2019年2月18日月曜日

磐座で有名な場所はどこですか?~磐座巨石本から決定版を決める~


"一番有名な磐座は何ですか?"
"代表的な巨石を教えてください"

今回の記事では、このご質問にお答えします。

そう思ったきっかけがあります。
代表的な磐座を紹介しているwebページを最近見たのですが、そこで第一に挙げられていたのが奈良県桜井市の與喜天満神社の鵝形石でした。

何をもって磐座の代表格とするかは意見が分かれるところでしょうが、この鵝形石はさすがに全国の磐座愛好家の異論噴出では、と要らぬ心配をしてしまいました。
(鵝形石が悪いわけではありません、あしからず)

これはおそらく、Wikipediaの「磐座」の参考画像が鵝形石だからですね(2019年2月時点)。
おそらく、Wikipediaの写真=代表格という基準で選んだのだろうと思います。

では、諸説分かれるこの「代表的な磐座」問題に終止符(大げさ)を打つべく、今までされたことがないアプローチで迫ってみました。

"磐座・巨石の関連本で、収録されてきた数が一番多い場所が「代表格」ではないか?"

各専門家がこぞって取り上げる磐座であれば、読者への露出も多く、認知度という意味でも文句なしなのではないか、と考えました。



磐座巨石本のエントリーはこちら

すべての関連本を調べるのは大変なので、エントリー作品を次の8つに絞りました。


1.藤本浩一氏『磐座紀行』向陽書房 1982年

まずは、磐座ガイドの最古典とも言っていい『磐座紀行』です。

昭和時代、全国の磐座を独自の情報収集で渡り歩き、紙媒体に仕上げたほぼ唯一の労作でしょう。取り上げないわけにはいかない本です。
インターネット夜明け前の「代表的な磐座」はここに収められています。


2.ムー特別編集『日本ミステリー・ゾーン・ガイド<愛蔵版>』学習研究社 1993年

オカルト雑誌『ムー』の特集本で、いわゆる超古代文明の証拠というアプローチで、日本全国の磐座・巨石が収録。

『磐座紀行』はやや専門向けの書籍なのに対し、こちらは1990年代の世論を正しく反映する「有名な巨石コレクション」と言っていいでしょう。


3.浅野勝洋さんのwebサイト「しゃこちゃんのお部屋 遺跡と神社を巡る旅」1998年~

1990年代後半になると、インターネット上で「巨石サイト」が登場します。
数ある巨石サイトの中で、黎明期から存在して網羅的なウェブサイトを一つ挙げるとするなら、私はこの「しゃこちゃんのお部屋」を推します。

私自身、高校生の時に「しゃこちゃんのお部屋」を見て、日本全国の知らない磐座や巨石をたくさん知ることができました。なかば、思い出のサイトなのです。

ネットの情報も「有名な磐座」を決めるための大事な目安になりますので、今回は同サイトをデータベースにさせていただきます。


4.須田郡司氏『日本の巨石―イワクラの世界―』パレード 2008年

ここから時代がぐっと下がって2008年。
日本の磐座巨石写真家の第一人者・須田郡司さんの著作から1冊選ばせていただきました。

須田さんの写真集の中では、日本の巨石・磐座を写したものとしては初期作に属し、表紙の三重県入道ヶ嶽の仏岩は出色の出来。
須田さんが初期作で収録したいと思った場所は、代表的な磐座群とみなしていいでしょう。



5.アスペクト編集部『巨石巡礼―見ておきたい日本の巨石22―』アスペクト 2011年

出版社のアスペクトが選定した「日本の巨石22か所」。
本書の位置付けからして、広く一般層に日本の巨石の世界を知ってほしいという意図で発売されたガイドブックだと思います。

今までと毛色が違うのは、1~4はすべて"業界人"の手によるものでしたが、アスペクト編集部は言ってしまえば"業界に染まっていない眼"ということ。
こういう視点で選ばれた「磐座代表」も参考にしたいところですね。



6.岡田謙二氏『日本のパワースポット案内 巨石巡礼50』秀和システム 2011年

岡田謙二さんのwebサイト「巨石巡礼」を書籍化した本です。モノクロ写真で統一されたその雰囲気が、巨石に独特の風合いを感じさせてくれました。

なぜか、アスペクトが出した巨石本と発行年(2011年)・タイトル(巨石巡礼)がかぶりましたが、岡田さんのサイトは2005年オープンとこちらのほうが老舗です。

「日本のパワースポット」の冠名がついているように、この時はもうパワースポット・スピリチュアルブームが席巻していました。
このあたりの世相も踏まえて、代表的な磐座の位置付けも変化してきたように思います。


7.池田清隆氏『磐座百選』出窓社 2018年

さて、2018年まで来ました。
7つ目に挙げたいのは、池田清隆さんの『磐座百選』です。
まさに本記事と重なり合う趣旨で、磐座を半生渡り歩いた池田さんが、代表的・典型的と思う磐座を100カ所選定しました。
選定基準も明記されており、同書から引用します。
  1. 各都道府県すべてに一座以上の磐座を選ぶこと。
  2. だれでも「気軽に」訪ねることができるもの。
  3. その地域の歴史や風土を色濃く伝承しているもの。

磐座が、神の領域ではなく人の生活空間の境目にある存在と考えたら、高山険所ではなく、足を運ぶことが容易な磐座を取り上げたのは磐座の本義に沿うと思います。


8.山村善太郎氏『IWAKURA 磐座―悠久の日本人のこころ―』求龍堂 2018年

最後の1冊は、山村善太郎氏の写真集『IWAKURA 磐座』をエントリーします。
本日執筆時点で最新の磐座巨石本と言ってよく、須田さんとはまた異なる視点での選定眼を取り入れたいと思います。


以上7冊1サイトの計8つで取り上げられた磐座・巨石を集計していきます。

なお、私の旧ウェブサイト「岩石祭祀学提唱地」(2001年~)と、本『岩石を信仰していた日本人』(2011年)は、公平性を期して完全除外します。


集計方法

  1. 各文献&サイトに取り上げられている磐座・巨石をリストアップしていく。
  2. ただし、目次からはじかれていて、例示やコラムなど補助的に出された程度の事例は省いた(磐座の代表格を決める趣旨のため)。
  3. 都道府県別にまとめ、この8つの中で重複して登場した磐座・巨石を「有名な磐座」として結果発表する。

集計結果をまとめたのが下の表です。リストアップ合計499ヶ所。自由に閲覧できます。

「磐座巨石本の掲載場所まとめ」(Googleスプレッドシート)

https://docs.google.com/spreadsheets/d/1urJ0yKf5YB-dwvRGluj0k6RYBFjIlbOP9Dmri44V7yw/edit?usp=sharing
中身はこんな感じです。


次に、集計しての傾向を述べたいと思います。


各文献の傾向をふりかえる


『磐座紀行』

著者の藤本氏は関西を活動圏としていたためか、東日本の掲載事例は少なく西日本に偏りがち、特に兵庫県の事例はマニアックなものも含めて多い。
また、当時は磐座=神道という固定観念も強かったと思われ、神道系の聖地が多い。
時代事情を考慮すれば、じゅうぶんすぎるほどの掲載量なのは間違いありません。

ムー『日本ミステリー・ゾーン・ガイド』

ムーなので、日本ピラミッド、超古代文明オーパーツ的な場所が多い。
しかし、一方で民俗的なスポットもカバーしており侮れません。
地域的な偏りはなく、西日本編・東日本編にバランス良く紙幅を分けています。

しゃこちゃんのお部屋

運営者の浅野さんは東北→関東をお住まいにされているので、東日本側の掲載量が多め。
関心のひとつが縄文時代にあるようなので、環状列石やストーンサークルが多く紹介されているのが特徴です。

『日本の巨石』

須田さんが沖縄に在住していたことや、御嶽との出会いで聖地の写真を撮るようになったという経歴もあり、沖縄県の事例がまず突出しています。
そして、気に入った場所はページを複数に分けて写真を掲載しています。 高知県の唐人駄馬巨石群や、佐賀県の巨石パーク(下田の石神群)。イワクラサミットin宮崎の時期と近いので宮崎の磐座・巨石なども。
また、福島県の宇宙岩や奈良県の長寿岩など"新しいイワクラ"も登場。

アスペクト『巨石巡礼』

「22か所」掲載ということで、今回挙げた8つの中では最も厳選されている書籍。
今回の集計では、本書に掲載されているかどうかが票数を大きく分けました。

岡田さんの『巨石巡礼』

アスペクト版より倍以上多い50か所を掲載。
活動圏が東日本なので、中国~九州地方の事例はやや寂しいところもあります。

『磐座百選』

先述の選定記述のとおり、各都道府県から平等に1ヶ所以上が紹介されており、分布の偏りは8つの中で最もない文献。
記紀・風土記や古典などからの選定も多いので、自然と時代が古めの社寺や遺跡が多くなっています。

『IWAKURA磐座』

リストアップして気づいたのが、全国各地の夫婦岩の収録数の多さ。
山村氏の興味関心の中心なのではないかと感じられました。


頻出磐座ランキング発表

お待たせしました。
それでは結果発表いたします。

さっそく、一番収録数が多かったNo.1の場所を発表しましょう。
前掲のスプレッドシートでフィルタリングしたスクリーンショットを掲載します。

1位 7票 花の窟神社(三重県)・磐船神社(大阪府)



8つすべてに掲載されている場所は・・・ありませんでした!
主にアスペクト『巨石巡礼』のせいです(笑)。22か所選出なので。

しかし、それ以外の7つに全掲載されているというだけで、じゅうぶん「代表格」と呼べるのではないでしょうか?

それが2ヶ所。同率1位。

花の窟神社(三重県)と磐船神社(大阪府)です。

花の窟神社(三重県)

磐船神社(大阪府)

こうやって写真を載せてみて気づきましたが、私の写真では実物の空気感をこれっぽっちも表現できていません(泣)

花の窟は写真に収まりませんし、磐船も周囲の社殿や川などとの対比でその場に立たないと、この存在感は表現できません。
行かれたことがない方は、一度現場を訪れてみてください。


磐座・巨石業界の関係諸氏の皆様は、この結果を見ていかがでしょうか?
勝手ながら、私は集計してみてこの2つが最多得票数で表示された時、いろいろ個人的に好みの場所は他にあるものの、名前を見て確かにそうだよねと納得できました。
8分の7という収録数の前に、ぐうの音も出ないというのが正直な感想です。ハッキリわかって良かった。


3位 6票 筑波山(茨城県)・神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県)



神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県)


3位も2ヶ所です。

筑波山(茨城県)・神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県)

これも納得のラインナップだと、私も太鼓判を押します。
筑波山は初めての東日本事例で、事実上、東日本知名度No.1の磐座・巨石と題してOKです。

ゴトビキ岩は、1位の花の窟神社のすぐ近くで、みんな熊野の磐座・巨石に惹かれるのかなあと傾向を感じます。


5位 5票 忍路環状列石から米神山まで9か所



三輪山周辺の磐座群の一つ(綱越神社境内)



499ヶ所のうち、5票獲得した場所は次の9か所。さすがに数が多くなってきましたね。

忍路環状列石(北海道)
縄文時代環状列石としては、秋田県の大湯環状列石をしのぐ位置となりました。確かに規模も大規模で見ごたえ感は強い遺跡です。

榛名山(群馬県)
神仏習合の雰囲気色濃い、境内一帯が奇岩怪石の山岳聖地。周辺の榛名湖にかけての巨石群を含めると、1日かけても巡りきれないボリュームの濃さも人気の理由か。

金鑚神社の鏡岩(埼玉県)
この選出は私には意外でした。有名な巨石の一つには間違いありませんが、あまり深く語られているイメージがありませんでした。鏡のようなツルツルとした岩肌を見せた奇岩です。

丸石神(山梨県)
山梨県を中心に甲信地方に700ヶ所以上分布するといわれる土着の丸石信仰の場。1個の巨石の大きさではなく、なぜ丸石を信仰したのかという謎に惹かれるのでは。

諏訪大社(長野県)
「諏訪の七石」が有名ですが、それだけではなく、諏訪大祝が即位した時に座ったといわれる石(現在不詳)、裏山の守屋山の巨石群、そしてミシャクチなどの諏訪独特の信仰など、興味関心の入口が多岐にわたっています。

三輪山(奈良県)
磐座の王道とも言える三輪山一帯の磐座群。1位になってもおかしくないと思う同好の士は多いと思いますが、私の仮説では「写真撮影禁止」というのがネック。本にしてもネットにしても、磐座の魅力を物語る画像がなければ表現するのは難しいでしょう。百聞は一見にしかず、その目で見てほしい磐座です。

厳島の弥山(広島県)
日本三景の宮島はそれだけでも一大観光地ですが、厳島神社裏山の弥山には山頂にかけて巨石群が広がります。ロープウェイでアクセスも容易。巨石群横に施設が立ってなければというのは池田清隆さんの言で同感。

下田の石神群(佐賀県)
いわゆる「巨石パーク」です。私は『風土記』の当初の名称を優先したいので、下田の石神表記にしています。巨石に対してどの態度で臨むかが試される場所になった気がします。

京石・こしき石・米神山(大分県)
ここも有名な場所の一つですが、それでもこのラインナップの中に入るとは、予想以上でした。ただ、磐座巨石本によって京石をメインにする場合と、こしき石をメインにする場合と、米神山の巨石群をメインにする場合に分かれている印象です。


代表的な磐座の決定版はこれだ

まとめます。

"磐座で有名な場所はどこですか?"

といわれたら、次の4カ所で決まりです。

1.花の窟神社(三重県熊野市)
2.磐船神社(大阪府交野市)
3.筑波山(茨城県つくば市)
4.神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県新宮市)

これまでの関連本の収録実績に基づいているので、自信をもってオススメしますよ。

Wikipediaの磐座の参考写真も、上のどれかにどなたか差し替えておいてください(笑)
(私はWikipediaの編集にタッチしていません)


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岩石信仰の種類と見分けかた~石神・磐座・磐境・奇岩・巨石の世界~


2019年2月11日月曜日

岩石信仰の種類と見分けかた~石神・磐座・磐境・奇岩・巨石の世界~


1.巨石・磐座の歴史的経緯を知ることが最初の一歩


巨石信仰・巨石祭祀という言葉が使われて久しい。

しかし、巨石や巨岩という表現を遡っていくと、『記紀』を代表とする古典には登場しない。
大石神社や大岩神社は全国に残っているが、巨石神社や巨岩神社という名の社はない。地名や神名に広げても同じだろう。
ならば、大石信仰や大岩信仰という呼び方のほうが古来のありかたに沿っているが、これらの呼称はなぜかまったく一般的になっていない。

ここに違和感をもつことから、今回の話を始めたい。

なぜ「大」ではなく「巨」が勝利したのだろうか?

ここには仕掛け人がいた。
戦前に、海外の巨石記念物が日本国内にもあるとみなした巨石文化論が勃興して、海外の研究にならって用語が翻訳・移植された過去がある。
しかし、岩石という素材が共通しているだけで、必ずしも海外と国内の巨石が同一であるというわけではなかった。
これは、国内の代表的な巨石文化論者である鳥居龍蔵博士でさえ、海外と国内の巨石を同一視することは適切ではないと警告していたほどである。

しかし、この当時の影響で、現代まで私たちが使う用語が「巨石」に固定化され続けたということは、認めなければならないだろう。


同じように、巨石信仰とほぼ同じ意味で磐座信仰・磐座祭祀という言葉が出回っている。

しかし、たとえば民俗学の祖といわれる柳田國男や折口信夫などの研究を紐解くと、石の信仰に関して言及はあるものの、そこに「磐座」という語はまったくといっていいほど登場せず、現代との温度差がすさまじい。

たとえば、折口信夫「石の信仰とさえの神と」が青空文庫で公開されているので読んでほしい。石の信仰の話をしているのに「磐座・いわくら・いはくら」は一語も登場しない。他の石関連の文章も同様で、折口は「石」を統一用語として使用していたようである。

柳田國男も「石神問答」などで石神こそ名前に出すものの、磐座に対してはほぼ無視である。
念のため、これは折口や柳田が無知だったということではない。
専門家として磐座という語を知っていて、しかし石の信仰としてはあくまでも一分野を示す語であるとも理解していたから、全体を示す語として頻出するものではなかったということである。

このように、巨石信仰と同様、磐座という言葉が独り歩きしている異常事態にも違和感を持たないといけない。

過去に書かれた文献を渉猟するかぎり、1930年代以降、磐座をこの種の統一用語として押し出した動きが認められ、それ以降の研究に磐座の語が無批判的に用いられるようになってきた。
なお、磐座を統一用語にすることに論理上の誤りがあることは、大場磐雄「磐座・磐境等の考古学的考察」(『考古学雑誌』第32巻8号、1942年)で早くも指摘されているが、この指摘がなぜか一般化することはなかった。

おそらく、それに代わるこの種の統一的な用語がなかったからだろう。
 
宗教的な岩石をすべて磐座にまとめる風潮に対して、私は2003年から疑義を挙げているが(「岩石祭祀遺跡に関する包括的な考察」『考古館』第11号で本問題を初発表)、いまだ力及ばず、この誤認が根強いままである。

2000年代に入っても、今度は磐座を「イワクラ」という表記で統一用語にする動きも始まった。
1942年に指摘された誤りに基づく磐座を、さらにリバイバルするものであり、以上の経緯をふりかえると、賛もあれば否もあってしかるべきではないだろうか。


2.岩石信仰をいろどる用語
~いろんな文脈が交錯して飽和状態~


もともと、祭祀や信仰に関わる言葉は巨石・磐座だけではなかった。
思いつくまま、この種の用語をざっくりとだが列挙してみよう。


■ 神道系
  • 磐座
  • 磐境
  • 石神・岩神
  • 御形・形石・像石
  • 湯津石村・湯津岩群・五百個磐石
  • 神体石
  • 石占
  • 玉 

■ 仏教・道教・民間信仰系
  • 影向石
  • 腰掛石
  • 石仏・磨崖仏
  • 岩屋・岩窟
  • 仏足石
  • 礼拝石・遥拝石
  • 石敢当
  • 庚申塔
  • 山ノ神碑
  • 板碑
  • 町石
  • 経塚
  • 盃状穴・杯状穴
  • 力石
  • 百度石 
  • 金精様
  • 道祖神・サエノカミ
  • シャグジ・シャゴジ・ミシャクチ

    ■ 後世の学問から派生したもの
    • 弄石
    • 水石
    • 神籠石
    • 石棒
    • 性石
    • 鏡石・鏡岩
    • 姿石
    • 形状石

    ■ 海外の巨石文化研究
    • 巨石記念物
    • メンヒル・立石
    • アリニュマン・列石
    • ストーンサークル・ストーンヘンジ・クロムレック・環状石籬・環状列石
    • ドルメン・支石墓
    • ツムルス
    • トリリトン
    • モノリス

      ■超古代文明系
      • イワクラ
      • 天体観測装置
      • 日本ピラミッド(太陽石・方位石・机石)
      • ペトログラフ・ペトログリフ・古代岩刻文様

      ■ニューエイジ・スピリチュアル系
      • パワーストーン 
      • パワースポット

      ※すべての用語が必ずしも岩石だけを指すものではない。ジャンル分けはざっくりとしたものであり厳密ではない。


      「神聖な岩石」を呼称する名称が、本当に色んな文脈(古典由来、海外由来、オカルト由来・・・)から生まれ、煩雑に使われてきたことがわかる。
      これらの用語の間には体系的な関連性や統一性といったものはなく、言葉によっては同じ意味を表している用語さえ見られる(影向石=磐座など)。

      このように煩雑とした用語を安易に使い続けていくことは、使い手によって解釈の揺らぎが生まれる原因になり、それは読み手や聞き手に思いもよらぬ誤解を持たれる原因にもつながる。

      たとえば、巨石記念物関係の用語は海外の巨石文化論を前提とした言葉だから、これらの用語を用いると、巨石文化論を下地にしていると誤解されてもおかしくないのである。
      また、磐座という言葉を一般名詞として使う場合も、上記に書いた歴史的経緯を知らないと受け止められるし、さらにイワクラを使用するのであれば、その前にいろいろと解決してもらわないといけない前提が多すぎる。
      これでは岩石信仰についての話を始める前に、すでに見えないハードルがあるようなものであり、議論は平行線をたどるだろう。

      このような問題意識から、私はこういった用語の批判的な分析と、岩石信仰の種類をわかりやすい形で分類化しないといけないと考え、『岩石を信仰していた日本人―石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究―』(遊タイム出版、2011年)を発表した。

      くわしい分析は本書に譲るが、ここではそのエッセンスを紹介することで、石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれてきた世界を、一歩前の新たな段階に進めたい。


      3.岩石信仰の種類
      ~5つのタイプに分類する~

      私は『岩石を信仰していた日本人』で、岩石祭祀の類型分類を提示した。

      いわば、岩石信仰の種類を一覧にしたもので、2011年時点で約2000例の石・岩を調べて、この石はこの性格だ、あの岩はこういう機能を持っていると整理していったものである。
      集成データはこちらのexcelファイル(岩石祭祀事例集成表)で公開している。

      下が拙著に掲載した実際の分類である。

      これは機能別に整理整頓したものなので、従来の神道・仏教などの宗教による用語の違いや、第2章で列挙した用語の煩雑さやカテゴライズの呪縛から解き放たれたものである。

      2003年頃にこの分類の第1案ができて、以後、2000例をカウントするまで幾度かの分類の見直しがあった。時には、根底からのクラッシュアンドビルトを迫られる場面もあったが、目の前の資料が絶対であるので粛々と分類作業をやり直した。

      その連続の果てに、2011年に上記の分類が完成した。それ以後、現在2019年にいたるまで、この分類を見直す事態には出会っていない。
      つまり、新たに知った事例は山ほどあるが、すべてどれかの類型には当てはまってきた。その意味で、ある程度の信頼性を担保できる分類であると今も考えている。

      とはいえ、上記分類は専門的となりやや種類が多いので、覚えにくいところもある。
      そこで、この記事では5つのグループ(A~E)に集約して、岩石信仰の種類を簡単に説明できるようにしておこう。


      A 信仰対象

      神や仏や精霊として信仰された岩石。
      岩石が信仰の中心となっている場合、このグループに入る。

      気をつけないといけないことがひとつある。
      一見、岩石が祭祀の中心(拝まれている対象)になっている場合でも、信仰しているのは岩石ではなく形而上的な別概念の存在(神話上の神、仏典の仏菩薩、故人の祖霊など)であった場合は、これに属さない。

      祭祀対象=信仰対象とは限らないのである。
      祭祀している対象は目で見えるが、信仰対象は必ずしも目に見えないから、このような違いが起こる。
      あくまでも、岩石から発する要因で岩石を信仰する場合、岩石が信仰対象と言える。

      岩石信仰とは、岩石を用いて信仰した分野一般の総称として私は使っている。
      しかし、関心の中心は「人はなぜ岩石に惹かれ、信仰にまで至ったのか」にある。
      狭義の岩石信仰と呼ぶとしたら、なぜその岩石を信仰したのかという、岩石そのものに理由を求める時にあるだろう。

      三重県鳥羽市の石神さん
      山梨県山梨市の大石神社



      B 媒体


      祭祀をするために、人が道具として使った岩石。
      祭りに使った石製品や装身具、聖域を囲うための列石、奉げ物を置く石、信仰対象や司祭者が座るための石など。石の鳥居や参道の石段も、祭祀のために用いられた道具(装置)と言える。

      これらの道具や装置は、人が信仰対象とコミュニケーションをとるために必要ものとして使用された。
      すなわち、人と信仰対象をつなぐ「媒体」として働いているので、一言でまとめるなら最適な概念として「媒体」の語を使用した。

      磐座や磐境も、まさに神と人をむすぶ媒体である。
      祭祀に用いられ、磐座などは神が使用する岩石なのだから、神聖な岩石には違いない。
      しかし、磐座はそれ自体が神にはならなかった。
      磐座は、神をその場にとどまらせるにふさわしい霊力をもつ岩石だったのである。
      これも一つの岩石信仰である。神そのものではない岩石信仰というかたちにも、理解を巡らせてほしい。


      京都府京都市上賀茂神社の岩上。宮司が岩上に座す岩盤。

      福岡県北九州市の一宮神社にある磐境。祭祀場の領域を示す神籬施設とされる。


      C 聖跡


      岩石信仰は、祭祀の時だけ信仰されるものではない。
      祭祀が終った後、岩石がどのような扱いを受けるかにも注目したい。

      全国各地の事例を総覧すると、「神聖な痕跡」と表現できる一群を認めることができる。

      説明すると、かつてそこで神聖な行為が行われていたが、今はもう使われていない岩石で、なのに今も神聖なものだと信じられているものを意味する。

      「腰掛石」と呼ばれる一群はその代表的なものだろう。
      かつて、偉人や聖者が腰かけた(と信じられている)石である。
      腰かけただけで、石そのものはただ座られた素材のはずだが、なぜかその石に名前がつけられ、聖地化している。

      磐座と呼ばれている事例の中にも、実質上は聖跡と呼んでいいものが相当数あることに気づかないだろうか。
      磐座と呼ばれている岩石の前で、今の定期的に神を招く祭祀がなされている場所は、意外と少ない。「元・磐座」「磐座跡」を、今も現役稼働中の磐座もひとくくりにして「磐座」と総称してしまっているのが現状なのである。
      実際は、今も祭祀中の磐座と、磐座としての機能を終えた岩石は、位置付けが異なる存在のはずである。


      山梨県南巨摩郡身延町の高座石。日蓮がこの石の上に座り説法をした由縁をもつ聖跡。

      愛知県一宮市の七ッ石。日本武尊が剣を研いだ石と伝承される聖跡。



      D 痕跡

      一方、祭祀終了後に神聖なものとして保存されることはなく、撤収・廃棄される岩石のグループも想定できる。
      廃棄まで含めて祭祀行為と見る考えもある。媒体と信じられた岩石が媒体でなくなった時、岩石はどのような扱いを受けるのか、そこにも心性は宿るだろう。

      また、祭祀中や最後だけではなく、祭祀をする前の岩石の採取地にも思いをはせてみよう。
      聖なる石はどこから採られたのだろうか。石材としての岩石と霊石となる岩石の関係。祭祀集団の活動範囲を知る資料にもなる。

      このような生産の跡、廃棄の跡も、岩石祭祀の一連の流れを証明する痕跡として把握できるという点で、痕跡型のグループを設定した。

      群馬県前橋市の大室古墳群にある石採り山。葬送施設の石室石材を採掘した生産跡。
      三重県桑名市の町屋川。石取祭で供える「献石」を拾う河原として指定されている。



      E 祭祀に至らなかったもの


      祭祀には用いられなかったが、特別視され、大切にされてきた岩石たち。
      簡単に言えば「岩石信仰の外のグループ」ということになる。

      祭祀・信仰とは無関係の民話に登場する岩石や、風光明媚な奇岩名勝などはその一例だ。
      教訓を教えてくれる石や、鑑賞の対象としての石、記念碑やモニュメント作品としての石。
      鉱物をコレクションしている人や、宝石を大切に保管している人も、このグループに入れることができる。

      ただし、美的対象が信仰の対象に変化することも多く、美・芸術と信仰の境界線は曖昧なところがある。
      岩石信仰と岩石信仰に至らなかったものの差は紙一重とも言える。だからこれらの事例を知ることも大切である。

      和歌山県東牟婁郡串本町の橋杭岩
      福井県福井市の一乗谷朝倉氏庭園。庭園は観賞対象であるが、宗教的要素と無縁ではない。




      4.岩石の観察方法
      ~これから岩石に出会った時は、こうやって見分ける~


      第3章では、岩石信仰の種類を5つのグループに分けてみた。
      この分類は、誰でも追試・再現可能な方法であり、新しく知った事例に対しても、誰もが同じ基準で調査していけるようにしてみたつもりである。
      多くの人に活用されてこその研究と考えるからである。

      そこで、今からお伝えしたいのが「これから岩石に出会った時の見分け方法」である。

      観察・分析すべきポイントなどを前もって決めておかないと、ある事例では着目していたポイントが、別の事例では全く考慮されていないという事態が起こり、一貫性のある情報収集や分析ができなくなる。
      だからここで簡単に、岩石祭祀事例の調査手引きみたいなものを作っておこう。


      特別視されている岩石か、特別視されていない岩石かを見分ける

      最初の一歩は、出会ったその岩石が、特別視されている岩石なのか、それともそうではない「ただの石」なのかを見極めるところから始まる。

      とはいえ、つきつめれば、"あなた" がその石を見極めたいと思った時点で、その石はあなたにとってすでに特別視されていることは間違いない。
      調査者・研究者は、自らが岩石の歴史を変えてしまうという、こういう危険があることは自覚しないといけない。

      しかし今回はそういう話ではなく、"ほかのだれか"にとって特別な扱いを受けているかどうかを考えることにしよう。

      特別視の有無は、名前がつけられていたり、柵や台などの付属設備があれば簡単である。そのような付加行為をすること自体が特別視と言えるからだ。

      目に見える付加行為がない場合は、難しい時がある。
      内面の特別視をどう認定するかは、人に聞かないとわからないからである。
      その石の周辺で仮に100人に聞き取りをして、100人全員がその石のことを気にも止めていない答えを返したからと言って、聞き取りをしていない誰かが内面で特別視しているかもしれない。
      99%の人がNo.と言っても、1人でもYes.を言えば存在するものが、特別視というものである。

      また、インタビューをしたことで「言われてみれば・・・」と、初めてそこでその石を特別視する場合がある。調査をすることで歴史を変えるのである。

      ここまで書くと、なんだか認定が難しく業の深い行為に聞こえるが、その重みを自戒としていれば、大きく間違ったことにはならないと思う。

      また、基本的には、世界で一人くらいが特別視している石は資料として挙がりにくく、そもそも問題の俎上にも乗らないだろう(私はとても関心がある存在だが)。
      つまり、簡単な調査をするぶんには枠外にいる存在なので、結果的に難しいと感じる機会は少ないはず。

      ある程度の人が特別視されている岩石は、まず目に見える付加行為があって、見分けは容易であることが多いと言って良いだろう。


      祭祀に用いられている岩石か、祭祀とは関係がない岩石かを見分ける

      さて、特別な岩石がすべて祭祀・信仰に関わるものかというと、そうではない。
      いわゆる前章で取り上げた「E.祭祀に至らなかったもの」の一群が存在する。

      祭祀・信仰と関係あれば、当然、祭祀に用いられれている岩石であり、それを岩石祭祀事例と呼ぶことができる。

      では、祭祀・信仰の有無はどう見分けるか。

      祭祀・信仰の定義にも関わる深いテーマになるが、 そのあたりを割愛して簡単にまとめるなら、祭祀・信仰には神や仏と呼ばれる、信仰対象がいることが条件となる。

      信仰対象は、超自然的存在・超人間的存在・超常識的存在という表現を使って説明したい。
      自然の理を超えた存在、人間にはできない力をもった存在、常識では考えられない力をもった存在。人が信仰する対象は、多かれ少なかれ、そのような存在ではないだろうか。それを神と呼んだり仏と呼んだりしてきた。

      人を神や仏と呼ぶ場合もあるが、本心からはどうかはさておき、おおむね上の条件を備えた時に呼ぶだろう。

      単に尊敬しているという感情との違いは、霊力を認めて、それに畏れを抱いているかどうかの有無で判断したい。
      自分にはできないし、他の人間にもできず、人類にはできないと思う力を持っている時に、霊力は認定できる。それに対して、自分に霊力を使ってくれることを願うが、一方で、怒りを買うと災厄が訪れることも危惧する。このような心の動きを信仰心と規定している。

      さて、目の前の岩石に込められた人々の思いに、そのような信仰対象の存在が含まれているか。
      そこが見分けポイントだろう。


      神聖視されている岩石か、神聖視とまでは言えない岩石かを見分ける

      祭祀に用いられた岩石は、すべて神聖な岩石と言えるだろうか?
      祭祀に使うわけだから、いずれも欠けてはいけない、大切な岩石であることに異論の余地はない。

      神聖な岩石と呼ぶからには、その岩石には聖性が宿っていないといけない。
      それは先述した、超自然的・超人間的・超常識的な性格である。

      岩石を、祭祀をするための実用的な素材として石材のように用いたなら、上記の性格は認められず、祭祀事例ではあるけれども神聖な岩石とは呼べないだろう。

      たとえば、お供え物を盛った石皿や、火焚き祭祀の時に使った炉の石材、境内の石の橋や石段は、メインはあくまでも供え物、火を灯すこと、川を渡ること、上へ登ることであり、石はそのために用意された実用的な素材と言える。
      私はそれらを「BE.祭祀遂行上必要な部品・利器・石材」として一括している。

      そのような実用的な機能が第一義に来るのではなく、別に岩石でなくてもいいのに岩石が用いられる祭祀が第一義となった時、実用から離れた「聖性」というものが認められるのではないか。


      信仰しているものは岩石そのものか、岩石とは別の概念かを見分ける

      いよいよ最終段階の見分けである。
      神聖な岩石は、すべて信仰対象かというとそうではない。

      それは前章で「A.信仰対象」と「B.媒体」の2つを取り上げたことで、その違いを知っていただけたのではないかと思う。

      見分け方は、祭祀の構図をよくイメージしてほしい。
      祭祀に必要な要素は、

      • 信仰をする人(信仰者)
      • 信仰をされる対象(信仰対象)
      • 信仰者と信仰対象をつなぐもの(媒体)

      この三者である。
      前二者は絶対不可欠要件であり、最後者は信仰者しだいでは不必要な場合もある(媒体など必要ではない人もいるだろう)。
      ただ、ほとんどの場合は、祭祀に媒体は登場する。媒体がないと、信仰者は願いが届いているのか心配になるし、信仰対象も何かしらの形で信仰者に結果を返さないと伝わらないからである。また、それを第三者にしらしめたい時にも媒体は有効な存在である。

      さて、目の前の岩石は、信仰されている対象として語られているか、信仰対象は別にいて、岩石は人と信仰対象の間を取り持つものとして機能しているかで、結論は出されるだろう。
      信仰対象と祭祀対象の違いを先述した時にも触れたが、祭祀の中心として磐座が鎮座していた場合も、信仰しているのは磐座ではなく別概念の存在(神話上の神、仏典の仏菩薩、故人の祖霊など)ということもあるので注意したい。

      最後にもう一つの注意点に触れると、昔から現在までその事例がずっと同じ性格だったという保障はない。
      時代・時期ごとで、人々がその岩石に与えていた役割や認識というのは異なる可能性がある。さらには同時期だったとしても、人によって、所属集団によって、岩石への認識には差異やグラデーションがあった可能性も考えておきたい。

      したがって、その岩石がどのような性格であったかについては、時期ごと、人単位でどうだったかを、追究できるかぎり細かく触れてあげてほしい。掬い出されなかった歴史は消えてしまうからである。


      最後に

      私が岩石信仰の分類を提示した理由は、拙著で記したので再掲したい。

      今後、考古学において祭祀遺跡が見つかった場合や、過去に神聖視の対象だったと推測されるものの、すでに記録が途絶えている岩石に出会った場合、この分類を活用することで少しでも現実性のある歴史の復元に寄与できればと願っている。


      この分野を研究して約20年になろうとしているが、その間に多くの岩石に出会い、そして多くの関連本や研究を見聞きしてきた。
      その多くが、さまざまな岩石信仰の差異を見過ごして、「巨石信仰」や「磐座」の一言でまとめようとしてきた。そのたびに、当時の人々や信仰の当事者に対して心を痛めてきた。

      せめて岩石に出会った時、岩石信仰には少なくとも5つの種類に大別され、いずれなのかを考えることで、その多様性に思いを巡らせるきっかけとしてほしい。
      この分類に当てはまらない岩石祭祀事例を見かけた方は、ぜひお教えください。

      2019年2月3日日曜日

      智者の石(静岡県榛原郡川根本町)


      静岡県榛原郡川根本町

      大井川鉄道の千頭駅から徒歩15分、「智者の石」がある。
      英訳"Philsopher's stone"
      洒落たネーミングがついている。


      「智者」の名は、東にそびえる智者山(一名、神戸山)および山中に鎮座する智者山神社に由来する。
      「智者の石」は、山裾と大井川の境に立地する。

      智者山神社は真偽不明ながら風土記の時代に遡る古社とされているが、ではこの石はそれに比肩するものなにかというと、そういうわけではない。

      智者の石

      こちらが「智者の石」。
      裏山を借景とし、左には大井川の川音が聞こえる素晴らしい立地である。

      智者の石

      「智者の石」は1個の石ではなく、2個の石が支え合うように寄り添っている。
      横に由来を書いた看板がある。

      智者の石

      詳しくは上の由来をご覧いただきたいが、つまるところこの石は、平成16年(2004年)11月25日にまつられたとはっきり書かれている。

      現代の岩石信仰と言って良い。
      この石が選ばれた理由も明記されている。

      • この石は長い間、智者の聖水を浴びた。
      • この地を訪れる人々の心身を清め、活力の沸く石として祈願された。

      智者の石

      「智者の聖水」は石のすぐ東にある。
      こちらは、智者山神社や地元の城主・小長谷氏が造った浅間山を参拝する前に、身を清めるために使ったと伝えられる。

      禊ぎの聖なる水であり、それを浴びた石も同じ聖性を帯び、禊ぎや清めの祭祀装置として変貌したことになる。
      石自体が祈願の対象になっているが、大元は智者山の信仰から始まるものであるから、石自体は一種の眷属としての信仰と言っていいだろう。

      私感だが、三重県伊勢市の伊勢神宮外宮の「三ッ石」や、高知県高知市の土佐神社の「禊岩」などと同じ発想に属する信仰である。

      また、説明板の記述が正しければ、「智者の石」はこの水を浴び続ける位置に元々あったということになる。
      それを人為的に移設して、わざわざまつるようになった動機付けは何だったのだろうか。

      観光協会が立てた看板なので町おこしの可能性も否定できないが、あえての石を選出した「担い手」は誰で、その人はどんな心の動きだったのか、現代民俗として気になっている。
      山と川の境に石を設けたあたりも自然祭祀をよくわかっていて、看板がなければコロッと勘違いしてしまう心憎い演出である(あるいは当然の帰結か)。
      調べきれていないが、平成16年当時の地区の広報冊子などに当たれば、このあたりの祭祀経緯が記録されているかもしれない。というより、たった15年前の歴史であるから、後世のためにも記録されていてほしい。

      2019年1月27日日曜日

      子生れ石(静岡県牧之原市)


      静岡県牧之原市西萩間

      「子生れ石」「子生まれ石」「子生石」などの表記の揺らぎがあるが、同じものを指す。

      「遠州の七不思議」のひとつに挙げられる奇観。
      大興寺(曹洞宗)の墓所と、その裏山を越えた御相談川の二ヶ所で見ることができる。

      御相談川の崖に、丸い石がポコポコと顔を出している。

      子生れ石

      子生れ石

      大興寺の住職が亡くなる時に、この石がこぼれおちるという。
      (この石が落ちると、住職が亡くなるともいう)

      寺伝によると、大興寺を開山した大徹和尚が亡くなる時に、自らの身代わりとして裏山から石が生まれると予言し、そのとおりこの川から石が生まれ落ちたので、弟子たちは大徹和尚の墓石にしたのが始まりという。

      その後、代々の住職の代替わりに子生れ石が出現し、住職たちの墓石はすべてこの子生れ石が使用されているということになっている。

      今も、大興寺の本堂向かって左奥に墓所があり、まゆ形ともひょうたん形とも形容される石の無縫塔(卵塔)が整列している。

      子生れ石
      市指定名勝「大興寺の無縫塔」

      子生れ石

      ある住職は死期を悟り、子生れ石が今にも落ちそうになっていることを知った。
      その石を寺の小僧に無理やりあげたところ、小僧が亡くなり、住職は病状が快復したという逸話がある。

      また、住職の生前の徳で、子生れ石の大きさが変わるという話も付帯している。

      子生れ石は墓石になるだけではなく、 子生まれという名とその玉の形からか、子宝・安産の霊石としてもまつられるようになった。

      子生れ石

      子生れ石の産出地である御相談川のほとりには、このように二体の丸石が堂内にまつられている。
      堂の壁にかけられた紙には、この石が子宝のご利益があり拝むべきことが書かれている。

      丸石の手前には、おびただしい捧げ物とともに、小さな丸石も集積しており、芳名帳には毎日のように参拝者があること、そして祈念とお礼参りの一言が今も記され続けている。
      子宝に悩む人にとっては、まさに人事を尽くして天命を待つといったところだろう。

      子生れ石

      こう見ると、ひさご・ひょうたん形から来る仏教の卵塔の信仰と、丸石からくる性信仰の二系統に分かれていることを認めることができるが、大元にあるのは、石の中に「たま」の存在を信じる根元的なものだろう。

      これを予言した大徹和尚が、祟り石伝説として有名な那須殺生石の退治に関わる人物だったことも、石の霊性に因縁めいたものがある。

      なお、子生れ石が発生する成因については、ノジュールと呼ばれる石化現象によるもので、元は小さな砂粒や礫だったものに、水を通して他の岩石成分がひっついて丸石になったものと考えられている。
      詳しくは、「子生れ石」(ウェブサイト「雲根志21」内)が専門的なので参考にしていただきたい。

      参考文献

      • 現地看板
      • 野本寛一『石の民俗』雄山閣 1975年
      • ムー取材班『日本ミステリー・ゾーン・ガイド<愛蔵版>』学習研究社 1993年
      • 「子生れ石」(ウェブサイト「雲根志21」内)

      2019年1月20日日曜日

      車折神社の祈念神石(京都府京都市)


      京都府京都市右京区嵯峨朝日町

      1189年に亡くなった学者、清原頼業を祀る神社。

      境内に入ると、下の光景が目に止まる。

      CIMG3020

      CIMG3021


      大量の小石が、方形区画の中に累々と積み重ねられている。
      この石塚は、一体何だろうか。
       
      この石は祈念神石といい、元々は神社にある小石を自宅に持ち帰り、参拝者が願いを込めて家で日夜まつりつづける。
      そして、願望成就の暁には、別の小石をもう1個拾ってきた上で、この祈念神石と共に神社へ奉還する。奉還された祈念神石の集まりが、この石塚である。

      CIMG3017
      今は境内から拾うのは禁止。社務所の授与品なので注意。


      この石を、その辺においてある自然石と見ることもできる。
      しかし、神域にある石というアドバンテージもあるだろう。
      そして、参拝者が石を選ぶという選択性と、神前で祈りを込めることで石に神の霊性が分与される。
      そのような霊性を帯びた石に対し、神棚において祈りを込め続けるという行為を施すことで祈願成就の霊験が信じられていく。

      いくつかの「通過儀礼」を経ることで、石の聖性は自ずから高まるのである。

      では、この石は信仰対象そのものだろうか?
      そうとは言えない。
      祈願が成就したら、この石は石塚に奉還されてその霊的機能を停止するからだ。

      この石の最終的な目的は「信仰の対象」としてあるのではなく、あくまでも「祈願をかなえるための祭祀具」にある。
      よってこの祈念神石は、信仰対象から恩恵を授かるために、祭祀者と信仰対象を結びつける媒体として用いられる「石製」の「祭祀具」だったと位置付けることができる。


      そして、祈念神石の石塚は、祭祀後に使用済となった道具を撤収した場所だから、「祭祀跡」と言える。
      「石製」「祭祀具」「祭祀跡」のキーワードは、それぞれ考古学の祭祀遺跡の分析において示唆を与えてくれるはずである。


      樹木と岩石


      CIMG3016

      上の写真は何だろうか。
      玉垣と注連縄で囲われた区画の中に、二本の樹が扇形に広がっている。
      その根元に、1体の石が据えられており、受け手にインスピレーションを与える象徴的な光景である。


      奉納 岩石


      CIMG3014

      上写真は、日東あられ株式会社が奉納した「岩石」である。
      西濃建設は石の提供・運搬者と思われる。

      神が喜ぶということを意図して岩石を奉納する心理について深く考え出すと、この祭祀行動の象徴性は高い。


      2019年1月14日月曜日

      辰巳和弘『古代をみる眼ー考古学が語る日本文化の深層ー』を読んで

      辰巳和弘氏は、考古資料から古代人の心性を復元しようと活動してきた、考古学者の中では独自の視点を持つ(それは古代学と総称される)研究者です。

      岩石信仰の研究では、静岡県浜松市の「天白磐座遺跡」を調査したことで知られています。

      渭伊神社境内遺跡(静岡県浜松市)

      辰巳氏自身も、この遺跡に出会って、考古学における祭祀研究を推し進めるきっかけとなったと書いています。

      そのような辰巳氏の考え方を学ぶため、比較的最近の著書である『古代をみる眼ー考古学が語る日本文化の深層ー』 (新泉社 2015年)を読みましたので、岩石信仰研究にかかわる部分を紹介したいと思います。



      祭祀は「場」を大切にするという考え

      辰巳氏は、祭祀という言葉の定義を次のように定めています。

      「祭祀とは、己や己が所属する集団の意志や力のみでは達成が困難と思われる事態を克服し解決するため、『人智を超越した霊威をもつ隠れたモノ』=『神』の存在を信じ、その霊威に働きかける行為をいう。それは『神の領域(存在)』を認知することである。『神の領域』と『人の領域』の接点に神が顕現し、霊威の発動があるという認識のもとで、マツリゴト(祭事・政治)にかかわるさまざまな考古資料は、はじめて意味をもつ」

      神の定義については、大方の研究者が首肯できるもので異論の余地はありません。

      独自的な部分は2点です。

      まず、祭祀の目的を、自分では達成困難なものを克服するために祭祀をおこなうと明記していること。
      祭祀にも目的はいろいろあり、真剣度のグラデーションもあったと思いますが、根本は「困ったことを解決する」というところに祭祀の動機があったとするもの。
      神のせで祟りが起こることを鎮める祭祀も、確かに困ったことを解決するために、困らせている主体にお願いすることに他なりません。

      現代人の「困った時の神頼み」レベルも、つきつめればこの祭祀の定義に入れられます。
      ただ、宗教に期待する位置付けが変容した近現代においては、必ずしもこれが最大の目的であるかは議論の余地があるだろうとも思います。
      癒しを求める、大切なものを守る、自分に箔をつけるといった、現代宗教の現状と照らし合わせると、やや文面ではズレるような印象もあり、どちらかというと古代祭祀限定での定義だと感じます。

      さらにいうと、古代祭祀が絶対にこのような切実なものだけに限られていたかも、まだ断定はできない段階と思います。


      2点目は、神と人には必ずそれぞれ領域があり、その間に神が現われるというという論理を用いていること。
      ここまではっきり書ける研究者はなかなかいません。
      神そのものだけが神聖というだけではなく、神が現われる「人の場との境」にも神聖さが要求されることを前提とするからです。

      1点目も2点目も共通するのは、人が従で、神が主であるという謙虚な祭祀であること。
      現代的な祭祀には、人が主で、神が従になっているものも多いのではないかと考えています。
      人が主で、神が従である祭祀がすでに古代には生まれていなかったか、そこに異論の余地はまだあるのではないでしょうか。

      たとえば、吉野政治氏の研究によれば、記紀を編纂した大和朝廷は、すでにアニミズム的な神々を信じていなかった節があります。
      敵対する集団の神を信じないのはもちろんあったでしょうが、仮にも記紀に自然神を多く記載して表向きは神として書いているのに、その実はその神の力を信じていなかった感が指摘できます。
      古代人は、すでにしたたかであった可能性を取り沙汰しても良いと思います。

      吉野政治『日本鉱物文化語彙攷』(和泉書院 2018年)を読んで


      「天白磐座遺跡」は水の祭祀場だったとする説

      「天白磐座遺跡」はその名のとおり、磐座と目される巨岩の周囲から祭祀遺物が見つかった遺跡です。

      通常なら、石の遺跡ですからまつられているのは石の神という発想になりやすいのですが、辰巳氏は水の神だと看破します。

      理由としては

      • 渭伊の地名は「井」に起源があり、井伊氏の始祖伝承も「井戸」から生まれたということ。
      • 天白磐座遺跡の北~西~南は川が流れ、井伊谷の水分り(みくまり…里に水を分けて送り出す供給地)だったこと。
      • 浜名湖湖北一円には巨岩が各地に分布しているが、古墳時代に遡る祭祀遺物があるのは、水分の地に立つ天白磐座遺跡だけだったこと。
      • 各地に聖なる井泉は多く記録され、聖なる水をとおして首長霊が更新されるとみなすことができること。

      最後の「首長霊」については批判の起こりそうな概念ですが、最後を除けば異論はなく、「天白磐座遺跡」が水の安定的な供給を願うところにあったことは肯けます。


      そこから、磐座の神は石をまつるのが本義ではなく、水をまつるという論理になります。
      石はあくまでも媒体のようなものであり、石を通して崇めていたのは水ということです。

      これに対しての批判点は2つ。

      • 天白磐座遺跡が水をまつる祭祀だから、すべての磐座が水をまつる祭祀だったと言えるか。 
      • 水が神だったとまで言えるか。水は使うものであり、聖なる水も信仰対象ではなく媒体ではないか。

      一例を以て、すべての磐座を水の神に帰結するのは暴論でしょう。
      辰巳氏も本書で、「磐」は「不動の」「永遠の」「聖なる」の意をもつと指摘しているとおり、磐座において石の要素に神聖性を一切見出さないのは危険です。

      また、水の神と結論を出したとしても、その水を生みだす「人智を超越した存在」は何だったのかまでは説明できていません。
      水自体は、飲料水としても用水としても、いわば力の働きや産物、恩恵のようなものであり、信仰される本体ではありません。
      水を生みだすのは水ではありません。「姿が見えない存在」に求められます。
      それを姿の見える石に仮託したとしたら、石が本体で水が媒体という逆転現象も起こり得ます。


      石は、祭祀において主なのか従なのか。


      辰巳氏は本書においては巨岩の役割について明確に言及していません。
      それはすでに辰巳氏のなかでは自明のようなものだからでしょう。

      遺跡名を「磐座」と銘打つわけですから当然「磐座」と考えており、神が宿る装置(旧来の解釈でいう「依代」)とみなしているというのが自明ということなのでしょう。
       

      と説明したいところですが、辰巳氏は磐座(依代)と石神(神そのもの)を同一視している向きもあります。

      辰巳氏はかつて別著『聖なる水の祀りと古代王権 天白磐座遺跡』(新泉社 2006年)の中で、『風土記』に登場する石神は雨を降らせたり川に関わる伝承が付帯することなどから、石神は水神であり、磐座祭祀は水の祭祀であるという論旨を述べています。

      この論理を見てもわかるとおり、辰巳氏の中では、磐座と石神の役割が一緒くたになっています。

      もちろん、磐座と石神は混然としている概念とみなす立場があっても良いとは思いますが、そうであれば、かつて大場磐雄氏が石神・磐座・磐境の三つの概念を提示したことに対して、それらは同一の概念であったと明言する反駁が必要に思います。

      そこがありません。

      祭祀遺跡に関わる石が、すべて磐座の機能(依り憑く石)だと限らないことを考える必要があります。
      辰巳氏も数々の古墳時代の祭祀遺跡を援用して「水の祭祀」を論じていますが、その中で多くの石敷遺構が取り上げられています。
      これらの石もすべて「磐座」だとは辰巳氏も考えていないはずです。
      石という素材は共通していても、祭祀の中での石の働きは異なっています。
      ではなぜ、「天白磐座遺跡」の巨岩は「磐座」と言い切れるかの論証が必要です。

      なお、私は磐座と言い切るのが恐いため、この遺跡を「渭伊神社境内遺跡」と呼ぶ立場をとっています。

      辰巳氏は、「水神は石神」ではなく「石神は水神」と表現しています。石より水を主位に置いていることは明らかです。

      たしかに、石の神といわれても、石自体にどのようなご利益があるのか、よく考えてみるとわからないですよね。
      水は、人々の生活と密接ですから、石より水の方が大事と言えます。

      さらに 「天白磐座遺跡」は、別に巨岩から水が染み出て川になっているわけではないので、一見、石と水が直接結びつくわけではありません。


      しかし、先に取り上げた吉野政治氏の研究によれば、古典において石と水の関係性は深く、「砂が水辺で成長して石になる」という観念を紹介しています。

      この場合、水は石を助ける媒体です。

      この立場からアプローチすると、石は従の立場と言い切れるものではなく、石が水を生みだす本体であるという主のような性格さえ帯びています。

      石は何だったのか、ただの目印として選ばれたのか、そこに石がなければ石でなくても良かったのかという問題は、もっと紙幅を割いていいと思います。



      2019年1月7日月曜日

      磐座(いわくら)はいくつあるんですか?

      「磐座はいくつありますか?」

      この質問を受けたことがあります。
      シンプルな質問ですが、奥が深く、答えにくい。

      岩石信仰の研究者として、避け続けてきたこの問題へまじめに回答します。

      磐座の数に答えを出した人


      「全国の磐座の数は四百座を越え、五百座に達するかもしれない」と答えたのは、『磐座紀行』(向陽書房、1982年)著者の藤本浩一氏でした。

      事実、『磐座紀行』には「全国磐座一覧表」が掲載され、藤本氏が実際に確認した磐座だけを収録しています。

      これがひとつの基準になることは間違いないでしょう。


      2017年にはフォトグラファーの須田郡司氏が、朝日放送のTV番組「日本人と石の物語~voice of stone~」の中で同様の質問を受けて、一万以上の数があるかもしれないと思いを語りました。

      『磐座紀行』から35年が経過しました。
      あれから多くの磐座が情報共有され、把握できる数が増えたということでしょうか。


      では、手前味噌ながら、私がまとめた『岩石を信仰していた日本人―石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究―』(遊タイム出版、2011年)では、磐座の数はどうなっているでしょうか?

      86ページで明記しましたが、私の答えは「299事例」です。
      ※2011年当時の把握数なので、今は300を越えています。

      あれ?なぜこんなに少なくなるのか??
      藤本浩一氏の収録数より少ないではないか、という話ですよね。

      定義によるんです。


      どんな石が磐座なのか、考えないといけない


      本来、どんな石が磐座と呼ばれるべきなのかはすでに先行研究があります。
      別記事にしてありますのでお読みいただけると幸いです。

      磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?


      しかし・・・

      おそらく磐座の数を質問される方は、聖なる石やまつられている石のことを磐座と総称して使っているんだろうということは、理解しています。

      つまり、質問としては
      「巨石信仰は何ヶ所ありますか?」
      「パワースポットとか、ああいう系の石はいくつありますか?」
      と同質のものだと思います。

      でも巨石信仰の数も答えにくい。
      なぜかというと、どこまでが巨石で、どこからが巨石じゃないかが決めにくいからです。
      あの人はこの石を大きいっていうけど、私から見たら小さいなあ。
      この場合、どっちでしょうか?

      また、観光名勝や天然記念物の巨石も入れていいのか?
      そもそも、信仰と信仰でないものの区別ってなんだ?信仰ってなんだ?

      ――という、深遠な問い(!)を内包する質問なのです。


      質問の意図どおり答えるなら


      そんな細かいことは考えなくて答えてほしいんだけど・・・と、質問者の多くのツッコミもわかっているつもりです。
      研究者としての良心のようなものとして、前置きを書かせてほしかったのです。

      それでは、あえて定義をふんわりさせたまま答えます。
      質問者の方の意図どおり答えるなら、須田さんの答えに近くなります。

      いや、須田さんを越えます。
      いわゆる「聖なる石」の数なら、1万どころではない。軽く飛び越えるでしょう。

      たぶん、質問の想定として、1万の中には石仏や神碑(庚申さん・山の神など)の類は入れられていないと思います。いわゆる巨石信仰や聖なる石からは、周縁に追いやられた存在になりやすいので。
      力石なども、省かれやすい。
      また、無数に積み重ねられた神社の奉納石や、個人宅の石など、名もなき記録もなき石がわんさかいます。

      なお、1事例とは文字通り1個の石ずつカウントしていくのか、名前が付いている一固まりのグループを1事例にカウントするのかで、数は増減します。
      (例)三輪山の磐座を何事例とカウントするか、沖ノ島の磐座を何事例とカウントするかで、研究者の基準が見定められます。

      一つの場所で数十の石が別々にまつられていることもあるわけですから、基準しだいでは日本全国で1万では到底抑えられません。


      質問者の方の意図をさらに汲み取るなら、そういう議論をカットした上で、自然の石の信仰や巨石文化的なもの(ふんわりとした概念…)がどれだけあるかということが興味の中心でしょう。

      でしたら、私の集成した岩石祭祀事例は「1110事例」です(2011年データ)。
      このうち、いわゆる上記の石仏・碑などの石造物がある程度含まれているので、約1千例というところにしておきましょうか。

      しかし、石好きの私ですら、今でも毎日のように新しい事例に出会います。
      そして、あまりにも出会うので、私はもう集計をあきらめているんです。
      ということで、実際の数はもっと多いでしょう。
      その中で、信仰にかかわる神聖な石だけ抜き取っていくと・・・

      以上を考慮すれば、今の時点で私がお答えできるのは1000~2000というところでしょうか。

      うーん、定義がふんわりしているから、答えもふんわりしていますね。
      だから私の答えはメディア受けしないわけなのですが、やっぱり定義なしの会話は不毛だと思います。


      磐座という名前さえついていればOKかどうか


       そもそも磐座は何個あるかと聞かれたら、「磐座」と書かれてある石だけを総当たりしていけば数は出ます。
      ちなみに要注意点ですが、研究者が勝手に磐座と名付けたものはカウントしてはいけません。言ったもの勝ちですから、無限に数を水増しできます。

      信仰者が「磐座」と名付けた石に限るのが本義です。「石座」「石坐」「岩倉」などの類似表記も含めてもいいでしょう。
      これならシンプルです。

      しかしそうすると、激減します。
      私の集成表だと「磐座」「石座」「石坐」「岩倉」表記で合計71事例です。
      しかもこの中に、研究者が便宜上名づけたものが混じっています。

      さらに実際のところは、現存せずに記録上だけ登場する例もあると思うので、そういうのもカウントしたら100は越えそうですが、意外と「いわくら」という名前で記録されている石は少ないので、200はキツイかもしれません。

      これが求められている答えでしょうか。
      これもちょっと違う気がします。

      磐座という名前が付いていなくても、磐座の働きをしている石の数を知りたい。
      こうではないでしょうか。
      つまり、「磐座」的な性格の石はいくつあるかという話に帰結するのだと思います。

      では結局、磐座的性格とは何かという定義が必要になります。
      だからそこから逃げるのは、文字どおり逃げです。


      磐座は他の石とは何が違うのか、それを考えることが重要です


      「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?」で触れたように、磐座の定義を極力シンプル、かつ、神仏にこだわらず汎用性のある説明でまとめると、

      「信仰対象(神・仏)が宿る施設」

      です。宿りかたは問いません。
      この定義に沿った時、ハッキリお答えできるのが299事例という具体的な数字です。

      これは、石神(いしがみ)や磐境(いわさか)などの同時代用語とは意味が異なることを前提にしています。
      これらの用語は、日本最古級の文献(古事記・日本書紀・風土記)に記された古語であり、いずれも石の信仰に関わる言葉とされています。

      細かい差を述べると、『古事記』『日本書紀』には「いわくら」「いわさか」は登場しますが「いしがみ」 は登場しません。
      一方、『風土記』には「いしがみ」と「いわくら」が併存して登場し、用例は「いしがみ」のほうが多いという傾向があります。

      これをどのように理解するか、少しつっこんで書きます。

      従来、磐座・磐境・石神の三語はそれぞれ意味が異なる語とされてきました。
      しかし、よくよく考えれば、言葉が違う=意味が異なるという証明にはなりません。
      一つの事象に対して、異名があるのはよくあることです。

      もちろん、同義語であるという証明もできていません。
      「クラ」「サカ」「カミ」の音の違いを考慮すれば、座席と境界と神そのものの意味・用法が異なるのは自明のことなので、現状、三語は異なる概念であるという理解が最も適切だということに他なりません。

      でも、本来は機能の違いを指し示す三語なので、特定の文献には載っていなかったり、文献によって用例数に差があるというのは、なんらかの有意性を認めるべきでしょう。

      これ以上の議論は深入りすると長くなるので、また別の記事で触れることにします。
      いずれにしてもこの話を通して伝えたかったことは、一つ一つの言葉や記述を大切に取り扱うことで、ふんわりした信仰の世界というものに「やっと」触れることができるということです。


      関連記事


      磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?

      磐境(いわさか)とはどういう意味ですか?

      2019年1月6日日曜日

      松尾山の「磐座」(京都府京都市)


      京都府京都市西京区嵐山宮町

      松尾大社と松尾山の概要


      京都市嵐山の松尾山(標高223m)は、「分土山」「別雷山」の別称があり、松尾大社の信仰の起源となった。

      社伝によると、松尾山中の大杉谷という渓谷に「磐座」「ご神跡」「ご鎮座場」など種々の呼ばれ方をされる岩盤があり、元々はそこで神をまつっていたと伝えられる。
      その後、大宝元年(701年)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が山麓に松尾大社を創建したことにより、以後は山麓で祭祀を行なうようになったという。

      松尾大社は秦氏の氏神社として位置付けられている。
      主祭神は大山咋神(オオヤマクイノカミ)・中津島姫神(ナカツシマヒメノカミ)の二柱であり、大山咋神は松尾山の山の神に他ならない。
      中津島姫神は宗像大社や厳島神社の祭神として知られる市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)と同神であるといわれており、秦氏の奉祭した氏神とされる。

      秦氏が奉祭してきた海の神と、松尾山の神が一緒になった聖地が松尾大社ということになる。

      松尾大社と松尾山

      「磐座」の様子


      松尾山大杉谷の「磐座」は長らく禁足地だったが、2004年頃から許可制で磐座登拝ができるようになった。
      以後、松尾山の「磐座」を実見する人は増えたが、2018年夏の台風により登拝道が崩れ、松尾大社の判断により磐座登拝は再び禁じられることになった。

      磐座登拝 - 廃止 | 松尾大社 - MATSUNOO TAISHA

      私は2004年に磐座登拝が可能になる以前、松尾山群集墳の調査の一環で松尾山の磐座を見る機会があった。

      現在、写真撮影は禁止ということなので当時撮影した磐座の写真は載せないが、ここでは文章だけで磐座の様子を報告する。

      磐座は、山頂のすぐ下の急斜面に位置する。
      磐座は巨大な自然岩盤で、一言で形容するなら屏風岩的な形状。荒々しい粒子から構成される岩肌が印象的だった。
      大雑把な目測だが高さ5m以上、幅15m以上はあるのではないだろうか。

      磐座の手前には、人為的な集石があった。まるで供物を捧げる場であるかのような趣きだった。いつ頃からある施設なのかは不明というしかない。

      「磐座」の考察


      磐座は「ご鎮座場」とも呼ばれているので、ここが松尾山の神の降り立った磐座機能を持つ岩石だったことは確かだっただろう。
      しかし同時に、この磐座は「ご神跡」とも呼ばれていることに注意しないといけない。もう「跡」なのである。

      この磐座は社殿創建以後、祭祀の場としての役割からは離れた。
      そして近年に至るまでこの場所は立入禁止であり、この磐座に対する積極的な神事というのも影を潜めていた。

      しかしこの磐座は「最初に神が降り立ち祭祀がなされた場所」として、今でも松尾大社に否応のない神聖性と歴史性を付加している。
      したがって松尾山の磐座は、正確な表現を用いるならば「磐座跡」であり、今は聖跡としての効果を松尾大社に与えていると言える。
      この記事のタイトルを「磐座」と括弧付けにしているのもそういう理由からである。細かい表現の差だが、今ある岩石の役割を錯覚しないためにも重要なこととご理解いただけるとうれしい。


      松尾山の群集墳

      松尾山の尾根沿いに、「松尾山支群」と呼ばれている古墳時代後期の群集墳が多数残っている。現在確認されている限りでおよそ50基弱である。

      松尾山支群のひとつ。天井石など露出。
      松尾山支群のひとつ。横穴式石室開口。
      松尾山支群のひとつ。墳丘は流出しかかっている。


      古墳は墓域と言えばそれまでだが、祖先の墓所である古墳が山の中に築かれていると考えれば、松尾山は「祖霊の眠る領域」として認識されていたと思われる。

      松尾山支群は、6世紀の終わりから7世紀の初めにかけて集中的に築造されたと考えられている(墳丘規模・他例との比較から)。
      6世紀末~7世紀初と言えば、すでに秦氏の山城(特に太秦一帯)への入植は始まっている。だから、松尾山の群集墳に葬られている人々は、秦氏に関係のある人々だった可能性が浮上する。

      ただし、松尾山支群は学術調査のほとんどなされていない群集墳なので築造時期に関しては多少前後するかもしれない。秦氏入植以前に松尾の地にいた在地の人々の墓所だった可能性も否定できない。

      松尾山支群の古墳の中から朝鮮半島由来の遺物など、渡来系の性格を類推させるような副葬品などが見つかったとするならば、この群集墳は秦氏が被葬者だった可能性が上がるだろう。
      逆に渡来系要素の全くない群集墳だった場合は、秦氏との関係は薄いと見るべきであり、在地の人々の墓所だったという可能性が相対的に強くなる。


      磐座と群集墳の関係

      ここで気になるのが、磐座と群集墳の関係である。
      磐座は大山咋神を祭祀した場所。群集墳は祖霊を祭祀した場所。
      どちらも神霊を祭祀する場としてある。

      誤解を恐れず言えば、大山咋神が祖霊より偉いのか、それともその逆なのか。
      大山咋神と祖霊は別物なのか、それとも同じ存在としてみなされていたのか。

      大山咋神は秦氏の氏神としてまつられているので、大山咋神は祖神とも言える。古墳の祖霊を集合化させた存在として大山咋神があるとするならば、古墳と磐座は同じ神をまつる場である。
      でもそれなら、同じ神をまつる場所が2種類あると言うこと。その意味は何なのだろうか?

      そもそも、磐座と古墳は併行して祭祀されていた存在なのか、磐座祭祀の後に古墳祭祀だった可能性は?あるいはその逆の可能性は?

      そして、この磐座および古墳は秦氏によるものなのか、それともそれ以前から在地の人々によってなされてきたものなのか・・・

      上に挙げた疑問すべてが謎と言っていい。

      この「古墳祭祀と自然石祭祀の同居」という事例は、群馬県西大室丸山遺跡や奈良県石光山古墳群・京都府梅ヶ畑遺跡など他にも見られ、これをどのように理解するのかは、私にとっての大きなテーマの1つである。
      古墳時代の祭祀研究テーマの1つでもある、葬祭分化・葬祭未分化論(当時の人々にとって「葬儀」と「祭り」は明確に分けられていたか渾然一体としていたかという論)に関わる話でもある。

      松尾山に限って言えば、磐座は元々そこに自然のままあったもので、古墳は死者を埋めるという実利的目的も兼ねた上での人工的な施設という質的な差があるので、磐座が先行的・根源的な祭祀であり、群集墳は後出的・サテライト的な祭祀であったと個人的に思うが、根拠が付いてこない。

      松尾大社社殿奥の露岩発見について

      2014年のニュースとして話題になったのが、松尾大社の社殿裏の山肌から岩が露出していることが判明したことである。

      松尾大社の裏山に巨岩 磐座について




      松尾大社社殿とその奥の山裾。この時はまだ露岩は見つけられない(2003年撮影)
      京都新聞(2014.4.16付)の記事に辰巳和弘氏(当時、同志社大学教授)がコメントを寄せており、松尾大社の社殿を建てる時にこの露岩を選地理由にしたのではないかという見解を述べている。

      それは山頂付近の「ご神跡」から続いてきた岩への神聖視によるものであり、山奥の磐座から麓の磐座のほうが祭祀が日常的にしやすいという実利的な理由も手伝ったのかもしれない。

      松尾大社に関わる古記録や絵図にまったく登場しない存在であるのなら、この山裾の露岩が忘れ去られるのは相当早くからだったということになる。
      他の山麓磐座の事例と比べると、山麓の磐座が忘却されるというのは珍しいのが気になるところ。

      参考文献


      丸川義弘「松尾山の群集墳-松尾十三塚古墳群の紹介も含めて-」 『京都市埋蔵文化財研究所 研究紀要』第4号 京都市埋蔵文化財研究所、1998年

      「松尾大社の裏山に巨岩 磐座信仰に関連か」(京都新聞2014年4月16日付記事。web記事はリンク切れ)

      2019年1月1日火曜日

      BloggerからGoogle Domainsに移行しました

      2019年、このブログをどうしようかと思って、独自ドメイン化しました。

      (旧)https://megalithmury.blogspot.com/

      (新)https://www.megalithmury.com/

      旧URLにアクセスしても新アドレスにリダイレクト(自動転送)されるので、ブックマーク変更しなくてもおそらく大丈夫です。
      皆様にお手数をかける作業はないはず・・・。
      (なにか問題を見つけましたらお気軽にお教えください)

      これまではGoogleが提供するBloggerのドメイン「blogspot.com」を使用してきましたが、同じくGoogleが独自ドメインの提供サービス「Google Domains」を始めたので、それに乗りかかってみました。

      独自ドメインは昔から検討していましたが、今回決断した決め手は次のとおり。

      1.BlogeerのURLが迷走中


      元々、このブログのURLは

      http://megalithmury.blogspot.jp/

      でした。
      しかし、Googleの方針によって「.jp」ドメインを消滅し

      https://megalithmury.blogspot.com/

      に統一されました。
      これも自動的にリダイレクトされるので特に手間はないのですが、自己都合以外でURLがコロコロ替わるのは、検索的にも損だと思っていました。
      周りの事情で翻弄されたくない、URLを永久固定したいと思ったのが一つ目の理由です。

      2.Bloggerの管理画面からGoogleドメインが買える

      ドメイン変更は適当にやると大やけどすると思って手を付けてこなかったのですが、GoogleドメインはBloggerユーザーにとって簡単。

      ブログの管理画面からドメイン購入ができて、自動的に移行作業をしてくれます。サーバーもGoogle提供なので、別に用意する必要もなく、問題ないでしょう。
      Googleと心中するという決意を決めれば、あとは早かったです。

      おこなった作業を簡単にかけば次のとおり。

      • Bloggerの管理画面からGoogleドメイン購入ボタンを押す。
      • 好きなドメイン名を決める。「https://www.megalithmury.com/」は1400円/年
      • 後は流れどおりに進めば、他でやるときに必要な諸々の移行作業の大半を自動的にしてくれる。
      • Googleのサービスなので、https(SSL)やドメイン情報非公開などセキュリティ・SEO系のサービスも込み。
      • 即日開通。旧URLから新URLにアクセスできるのに、5~10分待つだけ。
      • Bloggerのサービスを利用しながら、独自ドメインにたえずリダイレクトされる仕組みなので、旧URLにアクセスしてもリンク切れが発生しない。
      • 同じGoogleのサービスであるGoogle Analyticsへ行き、新ドメインでのトラッキングコードを取得し、再度Bloggerの管理画面で貼りつけ(アクセス解析)。
      • Bloggerの管理画面上で、検索エンジンのクロール対策としてrobots.txtを書き換え。
      • 同じGoogleのサービスであるGoogle Search Consoleへ行き、新URLのサイトマップを送信(サイトマップはBlogger上で自動生成済)。これもクロール対策。

      2日経過してGoogleがクロールしだしましたが、エラーなく新URLのページを検出してくれているようです。

      3.ドメインパワーを上げていく覚悟を決めた


      昨年、Twitterをスタートして多くの刺激を受けたこともおおきいと思います。

      他の方の記事を読むなどして、私も自分のドメインを大切に育てていこうと思うようになりました。
      それがひいては、私が広めたいと思っている世界の貢献につながるのなら、しない理由はありません。

      4.ブログをスマホ上で更新しようと思ったらドル箱ページが消えたので、いい機会だと思った


      今のブログをスタートして約2年半。ちょっとずつですがアクセスも増えてきました。
      私のブログは、磐座・巨石などのワードに興味があり、すこし学術寄りの情報を探している層(20年前の私のような層。ニッチな層ですが)に向けて情報をお届けしているつもりです。
      「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか? 」という記事のウケが良いみたいで、「磐座」検索ワードでは、最初の検索ページにも掲載されるようになってきました。

      私はPCでブログを書いているのですが、先月、スマホでブログを空き時間に書けないかと思って、Bloggerに対応するアプリを探していました。
      いろいろ評判を見て、Easy BlogというアプリがBlogger対応でシンプルな操作性ということで使ってみました。

      そのとき、この「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか? 」の内容を一部修正していたのですが、一時保存するとPCとは違い、公開ページから下書きページに戻るということを知りませんでした。
      ただ下書きに戻るだけなら問題ないのですが、再度公開すると、下のようにURLが変わりました。

      https://megalithmury.blogspot.com/2016/05/blog-post_7.html


      https://megalithmury.blogspot.com/2018/12/blog-post_26.html


      Bloggerは、URLが下書き公開日時と紐ついているんですね。
      そのことも気づかず、しばらくたってアクセスを見てみたら、いつも上位に来ている「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか? 」がない。
      確認してみたら、下書き非公開になってる・・・。
      そして、公開したらURLが変更になってる・・・。

      これに気づくのにトータル2週間くらいかかり、その時点で磐座ワード検索から上記ページは消滅。
      このときは、あちゃ~、と思いましたね。
      (軽い)

      正確なところを言えば、ブログの公開日時を改めて元々の日付に戻して、カスタムリンクでhtml名を直せば元のURLにすることはできるのですが、そんなことを考えていたら、もういい機会だからドメインごと変えてしまおうと思えたのです。
      予期しない出来事に、背中を押された気分ですね。

      ちなみに、「磐座(いわくら)とはどういう意味ですか? 」は旧URLからリダイレクトする措置をとりましたので、リンク切れは防げているはずです。
      あとは、独自ドメインでもう一度復権を目指すだけです。

      今後の展望は「画像」をFlickrからGoogleフォト/Instagramに

      年初めなので、次の新しい取り組みとして画像の保管先を検討しています。

      このブログは旧ホームページ以来、Yahoo提供の画像共有サービスFlickrを利用してきました。
      しかし、FlickrはYahoo傘下を離れ、2019年からは画像ファイルの無料保管点数を1000枚にするとの方針が発表。


      私のアカウントは今日時点ですでに737枚。
      画像の保管先を再検討する事態になっています。

      これも周囲の時代の流れに振り回されていると考えず、むしろ新しい取り組みを考える良い機会としたい。

      ここでInstagramの可能性です。
      実はこのブログを立ち上げる時、Instagramでうまくできないか考えたこともありました。
      今はさらにインスタが浸透しているので、裾野を広げる意味でうまく利用したいところ。

      ただ、インスタはFlickrと違い、画像の保管ストレージとしては使いにくく、やはり1枚の画像でコミュニケーションするSNSの側面が強い。
      このブログにインスタ画像を画像埋め込みする際も、画像以外のコメント欄などもついてくるので、画像がシンプルに掲載されないのは閲覧性を損ねます。
      今後、埋め込みのバリエーションが増えればアリですが・・・。
       
      それなら、やはりGoogleの画像保管サービス・Googleフォトを使用すれば、Blogger~Googleドメインとの親和性は間違いなく高い。
      Googleフォトの画像容量制限は、高精細画像にこだわらなければ今のところ制限なし。
      Twitterに投稿した時のサムネイルもおそらく反映されるでしょう。

      あと、Bloggerの弱点はブログ一覧の時にサムネイル画像がGoogleサーバー内にないと表示されないという性質があり、今までFlickrの画像もサムネイル表示はされていませんでした。
      インスタも怪しいですが、Googleフォトならそれも大丈夫でしょう。

      決意表明


      今回は、いちブロガーとしての現在のネットサービス諸々について書いてみました。

      このブログのテーマからはズレたかもしれません。

      でも、岩石信仰の世界をなるべく正確な情報で普及するというのが、このブログの目的であり私の人生においての願いです。
      その目的をかなえるため、最新のトレンドで情報発信していくことで、多くの人たちの目に入れる機会を増やしていきます。
      それが、岩石信仰の先人たちに失礼のないようにする私の信念にもかないます。

      新年の決意表明に代えて、2019年もご愛顧をよろしくお願いします。