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2026年3月1日

穴観音(岐阜県中津川市)


岐阜県中津川市苗木


長さ約6mの自然石の下に形成された隙間を使って仏をまつる窟とした。

側壁は人工的に石積みをして補強されている。

天井石は通称「傘屋根」と呼ばれており、張り出した胴部を巡るように幅・深さ共に十数cmの溝が刻まれている。これは、雨水が岩窟内に入らないための仕掛けと考えられている。

周囲には摩崖仏や供養塔も存在。

傘屋根に刻まれた溝

堂内側壁

創建時期は不詳だが、堂内や境内には宝暦10年(1760年)製作の観音、天和3年(1683年)没の雲林寺五世一桂和尚造立の地蔵尊、元禄年間(1688~1704年)造立の供養塔などが現存することから、おおよその隆盛期を窺うことができる。

また、すぐ近くに龍渓寺という寺院があったという。明治時代初頭の廃仏毀釈の際に廃寺となったが、同寺の仏像や石仏などはこの窟や地中に隠されて難を逃れたという逸話が付帯している。

参考文献
中津川市教育委員会 編『中津川市の文化財』,中津川市教育委員会,1983.2. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12707103 (参照 2026-03-01)

2026年2月22日

日輪神社の「磐境」「太陽石」説(岐阜県高山市)


岐阜県高山市丹生川町大谷字漆洞


日輪神社は天照皇大御神を祭神とする。日輪宮という別称もある。
創立年代不詳ながら、本殿は宝暦4年(1754年)の建築ということはわかっており、市指定文化財である。

1938年、軍人の上原清二が『飛騨神代遺跡』を発表し、日輪神社は太古「ピラミッド」「弥広殿」と呼ばれる太陽祭祀遺跡だったという説を主張した。
日本ピラミッド説提唱者である酒井勝軍の講演会を聞いて感化された上原が、飛騨高山が太古日本の中心地であったということを説明する中で取り上げられたものと思われる。

日輪神社の社叢を里から見ると鋭角的な三角形の山容をもつため、これがピラミッド型と呼ばれる所以である。社殿裏山の尾根先端までの比高差は約100mと目される。

日輪神社の山容

上原『太古之日本』天之巻(1950年)・地之巻(1952年)の中では、日輪神社の社殿が建つ部分が平坦加工された拝殿部であり、背後の裏山には高さ約20mの円錐形の神殿部があり、この円錐形拝殿部はどこを掘ってみても川石が出てくることから、自然地形の尾根上に人工の山形を持ったものと述べている。
また、円錐形神殿部の頂上には、酒井勝軍で言う複葉内宮式(内側に方形の列石が巡り、外側に環状の列石が巡るというもの)の磐境の一部が現存していると記す。上原が現地を訪れた時、外円の列石は残っていなかったが、内方形の列石の一部が残っていたということである(同書の附図によると4個の岩石が存在)。

私が2009年に尾根頂上を確認した限りでは、1個の小ぶりの岩石しか目視できなかった。

日輪神社社殿と裏山

裏山頂上(丘陵尾根先端部)に確認できる岩石1個

磐境の中心に置かれていたとされる太陽石は、現在、本殿の傍にある約2mの岩石がそれであろうと上原は推測している。
これは現在も本殿向かって右脇に現存している。

本殿向かって右脇

太陽石と目される岩石(写真左奥のブルーシートは本殿工事中)

上原の聞き取りによると、この岩石はかつて裏山にあったもので、約40年前(著作の発表年から考えると1910年頃?)にここへ持ってきて、丸形の石であったがこれを割って土止めのために使用したとの話を紹介している。

社殿向かって右隅に、尾根の南側を巻くように歩ける踏み跡があり、その先にも「太陽石」がある。

太陽のマークを書いた道標。もう一つの太陽石への道筋を示す。

道標を歩いた先に存在する岩石。

岩石の表面には、金属で穿たれたであろう点線状の直線が2本残っている。石割りのための楔の跡と考えられる。

なぜ太陽石が2つあるのかわからないが、少なくとも上原の著作を読む限りでは本殿脇の岩石が元々の太陽石の残骸であり、この楔跡の岩石は後発の太陽石だと思われる。


いずれにしても、古来から地元で伝承されてきたという意味での磐境でも太陽石でもない。日本ピラミッド説という枠組みの中で語られた概念世界の岩石である。昭和戦前期の岩石信仰を取り巻く言説を今に伝える近代遺産であることは間違いない。


参考文献
上原清二『世界の神都 飛騨高山』八幡書店 1985年・・・上原清二の数々の著作を1冊の本にまとめたもの。『飛騨神代遺跡』『太古之日本』『神代遺跡実地調査報告書』ほかを所収。

社頭に置かれた岩石。盃状穴(杯状穴)のような穴が数箇所開けられている。

2026年2月15日

滝ヶ洞の稚児岩(岐阜県土岐市)


岐阜県土岐市駄知町滝ヶ洞

稚児岩

石の大きさは長さ十八米、高さ十八米の壮大な花崗岩の岩である。
この岩の成因は、いわゆる地質学上の捨子石とみられ、この谷が出来上るとともに川水が岩石を浸蝕しながら、谷を掘り下げて谷を作り、今のように谷底にどっかとおかさまったのである。しかも地理学の捨子石から稚児岩と誰が名付けたか、ふさわしい名を付けたものである。
土岐市史編纂委員会 編『土岐市史』3 (近代社会・土岐市の文化財) 下,土岐市,1974. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9572017 (参照 2026-02-15)

土岐市史は、学術用語としての捨子石と民間で名づけられた稚児岩との親和性を説き興味深いが、稚児岩には次の伝説がある。


森長可(織田信長に仕えた武将。1558~1584年)の家臣に加藤彦右衛門という者がいた。
彦右衛門には妻がいたが子がおらず、ながらく子を切望していた。そこで、以前に長可からいただいた観音像に毎日祈りをささげたところ、ある時、観音像が「自分を滝ヶ洞にまつるべし」と述べた。そこで彦右衛門が滝ヶ洞に観音をまつったところ、谷底から赤子の泣き声がした。泣き声がした方へ行ってみると大きな岩があるだけだったが、後日、妻が妊娠して待望の子が生まれた。

また異説も存在する。妻が彦右衛門のことを亡き兄の仇と知って彦右衛門を殺してしまう。その後、妻は子供を産みすくすくと成長するが、その子供が稚児岩で遊んでいたとき岩から滑り落ちてしまい稚児が死んでしまったので稚児岩と呼んだという話である。

ほかに弁慶伝説も付帯し、稚児岩は弁慶が担いできた岩石であり、それをここで落としてしまったという。

これらが滝ヶ洞・稚児岩の伝説であり、話の筋書きはいずれも他で類例が認められる内容である。民話伝説の一種の「型」の派生事例と言えるだろう。


滝ヶ洞は地名であるが、現地地図を見ると「滝ヶ洞観音」なる場所がある。

稚児岩大橋に掲げられた現地看板

描かれた岩の絵の様子を見る限り、巨岩の間に形成された窟のような地形が想定される。

探訪時は稚児岩側ではなく稚児岩を上から見下ろす稚児岩大橋の上にいたため、稚児岩の方向に下って「洞」の存在を探そうとしたが、斜面の巨岩群には転石防止措置がされていたため深入りしなかった。稚児岩側から斜面を登る道があればそちらから観音へ辿り着けるのかもしれない。

稚児岩大橋ポケットパーク内には滝ヶ洞~稚児岩に至る巨岩群が散在する。

危険と判断

滝ヶ洞(左・山腹斜面)と稚児岩(右・道路沿い)の位置関係


2025年12月19日

加野の鏡岩(岐阜県岐阜市)

岐阜県岐阜市加野大蔵山


岐阜県指定天然記念物。チャート質の岩石が地滑りなどの地質活動によってこすれて、鏡面のような岩肌が作り出された。

交通量の多い車道脇の急斜面上にあり、入口にはフェンスが設けられ扉には鍵がかけられている。
事前に岐阜市教育委員会または所有者の方に申し出れば、鍵を貸していただいて見学できるようだ。



フェンス越しに岩盤が露出している様子は見えるが、鏡面は目視できない。

林宏「加野の鏡岩」(『鏡岩紀行』中日新聞社 2000年)によれば、鏡岩の平滑面は大きく、物をはっきり映し出すというほどではなく曇り気味なものの、鏡岩特有の輝きは依然としてあるという。
鏡岩の裾に年代不明の二基の句碑が残り、それぞれの句の内容から、岩の鏡面で髪の毛の乱れを直せるほど人の姿を映したことや、輝きを放っていたことが伝わる。

また、渡辺勝市『石ころ人生』(現代出版社 1974)によると、鏡岩の上に天狗をまつる祠があったと記されるが、鏡岩との関係性は不明である。それ以外に神聖視・信仰・祭祀を伝える記録は見当たらない。

2025年12月13日

鬼岩(岐阜県瑞浪市)

岐阜県瑞浪市日吉町西ヶ洞


12世紀末、美濃国関(現・関市)で生まれた太郎(関の太郎)は粗暴な性格につき放逐されて、この渓谷の岩屋に流れ着いた。この場所は旧東山道に面していたため、往来する旅人や周辺住民に悪事を働くようになり、関の太郎は鬼として恐れられた。

この悪評を耳にした都から討伐軍が派遣されたが、岩屋は自然の要害で苦戦した。そこで大寺山願興寺(現・御嵩町)に祈願したところ、同寺の祭日に関の太郎が現れこれを捕獲することに成功した。

斬首の段になって、太郎は「吾今法心を起し薬師如来の佛恩を受け永劫其功徳に依り衆生に仏果を得ざしめん」と述べ、これをもって太郎は悪鬼から善鬼に転じ、魔除けの信仰対象としてまつられることになった(以上「鬼人岩屋由来記」)。


民話にはバリエーションがあるため、単純に悪さをした太郎が討伐されるだけの話で終わるパターンもあるが、上記の由来記によると太郎は善鬼となっており、仏法の守護者としてまつられる存在でもある。

そのような聖なる存在が宿っていた場所が鬼岩の地であると言え、この場合は聖跡型の事例とみなすことができる。


鬼岩の渓谷は花崗岩が織りなす奇観であり、昭和9年には名称及び天然記念物に指定された。戦後は鬼岩公園として温泉街と共に観光地化が進んだが、現在は全国の地方観光地と同様にその持続化が模索されている。

岩石はそこにあり続けるが、一度、人の手が入った岩石はメンテナンスされなくなることで、将来の人々の利活用に難を残す。持続的に興味関心を持たれ続けられることを願う。


太郎岩・菜箸岩


屏風岩


潜り岩

いわゆる岩屋部分をかつては潜り岩と称したらしい。


関ノ岩屋・中ノ岩屋・鬼ノ岩屋

位置によって岩屋の名称が分かれている。


蓮華岩


展望岩


臼岩



その他、「行者岩」「俎板岩」「狙岩(俎岩?)」「たぬき岩」「双ッ岩」「烏帽子岩」「亀岩」「鋏岩」「源吾岩」「蓬莱岩」「鬼の一刀石」「御智那岩(おちないわ)」などの岩石が存在する。

この内、「鬼の一刀石」「御智那岩(おちないわ)」は2009年訪問時点の現地看板には掲載されていなかったので、近年の「鬼滅の刃の一刀石」や「落ちない岩」の影響を受けて新たに命名された岩石の可能性がある。


参考文献

  • 岐阜県 編『岐阜県史蹟名勝天然記念物調査報告書』第4回,岐阜県図書館協会,1971. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12592121 (参照 2025-12-10)
  • 鬼岩観光協会「鬼人岩屋由来記」1980年(現地看板)


2025年4月19日

狂人石(岐阜県高山市)


岐阜県高山市桜町 櫻山八幡宮境内



相当腕白であった私さへ、何となく薄気味悪くてこの石に敢て触れることを憚ったものである。勿論、誰れが言ひ出したのか知らないが、この石に触れると気狂ひになったり、瘧をふるったりするといふのである。別に神秘的伝説といふやうなものもない。ただそれだけの言ひ伝へなのである。もっともこの辺には天狗が住ってゐて、御機嫌に障ると石段の上から、なげ落すといふことも一般に信じられてゐたし、実際に子供が石段の中程からなぜ落されたが、少しも怪我をしてゐなかったのを見たと語った老人もある。

福田夕咲「祟り石の話」『ひだびと』第4年(4),飛騨考古土俗学会,1936-04. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1491863 (参照 2025-04-19)
※旧字体を新字体に直した。


櫻山八幡宮は、仁徳天皇治世期に両面宿難追討に来た難波根子武振熊命が応神天皇を奉祭したとも、聖武天皇治世期に八幡信仰の影響を受けて創建されたとも、大永年間(1521~1528年)に岩清水八幡宮から分霊を授かり勧請されたともいわれる。

その櫻山八幡宮の境内末社に、元和9年(1623年)、高山城鎮護の神として飛騨領主金森重頼によって創建された秋葉神社が鎮座する。秋葉神社の社殿北側に存在するのが狂人石である。

神社境内にあって聖なる岩石の感ありだが、神宿るとか祭祀されている事例とは一線を画す。畏敬を通り越した畏怖・忌避の対象としての岩石と言える。


2025年4月12日

いぼ石/いぼ神様(岐阜県恵那市)


岐阜県恵那市中野方町

2010年撮影

中野方の福地境と、大峰に天然水のたまったくぼんだ石がある。その水をつけるとイボがとれるといういい伝えがある。

恵那市史編纂委員会 編『恵那市史』恵那のむかしばなしとうた,恵那市,1974. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9536746 (参照 2025-04-12)

現地看板によれば、雨水がたまって木の葉などが溶け込んだ窪みだったので、水は腐って真っ黒だったという。それがなぜかイボや皮膚病に効くということで、「いぼ神様」として神格化に至った例である。

1993年、峠道が二車線に拡幅された際にいぼ石が道にさしかかってしまったため、いぼ石の上部だけを切り取って車道脇に移設し、昔のよすがを偲ぶ措置がとられた。


2024年12月30日

七夕岩(岐阜県高山市)


岐阜県高山市松之木町・漆垣内町

女岩

男岩

七夕岩の「松之木七夕」(2012年8月撮影)

大八賀川を挟んで、東岸に女岩(雌岩)、西岸に男岩(雄岩)と呼ばれる岩山が隆起しており、この2つを七夕岩と総称している。

元禄検地(1695年)において「七夕」の地名が見られるため、少なくともこの頃には当地において七夕に関する風習が存在したものと推測されている。


男岩の落滝

現地地図では「立石」と記載される。

大八賀川を挟み、東西の山腰に、相對て峙起たる丈餘の大巖あり。村民家ごとに綯おきたる縄を集め、毎年七月の六日の宵、東西の大岩に張亘し、挑燈に火を點し、藁にて馬牛其餘種々の形したる作物等、あまた取懸ならべて、牽牛・織女を祭り、年の豊凶を占ふ。翌年の七夕まで、其縄の保ちたるは豊年の兆なりとぞ。其来由詳ならず。鍋山豊後守の居城より以前のことにや。
富田礼彦 著『斐太後風土記』上(首巻,巻1至12),大日本地誌大系刊行会,大正4-5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/952768 (参照 2024-12-30)


2023年10月8日

金生山の石灰岩群(岐阜県大垣市)


岐阜県大垣市赤坂町


「赤坂の虚空蔵尊」などの名で親しまれる明星輪寺は、金生山(かなぶやま/きんしょうざん)の山塊をなす石灰岩の奇岩怪石に彩られる。

金生山(写真右:蔵王権現堂)

岩巣公園内の一岩

岩巣公園という現代名称で総括されるが、実際にはそれぞれの岩石にそれ以前からの名前がつけられている。

情報源によって錯綜しているところもあるが、現在わかっている範囲でまとめる。


堂内内陣の岩屋/大蛇の絞め跡

明星輪寺の本尊にかかわる伝説に基づく。
虚空蔵菩薩が若き修業の身の折、伊勢の娘に恋い慕われて大蛇に身を変じて菩薩を追いかけてきた。菩薩はほうほうのていで赤坂山の岩屋に逃げ込んだといい、その伝説地がこの岩屋である。
本堂の奥壁に岩肌が突き出ているが、岩屋全体は堂の中に収まる形態らしい。

本堂内陣の岩屋

大蛇の絞め跡

本堂の奥壁を斜面上方から撮影。岩屋は堂内に収まっていると判断できる。

権現岩/観音岩

岩巣公園の中では、本堂の横に接して最初に見える岩である。

写真右上の岩肌に、円形に光背をくりぬいて観音像が刻される。

岩肌には観音像が彫られて現地には「観音岩」の標柱も建つが、ご住職にお話を伺ったところによると彫刻されたのはおよそ100年前の頃だろうとのことで、もともとは「権現岩」と呼ばれていた。

たしかに金生山の昔の絵図を見ても、観音岩の名前は見当たらない。
絵図は時代別に複数あり、本記事の以降の岩石でも用いるため整理しておく。

A.金生山明星輪寺境内之図(金生山化石研究会 1981年に所収)※以下、絵図A
山内の岩石群を描いたものとしてはもっとも古い鳥観図で、明治時代製作の銅版画とされている。

B.絵図Aを元に後世加筆修正した絵図(寺院パンフレットに所収)※以下、絵図B
絵の構図、描写のほとんどが絵図Aを模したものだが、たとえば絵図Aでは役行者堂・御供所と記された建物が絵図Bではそれぞれ蔵王堂・愛宕社と題され書き直されている。また、地蔵堂の場所が移動して建て直されている。これらの点から、絵図Aを元にして時代の変化に合わせて再度作成されたものと思われる。
後述するように、複数の岩石において絵図Aと絵図Bで名前が書き直されており、岩石の名前も変遷したことが読み取れる。

C.現地に掲示されている「金生山境内図」以下、絵図C
地蔵堂横の庫裡の壁面に掲示された絵図で、これも絵図A・絵図Bの構図を模したもの。昭和時代の製作と思われる。

絵図C

D.現地に掲示されている「岩巣公園案内」※以下、絵図D
岩石の配置を図化したものとしてはもっとも新しいもので、大垣市が岩巣公園を名勝指定した流れで建てたもの。看板としては平成時代の製作と思われる。

絵図D


権現岩の場合、絵図A・B・Cには「権現岩」と記され、絵図Dでようやく「権現岩(観音岩)」と丸括弧付けで観音岩の名前が登場する。
また、絵図Cでは岩肌に観音の彫刻が描かれるが、絵図A・Bでは彫刻の描写はない。このあたりからも、この岩石における権現→観音の位置づけの変化も見えてくるだろう。

なお、上記4絵図は山内の岩石の配置を正確に描いたものではなく、訪れた私の実感では、むしろ現地の位置関係とかなり異なる。絵図の配置を信じすぎると逆に現地で迷うだろう。参詣時はそのあたり注意されたい。

くぐり岩/廊下岩

絵図Aでは「廊下岩」と記された場所が、絵図Bでは「星巖岩」(後述)と記され、地図Cでは「くぐり岩」「星巌岩」と2つの岩の名前が並列して記される。
この名称の混在はどうしたことか。少なくとも、現地ではくぐり岩と星巖岩とは別々に標柱が建てられているので別物と言える。
廊下岩という名称とくぐり岩という名称は、それぞれ通路上の道を通るという点で共通するため、くぐり岩と廊下岩は同一物を指すのではないかと推測する。

くぐり岩(出口側/裏側から撮影)

ゴトゴト岩

絵図A~Dすべてに登場して、位置関係も変わらない。現地に標柱もあるが、同サイズの無数の石灰岩がごろごろしており、どれを指すのか特定が難しい。ゴトゴトの名の由来も情報収集不足である。

ごとごと岩の標柱。写真から外れた奥にも岩石の分布は続く。

見晴岩

明星輪寺の庫裡で無償配布している『大垣市名勝 金生山岩巣公園―自然と生物―』(2020年)に、「見晴岩」の名と共に写真が掲載されており位置が特定できる、
名のとおり山頂から麓が一望できる場所に広がる露岩群を指すが、絵図にはいずれも記載がないため近年の命名と思われる。

見晴岩

亀岩

見晴岩の北に接して存在。岩肌に「亀岩 反対側から見てください」と看板がつるされており、反対から見ると甲羅状のこんもりとした岩石から亀の頭のように突き出ており、この姿形を亀とみたものである。
中日新聞の記事「『かめ岩』濃尾平野見渡す 大垣の金生山頂上、縁起物を見に観光客増
」(2022年7月9日付)によれば、ご住職が樹木伐採時に新たに発見・命名されたものと報道されている。

亀岩(写真左)

天狗岩

「赤坂山の虚空蔵さん(明星輪寺)の境内にある岩巣公園の一番高いところにある天狗岩の上で、毎年正月元旦の朝早やく、まだ初日の出にならない前、真っくら闇みの中で一番鶏が鳴くという。それが金の鶏で、その鳴き声を聞いた人は、『その年一年間は縁起がよい』とされ、その金鶏の姿を見たら、それこそその人は一生涯幸運に恵まれる」(金生山化石研究会 1981年)

岩巣公園の奇岩群のなかでは珍しく伝説が付帯するのが天狗岩である。
全国各地に類例のある金鶏伝説の一事例であるが、この天狗岩についてはなぜか絵図A~Dに一切図化されていない。
岩巣公園の一番高いところにある岩というのがヒントで、『大垣市名勝 金生山岩巣公園―自然と生物―』(2020年)には写真と共に掲載があるが、岩の近景のため岩巣公園のどこに位置するものかがわからず特定できない。

屏風岩

絵図A~Dに一貫して登場。現地に標柱あり。

屏風岩

不動岩

不動明王像が彫刻された岩で現地に標柱も立つが、標柱が地面上ではなく不動岩とは別の岩石の上に置かれているため、なかなか見つけにくい。
不動明王の彫刻も、ある一定の方角からでないと拝みにくく、それが岩と岩の狭間を通る途中で横を向いて上の方に視線を向けると見つかる。
目印としては、咜枳尼天の堂を向かって右から堂裏に入った岩と岩の狭間から左上方の岩を仰ぐと見える。健闘を祈る。

不動岩(写真左)と標柱(写真右)

絵図B~Dには不動岩の名が記されるが、もっとも古い絵図Aには記載がない。
観音岩と同様、約100年前の彫刻とうかがったので、それが絵図Aにはない理由と考えられる。

行者岩/行場岩?

絵図Aには、不動岩の場所に「行者岩」という名が記されている。
では、不動岩の旧称は行者岩かというと、『大垣市名勝 金生山岩巣公園―自然と生物―』(2020年)では不動岩と行者岩が別々で写真掲載されているため、どうやら別物らしい。
同書掲載の写真を見ると、どうやら石灰岩の浸食風景が形成した岩陰空間の中をそう呼んだらしく、不動岩一帯の岩陰空間(下写真など)をそう呼んだ可能性もある。


なお、絵図Dでは「行場岩」という似た名前の掲載があり、見つけられていないが現地にも行場岩の標柱が立つ。
行場岩の名は他文献には載っておらず、名前の類似性から行者岩との混同も視野にいれたいところである。

星巖岩

現地にはひらがなで「せいがん岩」と書かれた標柱が立ち、現地でも比較的見つけやすい。
先述したとおり、絵図によっては廊下岩・くぐり岩と同じ場所のように図化されているものもあり情報が混線している。

星巖岩

加持水岩

咜枳尼天の堂入口の路傍にある。
自然の手水鉢のような形状をなし、水を湛える。
現地には「かじすい岩」の標柱が立ち、絵図Aでは「弘法大師加持水岩」とあるので弘法大師伝説が付帯した岩石とわかる。

加持水岩

愛宕社横の石祠

愛宕社の祠の向かって左に、石灰岩を寄せ集めてかまくら状の祠にした構造物がある。
内部に狐の置物や稲荷鳥居を供えていることから稲荷社と思われるが、絵図には一切登場せず標柱もないため正式な名前があるのかは不明である。

愛宕社横の石祠

そのほか、名前が伝わる岩石

『大垣市名勝 金生山岩巣公園―自然と生物―』(2020年)では、そのほかに「百足岩」という名の岩石が存在することを記すが、写真の掲載はなく他文献にも見られない名のため詳細位置は不明である。

以上のように金生山の岩石群は、時代の経過によって岩石の名前や歴史がたやすく変容し、現代人が自然石と人の歴史を後から辿る難しさを如実に教えてくれる好事例と言える。
全国各地の事例においても、現代定説化している岩石の名前がいかに危うい信頼の上に立っているかということさえ感じさせてくれる。


参考文献
  • 金生山化石研究会 編『金生山 : その文化と自然』,大垣市教育委員会,1981.3. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9670955 (参照 2023-10-08)
  • 篠田通弘ほか[編・撮影]『大垣市名勝 金生山岩巣公園―自然と生物―』金生山自然文化苑保存会 2020年
  • 寺院発行パンフレット
  • 「『かめ岩』濃尾平野見渡す 大垣の金生山頂上、縁起物を見に観光客増」(中日新聞Web 2022年7月9日配信記事)https://www.chunichi.co.jp/article/504433(2023年10月8日閲覧)