インタビュー掲載(2024.2.7)

2017年2月19日日曜日

朝鳥明神(岐阜県揖斐郡揖斐川町)


所在地:岐阜県揖斐郡揖斐川町上野字馬瀬口

1、朝鳥明神の磐境

小島山(標高八六三メートル)と室山(標高三七四メートル)の間には朝鳥谷(浅鳥谷)が形成されており、谷から流れる沢は揖斐川へ接続している。この朝鳥谷の入口に朝鳥明神が鎮座しているが、類を見ない祭祀形態を持つ神社である(一九六七年、朝鳥明神址として揖斐川町指定史跡になっている)。

一の鳥居は、二本の木柱に竹を渡した〆鳥居と呼ばれるものを建てており、奥にある二の鳥居は素木で組んだ神明鳥居である。二の鳥居の背後に、「案」と呼ばれる供物などを捧げるための台があり、木造と石造の二つが置かれている。石造の案の上には、鏡と四手を収納するための小祠が置かれている。

案の後ろの山林は「神山」と呼ばれ、今も禁足地になっている。この禁足地に列石があり、通俗的に磐境と呼ばれている。中に入ることはできないが、草木の間から顔を出す岩石の群れを確認することができる。まず案の背後に四個の列石が横一直線に並び、その奥に注連縄の巻かれた一個の岩石がある。これを取り囲むかのごとく、さらに奥に四個の注連縄の巻かれた岩石が配されている。

この磐境を使って今も定期的に祭祀が行なわれているというが、はたしてどのような内容なのだろうか。
朝鳥明神
写真中央の森の中に朝鳥明神が鎮座する。

朝鳥明神
特異な〆鳥居。奥に見える簡素な祠が朝鳥明神である。

朝鳥明神
祠の前に案が設置されている。

朝鳥明神
祠の裏は神山と呼ばれる禁足地で、その中に磐境が散在している。


2017年2月17日金曜日

昭和京都名所図会 全7巻

高度経済成長期を境に日本の風景は一変したといいます。

風景だけでなく、人々の観察眼や興味関心も様変わりしたように思えます。

この本を読むとそう思わされます。


昭和京都名所図会と名付けられたこのシリーズ。
全7巻14000円のところを5000円以下で見つけたので揃えて買ってしまいました。

京都の名所旧跡を作者お手製の絵図と共に紹介する、今風に言えば観光ガイド。
でも、今の観光ガイドとは目の付け所も取り上げ方も違います。
題名通り、江戸時代からの流れを汲む名所図会の香りで雰囲気は統一されています。

川の淵の名前や逸話など、現代人がスルーする情報が多くのせられています。
ここでしか言及されていない「仙遊石」など、岩石祭祀事例も多数収録。

こういった情報は、今の観光のメインストリームからは完全に除外されています。
除外されているというより、情報と興味関心が次世代に受け継がれず、断絶しているんでしょうね。

私が生まれていない時代の空気を閉じこめているわけで、この本を読むことで、生まれていない時代の歴史を追体験できます。
いま目の前で見ている京都とは違う京都像の視野を広げてくれるという意味で、京都に惹かれる方にお勧めします。

2017年2月13日月曜日

四賀のイワクラ(磐座)

松本市四賀化石館(長野県松本市七嵐85-1)で「四賀のイワクラ(磐座)」と題された写真展が開催されます。

http://matsu-haku.com/shigakaseki/archives/353

期間:平成29年3月3日(金)~3月30日(木)

長野県松本市のイワクラというのは今まで知ることはありませんでした。
初耳の方も多いのではないでしょうか。

でも、昨年はミステリツアーで四賀地区の特異な地層を持つ岩々を巡っているようです。
また開催されるのなら、行きたいですね。

すべてが歴史的ないわれをもつ磐座かどうかは不明ですが、地学的な目線からのピックアップが特徴的です。

2017年2月6日月曜日

【情報募集中】探しています

岩石信仰・岩石祭祀の調査を続ける中で、いくつかの所在地について疑問や謎を残したままになっています。
ここに私が今まで関心を抱き続けてきた不明点をまとめておき、いつか真相を知る地元の方や当事者の方にこのページ上で出会えることを祈ります。

本記事のコメント欄、あるいはページ下部にあるお問合せフォームから、下記の案件に関わる情報をお持ちの方はご投稿いただけると嬉しいです。

「猪俣の七石」の正確な所在地(埼玉県)


埼玉県児玉郡美里町猪俣にあるという、こぶ石・鏡石・福石・爺石・姥石・唸石・櫃石の七石。「猪俣の七名石」とも呼ばれる存在です。
このうち、こぶ石の場所だけは把握していますが、それ以外の六石の正確な所在地、あるいは現況をご存知の方、お教えください。

猪俣の七石の一つ「こぶ石」

「駒ヶ岳山頂古代祭祀遺跡の岩垣」とは何か?(神奈川県)


箱根駒ヶ岳の山頂に箱根元宮がありますが、そこに接して「駒ヶ岳山頂古代祭祀遺跡の岩垣」と呼ばれる一画があります。
ブロック状に切り出された直方体の巨石がゴロゴロ散らばっているエリアで、いわゆる岩石の祭祀遺跡としては他の類を見ない特異な場所です。
この巨石群がこのような形になった経緯をご存知の方がおりましたら教えてください。

箱根山の岩石信仰(神奈川県足柄下郡箱根町)

八嶽山神社の裏山にある天宮神社と妙見神社の詳細(山梨県)


山梨県山梨市山根に所在。
天宮神社が八嶽山神社の奥の院に当たるのか。妙見神社へのルートと現地に行かれた方の情報をお待ちしています。


→2017.2.10追記 本記事コメント欄にて情報提供をいただきました。ありがとうございます。引き続き当地の歴史の詳しい情報を募集しています。


南宮大社の岩石信仰の色々について(岐阜県)


美濃国一宮の南宮大社を参拝すると、境内の各所に岩石信仰の事例を確認できますが、そのすべてにおいて文献記録をたどることが難しい状況です。以下についてご存知の方はお教えください。
  • 引常明神磐境石と、石船社の船形石の文献記録が存在するか。
  • 大社駐車場横にある岩石の名称と来歴。
  • 南宮山頂上近くの子安神社の王子石(黒丸石・白丸石)が今も現地確認できるか。
  • 斎館前にあるという子宝石の所在。
  • かつて南門垣内で奉納・安置されていた多数の鉱石の撤去・移動先。
南宮大社の岩石信仰(岐阜県不破郡垂井町)

設楽町名倉の数々の岩石信仰情報(愛知県)


旧・名倉村には「岩クラ」や「石神」地名など、岩石信仰に関わる場所が多く残り、戦後まもなくの諸文献では断片的な報告がされていました。
現代ではそれらの多くは記憶から失われ、自治体史にも精々、碁盤石山の情報が載るくらい。大名持の磐座の山の神などがあるといわれる大名倉地区は設楽ダム完成に合わせて水没の予定であり、その歴史は風前の灯火です。
この数年の動きが勝負です。名倉の地元の方々をご紹介いただき、些細な情報でもお寄せください。
文献記録の詳細は下記リンクにまとめました。

愛知県設楽町名倉(大名倉・東納庫・西納庫)における岩石信仰の文献調査

尾張本宮山と相澤山に環状列石があったという話(愛知県)


愛知県犬山市の本宮山頂と相澤山頂には環状列石があり、この石柱を麓の大縣神社に移してまつっていたが、永正年間と万治二年の火事により所在不明となったという楽田古文書会の会長の話が、当サイトの掲示板に過去投稿されたことがあります。
信憑性は定かではありませんが、他ではまったく見聞きしない話であり興味深いのでここに転載しておき、さらなる詳報を待ちます。

尾張本宮山   Follow: 244 / No: 243 [返信][削除]
 投稿者:かずゆき。  02/08/26 Mon 22:22:44

    はじめまして。
    相澤山頂と本宮山頂には環状列石があったそうです。
    また大縣神社と本宮山は永正年間および万治二年に
    火事で焼け落ちており、その際に社殿に祀つられていた
    石柱(山頂の列石をおろし神体とした)は不明となって
    しまったそうです。

    元犬山市教育委員
    楽田古文書会 会長 小澤重功氏談

相澤山の中腹、おそそ洞と呼ばれる場所にある奥宮の御社根磐

真清田弘法について(愛知県)


愛知県名古屋市千種区の覚王山日泰寺の境内にある真清田弘法の中には、今もまだ石がまつられているのかどうか。
この石は、愛知県一宮市の真清田神社の本殿裏に土壇状にまつられていた神体石だったという逸話があります。詳細はリンク先をご参照ください。

日泰寺と真清田神社からかつて頂いた回答は、後世の資料に沿った表面的なものでしたので、今一つ正確性が期待できず、当時を知る話者の方にお会いしたいです。
真清田弘法を定期的にお経をあげにくる世話人の方がいるらしく、その方に一度お話を伺ってみたいと思っています。その方をご存知の方ががいればご紹介ください。

真清田弘法について詳しい方熱望

→2019.6.24追記:毎月1日の朝7時~9時頃(おそらく三明神社の祭祀の関係)に願い出れば、本殿裏の土壇を拝観できる可能性があるかもしれないということです(確約ではないので注意)

多度山の上冠石と下冠石の違いをご存知の方(三重県)


三重県桑名市の多度大社の裏山である多度山中には五箇神石という五石があり、その一つである冠石は、上冠石と下冠石の二体に分かれているという説があります。
多くの場合、冠石と一つに包められて話がなされることが多いので、この二体の所在地が特定できておらず、ご存知の方はお教えください。

多度山中にある巨岩の一つ。私は下冠石ではないかと推測していますが未確定。

川上山若宮八幡宮の北方の山中にある燈明石と雨乞社(立岩さん)の所在地(三重県)


三重県津市美杉町川上。詳細はリンク先で書きました。
web上はもちろん、文献上でもおそらくほぼ出回っていない場所です。
それだけに、記憶の消失が危ぶまれます。
正確なアクセスルート、あるいは、地図上での位置を落とせる方に出会えることを待ちます。

雨乞社(立岩さん)へ取りつく入口と思われる逢神橋


瓦屋寺御坊遺跡の位置(滋賀県)

滋賀県八日市市の瓦屋寺山の坐禅石の前から見つかった古墳時代の祭祀遺跡。
この坐禅石が特定できないため、遺跡の位置も現地で確定できていません。ご存知の方、情報をお待ちしています。

→遺跡現地写真を確認。境内入口の駐車場と接する様子。

大岩山銅鐸出土地近くにある「ネコ岩」(滋賀県)


滋賀県野洲市の銅鐸博物館の西に、立岩をまつった場所があり、今も祭り場として手入れが行き届いています。「ネコ岩」という名前がついているという説がありますが、一方でそうではないという地元の方の声もあり、この立岩についての詳細と、ネコ岩が別にあるとしたらその場所をご存知の方を探しています。

ネコ岩?

京都の四岩倉の初出文献について(京都府)


平安京の四方に、桓武天皇が一切経を埋納した北岩倉・東岩倉・西岩倉・南岩倉があるという話がありますが、この話の出処がいまひとつはっきりしていません。いつ頃のどの文献まで起源をさかのぼることができるのか、初出文献をご存知の方はぜひ教えてください。
現在のところわかっている情報は下のリンクでまとめています。

京都「四岩倉」伝説について

与喜山の歴史(奈良県)

奈良県桜井市、長谷寺に隣にそびえる与喜山の山中の地名や旧跡をご存知の方、また、与喜山にかつて聖地整備を行った杉髙講という集団の歴史について、記憶・情報をお持ちの方を探しております。 

これまで与喜山について調べたことはリンク先にまとめていますので、参考になさってください。


宇陀市榛原内牧の「磐境」情報(奈良県)


昭和12年発行の『奈良県宇陀郡内牧村に於ける皇租神武天皇御聖蹟考』によれば、高城岳を中心とした内牧地区に磐境、神籠石、ストーンサークル、立石、岩窟などとみなされた数々の岩石信仰と思しき地があったことが記録されています。
しかし、その後、これらの場所は人々の関心外に置かれたまま今日に至っているようです。現地のことをご存知の方は情報を待っています。

宇陀市榛原内牧の岩石信仰の場まとめ


「のうが高原」情報(広島県)


広島県廿日市市のうが高原には、多数の奇岩怪石群が存在しており、超古代文明ブームでいくつかの名前も付けられました。
そのために、なにが元々つたわる名称・伝承で、どれが後付けされた名称・創作話なのかが見分けがついていません。巨石群について言及した古文献があるのか、について関心を抱いています。
あわせて、のうが高原が時折、再建に向けて工事をしているなどのうわさが飛んでいますが、一向に復活の兆候がありません。もし関係者の方がいらっしゃいましたら実情をお教えいただけると、私含め全国各地の のうが高原隠れファンが喜びます。

→2019.6.24追記:コメント欄にて、のうが高原2019年現在の情報を提供いただきました。メガソーラー施設を開発中ということで、巨石群の安否が気になるところです。


交差点「浜新方」南側にある岩石について(佐賀県)


佐賀県鹿島市浜町の路傍にまつられているこの岩石について、名称や来歴などをご存知の方がいらっしゃいましたらお教えください。

佐賀県鹿島市浜町の岩石祭祀事例(佐賀県鹿島市)



「~の七石」の新情報(全国)


  • 小鳥崎の七ッ石(岩手県北上市)
  • 赤湯七石(山形県南陽市)
  • 熊野神社の七ツ石(栃木県下都賀郡壬生町七ツ石)
  • 小野寺七石(栃木県栃木市岩舟町小野寺)
  • 吾妻七つ石(群馬県吾妻郡中之条町)
  • 七ツ石雷電神社の七ツ石(群馬県前橋市) 
  • 猪俣の七石(埼玉県児玉郡美里町猪俣)
  • 慈光七石(埼玉県比企郡ときがわ町)
  • 堅破山の七奇石三瀑(茨城県日立市)
  • 弘明寺の七ツ石(神奈川県横浜市南区弘明寺町)
  • 三浦七石(神奈川県三浦市)
  • 石楯尾神社周辺の七奇石(神奈川県相模原市緑区佐野川)
  • 箱根七石(神奈川県足柄下郡箱根町)
  • 河口湖の七ッ石(山梨県南都留郡富士河口湖町)
  • 七ッ石神社(山梨県北都留郡丹波山村)
  • 岩村田七石(長野県佐久市)
  • 桑山の七つ石(長野県佐久市 旧南御杖村桑山)
  • 清川の七つ石(長野県佐久市 旧田中村清川)
  • 諏訪七石(長野県諏訪市・茅野市)
  • 矢ヶ崎村七石(長野県茅野市)
  • 芹ヶ沢七石(長野県茅野市)
  • 有賀峠の七石(長野県上伊那郡辰野町)
  • 菅の台/駒ケ根の七名石(長野県駒ケ根市)
  • 切石の七妙石(長野県飯田市)
  • 奈古谷七つ石(静岡県伊豆の国市)
  • 三島七石(静岡県三島市)
  • 土山の七名石(岐阜県各務原市那珂)
  • 間々観音の七つ石/七ッ石/七ッ岩(愛知県小牧市)
  • 七つ石(愛知県一宮市)
  • 八雲神社の七つ石/北斗さん(三重県松阪市笠松町)
  • 庭内七奇石(三重県松阪市岩内町)
  • 那智の七石(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
  • 甲陽七岩名所(兵庫県西宮市)
  • 智者ヶ峰の七奇石(熊本県菊池市)
  • 内山田七不思議(鹿児島県南さつま市)※七不思議のすべてが岩石なので実質七石。

※加茂七石(京都府京都市)は鴨川で採れる七種類の名石なので若干意味が異なる。
※阿蘇七鼻八石(熊本県阿蘇)なる、八石で括るものもある。
※1対1体に固有の名称がない「七つ石」も含む。

上記箇所の他に、ご当地七石の言い伝えがあればぜひお知らせください。
個人的には、七石文化が東日本に偏り、西日本からあまり聞かれないのが興味津々です。

→2017.2.12追記 堅破山の七奇石三瀑の情報をいただきました。ありがとうございます。
→2019.1.7追記 有賀峠の七石、菅の台/駒ケ根の七名石、阿蘇七鼻八石の存在を確認。
→2019.8.21追記 甲陽七岩名所の存在を確認。
→2019.11.13追記 桑山の七つ石、清川の七つ石、庭内七奇石を追加(『日本伝説名彙』より)
→2020.1.6追記 石楯尾神社周辺の七奇石(正式名称は不明)を追加。
→2020.12.30追記 切石の七妙石を追加。
→2021.2.12追記 智者ヶ峰の七奇石を追加。
→2022.2.6追記 小鳥崎の七ッ石を追加(出典)。
→2022.6.9追記 岩村田七石を追加。
→2022.12.25追記 内山田七不思議を追加。
→2023.5.15追記 奈古谷七つ石を追加。
→2023.6.19追記 芹ヶ沢七石(そのうちの一つが聖石遺跡の聖石)を追加。
→2024.2.15追記 赤湯七石を追加。


 ※新たな募集事項・情報提供があった場合は、本ページに随時追加いたします。

2017年2月2日木曜日

宇佐美英治「殺生石」~『日本の名随筆 石』を読む その14~

考古学的なテーマを纏った随筆である。

人と石の関わりについて綴る。

人が、他の動物と違い、ヒトとしてこの地球の生態系の頂点に君臨するようになった理由を、宇佐美英治は「石によって身を守り石を武器に、威力の上で人を凌ぐ動物と闘ってきた」ことだと断じている。

ヒトが二足歩行できるようになったことで、手を使い、石をどこかから調達・運搬し、獲物や外敵に石を投げることで、人はまず他の動物に勝ることができたという流れが描かれている。

人は弱いが、石などの道具を使うことで、種としての絶滅を免れ、他の動物を使役する立場に回ることができた。
この点において、石は「人間の最良の伴侶であり、最強の幇助者」だったと評されている。

石器に対しての宇佐美の随想が面白い。
――石器は土器のようにどんなふうにでも形をつけられるものではない。石は石に工作する人間の手に刃向う。(中略)石器はどんなに加工してもなお人間に抵抗し、最後まで石であることをやめない。
人は石を道具として支配しているつもりだが、実は石は最後まで支配されることを抵抗したがっているかのようだ。
石が奴隷ではなく、「伴侶」で「幇助者」であると表現した意味合いが込められているように思える。 あくまでも、石を「味方に引き入れた」までなのである。
――土器については機能が形体を決定するといいうるが、石器は必ずしもそうではない。百万年来、人が石器に見出そうとしたのは、機能というよりは石のもつ絶対的な威力であり、強大な的を傷つけ、その肝をぬきとる魔力である。

ここに、石の一つの性質が哲学されている。

ヒトが始源の時に感じた石の魔力とは、石があらゆる肉を断つという、ヒトの体そのものには備わっていない絶対的な攻撃力にあるという宇佐美の提言である。

宇佐美によれば、この攻撃力が石を霊や神たらしめた岩石信仰の源泉の一つなのだと語る。
あくまでも一つであるというのは、石には他に「無情、冷酷、生気なき無機物を思う中世以後の観念や石を永世と死に結びつける古代帝国以来の記念碑性(モニュメント)の観念」もあり、攻撃性はそれとはまた別個の観念だと言い添えているからだ。

この流れの中で、標題の殺生石が登場する。
殺生石は、栃木県の那須湯本に今もある有名な奇岩である。霊狐・玉藻が石に姿を変え、祟りの石として霊威を放ったものが、最終的には仏法により調伏されるという伝説で知られている。

温泉地による有毒ガスの噴出のため周辺一帯には一木一草もない殺風景が広がっている。
この環境要因が殺生石の伝説を構成している節は否定できないが、宇佐美は、別にこれだけの理由で殺生石の"イマージュ"を強く感じるわけではなく、もっと根深い石そのものの"イマージュ"から来ていると述べる。
――幾十万年来、人間の伴侶であり、無言の庇護者であった石が毒素を吐きつづけ、人を殺しつづけるということはわれわれの存在の基盤にかかわることなので、じっさいの災害以上にこの石が薄気味悪く思われたにちがいない。

信仰や聖なるものが、人によりその思いを強くさせる時は、人に慶福を与える時よりも、災いや予知せぬ禍悪を人に与える時の方が鮮烈に残ると宇佐美は指摘する。
恩恵よりもまず、祟り神を鎮めるための信仰。これはよく聞く話である。

恩恵を与えてくれた石が反逆する、あるいは、人から見たら裏切るように見えた石に対して、二重の畏れを抱いたのではないかと、この殺生石を通して岩石信仰の1つの形が結論付けられている。

最後に取り零したポイントを、本文から引用して終わりたい。
――しかし現代の人間は石の内部にそのような光を見出す霊力を失ってしまった。現実の殺生石はもう人々の眼に見世物同然となり、日ごと風化をつづけている。
――子供たちはボールを投げても石は投げまい。しかし手に握った石ころの独特の重み、形状を感じながら標的を狙って力まかせに投石するさいには(中略)何か生得的な、本能のよろこびに近い快感がある。