2020年5月10日日曜日

太郎坊宮と瓦屋寺とその周辺の岩石信仰(滋賀県東近江市)



瓦屋寺山/箕作山(375m)、赤神山/太郎坊山(357m)、小脇山(373m)、岩戸山(325m)といった、複数の峰から構成される一大山塊は、旧行政区分で言う八日市地域のランドマークと言える存在だ。

瓦屋寺山には瓦屋寺(瓦屋禅寺)、赤神山には太郎坊宮阿賀神社、岩戸山には岩戸山十三仏というように、各峰が信仰の聖地として今に残っており、その表現物として岩石があった。

赤神山(太郎坊山)


瓦屋寺境内の岩石祭祀事例と祭祀遺跡


瓦屋寺山は、聖徳太子がこの山の麓で土を採って大阪四天王寺の瓦に用いた伝説地だ。
四天王寺建立の力となったこの山に太子は寺院を建立した。それが現在山腹に存在する瓦屋寺(瓦屋禅寺)である。

現に、瓦屋寺山山麓には白鳳期の窯跡遺跡があり、寺の境内からも白鳳期の瓦が見つかっている。聖徳太子の頃まで遡るわけではないが、7世紀後半には寺院があったことは確かと言える。

さらにそれ以前の歴史的痕跡として、古墳時代の土器類が出土した瓦屋寺御坊遺跡がある。
丸山竜平氏「蒲生野の古代信仰」(八日市市編さん委員会編 『八日市市 第1巻 古代』 八日市市役所、1983年)によれば、瓦屋寺本堂のやや南に「大きな岩脈という感じの階段状の巨岩(湖東流紋岩)」があり、そこが遺跡地に当たる。
巨岩の頂部に「坐禅石」と標柱の立てられた石があり、山頂側からの高さ3.4m、根元の幅6mほどを測る。また、坐禅石のすぐ南に南北4.5m、東西5mの上面平らな「祭壇状といってよい岩」がある。
その南は5~6mの崖になっていて下には車道が通る。車道の直上に「そそり立つ岩」があり、その岩の根元から6世紀の須恵器片・土師器片・玉砥石・蛇頭装飾付須恵器が出土した。
また、「祭壇状といってよい岩」の傍からは柱穴のようなものも発見されていたというがこれについては詳細不明の遺構と評価を下されている。

丸山氏の推測では、「坐禅石」を祭祀対象として手前の「祭壇状といってよい岩」で祭祀を行ない、その遺物は崖直下の「そそり立つ岩」の根元に落ちて引っかかったのではないかと考えられている遺跡である。

以上の記述から、瓦屋寺御坊遺跡は古墳時代の岩石祭祀の様子が垣間見える貴重な資料である。
この瓦屋寺御坊遺跡を訪れるため、「坐禅石」を探せばいいと考え現地で標柱を探したが、2回再訪したものの見つからなかった。寺院の方に聞けば知っていると思うが、2回とも境内におらず本堂で読経中だったため遠慮した。

踏査中に見かけた露岩1

踏査中に見かけた露岩2

「八日市市森林計画図9-1」を参照すると、御坊遺跡の位置は、現地でも確かに岩脈が露出したかのような巨大な岩崖がある場所に該当する。崖の下は車道の終点とあるので、坐禅石は遺跡地から西の崖の上と推測される。

瓦屋寺境内の岩崖
岩崖上部

この岩崖の上も探訪済みで、頂上部には名前の付いた岩石があるものの、それは「坐禅石」ではなく「猛虎石」の標柱が立てられていた。ほかに、崖下の境内には「般若石」という名の石も存在する。
いずれも坐禅石とは違うようである。

猛虎石

般若石

瓦屋寺山には50基を越える古墳時代後期の古墳群(いずれも円墳)が確認されており、瓦屋寺御坊遺跡の岩石祭祀との「祭祀空間の使い分け」「葬と祭の別」も気になる。
批判的に見るならば、瓦屋寺御坊遺跡から見つかった蛇頭装飾付須恵器は古墳の副葬品として主に見つかるものであり、瓦屋寺御坊遺跡の祭祀遺物とされるものは古墳の副葬品であり岩石祭祀の祭祀道具ではなかったとも解釈できたり、古墳の副葬品を後世に岩石祭祀の道具に再利用したなどといった可能性も指摘できるだろう。

松尾神社の石庭と社殿裏の巨岩


瓦屋寺山の東麓には松尾神社が鎮座する。

松尾神社には安土桃山時代製作と考えられる大規模な庭園が残り、大小の自然石を立て、または組み合わせている。庭園と言いながら多分に宗教性を含んだものであり、「美しさ」と「神聖さ」の境界線を考えるべき事例である。

松尾神社庭園

原状をどの程度とどめているかは不明(立石の復元・再配置など)

さらに本殿裏には、滑らかな岩肌の巨岩が屏風の如く横たわり、注連縄が巻かれまつられている。

松尾神社本殿(写真左)と社叢に埋もれる巨岩(写真中央奥)

本殿裏の巨岩

詳しい沿革は不詳ながら、庭園も本来は神社に付属するものではなかったという説が有力で、そうすると本巨岩も現在の松尾神社との配置関係に拠らず捉え直さなければならないだろう。

牛尾神社の神武天皇遥拝所


牛尾神社境内には、自然石に注連縄を巻いた場所があり、ここを神武天皇遥拝所と呼ぶ。
元から神武天皇遥拝のために祭祀が始まった場所か、後世に名称や信仰的性格が変容した場なのか、批判的に検討する必要がある。
牛尾神社から西へほぼ直線上に瓦屋寺御坊遺跡が位置するという。

神武天皇遥拝所

太郎坊宮と岩石信仰


南麓から箕作山一帯の山塊を仰いだ時、ひときわ岩肌が剥き出しになっていて三角形状の山容が目立つ峰がある。これを赤神山、または太郎坊山と呼ぶ。


通称「太郎坊宮」の名で近在に知られ、その正式名称は太郎坊阿賀神社と号する。
天忍穂耳命を祭神とするが、現在の神社祭祀となったのは江戸中期の頃といわれ、元来は山岳仏教の地だった。

いわれでは、最澄が山中に成願寺を創建したといい、以後、太郎坊山は天台宗派として山岳仏教の霊場として成長したという。
山中に織り成す岩肌が格好の修行場となったことは容易に想像され、中世には修験道の霊場となり、山に宿る天狗を太郎坊と呼んで信仰しだした。
その後、18世紀中頃に小脇郷五ヶ村の村人が太郎坊を氏神とみなし、成願寺と山の管理をめぐって訴訟を起こし、結果、以後は村人側が神職を置き現在の阿賀神社の形につながったと記録にある。

表参道を登ると、途中に「不上石(ふじょうせき)」を見かける。
元々は石段に組み込まれていた石だそうで、魚や鳥の肉を食べた人はこの石より上には登ってはならない(この石の下から遥拝する)という戒めがあった。典型的な結界石・境界石の事例だ。

不上石(柵内)

積雪でよくわからない

同じく参道途中に「源義経 腰掛石」も存在する。太郎坊を訪れた源義経が源氏再興を祈ったと伝えられる腰掛石事例。

源義経 腰掛石

源義経の腰掛石の奥に「夫婦岩」と呼ばれる2体の巨岩(男岩・女岩)があり、これは太郎坊宮の信仰の代名詞的存在となっている。

夫婦岩

夫婦岩の亀裂

元は1体の巨岩が亀裂で2つに分かれたものと思われ、2体の巨岩の間には亀裂によって狭い道が形成されている。別称「近江高天原」。
神々が神通力で岩に亀裂を入れたといわれ、そのことから、悪人が通ると神々により2つの岩に挟まれると信じられている。

このように、境内のあらゆる岩肌や巨岩は祭祀と信仰の霊地となっている。赤神山頂上も岩山の峰をなす。





玉石は「あなたの願いや夢見ている事を玉石に書いてご奉納下さい」とのこと。
信仰者の思いを信仰対象に「転送」「送り届け」する道具として岩石が使われている。
これは太郎坊宮の代表格である巨岩信仰では括れない岩石祭祀であり、巨石という概念に隠れ気味な例である。


岩戸山十三仏


箕作山山塊の最西端にそびえるピーク。
聖徳太子がこの山に金色に光る岩を見て、自らの爪で十三体の仏を刻んだといわれるのが岩戸山十三仏である。
山頂一帯は山名のとおり巨岩が露出しており、現在でも近在の人々により種々の祭祀が行なわれていると聞くが、岩戸山は未訪である。

太郎坊宮から望む岩戸山

船岡山と紅滓山の岩石祭祀事例


箕作山の南西方向の裾にはなだらかな低丘陵が伸びていて、そこに船岡山(152m)という低丘陵がある。
近江鉄道市辺駅のすぐ北に位置し、「万葉の森 船岡山」として整備されている。

船岡山は、大海人皇子と額田王の有名な和歌「茜さす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖ふる」「紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに われ恋ひめやも」を歌った「蒲生野」の舞台に比定されている。

船岡山阿賀神社は、境内に柱状の岩が3~4体群集屹立している。岩群の前には小さな祠と鳥居を敷設している。

船岡山阿賀神社

阿賀神社背後の丘陵地にも自然露出の巨岩が散在しており、一部、巨岩の上に石燈籠が立てられているものもあれば、公園整備のために万葉歌碑の銘板が埋め込まれてしまった巨岩も見られる。
自然石信仰という観点での貴重な文化財の可能性がある場所だが、そのような側面がまだ考慮されていない時代の「公園整備」と言えるかもしれない。

銘板が埋め込まれた船岡山の露岩

この銘板巨岩のポイントからさらに細長い尾根を北へ進んでいくと、大きな岩に囲まれて社祠が建つ。祠の周りを磐境状に岩石群が取り囲んでいるような景観を見せる。祠を作る時に、意図的に周りに岩をどけた感もあるが実際のところはわからない。



最後に、船岡山と箕作山山塊との中間地点に紅滓山(175m)がある。周辺の平地からぽっこりと突き出ていて、綺麗な円錐形の山容を見せる。
山中未訪のままだが、紅滓山の頂上にも大小の岩が露出していて現在もまつられているらしい。

太郎坊宮から見下ろした紅滓山(写真中央)


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