2017年6月30日金曜日

石に語らせる~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その4~

心理学者のC・G・ユングには「私の石」があった。

遊び場のほら穴の前に坂道があり、そこに埋まる1個の石をそう呼んでいた。
ユングはしばしばこの石に腰かけ、考えごとをすることが多かった。

――私の石の上に坐ると、奇妙にも安心し、気持が鎮まった。ともかく、そうすると私のあらゆる疑念が晴れたのである。自分が石だと考えた時はいつでも、葛藤は止んだ。"石は不確かさも、意志を伝えようという強い衝動も持っていず、しかも数千年にわたって永久にまったく同じものである"が、"一方私はといえば、すばやく燃え上り、その後急速に消え失せていく炎のように、突然あらゆる種類の情動をどっと爆発させるつかのまの現われにすぎない"のだった。私が私の情動の総体であるにすぎないのに対し、私の中に存する他人は、永久・不滅の石だったのである

ユングは、キリスト教的価値観に基づいた上で、石を次のように考えた。

人間を含めた動物は、創造主が創った「神の小片」ではあるが、神の意思からは独立し、自分たちの意思で動き回り、選択ができる存在になっていた。

それに対して、植物は同じく神の小片であるが、動物と違って場所を動くことはなく一つどころにとどまるため、それはすなわち神が意図する「神の世界」の美しさや思想を表現する装飾物のようなものであった。

では、石もそうかというと、そうではない。
石には、意味のある石と意味のない石が混在している。その造形や外見も時には機械的に見えるものもあればそうとも言えないものもあり、一言で言えば「混乱」している。

石には底知れないものを感じる。
それをユングは「神性」と評し、石は「霊の具現」を含んでいるとみた。

人はつかのまの存在で、石は永久不滅の存在である。
そんな相反する存在同士が惹かれあう理由は、生きている存在と死んでいる存在のいずれにも神性があるからだとユングは考えた。

ユングは、人が生きていて、石が死んでいるとみなしたようだが、私はそこまでシンプルな構図でもない気がする。
人は必ず死を迎えるのだから、人は死の性質を持つ存在であり、石は人が死んだ後も居続けられるから、それを生の性質と表現することもできる。

そうすると、人と石は、ともに「生と死の両方の性質を備えた存在」と汎化することができる。
そこに、ユング自身が石と類似していると感じさせる要素があったのかもしれない。


ところで、ユングは、中世ヨーロッパで流行していた錬金術も、石に神性を認めた一つの例と捉えていた。

数々の錬金術師の残した考えでは、石には霊が宿っており、石を割り砕いて、中に入っている霊を取り出すことで、金以外の物質を金に転化することができると信じていた。
このことからわかるように、霊は創造主的な神そのものではなく、その神がこの地上世界の各所に姿形を変えて散りばめた"神の意思の一片"としての霊である。
本地垂迹的な考え方にも似ているかもしれない。

石に、他の物質を救済できる霊が住まうと信じられていた論理は何か。

ユングによれば、それは石自体が固い物質であることに基づくと理解した。
石の中に霊が入っているということは、霊とは、石という固いものを貫く存在なのだから、他のあらゆる物体の中にも浸透し、その物質の性質を神聖化(=錬金化)できるのではないか、錬金術師はそう考えたのではないかと説明する。


ユングは、極めて石に対する愛しかたが"介入的"だったと私は感じる。

石を見て受動的に何かを感じるというより、石に対して自分から何かしらの働きかけをしないと気がすまなかったのだろうと察する。

たとえば、ユングは48歳の時に石で塔の家を建てている。
その理由を次のように述べている。

――私は自分の内奥の想いとか、私のえた知識を、石に何らかの表現をしなければならない、いいかえれば、石に信仰告白をしなければならなくなっていた。

さらに、ユングは75歳の時、その塔の家の庭に石碑をつくりたいという衝動にかられた。
三角石を注文したが、手違いによるものか、なぜか四角の石塊が運ばれてきたという。
しかし、ユングはその石塊を見てこう言う。

―― 一目みただけで、それは私に全くぴったりしたものであり、その石で何かしたいと思った

石の表面に目のようなものが見えたので、実際にユングは目を刻み、周りに小人の像を彫り、石自身の言葉としてユングが創った詩文を刻んだ。
彫刻を自ら行うため、ユングは実際に石工の組合に入り、石工の服装をして、喜んでノミをふるったという。

ユングの、石に対する付き合い方の根っこの部分が明らかとなるエピソードである。
「石に語らせよう」とユングは思ってのことだったが、その行動の発露は人によって千差万別。

"石ぐるい"の形もさまざま。

待っていても、もどかしい石の"静"に対して、ユングは人間として積極的に"動"の愛しかたを石へ表しにいったと言える。

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