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2025年10月13日

「霊神碑」の岩石信仰

霊神碑(れいじんひ)とは、下写真のような石碑を指す。

愛知県名古屋市名東区 大石神社境内

寺社巡りをされている方の中には、このような「●●霊神」と刻まれた岩石を、境内でご覧になった経験があるのではないだろうか。

石面に刻まれた神号を見ると、日本神話では聞いたことがない神々ばかりであり、個人の姓名を冠した霊神号も多く見かける。

岐阜県各務原市 迫間不動境内。無数の石柱に家の霊神名や個人の霊神名が刻まれる。

三重県四日市市 福徳寿御嶽神社境内。こちらは「霊神」以外に「大神」表記も見られ人名以外の事象にも神号が贈られる。霊神碑からの派生と見てよい。

「霊神」というカテゴリーの中で一定の統一性はありながら、刻まれる内容は多様性に富んでおり、これは神なのか墓なのか記念碑なのか、前提知識なしでは評価に困る特異な岩石である。


霊神碑は、木曽御嶽山を信仰する人々が結成する講によって建立された石碑である。

御嶽山は岐阜県と長野県の県境にそびえるが、中部地方のみにとどまらず、東北から中国・四国地方にも霊神碑の存在を確認できる。

これは御嶽山を信仰する御嶽講の人々が日本各地に広めた結果と考えられ、御嶽山との直接的な関係だけでなく、人が岩石に神の名を刻む行為としての視点からも興味深い社会的現象である。

この記事では、霊神碑の現在的な学説をおさらいした上で、岩石信仰という観点に立った時の霊神碑の位置づけについてまとめておく。


御嶽山と霊神碑の基礎知識

2022年、霊神碑を専門的に研究する愛知学院大学教授の小林奈央子氏の研究発表を聴講する機会があった。その後、その発表内容は下記論文として結実した。

本記事では、小林氏の研究に基づき御嶽山と霊神碑の最新の研究状況を紹介しよう。


■ 御嶽山の名称

御嶽という尊称は他地域にも認められるので、区別のため木曽御嶽と記されることもある。

また、歴史的な雅称としては「王の御嶽」「金の御嶽」がある。特に「王の御嶽」は、その読みかた「おうのみたけ」が転訛して「おんたけ」となった可能性も指摘されている。


■ 御嶽山の開山者

御嶽山の山中および山麓には御嶽神社が鎮座する。江戸時代中期までは御嶽神社による所定の潔斎の上で登拝許可を受けた者しか登れない山だった。

このような状況を一変させ、庶民が登れるようにした18世紀の「開山者」が2名いる。後に集団化された各地の御嶽講にとっての開祖とされる。

  • 覚明(1719~1786年)…尾張国出身
  • 普寛(1731~1801年)…武蔵国出身

この2名を慕った人々により、中部地方と関東地方では御嶽行者や御嶽行場が多く生まれることになった。


■ 霊神碑の歴史

本来は、覚明・普寛を死後に追善しようと供養塔を建てたのが最初である。

「霊神」の字を刻んだ最古例は、弘化2年(1854年)の「大阿闍梨覚明霊神」である。ただし、それに先行する天保14年(1843年)の「覚明神霊」の事例もあり、当初は「霊神」と「神霊」の号が定まっていなかった模様である。

明治時代に入ると、覚明・普寛以外の行者や信者にも「霊神」号がつけられた霊神碑が増加する。とりわけ功績高い行者や、講活動に尽力した篤信者に霊神号が授けられるようになった。生前に霊神号を授けられるケースもあった。

霊神碑の脇や背面には俗名・造立年・享年・造立者が刻まれるのが一般的で、霊神碑の建立年代調査によれば昭和戦前期にかけて造立のピークを迎えるが、1950~1960年代にも造立の小ブームがあったようである。

御嶽山の山中には、現在約3万基が存在するといわれている。御嶽山だけが造立の場ではなく、さまざまな地域の講が自らの講社・教会の敷地などに「霊神場」と呼ばれる、霊神碑を建立するための空間を形成した。

覚明から「覚」または「明」の一字を採った霊神碑と、普寛の「普」「寛」の一字を採った霊神碑の系譜に分かれる。それぞれの開祖の出身地に合わせて、前者は東海地方に多く、後者は関東地方に多いとのことである。


■ 霊神碑の形態

扁平な自然石をそのまま石碑に用いたものと、自然石を整形して表面を平らに削ったものがある。いずれにしても「扁平」が良いらしい。

岩石のフォルムは、角のない丸みを帯びたものもあれば角柱状のものもあり定まっていない。

標準的なサイズは、高さ1.5m、幅1m、厚さ20㎝程度で、墓石よりはやや小ぶりのサイズと評価できる。大きい事例では高さ3mを越える。


■ 霊神碑の性格の変化

先述のとおり、霊神碑はもともと供養塔だった。すなわち故人への鎮魂や作善のための奉納物だった。

しかし、時代を経て建立数が増えるにつれて、奉納物から「御霊の宿る施設」へ性格が変化した。

その証拠として、霊神碑には「御霊移し」という祭祀行為が伴うようになった。

御霊(みたま)とは故人の霊魂であり、人が亡くなると墓が建てられる。墓は遺骨が埋葬される施設だが、それとは別で、御霊を宿すための施設として霊神碑が用いられる。

生前に霊神碑を造っておく場合、霊神碑の刻字の「霊」の部分に赤を入れておく。没後すぐではなく、半年~1年の間に赤を消して、故人の御霊を霊神碑に宿す「御霊移し」がおこなわれるという。

これらの点から、小林氏は霊神碑が供養塔から「御霊の依り代」に変化したと表現しており、それはまるで墓石が当初「死者が極楽往生するための菩提」を目的にしていたものから、宝暦年間(1751~1764年)以降は「霊位」(死者の霊魂の依り代)に変化した流れと類似性があることに触れている。

※なお、「依代」概念は折口信夫が創出した分析概念であり、歴史的な事物に対して真に同時代的な説明をするに適切な用語であるかどうかには批判点もある(参考記事「依代と御形と磐座について―祭祀考古学の最新研究から―」)。その議論を踏まえるなら、霊神碑や霊位は「故人の魂の憑依物」と表現するのがより客観的かもしれない。


岩石信仰の観点からのまとめ

小林氏による霊神碑の最新研究を以上紹介した。今後、各地の霊神碑を観察して歴史の中に位置付ける際に学ぶ点が多い。


江戸中期~後期の墓石の性格変化、江戸後期~明治以降の霊神碑の性格変化は、それぞれ岩石信仰(岩石を用いた信仰)の変遷と言える。

私が作成した「岩石祭祀の機能分類」においては、墓石や霊神碑の元来的機能「供養のための奉納物」は、「BBB類型 鎮め・清めの道具」「BBC類型 奉納物」の2つの要素が複合していると考えることができる。

そして、墓石や霊神碑が変容した「故人の魂の憑依物」は「BAA類型 憑依物(旧・依代概念)」の機能であり、願いをかなえる道具から信仰対象が宿る施設に岩石に込められたものが変化したとまとめられる。


岩石信仰の諸事例を鑑みれば、同一の岩石が単一の機能のみを永続的に保ち続けるわけではなく、人々によって同時に複数の機能(性格)を込められることもあれば、時代変化の中で岩石に期待されたものもしばしば変化する。そのような事例は他にも多く見られる。

しかし、自然石の場合は元来込められていた人間の意図が見えにくいために至極当然の変化と言えるが、霊神碑は単なる自然石ではない。文字情報がある岩石(石造物)である。このように明確に人間の意図が読み取れる場合であっても、岩石の機能が変化しうるケースを示したと言える。

もしかしたら文字情報があることで、文字に引っ張られた要因もあるのではないかと感じる。元来は供養の対象としての「人名+霊神」が、「霊神」という文字の強さに引っ張られて霊神を物体化・可視化する祭祀対象に変わったという見方である。


自然石の岩石信仰においては、神への畏敬的信仰から信仰心なしの特別視へと人々の認識が親近的に変わるという仮説がある(たとえば林宏氏『鏡岩紀行』中日新聞社 2000年 における鏡石・鏡岩信仰のケースでの指摘)。

人々の知(文化・技術)が成熟するにつれて、岩石に対する「未知」が薄れることによるものという理解に立った仮説である。


一方、霊神碑のケースでは奉納のためのツールが御霊の憑依物として、限りなく信仰対象に近い存在へ聖化した(霊肉分離の考え方に基づけば、信仰対象と同一とまでは言えない)。

同じく人々の知(文化・技術)の結晶である文字が、岩石の「未知」を言語化した結果、岩石そのものの性質に左右される必要なく、文字から岩石に聖性を読みとったのではないか。

文字が一種の権威性を発揮し、聖なる要素を強化したのではないかという私見を記して本記事を終えたい。


2024年2月7日

「失われし岩石・巨石信仰。畏れと期待、その世界観とは。吉川宗明氏インタビュー」掲載


webメディア「Less is More. 」で吉川のインタビュー記事が掲載されました。


失われし岩石・巨石信仰。畏れと期待、その世界観とは。吉川宗明氏インタビュー。|Less is More.by info Mart Corporation

文献には残らないほど古い時代から、日本のあらゆる場所で、岩や石を祀る文化があったそうだ。今の宗教とは異なる、不思議な世界観を持つ「岩石信仰」の研究をしている吉川宗明氏にお話をお聞きした。


「Less is More. 」(より少ないことは、より豊かなこと)では、グローバル化・デジタル化する世界で失われる/失いたくないモノや概念などを取り上げており、文・理などの分野を問わず有識者にインタビューした記事をnote上に掲載しています。

失われる/失いたくないモノの一つとして巨石・磐座信仰(私が言うところの岩石信仰)に白羽の矢が立ち、依頼が来た次第です。

見出しは大きく4構成です。


  1. 岩石信仰に出会うまで。
  2. 岩石信仰はいつはじまったのか?
  3. どのような世界観で岩石信仰がなされていたのか。
  4. なぜ岩石信仰は失われてしまったのか。


PV数的には巨石や磐座を押し出したほうが良いのでしょうが、記事タイトルにも「岩石」を入れていただけるなど、柔軟に対応していただけました。

ということで、いつもどおり「地味」なパッケージでお送りしますが、ご覧いただき皆様の拡散をご協力いただけましたら幸いです。


吉川が岩石を語るときに怖いと思うこと

インタビューでは、このブログに書かなかった部分、吉川個人の部分に珍しくスポットが当たりました。自分を出しすぎたかもと感じます。

そうキャッチ―な話ができたとも思いませんが、個人をあまり出さないのには他に理由があります。


石の話でよく聞かれるのが、岩石信仰の魅力についてです。

これを聞かれるのが、嫌というより、恐いんです。

それを知りたいがために研究しているところがあり、研究途上の人間がそれを言葉にすることで、自分の言葉で規定されたくないというのもあります。死ぬ間際に言いたいです。


もう一つの怖さがあります。

私が岩石を信仰しているわけではないので、信仰の当時者ではない人が岩石の魅力を主観であれこれ語ることは危険で、だからブレーキをかけています。

石に惹かれる自分はいますが、自分の感性を信用していないということです。


あまり言う場面がありませんでしたが、私自身の岩石信仰に対する考えについて触れておきます。

私自身の日常の生活観は、共同体主義がなじむ人間というよりは個人主義に属する人間です。現代人という自覚もあります。

岩石信仰を研究しているからといって、岩石信仰に憧れたり、信仰に付随するあれこれをすべて肯定的・好意的に受け止めたりしているわけではありません。

そういう意味で、信仰されている方から見ると冷ややかにうつると思うのですが、逆で、自分にないものだからこそ敬意をもって臨まないと、永久に理解できないだろうという自戒でこれまで岩石と岩石に関わる人々に接してきたつもりです。

そして、自分にはない価値観だからこそそれを知りたいという動機に加えて、信仰とは異なるが岩石を見て言語化できない自分の感情を自覚もしているので、その自分の感覚を言語化したいという動機でも研究を続けています。


ということで、岩石信仰の魅力は何ですかと問われれば何も答えられないのですが、個人的経験の範囲で語れることが一つだけあります。

それは、思い起こせば、私は岩石の実物を見て惹かれたクチではなくて、まずは本に載っている岩石の写真で惹かれたということです。

つまり、インタビューで答えたように岩石に近づいてその磁気を無意識に脳が感じとったのではなく、岩石の視覚画像のみを以て自分の脳が反応したと言えます。

写真で縮尺もよくわからない岩石も多かったので、岩石の巨大さに圧倒されたようでもありません。

岩石の外形、岩肌が持つ色などの二次元的視覚情報だけが放つ岩石特有の魅力がある、そこにも岩石信仰を考えるヒントはないかと考えています。


記事リンク


2023年2月20日

一番好きな「推し岩」「推し石」は何ですか?


「吉川さんが今まで見てきた岩・石で、一番好きな場所を教えてもらえますか?」

この前、上のご質問をいただいて、ごにょごにょ濁してお返事したのが悔いに残っています。

1位は決められないと思いますけど…と、気遣ってご質問くださったのにもかかわらず。


自分の一番好きな"推し"岩石というものを、建前だけでなく本音でも考えたことがないのです。

まだ自分が行ったことのない場所がたくさんあるから、仮決定もしていない。かっこつけていえば、常に最新が最高かもしれない、という心持ちでしょうか。


そうはいっても、雑談レベルでさえ毎回たいした答えを返せておらず自分で嫌になるので、今後の自分のために、これまで訪れた場所を思い返して頭の中を整頓してみます。

この記事で書いたことすべて主観ということで、ひとつよろしくお願いします。


巨石・巨岩部門

巨石・巨岩って、それだけで周辺の景観、なんなら今までの自分の記憶と比しての「異物感」があると思うんです。それが巨大なものが発する心的要素なのだと今はとらえています。

そういう意味で、歴史的経緯などと関係なく、感覚的に好きな岩石として挙げます。


■ おかめさんのはら(三重県桑名市)


多度山の一峰を瓶尾山と呼び、その尾根を「おかめさんのはら」や「亀の尾」と呼びます。

上写真が代表的ですが、岩石で敷きつめられたかのような尾根なんですね。

単独の巨岩・巨石ではなく、多数の巨岩・巨石が一面に織りなす光景の空間力、視界にあたえる力という意味で強く印象に残る場所でした。

多度大社と多度山の岩石信仰(三重県桑名市)


■ 兵主神社の影向石(兵庫県丹波市)


上は、私のパソコンの壁紙を数年間飾る写真です。その点では、私の無意識ではこの岩石が一番好きなのでしょうか?

地面からこの場所だけムキムキと隆起するさまを感じたというか、地表に顔をのぞかせた岩石の異質感をその場で感じたものです。初見で主観的に惹かれるものがあり、立ち去りがたい記憶があったことを思い出します。

ちょうど、この岩石だけ光が当たり、周囲の社叢の鬱蒼とした景観との差異や、岩盤を取り巻く玉垣の少しくたっとした佇まい、そしてこの聖地を護持してきた神社のもつ視覚的な要素などもその主観と相俟っていることは否定できません。

兵主神社の影向石(兵庫県丹波市)


■ 俱盧尊佛/黒尊佛/鉾島(和歌山県田辺市)


一回でたどりつけず、苦労して訪れた場所という思い出補正もあります。アクセスがどちらかというと秘されることの多かった場所で、隠されると神秘性が増すというような「後天的」な要素も私の主観をかき乱しています。

それでも、上写真で伝わるでしょうか、この岩石の岩肌の多面的なグラデーション。特に、下部の青白く色が変わるところには、異物感といいますかイキモノ感すら言葉として説明できるような迫力が否応なくありました。

もちろん、これをみて単なる岩じゃんという感想があってもいいと思います。むしろ、その受け止め方の違いが出たほうが人間の複雑さの証明となり、なおのこと岩石信仰研究の原動力となります。

津荷谷の俱盧尊佛/黒尊佛/黒尊仏/鉾島(和歌山県田辺市)


小石部門

巨石・巨岩の「魅力」は、理屈だけでなく感情面でも私のなかにある程度は備わっているのだと思います。だから巨石・巨岩部門で3か所を選べました。

その一方、逆向きの興味関心として、私はただでかいというよりは、小石や何の変哲もないといわれそうな自然石に、人々の物語や伝説が付されている現象に強く興味を抱くようです。

自分の感覚とそぐわないからかもしれません。自分の感覚との「異物感」と表現したらいいでしょうか。

異物感は心の不安を増長するので、自分の心の中で理屈をつけて折り合いをつけたいのかもしれません。だからこのような岩石信仰研究をしている節もどうやらあるのですが(自分でも言語化に困る核心的な部分のため、これくらいの表現とさせてください)、このような疑問や不安を解明したいという意味で吸引力をもつ岩石を挙げます。


■ 岩神/おんじく石/温石(福井県大飯郡高浜町)


岩石自体が異形という点で惹きつけるものはありますが、この岩石が「この世をば打ちこわす」と言葉を発する岩神としてまつられ、まつられながら岩石は削り取られ、石のかけらを温めると痛みが取れるという温石の役目も果たしたという多面性。

人と神の関係は一言で言えない複雑なもので、ひとつの岩石がたどった歴史の重さも想像されるという点で、ここに推せます。

岩神/おんじく石/温石(福井県大飯郡高浜町)


■ 調宮神社の列石(滋賀県犬上郡多賀町)

調宮神社といえば、社殿奥の社叢内に屹立する立石の存在が本邦界隈では注目されがちですが、私は奥の立石より、上に掲載した境内入口の列石に惹かれます。

駐車場や外の舗装道と明らかに区画するために並べられた列石なのですが、岩石の大きさは不揃いで、敷きつめられた密度もスカスカ。いつ並べられたかわからないが、結果として現在の景観は苔むして、不整形な自然石だからか却ってなにか言語化しにくい感情を喚起する。

調宮神社に話がおよぶ時は、いつもこの列石のことをやや熱っぽく触れるのですが(調宮神社に話がおよぶことがほとんどないので人生で2回くらいか)、この狭い岩石界隈でもまだ理解が得られたことはありません。

調宮神社(滋賀県犬上郡多賀町)


■ 阿呆賢さん(京都府京都市)


「あほかし」さんです。名前がいいですねえ。

神占石や重軽石の別称もあるとおり占いの道具としての岩石であり、この種の類例には事欠きませんが、さん付けされて人格化したところに独自性があります。

そして、岩石自体の黒光りした、全体として楕円形ではありつつも自然石然とした部分も残す"ランダムさ"もまた、私にとっては疑問や不安の対象となりえます。

今宮神社の岩石祭祀事例(京都府京都市)


人生のマイルストーンとしての岩石

旧ホームページで一度ふりかえったことがあります。確認したら2008年のことで、想像より昔すぎて自分でびっくりしました。

これこそ思い出補正の執着心以外の何物でもありませんが、自分の気持ちに整理をつけるために書いておきます。


■ 山の神遺跡(奈良県)と保久良神社の立岩(兵庫県)

山の神遺跡


保久良神社の立岩

二つ同時で失礼します。私が人生で初めて認識した岩石信仰です。

山の神遺跡は高校日本史の資料集で、保久良神社の立岩は『ムー』での出会いでした。ほぼ同時期で、この二つが重なったから、ああこういう世界があるんだという認識にいたったわけです。つまり、本を通して初めて知ったというマイルストーンです。

両者とも、後年に現地に立った時はえもいわれぬ感情に包まれたことは言うまでもありません。

三輪山の磐座群と周辺の岩石信仰(奈良県桜井市)

保久良神社の列石を巡る磐境説とその批判的検討(兵庫県神戸市)


■ 猪子山(滋賀県東近江市)

猪子山中の「岩船」

大学生になって、初めて自覚的に自分の足で赴き、目におさめた岩石信仰の現場でした。

なぜ猪子山にしたのか、詳しい心の流れは自分自身覚えていませんが、藤本浩一氏の『磐座紀行』に掲載されていて、見たいと思ったのだと思います。

猪子山には山麓から山頂にいたるまで複数の岩石祭祀事例がありますが、麓から登って最初に目にするのは上写真の「岩船」ということで掲載しました。

猪子山の岩石信仰(滋賀県東近江市)


■ 山添村(奈良県山辺郡山添村)

山添村内の「天王の森」

私が岩石祭祀の機能分類を作るきっかけとなった場所です。村内で計82事例の岩石に出会い、どのように理解すればよいか一番ウーンウーン唸って出てきた考えかたでした。研究上の画期としていつまでもありつづけるでしょう。

山添村の岩石信仰(奈良県山辺郡山添村)


■ 与喜山(奈良県桜井市)

『岩石を信仰していた日本人』の表紙写真に採用した与喜山中の「北ののぞき」

約15年、断続しながらも何度も足を運んだ山でした。一つの地にこだわって調べ続ける、フィールドワークの大切さを学ぶことができました。

1か所、どうしても見つけられない場所が山中にあり、そこと出会うために15年を費やしました。しかしその結果蓄積できた学びを小考にまとめることができたのは、いわゆる「研究者として与喜山に呼ばれていた」とまで言える貴重な経験でした。

与喜山の旧跡群まとめ(奈良県桜井市)


■ 真清田弘法(愛知県名古屋市)

森徳一郎『郷土史談(三二) 真清田神宝流出記(5) 十六 龍神石』1935年

一時期、とりつかれたように調べていた存在でした。結局謎がまあまあなレベルで解けていないのですが、今は時間もたち、落ち着いてしまいました。よくないですね。

インターネットの大海でキーパーソンと会えるか委ねていましたが、まだその時期ではないようです…。

真清田神社の神体石と覚王山日泰寺の真清田弘法


■ 夫婦石/妻夫石/妋石(三重県四日市市)


マイルストーンという点では、自宅からもっとも近い岩石信仰の一つでありながら、その存在を認識するのに時間を要した本例を見逃すわけにはいきません。

地元の歴史を掘り下げる機会があり、そうすると知らなかった岩石信仰がたくさん出るわけです。あちこちに足を運び、目移りしようとする自分に「足下を固めろよ」と警鐘を鳴らしてくれる岩石たちです。

東海道の夫婦石/妻夫石/妋石(三重県四日市市)


なお、2023年現在のマイルストーンは愛知県北設楽郡設楽町の岩石群です。

2019年末から関心を抱き、今年には調査を終えて記録にまとめたいと思います。

愛知県設楽町名倉(大名倉・東納庫・西納庫)における岩石信仰の文献調査


まずはここから案内したい入門編

これまで取り上げた場所以外で、特に、比較的行きやすいところを紹介して終わります。

(険しい山登りなどを必要としないという意味で。お住まいによってアクセスのしやすさは異なります)


■ 榛名神社・榛名山(群馬県高崎市)


奇岩怪石の宝庫。一日ゆっくりたっぷりと、岩石信仰を堪能できる場所。関東に住んでいたら、私ならここへ最初に案内するかな。

榛名神社・榛名山の岩石信仰(群馬県高崎市)

■ 太郎坊宮(滋賀県東近江市)


麓に降り立った時から、岩石信仰をわかりやすく期待できる場所。初見からの印象良しとして入門編に最適。
(車で中腹まで行けますし)

太郎坊宮と瓦屋寺とその周辺の岩石信仰(滋賀県東近江市)


■ 元伊勢内宮皇大神社・天岩戸神社(京都府福知山市)

推し神社になるのだと思います。岩石信仰だけでなく、山岳信仰や河川信仰などの自然物信仰が凝縮された場所巡りとしてもお薦めできます。

元伊勢内宮皇大神社・天岩戸神社・日室ヶ嶽の岩石信仰(京都府福知山市)


ほかに天乃石立神社(奈良県奈良市)もわかりやすくて好きですが、一刀石が鬼滅の刃ブームで人口膾炙状態になったので、書き添えるのみにとどめます。


おわりに

たくさん挙げてしまいました。


ボリューム的に、何回かに記事を分割して書けば良かったのですが、衝動的に書きたいのと1ページで全情報が見られるようにしたい、インターネット旧世代としての嬉しみを優先しました。


結局、一番好きな場所はどこですか?と問われたら、瞬時にこれくらいの場所が脳内でオーバーフローして、答えられなくなるのだと思ってくださいませ。

ということで今度から聞かれたら、この記事を見せていきたいと思います。


2022年12月25日

岩石に彫刻することで得られるものは

竜ヶ城一千梵字仏蹟(鹿児島県)

先日、「鹿児島磨崖仏巡礼」vol.5のイベント「岩石信仰と磨崖仏」で講演をおこないました。

当日の様子は、主催者の一人でいらっしゃる窪壮一朗さんがブログに詳しく書かれているのでぜひご覧ください。

「鹿児島磨崖仏巡礼vol.5 -岩石信仰と磨崖仏」、吉川宗明さんを招いて盛大に開催!


鹿児島の摩崖仏、石造物に接して

本イベントのメインテーマは、摩崖仏の謎の解明にあります。

私は自然石信仰を主に取り扱ってきたため磨崖仏は門外漢で来たところがあり、鹿児島というフィールドを通して磨崖仏、そして石造物文化の見聞を広げる大きな機会となりました。

旧薩摩藩領内で盛んに造られた「田の神様(タノカンサア)」(隼人歴史民俗資料館所蔵資料)

馬の守り神としての「牧の神」(石碑下部に馬の彫刻がみえる)

近代の戦役記念碑・戦没者慰霊塔。不整形な自然石の形が多い。

墓石の一つ。墓域における統一感はなく、近世においても自由な石造物文化が認められる。

これらの石造物に通貫する価値観を挙げるなら、それは

「岩石に何かを彫りこまずにはいられない/刻みこまずにはいられない」

という点です。


とはいえ、上写真に挙げた自然石型の記念碑や自然岩の磨崖仏のように、岩石の性質を完全になきものとしてしまうのではなく、岩石の視覚的な外形・輪郭はそのまま活かされたかのような趣も感じ取れます。


タノカンサアの石像に限っては、顔面が白く塗られることもよくあるそうです。この点では、岩肌より顔の化粧が優先されたことがわかります。

では岩石である意味はないのかというと、タノカンサアの中には地区の家々で持ち回りでまつる移動型の石像もあったそうです。

窪さんが疑問に挙げたこととして印象に残ったのが、像を持ち歩く前提ならもっと軽い素材のものでもいいのに、どうしてそんな重い岩石で作ったのかという問いです。

便利より不便を選んだ理由に、岩石でないとならない精神的な要因があったのかどうか。


私はその場で即答できず、そして今も答えを用意できませんが、岩石を選び、彫刻する時には次の「瞬間」と「立場」で心理の種類が変わったのではないかと思うのです。


瞬間

  • 彫りたい対象を模索し、彷徨うとき
  • 岩石の存在を人づてに聞くとき
  • 岩石の存在に偶然出会うとき
  • 母岩から必要な岩石を切り出すとき、拾うとき
  • 岩石に彫刻の手を入れようとするとき
  • 加工しているとき
  • 加工した中から新たな石面を見たとき
  • 岩石を加工する中で破片が飛び出るとき
  • 季節、天候、時間帯、乾湿、陰影により、異なる岩石の様態に接したとき
  • 最終的な完成品に接したとき


立場

  • 最初にその岩石に出会った人
  • その岩石に彫刻を施さず、そのままにするという選択をした人
  • 最初にその岩石を彫刻したいと思った人
  • その彫刻者の影響下で共感できた人々(支持者、従者、子孫、同集団内の人々など)
  • その彫刻者の影響下で、共感できないものの従った人々
  • 彫刻後に、その彫刻された岩石に接した人(継承する人、再活用する人、対抗する人)


同じ人間でも、同じものに接してまったく同一の感情になるわけではないのが人間の複雑なところです。

同一人物の中でさえ、自然の岩石に出会い、石造物ができるまでの一つ一つの瞬間のなかで、岩石に見出した感情は刻一刻と変化したでしょう。しかもそれは、先天的な"ピュア"な内発的感情によるものと、後天的な知識・立場・背景によるものの両面があったでしょう。

さらに、完成した石造物に対して、彫刻した当事者と同じ感情を周囲の人々が感じたとは限りません。

イベント事に対して、熱心に取り組む人もいれば、集団に属すから嫌々参加する人もいるように、人の心理にグラデーションがあったとみるのが自然です。

そして、上の瞬間・立場のいずれにおいても、岩石に何らの心理的反応も生じなかった人もいたとまで折り込みたいです。これらすべてを取り扱うのが、岩石に対する人の心理です。


彫刻家の発言より

とはいえ、細別化しすぎると正直何から手を付けたらいいか手に負えないという現状があるので、まずは岩石を彫刻したいと考えた当事者から始めてみましょう。

ヒントとなるのは、石の彫刻家の発言です。時代も地域も異なるということに注意をしないとなりませんが、このブログで紹介してきた例を数例再掲します。

磨崖仏はその岩を彫り尽くすことが目的なのではなく、あくまでその岩の聖性を抽出するために、仏等の様々なしるしが刻まれると考えられる。(青野文昭氏)

青野文昭氏の「表現のみち・おく」が石を哲学している

石工の人々にためしに聞いて御覧なさい。必ず異口同音に答へるでせう。石は生きて居ります・・・・・・と。(尾崎放哉氏)

尾崎放哉「石」 ~『日本の名随筆 石』を読む その3~

アトリエに置いてある大理石が、汗をかいていた。(舟越保武氏)

石の彫刻家・舟越保武氏が岩石に対して感じた思い

私は自分の内奥の想いとか、私のえた知識を、石に何らかの表現をしなければならない、いいかえれば、石に信仰告白をしなければならなくなっていた。(C・G・ユング。徳井いつこ氏訳)

石に語らせる~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その4~

岩石は生きている、という一文は、石を生業としない大多数の現代人(私を含む)には何のことやら、というところもあります。

文章どおりに受け止めてよいのか、というところに問題の根深さがありそうですが、「岩石が生きている」という発想は、岩石が主体で人が客体と言えます。

一方で、岩石に何かの表現をしたいという一文は、人を主体とした欲望であり、岩石は客体と言えます。


「岩石は生きている」と「岩石に何かの表現をしたい」の二つが、対立的ではなくむしろ止揚したところに、彫刻者の心があるように今は理解したいです。

磨崖仏や信仰に関わる石造物は、岩石が生きるという認知がすでに超越的であり、聖性の要因となりえます。いや、記念碑やモニュメントにおいてさえも、人が主体で岩石が客体という色が濃くなりながらも、岩石に込められたかつての聖性の残滓が岩石という素材を選ばせたのかもしれません。


岩石の聖性とは何か?

私が2022年までに言語化できたのは、『古事記』『日本書紀』『風土記』の奈良時代文献から抽出した「境界性」「忌避性」「生死性」「堅固性」「移動性」「永遠性」「非実用性」の7つの精神性です。詳細は論文として書きました。

論文紹介「『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか―奈良時代以前の岩石信仰と祭祀遺跡研究に資するために」(2022年)

この7つの精神性ですべての岩石を通観できるとは到底思っていません。


たとえば會津八一氏は、「石は案外脆いもので寿命はかへつて紙墨にも及ばない」(會津八一「一片の石」~『日本の名随筆 石』を読む その10~)と、岩石の永遠性への反例を紹介しています。やはり時代、場所、立場、瞬間が変われば岩石の心理は変わるのです。

まずは現段階の参考としていただければ、というところです。


特定の岩石を強調、見える化するということ

そうそう、講演の中で日本列島最古級の磨崖仏「狛坂寺跡磨崖仏」(滋賀県)に触れました。

そこで、日本列島における初期磨崖仏の石窟タイプと露岩タイプの特徴の違いを紹介したのですが、かなり端折ってしまいました、

私が依拠した、藤岡英礼氏の論文「狛坂寺跡磨崖仏と山寺」『季刊考古学』第156号(2021年)より該当部分を引用して補足説明に代えます。

「大規模な露岩の摩崖仏は、石窟の摩崖仏よりもわずかに早く伝来したが」「露岩タイプの摩崖仏は、境内周縁に位置することで聖域を外部に示すモニュメント(指標)となり、場の中心を志向する石窟や中心堂舎とは異なる役割を持ったと考えられる。」(藤岡氏、2021年、p.25-26)

露岩がただそこにあるだけでは、聖地であることを示しきれなかった、だから仏を彫ってわかりやすく聖度を高めたということです。

窪さんが提唱された、自然石の聖性をさらに強調・見える化した「荘厳(しょうごん)磨崖仏」の考えかたに通じます。


民話・伝説に登場する岩や石には、「石を撫でる」「石が泣き出す」「石がしゃべる」など、石が人間のように動く話が時折みられます。

これは中近世の遊行者・座頭・巫女たちが全国各地を練り歩き、宗教知識を持たない庶民にわかりやすく伝えるため、地元に存在する岩石を人間の身体技法にたとえて物語化したという説があります(石上堅氏『石の伝説』雪華社、1963年)。


いわば、岩石を「荘厳」する方法には、言葉(民話・伝説・物語)で明確化していくアプローチと、彫刻・加工で明確化していくアプローチがあったということになります。


イベント翌日に、窪さんと川田達也さんから鹿児島の摩崖仏などを案内いただきました。

そのときおっしゃられていたのが、彫りにくい場所や足場の悪い場所に彫刻がみられるということです。

それを一言で言えば、厳しいことにあえて向かっていく彫刻者のパッションということになりますが、この記事の今までの話を踏まえれば、これも"難しい存在を超克していくことで、わかりやすくしていく"という荘厳の一種なのではないでしょうか。
(その彫刻が、必ずしも彫刻者以外にわかりやすいかどうかは置いておき)


自然石そのものには、人の意思が介在しないわけですから、その視覚的性質はすべてにおいて、掴みづらい、不安定な存在だったと言えるでしょう。

その"混沌"をそのまま受け止めて信仰対象とした自然石信仰と、"混沌"の不安定さを解決したく、意味を一意にするために彫刻を施した石造物信仰に反応が分かれたということで、今回の問いをまとめられそうです。


これはヒトが持つ、未知のものを解明したい、謎のものを明らかにしたい、という根源的な知的好奇心がなした業です。その知的好奇心が、岩石の荘厳、岩石の聖化につながっていく可能性を感じました。

岩石に神聖さを感じ、彫刻や祭祀をして一手間をかけたい人の心の動きは、信仰者にとっての謎解き行為なのかもしれませんね。


2022年6月12日

日本の岩石信仰と海外の岩石信仰の違いとは?

6月6日(月)放送のテレビ番組「ニッポン視察団」に、岩石信仰の関連でコメント出演しました。

最新!外国人が選ぶ「鎌倉・江の島の名所名物ベスト20」3時間SP
https://www.tv-asahi.co.jp/shisatsudan/backnumber/2022/0111/


19位の葛原岡神社にある「縁結び石」の特集に関して、岩石信仰の簡易な解説をいたしました。

岩石信仰のイメージ画像も4か所流れました。

  1. 二見興玉神社の夫婦岩(三重県伊勢市)
  2. 玉比咩神社の玉石(岡山県玉野市)
  3. 岩崎山の五枚岩(愛知県小牧市)
  4. 雁峯山の石座石(愛知県新城市)


これらの写真も私の提供です。

実際は13枚送って、ディレクターさんにチョイスしていただきました。

13枚の岩石は大小さまざま特徴もさまざまでしたが、どれをザ・岩石信仰と感じたかという思考過程自体を興味深く感じました。


さて、葛原岡神社には「魔去る石」という岩石祭祀もあります。

http://www.kuzuharaoka.jp/institution.html(葛原岡神社公式ホームページ)


神社公式によると、縁結び石については平成22年に神を迎えて祭祀したとのことで、現代の岩石信仰の一例と見て良いと思います。


ただ、番組の趣旨としては、そういった歴史的な起源に関するものではありませんでした。

外国人観光客がこれらの岩石を見て、自然の石をまつるとはユニークだと感じていることに対して、外国と日本との対比で専門家としてコメントできないかということでした。


依頼を受けた当初お答えしたのは、私は日本国内の岩石信仰を主としているため、海外のことを悉皆的に把握していないという頼りない返答でした。


断定できないことが多いので、「かもしれない」「わからない」といった、ぼやけた回答になる。

あと、話が長くなる。
(これは、私の性分ですね)

つくづく、メディアで使いにくいコメントしかできない私を使ってくださり恐縮でした。


放送されたコメントは数秒間ですが、実際は40分ほど話しました。

一つ目は、日本の岩石信仰についてのコメント。

「少なくとも、国内最古級の文献の『古事記』『日本書紀』には、岩や石を聖なるものとして崇めていたことが記されています。」

そのあと、古墳時代より前についてどこまで遡れるかには諸説あるといったくだりを長々と話しました。要領を得ないのでこれはカットで当然。


二つ目は、海外の反応についてのコメント。

「自然の石をそのまま崇めるという日本での光景に、外国人の方も珍しさやユニークさを感じたのではないでしょうか。」

この直前にカットされたセリフには、

「海外では、石を人工的に加工して、神殿や祭壇にするといった使い方が多いようですが」

という一言がありました。


番組でインタビューされた海外の方が、

「キリスト教に神様はひとりなので、日本のように自然の石に願いを込める文化は珍しい」

とのコメントをされていて、それを受けての私の返答でした。


スタジオの芸能人の方からも同様の旨の解説がありました。

私のコメントのポイントは「海外では、石を人工的に加工して、神殿や祭壇にするといった使い方が多いようですが」の「ようですが」の部分です。

断言はしませんでした。

海外にも石に願いを込める事例はあり、人工的な石だけでなく、自然の石に対しても神秘感や聖なるものとして扱った可能性が(私が寡聞にして知らないだけで)ゼロではないだろうと考えたのが理由です。


海外の方ご自身も自覚されていないかもしれませんが、たとえばヨーロッパでは宝石信仰があります。

宝石は単なる装飾品ではなく、かつて「天体の光が凝縮したもの」と信じる人々もいました。

宝石が天の上の世界(天体)とつながっていて、天上界の力を借りられるという信仰は、ギリシャ・ローマ時代よりも以前、古代バビロニアまで遡ることができるといいます。

十字軍の際、兵士がガーネットを携えたり、ナポレオンが、出征の時ダイヤモンドを携えていたのは、石に願いを込める信仰と言えます。

創造主としての神に願いをこめるのとは別で、天使の象徴としての石に願いを込め、その加護を信じるのは成り立つということです。

参考:「うごめく石 気まぐれな魔女~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その8~」


また、数々の錬金術師の残した考えでは、石には霊が宿っており、石を割り砕いて、中に入っている霊を取り出すことで、金以外の物質を金に転化することができると信じられていました。

石にこもる霊は創造主的な神そのものではなく、その神がこの地上世界の各所に姿形を変えて散りばめた"神の意思の一片"としての霊となり、これもまたキリスト教世界観のなかで成立する考えかたです。


哲学者のユングは、こういった石に霊性を認める解釈をしています。

人間を含めた動物は、創造主が創った「神の小片」ではあるが、神の意思からは独立し、自分たちの意思で動き回り、選択ができる存在だったと。

石には、意味のある石と意味のない石が混在していて、その造形や外見も時には機械的に見えるものもあればそうとも言えないものもあり、一言で言えば「混乱(カオス)」であると。

石には底知れないものを感じるということで、あくまでもユング自身の解釈ですが、石は「霊の具現」を含んでいるとみたのです。

参考:「石に語らせる~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その4~」



海外は石を人工的に利用して、日本は自然の石を信仰するというテーゼも絶対と言えるでしょうか。

どうも、そんなに明快に二分できる世界観ではなさそうです。


たしかに、海外において自然の奇岩はあれど、それを神様にしているかというとよくわかりません。

アボリジニが崇めるウルルも自然の巨大な一枚岩ですが、間違いなく岩の聖地ですが、これが神そのものかと短絡することは控えたいです。


ヨーロッパではどうでしょうか。

ポルトガルのモンサントは、巨石群に町が取り込まれているかのように存在する場所として有名です。現状ではそれは奇岩の景勝としてありますが、かつてはキリスト教以前の巨石信仰だったという俗説もあるようです。

説なので断定ではないですが、自然の石を信仰していた可能性があるなら、「海外には自然の岩石を崇める文化はない」と言えないことになります。


そもそも、番組では欧米圏内のキリスト教世界観でのインタビューに限られている様子でした。

たとえばイスラム教に目を転じれば、聖地メッカのカアバ神殿に安置された「黒石」があります。

この黒石をどのように理解するかも難しい問題で即断できませんが、絶対主とは別で、岩石を素材にした信仰は並立しうるものであることが伝わります。


さらに、アジアを視野に入れると様相は一変するでしょう。

たとえばモンゴル〜中央アジアに分布していたオイラト人の岩石信仰については、下記の論文が詳しいです。

参考:「オイラトの英雄民話、英雄叙事詩における岩石崇拝の観念(1)」


そもそも、日本の岩石信仰が日本独自かというとそうとは言えず、朝鮮半島でも日本列島の古墳時代と同時代の岩陰や岩石の祭祀遺跡が複数報告されています。

このように、アジアには自然の石に神宿るとする岩石信仰が確実に存在するので、この点を踏まえれば、「海外に自然の石をまつる信仰はない」とは言えなくなるでしょう。


ただし、小泉八雲(ラプカディオ・ハーン)は、明治時代に来日してかつて次の発言を残しました。

参考:「小泉八雲「日本の庭―抄―」~『日本の名随筆 石』を読む その7~」

「とくに日本の国は、石の形に暗示的なものが多い国だ。(略)天然物の形からくる暗示が、こんなふうに認識されている国では、おそらくそういうこともあろうと想像されるとおり、日本の国には、石に関する奇妙な信仰や迷信がじつにたくさんある。」


つまり、海外の人、特に、欧米のキリスト教世界観に根差すと、自然の岩石を神のように同一視するということは考えられなくなるようです。

先述したように、実際には海外に自然の岩石への神聖視が認められる事例があったとしても、それはあまり意識下に置かれることはなく、いざ日本で自然石信仰に出会い、珍しいものとして驚く気持ち自体は理解できるところです。

したがって、

「海外では、石を加工して神殿や祭壇を作るような場面も多いので、日本で石をそのまま崇めるのを見て、海外の方もユニークに思うのかもしれませんね。」

というニュアンスで、共感するコメントをさせていただきました。


ちなみに、葛原岡神社の「縁結び石」「魔去る石」は現在の整備状況を考慮すると、自然露出そのままの岩石というより、動かして今の位置に据えた岩石信仰と言えるでしょう。

また、岩石=神というよりも、岩石を用いて縁結びや厄除けを祈願する「祭祀施設」としての岩石ではないでしょうか。

そういう意味では、いよいよヨーロッパの宝石に対して期待する心や、巨石を使って神殿や祭祀施設を構築する機能と、そこまで変わるところはないとさえ思ってしまいます。


特定の場所における特定のインタビューという条件下で集計すれば、当然偏りもあろうと思います。

日本の中でさえ、そもそも岩石を信仰するという世界自体がそんなに知られていないのですから…。

(家族以外では、出演後に周りの人々から岩石信仰のことで声を掛けられることはありませんでした…まだまだ精進です)


2021年10月3日

石を使った祭祀儀礼には、どのような種類がありますか?


吉川さんのやっていることがやっとわかりました。地質のほうだと思っていました!


周りの人には、私の趣味が石ということは伝えています。

石が好きと伝えておくと、思ってもみなかった情報を不意にいただくこともあるからです。

しかし、それ以上の自分語りは説明しにくいので控えています。


鉱物や宝石、ときには化石に関するニュースやイベントを○○で見たよという情報をいただくことがあります。

多いのは、ブラタモリで取り上げられたときと、三重県民ということから2021年は三重県総合博物館(MieMu)の企画展「やっぱり石が好き!三重の岩石鉱物」のお知らせもたくさんいただきました。


そのいずれも、石に関心を持っていただいたことを踏まえて、大変ありがたい思いでいっぱいです。

でも、石そのものというより、石と人の関係、とりわけ岩石と祭祀の歴史にやはり真の興味があるのです。


岩石と祭祀(信仰・宗教)というワードの2つが結びつかないことが多いようで、また時には宗教くさいのも敬遠されると考え、神社やお寺でまつられている石、山の中の巨石、奇妙な形をした石とか、相手によって手を変え品を変えイメージのすり合わせをおこないます。


私自身は使わない言葉ですが、最近ではパワースポットやパワーストーンという言葉でイメージしやすくなった面もあります。磐座(いわくら)はまだ通じないですね。

それでも、これらのイメージはどちらかといえば「まつられている岩」のほうで、岩石信仰のもう半分の側面は「石でまつること」、つまり、岩石を使った祭祀儀礼にあります。

まつられている岩に対して、祭祀儀礼の道具に使われている石はさらに地味なのか、伝わりにくく、さらに、文章としてしたためられる場面もそこまで見ません。


前置きが長くなりましたが、ここでは、岩石を使ったさまざまな祭祀儀礼をパターン別に紹介しようと思います。

祭祀という行為は、人が神仏に願いを届けるために、あれこれと働きかけた行動パターンと言い換えることもできるでしょう。

その視点で岩石の祭祀を見つめてみると、岩石をそういう風に使うんだという驚きにあふれています。それはそのまま、人間の心がみんな一緒ではなくて当然だということを表しているんだと思います。

目次別に列挙しました。これ以外の祭祀儀礼のパターンも募集中です。情報をどんどんお寄せください。


岩石を置く

・祭祀対象にする (類例)沖ノ島21号遺跡(福岡県宗像市)

・鎮める・供養する (類例)水枕石(岡山県新見市)

・信仰対象が喜ぶ (類例)大瀬神社の石奉納(静岡県沼津市)

・墓標の代わりにする (類例)大興寺の子生まれ石(静岡県牧之原市) 

・聖域であることを示す (類例)稲荷山神蹟(都府京都市伏見区)

・過去の歴史を偲ぶ (類例)今宮神社の偲石(埼玉県秩父市) 


岩石を積む

・信仰対象が喜ぶ (類例)尾張富士の石上げ祭り(愛知県犬山市)

・鎮める・供養する (類例)恐山の積石(青森県むつ市)

・功徳を積む (類例)岩舟山の賽の河原(栃木県下都賀郡岩舟町)

・自分を清める (類例)富士塚(静岡県富士市)

・子宝安産祈願 (類例)滝尾神社の子種石(栃木県日光市)

・神聖なものを秘匿する (類例)貴船神社の船形石(京都府京都市左京区)


岩石を並べ立てる

・聖域であることを示す (類例)中庄八幡神社の建石(徳島県三好郡東みよし町)


岩石を敷きつめる

・聖域であることを示す (類例)一宮神社の古代祭場跡(福岡県北九州市)

・お産の場所にする (類例)梅宮大社の産砂(京都府京都市右京区)


岩石の上に座る

・座禅・読経・説法・祝詞を読む (類例)身延山の高座石(山梨県南巨摩郡身延町)

・信仰対象が憑依する (類例)賀茂別雷神社の岩上(京都府 京都市北区)

・身ごもる (類例)秀常寺の弘法大師腰掛け子授け石(埼玉県飯能市)

・病気が治る (類例)脚気石神社の脚気石(山梨県甲府市)

・子供の健康につながる (類例)佐久神社の要石(山梨県笛吹市)

・飲食・花見・相撲など集落行事を催す (類例)たいち墓(岡山県和気郡和気町)


岩石をなでる、さする

・病気が治る (類例)頭之宮四方神社のお頭さん(三重県度会郡大紀町)

・霊力を分けあたえてもらう (類例)野宮神社の神石(京都府京都市右京区)

・罪が消える (類例)石老山の文殊岩(神奈川県相模原市)

・子宝安産祈願 (類例)安産もたれ石(滋賀県高島市安曇川町)


岩石に抱きつく

・子宝安産祈願 (類例)岩角山岩角寺の懐胎石(福島県本宮市和田東屋口)


岩石を腰に挟む、巻きつける

・鎮める (類例)鎭懐石八幡宮の鎭懐石(福岡県糸島市)


岩石を動かす

・雨が降る (類例)御座石神社の雨乞石(秋田県仙北市)

・信仰対象の意思に基づいて動かす (類例)石神社の石神(愛知県岡崎市)

・岩石の祟りを鎮める (類例)弁慶石(京都府京都市中京区)

・村に持ってきて信仰対象にする (類例)国津神社の白石(奈良県奈良市)

・自分の力を誇示する (類例)藤森神社のかへし石(京都府京都市伏見区)

・吉凶を占う (類例)湯宮神社の動き岩(長野県下高井郡山ノ内町)


岩石を持ちあげる

・病気が治る (類例)今宮神社の阿呆賢さん(京都府京都市北区)

・吉凶を占う (類例)ためし持ちの石(福井県三方郡美浜町)

・自分の力を誇示する (類例)江島神社の力石(神奈川県藤沢市) 


岩石を叩く

・雨が降る (類例)龍石(富山県魚津市)

・念仏の調子をとる (類例)青龍寺の念仏石(京都府京都市東山区)

・吉凶を占う (類例)元伊勢内宮皇大神社のカネの鳴る石(京都府福知山市)


岩石を割る

・吉凶を占う (類例)破磐神社のわれ岩(兵庫県姫路市)


岩石を投げる

・祭祀場を決める (類例)三女神社の三柱石(大分県宇佐市)

・吉凶を占う (類例)石刀神社の胴体岩(愛知県一宮市)

・供養する (類例)朝比奈地区の石投げ(静岡県志太郡岡部町)

・子宝祈願 (類例)礫石(三重県飯南郡飯高町)


岩石を拾う

・奉納物に使う (類例)石取祭における町屋川の栗石(三重県桑名市)

・魔除厄除に使う (類例)水見色地区のハマゾウジ儀礼(静岡県静岡市)


岩石を持ち帰る

・子宝安産祈願 (類例)石體神社の石塔(鹿児島県霧島市)

・お守りにする (類例)笠森稲荷の赤石(静岡県磐田市)

・祭祀対象にする (類例)川上山若宮八幡神社の御石・お返り石(三重県津市)


岩石の一部を欠く

・お守りにする (類例)猫石(神奈川県三浦市)

・飲み薬にする (類例)釜壇の石(神奈川県横浜市)

・別の祭祀場に転用する (類例)劔主神社の白石(奈良県宇陀市) 

・火打石にする (類例)甑石(愛媛県松山市)


岩石にたまった水をすくう、かきまぜる、入れかえる、増減を見る

・雨が降る (類例)石船神社の大石(茨城県東茨城郡城里町)

・病気が治る (類例)いぼ石(岐阜県恵那市)

・吉凶を占う (類例)大師の硯石(奈良県山辺郡山添村)


水をかける、水に漬ける

・雨が降る (類例)猪田神社の雨石(三重県伊賀市)

・雨を止める (類例)猪田神社の晴石(三重県伊賀市)

・岩石を清める (類例)こだま石神社のこだま石(静岡県榛原郡川根本町)

・病気が治る (類例)花の窟神社手水所脇の丸石(三重県熊野市)

・信仰対象が喜ぶ (類例)母智丘神社の陰石(宮崎県都城市)

・岩石の祟りを鎮める (類例)三島神社の竜宝石(愛媛県四国中央市)


岩石の上で何かを燃やす

・吉凶を占う (類例)ナギガエシ儀礼のマスカケ石(石川県小松市)

・雨が降る (類例)笹ヶ岳のヨイッサン(三重県伊賀市)


岩石の上に登る

・修行 (類例)本宮山のめいめい岩(愛知県豊川市)


岩石の上に立つ

・足が丈夫になる (類例)晴明石(神奈川県鎌倉市)

・子供の健康につながる (類例)七日子神社の小児寿福石(山梨県山梨市)

・修行 (類例)伊吹山の行者岩(岐阜県不破郡関ヶ原町~滋賀県米原市)

・雨が降る (類例)押戸石山の押戸石(熊本県阿蘇郡南小国町)

・遥拝する (類例)拝ヶ石(熊本県熊本市)

・人を集める (類例)貝吹山の貝吹岩(京都府木津川市)


岩石から岩石の間を歩く、飛びうつる

・吉凶を占う (類例)地主神社の恋占いの石(京都府京都市東山区)

・修行 (類例)大峯山の両童子岩(奈良県吉野郡天川村)


岩石の周りを回る

・願いを叶える (類例)知恩院の瓜生石(京都府京都市東山区)


岩石をまたぐ

・子宝祈願 (類例)梅宮大社のまたげ石(京都府京都市右京区)


岩石の割れ目や岩穴をくぐる

・吉凶を占う (類例)神行堂山の巨石(宮城県本吉郡南三陸町)

・聖域であることを示す (類例)太郎坊宮の夫婦岩(滋賀県東近江市)

・禊祓となる (類例)立石寺の胎内くぐり(山形県山形市)

・健康祈願 (類例)姥宮神社の胎内くぐり(埼玉県児玉郡寄居町)

・縁結び祈願 (類例)岩角山岩角寺の胎内くぐり(福島県本宮市)

・安産祈願 (類例)筑波山の母の胎内くぐり(茨城県つくば市)


岩石のなかで死ぬ

・葬る (類例)仙ヶ岳の仙の石(三重県亀山市)


岩石に仏を刻む

・祭祀対象にする (類例)岩面大仏(岩手県西磐井郡平泉町)

・功徳を積む (類例)石山観音(三重県津市)


岩石に文字を刻む、書く

・祭祀対象にする (類例)猪子山の烏帽子岩(滋賀県東近江市)

・鎮める (類例)小夜の中山の夜泣石(静岡県掛川市)

・願いを込める (類例)車折神社の祈念神石(京都府京都市右京区)


岩石の上に物品を置く、立てかける、貼りつける

・信仰対象が喜ぶ (類例)伏見稲荷大社の御饌石(京都府京都市伏見区)

・霊力を分けあたえてもらう (類例)建鉾山の建鉾石(福島県白河市)

・奉納物を清める (類例)鮭神社の俎石(福岡県嘉麻市)

・神輿の一休み (類例)賀茂神社の休め石(群馬県桐生市)

・魔除厄除に使う (類例)送り狼石(奈良県山辺郡山添村)

・信仰対象が憑依する (類例)榛名神社の御姿岩(群馬県群馬郡榛名町)

・縁切り・縁結び祈願 (類例)縁切り・縁結び祈願石(京都府京都市東山区)

・雨が降る (類例)鍋石(静岡県浜松市)


岩石に物品を収納する

・信仰対象が喜ぶ (類例)山王神社の夫婦岩(京都府京都市右京区) 

・霊力を分けあたえてもらう (類例)岩蔵の大岩(東京都青梅市)

・鎮める・供養する (類例)恵北高椅神社の包丁塚(岐阜県中津川市) 

・経塚にする (類例)蓬莱山遺跡(和歌山県新宮市)

・祭祀対象を安置する (類例)枡形岩(奈良県山辺郡山添村)


岩石をくりぬく

・祭祀対象を安置する (類例)竪破山の堅破和光石(茨城県多賀郡十王町)


岩石を蓋代わりにする

・下に道具を納める (類例)火振遺跡(静岡県伊豆市)

・鎮める (類例)多倍神社の首岩(島根県出雲市)


穴の開いた岩石を選ぶ

・病気が治る (類例)荒滝観音堂の耳石(山口県宇部市)

・遥拝する (類例)覗き石(高知県高岡郡檮原町~愛媛県上浮穴郡久万高原町)


岩石の上に仏像や寺社を築く

・台座にする (類例)長谷寺の金剛寶磐石(奈良県桜井市初瀬)

・鎮める (類例)大甕倭文神社の宿魂石(茨城県日立市)


岩石を磨く

・鏡面を保つ (類例)金鑽神社の鏡岩(埼玉県児玉郡神川町)


岩石を真綿や和紙で包む

・神聖なものを秘匿する (類例)こだま石神社のこだま石(静岡県榛原郡川根本町)


岩石に藁の鉢巻をかける、正月飾りをする

・病気が治る (類例)オコリ石(青森県東津軽郡平内町)



2021年6月29日

巨岩・巨石の「動かない」という精神性について

 


2021年6月21日付、読売新聞和歌山県版の記事に取材コメントが掲載されました。

インターネット記事にもなっています。

奇岩・巨岩が和歌山に集中、1400万年前の巨大噴火で出現した「超巨大カルデラ」に深く関連 : 科学・IT : ニュース

和歌山の岩石について、地質的な方向と、人文学的な方向でアプローチした好記事です。

巨岩というテーマについての依頼でしたので、巨大なる岩石を包括した岩石信仰の見地からコメントしました。

紙面においてもかなりの紙幅を割いていただきありがたい限りですが、取材では約1時間話していますので、紙面で収録できなかった部分をこの記事で肉付けいたします。


まず、紙面では「『古事記』などの古文書には、道をふさぐ巨大な岩を神に祈ることで動かそうとしたり、割ろうとしたりする記述があるという」と記されていますが、取材時はソースをはっきり出していなかったので、具体的な記述を紹介していきましょう。

※以下、倉野憲司校注『古事記』(岩波書店、1963年)より

火をもちて猪に似たる大石を焼きて、轉ばし落としき。ここに追ひ下すを取る時、すなはちその石に焼き著かえて死にき。(上つ巻)
大きな石を焼いて神殺しをした記述ですが、石に「大」の表現を冠するあたり、ここに巨大な岩石に期待されている力というものが読み取れます。

この力とは、シンプルに、物理的な重さ、重量感というものです。火が加わることで神殺しの記述は完成しますが、巨石や巨岩の重さという物理的な力はそのまま神をも殺す武器になりました。
石長比売を使はさば、天つ神の御子の命は、雪零り風吹くとも、恒に石(いは)の如くに、常はに堅はに動かずまさむ。(上つ巻)
石が、常なるもの、堅きもの、動かないものとして形容された象徴的な一文だと思います。

紙面の見出しには「形や大きさ 動かぬ魅力」の字が大きく踊りますが、岩石全般の話ではなく、巨石・巨岩という「巨大なるもの」に求められた精神的な力が「動かぬ」というところにあったのでしょう。

動かぬ巨岩が動くとき、それは神殺しの結果になるというところにもつながります。

山に入りたまへば、また尾生る人に遇ひたまひき。この人巖(いはお)を押し分けて出で来たりき。ここに「汝は誰ぞ。」と問ひたまへば、「僕は國つ神、名は石押分(いはおしわく)の子と謂ふ。」(中つ巻)

岩を押し分けて出てきたという行為を持って神名がつく事例。

それはつまり、岩が巨大なるもの、動かないものという精神性を込めていたから、それを動かす力が神として当時認められるにふさわしい力の一つだったと言えます。

御杖をもちて大坂の道中の大石を打ちたまへば、その石走り避りき。故、諺に「堅石(かたしは)も酔人を避く。」といふなり。(中つ巻)

動かない存在である大石が、天皇という貴人の酩酊という一種の特殊状態で、杖を用いて大石を打つという特殊行為を重ねて、大石が走り逃げるという逆説的な物語が成立するのでしょう。

そこまで、大石は人々にとって本来動かないものということです。


紙面では「古事記など」という形で省略されましたが、コメント内容は『日本書紀』も含んだものでした。

特に、以下の二か所の記述を念頭に置いての発言です。

※以下、坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注『日本書紀』全5巻(岩波書店、1994年)より

其の野に石(いし)有り。長さ六尺、広さ三尺、厚さ一尺五寸。天皇祈ひて曰はく、「朕、土蜘蛛を滅すこと得むとならば、将に玆の石を蹶ゑむに、柏の葉の如くして挙れ」とのたまふ。因りて蹶みたまふ。則ち柏の如くして大虚に上りぬ。故、其の石を号けて、蹈石(ほみし)と曰ふ。(巻第七)

『古事記』の「堅石も酔人を避く」の話と通ずる精神性を感じる事例です。

天皇が祭祀儀礼を通して、動くはずのない大石を木の葉のごとく浮かび上がらせた。
それを、

「人間の力ではどうにもならず、時がたっても変化しない岩そのものが『超越的な存在』とみなされ、次第に信仰の対象になっていったのでは」

と語ったのですが、それを「信仰の対象」と評するのは正確ではなかったかもしれません。
というのも、

大磐(おほいは)塞りて、溝を穿すこと得ず。皇后、武内宿禰を召して、剣鏡を捧げて神祇を禱祈りまさしめて、溝を通さむことを求む。則ち当時に、雷電霹靂して、其の磐を蹴み裂きて、水を通さしむ。(巻第九)

目の前を塞ぐ巨岩を、祭祀儀礼によって打ち砕く。

このように、不動なる巨岩は時には信仰対象ではなく、邪魔なもの、忌み嫌われるものとしての一側面を持っても登場します。

「信仰の対象」は、必ずしも、崇拝の対象とはイコールではありません。

この場合は、巨大なるものという人知を超えた超越的な存在であることは信じつつも、それを崇める対象とはせず、人の営みに反逆する存在、克服すべき存在として描いたものと解釈しています。

巨岩・巨石の不動性や堅固性が、忌避性や反逆性にも通ずるという複合的な性格を表すことにもなると考えています。


2019年2月18日

磐座で有名な場所はどこですか?~磐座巨石本から決定版を決める~



"一番有名な磐座は何ですか?"
"代表的な巨石を教えてください"

今回の記事では、このご質問にお答えします。

そう思ったきっかけがあります。
代表的な磐座を紹介しているwebページを最近見たのですが、そこで第一に挙げられていたのが奈良県桜井市の與喜天満神社の鵝形石でした。

何をもって磐座の代表格とするかは意見が分かれるところでしょうが、この鵝形石はさすがに全国の磐座愛好家の異論噴出では、と要らぬ心配をしてしまいました。
(鵝形石が悪いわけではありません、あしからず)

これはおそらく、Wikipediaの「磐座」の参考画像が鵝形石だからですね(2019年2月時点)。
おそらく、Wikipediaの写真=代表格という基準で選んだのだろうと思います。

そこで、諸説分かれるこの「代表的な磐座」問題に終止符(大げさ)を打つべく、今までされたことがないアプローチで迫ってみました。

"磐座・巨石の関連本で、収録されてきた数が一番多い場所が「代表格」ではないか?"

各専門家がこぞって取り上げる磐座であれば、読者への露出も多く、認知度という意味でも文句なしなのではないか、と考えました。


磐座巨石本のエントリーはこちら

すべての関連本を調べるのは大変なので、エントリー作品を次の8つに絞りました。


1.藤本浩一氏『磐座紀行』向陽書房 1982年

まずは、磐座ガイドの最古典とも言っていい『磐座紀行』です。

昭和時代、全国の磐座を独自の情報収集で渡り歩き、紙媒体に仕上げたほぼ唯一の労作でしょう。取り上げないわけにはいかない本です。
インターネット夜明け前の「代表的な磐座」はここに収められています。


2.ムー特別編集『日本ミステリー・ゾーン・ガイド<愛蔵版>』学習研究社 1993年

オカルト雑誌『ムー』の特集本で、いわゆる超古代文明の証拠というアプローチで、日本全国の磐座・巨石が収録。

『磐座紀行』はやや専門向けの書籍なのに対し、こちらは1990年代の世論を正しく反映する「有名な巨石コレクション」と言っていいでしょう。


3.浅野勝洋さんのwebサイト「しゃこちゃんのお部屋 遺跡と神社を巡る旅」1998年~

1990年代後半になると、インターネット上で「巨石サイト」が登場します。
数ある巨石サイトの中で、黎明期から存在して網羅的なウェブサイトを一つ挙げるとするなら、私はこの「しゃこちゃんのお部屋」を推します。

私自身、高校生の時に「しゃこちゃんのお部屋」を見て、日本全国の知らない磐座や巨石をたくさん知ることができました。なかば、思い出のサイトなのです。

ネットの情報も「有名な磐座」を決めるための大事な目安になりますので、今回は同サイトをデータベースにさせていただきます。


4.須田郡司氏『日本の巨石―イワクラの世界―』パレード 2008年

ここから時代がぐっと下がって2008年。
日本の磐座巨石写真家の第一人者・須田郡司さんの著作から1冊選ばせていただきました。

須田さんの写真集の中では、日本の巨石・磐座を写したものとしては初期作に属し、表紙の三重県入道ヶ嶽の仏岩は出色の出来。
須田さんが初期作で収録したいと思った場所は、代表的な磐座群とみなしていいでしょう。



5.アスペクト編集部『巨石巡礼―見ておきたい日本の巨石22―』アスペクト 2011年

出版社のアスペクトが選定した「日本の巨石22か所」。
本書の位置付けからして、広く一般層に日本の巨石の世界を知ってほしいという意図で発売されたガイドブックだと思います。

今までと毛色が違うのは、1~4はすべて"業界人"の手によるものでしたが、アスペクト編集部は言ってしまえば"業界に染まっていない眼"ということ。
こういう視点で選ばれた「磐座代表」も参考にしたいところですね。



6.岡田謙二氏『日本のパワースポット案内 巨石巡礼50』秀和システム 2011年

岡田謙二さんのwebサイト「巨石巡礼」を書籍化した本です。モノクロ写真で統一されたその雰囲気が、巨石に独特の風合いを感じさせてくれました。

なぜか、アスペクトが出した巨石本と発行年(2011年)・タイトル(巨石巡礼)がかぶりましたが、岡田さんのサイトは2005年オープンとこちらのほうが老舗です。

「日本のパワースポット」の冠名がついているように、この時はもうパワースポット・スピリチュアルブームが席巻していました。
このあたりの世相も踏まえて、代表的な磐座の位置付けも変化してきたように思います。


7.池田清隆氏『磐座百選』出窓社 2018年

さて、2018年まで来ました。
7つ目に挙げたいのは、池田清隆さんの『磐座百選』です。
まさに本記事と重なり合う趣旨で、磐座を半生渡り歩いた池田さんが、代表的・典型的と思う磐座を100カ所選定しました。
選定基準も明記されており、同書から引用します。
  1. 各都道府県すべてに一座以上の磐座を選ぶこと。
  2. だれでも「気軽に」訪ねることができるもの。
  3. その地域の歴史や風土を色濃く伝承しているもの。
磐座が、神の領域ではなく人の生活空間の境目にある存在と考えたら、高山険所ではなく、足を運ぶことが容易な磐座を取り上げたのは磐座の本義に沿うと思います。


8.山村善太郎氏『IWAKURA 磐座―悠久の日本人のこころ―』求龍堂 2018年

最後の1冊は、山村善太郎氏の写真集『IWAKURA 磐座』をエントリーします。
本日執筆時点で最新の磐座巨石本と言ってよく、須田さんとはまた異なる視点での選定眼を取り入れたいと思います。


以上7冊1サイトの計8つで取り上げられた磐座・巨石を集計していきます。

なお、私の旧ウェブサイト「岩石祭祀学提唱地」(2001年~)と、本『岩石を信仰していた日本人』(2011年)は、公平性を期して完全除外します。


集計方法

  1. 各文献&サイトに取り上げられている磐座・巨石をリストアップしていく。
  2. ただし、目次からはじかれていて、例示やコラムなど補助的に出された程度の事例は省いた(磐座の代表格を決める趣旨のため)。
  3. 都道府県別にまとめ、この8つの中で重複して登場した磐座・巨石を「有名な磐座」として結果発表する。

集計結果をまとめたのが下の表です。リストアップ合計499ヶ所。自由に閲覧できます。

「磐座巨石本の掲載場所まとめ」(Googleスプレッドシート)

https://docs.google.com/spreadsheets/d/1urJ0yKf5YB-dwvRGluj0k6RYBFjIlbOP9Dmri44V7yw/edit?usp=sharing
中身はこんな感じです。


次に、集計しての傾向を述べたいと思います。


各文献の傾向をふりかえる


『磐座紀行』

著者の藤本氏は関西を活動圏としていたためか、東日本の掲載事例は少なく西日本に偏りがち、特に兵庫県の事例はマニアックなものも含めて多い。
また、当時は磐座=神道という固定観念も強かったと思われ、神道系の聖地が多い。
時代事情を考慮すれば、じゅうぶんすぎるほどの掲載量なのは間違いありません。

ムー『日本ミステリー・ゾーン・ガイド』

ムーなので、日本ピラミッド、超古代文明オーパーツ的な場所が多い。
しかし、一方で民俗的なスポットもカバーしており侮れません。
地域的な偏りはなく、西日本編・東日本編にバランス良く紙幅を分けています。

しゃこちゃんのお部屋

運営者の浅野さんは東北→関東をお住まいにされているので、東日本側の掲載量が多め。
関心のひとつが縄文時代にあるようなので、環状列石やストーンサークルが多く紹介されているのが特徴です。

『日本の巨石』

須田さんが沖縄に在住していたことや、御嶽との出会いで聖地の写真を撮るようになったという経歴もあり、沖縄県の事例がまず突出しています。
そして、気に入った場所はページを複数に分けて写真を掲載しています。 高知県の唐人駄馬巨石群や、佐賀県の巨石パーク(下田の石神群)。イワクラサミットin宮崎の時期と近いので宮崎の磐座・巨石なども。
また、福島県の宇宙岩や奈良県の長寿岩など"新しいイワクラ"も登場。

アスペクト『巨石巡礼』

「22か所」掲載ということで、今回挙げた8つの中では最も厳選されている書籍。
今回の集計では、本書に掲載されているかどうかが票数を大きく分けました。

岡田さんの『巨石巡礼』

アスペクト版より倍以上多い50か所を掲載。
活動圏が東日本なので、中国~九州地方の事例はやや寂しいところもあります。

『磐座百選』

先述の選定記述のとおり、各都道府県から平等に1ヶ所以上が紹介されており、分布の偏りは8つの中で最もない文献。
記紀・風土記や古典などからの選定も多いので、自然と時代が古めの社寺や遺跡が多くなっています。

『IWAKURA磐座』

リストアップして気づいたのが、全国各地の夫婦岩の収録数の多さ。
山村氏の興味関心の中心なのではないかと感じられました。


頻出磐座ランキング発表

お待たせしました。
それでは結果発表いたします。

さっそく、一番収録数が多かったNo.1の場所を発表しましょう。
前掲のスプレッドシートでフィルタリングしたスクリーンショットを掲載します。

1位は同率2ヶ所(7票) 


8つすべてに掲載されている場所は・・・ありませんでした!
主にアスペクト『巨石巡礼』のせいです(笑)。22か所選出なので。

しかし、それ以外の7つに全掲載されているというだけで、じゅうぶん「代表格」と呼べるのではないでしょうか?

それが2ヶ所。同率1位。

花の窟神社(三重県)と磐船神社(大阪府)です。



花の窟神社(三重県)

磐船神社(大阪府)

こうやって写真を載せてみて気づきましたが、私の写真では実物の空気感をこれっぽっちも表現できていません(泣)

花の窟は写真に収まりませんし、磐船も周囲の社殿や川などとの対比でその場に立たないと、この存在感は表現できません。
行かれたことがない方は、一度現場を訪れてみてください。


磐座・巨石業界の関係諸氏の皆様は、この結果を見ていかがでしょうか?
勝手ながら、私は集計してみてこの2つが最多得票数で表示された時、いろいろ個人的に好みの場所は他にあるものの、名前を見て確かにそうだよねと納得できました。
8分の7という収録数の前に、ぐうの音も出ないというのが正直な感想です。ハッキリわかって良かった。


3位も同率2ヶ所(6票)


3位も2ヶ所です。

筑波山(茨城県)と神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県)です。


神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県)


これも納得のラインナップだと、私も太鼓判を押します。
筑波山は初めての東日本事例で、事実上、東日本知名度No.1の磐座・巨石と題してOKです。

ゴトビキ岩は、1位の花の窟神社のすぐ近くで、みんな熊野の磐座・巨石に惹かれるのかなあと傾向を感じます。


5位 北海道から大分県まで9か所(5票)



三輪山周辺の磐座群の一つ(綱越神社境内)


499ヶ所のうち、5票獲得した場所は次の9か所。さすがに数が多くなってきましたね。

忍路環状列石(北海道)
縄文時代環状列石としては、秋田県の大湯環状列石をしのぐ位置となりました。確かに規模も大規模で見ごたえ感は強い遺跡です。

榛名山(群馬県)
神仏習合の雰囲気色濃い、境内一帯が奇岩怪石の山岳聖地。周辺の榛名湖にかけての巨石群を含めると、1日かけても巡りきれないボリュームの濃さも人気の理由か。

金鑚神社の鏡岩(埼玉県)
この選出は私には意外でした。有名な巨石の一つには間違いありませんが、あまり深く語られているイメージがありませんでした。鏡のようなツルツルとした岩肌を見せた奇岩です。

丸石神(山梨県)
山梨県を中心に甲信地方に700ヶ所以上分布するといわれる土着の丸石信仰の場。1個の巨石の大きさではなく、なぜ丸石を信仰したのかという謎に惹かれるのでは。

諏訪大社(長野県)
「諏訪の七石」が有名ですが、それだけではなく、諏訪大祝が即位した時に座ったといわれる石(現在不詳)、裏山の守屋山の巨石群、そしてミシャクチなどの諏訪独特の信仰など、興味関心の入口が多岐にわたっています。

三輪山(奈良県)
磐座の王道とも言える三輪山一帯の磐座群。1位になってもおかしくないと思う同好の士は多いと思いますが、私の仮説では「写真撮影禁止」というのがネック。本にしてもネットにしても、磐座の魅力を物語る画像がなければ表現するのは難しいでしょう。百聞は一見にしかず、その目で見てほしい磐座です。

厳島の弥山(広島県)
日本三景の宮島はそれだけでも一大観光地ですが、厳島神社裏山の弥山には山頂にかけて巨石群が広がります。ロープウェイでアクセスも容易。巨石群横に施設が立ってなければというのは池田清隆さんの言で同感。

下田の石神群(佐賀県)
いわゆる「巨石パーク」です。私は『風土記』の当初の名称を優先したいので、下田の石神表記にしています。巨石に対してどの態度で臨むかが試される場所になった気がします。

京石・こしき石・米神山(大分県)
ここも有名な場所の一つですが、それでもこのラインナップの中に入るとは、予想以上でした。ただ、磐座巨石本によって京石をメインにする場合と、こしき石をメインにする場合と、米神山の巨石群をメインにする場合に分かれている印象です。


代表的な磐座の決定版はこれだ


まとめます。

"磐座で有名な場所はどこですか?"

といわれたら、次の4カ所で決まりです。

1.花の窟神社(三重県熊野市)
2.磐船神社(大阪府交野市)
3.筑波山(茨城県つくば市)
4.神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県新宮市)

これまでの関連本の収録実績に基づいているので、自信をもってオススメしますよ。

Wikipediaの磐座の参考写真も、上のどれかにどなたか差し替えておいてください(笑)
(私はWikipediaの編集にタッチしていません)


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岩石信仰の種類と見分けかた~石神・磐座・磐境・奇岩・巨石の世界~


2019年2月11日

岩石信仰の種類と見分けかた~石神・磐座・磐境・奇岩・巨石の世界~


巨石・磐座の歴史的経緯を知ることが最初の一歩


石や岩の神秘性や古代の自然信仰を紹介する時の枕詞として、巨石信仰・巨石祭祀という言葉が使われて久しい。

しかし、巨石や巨岩という表現を遡っていくと、『記紀』を代表とする古典に登場しているわけではない。
大石神社や大岩神社という神社名は全国に残っているが、巨石神社や巨岩神社という名の社はない。この傾向は、地名や神名に広げても同じだろう。
ならば、大石信仰や大岩信仰という呼び方のほうが古来のありかたに沿っているが、これらの呼称はなぜかまったく一般的になっていない。

なぜ「大」ではなく「巨」が勝利したのだろうか?
岩石そのものではなく用語の細かい話ではあるが、ここに違和感をもつことから、今回の話を始めたい。


戦前の巨石文化論が21世紀の今でも下地になっている


結論から言うと、これには仕掛け人がいた。
大正時代~昭和初期、海外の巨石記念物(ストーンサークル・メンヒル・ドルメンと呼ばれるもの)が、日本国内にもあるとみなした巨石文化論者たちが一定数いて、海外の研究にならって用語が翻訳・移植されたという過去があった。

しかし、海外のそれと日本のそれは岩石という素材が共通しているだけで、必ずしも海外と国内の巨石が文化的に同一であるというわけではなかった。
これは、日本の代表的な巨石文化論者である鳥居龍蔵博士でさえ、海外と国内の巨石を同一視することは適切ではないと警告していたほどである。

しかし、この戦前の巨石文化論の影響で、現代まで私たちが使う用語が「巨石」に固定化され続けたということは、認めなければならないだろう。
※日本国内には、巨石や巨岩とは呼べないような小石にも信仰はあり、それらが関心の外に置き去りにされることが多い。


磐座という言葉も昔はそれほど使われていなかった


同じように、巨石信仰とほぼ同じ意味で磐座信仰・磐座祭祀という言葉が出回っている。

しかし、たとえば民俗学の祖といわれる柳田國男や折口信夫などの研究を紐解くと、石の信仰に関して言及はあるものの、そこに「磐座」という語はまったくといっていいほど登場せず、現代との温度差がすさまじい。

たとえば、折口信夫「石の信仰とさえの神と」が青空文庫で公開されているので、お時間があれば目を通してほしい。
石の信仰の話をしているのに、そこに「磐座・いわくら・いはくら」は一語も登場しない。他の石関連の文章も同様で、折口は「石」を統一用語として使用していたようである。

柳田國男も「石神問答」などで石神こそ名前に出すものの、磐座に対してはほぼ無視である。
念のため、これは折口や柳田が無知だったということではない。
専門家として磐座という語を知っていて、しかし石の信仰としてはあくまでも一分野を示す語であるとも理解していたから、全体を示す用語として使用していなかったということである。

それが、今は宗教的な岩や石と言えば、あれも磐座、これも磐座と名付けられている現状がある。
このように、巨石信仰と同様、磐座という言葉が独り歩きしている異常事態にも、私たちは違和感を持たないといけない。

過去に書かれた文献を渉猟するかぎり、1930年代以降、神官や神道学者を中心にして磐座をこの種の統一用語として押し出した動きが認められ、それ以降の研究に磐座の語が無批判的に用いられるようになってきた。
なお、磐座を統一用語にすることに論理上の誤りがあることは、大場磐雄「磐座・磐境等の考古学的考察」(『考古学雑誌』第32巻8号、1942年)で早くも指摘されているが、この指摘がなぜか一般化することはなかった。

おそらく、それに代わるこの種の統一的な用語がなかったからだろう。
 
宗教的な岩石をすべて磐座にまとめる風潮に対して、私は2003年から疑義を挙げているが(「岩石祭祀遺跡に関する包括的な考察」『考古館』第11号で本問題を初発表)いまだ力及ばず、この誤認が根強いままである。

2000年代に入っても、今度は磐座を「イワクラ」という表記で統一用語にする動きも始まった。
1942年に指摘された誤りに基づく磐座を、さらにリバイバルするものであり、以上の経緯をふりかえると、賛もあれば否もあってしかるべきではないだろうか。


岩石信仰をいろどる用語
~いろんな文脈が交錯して飽和状態~


もともと、祭祀や信仰に関わる言葉は巨石・磐座だけではなかった。
思いつくまま、この種の用語をざっくりとだが列挙してみよう。


■ 神道系
  • 磐座
  • 磐境
  • 石神・岩神
  • 御形・形石・像石
  • 湯津石村・湯津岩群・五百個磐石
  • 神体石
  • 石占
  • 玉 

■ 仏教・道教・民間信仰系
  • 影向石
  • 腰掛石
  • 石仏・磨崖仏
  • 岩屋・岩窟
  • 仏足石
  • 礼拝石・遥拝石
  • 石敢当
  • 庚申塔
  • 山ノ神碑
  • 板碑
  • 町石
  • 経塚
  • 盃状穴・杯状穴
  • 力石
  • 百度石 
  • 金精様
  • 道祖神・サエノカミ
  • シャグジ・シャゴジ・ミシャクチ

    ■ 後世の学問から派生したもの
    • 弄石
    • 水石
    • 神籠石
    • 石棒
    • 性石
    • 鏡石・鏡岩
    • 姿石
    • 形状石

    ■ 海外の巨石文化研究
    • 巨石記念物
    • メンヒル・立石
    • アリニュマン・列石
    • ストーンサークル・ストーンヘンジ・クロムレック・環状石籬・環状列石
    • ドルメン・支石墓
    • ツムルス
    • トリリトン
    • モノリス

      ■超古代文明系
      • イワクラ
      • 天体観測装置
      • 日本ピラミッド(太陽石・方位石・机石)
      • ペトログラフ・ペトログリフ・古代岩刻文様

      ■ニューエイジ・スピリチュアル系
      • パワーストーン 
      • パワースポット

      ※すべての用語が必ずしも岩石だけを指すものではない。ジャンル分けはざっくりとしたものであり厳密ではない。


      「神聖な岩石」を呼称する名称が、本当に色んな文脈(古典由来、海外由来、オカルト由来・・・)から生まれ、煩雑に使われてきたことがわかる。
      これらの用語の間には体系的な関連性や統一性といったものはなく、言葉によっては同じ意味を表している用語さえ見られる(影向石=磐座など)。

      このように煩雑とした用語を安易に使い続けていくことは、使い手によって解釈の揺らぎが生まれる原因になり、それは読み手や聞き手に思いもよらぬ誤解を持たれる原因にもつながる。

      たとえば、巨石記念物関係の用語は海外の巨石文化論を前提とした言葉だから、日本の事例にドルメンやストーンサークルなどの用語を用いると、巨石文化論を下地にしていると誤解されてもおかしくない。
      また、磐座という言葉を一般名詞として使う場合も、上記に書いた歴史的経緯を知らないと受け止められるだろう。
      さらに「イワクラ」の語を使用するのであれば、その前にいろいろと解決してもらわないといけない前提が多すぎる。
      これでは岩石信仰についての話を始める前に、すでに見えないハードルがあるようなものであり、議論は平行線をたどるだろう。

      このような問題意識から、私はこういった用語の批判的な分析と、岩石信仰の種類をわかりやすい形で分類化しないといけないと考え、『岩石を信仰していた日本人―石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究―』(遊タイム出版、2011年)を発表した。

      くわしい分析は本書に譲るが、ここではそのエッセンスを紹介することで、石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれてきた世界を、一歩先の新たな段階に進めたい。


      岩石信仰の種類
      ~5つのタイプに分類する~


      私は『岩石を信仰していた日本人』で、岩石祭祀の類型分類を提示した。

      いわば、岩石信仰の種類を一覧にしたもので、2011年時点で約2000例の石・岩を調べて、この石はこの性格だ、あの岩はこういう機能を持っている、と整理していったものである。
      集成データはこちらのexcelファイル(岩石祭祀事例集成表)で公開している。

      下が拙著に掲載した実際の分類である。

      『岩石を信仰していた日本人』より

      これは機能別に整理整頓したものなので、従来の神道・仏教などの宗教による用語の違いや、カテゴライズの呪縛から解き放たれたものである。

      2003年頃にこの分類の第1案ができて、以後、2000例をカウントするまで幾度かの分類の見直しがあった。時には、根底からのクラッシュアンドビルトを迫られる場面もあったが、目の前の資料が絶対であるので粛々と分類作業をやり直したこともあった。

      その作業の果てに、2011年に上記の分類が完成した。それ以後、現在2019年にいたるまで、この分類を見直す事態には出会っていない。
      つまり、新たに知った事例は山ほどあるが、すべてどれかの類型には当てはまってきた。その意味で、ある程度の信頼性を担保できる分類であると今も考えている。

      とはいえ、上記分類は専門的となりやや種類が多いので、覚えにくいところもある。
      そこで、この記事では5つのグループ(A~E)に集約して、岩石信仰の種類を簡単に説明していこう。


      A 信仰対象


      神や仏や精霊として信仰された岩石。
      岩石が信仰の中心となっている場合、このグループに入る。

      気をつけないといけないことがひとつある。
      一見、岩石が祭祀の中心(拝まれている対象)になっている場合でも、信仰しているのは岩石ではなく形而上的な別概念の存在(神話上の神、仏典の仏菩薩、故人の祖霊など)であった場合は、厳密には信仰の対象とは呼べない。

      祭祀対象=信仰対象とは限らないのである。
      祭祀している対象は目で見えるが、信仰対象は必ずしも目に見えないから、このような違いが起こる。
      あくまでも、岩石から発する要因で岩石を信仰する場合、岩石が信仰対象と言える。

      岩石信仰とは、岩石を用いて信仰した分野一般の総称として私は使っている。
      しかし、関心の中心は「人はなぜ岩石に惹かれ、信仰にまで至ったのか」にある。
      狭義の岩石信仰と呼ぶとしたら、なぜその岩石を信仰したのかという、岩石そのものに理由を求める時にあるだろう。


      とはいえ、岩石信仰が難しいのは、たとえば石仏や摩崖仏を信仰する人の心の中が、必ずしも「教義上の仏=主」「岩石=従」だったとも言い切れないところである。
      現地の村人にとって、教義上の仏という観念的な遠い世界を離れ、目の前に土着する岩石は仏と不可分でむしろ同一視されるようになり、いわゆる分霊や顕現という考え方ではなく、岩石に刻された仏はまさに「そこ」にいるものだったのかもしれない。
      この場合、信仰の淵源は岩石ありきで、岩石がむしろ別系統の信仰を取り込んだとさえ見ることもできる。すなわち、「岩石=主」「教義上の仏=従」であり、岩石が信仰対象そのものだと考えたほうが、なぜ岩石が信仰されたのかという岩石信仰の問題意識には近い。

      まとめると、信仰対象の中には、

      • 信仰対象そのものの岩石
      • 別概念の信仰対象を戴くが「岩石>別概念の信仰対象」となった岩石

      の二つが、明確な線引きが往々にして難しいものの、グラデーションとして人によって分かれている可能性が指摘できる。

      福井県大飯郡高浜町の岩神

      愛知県豊田市の岩神社

      B 媒体


      祭祀をするために、人が道具として使った岩石。
      祭りに使った石製品や装身具、聖域を囲うための列石、奉げ物を置く石、信仰対象や司祭者が座るための石など。石の鳥居や参道の石段も、祭祀のために用いられた道具(装置)と言える。

      これらの道具や装置は、人が信仰対象とコミュニケーションをとるために必要ものとして使用された。
      すなわち、人と信仰対象をつなぐ「媒体」として働いているので、一言でまとめるなら最適な概念として「媒体」の語を使用した。

      磐座や磐境も、まさに神と人をむすぶ媒体である。
      祭祀に用いられ、磐座などは神が使用する岩石なのだから、神聖な岩石には違いない。
      しかし、磐座はそれ自体が神にはならなかった。
      磐座は、神をその場にとどまらせるにふさわしい霊力をもつ岩石だったのである。
      これも一つの岩石信仰である。神そのものではない岩石信仰というかたちにも思いを巡らせてほしい。


      京都府京都市上賀茂神社の岩上。宮司が岩上に座す岩盤。

      福岡県北九州市の一宮神社にある磐境。祭祀場の領域を示す神籬施設とされる。


      C 聖跡


      岩石信仰は、祭祀の時だけ信仰されるものではない。
      祭祀が終った後、岩石がどのような扱いを受けるかにも注目したい。

      全国各地の事例を総覧すると、「神聖な痕跡」と表現できる一群を認めることができる。

      説明すると、かつてそこで神聖な行為が行われていたが、今はもう使われていない岩石で、なのに今も神聖なものだと信じられているものを意味する。

      「腰掛石」と呼ばれる一群はその代表的なものだろう。
      かつて、偉人や聖者が腰かけた(と信じられている)石である。
      腰かけただけで、石そのものはただ座られた素材のはずだが、なぜかその石に名前がつけられ、聖地化している。

      磐座と呼ばれている事例の中にも、実質上は聖跡と呼んでいいものが相当数あることに気づかないだろうか。
      磐座と呼ばれている岩石の前で、今の定期的に神を招く祭祀がなされている場所は、意外と少ない。「元・磐座」「磐座跡」を、今も現役稼働中の磐座もひとくくりにして「磐座」と総称してしまっているのが現状なのである。
      実際は、今も祭祀中の磐座と、磐座としての機能を終えた岩石は、位置付けが異なる存在のはずである。


      山梨県南巨摩郡身延町の高座石。日蓮がこの石の上に座り説法をした由縁をもつ聖跡。

      愛知県一宮市の七ッ石。日本武尊が剣を研いだ石と伝承される聖跡。



      D 痕跡


      一方、祭祀終了後に神聖なものとして保存されることはなく、撤収・廃棄される岩石のグループも想定できる。
      廃棄まで含めて祭祀行為と見る考えもある。媒体と信じられた岩石が媒体でなくなった時、岩石はどのような扱いを受けるのか、そこにも心性は宿るだろう。

      また、祭祀中や祭祀後だけではなく、祭祀をする前の岩石の採取地にも思いをはせてみよう。
      聖なる石はどこから採られたのだろうか。石材としての岩石と霊石となる岩石の関係。祭祀集団の活動範囲を知る資料にもなる。

      このような生産の跡、廃棄の跡も、岩石祭祀の一連の流れを証明する痕跡として把握できるという点で、痕跡型のグループを設定した。

      群馬県前橋市の大室古墳群にある石採り山。葬送施設の石室石材を採掘した生産跡。
      三重県桑名市の町屋川。石取祭で供える「献石」を拾う河原として指定されている。



      E 祭祀に至らなかったもの


      祭祀には用いられなかったが、特別視され、大切にされてきた岩石たち。
      簡単に言えば「岩石信仰の外のグループ」ということになる。

      祭祀・信仰とは無関係の民話に登場する岩石や、風光明媚な奇岩名勝などはその一例だ。
      教訓を教えてくれる石や、鑑賞の対象としての石、記念碑やモニュメント作品としての石。
      鉱物をコレクションしている人や、宝石を大切に保管している人も、このグループに入れることができる。

      ただし、美的対象が信仰の対象に変化することも多く、美・芸術と信仰の境界線は曖昧なところがある。
      岩石信仰と岩石信仰に至らなかったものの差は紙一重とも言える。だからこれらの事例を知ることも大切である。

      和歌山県東牟婁郡串本町の橋杭岩
      福井県福井市の一乗谷朝倉氏庭園。庭園は観賞対象であるが、宗教的要素と無縁ではない。




      岩石の観察方法
      ~これから岩石に出会った時は、こうやって見分ける~


      以上、岩石信仰の種類を5つのグループに分けてみた。
      この分類は、誰でも追試・再現可能な方法であり、新しく知った事例に対しても、誰もが同じ基準で調査していけるようにしてみたつもりである。
      多くの人に活用されてこその研究と考えるからである。

      そこで、今からお伝えしたいのが「これから岩石に出会った時の見分け方法」である。

      観察・分析すべきポイントなどを前もって決めておかないと、ある事例では着目していたポイントが、別の事例では全く考慮されていないという事態が起こり、一貫性のある情報収集や分析ができなくなる。
      だからここで簡単に、岩石祭祀事例の調査手引きみたいなものを作っておこう。


      特別視されている岩石か、特別視されていない岩石かを見分ける


      最初の一歩は、出会ったその岩石が、特別視されている岩石なのか、それともそうではない「ただの石」なのかを見極めるところから始まる。

      とはいえ、つきつめれば、"あなた" がその石を見極めたいと思った時点で、その石はあなたにとってすでに特別視されていることは間違いない。
      調査者・研究者は、自らが岩石の歴史を変えてしまうという、こういう危険があることは自覚しないといけない。

      しかし今回はそういう話ではなく、"ほかのだれか"にとって特別な扱いを受けているかどうかを考えることにしよう。

      特別視の有無は、名前がつけられていたり、柵や台などの付属設備があれば簡単である。そのような付加行為をすること自体が特別視と言えるからだ。

      目に見える付加行為がない場合は、難しい時がある。
      内面の特別視をどう認定するかは、人に聞かないとわからないからである。
      その石の周辺で仮に100人に聞き取りをして、100人全員がその石のことを気にも止めていない答えを返したからと言って、聞き取りをしていない誰かが内面で特別視しているかもしれない。
      100人がNo.と言っても、その次に聞く1人がYes.と言えば存在するものが、特別視というものである。

      また、インタビューをしたことで「言われてみれば・・・」と、初めてそこでその石を特別視する場合がある。調査をすることで歴史を変えるのである。

      ここまで書くと、なんだか認定が難しく業の深い行為に聞こえるが、その重みを自戒としていれば、大きく間違ったことにはならないと思う。

      また、基本的には、世界で一人くらいが特別視している石は資料として挙がりにくく、そもそも問題の俎上にも乗らないだろう(私はとても関心がある存在だが)。
      つまり、簡単な調査をするぶんには枠外にいる存在なので、結果的に難しいと感じる機会は少ないはず。

      ある程度の人が特別視されている岩石は、まず目に見える付加行為があって、見分けは容易であることが多いと言って良いだろう。


      祭祀に用いられている岩石か、祭祀とは関係がない岩石かを見分ける


      さて、特別な岩石がすべて祭祀・信仰に関わるものかというと、そうではない。
      いわゆる先述した「E.祭祀に至らなかったもの」の一群が存在する。

      祭祀・信仰と関係あれば、当然、祭祀に用いられれている岩石であり、それを岩石祭祀事例と呼ぶことができる。

      では、祭祀・信仰の有無はどう見分けるか。

      祭祀・信仰の定義にも関わる深いテーマになるが、 そのあたりを割愛して簡単にまとめるなら、祭祀・信仰には神や仏と呼ばれる、信仰対象がいることが条件となる。

      信仰対象は、超自然的存在・超人間的存在・超常識的存在という表現を使って説明したい。
      自然の理を超えた存在、人間にはできない力をもった存在、常識では考えられない力をもった存在。人が信仰する対象は、多かれ少なかれ、そのような存在ではないだろうか。それを神と呼んだり仏と呼んだりしてきた。

      人を神や仏と呼ぶ場合もあるが、本心からはどうかはさておき、おおむね上の条件を備えた時に呼ぶだろう。

      単に尊敬しているという感情との違いは、霊力を認めて、それに畏れを抱いているかどうかの有無で判断したい。
      自分にはできないし、他の人間にもできず、人類にはできないと思う力を持っている時に、霊力は認定できる。それに対して、自分に霊力を使ってくれることを願うが、一方で、怒りを買うと災厄が訪れることも危惧する。このような心の動きを信仰心と規定している。

      さて、目の前の岩石に込められた人々の思いに、そのような信仰対象の存在が含まれているか。
      そこが見分けポイントだろう。


      神聖視されている岩石か、神聖視とまでは言えない岩石かを見分ける


      祭祀に用いられた岩石は、すべて神聖な岩石と言えるだろうか?
      祭祀に使うわけだから、いずれも欠けてはいけない、大切な岩石であることに異論の余地はない。

      神聖な岩石と呼ぶからには、その岩石には聖性が宿っていないといけない。
      それは先述した、超自然的・超人間的・超常識的な性格である。

      岩石を、祭祀をするための実用的な素材として石材のように用いたなら、上記の性格は認められず、祭祀事例ではあるけれども神聖な岩石とは呼べないだろう。

      たとえば、お供え物を盛った石皿や、火焚き祭祀の時に使った炉の石材、境内の石の橋や石段は、メインはあくまでも供え物、火を灯すこと、川を渡ること、上へ登ることであり、石はそのために用意された実用的な素材と言える。
      私はそれらを「BE.祭祀遂行上必要な部品・利器・石材」として一括している。

      そのような実用的な機能が第一義に来るのではなく、別に岩石でなくてもいいのに岩石が用いられる祭祀が第一義となった時、実用から離れた「聖性」というものが認められるのではないか。


      信仰しているものは岩石そのものか、岩石とは別の概念かを見分ける


      いよいよ最終段階の見分けである。
      神聖な岩石は、すべて信仰対象かというとそうではない。
      それは先述した「A.信仰対象」と「B.媒体」の二つの違いである。

      見分け方は、祭祀の構図をよくイメージしてほしい。
      祭祀に必要な要素は、

      • 信仰をする人(信仰者)
      • 信仰をされる対象(信仰対象)
      • 信仰者と信仰対象をつなぐもの(媒体)

      この三者である。
      前二者は絶対不可欠要件であり、最後者は信仰者しだいでは不必要な場合もある(媒体など必要ではない人もいるだろう)。
      ただ、ほとんどの場合は、祭祀に媒体は登場する。媒体がないと、信仰者は願いが届いているのか心配になるし、信仰対象も何かしらの形で信仰者に結果を返さないと伝わらないからである。また、それを第三者にしらしめたい時にも媒体は有効な存在である。

      さて、目の前の岩石は、信仰されている対象として語られているか、信仰対象は別にいて、岩石は人と信仰対象の間を取り持つものとして機能しているかで、結論は出されるだろう。
      信仰対象と祭祀対象の違いを先述した時にも触れたが、祭祀の中心として磐座が鎮座していた場合も、信仰しているのは磐座ではなく別概念の存在(神話上の神、仏典の仏菩薩、故人の祖霊など)ということもあるので注意したい。

      最後にもう一つの注意点に触れると、昔から現在までその事例がずっと同じ性格だったという保証はない。
      時代・時期ごとで、人々がその岩石に与えていた役割や認識というのは異なる可能性がある。さらには同時期だったとしても、人によって、所属集団によって、岩石への認識には差異やグラデーションがあった可能性も考えておきたい。

      したがって、その岩石がどのような性格であったかについては、時期ごと、人単位でどうだったかを、追究できるかぎり細かく触れてあげてほしい。掬い出されなかった歴史は消えてしまうからである。

      最後に


      私が岩石信仰の分類を提示した理由は、拙著で記したので再掲したい。

      今後、考古学において祭祀遺跡が見つかった場合や、過去に神聖視の対象だったと推測されるものの、すでに記録が途絶えている岩石に出会った場合、この分類を活用することで少しでも現実性のある歴史の復元に寄与できればと願っている。

      この分野を研究して約20年になろうとしているが、その間に多くの岩石に出会い、そして多くの関連本や研究を見聞きしてきた。
      その多くが、さまざまな岩石信仰の差異を見過ごして、「巨石信仰」や「磐座」の一言でまとめようとしてきた。そのたびに、当時の人々や信仰の当事者に対して心を痛めてきた。

      せめて岩石に出会った時、岩石信仰には少なくとも5つの種類に大別され、いずれなのかを考えることで、その多様性に思いを巡らせるきっかけとしてほしい。

      この分類に当てはまらない岩石祭祀事例を見かけた方は、ぜひお教えください。