2022年4月24日日曜日

天狗棚の「石の広場」環状列石説について(愛知県北設楽郡設楽町)


愛知県北設楽郡設楽町津具 天狗棚


天狗棚(標高1240m)は天狗が棲む場所といわれ、一帯がハイキングコースとして整備された中に通称「石の広場」と呼ばれるエリアがある。

中根洋治氏「津具村の天狗棚」『愛知発巨石信仰』(愛知磐座研究会 2002年)のなかで、環状列石説が紹介された場所でもある。

中根氏はソースを明記していないが、愛知大学考古学会を創設した横山将三郎が次のような所見を述べたらしい。

昭和三十三年に愛知大学教授の横山将三郎氏が当地へ来て、次のような内容を地元の同行者に書き送った。
「この環状列石は墳墓としてのものより、黒曜石の産地として神聖な場所だから祭祀が行なわれた磐座に近いものであろう。」とのことであった。(前掲書より)


中根氏はこれを受けて、現地を訪れて以下の点をまとめている。

  • 石の広場の岩石は100個以上。
  • 南西部は円形になっているようにも見え、3個ほどは人為的配置を感じるが、全体としては自然の岩盤の一部だろう。
  • 発掘調査がされているわけではないので、環状列石としての認定は保留。
  • 石の広場には「天狗の手洗鉢」と呼ばれる手洗鉢状の岩石がある。石には水が溜まる窪みがあり、雨乞いの祭祀に使われた。祭りの日には注連縄を張る。
  • 石の広場から西方100mほど登った中腹に、高さ3mほどの石群がある。石の広場はこの石群に対応する「磐境」か。


石の広場は、遊歩道沿いに案内標識があるものの、肝心の現地にそれを示す標示が見当たらない。東屋が立てられている下写真の場所である。




おそらくこのあたりが、中根氏が円形を感じたという南西部の岩石群だろう。


「天狗の手洗鉢」は祭日にしめ縄が張られるとのことで、中根氏の前掲書に写真も掲載されているが、私が訪れた時にしめ縄や窪みの有無は見当たらず、どれのことか特定できなかった。


石の広場以上に、"石の広場"となっているのが、中根氏の指摘する西方100m上方の石群である。岩海という表現がふさわしく、石の広場のそれより岩石1個の規模も一回り大きい。





この石群と石の広場の間は遊歩道で分断されているが、斜面の流れとしては石群の直下、傾斜変換点となって平らになる地点に石の広場が位置する。

おそらく、斜面の石の広場から落石した礫群が堆積した場所が石の広場だろう。

石の広場の目印。写真奥上方斜面に石群があり、写真の標識の背中側に石の広場がある。

環状列石説の当否については、中根氏がおっしゃるとおり、発掘調査がされておらず遺物・遺構の認定ができなければ当然、自然の岩石群と評価するのが適切である。

人為的配置についても、いわゆる人工施設としての環状列石であれば埋蔵文化財として地中に埋没するのが一般的であり、また、地表に露出していれば再利用により岩石の移動・配置・改変がなされたことを考慮してしかるべきだろう。

つまり、現状の状態だけを見て云々することが、本来危険な行為と言わざるを得ない。

天狗棚の天白神社・国常立尊碑


2022年4月17日日曜日

雁峯山中腹の石座石/稚子石(愛知県新城市)


愛知県新城市須長 雁峯山中腹



側面に回ると亀裂で分かたれている。

背面に回ってもまた別の亀裂が入る。

側面と背面の亀裂が丁字に走った構造が、石座石の特徴となる。

石座石の周囲にも大小の自然石が群在する。

尾根上に列状に露頭が続く(尾根続きの露出なので当然ではある)

藤本浩一氏が「ユツイワムラ」と評した岩群(後述)

石座石の斜面上方にも岩群は続く。


学史より


石座神社旧社地に存する石座石と言えば、「いわくら(磐座/石座)」の代表的な事例として斯学では広く知られており、遠山正雄、大場磐雄、藤本浩一の各氏の記述を引く。


旧社地は、本社から十余町、相当急勾配の渓流に沿うた小高い二段歩許の茅原の平地で、中央に花崗岩の高さ一丈余、幅一丈半もあらう処の自然石が小なる二個と並び立ち、この周囲を広く巡らすに小形の自然石を並列してあります。
遠山正雄 「『いはくら』について」 第10回 第4巻第1号(1936年) ※旧字体は新字体に適宜改めた。


石座岩に到達す、大なる花崗岩の盤石にして、風化のため三個にわれたり、大体の大いさ高四米、巾五米、奥行五・五米あり。なほ附近に大小の花崗岩類頗る多く、この附近一の岩石地帯をなせり
大場磐雄『楽石雑筆』巻三十五(1952年)、茂木雅博(書写・解説)『記録―考古学史 楽石雑筆(補)』博古研究会 2016年


主体の岩は、高さ三メートル、周囲は十二メートルくらいの山形岩であるが、廻ってみると、二つの岩が寄り合ったようで、下の方では分かれて洞のように見える部分がある。周囲にはやや小さくはあるが、一~ニメートルの岩が十余り、ユツイワムラをなしている。これが石座神社の旧社地で、天保時代には末社とされていたが、社がないまま神の扱いを受けていたことが、『式内社考』によって証明されている。
藤本浩一『磐座紀行』向陽書房、1982年


複数の石座石・ちご石の問題


石座神社は現在、雁峯山(神峯山/雁峰山/神穂山)の南麓に鎮座するが、信仰の淵源を山頂付近の石座石(額岩)と位置付けており、中腹の石座石(稚子石)を旧社地や奥の院と称してきた。

山頂と山腹の両者を同じ石座石と呼ぶのは、石座神社がそれぞれまつる石という一般名詞としての意味合いだろう。


中腹の石座石は稚子石と呼ぶのは石座神社の社頭掲示であるが、一方で、中根洋治氏『愛知発巨石信仰』(愛知磐座研究会、2002年)によれば雁峯山の山頂から西の尾根に「児岩」と呼ばれる高さ4mほどの円錐状の岩石があるらしく、「ちご」に当たる岩石も複数見られる様子だ。

これらは、石座神社摂社の児御前社の信仰に関わるものと思われる。


社頭で配布されている「石座神社の神々たち」(著者不明、平成30年発行?)によると、児御前社は石鞍若御子天神(いわくらわかみこてんじん)を祭神とし、石座石の神格化であると位置づける。

さらに、「児御前社は、牛倉の中島じつ江さん宅東のこんもりした山(みこ山)に、鎌倉時代初め頃まで政所(まんどころ)が置かれており、そこの社であったともいわれている」と、地元ならではの独自情報を付記している。


いずれにしても、山の各所に特筆すべき自然石が点在することで、それらがそれぞれに神聖視されて神話のなかで児の関係性で語られるようになったと思われる。


アクセスルート


雁峯山中腹の石座石(稚子石)は、新城ラリーがおこなわれる雁峰林道沿いに入口があり、林道入口から石座石までは徒歩5分もかからない。

徒歩登山の場合は須永登山口から登山道があるほか、雁峰林道にたどりつくにはいくつかルートがある。

今回私は車で長篠設楽原PAルートを選択した。インターネットに詳述されていないためここに記しておく。


  1. 長篠設楽原PA (下り)へ下道からアクセスできる「ぷらっとパーク」を目指す。
  2. ぷらっとパークに入る直前に、新東名高速道路の高架前に交差点がある。ぷらっとパークは右折するが、高架下をくぐりぬける道を直進する。
  3. 「林道富永線」に入る。普通車可。対向車とのすれ違いは難しいが、離合地点は各所にある。
  4. 林道富永線を道なりに進むと、雁峰林道に合流する。雁峰林道はラリーが行われる場所ではあるが、落石や路面崩壊などで閉鎖されることもあり、また、ラリー開催時には立入禁止となるため事前に開催日などを確認されたい。
  5. 長篠設楽原PAから雁峰林道の石座石入口まで、車で約10分。


雁峰林道沿いの石座石入口。

石座石手前の沢(一部枯れ沢)にある岩場。
この沢をみそぎ場と中根洋治氏は前掲書で記す。

行き別れ観音址。今は観音は現地になく台石がその歴史を伝える。
台石は後世に記憶を伝える装置として機能する。



2022年4月3日日曜日

石座神社境内の石座石(愛知県新城市)


愛知県新城市牛倉

 

石座(いわくら)神社社頭に「境内 石座石(いわくらいし)」の標示がある。

場所は本殿右奥隅に位置し、一見して石垣と玉垣に阻まれているが、社殿向かって右側から玉垣の側を巡るように拝観することができる。

社頭掲示

切り株左の斜面のキワを進んでいく。

見下ろして接写した限りでは、くびれ部をもつ立石を中心として、その周囲に石垣石材とは異にする自然石が8個環状に集められている。

(玉砂利の石敷きも確認できる)

石垣隅の下に存在。

ズームして撮影。

上から撮影。

藤本浩一『磐座紀行』(向陽書房、1982年)によれば、次のとおり聞き取りがなされている。

「石座神社の本殿裏、末社との間などに村内から集めたという石が置かれている。それぞれ、前には石の神の扱いを受けていたというから、一種の末社というべきであろう。」

この記述を信頼するなら、これらの岩石群は村内に散らばっていた石神の可能性がある。

「石座神社の本殿裏」に当たる石群が現在の「境内 石座石」で、「末社との間」に当たる石群はたとえば下写真だろうか。

境内末社祠の傍らに集められた石祠・石塔群。丸石も見られる。

他社でも同様の岩石群などはしばしば見られ、一般にはただの自然の石とみなされるが、石座神社例を踏まえてその来歴の可能性を見つけなおす必要がある。


また、大場磐雄博士は昭和27年に石座神社を訪れ、その際に次の一文を記録している。

一の奇石ありて俚人荒神様と称し、今も山の神の日(舊二月七日と十一月七日)にぼた餅をあげる風あり、石の前に多数の箸あり、これは納め箸と称し小児生まれ百十日間に使いし箸をあげるなりと、この石はもと本殿の鬼門にありしを今この地に轉ぜりと
茂木雅博(書写・解説)・大場磐雄(著) 『記録―考古学史 楽石雑筆(補)』博古研究会 2016年

現在、これに相当する箸の光景は見られず、どのような形状の奇石なのか書かれていないが、もしかしたら境内の石のうちのどれかかもしれない。


石座神社では、神社の起源を北方の雁峯山(神峯山/雁峰山)頂上付近の額岩(石座石)に求め、中腹の稚子石(石座石)を文字どおり稚児的な存在に位置付けて奥の院とも称す。そこに列する形で山麓の本事例も「境内 石座石」と名付けている。

すなわち、当社にとって石座石とはまつる対象としての岩石を指す一般名詞であり、山頂・山腹・山麓のそれぞれを石座石と呼んだものだろう。

一般的には山腹の石座石がもっとも知名度が高いが、錯誤を防ぐため山頂を額岩、山腹を稚子石、そして境内は異名がないため境内石座石と呼んで区別したい。