| 鉄塔の奥に八ヶ岳を遠望 |
2026年1月25日
三ッ石(山梨県韮崎市・甲斐市)
2025年2月9日
鳴石/膳貸し石(山梨県北杜市)
2024年5月6日
下部の牛石(山梨県南巨摩郡身延町)
山梨県南巨摩郡身延町下部
下部温泉郷から湯之奥集落へ通じる道中にある。
現在は手入れが行き届いていない様子にみえるが、鳥居右手には下部の名所を巡るスタンプラリーの記念スタンプが収納されたボックスがまだ残っていた。かつての下部温泉観光のよすがを感じとれる。
現地看板には牛石の由来が記されているものの、墨書が消えかかっている箇所が多く極僅かしか読み取ることができない。
いわく、「下部温泉には古くから五石と云って有名な五ツの石が有ります。牛石もその五石の中の一ツであります(以下、判読難)」らしいが、他の四石がどこの何であるかは不明である。
| 現地看板 |
『下部町誌』(1981年)に牛石の伝説が採録されており、同書によれば武田信玄が自慢の愛牛に乗って金山の様子を巡検中、その牛が突如暴れ出して信玄を振り落としたうえで路傍の大石に激突して死んだ。牛を引いていた従者も自責の念に駆られてその場で自害。起きてしまったことはしかたなく、このようなことで家臣を失った信玄は哀れに思い従者と愛牛を大石の傍らに葬った。この逸話から大石を牛石と呼ぶようになったという。
本伝説を踏まえると、牛石がたとえば牛の石化し神格化した存在ではないことはわかる。
それでは現在、牛石の手前に祠や鳥居でまつられていることをどのように受け止めればいいか。
これは一種の弔いや鎮魂祭祀としての形であり、その点では従者と愛牛は祠の中で神霊と化している。村落にとっての祖霊ではないが、死者の魂安らかならんとする聖地であり、その祭祀の可視化されたものとして神社祭祀の諸設備が設けられたものと解される。
あるいは、牛石を通して信玄公の遺徳を顕彰する場としても機能するのかもしれない。
そして、時代を経るうちに牛石はこれらの「神々」を祭神とする社にいたり、今は道行く人々が(詳しい由来を知らなくても)各種祈願を行う場としても機能しているに違いない。
なお、町誌には他に犬石(古関)、たかあげまこ岩(高萩の地名)、大明神の大岩(桑木山ろく)、大けやき下の水神様の岩(上之平)、七尋岩(栃代山)、お春岩(川向)、権現滝の馬の足あと岩(清沢)、太郎石(紙谷橋の下)、お駒の寝床(反木川旧道)などの、自然石に関する伝説地が紹介されている。詳細の位置は記述から読み取れないものが多いが、これらの中のいずれかが「下部の五石」の可能性もある。
参考文献
- 下部町誌編纂委員会[編]『下部町誌』 下部町役場 1981年
2023年8月20日
日吉山王神社の岩石群(山梨県山梨市)
山梨県山梨市牧丘町室伏
室伏 乙ヶ妻集落の鎮守。
本殿の北東隅に接して、山肌から岩が露出している。
本殿 - 拝殿の主軸と異なる方向であり、この岩が明確にまつられているという証拠は見当たらないが、この岩を始点に山の斜面を登っていくと尾根沿いに岩石群が散在している。
2023年8月15日
大石神社(山梨県山梨市)
山梨県山梨市西
大石山と呼ばれる山に大石神社が鎮座する。延喜式内社の物部神社の論社の一つである。
この地域を岩手と呼び、岩手八景・山梨市八景の一つに大石山の奇岩群が挙げられる。
| 大石神社 |
| 現地看板 |
現地看板および土橋里木『甲斐の伝説』(第一法規出版、1975年)によると、甲石・浮舟石・産屋石・影向石・屏風石・烏帽子石・立烏帽子石・指門石・浮橋石・胎内石・笠石・乳石・子守石・富岩・尾笠石・八畳石・石廠といった名前がついているという。
特に本殿背後の甲石は高さ12m、周囲67~68mで、中心的存在である。
文化年間成立の『甲斐国志』はこの石を「首鎧(かぶと)に似たり」と記し、「御影石」という名で表現しているが花崗岩としての名称を指したものかもしれない。
| 浮舟石(写真左手前) 甲石(写真奥) |
| 産屋石(写真右手前) 甲石(写真奥) |
| 影向石 |
| 立烏帽子石 |
| 烏帽子石 |
| 指門石 |
| 百足石 |
『甲斐国志』には、神宝に「拳石」があることも記す。
「長四五寸其形握りたるが如し」ということで、長さ15㎝弱でおそらくは手でギュッと握られた跡のような複数の凹部が入った奇石なのだろうと思われる。
これだけの巨岩を擁する神社でも、別で神宝として拳大の岩石を奉ずるという事実に注目したい。
2023年8月6日
山梨岡神社(山梨県山梨市下石森)
山梨県山梨市下石森
石森山・石森岡と呼ばれる小丘に大小の岩石が群れており、正しく石の森である。
吉村光敏氏「信仰巨石の地学観察技能講座」(2016年)によると、この岩の群れは人工的に構築されたものではなく、元は同一の岩塊が地震などによる炸裂破壊の現象によってこのような岩の群れに化したと考えられている。
開拓地を馴らした際にかき集めた土石の積み重なりなら、巨石が丘の上に乗ることはないだろう。
合計22体の岩石に名前がつけられている。
1つ1つの岩石自体に深いいわれはないかもしれないが、当時の人達の熱や愛着を示すものであり、現代人とはまた異なる認知のあらわれを読みとることもできるだろう。
現地ですべてを特定できなかったが、境内に掲げられていた岩石群の位置図に沿って紹介する。
2020年1月12日
笠石大明神(山梨県山梨市)
山梨県山梨市牧丘町西保中芦の沢
笠石大明神は笠石神社とも呼ばれ、芦の沢集落の鎮守である。
集落に入ると、数人の大人に引き連れられて大勢の子供達が集まっていた。どうやらお祭りの最中に偶々訪れたらしい。
祭りをされていた方々に尋ねたら、地区内の一軒一軒で獅子舞を演じて、その家の厄を祓っているのだとおっしゃる。
太鼓を叩く子供達と囃子唄も伴う。
元々は小正月(1月15日)に行なっていたらしいが、子供の集まれる休日の方が良いという理由で、探訪時(2008年)は日曜日の1月20日に執り行われていた。
何軒分か私も祭列に混ぜさせていただいた。聞くと朝の6時から夕方の5時まで、約70軒をこなすのだとか。祭りをさらっと見ている分には見過ごしてしまいそうだが、神楽自体も4種類あり、1つ1つがしっかりしたものだった。
さすがに全軒付き合っていたら夜になってしまうので、一足先に抜けさせてもらい、笠石大明神へ向かった。
| 写真中央の鳥居奥が笠石大明神。集落の上、山の端。 |
芦の沢集落の一番奥、山の入口に控えているのが笠石大明神である。
祭神は天照大神で、覆屋の中に鎮まる社は室町時代末期の作風と推定され、県指定文化財となっている。
| 教育委員会設置の看板 |
社殿の背後斜面に、数体の岩が顔を出している。
岩には亀裂が横切っているものが複数あり、それが結果的に「積み重ねた」ようにも見える。
笠をかぶせた様子にも準えることができ、笠石の名前がこの光景から由来していることが容易にうかがえた。
これらの岩々に特定の伝説や神格などは付帯していないようだが、山の端に立地して集落を見守る位置に鎮座することや、岩群の前に社殿を築いたことなどは、社殿以前に山の神に根差した岩石信仰が先行していたことを示す典型的な岩石祭祀の場と言ってよい。
また、下記のwebページによれば、笠石の上で5月5日に子供達がお重を食べる風習があったことを聞き取っている。
風と土の記録 笠石大明神~山梨三大石~
これは、同市山根地区にある八嶽山神社の夫婦岩で私が聞き取った風習とまったく同じであり、地域一帯では端午の節句において、岩石の上で子どもが母親の作る特別なハレの料理を食べて(おそらく)成長を願うという一種の信仰があったことをにおわせる。
八嶽山神社・夫婦岩・奥の院天宮神社(山梨県山梨市)
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