2022年3月22日火曜日

産護石(群馬県沼田市)


群馬県沼田市新町

 

産護石大明神。場所を地元の方にうかがった際、ご高齢の方は「さんごしゃま」と呼んでいた。

拙著『岩石を信仰していた日本人』で、一節を設けて報告した場所。著書では割愛した情報を中心にお届けする。





産護石の前面下部は庇のような状態になっており岩陰ができている。岩石の一部が剥落してこのようになったのだろう。

この窪みが安産信仰につながった一因と思われるが、現地に来て気になったのは、産護石から少し上に登った斜面にもう1体、産護石よりもひとまわり大きい巨石が見られることである。



この巨石は、神聖視・特別視の対象ではなかったのだろうか。

巨石の底部には大小の岩石が詰められ、モルタルのようなもので固められている。さすがにこれは落石を防ぐための措置と推測されるが、さらに、巨石から2~3m手前に石積みが残っている。


さながら、巨石の前を壇上施設化したかのようである。

しかしこの巨石の周辺は産護石に比べ手入れされておらず、産護石を語る際に触れられる存在ではなく、現状でその歴史的価値は見失われていると言って良い。


なお、さらに斜面を登り尾根上の先端部に到達すると、頂上にも大小の岩石が群在している。



産護石の尾根は、名前は何と呼ばれる山なのか調査できていないが、利根川と片品川がちょうど合流するところにある微高地であり、ここからは麓の様子どころか榛名山も赤城山も見渡せる絶好の眺望をもつ。

少なくとも中近世にこの場所がスルーされていたとは思えず、尾根上の岩石群は諸設備の利用を受けたものと考えられる。それが砦など軍事用に振ったものか、墳墓や祭祀に振ったものかなどはこれも情報収集不足につき判断保留としたい。


2022年3月13日日曜日

こぶ石と猪俣の七石(埼玉県児玉郡美里町)


埼玉県児玉郡美里町猪俣

 

こぶ石は「瘤石」とも書き、拙著『岩石を信仰していた日本人』で一節を設けて報告した。

古墳時代~平安時代の長期間にわたる祭祀遺物が出土し、こぶ石を古墳時代当時から祭祀に用いたと考えられる。

こぶ石が元で名付けられたと思われる字名の「こぶヶ谷戸」を取り、こぶヶ谷戸祭祀遺跡(瘤ヶ谷戸祭祀遺跡)の名で知られている。


こぶ石は、所有者の株式会社横関酒造店の敷地内に現存する。

お店のホームページにおいても、こぶ石が下リンクのとおり紹介されている。

私が訪問した折、所有者の方はとても親切に対応してくださったので、願い出れば見せていただけると思うが、あくまでもよそ様の土地の中であることをご了承願いたい。

会社概要|横関酒造店|美里町

こぶ石(中央の二石。周囲の石囲いは現代の設置)

こぶ石の表面

こぶ石のすぐ近くではバイパス工事がなされていた。

横関酒造店

こぶヶ谷戸祭祀遺跡の出土遺物(美里町遺跡の森館展示品)

同じく展示品より

こぶ石は往時は高さ約2mほどあったといわれるが、現在は地表にわずか露出している状態であり、また、2個の露頭に分かれている。下に埋もれているという可能性もあるが、岩石自体は何らかの経緯で摩耗したのかもしれない。

こぶヶ谷戸祭祀遺跡は二つの川の合流点に立地するという地理的特徴があったが、バイパス工事と共に護岸工事も行われ景観が変わっている。

かつての合流地点の様子(こぶ石は合流点の東に立地)


こぶ石は、猪俣の七石または猪俣の七名石の一つといわれる。

その名のとおり、猪俣地区には7つの名だたる岩石があるということで、こぶ石以外で鏡石・福石・爺石(ぢぢいいし)・姥石・唸石(うなりいし)・櫃石(ひついし)が存在するという。


しかし、どうやら現在では有名とは言い難い状態のようで、こぶ石以外の6つの岩石についてなかなか詳しい情報が出てこない。

唯一、もっとも詳細な情報を記録しているのが、本間久英氏が著した「埼玉県に言い伝えられている石(岩石)」『東京学芸大学紀要』54(2002年)である。下記でオンライン公開されている。

http://ir.u-gakugei.ac.jp/bitstream/2309/42575/1/03716813_54_06.pdf


上記文献より、それぞれの七石の情報を引用する。

  • 瘤石 猪俣瘤ヶ谷にある。地表に出ている部分の長さは2m30㎝である。村人はこれを掘ると祟りがあるというので掘った人はいない。
  • 鏡石 猪俣上平にある。高さ2m、幅1m30㎝、横3mあって、上面が滑らかで鏡に似ているところから名付けられた。
  • 福石 猪俣福石の通称湯脇谷にある。高さ1m30㎝、周囲3m、その形が大黒点に似ているところから名付けて福石という。
  • 爺石 正円寺谷の南にある。高さ1m30㎝、周囲6mで、現在は沢の中に落ち込んで流れに埋まっている。
  • 姥石 猪俣姥石にある。高さ1m余り、周囲は6mばかりである。この付近を姥平と呼んでいる。
  • 唸石 記載なし
  • 櫃石 薬師前大地台にあったが、現在は美里村甘糟の岡寄氏の屋敷内に移った。長さ2m、幅1m程の物である。


上記は児玉郡児玉町町史編纂室からの回答(美里町ではない)とのことだが、それぞれの石は計測数値(1m30㎝が多いのが気になる。元来は尺貫法などでの記録か)が載せられていることから、おそらく自治体史編纂時に各石が調査・記録されたようだ。

「村人」「美里村」という書き方から、村制時代の1954~1984年頃の情報に基づくと思われる。

たとえば、櫃石が2022年現在も岡寄家の敷地内にあるのか、爺石が今も沢の中に落ち込んだままなのか、この数十年の土地開発の中で失われた岩石はないのかなど、改めて再確認が必要なのではないかと不安が残る。

また、こぶ石は祟りがあるから掘ってはいけないという禁忌が記されているが、ほぼ同時期にこぶ石は発掘調査を少なくとも2回受けている。

この発掘行為と伝承が相互にどのように影響しあったかは興味深いところである。


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2022年3月6日日曜日

法石山常在院の殺生石(福島県白河市)


福島県白河市表郷中寺屋敷

 

法石山の号は、本堂裏にある殺生石に由来する。


かつて那須野が原で九尾の狐が変じた殺生石を、元中2年(1385年)に源翁禅師が衣鉢を授け、花を手向け焼香し、殺生石の魂に仏法を教化した。

殺生石は成仏するとともに幾片(三つとも)にも砕け散り、全国各地にその石片が飛散した。その石片が飛び散った場所の一つが、この常在院の殺生石といわれる。

常在院は源翁禅師の開基とされ、室町時代に常在院2代目の和尚が製作したという「源翁和尚縁起」「源翁和尚行状記」にこの殺生石伝説が記載されている。


常在院における殺生石は、仏心を得て改心したものであるため、法石稲荷(注)と呼ばれ仏法保護の神に転じている。

殺生石が飛散する前の常在院の山号は「法水山」だったという逸話もあり、殺生石の置かれている場所は山の清水が滴り落ちる場所でもある。




古い写真で見えにくく申し訳ないが、丸い台座のような自然石の上に乗っている石片が殺生石である。

下の石は、ただ台座というだけではないかもしれない。

国際日本文化研究センター「怪異・妖怪伝承データベース」によると、次のような伝説が残る。

竜女が常在院の源翁和尚に説法を頼み、救われた。お礼に寺の殺生石の下に水を引いた。竜女がその後お産のときに温めて抱いた石も寺にある。

竜女,竜宮姫 | リュウジョ,リュウグウヒメ | 怪異・妖怪伝承データベース


殺生石の下を流れる沢が竜女の信仰をもち、お産で抱いた石が寺にあるということで殺生石の台座の石がそれに該当するかは確認が取れていないが、このように表立って知られていない物語が一つ一つの岩石に込められている(いた)かもしれない。


『西白河郡誌』(1915年)によると、法石稲荷社の社殿自体は明治40年の再建とある。

https://lab.ndl.go.jp/dl/book/925911?page=173(次世代デジタルライブラリーより)


参考文献

  • 「源翁和尚行状記」(コピー)
  • 「源翁禅師略伝並に常在院由緒」(常在院発行)


2022年3月1日火曜日

高草山の岩石信仰(静岡県藤枝市・焼津市)

静岡県藤枝市岡部町三輪・焼津市関方

 

拙著『岩石を信仰していた日本人』で、一節を設けて報告した場所。


神神社の岩境(みわじんじゃのいわさか)

神神社拝殿背後に存在。

三ッ鳥居


三ッ鳥居(禁足地)の奥に岩境があるというが、遠くからは見えない。

岩境の前に、5対の大きな御幣を立てて山宮祭(やまみやさい)が行われる。岩境は社殿建立以前の祭祀場だったといわれ、辺りは小丘状に盛り上がる。

現在でこそ住宅地と道路で仕切られるものの、等高線の流れを見ると高草山の西方に広がる丘陵帯の最西端を占める。神神社からは、なだらかな三角形の山容を見せる高草山を望むことができる。

神神社から望む高草山


三輪の山の神


岡部町三輪公民館前(藤枝市)の地図に、「三輪の山の神」のほぼ正確なポイントが落ちている(2022年3月現在、Googleマップにもマッピングされている)。

神神社の三ッ鳥居は高草山山頂を向かず、山の北西山腹方向を向き、地図上では三輪の山の神が位置する。

高草山は林道が張り巡らされ、これを利用して車で山の神の手前までたどりつける。普通車で対向車もすれ違える道幅の立派な林道となっている。

山の神へ取り付く山道には注連縄が渡され、解説板も標示されわかりやすい。山道は、三輪川の水源の1つとなる谷間沢沿いに進む。

三輪の山の神 入口

傍示

沢沿いを進む。

三輪の山の神。右に沢が流れる。

山の神 近景

山の神祭で使用されたと思われる祭具類が残る。


関方の山の神


岡部町三輪の南隣に接する関方地区(焼津市)へ向かうと、関方登山口の手前に「関方の山の神」の存在を示す看板が立つ。ただ、三輪公民館のそれに比べてアバウトな位置を示す。


当初この地図を参考に、関方の山の神に取り付ける車道まで来たが、三輪の山の神と違って入り口に案内の類が一切見当たらない。さらに、車道から山中に入っていく踏み跡(最初の数段だけ石段やコンクリ固めがしてある)が何ヶ所も存在し、どれが山の神へ取りつく道なのかわからない。

2~3か所の入口を少し踏み入れたものの、登るとさらに道が分岐し、いずれの踏み跡も細く頼りない。車道を歩く地元の人もおらず、保険用にメモしていた焼津市歴史民俗資料館に電話で尋ねるも、言葉では説明できない場所で現地の人の案内がないと難しいとのこと。

そこで初回の探訪(2009年5月3日)では探索をあきらめたが、後日ヒントとなる写真を見つけることができた。


http://mumon-endainikki.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-705a.html
(無門さんのブログ「無門の縁台日記」より)


関方山の神祭りの2009年2月の貴重なレポートであり、この記事の5枚目の写真が山の神への入口らしい。コンクリート階段の向きと木箱の存在から、複数の踏み跡の中から入口を特定できる。

そこで同年9月13日再訪して、ブログ写真と同じ入口を発見できた。

関方の山の神 入口(写真右の石段から)

しかし、登り始めてすぐに踏み跡がわかりにくいレベルに道が怪しくなる。季節柄、藪の繁り具合が半端ではなかったというのもあるが、分岐のような場所も見られどれが山の神へのルートなのか迷うので注意である。

言葉でルートを説明するのは難しいが、あえて言うと下記が注意点である。


  • 登ったらすぐ、流水路(晴天時は水が流れていない程度)をまたぐ踏み跡の方へ進む。
  • コツは、山の上方を登るというより、なだらかに北東方向に続く比較的ましな踏み跡を進む。
  • 途中、踏み跡がブッシュで埋もれるが(9月時点)臆せず進む。
  • さらに進むと、踏み跡が崩れないよう斜面を丸太で垣状に保護した地点があるので、そこまでくればあと少し。


入口からトータルで10分ほど歩くと、関方の山の神が姿を現す。

関方の山の神

山の神 近景

側面から。竹矢と榊が供えられていた。

山の神に横たわる竜神の形代(写真下部の藁)

竜神は岩石の下部先端を横渡しするように残されていた。

裏の谷間にも2ヶ所の露岩が確認できる(写真左手前と右奥)

関方山の神祭りの説明看板(現地にはなく麓にある)


尾根地形に出現した露岩をまつったもので、三輪の山の神が谷間立地であったのとは対照的でもある。

関方の山の神においても、尾根の両側は谷間地形なので雨が降れば沢になるかもしれないが、水が常時流れている沢は目視できる範囲では見当たらなかった。


山の神直会場、時石、その他


関方の山の神から、標高ベースで約50m下方の斜面に「山の神直会場」がある。

地理的には、山の神に相対するように谷の反対側へ設けられている。

ここは車の離合箇所が特に広く作られ、祭りの時は格好の直会スペースとなるのだろう。

山の神直会場

また、高草山中には「時石」と呼ばれる岩石が存在する。

三輪の山の神がある谷から東へ進んだ谷間の標高約150m地点に位置し、谷の東崖上に今にも落ちそうな楕円形の岩石があり、これが時石である。

岩石の表面は風化浸食激しく、傍らに木製の由緒板も建つが、字の大部分が消えおちて読めない。

時石(南から)

時石(東から)

現地看板

わずかに読めた字から推測するに、正午になると日光がちょうどこの岩石の頭上を照らすことから、山道を往来する人や山仕事をする人に対して正午を知らせることから「時石」の名があるようだ。そして、赤ん坊に乳を飲ませる目印にもしたようだが残念ながらそれ以上は判読できなかった。


また、現在閲覧することができないが、「ふるさと探訪05」(ウェブサイト「ティールーム高草野」内)というページには高草山周辺の多くの岩石が記録されていた。ネット情報なき今、代わりに以下紹介する。

  • 高草山中腹には「ボタモチ石」「オカメ石」「ムジナ石」などがあるという。
  • 関方に隣接する策牛地区には「おくまの石」という岩石があり、紅や白の「カナ糸」を供えることで機織り・裁縫の願掛けを行なっていたという。
  • 関方に隣接する方の上地区の宮街道沿いの斜面上に、馬の蹄跡が残るという岩石がある。


最後となるが、高草山の北西麓の国道1号線近くに立石神社(藤枝市岡部町内谷)という神社を見かけた。

名前に惹かれて立石を探したが、見当たらなかった。ここは明治時代の合祀時に地名から神社名を立石神社と名付けたものというが、地名としての立石が存在した可能性は残る。

立石神社由緒

立石神社境内にあった石祠と露岩。これを立石と見るのは疑問?



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