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2024年12月1日

気多大社の「磐境」(石川県羽咋市)


石川県羽咋市寺家町

問題の磐境は本殿の北方森林中にあって、今奥宮鎮座す。石垣は長方形にして南北短く東西長く、長軸は正しく東西を指し、東西四〇尺、南北三三尺なり、入口には門の如く中央に巨石を立てゝ並べ、その左右より石垣をつくる、左右側石も所々に巨石を用い(縦に)その間に自然石を横積とす。後方は巨石を用いず、横積の丸石多し、(略)この石積は手法より見ても古代のものならず、又出土品より見ても中世以降のものなること疑なし。

茂木雅博(書写・解説)・大場磐雄(著) 『記録―考古学史 楽石雑筆(補)』博古研究会 2016年

禁足地のため写真はないが、NHK制作番組「新日本風土記」の2024年12月9日放送「入らずの森 畏れの杜」で気多大社の奥宮への撮影が許され、奥宮の手前に石積みが並ぶ様子が放送された。


2024年3月3日

石の木塚(石川県白山市)


石川県白山市石立町




5個の凝灰岩が立っている。これを「石の木塚」と呼ぶ。

5個の立石はサイコロの5のような配置を見せ、中心の立石から東西南北の方角に向かって残り4個が立つ規格的な配置をみせる。


嘉元2年~3年(1304~05年)頃の成立とされる『遊業上人縁起絵』に「石立」の地名が記されており、これが地名の「石立」の初出とされている。

石が立つ、の語源をこの立石群に求めるのは妥当であり、少なくとも14世紀にはこの立石群が存在したことがわかる。

さらに石の木塚ではすでに発掘調査が行われており、塚の地点から5~6点の土師器椀が発見されている。

椀の製作時期は10世紀後半~11世紀前半のものと考えられており、考古学的には石の木塚の構築を10世紀代まで遡ることができる。


石の木塚は、石立町の玄関口に位置しており、道が大きく折れる角地に立つという特徴的な立地にある。

全国の「立石(石立)」地名は、古代道に沿って分布するという研究がなされている(三浦 1994年)。

石の木塚の石立の地も、駅伝制による古代駅・比楽駅の近くに位置することから、石の木塚は古代道における交通標識に類する役割を担う施設だったのではないかという説が有力である。


そのような立石が単なる交通標識だったのか、祭祀・信仰に関する精神的な意味も込められた存在として成立当初からあったのか不明だが、いずれにせよこの立石は時代を経て「石の木塚」と呼ばれて、そこに込められた性格は自ずと変容・付加されていく。


まず江戸時代文献で石の木塚が再登場するのは、17世紀後半成立とされる『加能越金砂子』である。石立村に五本の大石があり、いつのことからはわからないが一夜の内に出現したと語られる。

一夜出現類型としての岩石伝説である。


次に、18世紀前半成立の『可観小説』では、「立石の宮の石の根」という一説が設けられて別の伝説が記されている。

社壇に立石五つがあり、これを立石の宮と呼んで神社としてまつったと明記されている。ここに、立石は岩石信仰の領域に入ったことがわかる。

加賀藩第3代の前田利常が近辺の百姓を動員して立石の根元を掘り下げさせたが、二丈(約3.5m)掘ってもその石の根はわからなかったという。

石の根が深く地中がどうなっているかわからないという類型の岩石伝説も他で見聞きするところである。


18世紀後半成立の『加越能三州奇談』では「石立村の石は此根能州の寺口へ出て猪の牙の如く飜れり」とあり、石の根の深さが別のところとつながって出ていくという伝説類型へ広がっている。


同じく18世紀後半成立の『越の下草』では、石の木塚と浦島伝説が接続する。

いわく、永正17年(1520年)、この地で龍宮から帰った酒屋の主が忽ち老体となり亡くなり、後日、異形の女と童子4人がそれぞれ石を背負って主の塚に5つの石を立てて、年ごとに石は太りその根の深さ知れずになったという。そしてその石塚を石立大明神として勧請したという。

立石がなぜ立つのか、その成立を伝説的に語る由来となっている。


他に弁慶伝説も付帯するほか、「石ノ木宮」「雀の宮」などとも呼ばれたらしい。


参考文献

  • 三浦純夫 「加賀石立の立石考」 森浩一・編著『考古学と信仰』(同志社大学考古学シリーズⅥ) 同志社大学考古学シリーズ刊行会 1994年
  • 日置謙 校訂並解説『加能越金砂子』,石川県図書館協会,1931. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3440189
  • 『加越能叢書』前編,金沢文化協会,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1227824
  • 宮永正運 著 ほか『越の下草』,富山県郷土史会,1980.8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9538411


2024年1月2日

地震石(石川県羽咋市)


石川県羽咋市寺家町 大穴持像石神社境内



長さ約60㎝、高さ約30㎝の岩石で、地震石、地震押さえ石、要石などの名称が伝わる。
いかに大震災があっても、この岩石があるためにこの地は微動だにしないといわれて、かつては石上に生す苔を取って地震除けの守護とする者が多かったという。

前田藩は地震石を神体とみなし、木棚を以て囲繞したが一夜の内に消え失せ、再度作るも元通りに戻ったという。

明治4年、金沢在住の木佐平次という者が地震石は迷信と述べて石を蹂躙したが、宿に帰り入浴した後に茶を喫していると頓死したという。

明治7年、気多神社神職の荒地春樹が地震石は神体であるから社殿内に安置するべしと主張したが、村民の同意を得られずそのまま今に至るという。

大穴持像石神社の境内入口に位置することから、社名の「像石」はこの石のことだとする説もあるが確定していない。

大穴持像石神社の社殿

参考文献

  • 編集: 羽咋市史編さん委員会『羽咋市史』中世・社寺編,羽咋市,1975. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9536989 (参照 2024-01-02)
  • 石川県羽咋郡 編『石川県羽咋郡誌』,羽咋郡,大正6. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/986465 (参照 2024-01-02)

2024.1.22追記

令和6年能登半島地震を受けて地震石の祭祀が行われた。

「地震石に収束の祈り 羽咋・大穴持像石神社」(北陸中日新聞Web) https://www.chunichi.co.jp/article/841447 

2019年6月17日

岩上神社の烏帽子岩(石川県小松市)


石川県小松市岩上町

岩上神社の背後に、山の斜面からオーバーハング気味に突き出た巨岩があり、これを烏帽子岩と呼んでいる。

烏帽子岩。落石の危険があるので現在は周囲に柵が囲われ近づけない。

地山の岩盤が半ば露出した崖を烏帽子に見立てる。横には西俣川が流れる。

西尾八景の一つとして名勝化している。


しかし、これは元来は「岩神」ではなかったか。

『石川県能美郡誌』(石川県能美郡編、1923年)には関連する記述があり、該当部分を引用したい。
(国立国会図書館デジタルコレクションhttps://www.dl.ndl.go.jp/api/iiif/978711/manifest.json

岩上
字岩上は古へ岩神と書せり、蓋し邑中烏帽子岩あるに因る、然るに百年前大火ありしかば、村民これ岩神の文字の祟る所なりしとし、 相議して岩上に改むといふ

烏帽子岩
字岩上の西南四町、鄕谷川の支流なる西俣川に沿ひたる西俣往来に、烏帽子岩と称する奇巖あり、高さ七尺余、其の形の似たるを以て名づく

烏帽子岩、岩上村にあり、高さ十五間程にて、形烏帽子に似たり、古へは此岩を神と崇め、村名の文字、岩神村と書よし、今は音沙汰なし

石神社
字岩上に在り、村社にして大日孁貴尊、天兒屋根尊、八千矛神を祭る、古へは五軀の木像を安置せり、中央は女躰にして、他は観世音及び毘沙門天二體とす、社殿は安政二年の建築に係る、右傍に天然石あり、高さ二尺、其背面に元和元年の文字を見る

上の記述からは、岩上の地名がかつて岩神だったこと、そして、その字を村名に使ったことで大火があったと考えて、音は同じながら字を岩上に変えたことがわかる。
(江戸時代末期に村60戸を全焼する火事が起こり、村の場を神社から離した現在地に新たに開拓したという)

そして、岩上村の烏帽子岩は烏帽子の形に似ていることからその名が付けられたが、古くはこの岩を神と崇め、岩神の名の由来になったこと、そして何にかかっているかわからないが、今はその音沙汰がないのだという。

さらに、岩上鎮座の石神社も言及がある。
岩上神社は1944年までは石神社の社名(または岩神さまと俗称)であり、1923年の同文献には石神社として記載されている。
地名と絡めて考えると、石神と書いて「いわがみ」と呼んでいたのだろうか。

境内には「右傍に天然石」があり元和元年(1615年)の刻字があるというが、境内の社殿向かって左手には現在、下写真のような岩石が残されている。文字は確認しえなかった。

岩上神社。烏帽子岩は写真左奥の位置関係。

社殿向かって左の謎石その1

謎石その2

現地看板


現地看板にも説明がなされているが、『能美郡名跡誌』(制作年の情報出てこず)という文献には、烏帽子岩が白山九所の一つに数えられ、白山の山神の裔神ではないかと推測されている。
本来は土地の自然信仰に根差した場所と考えられるが、白山信仰の世界観の中に組み込まれた一面もあるらしい。

はたして、この岩神への信仰はいつまで遡ることが可能だろうか。
元禄14年(1701年)の『郷村名義(郷村名義抄?)』には、岩神村の名の由来とともに、烏帽子岩が神としてまつられていたことが記されている。
さらに遡り、寛文10年(1670年)の「岩神村」の村印も残っている。

そして、神社境内に残る「元和元年(1615年)」の刻石も考え合わせれば、とりあえず江戸時代の始まりには当地の岩神信仰がすでに起こっていたことは認めて良い。
それ以前の岩神の地名の遡及ができるかは調査不足である。

2019年6月16日

宮村岩部神社(石川県加賀市)


石川県加賀市宮町

『延喜式神名帳』にある「加賀国江沼郡 宮村岩部神社」である。

拝殿の裏に、土塀で囲われた空間があり、その内部に岩石があるという。
この岩石を見ると目がつぶれるなどの禁忌があり、実質上秘匿された存在であり岩石の外見を拝むことはできない。
(土塀を登れば見えるだろうがそのような我欲に取り込まれてはならない)

神社の表記は正確には「宮村𡶌部神社」。「𡶌」が難字である。

土塀越しには、二本の大木を望むことしかできない。

2018年4月12日

石仏山(石川県鳳珠郡能登町)


石川県鳳珠郡能登町柿生ホ字16番地

石仏山は文献によって、オヤマ・潔戒山・結界山・像石山・法界山など多様に表記される。
仏教的俗称が石仏であるのに対して、神道的伝承として宿那彦神像石神社だったという伝えも残る。

柿生の神道(じんどう)地区では、毎年3月2日にこの石仏山で祭祀を現在もおこなっており、後述のように遺物も発見されたことから「祭祀遺跡 石仏山」として史跡登録もなされている。

石仏山
現地看板

山に少し入った山腹、急斜面の直下に、高さ3mの立石とその両脇に小立石を配した「前立」と呼ばれる祭祀場がある。
大己貴命の依代とされる。
石仏山
前立

石仏山
前立(背面)
石仏山
14歳以上の女性は入山を禁じられる。

前立の背後の急斜面を登ると、斜面途中に大小の岩石が密集しまるで石組のように見える構造物があり、これを「石の唐戸」あるいは単に「唐戸」と呼ぶ。
「唐戸」の近くから、室町時代のものと推測される菊花双雀鏡が一面見つかっているという。
石仏山
唐戸

石仏山
唐戸

急斜面の一番上方に、高さ4mの立石からなる「奥立」がある。
「唐戸」と「奥立」をひっくるめて少彦名命の依代といわれ、本社とも奥の院ともいう。
石仏山
奥立

石仏山
奥立(側面)

さらに「奥立」の奥の頂上には大小の岩石が散在し、磐境の跡と思われると『能都町史』は記しているが、踏査のかぎり頂上に特筆するほど目立った大小の岩石群は見つけられなかった。

3月2日の祭祀では、神職が前日に宅内で御幣に大己貴命・少彦名命を招いた上で、当日、前立の前で献饌・神楽・祝詞・玉串などの一連の神事を執行する。
また、釜で湯を焚き、そこに幣をひたす。幣にひたされた湯を参列者は自らの両目に拭っていくというお釜神事がおこなわれる。
その後、直会などをおこない、地区の年間の諸祭礼の割り当てや宮田の耕作の担当、田作唄などが披露されたという。

以上の諸特徴から、石仏山の祭祀は春に山の神を招き、その年の稲作を開始する山ノ神-田の神信仰の民俗例であると評価付けられている。

出典

  • 茂木雅博(書写・解説)・大場磐雄(著) 『記録―考古学史 楽石雑筆(補)』博古研究会 2016年
  • 能都町・編 『能都町史 資料編 第1巻 自然・民俗・地誌」 1980年
  • 現地看板

高瀬宮(石川県羽咋郡志賀町)


石川県羽咋郡志賀町笹波

高瀬宮

高瀬宮

町指定史跡。
男石・女石・子石の3体から構成される。社殿は一切持たない。
巨石信仰の祭祀遺跡として指定されているが、遺跡として考古資料が見つかっているかどうかは不明である。

「高瀬宮」全国巨石磐座探訪記)に、この高瀬宮について詳細な解説がされている。

この石を高瀬大明神と呼び、社殿を何度築いても一夜で壊れてしまったという生粋の石神である。
社殿が建てられなかったことに対する説明付けがあるパターンは貴重だ。

「この石神さまには、ケライ筋にあたる石が四十八個ある」という記述も興味深い。このような陪従者を従える石神の例はほかにもある。

たとえば、『日本文徳天皇実録』(879年)に記された大洗磯前神社創建の起源となった「怪石」は、周囲に二十個あまりの小石が、まるで怪石に付き従うかのように集まっていたという。
また、『出雲国風土記』に記された楯縫郡神名樋山の石神には、百余の小石神が存在したといい、こういった事例と共通した観念を感じられる。