インタビュー掲載(2024.2.7)

2017年7月23日日曜日

石をうたう~徳井いつこ『ミステリーストーン』を読む その5~

宮沢賢治は、小学生のころ「石っこ賢さん」と呼ばれていた。

出身地である岩手県の山々に毎週末出かけては、岩石・鉱物・化石などを採集し、それを自分の部屋に持って帰り、コレクションすることに熱を上げていた。

賢治は、単に石だけ集めて満足する人物ではなかった。

岩石だけでなく、それを作り出す成因や、その土壌でもある地質にも広く好奇心を抱き、それが高じて盛岡高等農林学校(岩手大学の前身)では地学を専攻した。

学生時代には、役場から地質図の作成の依頼を受けることもあるほどで、実質に賢治名義の地質図が現存している。
「土壌学、岩石学では並ぶ者のない逸材」と、教授陣からの評価も極めて高かった。

――「いままで勉強してきた岩石鉱物類をこれからも扱いたいと思うけれど、どうもこれらの仕事はみんな山師的であるので最初の職業にするのは気がすすまない」(賢治が父親に当てた当時の手紙より)

宝石研磨商になることを考えた時期もあるようだが、このような苦悩の果てに、賢治は農学校の教諭となり、その後、作家として花開くようになる。

宮沢賢治のパブリックイメージは、岩石と一見結びつかないように見えて、彼の作品の中には、石から着想されたモチーフを見出すことができるという。

――「銀河鉄道の夜」には、黒曜石でできた路線図や、水晶の砂、サファイアとトパーズの珠がくるくる回る観測所など多彩な石が登場する。

――貝オパールを描いた「貝の火」、ダイヤモンドをはじめ色とりどりの鉱物の雨が降る「十力の金剛石」 、ベゴという名前の溶岩餅を主人公にした「気のいい火山弾」、鉱物採集を描いた「台川」、オパールを探しにでかける「楢ノ木大学士の野宿」・・・・・・。賢治がつむぎだす世界では、石は人間のように自らの生涯を回想し、怒り、笑い、病気にもなる。

これらは小説という舞台を借りた、賢治自身の石の哲学であり、人が石を云々する心の発露の一事例と捉えることもできる。

江戸時代に、遊行聖が庶民に、石を人間のように行動させたり、聖人の仏法加護の素材として物語をつけていったと仏教民俗学者の五来重が『石の宗教』で述べていたことを思い出した。

宗教者が石を取り扱う時の心の動きと、賢治の作品作りには相通ずるものを感じるのである。

賢治は最晩年、体調を崩しながらも、砕石工場の技師として働いた。その時の気持ちを推し量ることは難しそうだ。

――作家D・H・ロレンスは書いている。「大地の外につき出た大理石の巨大なかたまりや荒野の原始的風景。(中略)人間たちがどうして石を熱愛するのか手にとるようにわかる。それは石ではないのだ。それは人類以前の時代の強大な大地の神秘的な力の顕現である。」

2017年7月20日木曜日

出雲神社(京都府亀岡市)


京都府亀岡市本梅町井出

出雲神社

出雲神社

境内に巨岩があり、現在の社殿が建てられる前から、「出雲大明神」を称する祠が巨岩の傍らにあったと社伝にある。
神社鎮座以前からのまつり場とされるが、詳細は不明。

西山(数掛山)の南東山裾に鎮座。
西山の山中にも数多の巨岩群が存在するというが、全容が公にされたことを見聞きしたことはない。

出雲神社
西山

廣峯神社(京都府亀岡市)


京都府亀岡市本梅町中野

かつて牛頭天王と称していたが、明治時代に廣峯神社に名を改め、祭神も須佐男之命とする。

正嘉元年(1259年)の棟札が残る。

現社殿の向かって右の道を100m進むと、元宮と呼ばれる場所がある。

廣峯神社

廣峯神社

廣峯神社

元宮は、岩坐と呼ばれる。

小型の石窟・岩屋・石室とでも言うべき人為構造物で、内部に小祠と諸々の奉献物を供える。

周囲には大小の自然石が苔むしていて、一帯を包括して神域が構成されていると言えるだろう。


宮川神社(京都府亀岡市)



京都府亀岡市宮前町宮川

宮川神社

『延喜式神名帳』記載の神野神社とされる。
祭神は伊賀古夜姫命・誉田別命。

神社は神尾山の山裾にあるが、かつては神尾山の山上にあったという。

天正5年(1577年)の戦火により社殿焼失し、現社地に遷座し宮川神社に名を改めたと伝えられる。

本殿の背後崖面には巨岩が露出しており、遷座以前から祭祀場だった可能性もある。

宮川神社
社殿背後の巨岩

宮川神社
巨岩を斜面上から撮影

また、そこから北へ100mほど進んだ山道の脇に沿って、数十個の岩石が並べ置かれた列石がある。

宮川神社
列石(一部)

宮川神社
列石(一部)

神野山は金輪寺や神尾山城が築かれ山中各所に石垣などが残るため、城郭施設・寺院施設の一種の可能性もあるが、いずれの説もl確証はない。

2017年7月4日火曜日

与喜山―山の力と、山と人との距離感の変遷―

雑誌『宗教民俗研究』第26号に論文を発表しました。

日本宗教民俗学会が発行する年会誌で、2016年度分がこの6月に刊行されました。

奈良県桜井市の長谷寺に隣りあう与喜山について掘り下げた論考となります。
2002年から足掛け15年、断続的ではありますが調べ続けたフィールドワークの結果を、紙幅の限り詰め込みました。
いま書いておかないと忘れられてしまう情報を、いくつか後世に残すことができたと安堵しています。
 

2022.5.29追記

専門誌ですので、目にする機会は少ないかと思います。

日本宗教民俗学会の会則
「情報公開 一、雑誌刊行後、奥付より一年後をもって、公開は執筆者の判断とする。」
に基づき、雑誌刊行から5年以上が経過した本論文のpdfをresearchmap上に公開しました。

下記リンクから閲覧できます。

一人でも多くの方に関心を持っていただけたら著者として光栄です。