インタビュー掲載(2024.2.7)

2018年1月25日木曜日

加佐登神社と石(三重県鈴鹿市)


三重県鈴鹿市加佐登町2012

日本武尊は伊勢国の能褒野(能煩野)で亡くなったとされるが、尊の笠と杖を神体としてまつったのが加佐登神社で、境内の白鳥塚は日本武尊墓として、本居宣長を始めとする江戸時代の国学者に比定された。
*宮内庁が指定した日本武尊御陵は三重県亀山市の丁子塚(能褒野王塚古墳)

加佐登神社
白鳥塚
白鳥塚は、考古学的には白鳥塚古墳群の1号墳に該当し、古くはヒヨドリ塚・茶臼山・丸山・経塚などと呼ばれた。
従来、直径は東西78m、南北60mで、高さ13.3mの三重県内最大の円墳として有名だったが、平成17年の調査によって帆立貝式の前方後円墳と判明した。

『延喜式』諸陵寮に「遠墓」として、「在伊勢国鈴鹿郡。兆域東西二町。南北二町。守戸三軒。」という記載がある。

「『ヤマトタケル』の名も日本の勇者という普通名詞で、固有名ではないという。実在でない人物の墓を求める事も、あるいは無意味かもしれない。しかし少なくとも、平安時代初期には、その陵墓は鈴鹿郡のどこかに実在していた事は確かである。このような尊の伝承が、この地方に多いということは、鈴鹿川河谷が、当時の大和王朝の東国経営上、重要な路線にあたっていたという歴史・地理的な背景があったからであろう」(鈴鹿市編『鈴鹿市史』第1巻、1980年)

尊の実在とはまた別のテーマとして、平安初期に尊の墓が鈴鹿群に実在し、二町(220m)四方の境域をもち、墓守の家が三軒あったという事実には目を向けてもいいだろう。

加佐登神社
加佐登神社拝殿


加佐登神社の社頭、賽銭箱の隣に1体の石がある。

加佐登神社
社頭に安置された石


神主さんにお話をうかがったところ、この石は先代以前の神主が境内から見つけたものとのこと。
石には弧帯状の白い模様が見られ、ゴツゴツとした頂部と一部亀裂も認められる、独特な外見をなしている。
これが境内にいるという白蛇の姿に擬せられ、ただならぬ石として安置されることになった。

加佐登神社は、尊が死の間際につけていた笠をまつる御笠社と伝わることから、諸病平癒の霊験で知られていた。

信仰の根本は日本武尊およびその神体である笠と杖にあるが、そこから派生し、この石も病にご利益のある石として、患部が治るように石を撫でに来る人もいるらしい。
(力石や重軽石のように、石を持って上げることを否定するものではないが、撫でる方法のほうが自然な様子)

石の名前は特にないとのこと。
変な方向に進まないように、不用意にPRをする考えはないが、定期的に下の座布団は替え、安置を続けていくという神主さんの真摯なお話をうかがうことができた。
私もそのお考えを忠実に尊重したい。

2018年1月22日月曜日

池田清隆氏の新刊とブログのご紹介

『神々の気這(けは)い―磐座聖地巡拝』
http://amzn.asia/43KuUVm

『古事記と岩石崇拝 「磐座論」のこころみ』
http://amzn.asia/eObiWvw

この2冊の名を出せば、同好の方であればピンとくる池田清隆氏。

ベネッセコーポレーション元役員という経歴ながら、幼少期より筋金入りの磐座好きだったと語る池田氏の新刊とブログ(HP?)の存在を偶然ながら知りました。
まだあまり斯界に周知されていない様子ですので、皆様にもお知らせします。

出窓社HPの新刊チラシより引用


『磐座百選』(出窓社)
http://www.demadosha.co.jp/catarogupage_276.html

池田清隆氏の制作とされるブログ
http://www.message.ne.jp/iwakura/blog.html

『磐座百選』がamazonに掲載されていなかったので、もしかしたら出窓社のHP経由でしか買えないのかと思い、さっそく注文をしたところ、1月下旬刊行で後日amazonなどにも掲載されるとのことです。
少し早足が過ぎました。

『磐座百選』は、池田氏の集大成とも言える著作となっている予感があるので、早く読んでみたいです。
池田氏が書く文章は、磐座に対する愛が押さえ切れていません。氏の哲学を強く感じるのです。
そこが好きで、本が刊行されるたびに私は手に取ってしまうのです。

正直なところ、私と考えの違うところは複数あります。
ですが、岩石と向き合う根っこの姿勢には共感するところ多々で、この分野の石好きと呼ばれる人々の中では、シンパシーを感じると言いますか、シンパシーと言っては目上の方に失礼です、敬意を感じる方です(お会いしたことはございませんが)

チラシによると、『磐座百選』に伊勢神宮の巌社として紹介されている岩の写真があるようなのですが、これがどこのことなのか興味津々です。

2/24には東京で、池田氏の新刊に合わせた講演会も行われるようです。
私は行けませんが、予定が空いていてお近くの方は、ぜひ行かれてみてはいかがでしょうか。

また、池田氏のブログのほうには日本地図が掲載され、全国各地の岩・石が閲覧できるようになっており、こちらも力作です。本の内容とかぶらないのかな…と心配してしまうぐらいです。

なにはともあれ、本の到着が楽しみな一月です。
 
実は、今月は石の勉強強化月間です。

足立巻一『石の星座』(編集工房ノア、1983年) 読了済
http://amzn.asia/aa7AXqE

種村季弘『不思議な石のはなし』(河出書房新社、1996年) 到着待ち
http://amzn.asia/9JrJJgx

笹生衛『神と死者の考古学』(吉川弘文館、2015年) 到着待ち
http://amzn.asia/hgyCzSU

小林青樹『倭人の祭祀考古学』(新泉社、2017年) 到着待ち
http://amzn.asia/6cgWBbf

こんなに関連本を読むのは久しぶり。
意識したわけではなく、自然とそういう気持ちが湧き上がりました。
計画性など無ですが、理屈で止めるものではないと思います。好きなものは好き、に理由や裏などいらないですよね。

私の石に対する熱はずっとこんな感じで、バイオリズムのグラフみたいに定期的に持ち上がってはまた収束し、熱意が消えたかと思いきや、時々発作的に蘇ります。
この気持ちだけで18年目を迎えようとしています。
まだ続くようで、そのこと自体がちょっとうれしい。

最近は石の哲学方面に傾倒していたので、考古学の最新の状況も勉強するために、祭祀考古学界隈で注目の下記2冊も追加しました。
石は特定の学問に寄らず、バランスをとることが大切かと感じます。

2018年1月15日月曜日

石愛好会と展示会には無縁の石好き

『Meets Regional』2018年2月号

 https://www.lmagazine.jp/meets/

鮨屋特集が目当てで買いましたが、レギュラー連載「徒歩旅行」が石の記事でした。
縁ですね。日々勉強です。

石愛好家の小田桐道広さんのインタビュー記事でした。

津軽半島で採れる名石「錦石」を拾い歩き、石についての愛に溢れたコメントが多数収録されています。
楽しく読ませていただきました。

小田桐さんはにしき石愛好会に所属し、定期的に探石会を催したり、全国の展示会で石友達が集まるそうです。
検索したら、同会のHPもありました。相談役として小田桐さんの名前が。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~gutentag/nishiki_info.htm

石を拾い、集める愛好家は日本全国にあれど、秋田や青森では研磨された石を楽しむ文化があるとのこと。
そして小田桐さんは、錦石を加工する伝統工芸士。

「石は磨かなくてもいいけど、磨いた方がきれいでしょ」

小田桐さんの愛石心は、このコメントに集約されています。


私は、愛好会にも展示会にも参加していないし、そもそも石を拾うことも好んでしてきませんでした。

私って、本当に石好きなのかな?

とこの記事を読んで自問自答させられました。

いや、こんな石好きがいても許されるかな。
今までの石の経験から、そう感じます。

2018年1月4日木曜日

三尾影向石(滋賀県大津市)


滋賀県大津市園城寺町 三井寺境内

三尾影向石

俗人には、目にもかからぬ"凡石"の体を一見なしている。
なぜ、この石なのか。
だからこそ、考え深い。

三尾影向石

三尾影向石

「三尾明神は長等山の地主神なり。貞観元年智証大師御入寺に際し、三尾三神(白尾、赤尾、黒尾)此の処に会合し大師をお迎えし大師の護法を約された。 この奥の谷を琴尾谷と称し、この清流に天人浴河されたと伝えられたと伝えられる。琴尾谷に三尾明神の磐座あり。」(現地看板)

琴尾谷の磐座は「この奥の谷」とあるので、本影向石とはまた別の存在か。
磐座と影向石の違いとは?

2018年1月3日水曜日

綾部霞作「石と"話"をするO氏の話」~『石の神秘力』を読む その5~

――「この石はかわいそうだよ。いじけている」石の意志と生命を直観できるO氏は、まず石を愛することが大切と語ってくれた。

O氏は、著者の綾部霞作氏の知人であり、石と話ができる"一般人"だという。

綾部氏がいうところでは、宗教的なことやオカルト的なことを信じているわけではないが、「超能力を否定しつつ心の奥底では"信じたい"と叫んでいるというフーディニ的人格を内包」する人物と評する。

フーディニとは、20世紀初頭に活躍したユダヤ人の奇術師のことだろうか。超能力や霊能力のいかさまやからくりを暴露するマジシャンのような立ち位置の人だった。

そんなフーディニも、内心では"解きあかせないような力"に出会うことを待ち望んでいたのだろうか?

O氏も、今ある科学が万全だとは思わないものの、科学では証明できないものを安易に信じ込むこともない、理性的な人といったところかもしれない。

そんなO氏が真摯に語ったという「石の生態」を、綾部氏が次の5点にまとめてくれているので紹介したい。

  1. 人間や動物とは異なる生態ではあるらしいが、石にも「生命」がある。
  2. 石には「個性」がある。周辺の出来事に関する情報を記憶する。
  3. 石は、目に見えないが、周囲の事物に対して何かしらの「働き」を持っている。その中にいわゆるパワーストーン的な働きも含まれている。
  4. 石の「働き」には限界があるので、石に過大な役目を押しつけないこと。また、石には「意志」があるので、石を奴隷化してはよくない。
  5. 石の「個性」「働き」は個々に内容が異なるので、それをよくわきまえてつきあうこと。

O氏は、石を友達であると表現する。
友達だから、過大な要求をすると、石は「冬眠」するらしい。
O氏がいう、友達づきあいのしかたとはなんだろうか?

  • まず石を愛するという気持ちを持つ。
  • 石を所有物と思わずに、飾る、身につける、じっとみつめる、握るなどする。
  • 石を見る時は、特別な角度で精神集中する必要がある。
  • そうすると、石は本当に美しく輝くのだという。

これはまだ人間本位な考え方なのではないか?
所有した石がなぜ友達なのか?
石が、ある人を待ち続けていたかのように、ある人の"快"の目的のために心を開き、会話をするということがありうるのか?
この疑問は大切にしつつも、正解は現時点ではわからないので、とりあえず保留としておく。
石の哲学を学び続けることで、いつか氷解したい。

綾部氏は、モノとイキモノを区別しないことが、石と話ができる第一歩ではないかと考える。

モノは一ヶ所にとどまって変化がない。
イキモノは、動いて成長する。

言ってしまえばそれだけの違い。
これは目に見える差というだけであり、生命の有無を証明する絶対条件ではないのだ。

五感のうち、視覚だけに偏重しなかっただろう古代人や、感受性の高い人々がいたことは疑いない。
彼らには目以外の他の感覚あるいは第六感が秀でており、目に見えないところで生命をとらえることができた。

人間の心を研究する者は、研究者自身の感受性を高めることから逃れることはできない、そんな局面に来ている。