵝形石だからですね(2019年2月時点)。
おそらく、Wikipediaの写真=代表格という基準で選んだのだろうと思います。

そこで、諸説分かれるこの「代表的な磐座」問題に終止符(大げさ)を打つべく、今までされたことがないアプローチで迫ってみました。

"磐座・巨石の関連本で、収録されてきた数が一番多い場所が「代表格」ではないか?"

各専門家がこぞって取り上げる磐座であれば、読者への露出も多く、認知度という意味でも文句なしなのではないか、と考えました。


磐座巨石本のエントリーはこちら

すべての関連本を調べるのは大変なので、エントリー作品を次の8つに絞りました。


1.藤本浩一氏『磐座紀行』向陽書房 1982年

まずは、磐座ガイドの最古典とも言っていい『磐座紀行』です。

昭和時代、全国の磐座を独自の情報収集で渡り歩き、紙媒体に仕上げたほぼ唯一の労作でしょう。取り上げないわけにはいかない本です。
インターネット夜明け前の「代表的な磐座」はここに収められています。


2.ムー特別編集『日本ミステリー・ゾーン・ガイド<愛蔵版>』学習研究社 1993年

オカルト雑誌『ムー』の特集本で、いわゆる超古代文明の証拠というアプローチで、日本全国の磐座・巨石が収録。

『磐座紀行』はやや専門向けの書籍なのに対し、こちらは1990年代の世論を正しく反映する「有名な巨石コレクション」と言っていいでしょう。


3.浅野勝洋さんのwebサイト「しゃこちゃんのお部屋 遺跡と神社を巡る旅」1998年~

1990年代後半になると、インターネット上で「巨石サイト」が登場します。
数ある巨石サイトの中で、黎明期から存在して網羅的なウェブサイトを一つ挙げるとするなら、私はこの「しゃこちゃんのお部屋」を推します。

私自身、高校生の時に「しゃこちゃんのお部屋」を見て、日本全国の知らない磐座や巨石をたくさん知ることができました。なかば、思い出のサイトなのです。

ネットの情報も「有名な磐座」を決めるための大事な目安になりますので、今回は同サイトをデータベースにさせていただきます。


4.須田郡司氏『日本の巨石―イワクラの世界―』パレード 2008年

ここから時代がぐっと下がって2008年。
日本の磐座巨石写真家の第一人者・須田郡司さんの著作から1冊選ばせていただきました。

須田さんの写真集の中では、日本の巨石・磐座を写したものとしては初期作に属し、表紙の三重県入道ヶ嶽の仏岩は出色の出来。
須田さんが初期作で収録したいと思った場所は、代表的な磐座群とみなしていいでしょう。



5.アスペクト編集部『巨石巡礼―見ておきたい日本の巨石22―』アスペクト 2011年

出版社のアスペクトが選定した「日本の巨石22か所」。
本書の位置付けからして、広く一般層に日本の巨石の世界を知ってほしいという意図で発売されたガイドブックだと思います。

今までと毛色が違うのは、1~4はすべて"業界人"の手によるものでしたが、アスペクト編集部は言ってしまえば"業界に染まっていない眼"ということ。
こういう視点で選ばれた「磐座代表」も参考にしたいところですね。



6.岡田謙二氏『日本のパワースポット案内 巨石巡礼50』秀和システム 2011年

岡田謙二さんのwebサイト「巨石巡礼」を書籍化した本です。モノクロ写真で統一されたその雰囲気が、巨石に独特の風合いを感じさせてくれました。

なぜか、アスペクトが出した巨石本と発行年(2011年)・タイトル(巨石巡礼)がかぶりましたが、岡田さんのサイトは2005年オープンとこちらのほうが老舗です。

「日本のパワースポット」の冠名がついているように、この時はもうパワースポット・スピリチュアルブームが席巻していました。
このあたりの世相も踏まえて、代表的な磐座の位置付けも変化してきたように思います。


7.池田清隆氏『磐座百選』出窓社 2018年

さて、2018年まで来ました。
7つ目に挙げたいのは、池田清隆さんの『磐座百選』です。
まさに本記事と重なり合う趣旨で、磐座を半生渡り歩いた池田さんが、代表的・典型的と思う磐座を100カ所選定しました。
選定基準も明記されており、同書から引用します。
  1. 各都道府県すべてに一座以上の磐座を選ぶこと。
  2. だれでも「気軽に」訪ねることができるもの。
  3. その地域の歴史や風土を色濃く伝承しているもの。
磐座が、神の領域ではなく人の生活空間の境目にある存在と考えたら、高山険所ではなく、足を運ぶことが容易な磐座を取り上げたのは磐座の本義に沿うと思います。


8.山村善太郎氏『IWAKURA 磐座―悠久の日本人のこころ―』求龍堂 2018年

最後の1冊は、山村善太郎氏の写真集『IWAKURA 磐座』をエントリーします。
本日執筆時点で最新の磐座巨石本と言ってよく、須田さんとはまた異なる視点での選定眼を取り入れたいと思います。


以上7冊1サイトの計8つで取り上げられた磐座・巨石を集計していきます。

なお、私の旧ウェブサイト「岩石祭祀学提唱地」(2001年~)と、本『岩石を信仰していた日本人』(2011年)は、公平性を期して完全除外します。


集計方法

  1. 各文献&サイトに取り上げられている磐座・巨石をリストアップしていく。
  2. ただし、目次からはじかれていて、例示やコラムなど補助的に出された程度の事例は省いた(磐座の代表格を決める趣旨のため)。
  3. 都道府県別にまとめ、この8つの中で重複して登場した磐座・巨石を「有名な磐座」として結果発表する。

集計結果をまとめたのが下の表です。リストアップ合計499ヶ所。自由に閲覧できます。

「磐座巨石本の掲載場所まとめ」(Googleスプレッドシート)

https://docs.google.com/spreadsheets/d/1urJ0yKf5YB-dwvRGluj0k6RYBFjIlbOP9Dmri44V7yw/edit?usp=sharing
中身はこんな感じです。


次に、集計しての傾向を述べたいと思います。


各文献の傾向をふりかえる


『磐座紀行』

著者の藤本氏は関西を活動圏としていたためか、東日本の掲載事例は少なく西日本に偏りがち、特に兵庫県の事例はマニアックなものも含めて多い。
また、当時は磐座=神道という固定観念も強かったと思われ、神道系の聖地が多い。
時代事情を考慮すれば、じゅうぶんすぎるほどの掲載量なのは間違いありません。

ムー『日本ミステリー・ゾーン・ガイド』

ムーなので、日本ピラミッド、超古代文明オーパーツ的な場所が多い。
しかし、一方で民俗的なスポットもカバーしており侮れません。
地域的な偏りはなく、西日本編・東日本編にバランス良く紙幅を分けています。

しゃこちゃんのお部屋

運営者の浅野さんは東北→関東をお住まいにされているので、東日本側の掲載量が多め。
関心のひとつが縄文時代にあるようなので、環状列石やストーンサークルが多く紹介されているのが特徴です。

『日本の巨石』

須田さんが沖縄に在住していたことや、御嶽との出会いで聖地の写真を撮るようになったという経歴もあり、沖縄県の事例がまず突出しています。
そして、気に入った場所はページを複数に分けて写真を掲載しています。 高知県の唐人駄馬巨石群や、佐賀県の巨石パーク(下田の石神群)。イワクラサミットin宮崎の時期と近いので宮崎の磐座・巨石なども。
また、福島県の宇宙岩や奈良県の長寿岩など"新しいイワクラ"も登場。

アスペクト『巨石巡礼』

「22か所」掲載ということで、今回挙げた8つの中では最も厳選されている書籍。
今回の集計では、本書に掲載されているかどうかが票数を大きく分けました。

岡田さんの『巨石巡礼』

アスペクト版より倍以上多い50か所を掲載。
活動圏が東日本なので、中国~九州地方の事例はやや寂しいところもあります。

『磐座百選』

先述の選定記述のとおり、各都道府県から平等に1ヶ所以上が紹介されており、分布の偏りは8つの中で最もない文献。
記紀・風土記や古典などからの選定も多いので、自然と時代が古めの社寺や遺跡が多くなっています。

『IWAKURA磐座』

リストアップして気づいたのが、全国各地の夫婦岩の収録数の多さ。
山村氏の興味関心の中心なのではないかと感じられました。


頻出磐座ランキング発表

お待たせしました。
それでは結果発表いたします。

さっそく、一番収録数が多かったNo.1の場所を発表しましょう。
前掲のスプレッドシートでフィルタリングしたスクリーンショットを掲載します。

1位は同率2ヶ所(7票) 


8つすべてに掲載されている場所は・・・ありませんでした!
主にアスペクト『巨石巡礼』のせいです(笑)。22か所選出なので。

しかし、それ以外の7つに全掲載されているというだけで、じゅうぶん「代表格」と呼べるのではないでしょうか?

それが2ヶ所。同率1位。

花の窟神社(三重県)と磐船神社(大阪府)です。



花の窟神社(三重県)

磐船神社(大阪府)

こうやって写真を載せてみて気づきましたが、私の写真では実物の空気感をこれっぽっちも表現できていません(泣)

花の窟は写真に収まりませんし、磐船も周囲の社殿や川などとの対比でその場に立たないと、この存在感は表現できません。
行かれたことがない方は、一度現場を訪れてみてください。


磐座・巨石業界の関係諸氏の皆様は、この結果を見ていかがでしょうか?
勝手ながら、私は集計してみてこの2つが最多得票数で表示された時、いろいろ個人的に好みの場所は他にあるものの、名前を見て確かにそうだよねと納得できました。
8分の7という収録数の前に、ぐうの音も出ないというのが正直な感想です。ハッキリわかって良かった。


3位も同率2ヶ所(6票)


3位も2ヶ所です。

筑波山(茨城県)と神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県)です。


神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県)


これも納得のラインナップだと、私も太鼓判を押します。
筑波山は初めての東日本事例で、事実上、東日本知名度No.1の磐座・巨石と題してOKです。

ゴトビキ岩は、1位の花の窟神社のすぐ近くで、みんな熊野の磐座・巨石に惹かれるのかなあと傾向を感じます。


5位 北海道から大分県まで9か所(5票)



三輪山周辺の磐座群の一つ(綱越神社境内)


499ヶ所のうち、5票獲得した場所は次の9か所。さすがに数が多くなってきましたね。

忍路環状列石(北海道)
縄文時代環状列石としては、秋田県の大湯環状列石をしのぐ位置となりました。確かに規模も大規模で見ごたえ感は強い遺跡です。

榛名山(群馬県)
神仏習合の雰囲気色濃い、境内一帯が奇岩怪石の山岳聖地。周辺の榛名湖にかけての巨石群を含めると、1日かけても巡りきれないボリュームの濃さも人気の理由か。

金鑚神社の鏡岩(埼玉県)
この選出は私には意外でした。有名な巨石の一つには間違いありませんが、あまり深く語られているイメージがありませんでした。鏡のようなツルツルとした岩肌を見せた奇岩です。

丸石神(山梨県)
山梨県を中心に甲信地方に700ヶ所以上分布するといわれる土着の丸石信仰の場。1個の巨石の大きさではなく、なぜ丸石を信仰したのかという謎に惹かれるのでは。

諏訪大社(長野県)
「諏訪の七石」が有名ですが、それだけではなく、諏訪大祝が即位した時に座ったといわれる石(現在不詳)、裏山の守屋山の巨石群、そしてミシャクチなどの諏訪独特の信仰など、興味関心の入口が多岐にわたっています。

三輪山(奈良県)
磐座の王道とも言える三輪山一帯の磐座群。1位になってもおかしくないと思う同好の士は多いと思いますが、私の仮説では「写真撮影禁止」というのがネック。本にしてもネットにしても、磐座の魅力を物語る画像がなければ表現するのは難しいでしょう。百聞は一見にしかず、その目で見てほしい磐座です。

厳島の弥山(広島県)
日本三景の宮島はそれだけでも一大観光地ですが、厳島神社裏山の弥山には山頂にかけて巨石群が広がります。ロープウェイでアクセスも容易。巨石群横に施設が立ってなければというのは池田清隆さんの言で同感。

下田の石神群(佐賀県)
いわゆる「巨石パーク」です。私は『風土記』の当初の名称を優先したいので、下田の石神表記にしています。巨石に対してどの態度で臨むかが試される場所になった気がします。

京石・こしき石・米神山(大分県)
ここも有名な場所の一つですが、それでもこのラインナップの中に入るとは、予想以上でした。ただ、磐座巨石本によって京石をメインにする場合と、こしき石をメインにする場合と、米神山の巨石群をメインにする場合に分かれている印象です。


代表的な磐座の決定版はこれだ


まとめます。

"磐座で有名な場所はどこですか?"

といわれたら、次の4カ所で決まりです。

1.花の窟神社(三重県熊野市)
2.磐船神社(大阪府交野市)
3.筑波山(茨城県つくば市)
4.神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県新宮市)

これまでの関連本の収録実績に基づいているので、自信をもってオススメしますよ。

Wikipediaの磐座の参考写真も、上のどれかにどなたか差し替えておいてください(笑)
(私はWikipediaの編集にタッチしていません)


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磐座(いわくら)はいくつあるんですか?

岩石信仰の種類と見分けかた~石神・磐座・磐境・奇岩・巨石の世界~


2019年2月11日

岩石信仰の種類と見分けかた~石神・磐座・磐境・奇岩・巨石の世界~


巨石・磐座の歴史的経緯を知ることが最初の一歩


石や岩の神秘性や古代の自然信仰を紹介する時の枕詞として、巨石信仰・巨石祭祀という言葉が使われて久しい。

しかし、巨石や巨岩という表現を遡っていくと、『記紀』を代表とする古典に登場しているわけではない。
大石神社や大岩神社という神社名は全国に残っているが、巨石神社や巨岩神社という名の社はない。この傾向は、地名や神名に広げても同じだろう。
ならば、大石信仰や大岩信仰という呼び方のほうが古来のありかたに沿っているが、これらの呼称はなぜかまったく一般的になっていない。

なぜ「大」ではなく「巨」が勝利したのだろうか?
岩石そのものではなく用語の細かい話ではあるが、ここに違和感をもつことから、今回の話を始めたい。


戦前の巨石文化論が21世紀の今でも下地になっている


結論から言うと、これには仕掛け人がいた。
大正時代~昭和初期、海外の巨石記念物(ストーンサークル・メンヒル・ドルメンと呼ばれるもの)が、日本国内にもあるとみなした巨石文化論者たちが一定数いて、海外の研究にならって用語が翻訳・移植されたという過去があった。

しかし、海外のそれと日本のそれは岩石という素材が共通しているだけで、必ずしも海外と国内の巨石が文化的に同一であるというわけではなかった。
これは、日本の代表的な巨石文化論者である鳥居龍蔵博士でさえ、海外と国内の巨石を同一視することは適切ではないと警告していたほどである。

しかし、この戦前の巨石文化論の影響で、現代まで私たちが使う用語が「巨石」に固定化され続けたということは、認めなければならないだろう。
※日本国内には、巨石や巨岩とは呼べないような小石にも信仰はあり、それらが関心の外に置き去りにされることが多い。


磐座という言葉も昔はそれほど使われていなかった


同じように、巨石信仰とほぼ同じ意味で磐座信仰・磐座祭祀という言葉が出回っている。

しかし、たとえば民俗学の祖といわれる柳田國男や折口信夫などの研究を紐解くと、石の信仰に関して言及はあるものの、そこに「磐座」という語はまったくといっていいほど登場せず、現代との温度差がすさまじい。

たとえば、折口信夫「石の信仰とさえの神と」が青空文庫で公開されているので、お時間があれば目を通してほしい。
石の信仰の話をしているのに、そこに「磐座・いわくら・いはくら」は一語も登場しない。他の石関連の文章も同様で、折口は「石」を統一用語として使用していたようである。

柳田國男も「石神問答」などで石神こそ名前に出すものの、磐座に対してはほぼ無視である。
念のため、これは折口や柳田が無知だったということではない。
専門家として磐座という語を知っていて、しかし石の信仰としてはあくまでも一分野を示す語であるとも理解していたから、全体を示す用語として使用していなかったということである。

それが、今は宗教的な岩や石と言えば、あれも磐座、これも磐座と名付けられている現状がある。
このように、巨石信仰と同様、磐座という言葉が独り歩きしている異常事態にも、私たちは違和感を持たないといけない。

過去に書かれた文献を渉猟するかぎり、1930年代以降、神官や神道学者を中心にして磐座をこの種の統一用語として押し出した動きが認められ、それ以降の研究に磐座の語が無批判的に用いられるようになってきた。
なお、磐座を統一用語にすることに論理上の誤りがあることは、大場磐雄「磐座・磐境等の考古学的考察」(『考古学雑誌』第32巻8号、1942年)で早くも指摘されているが、この指摘がなぜか一般化することはなかった。

おそらく、それに代わるこの種の統一的な用語がなかったからだろう。
 
宗教的な岩石をすべて磐座にまとめる風潮に対して、私は2003年から疑義を挙げているが(「岩石祭祀遺跡に関する包括的な考察」『考古館』第11号で本問題を初発表)いまだ力及ばず、この誤認が根強いままである。

2000年代に入っても、今度は磐座を「イワクラ」という表記で統一用語にする動きも始まった。
1942年に指摘された誤りに基づく磐座を、さらにリバイバルするものであり、以上の経緯をふりかえると、賛もあれば否もあってしかるべきではないだろうか。


岩石信仰をいろどる用語
~いろんな文脈が交錯して飽和状態~


もともと、祭祀や信仰に関わる言葉は巨石・磐座だけではなかった。
思いつくまま、この種の用語をざっくりとだが列挙してみよう。


■ 神道系
  • 磐座
  • 磐境
  • 石神・岩神
  • 御形・形石・像石
  • 湯津石村・湯津岩群・五百個磐石
  • 神体石
  • 石占
  • 玉 

■ 仏教・道教・民間信仰系
  • 影向石
  • 腰掛石
  • 石仏・磨崖仏
  • 岩屋・岩窟
  • 仏足石
  • 礼拝石・遥拝石
  • 石敢当
  • 庚申塔
  • 山ノ神碑
  • 板碑
  • 町石
  • 経塚
  • 盃状穴・杯状穴
  • 力石
  • 百度石 
  • 金精様
  • 道祖神・サエノカミ
  • シャグジ・シャゴジ・ミシャクチ

    ■ 後世の学問から派生したもの
    • 弄石
    • 水石
    • 神籠石
    • 石棒
    • 性石
    • 鏡石・鏡岩
    • 姿石
    • 形状石

    ■ 海外の巨石文化研究
    • 巨石記念物
    • メンヒル・立石
    • アリニュマン・列石
    • ストーンサークル・ストーンヘンジ・クロムレック・環状石籬・環状列石
    • ドルメン・支石墓
    • ツムルス
    • トリリトン
    • モノリス

      ■超古代文明系
      • イワクラ
      • 天体観測装置
      • 日本ピラミッド(太陽石・方位石・机石)
      • ペトログラフ・ペトログリフ・古代岩刻文様

      ■ニューエイジ・スピリチュアル系
      • パワーストーン 
      • パワースポット

      ※すべての用語が必ずしも岩石だけを指すものではない。ジャンル分けはざっくりとしたものであり厳密ではない。


      「神聖な岩石」を呼称する名称が、本当に色んな文脈(古典由来、海外由来、オカルト由来・・・)から生まれ、煩雑に使われてきたことがわかる。
      これらの用語の間には体系的な関連性や統一性といったものはなく、言葉によっては同じ意味を表している用語さえ見られる(影向石=磐座など)。

      このように煩雑とした用語を安易に使い続けていくことは、使い手によって解釈の揺らぎが生まれる原因になり、それは読み手や聞き手に思いもよらぬ誤解を持たれる原因にもつながる。

      たとえば、巨石記念物関係の用語は海外の巨石文化論を前提とした言葉だから、日本の事例にドルメンやストーンサークルなどの用語を用いると、巨石文化論を下地にしていると誤解されてもおかしくない。
      また、磐座という言葉を一般名詞として使う場合も、上記に書いた歴史的経緯を知らないと受け止められるだろう。
      さらに「イワクラ」の語を使用するのであれば、その前にいろいろと解決してもらわないといけない前提が多すぎる。
      これでは岩石信仰についての話を始める前に、すでに見えないハードルがあるようなものであり、議論は平行線をたどるだろう。

      このような問題意識から、私はこういった用語の批判的な分析と、岩石信仰の種類をわかりやすい形で分類化しないといけないと考え、『岩石を信仰していた日本人―石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究―』(遊タイム出版、2011年)を発表した。

      くわしい分析は本書に譲るが、ここではそのエッセンスを紹介することで、石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれてきた世界を、一歩先の新たな段階に進めたい。


      岩石信仰の種類
      ~5つのタイプに分類する~


      私は『岩石を信仰していた日本人』で、岩石祭祀の類型分類を提示した。

      いわば、岩石信仰の種類を一覧にしたもので、2011年時点で約2000例の石・岩を調べて、この石はこの性格だ、あの岩はこういう機能を持っている、と整理していったものである。
      集成データはこちらのexcelファイル(岩石祭祀事例集成表)で公開している。

      下が拙著に掲載した実際の分類である。

      『岩石を信仰していた日本人』より

      これは機能別に整理整頓したものなので、従来の神道・仏教などの宗教による用語の違いや、カテゴライズの呪縛から解き放たれたものである。

      2003年頃にこの分類の第1案ができて、以後、2000例をカウントするまで幾度かの分類の見直しがあった。時には、根底からのクラッシュアンドビルトを迫られる場面もあったが、目の前の資料が絶対であるので粛々と分類作業をやり直したこともあった。

      その作業の果てに、2011年に上記の分類が完成した。それ以後、現在2019年にいたるまで、この分類を見直す事態には出会っていない。
      つまり、新たに知った事例は山ほどあるが、すべてどれかの類型には当てはまってきた。その意味で、ある程度の信頼性を担保できる分類であると今も考えている。

      とはいえ、上記分類は専門的となりやや種類が多いので、覚えにくいところもある。
      そこで、この記事では5つのグループ(A~E)に集約して、岩石信仰の種類を簡単に説明していこう。


      A 信仰対象


      神や仏や精霊として信仰された岩石。
      岩石が信仰の中心となっている場合、このグループに入る。

      気をつけないといけないことがひとつある。
      一見、岩石が祭祀の中心(拝まれている対象)になっている場合でも、信仰しているのは岩石ではなく形而上的な別概念の存在(神話上の神、仏典の仏菩薩、故人の祖霊など)であった場合は、厳密には信仰の対象とは呼べない。

      祭祀対象=信仰対象とは限らないのである。
      祭祀している対象は目で見えるが、信仰対象は必ずしも目に見えないから、このような違いが起こる。
      あくまでも、岩石から発する要因で岩石を信仰する場合、岩石が信仰対象と言える。

      岩石信仰とは、岩石を用いて信仰した分野一般の総称として私は使っている。
      しかし、関心の中心は「人はなぜ岩石に惹かれ、信仰にまで至ったのか」にある。
      狭義の岩石信仰と呼ぶとしたら、なぜその岩石を信仰したのかという、岩石そのものに理由を求める時にあるだろう。


      とはいえ、岩石信仰が難しいのは、たとえば石仏や摩崖仏を信仰する人の心の中が、必ずしも「教義上の仏=主」「岩石=従」だったとも言い切れないところである。
      現地の村人にとって、教義上の仏という観念的な遠い世界を離れ、目の前に土着する岩石は仏と不可分でむしろ同一視されるようになり、いわゆる分霊や顕現という考え方ではなく、岩石に刻された仏はまさに「そこ」にいるものだったのかもしれない。
      この場合、信仰の淵源は岩石ありきで、岩石がむしろ別系統の信仰を取り込んだとさえ見ることもできる。すなわち、「岩石=主」「教義上の仏=従」であり、岩石が信仰対象そのものだと考えたほうが、なぜ岩石が信仰されたのかという岩石信仰の問題意識には近い。

      まとめると、信仰対象の中には、

      • 信仰対象そのものの岩石
      • 別概念の信仰対象を戴くが「岩石>別概念の信仰対象」となった岩石

      の二つが、明確な線引きが往々にして難しいものの、グラデーションとして人によって分かれている可能性が指摘できる。

      福井県大飯郡高浜町の岩神

      愛知県豊田市の岩神社

      B 媒体


      祭祀をするために、人が道具として使った岩石。
      祭りに使った石製品や装身具、聖域を囲うための列石、奉げ物を置く石、信仰対象や司祭者が座るための石など。石の鳥居や参道の石段も、祭祀のために用いられた道具(装置)と言える。

      これらの道具や装置は、人が信仰対象とコミュニケーションをとるために必要ものとして使用された。
      すなわち、人と信仰対象をつなぐ「媒体」として働いているので、一言でまとめるなら最適な概念として「媒体」の語を使用した。

      磐座や磐境も、まさに神と人をむすぶ媒体である。
      祭祀に用いられ、磐座などは神が使用する岩石なのだから、神聖な岩石には違いない。
      しかし、磐座はそれ自体が神にはならなかった。
      磐座は、神をその場にとどまらせるにふさわしい霊力をもつ岩石だったのである。
      これも一つの岩石信仰である。神そのものではない岩石信仰というかたちにも思いを巡らせてほしい。


      京都府京都市上賀茂神社の岩上。宮司が岩上に座す岩盤。

      福岡県北九州市の一宮神社にある磐境。祭祀場の領域を示す神籬施設とされる。


      C 聖跡


      岩石信仰は、祭祀の時だけ信仰されるものではない。
      祭祀が終った後、岩石がどのような扱いを受けるかにも注目したい。

      全国各地の事例を総覧すると、「神聖な痕跡」と表現できる一群を認めることができる。

      説明すると、かつてそこで神聖な行為が行われていたが、今はもう使われていない岩石で、なのに今も神聖なものだと信じられているものを意味する。

      「腰掛石」と呼ばれる一群はその代表的なものだろう。
      かつて、偉人や聖者が腰かけた(と信じられている)石である。
      腰かけただけで、石そのものはただ座られた素材のはずだが、なぜかその石に名前がつけられ、聖地化している。

      磐座と呼ばれている事例の中にも、実質上は聖跡と呼んでいいものが相当数あることに気づかないだろうか。
      磐座と呼ばれている岩石の前で、今の定期的に神を招く祭祀がなされている場所は、意外と少ない。「元・磐座」「磐座跡」を、今も現役稼働中の磐座もひとくくりにして「磐座」と総称してしまっているのが現状なのである。
      実際は、今も祭祀中の磐座と、磐座としての機能を終えた岩石は、位置付けが異なる存在のはずである。


      山梨県南巨摩郡身延町の高座石。日蓮がこの石の上に座り説法をした由縁をもつ聖跡。

      愛知県一宮市の七ッ石。日本武尊が剣を研いだ石と伝承される聖跡。



      D 痕跡


      一方、祭祀終了後に神聖なものとして保存されることはなく、撤収・廃棄される岩石のグループも想定できる。
      廃棄まで含めて祭祀行為と見る考えもある。媒体と信じられた岩石が媒体でなくなった時、岩石はどのような扱いを受けるのか、そこにも心性は宿るだろう。

      また、祭祀中や祭祀後だけではなく、祭祀をする前の岩石の採取地にも思いをはせてみよう。
      聖なる石はどこから採られたのだろうか。石材としての岩石と霊石となる岩石の関係。祭祀集団の活動範囲を知る資料にもなる。

      このような生産の跡、廃棄の跡も、岩石祭祀の一連の流れを証明する痕跡として把握できるという点で、痕跡型のグループを設定した。

      群馬県前橋市の大室古墳群にある石採り山。葬送施設の石室石材を採掘した生産跡。
      三重県桑名市の町屋川。石取祭で供える「献石」を拾う河原として指定されている。



      E 祭祀に至らなかったもの


      祭祀には用いられなかったが、特別視され、大切にされてきた岩石たち。
      簡単に言えば「岩石信仰の外のグループ」ということになる。

      祭祀・信仰とは無関係の民話に登場する岩石や、風光明媚な奇岩名勝などはその一例だ。
      教訓を教えてくれる石や、鑑賞の対象としての石、記念碑やモニュメント作品としての石。
      鉱物をコレクションしている人や、宝石を大切に保管している人も、このグループに入れることができる。

      ただし、美的対象が信仰の対象に変化することも多く、美・芸術と信仰の境界線は曖昧なところがある。
      岩石信仰と岩石信仰に至らなかったものの差は紙一重とも言える。だからこれらの事例を知ることも大切である。

      和歌山県東牟婁郡串本町の橋杭岩
      福井県福井市の一乗谷朝倉氏庭園。庭園は観賞対象であるが、宗教的要素と無縁ではない。




      岩石の観察方法
      ~これから岩石に出会った時は、こうやって見分ける~


      以上、岩石信仰の種類を5つのグループに分けてみた。
      この分類は、誰でも追試・再現可能な方法であり、新しく知った事例に対しても、誰もが同じ基準で調査していけるようにしてみたつもりである。
      多くの人に活用されてこその研究と考えるからである。

      そこで、今からお伝えしたいのが「これから岩石に出会った時の見分け方法」である。

      観察・分析すべきポイントなどを前もって決めておかないと、ある事例では着目していたポイントが、別の事例では全く考慮されていないという事態が起こり、一貫性のある情報収集や分析ができなくなる。
      だからここで簡単に、岩石祭祀事例の調査手引きみたいなものを作っておこう。


      特別視されている岩石か、特別視されていない岩石かを見分ける


      最初の一歩は、出会ったその岩石が、特別視されている岩石なのか、それともそうではない「ただの石」なのかを見極めるところから始まる。

      とはいえ、つきつめれば、"あなた" がその石を見極めたいと思った時点で、その石はあなたにとってすでに特別視されていることは間違いない。
      調査者・研究者は、自らが岩石の歴史を変えてしまうという、こういう危険があることは自覚しないといけない。

      しかし今回はそういう話ではなく、"ほかのだれか"にとって特別な扱いを受けているかどうかを考えることにしよう。

      特別視の有無は、名前がつけられていたり、柵や台などの付属設備があれば簡単である。そのような付加行為をすること自体が特別視と言えるからだ。

      目に見える付加行為がない場合は、難しい時がある。
      内面の特別視をどう認定するかは、人に聞かないとわからないからである。
      その石の周辺で仮に100人に聞き取りをして、100人全員がその石のことを気にも止めていない答えを返したからと言って、聞き取りをしていない誰かが内面で特別視しているかもしれない。
      100人がNo.と言っても、その次に聞く1人がYes.と言えば存在するものが、特別視というものである。

      また、インタビューをしたことで「言われてみれば・・・」と、初めてそこでその石を特別視する場合がある。調査をすることで歴史を変えるのである。

      ここまで書くと、なんだか認定が難しく業の深い行為に聞こえるが、その重みを自戒としていれば、大きく間違ったことにはならないと思う。

      また、基本的には、世界で一人くらいが特別視している石は資料として挙がりにくく、そもそも問題の俎上にも乗らないだろう(私はとても関心がある存在だが)。
      つまり、簡単な調査をするぶんには枠外にいる存在なので、結果的に難しいと感じる機会は少ないはず。

      ある程度の人が特別視されている岩石は、まず目に見える付加行為があって、見分けは容易であることが多いと言って良いだろう。


      祭祀に用いられている岩石か、祭祀とは関係がない岩石かを見分ける


      さて、特別な岩石がすべて祭祀・信仰に関わるものかというと、そうではない。
      いわゆる先述した「E.祭祀に至らなかったもの」の一群が存在する。

      祭祀・信仰と関係あれば、当然、祭祀に用いられれている岩石であり、それを岩石祭祀事例と呼ぶことができる。

      では、祭祀・信仰の有無はどう見分けるか。

      祭祀・信仰の定義にも関わる深いテーマになるが、 そのあたりを割愛して簡単にまとめるなら、祭祀・信仰には神や仏と呼ばれる、信仰対象がいることが条件となる。

      信仰対象は、超自然的存在・超人間的存在・超常識的存在という表現を使って説明したい。
      自然の理を超えた存在、人間にはできない力をもった存在、常識では考えられない力をもった存在。人が信仰する対象は、多かれ少なかれ、そのような存在ではないだろうか。それを神と呼んだり仏と呼んだりしてきた。

      人を神や仏と呼ぶ場合もあるが、本心からはどうかはさておき、おおむね上の条件を備えた時に呼ぶだろう。

      単に尊敬しているという感情との違いは、霊力を認めて、それに畏れを抱いているかどうかの有無で判断したい。
      自分にはできないし、他の人間にもできず、人類にはできないと思う力を持っている時に、霊力は認定できる。それに対して、自分に霊力を使ってくれることを願うが、一方で、怒りを買うと災厄が訪れることも危惧する。このような心の動きを信仰心と規定している。

      さて、目の前の岩石に込められた人々の思いに、そのような信仰対象の存在が含まれているか。
      そこが見分けポイントだろう。


      神聖視されている岩石か、神聖視とまでは言えない岩石かを見分ける


      祭祀に用いられた岩石は、すべて神聖な岩石と言えるだろうか?
      祭祀に使うわけだから、いずれも欠けてはいけない、大切な岩石であることに異論の余地はない。

      神聖な岩石と呼ぶからには、その岩石には聖性が宿っていないといけない。
      それは先述した、超自然的・超人間的・超常識的な性格である。

      岩石を、祭祀をするための実用的な素材として石材のように用いたなら、上記の性格は認められず、祭祀事例ではあるけれども神聖な岩石とは呼べないだろう。

      たとえば、お供え物を盛った石皿や、火焚き祭祀の時に使った炉の石材、境内の石の橋や石段は、メインはあくまでも供え物、火を灯すこと、川を渡ること、上へ登ることであり、石はそのために用意された実用的な素材と言える。
      私はそれらを「BE.祭祀遂行上必要な部品・利器・石材」として一括している。

      そのような実用的な機能が第一義に来るのではなく、別に岩石でなくてもいいのに岩石が用いられる祭祀が第一義となった時、実用から離れた「聖性」というものが認められるのではないか。


      信仰しているものは岩石そのものか、岩石とは別の概念かを見分ける


      いよいよ最終段階の見分けである。
      神聖な岩石は、すべて信仰対象かというとそうではない。
      それは先述した「A.信仰対象」と「B.媒体」の二つの違いである。

      見分け方は、祭祀の構図をよくイメージしてほしい。
      祭祀に必要な要素は、

      • 信仰をする人(信仰者)
      • 信仰をされる対象(信仰対象)
      • 信仰者と信仰対象をつなぐもの(媒体)

      この三者である。
      前二者は絶対不可欠要件であり、最後者は信仰者しだいでは不必要な場合もある(媒体など必要ではない人もいるだろう)。
      ただ、ほとんどの場合は、祭祀に媒体は登場する。媒体がないと、信仰者は願いが届いているのか心配になるし、信仰対象も何かしらの形で信仰者に結果を返さないと伝わらないからである。また、それを第三者にしらしめたい時にも媒体は有効な存在である。

      さて、目の前の岩石は、信仰されている対象として語られているか、信仰対象は別にいて、岩石は人と信仰対象の間を取り持つものとして機能しているかで、結論は出されるだろう。
      信仰対象と祭祀対象の違いを先述した時にも触れたが、祭祀の中心として磐座が鎮座していた場合も、信仰しているのは磐座ではなく別概念の存在(神話上の神、仏典の仏菩薩、故人の祖霊など)ということもあるので注意したい。

      最後にもう一つの注意点に触れると、昔から現在までその事例がずっと同じ性格だったという保証はない。
      時代・時期ごとで、人々がその岩石に与えていた役割や認識というのは異なる可能性がある。さらには同時期だったとしても、人によって、所属集団によって、岩石への認識には差異やグラデーションがあった可能性も考えておきたい。

      したがって、その岩石がどのような性格であったかについては、時期ごと、人単位でどうだったかを、追究できるかぎり細かく触れてあげてほしい。掬い出されなかった歴史は消えてしまうからである。

      最後に


      私が岩石信仰の分類を提示した理由は、拙著で記したので再掲したい。

      今後、考古学において祭祀遺跡が見つかった場合や、過去に神聖視の対象だったと推測されるものの、すでに記録が途絶えている岩石に出会った場合、この分類を活用することで少しでも現実性のある歴史の復元に寄与できればと願っている。

      この分野を研究して約20年になろうとしているが、その間に多くの岩石に出会い、そして多くの関連本や研究を見聞きしてきた。
      その多くが、さまざまな岩石信仰の差異を見過ごして、「巨石信仰」や「磐座」の一言でまとめようとしてきた。そのたびに、当時の人々や信仰の当事者に対して心を痛めてきた。

      せめて岩石に出会った時、岩石信仰には少なくとも5つの種類に大別され、いずれなのかを考えることで、その多様性に思いを巡らせるきっかけとしてほしい。

      この分類に当てはまらない岩石祭祀事例を見かけた方は、ぜひお教えください。

      2019年1月7日

      磐座(いわくら)の数はいくつあるんですか?

      「磐座はいくつありますか?」

      この質問を受けたことがあります。
      シンプルな質問ですが、奥が深く、答えにくい。

      岩石信仰の研究者として、避け続けてきたこの問題へまじめに回答します。

      磐座の数に答えを出した人


      「全国の磐座の数は四百座を越え、五百座に達するかもしれない」と答えたのは、『磐座紀行』(向陽書房、1982年)著者の藤本浩一氏でした。

      事実、『磐座紀行』には「全国磐座一覧表」が掲載され、藤本氏が実際に確認した磐座だけを収録しています。

      これがひとつの基準になることは間違いないでしょう。


      2017年にはフォトグラファーの須田郡司氏が、朝日放送のTV番組「日本人と石の物語~voice of stone~」の中で同様の質問を受けて、一万以上の数があるかもしれないと思いを語りました。

      『磐座紀行』から35年が経過しました。
      あれから多くの磐座が情報共有され、把握できる数が増えたということでしょうか。


      では、手前味噌ながら、私がまとめた『岩石を信仰していた日本人―石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究―』(遊タイム出版、2011年)では、磐座の数はどうなっているでしょうか?

      86ページで明記しましたが、私の答えは「299事例」です。
      ※2011年当時の把握数なので、今は300を越えています。

      あれ?なぜこんなに少なくなるのか??
      藤本浩一氏の収録数より少ないではないか、という話ですよね。

      定義によるんです。


      どんな石が磐座なのか、考えないといけない


      本来、どんな石が磐座と呼ばれるべきなのかはすでに先行研究があります。
      別記事にしてありますのでお読みいただけると幸いです。

      磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?


      しかし・・・

      おそらく磐座の数を質問される方は、聖なる石やまつられている石のことを磐座と総称して使っているんだろうということは、理解しています。

      つまり、質問としては
      「巨石信仰は何ヶ所ありますか?」
      「パワースポットとか、ああいう系の石はいくつありますか?」
      と同質のものだと思います。

      でも巨石信仰の数も答えにくい。
      なぜかというと、どこまでが巨石で、どこからが巨石じゃないかが決めにくいからです。
      あの人はこの石を大きいっていうけど、私から見たら小さいなあ。
      この場合、どっちでしょうか?

      また、観光名勝や天然記念物の巨石も入れていいのか?
      そもそも、信仰と信仰でないものの区別ってなんだ?信仰ってなんだ?

      ――という、深遠な問い(!)を内包する質問なのです。


      質問の意図どおり答えるなら


      そんな細かいことは考えなくて答えてほしいんだけど・・・と、質問者の多くのツッコミもわかっているつもりです。
      研究者としての良心のようなものとして、前置きを書かせてほしかったのです。

      それでは、あえて定義をふんわりさせたまま答えます。
      質問者の方の意図どおり答えるなら、須田さんの答えに近くなります。

      いや、須田さんを越えます。
      いわゆる「聖なる石」の数なら、1万どころではない。軽く飛び越えるでしょう。

      たぶん、質問の想定として、1万の中には石仏や神碑(庚申さん・山の神など)の類は入れられていないと思います。いわゆる巨石信仰や聖なる石からは、周縁に追いやられた存在になりやすいので。
      力石なども、省かれやすい。
      また、無数に積み重ねられた神社の奉納石や、個人宅の石など、名もなき記録もなき石がわんさかいます。

      なお、1事例とは文字通り1個の石ずつカウントしていくのか、名前が付いている一固まりのグループを1事例にカウントするのかで、数は増減します。
      (例)三輪山の磐座を何事例とカウントするか、沖ノ島の磐座を何事例とカウントするかで、研究者の基準が見定められます。

      一つの場所で数十の石が別々にまつられていることもあるわけですから、基準しだいでは日本全国で1万では到底抑えられません。


      質問者の方の意図をさらに汲み取るなら、そういう議論をカットした上で、自然の石の信仰や巨石文化的なもの(ふんわりとした概念…)がどれだけあるかということが興味の中心でしょう。

      でしたら、私の集成した岩石祭祀事例は「1110事例」です(2011年データ)。
      このうち、いわゆる上記の石仏・碑などの石造物がある程度含まれているので、約1千例というところにしておきましょうか。

      しかし、石好きの私ですら、今でも毎日のように新しい事例に出会います。
      そして、あまりにも出会うので、私はもう集計をあきらめているんです。
      ということで、実際の数はもっと多いでしょう。
      その中で、信仰にかかわる神聖な石だけ抜き取っていくと・・・

      以上を考慮すれば、今の時点で私がお答えできるのは1000~2000というところでしょうか。

      うーん、定義がふんわりしているから、答えもふんわりしていますね。
      だから私の答えはメディア受けしないわけなのですが、やっぱり定義なしの会話は不毛だと思います。


      磐座という名前さえついていればOKかどうか


       そもそも磐座は何個あるかと聞かれたら、「磐座」と書かれてある石だけを総当たりしていけば数は出ます。
      ちなみに要注意点ですが、研究者が勝手に磐座と名付けたものはカウントしてはいけません。言ったもの勝ちですから、無限に数を水増しできます。

      信仰者が「磐座」と名付けた石に限るのが本義です。「石座」「石坐」「岩倉」などの類似表記も含めてもいいでしょう。
      これならシンプルです。

      しかしそうすると、激減します。
      私の集成表だと「磐座」「石座」「石坐」「岩倉」表記で合計71事例です。
      しかもこの中に、研究者が便宜上名づけたものが混じっています。

      さらに実際のところは、現存せずに記録上だけ登場する例もあると思うので、そういうのもカウントしたら100は越えそうですが、意外と「いわくら」という名前で記録されている石は少ないので、200はキツイかもしれません。

      これが求められている答えでしょうか。
      これもちょっと違う気がします。

      磐座という名前が付いていなくても、磐座の働きをしている石の数を知りたい。
      こうではないでしょうか。
      つまり、「磐座」的な性格の石はいくつあるかという話に帰結するのだと思います。

      では結局、磐座的性格とは何かという定義が必要になります。
      だからそこから逃げるのは、文字どおり逃げです。


      磐座は他の石とは何が違うのか、それを考えることが重要です


      「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?」で触れたように、磐座の定義を極力シンプル、かつ、神仏にこだわらず汎用性のある説明でまとめると、

      「信仰対象(神・仏)が宿る施設」

      です。宿りかたは問いません。
      この定義に沿った時、ハッキリお答えできるのが299事例という具体的な数字です。

      これは、石神(いしがみ)や磐境(いわさか)などの同時代用語とは意味が異なることを前提にしています。
      これらの用語は、日本最古級の文献(古事記・日本書紀・風土記)に記された古語であり、いずれも石の信仰に関わる言葉とされています。

      細かい差を述べると、『古事記』『日本書紀』には「いわくら」「いわさか」は登場しますが「いしがみ」 は登場しません。
      一方、『風土記』には「いしがみ」と「いわくら」が併存して登場し、用例は「いしがみ」のほうが多いという傾向があります。

      これをどのように理解するか、少しつっこんで書きます。

      従来、磐座・磐境・石神の三語はそれぞれ意味が異なる語とされてきました。
      しかし、よくよく考えれば、言葉が違う=意味が異なるという証明にはなりません。
      一つの事象に対して、異名があるのはよくあることです。

      もちろん、同義語であるという証明もできていません。
      「クラ」「サカ」「カミ」の音の違いを考慮すれば、座席と境界と神そのものの意味・用法が異なるのは自明のことなので、現状、三語は異なる概念であるという理解が最も適切だということに他なりません。

      でも、本来は機能の違いを指し示す三語なので、特定の文献には載っていなかったり、文献によって用例数に差があるというのは、なんらかの有意性を認めるべきでしょう。

      これ以上の議論は深入りすると長くなるので、また別の記事で触れることにします。
      いずれにしてもこの話を通して伝えたかったことは、一つ一つの言葉や記述を大切に取り扱うことで、ふんわりした信仰の世界というものに「やっと」触れることができるということです。


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      2018年12月26日

      磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?

      磐座が誤用されたきっかけ


      「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?」

      これはよくいただく質問です。

      原始的な巨石信仰・巨岩祭祀を表す用語として、磐座という言葉が世間的にも紹介されるようになりました。
      しかし、これは必ずしも正確な意味ではありません。この種の世界を専門にしている一人として、この表現が独り歩きしていることに心を痛めることもしばしばあります。

      この誤用は最近になっての話ではなく、私が調べた限りではここ80年ぐらい、磐座という言葉が勘違いされてきた節があります。

      上写真の場合、本来の名称は「磐座」ではない(滋賀県東近江市能登川町)

      かつて1933年、奈良県桜井市大神神社の宮司だった遠山正雄氏が「いはくらについて」という論文を発表しました(『皇学』第一巻第二号に収録)。

      この論文で、遠山氏は磐境も神籬も磐城も、巨石信仰に関するものはすべて「いはくら(いわくら)」と呼ぶべきだと主張しました。
      私が思うに、祭りや宗教に関わる聖なる石をすべて磐座とひっくるめてしまう風潮は、この辺りから始まったと思われます。

      この主張に対しては後年、國學院大學教授の大場磐雄氏による具体的な論証のすえ誤りが指摘され、乱暴な主張であったことがはっきりしています(詳しくは大場氏論文「磐座・磐境などの考古学的考察」『考古学雑誌』32-8、1942年を参照)。

      しかし遠山氏が神社界の大家で影響力の大きい人物だったこともあるのか、はたまた、こういった仔細を無視した主張はシンプルでわかりやすいのか、今でも様々なところで、この類の石をなんでも磐座と呼んでOKとしている現状があります。

      大場氏は前掲論文で、磐座などの言葉が濫用されていることを憂えていました。すでに70年以上も前に。

      せめてこのページをご覧の皆さまには、歴史学的な研究に基づいた磐座の正しい語義を知っていただければと思います。よろしければおつきあいください。


      磐座は「いわ」と「くら」に分けて考える


      「いわくら」は「いわ」と「くら」から構成される語です。

      かつて「いわ」は、磐石・堅固なものを表す美称(飾り言葉)として「いわ」を用いたと解釈する説と、実物の岩石としての「岩」のことだと解釈する説の二説がありました。

      前者の「美称」説の1つに、本居宣長の『古事記伝』があります。
      宣長は『古事記』に登場する「天石位(あまのいわくら)」を「天津神が座る堅固な座」と注釈していました。実際の岩石かどうかは重要視されていませんでした。

      しかしその後、宣長は自身の随筆集『玉勝間』で後者の「実際の岩」説も提示しました。
      平安時代の和歌集である『堀河院後度百首』の中に「いこま山 手向はこれか 木の本に 岩くらうちて 榊たてたり」という歌があり、これを「木の根元に、岩で作った榊の祭場」と解釈したのです。
      「いわ」が実際の岩石に由来するとする後者の説にアップデートしたことになるでしょう。

      その後、前述の大場磐雄氏が前掲論文で、磐座の語義を研究史から洗い出しました。

      古典上での用例と、全国各地の実例を列挙した結果、「磐座」と呼ばれるものの多くが実物の岩であることから、「いわ」は実際の岩を意味すると結論付けました。
      「くら」については、「御座石」「御座岩」「石床」「石占」などの類語から、これらはいずれも神々が石に座す観念から起こったものであると考え、神が占める座という意味を持つと論じました。

      すなわち、「いわくら」とは「岩の座」であり「神が座す岩石」です。
      (この場合の「座」は単なるsitにとどまらない意味を持ちます)

      大場磐雄氏以後、現在に至るまで、数多くの学者が大場氏のこの解釈を支持してきていることを私も確認してきました。

      磐座は神そのものではないということが注意点ですね。神そのものである石は「石神」(いしがみ)と呼んで、別の概念になります。
      研究史に照らし合わせると、祭りや宗教に関わる聖なる石を、すべて磐座と呼ぶことは誤りであることがわかります。


      「磐座」という漢字に縛られないこと


      私がもう少し踏み込んで付け足すなら、そもそも磐座という表記で統一することが、あまり適切ではないと思っています。
      たとえば「いわくら」という読み方をする表記は、次の用例があります。

      • 石位・・・『古事記』
      • 磐座・・・『日本書紀』『延喜式(祝詞・神名帳)』
      • 以簸矩羅…『日本書紀』万葉仮名表記
      • 天関…『日本書紀』一書
      • 石座・・・愛知県新城市 石座神社、京都府左京区 石座神社
      • 石坐・・・『播磨国風土記』『皇太神宮儀式帳』『長谷寺密奏記 裏付』
      • 岩座・・・広島県安芸高田市 天ノ岩座神宮
      • 岩坐・・・京都府京都市山科区 岩坐(諸羽神社)
      • 岩倉・・・静岡県伊東市 八幡宮来宮神社旧社地「洞の穴」(岩倉の地名を持ち、伊波久良和気命をまつる)、京都府京都市左京区岩倉(石座神社御旅所 山住神社)、岡山県倉敷市 岩倉神社、熊本県山鹿市 岩倉さん
      • 磐倉・・・愛知県新城市 磐倉大明神(石座神社)
      • 岩蔵・・・東京都青梅市 岩蔵、京都府舞鶴市 岩蔵(岩室稲荷神社奥の院)
      • 石蔵・・・兵庫県相生市 石蔵明神(磐座神社)
      • 『天正十八年本節用集』では、1字で「いわくら」と読む総画数53画の国字が収録されています(参考リンク:和製漢字の辞典:巻5)。これは「岩」「石」「聞」を組み合わせた字になっています。

      磐座という表記だけを押し出すということは、上に紹介した他の表記を切り捨てることになってしまいます。

      「でも、漢字は当て字だから、そこまで重視する必要はないのではないか?」と見る向きもあるでしょう。

      しかし、漢字はすべてがすべて、適当に当てていると決めてかかるのは乱暴で、それは当時の人々の細かい心の機微を切り捨ててはいないだろうかと思うのです。

      「くら」に「座」を当てた人と、「倉」を当てた人の意識の違いは、本当に一緒でしょうか。意識の差を考えなくてよいのでしょうか。


      すこし細かい話をします。
      上の表記用例をざっくりと分類すると、「位」「座」「坐」と当てる「座席」グループと、「倉」「蔵」と当てる「倉庫」グループに分けることができます。

      神の宿り方という視点で考えた時、神が岩石の上に降り立つという「座席の構図」を持つのか、岩石の中に入りこむという「倉庫の構図」を持つのかには、意識の差があります。

      すなわち、「座」という漢字から現代人がもつイメージだけだと一面的で、座る以外にも入る、憑依するなど、岩石に対して多様な神の宿り方があることに気づかされるのです。
      そして、実際に各事例の伝承に照らし合わせると、石を椅子のように用いている「いわくら」と、神殿や住まいのように用いている「いわくら」の両方を見つけることができます。
      (長くなるのでここではその1つ1つを取り上げませんが、詳しくは「岩石祭祀事例表」で実際の例をご参照ください)


      「イワクラ」という表記への懸念


      ところで、近年、イワクラ(磐座)学会によって新たに「イワクラ」の概念が提示されていることをご存知でしょうか。

      イワクラ学会が主催するイベント「イワクラサミットin宮崎」の冊子(2005年発行)において、「イワクラ」は「大事なものを込めている岩」の意であることが提示されました。

      イワクラ学会は、国際語としてこの「イワクラ」を普及しようと活動を行っています。

      「イワクラ」は、世の中の大切にされている岩石すべてを包括することができる用語です。
      神に関わらなくてもOKなのです。現代建築や記念碑・モニュメント、個人が収集している石のコレクションや盆石などでもイケるでしょう。
      これは、従来提示されたことがなかっただけに有用な概念と言えます。

      しかし、これまで述べてきたように、「いわくら」が持つ元来の語義「神が宿る岩石」とは混同しないように使用していってほしいと切に願います。

      正直に言うと、古典の「磐座」と「イワクラ」の音が同じだけに、紛らわしいことこの上ないですが。
      なぜ、音を同じにしてしまったのか。

      ただでさえ、約80年前から誤解されてきた「いわくら」の語が、さらにこの新概念である「イワクラ」の登場により、後世、混乱に拍車をかけないかと懸念する一人です。

      いや、すでに、混乱に拍車がかかっているのではないでしょうか?

      「この石は古くからイワクラと呼ばれております・・・」「この岩はイワクラですね」など、安易に歴史を断定する場面を見かけることがあります。

      「磐座と書けばイメージしやすいから」「しょせんは言葉の定義の問題だから、細かい違いは気にしなくてもいい」といった理由で押し切られる風潮も感じます。

      しかし、その瞬間、私たちは本来の歴史を変えてしまったということに気づかないとなりません。

      このままでは数十年後、どの岩石が旧来からの磐座で、どの岩石が新しく作られた「イワクラ」なのかが混在してしまいます。
       
      大げさに書いたかもしれませんが、このような問題意識で慎重に歴史と対峙することは、物言わぬ岩石を歴史資料として物語る際に大切な姿勢だと思います。
      少なくともこのページだけでも警鐘を鳴らして、ご覧になられた皆さまに託したいと思います。

      言葉自体の歴史を調べ、本来の語義を尊重することも歴史研究であり、歴史を大切にする姿勢なんだという問題意識を、1人でも多くの方に持っていただけると幸いです。


      まとめ


      長くなったのでまとめます。


      「いわくら」は「神が宿る岩石」。

      神の立場から見ると、「祭祀の時、人と交流するために一時的にとどまるための岩石」。

      人間の側から見ると、「祭祀の時、神を迎えるために用意する岩石」。


      誤解しないように気をつけなければならないのは、「いわくら」は神そのものではなく、神が宿るために準備される施設・装置・道具なのだという点。この認識を見誤らないようにしたいですね。


      また、似たような話で巨石信仰という言葉が古代祭祀などを語る時に多用されますが、実際には巨石ではない小石も多く神聖視されているという事実があります。
      歴史的に、岩石に関する信仰で「巨石であること」は絶対条件ではありませんでした。

      このように、磐座や巨石信仰といった一言で語り終えてしまったことで、その枠外に置きざりにされたままの岩石信仰のかたちが山積しているように思います。
      それは同時に、そうした岩石に込められた人々の歴史や心も放置されている気がするのです。

      岩石信仰の歴史と先人たちに失礼がないように。

      このような視点で岩石を語る人が一人くらいいてもいいのではないかということで、この文章をインターネットに残しました。ご覧くださりありがとうございました。