2016年12月27日火曜日

立岩(三重県津市)



三重県津市美里町南長野

立岩
たていははし(立岩橋)

立岩
長野川の真ん中に、2体の巨岩がもたれ合う。
これを立岩大明神・夫婦岩と呼び、かつてはここに立岩神社があったという。
(どのように祠がまつられていたかは情報収集不足につき不詳)
現在は長野神社に合祀。

立岩
立岩の中心に梵字が刻まれているのが確認できる。

津市の民俗有形文化財に指定されているが、現在は信仰・祭祀は継続されていないらしい。

2016年12月23日金曜日

カエデの森(三重県津市)



所在地:三重県津市白山町真見59-2


Googleで「磐座 三重」と打つと、トップページが上の画像のようになります。最近になって気づきました。

「カエデの森・磐座遺跡」
なんだろうここは。
三重県在住で磐座歴15年ですが、このような場所は初めて聞きました。

おそらく、この表示はGoogleMapで地点登録されたことによるもの。

この地点登録の手続きや基準を私は知りませんが、私がどうあがいても到達できない検索1ページ目をやすやすと叶えてしまうのだから、なんとも虚無感があります。

ということで、さっそく先日現地を見に行ってきました。三重県民として。


2016年12月19日月曜日

2016年12月17日土曜日

渭伊神社境内遺跡(静岡県浜松市)

所在地



静岡県浜松市北区引佐町井伊谷字天白

出典

辰巳和弘・編 『天白磐座遺跡』(引佐町の古墳文化5) 引佐町教育委員会 1992年
辰巳和弘 『シリーズ「遺跡を学ぶ」033 聖なる水の祀りと古代王権・天白磐座遺跡』 新泉社 2006年
藤本浩一  『磐座紀行』 向陽書房 1982年

渭伊神社境内遺跡

いわゆる「天白磐座遺跡」に対しての警鐘 


渭伊神社の背後に薬師山(標高41.75m)があり、頂上に多数の岩塊が露頭している。
これが渭伊神社境内遺跡である。
山頂の露岩群を中心に、古墳時代から鎌倉時代前期まで連続した祭祀遺物・祭祀関係遺物が出土した。

遺跡発見者であり、発掘調査を主導した辰巳和弘氏が「天白磐座遺跡」と命名した。
一般にはこの名前が知られる遺跡だが、史跡登録時の正式名称は、渭伊神社境内遺跡である。

遺跡発見より遡ること約10年前、『磐座紀行』著者の藤本浩一氏が当地を訪れ、同書にて磐座の例として紹介した。
現地には同書に影響を受けたと思われる説明板も立てられている。
このことから、氏の紹介以降、当地が「磐座」と呼ばれるようになったようである。

元々、地元ではここは「おがみ所」という名前で呼ばれていたという。

以上の経緯から、当地は旧来から「磐座」と呼ばれていたというわけではないことに注意を払いたい。
文字記録がなくまだはっきりしたことがわからない古墳時代の遺跡に対して、容易に「神の御座所」という意味合いを持つ「磐座」という語を当てはめて良いとは私は思わない。

当遺跡の古墳時代の遺物の出土状況から、特定の岩(報告書中で「岩A」と称されている)をまつった様子は推定できるが、それがすなわち「磐座」とは即断できない。「石神」など他の可能性も否定できないからだ。
このような現状で、「磐座」という限定的な意味を持つ名称を付することには慎重でありたい。

地元で真に伝承されてきた「磐座」であればいいものの、今回のように、外部の人間が持ちこんだ外来語としての「磐座」がないまぜになって、後世に勘違いが起こることを防ぐのは私たちの役目であると思う。

露岩群の岩の割れ目より平安~鎌倉時代の経筒外容器が出土していることから、中世に当遺跡は経塚として機能していたことが明らかになっている。
ということは、当遺跡は、年代によってさまざまな性格・役割を持つ複合遺跡であると言える。

であるならば、当遺跡の名称は古墳時代に偏重し中世の経塚を切り捨てる「天白磐座遺跡」ではなく、史跡の正式名称であり、あえて言うなら「現代」の状態を忠実に示す「渭伊神社境内遺跡」の名称を私は使用したい。

本例から、「磐座」の用語濫用で本来の歴史を改変してしまう諸問題が全国各地で起こっていることに、せめて読者の方は関心を持っていただければ嬉しい。

なお、この露岩群から西斜面に下ると、神宮寺川の崖沿いに「鳴岩」と呼ばれる巨岩が存在する。

2016年12月13日火曜日

高座山(愛知県春日井市)

所在地




愛知県春日井市高座町

出典

高蔵寺町 『高蔵寺町誌』 東春日井郡高蔵寺町役場 1932年(ブックショップ「マイタウン」 1988年復刻版)

高蔵神社合成

高座山

情報

・標高194m。山頂付近に高蔵神社が鎮座し、社祠の背後に岩盤の露頭が認められる。

・高蔵神社は熱田神宮の奥ノ院と伝承され、熱田神宮付近と同じあるいは似通った地名が高座山周辺に残るという。

・高座結御子神社(名古屋市熱田区高蔵町)は、元来高座山に鎮座していたのが『延喜式神名帳』編纂以前に熱田に遷座したという話もあるが実際は不明である。

・本事例に関して、次の興味深い情報がある。
「名古屋権現坊古文書に曰く、昔シ熱田ノ蓬ゲ原即チ島山ノ時海シヨウノ上ル時ハ熱田神宮御神体ヲ高蔵神社(○この高蔵神社は熱田の高蔵神社ならん。)ノ裏ニアル大磐石ニ御移シ給ヒシト之レヲ高御座ト称セリ。 註 本村高蔵社の裏亦大磐石存せり。」
(高蔵寺町『高蔵寺町誌』1932年。旧字体は新字体に直した)

2016年12月9日金曜日

新溝神社(愛知県岩倉市)

所在地




愛知県岩倉市本町宮西

出典

岩倉町史編纂委員会 「新溝古墳」「岩倉と磐座」「新溝神社」 『岩倉町史』 岩倉町 1955年
浅野平雄 『磐座』 岩倉史談会 1978年
中根洋治 「岩倉市」 『愛知発巨石信仰』 愛知磐座研究会 2002年

概要

新溝古墳という円墳の上に建てられている神社。

円墳上には古くから岩石群があったといい、大正初年に社殿を改築した際に岩石群を動かし、一部を拝石としてまつり、一部を石段の台石などに利用したという。

岩倉市の地名の由来になった「いわくら」とされている。


2016年12月5日月曜日

真清田神社の神体石と覚王山日泰寺の真清田弘法

所在地


真清田神社・・・愛知県一宮市真清田1丁目2-1
真清田弘法・・・愛知県名古屋市千種区法王町1丁目1 覚王山日泰寺境内

出典

遠山正雄 「尾張地方のイハクラに就いて」 『愛知教育』第551号 1933年
遠山正雄 「愛知県一ノ宮国幣中社真清田神社本殿の後方にありしもの」 『皇学』第3巻第3号 1935年
森徳一郎「郷土史談(三二) 真清田神宝流出記(5) 十六 龍神石」『一宮市公報』No.180~No.181 1935年
森徳一郎  『真清田神社江戸時代の神宝と流出』 (一宮史談会叢書8) 一宮史談会 1964年
真清田神社史編纂委員会編  『真清田神社史』 『同資料編』 1995年
真清田神社造営奉賛会編・発行 『真清田神社復興造営誌』 1969年
小池昭 『民俗・習俗を科学する―カミ・神・神社とその周辺―』(小池昭著作集 一) 2000年
山口恵三 『尾張一の宮私考―真清田神社七不思議―』(一宮史談会叢書21) 一宮史談会 1995年
チェリーさん・酔石亭主さん・管理人MURYによる当サイト掲示板への投稿 (2013年9月12日~2014年5月8日)
現地看板

2016年12月1日木曜日

平津豊『イワクラ学初級編』(2016年)書評

イワクラ(磐座)についての最新書となるので即購入しました。


著者の平津豊氏は、イワクラ(磐座)学会理事です。

正式な書籍タイトルは『ギザの大ピラミッド、ナスカの地上絵より精緻!地球最古の先駆け文明【イワクラ学初級編】縄文の壮大なる巨石モニュメント』(ともはつよし社、2016年11月刊)

長い(笑)
平津氏のブログ(10/30記事)を見ると、キャッチコピーは出版社がつけたそうですが、書誌情報泣かせですね。

ブログに先行公開されていた下の目次に惹かれました。
  • 「磐座」という言葉
  • 「磐境」・「神籬」という言葉
  • 「神奈備」という言葉
  • 「石神」という言葉
  • 「磐座」の分類
  • イワクラ(磐座)学会の定義
イワクラ(磐座)学会の最新定義も気になっていたので、この本で私自身のイワクラに対する考えもアップデートしておきたいと思いました。

2016年11月28日月曜日

『日本の石の民俗』全六巻(明玄書房)

堀田吉雄・橋本鉄男・印南敏秀・小谷方明・酒向伸行・鹿谷勲・吉川寿洋『近畿地方の石の民俗』(明玄書房、1987年)を購入。


200ページ弱で、そこまで分厚い本ではありません。


県別に、各県の専門家が石の民俗を執筆しています。

民俗事例ごとに項目を分けて書いています。
写真の目次を見るとすごそうに見えますが、そこまで一例一例の詳細は書いていません。
民俗調査報告書のように、研究に引用できるほどの詳細さはありません。
そういう場所もあるのか、と事例リストに入れるにはじゅうぶん。その事例を知る手始めの書ですね。

あと、所在地などがはっきり書いていないことが多く、情報検索性は正直低い。
昔の文献によくある、各事例を筆の進むままに書き連ねていく内容です。

でも、正直、この本でまだまだ知らない事例に出会いました。感謝以外の何物でもありません。

そもそも、こんな本が刊行されていたことを知れたのが嬉しかったです。
石の文献を探して15年強。
もう石の民俗事例集は出尽くしたと思っていました。
まだ出会えますね。


『日本の石の民俗』全六巻のシリーズの1つでした。地方別に巻が分かれています。
近畿地方で4800円。全巻だと31800円・・・。
どうしようかな(笑)


2016年11月25日金曜日

乳岩(岐阜県関市)



所在地:岐阜県関市下之保轡野


車1台がやっと通り抜けられる車幅の峠道沿いにある

乳岩
「乳岩」「乳岩さま」と呼ばれる鍾乳石があり、乳岩神社としてまつられる

乳岩
鍾乳石の乳岩

乳岩からは常時雫が滴り落ちており、それを受ける容器にはなみなみと水がたたえられている。
水からは乳の甘い匂いがするといい、乳の出が悪い人や、乳の出すぎる人にとってもご利益のある霊水という。後年には、癌封じにも霊験ありといわれるようになった。

傍らには柄杓があり、霊水をすくえるようになっている。
願いが叶った暁には、布きれを作って奉納するしきたりがあったという。

乳を求めた赤ん坊が、この乳岩の水を飲んで泣き止んだという地元の伝説が残っている(詳細は参考文献参照)

■参考文献
NPO法人日本平成村 武儀のむかし話伝説ロマンウォークの会 『武儀のむかし話伝説ロマンウォーク 下之保轡野コース』(発行年不明)

2016年11月22日火曜日

日本人も日本の巨石に熱い視線を注いでほしいですね

海外には奇想天外な巨石がたくさんあると私は思うのですが、海外の人から見ても、日本の巨石や石造物には何か惹きつける魅力があるのでしょうか。







見ていると、古墳の石室など人工的な造形や、周囲の景色とのギャップに目が止まった感じ。
私も負けずに、造形的におっ?と思ったコレクションを貼ります。


岩室稲荷神社奥の院

五枚岩

2016年11月16日水曜日

「岩石信仰と歴史観」受講者コメント

「歴史観の形成」の授業後、100を越すたくさんの感想をいただきました。

いずれも熱いコメントばかりでした。ありがとうございます。

思う人10000人、始める人100人、続ける人1人といいます。

皆さんのこれからの研究活動に、岩石信仰の世界や視点が加味されることを願います。

すべてのコメントを載せることはできないので、一部をご紹介したいと思います。

学ぶことや研究することに対する、受講者の方々のはちきれんばかりの知的好奇心を感じとっていただければ幸いです。

 
あなたの価値観を考えなおすきっかけを与えられたのなら、こんなにうれしいことはありません。

ぜひ、みんなが注目していないことに注目してみてください。

 
人生一度しかないですから・・・。
あなたの好きなことをを後押しできていたらいいです。


方法論が決まれば、あとは何を研究しても磐石です。
研究対象から学ばされることも多々あります。

 
私もこのことを、大学生の時にだれかに気づかせてもらいたかったなあと。


友達とまったく違うことをやってこそ、アイデンティティが出ます。
無意味とカテゴライズされたものに、執着してみてください。


明日からの大学の授業、目の前の光景が変わりそうですね。


力石の質問ありがとうございました。
「過去の人物の重み」を知って研究していけば、歴史学として間違ったことにはならないと思います。

そのとおりだと思います。


みんなが同じことに興味があったら、変ですよね。


卒論、楽しくなりますよ。


岩石信仰の世界に飛び込んでもらってOKです。待ってます(笑)


人間は金太郎飴じゃないですもんね。


違和感のある価値観を提供できて、安心しました。


「予想通り」を覆すのに必死でした。


でしょう。90分でも短いですが(笑)


本もインターネットも、同じ「人」が書いています。


「選択と集中」をすることは、狭い世界を一点突破するだけに見えますが、一点突破すると、他の世界とつながる視座を手に入れることもできます。


石というキャンパスに、人間が勝手に思い思いの考えをぶつけているのです。


『夏目友人帳』 妻が読んでいました。世界は狭い。


価値相対主義に陥らないように自戒することが、今の私の目標です。


巨石や磐座と違って、たしかに岩石信仰という言葉に先入観はありません。だから流行らないのかな?


ぜひメタ学習していってくださいね。


自分の思ったことを、口に出したり、文字に書いた時点で、心の中からは変節した気になりませんか?
信仰も同様だと思って接することが大事です。



目の前にいる人の心さえ、推し量れないことが多いですからね。過去の人々はなおさらでしょう。
そう思えると、否応なく謙虚に扱います。


心の解釈可能性は、人の個体数だけあると思うと、人生すべて研究ですよね。


悩んだ末の卒論は気持ちいいはず。


11/14は"良い石の日"。言った甲斐がありました。


岩石を愛する人を育てるよりも、岩石に接する人に失礼がないように接する人を育てたいと私は思っています。


なるほど。また新しい受け止め方に私自身が気づかされます。


英米文学の方の心にも響く話ができて良かった。


もう出会っているのかも。


私が、信仰全般に手を出さない、海外に手を広げない、わからないものを判断保留するのは、選択と集中をしないと手に余るレベルだからです。


自分の限界と偏りを自覚すれば、歴史を創ることにも断罪することにも慎重になれます。


そのとおりです。


研究者が研究の対象にしているのは、研究者じゃない人であることがほとんどですからね。


そう、毎日が楽しく行動できますよね。そしていつでも研究に還元できる。


信長の話が皆さんの興味をひく話になっていたようで、ほっとしました。


存分に貫き通してください!


岩石と同じで、自分がいろんなことに対して色を変えるカメレオンになれば、情報の貯蔵庫になれます。
研究者ってそういう人だと思います。


違和感を飲み込むのには、多大なエネルギーを費やすと思います。
研究は、楽しくないこともしてこそ研究になる気がします。


好き勝手喋って良かったです。
市民権を得ていないものを、社会に還元して市民権を得ようと、もがいているところです。


石が原形のイマージュということに納得した方がいて驚きました。
これだから人間は面白い。


西洋史も、歴史を扱う時の手順は共通するものばかりだと思います。


一つのフィールドをつきつめた後に、見えてくる世界があります。


嬉しいコメントです。西洋史概論の先生にナイストスができたわけですね。


ネズミのヒゲに物体を当てるより、ネズミから物体に当たりに行った方が脳波が激しくなるという話を聞きました。


普段からの観察眼が細やか!
石が人を遠ざける、人を避ける厳然たる存在というのも、きわめて最終ゴール的発想ですね。


これからも咀嚼しにくい事態に出会うことが多いかと思いますが、辛抱です。


いま目の前にあるものを見て、その使い方を30通り挙げていく思考実験があります。
意外と、30も解釈が出てこないんです。


哲学者のキェルケゴールさんの発言をお借りしました。


パワーストーンを信じることも一大テーマです。
研究できたら、その結果をぜひ教えてくださいね。


 岩石がありふれすぎなんだと思います。
どこまで岩石のせいにしていいものでしょうか?


神社の資料に石が登場しているもの。
私も知りたいので投稿を待ってます。

岩石信仰を研究していると、岩石信仰の事実認定がまず難しい・・・。
常に、自分が過去の人々に試されている気持ちになれます。


すごい話を聞けました。



岩石も人の心のプレーンな写し鏡とはならず、岩石の姿から心理的に受ける"ノイズ"があると思うので、そこに岩石信仰の特性が眠っている気がします。


最後のコメントが重要ですよね。
「へ~そうなんだ」だと、「続ける人1人」になってくれなさそうなので、ぜひ考えることをあきらめないでほしいなあと、そう願っています。
「続ける人」って、もれなくしつこい人のはずです。