2019年1月27日日曜日

子生れ石(静岡県牧之原市)


静岡県牧之原市西萩間

「子生れ石」「子生まれ石」「子生石」などの表記の揺らぎがあるが、同じものを指す。

「遠州の七不思議」のひとつに挙げられる奇観。
大興寺(曹洞宗)の墓所と、その裏山を越えた御相談川の二ヶ所で見ることができる。

御相談川の崖に、丸い石がポコポコと顔を出している。

子生れ石

子生れ石

大興寺の住職が亡くなる時に、この石がこぼれおちるという。
(この石が落ちると、住職が亡くなるともいう)

寺伝によると、大興寺を開山した大徹和尚が亡くなる時に、自らの身代わりとして裏山から石が生まれると予言し、そのとおりこの川から石が生まれ落ちたので、弟子たちは大徹和尚の墓石にしたのが始まりという。

その後、代々の住職の代替わりに子生れ石が出現し、住職たちの墓石はすべてこの子生れ石が使用されているということになっている。

今も、大興寺の本堂向かって左奥に墓所があり、まゆ形ともひょうたん形とも形容される石の無縫塔(卵塔)が整列している。

子生れ石
市指定名勝「大興寺の無縫塔」

子生れ石

ある住職は死期を悟り、子生れ石が今にも落ちそうになっていることを知った。
その石を寺の小僧に無理やりあげたところ、小僧が亡くなり、住職は病状が快復したという逸話がある。

また、住職の生前の徳で、子生れ石の大きさが変わるという話も付帯している。

子生れ石は墓石になるだけではなく、 子生まれという名とその玉の形からか、子宝・安産の霊石としてもまつられるようになった。

子生れ石

子生れ石の産出地である御相談川のほとりには、このように二体の丸石が堂内にまつられている。
堂の壁にかけられた紙には、この石が子宝のご利益があり拝むべきことが書かれている。

丸石の手前には、おびただしい捧げ物とともに、小さな丸石も集積しており、芳名帳には毎日のように参拝者があること、そして祈念とお礼参りの一言が今も記され続けている。
子宝に悩む人にとっては、まさに人事を尽くして天命を待つといったところだろう。

子生れ石

こう見ると、ひさご・ひょうたん形から来る仏教の卵塔の信仰と、丸石からくる性信仰の二系統に分かれていることを認めることができるが、大元にあるのは、石の中に「たま」の存在を信じる根元的なものだろう。

これを予言した大徹和尚が、祟り石伝説として有名な那須殺生石の退治に関わる人物だったことも、石の霊性に因縁めいたものがある。

なお、子生れ石が発生する成因については、ノジュールと呼ばれる石化現象によるもので、元は小さな砂粒や礫だったものに、水を通して他の岩石成分がひっついて丸石になったものと考えられている。
詳しくは、「子生れ石」(ウェブサイト「雲根志21」内)が専門的なので参考にしていただきたい。

参考文献

  • 現地看板
  • 野本寛一『石の民俗』雄山閣 1975年
  • ムー取材班『日本ミステリー・ゾーン・ガイド<愛蔵版>』学習研究社 1993年
  • 「子生れ石」(ウェブサイト「雲根志21」内)

2019年1月20日日曜日

車折神社の祈念神石(京都府京都市)


京都府京都市右京区嵯峨朝日町

1189年に亡くなった学者、清原頼業を祀る神社。

境内に入ると、下の光景が目に止まる。

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大量の小石が、方形区画の中に累々と積み重ねられている。
この石塚は、一体何だろうか。
 
この石は祈念神石といい、元々は神社にある小石を自宅に持ち帰り、参拝者が願いを込めて家で日夜まつりつづける。
そして、願望成就の暁には、別の小石をもう1個拾ってきた上で、この祈念神石と共に神社へ奉還する。奉還された祈念神石の集まりが、この石塚である。

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今は境内から拾うのは禁止。社務所の授与品なので注意。


この石を、その辺においてある自然石と見ることもできる。
しかし、神域にある石というアドバンテージもあるだろう。
そして、参拝者が石を選ぶという選択性と、神前で祈りを込めることで石に神の霊性が分与される。
そのような霊性を帯びた石に対し、神棚において祈りを込め続けるという行為を施すことで祈願成就の霊験が信じられていく。

いくつかの「通過儀礼」を経ることで、石の聖性は自ずから高まるのである。

では、この石は信仰対象そのものだろうか?
そうとは言えない。
祈願が成就したら、この石は石塚に奉還されてその霊的機能を停止するからだ。

この石の最終的な目的は「信仰の対象」としてあるのではなく、あくまでも「祈願をかなえるための祭祀具」にある。
よってこの祈念神石は、信仰対象から恩恵を授かるために、祭祀者と信仰対象を結びつける媒体として用いられる「石製」の「祭祀具」だったと位置付けることができる。


そして、祈念神石の石塚は、祭祀後に使用済となった道具を撤収した場所だから、「祭祀跡」と言える。
「石製」「祭祀具」「祭祀跡」のキーワードは、それぞれ考古学の祭祀遺跡の分析において示唆を与えてくれるはずである。


樹木と岩石


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上の写真は何だろうか。
玉垣と注連縄で囲われた区画の中に、二本の樹が扇形に広がっている。
その根元に、1体の石が据えられており、受け手にインスピレーションを与える象徴的な光景である。


奉納 岩石


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上写真は、日東あられ株式会社が奉納した「岩石」である。
西濃建設は石の提供・運搬者と思われる。

神が喜ぶということを意図して岩石を奉納する心理について深く考え出すと、この祭祀行動の象徴性は高い。


2019年1月14日月曜日

辰巳和弘『古代をみる眼ー考古学が語る日本文化の深層ー』を読んで

辰巳和弘氏は、考古資料から古代人の心性を復元しようと活動してきた、考古学者の中では独自の視点を持つ(それは古代学と総称される)研究者です。

岩石信仰の研究では、静岡県浜松市の「天白磐座遺跡」を調査したことで知られています。

渭伊神社境内遺跡(静岡県浜松市)

辰巳氏自身も、この遺跡に出会って、考古学における祭祀研究を推し進めるきっかけとなったと書いています。

そのような辰巳氏の考え方を学ぶため、比較的最近の著書である『古代をみる眼ー考古学が語る日本文化の深層ー』 (新泉社 2015年)を読みましたので、岩石信仰研究にかかわる部分を紹介したいと思います。



祭祀は「場」を大切にするという考え

辰巳氏は、祭祀という言葉の定義を次のように定めています。

「祭祀とは、己や己が所属する集団の意志や力のみでは達成が困難と思われる事態を克服し解決するため、『人智を超越した霊威をもつ隠れたモノ』=『神』の存在を信じ、その霊威に働きかける行為をいう。それは『神の領域(存在)』を認知することである。『神の領域』と『人の領域』の接点に神が顕現し、霊威の発動があるという認識のもとで、マツリゴト(祭事・政治)にかかわるさまざまな考古資料は、はじめて意味をもつ」

神の定義については、大方の研究者が首肯できるもので異論の余地はありません。

独自的な部分は2点です。

まず、祭祀の目的を、自分では達成困難なものを克服するために祭祀をおこなうと明記していること。
祭祀にも目的はいろいろあり、真剣度のグラデーションもあったと思いますが、根本は「困ったことを解決する」というところに祭祀の動機があったとするもの。
神のせで祟りが起こることを鎮める祭祀も、確かに困ったことを解決するために、困らせている主体にお願いすることに他なりません。

現代人の「困った時の神頼み」レベルも、つきつめればこの祭祀の定義に入れられます。
ただ、宗教に期待する位置付けが変容した近現代においては、必ずしもこれが最大の目的であるかは議論の余地があるだろうとも思います。
癒しを求める、大切なものを守る、自分に箔をつけるといった、現代宗教の現状と照らし合わせると、やや文面ではズレるような印象もあり、どちらかというと古代祭祀限定での定義だと感じます。

さらにいうと、古代祭祀が絶対にこのような切実なものだけに限られていたかも、まだ断定はできない段階と思います。


2点目は、神と人には必ずそれぞれ領域があり、その間に神が現われるというという論理を用いていること。
ここまではっきり書ける研究者はなかなかいません。
神そのものだけが神聖というだけではなく、神が現われる「人の場との境」にも神聖さが要求されることを前提とするからです。

1点目も2点目も共通するのは、人が従で、神が主であるという謙虚な祭祀であること。
現代的な祭祀には、人が主で、神が従になっているものも多いのではないかと考えています。
人が主で、神が従である祭祀がすでに古代には生まれていなかったか、そこに異論の余地はまだあるのではないでしょうか。

たとえば、吉野政治氏の研究によれば、記紀を編纂した大和朝廷は、すでにアニミズム的な神々を信じていなかった節があります。
敵対する集団の神を信じないのはもちろんあったでしょうが、仮にも記紀に自然神を多く記載して表向きは神として書いているのに、その実はその神の力を信じていなかった感が指摘できます。
古代人は、すでにしたたかであった可能性を取り沙汰しても良いと思います。

吉野政治『日本鉱物文化語彙攷』(和泉書院 2018年)を読んで


「天白磐座遺跡」は水の祭祀場だったとする説

「天白磐座遺跡」はその名のとおり、磐座と目される巨岩の周囲から祭祀遺物が見つかった遺跡です。

通常なら、石の遺跡ですからまつられているのは石の神という発想になりやすいのですが、辰巳氏は水の神だと看破します。

理由としては

  • 渭伊の地名は「井」に起源があり、井伊氏の始祖伝承も「井戸」から生まれたということ。
  • 天白磐座遺跡の北~西~南は川が流れ、井伊谷の水分り(みくまり…里に水を分けて送り出す供給地)だったこと。
  • 浜名湖湖北一円には巨岩が各地に分布しているが、古墳時代に遡る祭祀遺物があるのは、水分の地に立つ天白磐座遺跡だけだったこと。
  • 各地に聖なる井泉は多く記録され、聖なる水をとおして首長霊が更新されるとみなすことができること。

最後の「首長霊」については批判の起こりそうな概念ですが、最後を除けば異論はなく、「天白磐座遺跡」が水の安定的な供給を願うところにあったことは肯けます。


そこから、磐座の神は石をまつるのが本義ではなく、水をまつるという論理になります。
石はあくまでも媒体のようなものであり、石を通して崇めていたのは水ということです。

これに対しての批判点は2つ。

  • 天白磐座遺跡が水をまつる祭祀だから、すべての磐座が水をまつる祭祀だったと言えるか。 
  • 水が神だったとまで言えるか。水は使うものであり、聖なる水も信仰対象ではなく媒体ではないか。

一例を以て、すべての磐座を水の神に帰結するのは暴論でしょう。
辰巳氏も本書で、「磐」は「不動の」「永遠の」「聖なる」の意をもつと指摘しているとおり、磐座において石の要素に神聖性を一切見出さないのは危険です。

また、水の神と結論を出したとしても、その水を生みだす「人智を超越した存在」は何だったのかまでは説明できていません。
水自体は、飲料水としても用水としても、いわば力の働きや産物、恩恵のようなものであり、信仰される本体ではありません。
水を生みだすのは水ではありません。「姿が見えない存在」に求められます。
それを姿の見える石に仮託したとしたら、石が本体で水が媒体という逆転現象も起こり得ます。


石は、祭祀において主なのか従なのか。


辰巳氏は本書においては巨岩の役割について明確に言及していません。
それはすでに辰巳氏のなかでは自明のようなものだからでしょう。

遺跡名を「磐座」と銘打つわけですから当然「磐座」と考えており、神が宿る装置(旧来の解釈でいう「依代」)とみなしているというのが自明ということなのでしょう。
 

と説明したいところですが、辰巳氏は磐座(依代)と石神(神そのもの)を同一視している向きもあります。

辰巳氏はかつて別著『聖なる水の祀りと古代王権 天白磐座遺跡』(新泉社 2006年)の中で、『風土記』に登場する石神は雨を降らせたり川に関わる伝承が付帯することなどから、石神は水神であり、磐座祭祀は水の祭祀であるという論旨を述べています。

この論理を見てもわかるとおり、辰巳氏の中では、磐座と石神の役割が一緒くたになっています。

もちろん、磐座と石神は混然としている概念とみなす立場があっても良いとは思いますが、そうであれば、かつて大場磐雄氏が石神・磐座・磐境の三つの概念を提示したことに対して、それらは同一の概念であったと明言する反駁が必要に思います。

そこがありません。

祭祀遺跡に関わる石が、すべて磐座の機能(依り憑く石)だと限らないことを考える必要があります。
辰巳氏も数々の古墳時代の祭祀遺跡を援用して「水の祭祀」を論じていますが、その中で多くの石敷遺構が取り上げられています。
これらの石もすべて「磐座」だとは辰巳氏も考えていないはずです。
石という素材は共通していても、祭祀の中での石の働きは異なっています。
ではなぜ、「天白磐座遺跡」の巨岩は「磐座」と言い切れるかの論証が必要です。

なお、私は磐座と言い切るのが恐いため、この遺跡を「渭伊神社境内遺跡」と呼ぶ立場をとっています。

辰巳氏は、「水神は石神」ではなく「石神は水神」と表現しています。石より水を主位に置いていることは明らかです。

たしかに、石の神といわれても、石自体にどのようなご利益があるのか、よく考えてみるとわからないですよね。
水は、人々の生活と密接ですから、石より水の方が大事と言えます。

さらに 「天白磐座遺跡」は、別に巨岩から水が染み出て川になっているわけではないので、一見、石と水が直接結びつくわけではありません。


しかし、先に取り上げた吉野政治氏の研究によれば、古典において石と水の関係性は深く、「砂が水辺で成長して石になる」という観念を紹介しています。

この場合、水は石を助ける媒体です。

この立場からアプローチすると、石は従の立場と言い切れるものではなく、石が水を生みだす本体であるという主のような性格さえ帯びています。

石は何だったのか、ただの目印として選ばれたのか、そこに石がなければ石でなくても良かったのかという問題は、もっと紙幅を割いていいと思います。



2019年1月7日月曜日

磐座(いわくら)はいくつあるんですか?

「磐座はいくつありますか?」

この質問を受けたことがあります。
シンプルな質問ですが、奥が深く、答えにくい。

岩石信仰の研究者として、避け続けてきたこの問題へまじめに回答します。

磐座の数に答えを出した人


「全国の磐座の数は四百座を越え、五百座に達するかもしれない」と答えたのは、『磐座紀行』(向陽書房、1982年)著者の藤本浩一氏でした。

事実、『磐座紀行』には「全国磐座一覧表」が掲載され、藤本氏が実際に確認した磐座だけを収録しています。

これがひとつの基準になることは間違いないでしょう。


2017年にはフォトグラファーの須田郡司氏が、朝日放送のTV番組「日本人と石の物語~voice of stone~」の中で同様の質問を受けて、一万以上の数があるかもしれないと思いを語りました。

『磐座紀行』から35年が経過しました。
あれから多くの磐座が情報共有され、把握できる数が増えたということでしょうか。


では、手前味噌ながら、私がまとめた『岩石を信仰していた日本人―石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究―』(遊タイム出版、2011年)では、磐座の数はどうなっているでしょうか?

86ページで明記しましたが、私の答えは「299事例」です。
※2011年当時の把握数なので、今は300を越えています。

あれ?なぜこんなに少なくなるのか??
藤本浩一氏の収録数より少ないではないか、という話ですよね。

定義によるんです。


どんな石が磐座なのか、考えないといけない


本来、どんな石が磐座と呼ばれるべきなのかはすでに先行研究があります。
別記事にしてありますのでお読みいただけると幸いです。

磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?


しかし・・・

おそらく磐座の数を質問される方は、聖なる石やまつられている石のことを磐座と総称して使っているんだろうということは、理解しています。

つまり、質問としては
「巨石信仰は何ヶ所ありますか?」
「パワースポットとか、ああいう系の石はいくつありますか?」
と同質のものだと思います。

でも巨石信仰の数も答えにくい。
なぜかというと、どこまでが巨石で、どこからが巨石じゃないかが決めにくいからです。
あの人はこの石を大きいっていうけど、私から見たら小さいなあ。
この場合、どっちでしょうか?

また、観光名勝や天然記念物の巨石も入れていいのか?
そもそも、信仰と信仰でないものの区別ってなんだ?信仰ってなんだ?

――という、深遠な問い(!)を内包する質問なのです。


質問の意図どおり答えるなら


そんな細かいことは考えなくて答えてほしいんだけど・・・と、質問者の多くのツッコミもわかっているつもりです。
研究者としての良心のようなものとして、前置きを書かせてほしかったのです。

それでは、あえて定義をふんわりさせたまま答えます。
質問者の方の意図どおり答えるなら、須田さんの答えに近くなります。

いや、須田さんを越えます。
いわゆる「聖なる石」の数なら、1万どころではない。軽く飛び越えるでしょう。

たぶん、質問の想定として、1万の中には石仏や神碑(庚申さん・山の神など)の類は入れられていないと思います。いわゆる巨石信仰や聖なる石からは、周縁に追いやられた存在になりやすいので。
力石なども、省かれやすい。
また、無数に積み重ねられた神社の奉納石や、個人宅の石など、名もなき記録もなき石がわんさかいます。

なお、1事例とは文字通り1個の石ずつカウントしていくのか、名前が付いている一固まりのグループを1事例にカウントするのかで、数は増減します。
(例)三輪山の磐座を何事例とカウントするか、沖ノ島の磐座を何事例とカウントするかで、研究者の基準が見定められます。

一つの場所で数十の石が別々にまつられていることもあるわけですから、基準しだいでは日本全国で1万では到底抑えられません。


質問者の方の意図をさらに汲み取るなら、そういう議論をカットした上で、自然の石の信仰や巨石文化的なもの(ふんわりとした概念…)がどれだけあるかということが興味の中心でしょう。

でしたら、私の集成した岩石祭祀事例は「1110事例」です(2011年データ)。
このうち、いわゆる上記の石仏・碑などの石造物がある程度含まれているので、約1千例というところにしておきましょうか。

しかし、石好きの私ですら、今でも毎日のように新しい事例に出会います。
そして、あまりにも出会うので、私はもう集計をあきらめているんです。
ということで、実際の数はもっと多いでしょう。
その中で、信仰にかかわる神聖な石だけ抜き取っていくと・・・

以上を考慮すれば、今の時点で私がお答えできるのは1000~2000というところでしょうか。

うーん、定義がふんわりしているから、答えもふんわりしていますね。
だから私の答えはメディア受けしないわけなのですが、やっぱり定義なしの会話は不毛だと思います。


磐座という名前さえついていればOKかどうか


 そもそも磐座は何個あるかと聞かれたら、「磐座」と書かれてある石だけを総当たりしていけば数は出ます。
ちなみに要注意点ですが、研究者が勝手に磐座と名付けたものはカウントしてはいけません。言ったもの勝ちですから、無限に数を水増しできます。

信仰者が「磐座」と名付けた石に限るのが本義です。「石座」「石坐」「岩倉」などの類似表記も含めてもいいでしょう。
これならシンプルです。

しかしそうすると、激減します。
私の集成表だと「磐座」「石座」「石坐」「岩倉」表記で合計71事例です。
しかもこの中に、研究者が便宜上名づけたものが混じっています。

さらに実際のところは、現存せずに記録上だけ登場する例もあると思うので、そういうのもカウントしたら100は越えそうですが、意外と「いわくら」という名前で記録されている石は少ないので、200はキツイかもしれません。

これが求められている答えでしょうか。
これもちょっと違う気がします。

磐座という名前が付いていなくても、磐座の働きをしている石の数を知りたい。
こうではないでしょうか。
つまり、「磐座」的な性格の石はいくつあるかという話に帰結するのだと思います。

では結局、磐座的性格とは何かという定義が必要になります。
だからそこから逃げるのは、文字どおり逃げです。


磐座は他の石とは何が違うのか、それを考えることが重要です


「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?」で触れたように、磐座の定義を極力シンプル、かつ、神仏にこだわらず汎用性のある説明でまとめると、

「信仰対象(神・仏)が宿る施設」

です。宿りかたは問いません。
この定義に沿った時、ハッキリお答えできるのが299事例という具体的な数字です。

これは、石神(いしがみ)や磐境(いわさか)などの同時代用語とは意味が異なることを前提にしています。
これらの用語は、日本最古級の文献(古事記・日本書紀・風土記)に記された古語であり、いずれも石の信仰に関わる言葉とされています。

細かい差を述べると、『古事記』『日本書紀』には「いわくら」「いわさか」は登場しますが「いしがみ」 は登場しません。
一方、『風土記』には「いしがみ」と「いわくら」が併存して登場し、用例は「いしがみ」のほうが多いという傾向があります。

これをどのように理解するか、少しつっこんで書きます。

従来、磐座・磐境・石神の三語はそれぞれ意味が異なる語とされてきました。
しかし、よくよく考えれば、言葉が違う=意味が異なるという証明にはなりません。
一つの事象に対して、異名があるのはよくあることです。

もちろん、同義語であるという証明もできていません。
「クラ」「サカ」「カミ」の音の違いを考慮すれば、座席と境界と神そのものの意味・用法が異なるのは自明のことなので、現状、三語は異なる概念であるという理解が最も適切だということに他なりません。

でも、本来は機能の違いを指し示す三語なので、特定の文献には載っていなかったり、文献によって用例数に差があるというのは、なんらかの有意性を認めるべきでしょう。

これ以上の議論は深入りすると長くなるので、また別の記事で触れることにします。
いずれにしてもこの話を通して伝えたかったことは、一つ一つの言葉や記述を大切に取り扱うことで、ふんわりした信仰の世界というものに「やっと」触れることができるということです。


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磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?

磐境(いわさか)とはどういう意味ですか?

2019年1月6日日曜日

松尾山の「磐座」と月読神社の月延石(京都府京都市)


京都府京都市西京区嵐山宮町

松尾大社と松尾山の概要


京都市嵐山の松尾山(標高223m)は、「分土山」「別雷山」の別称があり、松尾大社の信仰の起源となった。

社伝によると、松尾山中の大杉谷という渓谷に「磐座」「ご神跡」「ご鎮座場」など種々の呼ばれ方をされる岩盤があり、元々はそこで神をまつっていたと伝えられる。
その後、大宝元年(701年)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が山麓に松尾大社を創建したことにより、以後は山麓で祭祀を行なうようになったという。

松尾大社は秦氏の氏神社として位置付けられている。
主祭神は大山咋神(オオヤマクイノカミ)・中津島姫神(ナカツシマヒメノカミ)の二柱であり、大山咋神は松尾山の山の神に他ならない。
中津島姫神は宗像大社や厳島神社の祭神として知られる市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)と同神であるといわれており、秦氏の奉祭した氏神とされる。

秦氏が奉祭してきた海の神と、松尾山の神が一緒になった聖地が松尾大社ということになる。

松尾大社
松尾大社と松尾山


「磐座」の様子


松尾山大杉谷の「磐座」は長らく禁足地だったが、2004年頃から許可制で磐座登拝ができるようになった。
以後、松尾山の「磐座」を実見する人は増えたが、2018年夏の台風により登拝道が崩れ、松尾大社の判断により磐座登拝は再び禁じられることになった。

磐座登拝 - 廃止 | 松尾大社 - MATSUNOO TAISHA

松尾大社
2019年現在、磐座登拝道の入口には「立入禁止」の札が張られている。


私は2004年に磐座登拝が可能になる以前、松尾山群集墳の調査の一環で松尾山の磐座を見る機会があった。

現在、写真撮影は禁止ということなので当時撮影した磐座の写真は載せないが、ここでは文章だけで磐座の様子を報告する。

磐座は、山頂のすぐ下の急斜面に位置する。
磐座は巨大な自然岩盤で、一言で形容するなら屏風岩的な形状。荒々しい粒子から構成される岩肌が印象的だった。
大雑把な目測だが高さ5m以上、幅15m以上はあるのではないだろうか。

磐座の手前には、人為的な集石があった。まるで供物を捧げる場であるかのような趣きだった。いつ頃からある施設なのかは不明というしかない。

「磐座」の考察


磐座は「ご鎮座場」とも呼ばれているので、ここが松尾山の神の降り立った磐座機能を持つ岩石だったことは確かだっただろう。
しかし同時に、この磐座は「ご神跡」とも呼ばれていることに注意しないといけない。もう「跡」なのである。

この磐座は社殿創建以後、祭祀の場としての役割からは離れた。
そして近年に至るまでこの場所は立入禁止であり、この磐座に対する積極的な神事というのも影を潜めていた。

しかしこの磐座は「最初に神が降り立ち祭祀がなされた場所」として、今でも松尾大社に否応のない神聖性と歴史性を付加している。
したがって松尾山の磐座は、正確な表現を用いるならば「磐座跡」であり、今は聖跡としての効果を松尾大社に与えていると言える。
この記事のタイトルを「磐座」と括弧付けにしているのもそういう理由からである。細かい表現の差だが、今ある岩石の役割を錯覚しないためにも重要なこととご理解いただけるとうれしい。


松尾山の群集墳

松尾山の尾根沿いに、「松尾山支群」と呼ばれている古墳時代後期の群集墳が多数残っている。現在確認されている限りでおよそ50基弱である。

松尾山支群のひとつ。天井石など露出。
松尾山支群のひとつ。横穴式石室開口。
松尾山支群のひとつ。墳丘は流出しかかっている。


古墳は墓域と言えばそれまでだが、祖先の墓所である古墳が山の中に築かれていると考えれば、松尾山は「祖霊の眠る領域」として認識されていたと思われる。

松尾山支群は、6世紀の終わりから7世紀の初めにかけて集中的に築造されたと考えられている(墳丘規模・他例との比較から)。
6世紀末~7世紀初と言えば、すでに秦氏の山城(特に太秦一帯)への入植は始まっている。だから、松尾山の群集墳に葬られている人々は、秦氏に関係のある人々だった可能性が浮上する。

ただし、松尾山支群は学術調査のほとんどなされていない群集墳なので築造時期に関しては多少前後するかもしれない。秦氏入植以前に松尾の地にいた在地の人々の墓所だった可能性も否定できない。

松尾山支群の古墳の中から朝鮮半島由来の遺物など、渡来系の性格を類推させるような副葬品などが見つかったとするならば、この群集墳は秦氏が被葬者だった可能性が上がるだろう。
逆に渡来系要素の全くない群集墳だった場合は、秦氏との関係は薄いと見るべきであり、在地の人々の墓所だったという可能性が相対的に強くなる。


磐座と群集墳の関係

ここで気になるのが、磐座と群集墳の関係である。
磐座は大山咋神を祭祀した場所。群集墳は祖霊を祭祀した場所。
どちらも神霊を祭祀する場としてある。

誤解を恐れず言えば、大山咋神が祖霊より偉いのか、それともその逆なのか。
大山咋神と祖霊は別物なのか、それとも同じ存在としてみなされていたのか。

大山咋神は秦氏の氏神としてまつられているので、大山咋神は祖神とも言える。古墳の祖霊を集合化させた存在として大山咋神があるとするならば、古墳と磐座は同じ神をまつる場である。
でもそれなら、同じ神をまつる場所が2種類あると言うこと。その意味は何なのだろうか?

そもそも、磐座と古墳は併行して祭祀されていた存在なのか、磐座祭祀の後に古墳祭祀だった可能性は?あるいはその逆の可能性は?

そして、この磐座および古墳は秦氏によるものなのか、それともそれ以前から在地の人々によってなされてきたものなのか・・・

上に挙げた疑問すべてが謎と言っていい。

この「古墳祭祀と自然石祭祀の同居」という事例は、群馬県西大室丸山遺跡や奈良県石光山古墳群・京都府梅ヶ畑遺跡など他にも見られ、これをどのように理解するのかは、私にとっての大きなテーマの1つである。
古墳時代の祭祀研究テーマの1つでもある、葬祭分化・葬祭未分化論(当時の人々にとって「葬儀」と「祭り」は明確に分けられていたか渾然一体としていたかという論)に関わる話でもある。

松尾山に限って言えば、磐座は元々そこに自然のままあったもので、古墳は死者を埋めるという実利的目的も兼ねた上での人工的な施設という質的な差があるので、磐座が先行的・根源的な祭祀であり、群集墳は後出的・サテライト的な祭祀であったと個人的に思うが、根拠が付いてこない。

松尾大社社殿奥の露岩発見について

2014年のニュースとして話題になったのが、松尾大社の社殿裏の山肌から岩が露出していることが判明したことである。

松尾大社の裏山に巨岩 磐座について

松尾大社
楼門越しに眼前に入る露岩はインパクトがあり、社の雰囲気を一変させる。


松尾大社
2003年に訪れた時は樹木あるいは覆土でまったく確認できなかった。


松尾大社
拝殿前より


松尾大社
南東端より


京都新聞(2014.4.16付)の記事に辰巳和弘氏(当時、同志社大学教授)がコメントを寄せており、松尾大社の社殿を建てる時にこの露岩を選地理由にしたのではないかという見解を述べている。

それは山頂付近の「ご神跡」から続いてきた岩への神聖視によるものであり、山奥の磐座から麓の磐座のほうが祭祀が日常的にしやすいという実利的な理由も手伝ったのかもしれない。

松尾大社に関わる古記録や絵図にまったく登場しない存在であるのなら、この山裾の露岩が忘れ去られるのは相当早くからだったということになる。
他の山麓磐座の事例と比べると、山麓の磐座が忘却されるというのは珍しいのが気になるところである。


滝御前社の天狗岩

本殿裏に滝御前社という祠があり滝が流れている。
直前で拝することができるが、現地看板に「天狗岩」と名付けられた奇岩があるようだ。

松尾大社
現地看板に図示された天狗岩


このように図示されているが、天狗のような形状を判別するのはロールシャハテストの如く難しい。

松尾大社
実際の様子。私は現地肉眼で天狗の顔を見出すことをできなかった。



月読神社の月延石

松尾大社から少し南の方に行くと、松尾大社境外摂社として月読神社が鎮座する。この月読神社に「月延石」(安産石)がある。

松尾大社
月延石


その名の通り、子宝・安産に効果を発揮するとされる霊石とされるが、いつから崇敬されている岩石なのかはわからない。
2003年に初めて訪れた時は玉垣に覆われ近寄れず、単体の岩塊が安置されているだけだったが、2019年現在は 数多の白石に祈願者の氏名と願文が書かれて奉納・集積している。
わずか15年間でこれほど様相は変わるものかと思わされ、今見ている風景が原初のものと勘違いするのを戒められる。


松尾大社
月延石の本体は白石の下に半ば埋もれる一番大きな岩塊である。上と手前に置かれた小ぶりの丸石たちは後で追加されたものだろう。



参考文献


丸川義弘「松尾山の群集墳-松尾十三塚古墳群の紹介も含めて-」 『京都市埋蔵文化財研究所 研究紀要』第4号 京都市埋蔵文化財研究所、1998年

「松尾大社の裏山に巨岩 磐座信仰に関連か」(京都新聞2014年4月16日付記事。web記事はリンク切れ)

2019年1月1日火曜日

BloggerからGoogle Domainsに移行しました

2019年、このブログをどうしようかと思って、独自ドメイン化しました。

(旧)https://megalithmury.blogspot.com/

(新)https://www.megalithmury.com/

旧URLにアクセスしても新アドレスにリダイレクト(自動転送)されるので、ブックマーク変更しなくてもおそらく大丈夫です。
皆様にお手数をかける作業はないはず・・・。
(なにか問題を見つけましたらお気軽にお教えください)

これまではGoogleが提供するBloggerのドメイン「blogspot.com」を使用してきましたが、同じくGoogleが独自ドメインの提供サービス「Google Domains」を始めたので、それに乗りかかってみました。

独自ドメインは昔から検討していましたが、今回決断した決め手は次のとおり。

1.BlogeerのURLが迷走中


元々、このブログのURLは

http://megalithmury.blogspot.jp/

でした。
しかし、Googleの方針によって「.jp」ドメインを消滅し

https://megalithmury.blogspot.com/

に統一されました。
これも自動的にリダイレクトされるので特に手間はないのですが、自己都合以外でURLがコロコロ替わるのは、検索的にも損だと思っていました。
周りの事情で翻弄されたくない、URLを永久固定したいと思ったのが一つ目の理由です。

2.Bloggerの管理画面からGoogleドメインが買える

ドメイン変更は適当にやると大やけどすると思って手を付けてこなかったのですが、GoogleドメインはBloggerユーザーにとって簡単。

ブログの管理画面からドメイン購入ができて、自動的に移行作業をしてくれます。サーバーもGoogle提供なので、別に用意する必要もなく、問題ないでしょう。
Googleと心中するという決意を決めれば、あとは早かったです。

おこなった作業を簡単にかけば次のとおり。

  • Bloggerの管理画面からGoogleドメイン購入ボタンを押す。
  • 好きなドメイン名を決める。「https://www.megalithmury.com/」は1400円/年
  • 後は流れどおりに進めば、他でやるときに必要な諸々の移行作業の大半を自動的にしてくれる。
  • Googleのサービスなので、https(SSL)やドメイン情報非公開などセキュリティ・SEO系のサービスも込み。
  • 即日開通。旧URLから新URLにアクセスできるのに、5~10分待つだけ。
  • Bloggerのサービスを利用しながら、独自ドメインにたえずリダイレクトされる仕組みなので、旧URLにアクセスしてもリンク切れが発生しない。
  • 同じGoogleのサービスであるGoogle Analyticsへ行き、新ドメインでのトラッキングコードを取得し、再度Bloggerの管理画面で貼りつけ(アクセス解析)。
  • Bloggerの管理画面上で、検索エンジンのクロール対策としてrobots.txtを書き換え。
  • 同じGoogleのサービスであるGoogle Search Consoleへ行き、新URLのサイトマップを送信(サイトマップはBlogger上で自動生成済)。これもクロール対策。

2日経過してGoogleがクロールしだしましたが、エラーなく新URLのページを検出してくれているようです。

3.ドメインパワーを上げていく覚悟を決めた


昨年、Twitterをスタートして多くの刺激を受けたこともおおきいと思います。

他の方の記事を読むなどして、私も自分のドメインを大切に育てていこうと思うようになりました。
それがひいては、私が広めたいと思っている世界の貢献につながるのなら、しない理由はありません。

4.ブログをスマホ上で更新しようと思ったらドル箱ページが消えたので、いい機会だと思った


今のブログをスタートして約2年半。ちょっとずつですがアクセスも増えてきました。
私のブログは、磐座・巨石などのワードに興味があり、すこし学術寄りの情報を探している層(20年前の私のような層。ニッチな層ですが)に向けて情報をお届けしているつもりです。
「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか? 」という記事のウケが良いみたいで、「磐座」検索ワードでは、最初の検索ページにも掲載されるようになってきました。

私はPCでブログを書いているのですが、先月、スマホでブログを空き時間に書けないかと思って、Bloggerに対応するアプリを探していました。
いろいろ評判を見て、Easy BlogというアプリがBlogger対応でシンプルな操作性ということで使ってみました。

そのとき、この「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか? 」の内容を一部修正していたのですが、一時保存するとPCとは違い、公開ページから下書きページに戻るということを知りませんでした。
ただ下書きに戻るだけなら問題ないのですが、再度公開すると、下のようにURLが変わりました。

https://megalithmury.blogspot.com/2016/05/blog-post_7.html


https://megalithmury.blogspot.com/2018/12/blog-post_26.html


Bloggerは、URLが下書き公開日時と紐ついているんですね。
そのことも気づかず、しばらくたってアクセスを見てみたら、いつも上位に来ている「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか? 」がない。
確認してみたら、下書き非公開になってる・・・。
そして、公開したらURLが変更になってる・・・。

これに気づくのにトータル2週間くらいかかり、その時点で磐座ワード検索から上記ページは消滅。
このときは、あちゃ~、と思いましたね。
(軽い)

正確なところを言えば、ブログの公開日時を改めて元々の日付に戻して、カスタムリンクでhtml名を直せば元のURLにすることはできるのですが、そんなことを考えていたら、もういい機会だからドメインごと変えてしまおうと思えたのです。
予期しない出来事に、背中を押された気分ですね。

ちなみに、「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか? 」は旧URLからリダイレクトする措置をとりましたので、リンク切れは防げているはずです。
あとは、独自ドメインでもう一度復権を目指すだけです。

今後の展望は「画像」をFlickrからGoogleフォト/Instagramに

年初めなので、次の新しい取り組みとして画像の保管先を検討しています。

このブログは旧ホームページ以来、Yahoo提供の画像共有サービスFlickrを利用してきました。
しかし、FlickrはYahoo傘下を離れ、2019年からは画像ファイルの無料保管点数を1000枚にするとの方針が発表。


私のアカウントは今日時点ですでに737枚。
画像の保管先を再検討する事態になっています。

これも周囲の時代の流れに振り回されていると考えず、むしろ新しい取り組みを考える良い機会としたい。

ここでInstagramの可能性です。
実はこのブログを立ち上げる時、Instagramでうまくできないか考えたこともありました。
今はさらにインスタが浸透しているので、裾野を広げる意味でうまく利用したいところ。

ただ、インスタはFlickrと違い、画像の保管ストレージとしては使いにくく、やはり1枚の画像でコミュニケーションするSNSの側面が強い。
このブログにインスタ画像を画像埋め込みする際も、画像以外のコメント欄などもついてくるので、画像がシンプルに掲載されないのは閲覧性を損ねます。
今後、埋め込みのバリエーションが増えればアリですが・・・。
 
それなら、やはりGoogleの画像保管サービス・Googleフォトを使用すれば、Blogger~Googleドメインとの親和性は間違いなく高い。
Googleフォトの画像容量制限は、高精細画像にこだわらなければ今のところ制限なし。
Twitterに投稿した時のサムネイルもおそらく反映されるでしょう。

あと、Bloggerの弱点はブログ一覧の時にサムネイル画像がGoogleサーバー内にないと表示されないという性質があり、今までFlickrの画像もサムネイル表示はされていませんでした。
インスタも怪しいですが、Googleフォトならそれも大丈夫でしょう。

決意表明


今回は、いちブロガーとしての現在のネットサービス諸々について書いてみました。

このブログのテーマからはズレたかもしれません。

でも、岩石信仰の世界をなるべく正確な情報で普及するというのが、このブログの目的であり私の人生においての願いです。
その目的をかなえるため、最新のトレンドで情報発信していくことで、多くの人たちの目に入れる機会を増やしていきます。
それが、岩石信仰の先人たちに失礼のないようにする私の信念にもかないます。

新年の決意表明に代えて、2019年もご愛顧をよろしくお願いします。