インタビュー掲載(2024.2.7)

2021年7月26日月曜日

六請神社の力石大明神(京都府京都市)


京都府京都市北区等持院町


六請神社(ろくしょうじんじゃ)は、北方にそびえる衣笠山に葬っていた御霊を鎮めるための御霊社として始まったとされる。

その後、町名にもなっている等持院の鎮守社として位置づけられ、伊勢大御神・石清水大神・賀茂大神・松尾大神・稻荷大神・春日大神の六神を勧請したことから六請神社の名がついた。


境内の一角に、力石大明神と呼ばれる大石がまつられている。力石大神ともいう。




この大石を持ち上げると願いごとが叶うという力石の一種であるが、力石自身が神格化しているケースであるのが特徴的と言える。

大人でも一抱えある大石であり、これを一人で持ち上げるのは相当の難儀を要しただろう。


そこで現在は持ち上げるのではなく、社務所で授与している小石に、自分の名前・性別・祈願内容を記して奉納すると同様の霊験があるという祭祀が生まれた。

祈願成就の暁には、そのことを小石に記して改めて奉納する旨もあり、全国的に類例の見られるお守り石として正しい影響下にある。

信仰者の思いを岩石という形代に宿らせ、それを神前に奉納することで、信仰対象たる力石大明神に願いが転送されるという祭祀構造をとっている。


元来は可動的な道具だった岩石が、不可動性を獲得してからは信仰対象に変じた事例と考えることができるだろう。


2021年7月22日木曜日

善根寺 春日神社の岩石信仰(大阪府東大阪市)


大阪府東大阪市善根寺


正しくは「春日神社」だが、他の春日神社と区別するため便宜上「善根寺 春日神社」とする。

境内の一角に、幅4~5mはあろうかと思われる岩石があり、広大な岩肌を見せて注連縄が巻かれている。
さらに、岩石の周囲は玉垣で囲われ、正面には賽銭箱を要した拝所も設けられており、明らかにまつられていることがわかる。




通称「磐座」と呼ばれるようだが、どうやら詳しい来歴は記録に残っていないらしく、実際のところどのような性格を有し、神聖視されてきた岩石なのかは言を控えなければならないだろう。

春日神社の本殿裏は山肌に接しているが、山肌からも岩盤が露出していることが確認できる。
さらにそのまま裏山へ進むと、残念ながらペンキの落書きがみられるものの、斜面に屏風状と形容できそうな岩石群も残っている。

春日神社本殿の裏に見える露岩

逆方向より

裏山の露岩

善根寺春日神社敬神会のホームページによると、拝殿奥、本殿前のスペースに「おきよ石」という岩石が安置されており、由来によると昭和天皇乗船の船に積み込まれていた岩石を譲り受けたもので、いわゆる昭和時代の聖跡事例と言えよう。

なお、春日神社から東へ行って阪奈道路をまたぐと、東の山中に八幡神社(八幡山八幡宮)に至り、そこにも山中に露岩群がみられるという。

2021年7月11日日曜日

星田妙見宮の影向石/織女石/妙見石(大阪府交野市)


大阪府交野市星田 小松神社

 

弘法大師が獅子窟(現・交野市の獅子窟寺)で修行中、空から北斗七星が降臨し、交野ケ原にある妙見山、光林寺、星の森の3ヶ所に分かれて落ちたという。

妙見山の頂上には巨石がまつられており、半ば北斗七星を顕現した神体として、これを中心とする星田妙見宮が創祀された。

(巨石=落下した北斗七星そのもの、と明確に記されているわけではない)

星田妙見宮の拝殿奥に控える岩石。

織女石の説明。

岩石の近影。

岩石の裾に瓦が集積している。

奥にもう1体の岩石が見える。

もう1体の近景(拡大写真)

上写真のように、現在、拝殿の奥には2体の岩石が注連縄を巻かれているのを確認できる。

現地には「織女石(たなばたせき)」の標示がなされており、説明によれば『河内名所図会』(1801年)にその名の記載があるという。

『河内名所図会』六巻の該当記述を捲ると、ルビには「をりひめいし」とあり、読み方は確定していない。

また、上記記述では妙見山頂に3つの巨石が存在する旨が記されているので、1体見落としているようである。


一方、当石の併称として影向石(ようごうせき/ようごういし)の名も根強い。

こちらは『妙見山影向石縁起』の書名にもなっており、社伝では貞観17年(875年)の古記録というからこちらのほうが古名にも見えるが、写本でもあり縁起製作年は自称だけでは心許なく史料批判も必要だろう。


このように当石は複数の名称および読み方が並立する存在だが、妙見石は妙見信仰、織女石は七夕信仰、影向石は仏菩薩の顕現を概念化したものであり、星田妙見の複数の宗教文脈のいずれかを選択することで主とする名、引いては名が示す岩石の性格が変わると見たい。


岩石を包含した当社自体、星田妙見の通称のほかに小松神社としての社名もあるが、いわゆる神社神道の括りで扱われる信仰にとどまらず、いわゆる妙見信仰をベースに置いた習合的な霊場・聖地としての理解がより適切である。

境内のおもかる石


2021年7月4日日曜日

三之宮神社の屋形石と立石(大阪府枚方市)


大阪府枚方市穂谷

屋形石

東側

西側

社殿背後に「屋形石」と呼ばれる2体の巨石が横並びしており、2体とも屋根のような形状と準えられている。

三之宮神社の一称に屋形大明神や屋形宮の名が伝わるが、「屋形」が当岩石の形状から由縁するものであれば、それらの名称が流布されたときには屋形石の信仰があったということになるだろう。

古墳石材ではないかともいわれるが、人工物、自然物の是非も含めて不明である。


三之宮神社は雨乞いの霊験で崇敬されたことで知られ、それは当社が山麓の川沿いに立地していることからも至極肯ける。

探訪時点では寡聞にして知らなかったが、拝殿向かって左側に「立石」があり、雨乞いの時にこの立石を川に沈める雨乞い儀礼も行われたことがあるという。


参考文献

『ひらかた文化財だより KAWARABAN』125 号(枚方市観光にぎわい部文化財課、2020年)