2022年7月31日日曜日

竹之原神社/石神大明神(宮崎県西臼杵郡日之影町)


宮崎県西臼杵郡日之影町七折


竹の原(竹ノ原)地区の産土神で、かつて存在した高千穂郷八十八社の一つ。

現在は竹之原神社の名だが、江戸時代までは石神大明神を称していた。

社殿の背後、丘陵頂部に高さ約3mの立石状の岩石をまつっており、これが神号の由来となった石神大明神と推定される。




当地の歴史に関する情報は僅少ながら、Facebookアカウント「日之影町の神社」さんの投稿が最も詳しいと思われるので紹介する。



石神大明神に関するポイントをまとめると次のとおり。


  • 高さは9尺(約3m)。二つの岩石からなる。
  • 石神様と呼ばれていた。
  • もともとは村の下にあったのを丘の頂上に移してまつった。
  • もともとは二つの岩石の間を通り抜けるくらいの隙間があったが、年々、岩石が大きくなり通り抜けができなくなった。
  • 石神に接して置かれた石祠の一つ「伊佐賀嶽大明神」の「伊佐賀」は、「磐境」から由来する可能性がある。


そこにあった自然石をまつらず、まつる岩石を持ってきたという伝説が類例少なく珍しい。

事実がどうであったかは未検証ながら、集落がまつりたい場所にまつるべき神体がなければ用意するということはあるだろう。高さ3mの2体の岩石を麓から上げる労を得たかどうかはわからない。

年々岩石が成長するという成長石(生長石)信仰は各地に類例多く、また、施設としての磐座ではなく信仰対象としての石神の性格をじゅうぶんに伝えるものである。

「伊佐賀嶽大明神(右)」「山神(左)」の石祠。二基の石祠の間に由来不明の丸石もある。

竹之原神社の表参道は、集落をV字に迂回するように存在。

竹の原大師堂の横から上る裏参道のほうが近い。

裏参道の小径


2022年7月23日土曜日

夜泣き石(宮崎県西臼杵郡高千穂町)


宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井

 



『神々の坐す里 高千穂の神社』(高千穂町観光協会、2007年)や『高千穂の神話と伝説』(21世紀TAKACHIHO、発行年不明)などの高千穂の観光ガイドに明記される「夜泣き石」だが、内容説明は現地看板(上画像)が最も詳しい。

夜泣き石には、石が泣くパターンと、赤ん坊の夜泣きを石が止めるパターンの2つがあるが、その両方を併せ持った事例である。


天村雲命が水を湧かせたという「天真名井」のすぐ近くにあるが、関係性は不明。

「古くは天真名井の下を流れる神代川の清流にあり」とのことなので、もともとは現在地にはなかったらしい。川の下から、川の上へ移設したということになる。


また、『神々の坐す里 高千穂の神社』(2007年)掲載の写真では、夜泣き石の周りに木製の玉垣を建てて前を注連縄でわたしているが、現況はその玉垣が見当たらず、注連縄らしき残骸が岩石の上に横たわっていた。

横を流れる川も近年護岸工事されたと思われる状態で、夜泣き石の周辺景観は落ち着かないようだ。

夜泣き石と川の現況

天真名井

天真名井の現地看板

夜泣き石と天真名井(写真右奥)の位置関係


2022年7月17日日曜日

論文紹介「『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか―奈良時代以前の岩石信仰と祭祀遺跡研究に資するために」(2022年)

『地質と文化』第5巻第1号(2022年6月30日発行)に論文を発表しました。


『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか
―奈良時代以前の岩石信仰と祭祀遺跡研究に資するために―


・論文(掲載誌オンライン公開pdf)
https://drive.google.com/file/d/1Mi3lGIblp-0D_SOXAdxTO2u1YI-IsonD/view

・論文使用データ(excel)
https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/download/542368/bccf29a0d97bee9f7e3f5397cb8d71b6/26280?col_no=2&frame_id=1068049

――目次――

1.問題の所在

2.論点の整理

2-1.先行研究の整理方法
2-2.論点その1 岩石に帯びる普遍的な精神性とは
2-3.論点その2 神は岩石に対してどのように宿ったか
2-4.論点のまとめ

3.『古事記』『日本書紀』『風土記』における岩石記述のデータ化

3-1.分析史料
3-2.分析方法
3-3.岩石の精神性に関する記述
3-4.岩石とともに登場する自然物の記述
3-5.岩石の機能に関する記述

4.神の宿りかたについての再検討

4-1.石神に関する記述
4-2.磐座に関する記述
4-3.磐境に関する記述
4-4.神の宿りかたに関する記述

5.まとめ

補遺

――――

本文34ページ、表37ページの計71ページです。
字数制限のない掲載誌でしたので、それに甘えて論文としても長くなりました。お時間のある時にどうぞ。

自己書評

本論文のダイジェストは、論文冒頭に載せた要旨のとおりですが、論文紹介も兼ねて、著者なりのポイントを章別にコメントいたします。

■ 1章(問題の所在)

問題の所在は、2002年の頃から私の中ではずっと変わっていません。
その状況を動かすために、論文を書いているのだと思います。
毎回同じ問題を取り上げているなと思われたヘビーユーザーの皆様がおられたら恐縮です。

今回は「時間軸・空間軸を絞ること」「他の時代や外国の史資料に安易に依拠しないこと」をテーマに置いています。
論文サブタイトルが示すように、私の最終研究テーマは文献登場以前の岩石信仰にあります。
その土台は、まず国内最古級をもっとも遡及できる文献群『記紀』『風土記』に求めました。
ですので、文献登場以前を解明する論文ではなく、「隣接」することが目的だと書きました。

なお、『萬葉集』もその点においては有用な史料ですが、歌謡を明示的に解釈することは現状難しいため分析からは外しました。いつか、分析の手立てが自分なりに掴めればと思います。

■ 2章(論点の整理)

先行研究をまとめた章です。
ただし、網羅的にはまとめていません。紙幅が足らないのと、論点がぼやけるのが理由です。
査読のなかで、取り上げる論点についてさらにわかりやすくできないかとご意見もいただいたので、最終的には「論点その1」と「論点その2」に節を分けて、最後に箇条書きで論点を書きだしたという流れです。

研究史は、各研究者の研究紹介を事実面で記していくのが基本形です。
しかし、特に石井匠氏の研究については本論の研究方針を決定づける内容でもあったため、本論では研究史の中で石井氏と私の立場を対比することにボリュームをとりました。

■ 3章(データ分析)

本論文のメインとなるデータ分析の章です。
掲載誌が地質学分野ということもあり、分析史料である『記紀』『風土記』についての基本的な紹介にも紙幅を割きました。時折、歴史学畑の方には初歩的な記述や注もありますがご寛恕を。
概要とはいえど、いざ文章にしようとすると下手なことは書けず、国文学の先学にかなり頼っています。

さて、本論文に自己批判を入れるとしたら、データ分析の手法が正しいかということです。

本論では、岩石の記述を文の固まりで1事例化しましたが、文献記述は本来定性的なものでそれを定量化することには困難が伴います。
だから、単語単位で分析をかけるテキストマイニングであればまだ大方が肯定される範囲ですが、意味のある文章の固まりで1事例とするとその事例の分け方に恣意的なリスクが出てきます。

たとえば、岩石の単語が1カ所しか出てこない記述を1事例とするのと、岩石の単語が一文に複数出てくる記述を1事例とするのを、同じ1事例と扱ってよいのか。
悩むところでしたが、データとしては同じ1事例でも、分析項目別に数値化してその数値を考察に用いれば問題は解消されると考え、「岩石の精神性」「岩石とともに登場する自然物」「岩石の機能」の3つのアプローチで3種のデータを考察に用いる形で対応しました。

もう一つの自己批判点は、精神性や機能といった定性的評価に陥りやすいものを認定する際に、分析者各自で揺らぎが出ないかという問題です。
基本姿勢は、本論文中で記したとおりです。文字に書かれていること以上の暗示的解釈を極力省くことで、どなたがみても肯定いただけるレベルまで消極的評価にこだわりました。さらに、生データもさらけ出し、細部においてもマスクデータをなくすようにしました。

それでも多少のデータ解釈の揺らぎはあることと覚悟しています。
しかしそれはいわゆる誤差の範囲内に収まると認識しており、第5図、第6図、第10図などに示したグラフの各要素の比率などについては大きく評価が変わるものではないと考えています。

いずれにしても、他者(この場合は『記紀』『風土記』という時代の離れた他者)の文章を現代人が論理的文章という論理の中で定性的に解釈することの限界を感じて、最低限明示できるデータを提示することに価値を置いたのが本論文です。

■ 4章(考察)

3章のデータを受けて、本論の結論部分となる考察の章です。

一見、3章のデータと絡まない独立した章のようにも見えますが、石神においては第4表に「岩石の精神性」「岩石とともに登場する自然物」の分析項目を入れて、p.25~p.26でわずかながらできうる歴史叙述もおこないました。
磐座は、その石神に対する対比としての第5表とp.27~p.28の奈良~平安時代の歴史叙述。
磐境は、よくいわれる磐座と磐境の異同性について、岩石の精神性から概念差を論じました。
ほかにも、私なりに考えていた石神・磐座・磐境に関する着想や視点を諸々ちりばめたつもりです。その評価はいつか登場するだろう後学に託します。

最後の第4節では「神の宿りかた」の考察を据えて、研究史で触れた笹生衛氏の「坐す神」論について私見を述べました。
論文ですので批判めいた部分もありますが、真っ向から否定しているような「択一的」な考察ではありません。
目指したのは、択一・収斂ではなく多様性・個別性の提示です。「坐す神」も存在することを認めたうえで、それだけではない信仰のありかたを岩石信仰の領域で指摘したものになります。

現在の祭祀考古学の主流が、やや一面的な方向で世界観が固定されていることに危惧を感じたのも、本論文の執筆にとりかかった動機の一つです。
文献登場以前の信仰世界を研究する際の、ある種の揺り動かしが成功していたなら私の問題意識はかなえられたと言えます。

■ 5章(まとめ)

まとめは第11図に込めました。

第11図の諸要素に「ほか」と補足したのは、この概念図が未成であり、今後の研究の中で批判されながら拡充されていくべき期待を込めています。
なぜなら、個々人の世界観は多様であり、一人がその歴史を語りきることはまだできないと自覚しているからです。

2011年の『岩石を信仰していた日本人』では、第11図のうちの「選択」を取り上げました。
2022年の本論文では、第11図の「現象」を取り上げました。
今後は、迂遠的にはなりますが、第11図の「背景」を追究していく必要性を感じます。

それと同時に、本論文で提示した岩石の精神性、機能などが本来私が関心を持つ文献登場以前の時代にどこまで蓋然性をもてるかの追究も必要です。

一つの方向性は、たとえば奈良時代以外のほかの時代の史資料でも同様のデータ分析をおこない、その数値化をおこなうことで、もし本論文と同傾向であれば時代を超えた普遍性と言える蓋然性は上がります。一方で、そうではない傾向が出れば安直な文献以前への当てはめは戒めなければなりません。前向きに言えば、岩石信仰の多様性・個別性はさらに具体化される結果になったとも評価できるでしょう。

時間軸だけでなく、空間軸でも同傾向か異なる傾向かをはっきりしていくと、人間の普遍性にいきつくか人間の個別性にいきつくかを見定めることも可能です。
その点では、海外における岩石信仰の諸文献も同様のデータ分析が求められますが、私一人でどこまでいけるやら、という気の遠くなる展望を書きました。

■ 補遺

本文より頁数の多い37ページです。
『地質と文化』編集委員会の方々には、そもそも表を掲載する紙幅も含めて検討、調整を重ねていただきました。
表のExcelデータ散逸を危惧して、紙媒体で将来的に残せるように掲載していただきました。

Excelデータがオンライン公開されているうちは、インターネットでExcelファイルをダウンロードして、項目別にフィルターをかけたほうが参照しやすいです。

本記事の冒頭にもダウンロードリンクを貼りましたが、pdf論文内の注20からリンクも飛べるようにしてありますので、お手数ですが論文本文は印刷してExcelはパソコンで開いて照らし合わせるのが一番読みやすいのではないかと思います。


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