2019年2月25日月曜日

下郡の猪田神社(雨石・晴石と猪田経塚)と猪田の猪田神社(猪田神社古墳と日月石)



二つの猪田神社


三重県伊賀市には、猪田神社という名前の社が二つ存在する。

一つは、伊賀市下郡に鎮座する猪田神社。
もう一つは、伊賀市猪田に鎮座する猪田神社。

両社は近い位置ながら、一つの丘陵を隔てた別々の集落に建てられており、ともに『延喜式』神名帳の猪田神社の論社となっている。
おそらく元々は同じ丘陵を聖地としていたものが、集落ごとで祭祀が分化したのだと思われる。

両社には、それぞれ岩石祭祀事例が残されている。


下郡 猪田神社
~雨石・晴石と猪田経塚~


猪田神社
下郡の猪田神社


下郡の猪田神社にはかつて、雨石(雨石さん・潮満石)と晴石(潮干石)という二つの岩石があった。

神社の目の前に矢田川が流れている。
この川に雨石を入れると必ず雨が降り、晴石を入れると雨が止んだと伝わる。

もちろん気まぐれに入れるものではなく、降雨の祈願を込めた上で雨石は入れられ、あるいは、長雨が続いてこれを止めたいがために晴石を入れるという切実な儀礼だった。

雨石には願いをかなえるまじない道具としての性質があり、晴石にはそれに加え、鎮めの霊石としての性質も加わっている。

さて、ある時に長雨を止めるために晴石を入れたが、雨は止んだものの川の中をその後探しても晴石はどこかに行ってしまったという。
だから、現在は雨石しか猪田神社に残っていない。

雨石は現在は建屋の中に安置されている。
境内を一見するだけでは見落としやすいが、社殿向かって左、山の上に登る道の左脇にある建屋がそれだ。

猪田神社
建屋内をのぞくと雨石が安置


猪田神社
扁額「満○○?」


建屋には「満○○」(字数不明)という消えかかった額がかかる。
雨石とも潮満石とも違う名称のようだ。
満珠石という別称もあるそうなので、おそらく満珠石か。ただ二文字目は消えかかりながら「雨」の字にも似ている。

猪田神社
雨石


猪田神社
雨石


岩石の形状は、横長楕円形のずっしりとしたもので、横幅は1mを越える。これを川に浸けるというのは一苦労だっただろう。
この形状を蛙に例え、蛙と降雨の関係を述べる向きもあるが、蛙を志向しているかどうかは何とも言えないところ。
それよりも鎮めの岩石である要石との共通性を感じる。

忖度せずに言えば、外見は何のひっかかりもない自然石というほかない。
だからこそ、この石に霊性を見出したきっかけに興味が出てしかたない。

なお。下郡猪田神社の本殿背後斜面からは、12世紀後半の経筒関係遺物が出土して猪田経塚と呼ばれている。
経塚自体は人工的な石組みによって石室を形成し、その中に埋経を行なったタイプ。

後述する日月石と絡めると、岩石信仰と経塚祭祀の同居は、静岡県渭伊神社境内遺跡・三重県多度経塚・京都府真名井神社経塚がある。
神を宿らす磐座の地が、仏降臨を待つ埋経の場にもなった。神仏の聖地の親和性を考えるにおいて興味深いテーマである。

岩石信仰の祭祀具となった雨石・晴石と、経塚の石材となった岩石たちとの差は何だったのだろうか。


猪田 猪田神社
~猪田神社古墳と日月石~


もう一つの猪田神社である。
猪田の猪田神社を語る時のキーワードは、「猪田神社古墳」と「日月石」である。

猪田神社
猪田 猪田神社遠景。神社と裏山の関係。


本殿の背後に直径24mの円墳があり、これを猪田神社古墳と呼ぶ。
神社との圧倒的な位置の近さから、神社の祭神や祭祀母体に由縁のある墓ではないかとされている。
ちなみに神社の主祭神は武伊賀津別命。伊賀国造ともいわれ、地方豪族の古墳である可能性を補強している。

また、裏山には他にも数基の古墳があるらしい。
当地の字は「波岸台(はがんだい)」と書くが、これは「墓の台」の転訛とも考えられている。

猪田神社
神社境内。猪田神社古墳および古井(天真名井)の石標が立つ。


そして、古墳と社殿の中間地点に聖なる岩石「日月石(にちげついし)」がある。

本殿の南方斜面上に「磐座」の標識と共に、大小二個の岩石が片寄せあっている。

猪田神社
2011年時点ではこの表示があり、入口は分かりやすかった。


猪田神社
日月石。「磐座」の傍示がある。岩陰に皿が二枚供献。


猪田神社
日月石を斜面上方から撮影


斜面下方の大きめの岩石が「日」を表し、上方の小さめの岩石が「月」を表すらしい。
伝承や民話の類は伝わっていないが、社殿祭祀以前の祭り場といわれている。
現在、定期的な祭礼というものはないが、地元の方が自発的にお供えをしているそうだ。

岩石祭祀と古墳の同居は、群馬県西大室丸山遺跡、静岡県神座古墳群、京都府松尾山、京都府梅ヶ畑遺跡、奈良県石光山古墳群、広島県御領古墳群などで見られる。
岩石祭祀と古墳祭祀が共存していたか切り合いの関係か、そしてその先後関係は興味深いテーマである。

猪田神社
境内に集められた石造物群


石の彫刻家・舟越保武氏が岩石に対して感じた思い



舟越保武氏(1912~2002年)は、石の彫刻の第一人者といわれる人物。
はじめは大理石をフィールドにして、後に砂岩など他の石種、そしてブロンズなど他素材にも手を広げた。

彫刻家でありつつ、エッセイで賞を受賞するなど、文筆家としても知られる。
このたび、生誕百年を記念して刊行された『舟越保武全随筆集 巨岩と花びらほか』(求龍堂 2012年)を読む機会があった。

石の彫刻家である舟越氏が、彫る素材としての石、そして素材とならなかった石に対して、どのような思いを抱いていたのかが垣間見えるシーンがいくつかあったので紹介したい。

岩石を生活の中心に置いた一人の人間の内面が、読みやすくもシャープな視点で描かれていて、岩石信仰の萌芽のヒントにもなりうると思う(舟越氏はキリスト教徒だが)。

紹介する随筆は次の6作品である。
  • 「巨岩と花びら」
  • 「渓流と彫刻」
  • 「石の汗」
  • 「石屋の親方」
  • 「石柱の夢」
  • 「古代石像の前で」


「巨岩と花びら」(1973年)

私の目の上にある岩は、何千年も何万年も前からここにあって、流れを見おろしている。それなのに私は、たった一度だけこの岩に会って、手を触れて、少し語りかけて、永久に去ってしまうのか。

そんなことを考えていた時に、ふと花びらが岩の上に落ちて、そして一瞬で吹き飛ばされていったシーンに触発されて書かれた文章。

巨岩から見れば、一瞬止まったこの花びらも、一度立ち寄った人間も同じようなもので、これは「冷酷な開き」で、だから巨岩は「いやなやつ」だという。
舟越氏は、ここから巨岩の前では人間の営為や喜怒哀楽などけし粒のようなものと表現しているが、読み手の立ち位置によって心を打ちぬく部分が異なるような気がしてならない。

これは一般的には、巨岩の永遠性・超然性を評する代表作の一つとしてあるように思える。
しかし、岩石信仰研究の私の立場で読むと、舟越氏の上の文章は私の心をチクチク抉る。

岩石信仰研究のためといいあちこちと現場を巡り、場数を踏んでいるのか物見遊山しているだけなのかわからず、一度岩石をその瞬間見ただけで何かを知った気になっている自分の傲慢さが、照射されているような気分だ。

その気持ちの解決方法も、舟越氏から教えてもらうことができる。

舟越氏は本文の最後に、平手で岩肌を叩くことが、あくせくと動く自分のせめてもの安らぎだと締める。
「いやなやつ」なんだけど、結局、岩肌に手を触れて安らぎをもらうのである。

この二律背反的な心理は、恐いところがあるけれど惹かれるところがあるという信仰心に似ている。
心が揺らぐところを突かれ、最終的に屈してしまう存在という意味で巨岩が存在している。

私も結局、岩石という「冷酷な開き」がある存在に甘えて、自分の傲慢さを横に置いて調査ができているような気がする。
対人間なら、そうはいかないはずだから。


「渓流と彫刻」(1965年)

渓流の釣りをしていると、素晴らしい形の岩を見かけることがよくある。(中略)これもやはり彫刻されたものだ。水の力が小石という道具を使って彫ったものだ。この石の作者は水なのだ。あんな澄明な清らかな様子の水が、実は大へんな力を持った彫刻家なのだ。我々の作る作品とは年季の入れ方が違う。

彫刻家の舟越氏ならではの着眼点で語られる渓流の自然石たち。

「巨岩と花びら」では、変わらなさを主題に語られていた岩石が、こちらでは水と小石による変化のさまで語られている。
共通するのは「岩石は、長い時間をかけて変わらない/変わる」という時間軸か。

この時間軸だが、人間の一生から見ると、岩石に変化があったとしても、おそらく岩石の変化が見られないレベルである。
そもそも、変化していないように見える岩石でさえ、理屈上は風化・浸食などの自然現象で絶えず形は変わり続け、それ以外にも雨が降ったり雷が落ちたり、土に覆われるだけでも岩石の内部要素は微細ながら変化することは間違いない。
ただ、ここではそんな理屈上で頭を納得させる次元の話ではなく、人間の五感の次元の話だろう。

舟越氏は釣りの帰り道に、かつて川で磨かれたと思われる丸石が斜面の上に顔を出しているのに気づく。
舟越氏は、かつてそこが川だったという科学的事実を理屈で解決したものの、五感では納得できていない様子が吐露されている。
五感は「信じられない」ので、その思いで心を支配された舟越氏は「怖ろしくなって」しまい、「押し流されるように急いで宿へ向かった」のである。

ここを大げさに捉えるのか、共感のほうへ転ぶのかは読み手しだいだが、やはりこれも岩石信仰の萌芽ではないか?

舟越氏は洗礼しているので岩石信仰の当事者になることはない。

でも、逆にそれを自明のこととしているから、理屈だけで解決できない自分の五感が信じられなくなった時、恐くなってしまった時、自らの信じる神に頼れなくなった時、そこから逃げるという選択をしたのではないだろうか。
一方で、逃げずに岩石に向き合った時、岩石信仰が萌芽してしまうのではないか。
それを無意識的に感じ取って回避したのかも、という妄想すら出てきてしまう文章だった。


「石の汗」(1983年)

 アトリエに置いてある大理石が、汗をかいていた。
この一文から始まる随筆。
これだけだと怪談だが、石の専門家である舟越氏はこれの論理を当然知っている。

冷たい石肌が、天候差などによって空気中の水分が暖められた時、水滴をつけるという話である。
舟越氏は石彫を始めて間もない頃にこの現象に出会い、いたく感動したと言うが、今は「それほど感動することもなかったわけだ」とふりかえる。

しかし、この諸条件がそろったのは人生で2回しかないらしい。

もう1回は、ミロのビーナスが来日した時に、ビーナスの肌から汗が噴き出て、それが雫となって流れるのを目の当たりにしたという。

これは、開館前は冷暗所の中にあったビーナスが、開館直後に大量の見学者が連れてきた熱気に当てられて、急速に石肌が蒸されたことによるものだろうと回顧する。

ルーブルに置いてある時は、汗をかいたことはなかったのではないか?と舟越氏は述べる。
氏の人生の中でも見たのは2回だけ。

自分の彫像の時は、水に濡れると細かい凹凸がわかりにくくなるので作業ができず、困るそうである。
その時も、ミロのビーナスの時も共通していたのが、石は濡れると赤みを帯びるそうである。


「石屋の親方」(1984年)

 「石屋さん、これはだいぶ、ねじれてますね」
舟越氏は、特定の師匠がいたわけではないという。
そもそも、石の彫刻家の先達がいなかった。

それでもきっかけはあるもので、それはまだ10代の頃、地元の石屋に飛び込んで石工たちの仕事を見ながら、石と鑿の相性などを体で覚えていったのだという。

だから、舟越氏のエッセイの中で石屋の話はしばしば登場する。
「石屋の親方」は、盛岡に疎開していた時にお世話になった石屋の親方の話で、「忍耐強い人が石工になるのか、石工になって忍耐強くなるのか」という仕事に対する厳しい姿勢を学んだ方だった。

そんな石屋さんが作った石碑がある。
盲学校の卒業生が、学校に寄贈する記念碑として石板石を石屋に依頼した。

制作途中で、依頼主の方が仕事場に来て石の状態を見に来た。
依頼主はもう学校の卒業生なので、もちろん目が不自由で、親方に手を引いてもらって石板石の前に立った。

依頼主の方が石を触って状態を確認する。
この時の触り方について、舟越氏がかなりデリケートに、かなり紙幅を割きながら表現しているので忠実に引用したい。
砥ぎ上がった石の面をサッとなでた。なでたと言うのでもなかった。指先がハラハラと石の上から下まで、こまかく触れて走った。ほんの一瞬のことだった。ピアノをたたく指先の動きよりも、もっと軽く石の面を走った。

その後に依頼者が漏らした感想が冒頭の「石屋さん、これはだいぶ、ねじれてますね」だ。

後で計ったら、石の上端と下端で3mmのねじれがあったそうで、親方は「いやあ参ったな、盲の人はオッカないもんだじゃ」と感服していた。
このねじれは、舟越氏が目視で観察してもわからないほどの僅かなズレで、視力の失われた人がどうして目を使わずにねじれを見破ったのか、感心するばかりだったという。

五感を広く浅く操るのではなく、特定の感覚を日常的に集中することで、いわゆる常人ではない能力が備わるということなのだろうか。
それは石を生業とする石屋の眼すら凌駕し、超能力の領域に突入している。

折口信夫が「石に出で入るもの」(1932年)で、巫祝の徒は常人よりも「石の中に潜む物」を見分ける能力を持っていて、私たちが特に感じない領域のことを敏感に察知できる、そういう人がシャーマンや司祭者になると述べている。

今回の石屋の話も、これと共通することなのだろうと思う。
常あらざる力をもつから敬意と畏怖の対象となるわけで、盲であるからこその超越的な触覚により、岩石を視覚ではなく触覚で論じられるというケースなのである。

岩石を見て、形がどうだ大きさがどうだという視覚だけのカテゴリーでものすることを、強く戒められる内容だった。


「石柱の夢」(1984年)

人間は、その生存の記録を何百年も何千年も後の世に遺そうとして、最も堅牢な花崗岩で、記念碑や墓石を造って地上に据える。俗にいう文明国の人間だけがそれをする。こんな傲慢なことをするのは、生物の中で人類だけではないだろうか。
舟越氏はこの思いで、人類が石の柱をどんどん立てていくと地球を石が埋め尽くして、窒息して生き物は絶滅するのではないかと、強迫観念にとらわれたという。

もちろん現実にはありえないことが分かった上での発言であることを踏まえて、読者としてはこの大仰な着想に向き合いたい。

私は、そもそもこの解釈は舟越氏の後天的な思想に基づくもので、本来はそのような解釈だけにしなくてもよいのではないかと感じる。

その理由は、そもそも舟越氏がこの発言をしたのが、ある夢を見て、それを「記念碑彫刻や墓石の将来を暗示するもの」と解釈したからである。

夢は無意識の産物であるから、意識上の舟越氏の解釈は、同じ自分の想念でありながらあたっているとは言い切れない。

では、元々はどんな夢だったか。
石柱の林に迷いこんで、どうしてもそこから抜けられなくて苦しむ夢を見た。
四角な冷たい石柱の間を、身体を横にしてやっと抜けると、すぐまた石の柱が、ぎっしり詰まっている。その石柱の間が、だんだん狭くなっていて、胸が石の間にはさまれて、窒息しそうになる夢であった。

どうだろうか。
舟越氏が文章に書いた限りなので他の要素もあったかもしれないが、ここから 「記念碑彫刻や墓石の将来」や人類・地球の将来まで壮大に広げるのはあくまでも一解釈で、この一択に絞ったのは氏の思想に基づくものだろう(舟越氏は文明批判の文脈がところどころに出てくる)。
その是非を論じるのではなく、ここで注目したいのは、私たち一人一人の読者が、この夢の内容を見た時にどんな鏡に映してどう理屈を語るのかである。

窒息しそうになるのは嫌だけど、周りが石ばかりで、石の間に挟まれるのが幸せな人も、どこかに一人はいるかもしれない。
いや、もともと幸せに感じられるのなら、夢のなかで窒息の苦痛を感じないのかもしれない。

あくせく動く現代社会批判をしながらも、舟越氏も石の彫像を地球上に送り出してきた一人として、意識下で言葉にできない何かを抱いたのだろうか。

私は、どんな石柱だったのかを知りたいと思った。


「古代石像の前で」(1984年)

「なんだこれは。二千年前の二十世紀という時代には、こんなつまらない作業をしたのか。石を無駄にしたものだなあ」
古代石像を前にしての随想。

古代石像に触っても、その石像を造った職人の顔も見えなければ、どんな行程で作業をしたのかも見当がつかないと舟越氏は嘆く。

ただ、ひとつの確信として、古代人と現代人では、時間間隔がまったく違うものだったのではないかと踏みこんでいる。

現代人は、納期があって、短い時間で良いものを作ることが評価される。

古代人はそうではなく、「石像を作る、毎日作業をする。怠けもしないが、焦りもしない。一つの像が完成する途中で石工が死ぬ。それを息子なり別の石工なりが、あとをついで作業が続けられる」。
その先に作業が終わる時が完成であって、時間の流れが唯一あるとしたら、それは作品の制作期間ではなく、職人一人の生と死だけだったのではないかと舟越氏の思いは広がっていく。

東京芸大彫刻科の最終講義でも、舟越氏は古代の職人(主にルネサンスより前)に対して思いをはせている。
あの頃の彫刻を作った人たちは、今でいう彫刻家ではない。芸術家ではないんですね。あれは彫刻を作る石工、石の職人なんです。その作品に、たとえば千野茂とか舟越保武とかいう署名がないんです。作家ではなく、石工として仕事しているんです。そこのところに、大きな違いがあると思います。

自分の名前や個性や業績が残ることより、作品がよくできればよいという態度の仕事に惹かれるという。

舟越氏の視点は、常に「現代の私たち」と「あの時の彼ら」が見ている世界の違いに主眼が置かれていて、「あの時の彼ら」が見えないしわからないこそ、それに惹かれていく。

私は、これが歴史学の対象でないなら、何だろうと思う。
舟越氏だって極めて特異な一個人であるし、「あの時の彼ら」も、一人一人が何かの能力に優れた能力者だったことを考えれば、「当時の人々」と一般化することの怖さも感じられる。

いざ岩石信仰に立ち戻ると、信仰していた人はどんな能力者だったのだろうかと思う。
思考と五感のいずれか、あるいはすべての世界のとらえかたが異なっていたかもしれない。
そんな人々と一方的な対話をしかけていく試みが岩石信仰研究である。

2019年2月18日月曜日

磐座で有名な場所はどこですか?~磐座巨石本から決定版を決める~


"一番有名な磐座は何ですか?"
"代表的な巨石を教えてください"

今回の記事では、このご質問にお答えします。

そう思ったきっかけがあります。
代表的な磐座を紹介しているwebページを最近見たのですが、そこで第一に挙げられていたのが奈良県桜井市の與喜天満神社の鵝形石でした。

何をもって磐座の代表格とするかは意見が分かれるところでしょうが、この鵝形石はさすがに全国の磐座愛好家の異論噴出では、と要らぬ心配をしてしまいました。
(鵝形石が悪いわけではありません、あしからず)

これはおそらく、Wikipediaの「磐座」の参考画像が鵝形石だからですね(2019年2月時点)。
おそらく、Wikipediaの写真=代表格という基準で選んだのだろうと思います。

では、諸説分かれるこの「代表的な磐座」問題に終止符(大げさ)を打つべく、今までされたことがないアプローチで迫ってみました。

"磐座・巨石の関連本で、収録されてきた数が一番多い場所が「代表格」ではないか?"

各専門家がこぞって取り上げる磐座であれば、読者への露出も多く、認知度という意味でも文句なしなのではないか、と考えました。



磐座巨石本のエントリーはこちら

すべての関連本を調べるのは大変なので、エントリー作品を次の8つに絞りました。


1.藤本浩一氏『磐座紀行』向陽書房 1982年

まずは、磐座ガイドの最古典とも言っていい『磐座紀行』です。

昭和時代、全国の磐座を独自の情報収集で渡り歩き、紙媒体に仕上げたほぼ唯一の労作でしょう。取り上げないわけにはいかない本です。
インターネット夜明け前の「代表的な磐座」はここに収められています。


2.ムー特別編集『日本ミステリー・ゾーン・ガイド<愛蔵版>』学習研究社 1993年

オカルト雑誌『ムー』の特集本で、いわゆる超古代文明の証拠というアプローチで、日本全国の磐座・巨石が収録。

『磐座紀行』はやや専門向けの書籍なのに対し、こちらは1990年代の世論を正しく反映する「有名な巨石コレクション」と言っていいでしょう。


3.浅野勝洋さんのwebサイト「しゃこちゃんのお部屋 遺跡と神社を巡る旅」1998年~

1990年代後半になると、インターネット上で「巨石サイト」が登場します。
数ある巨石サイトの中で、黎明期から存在して網羅的なウェブサイトを一つ挙げるとするなら、私はこの「しゃこちゃんのお部屋」を推します。

私自身、高校生の時に「しゃこちゃんのお部屋」を見て、日本全国の知らない磐座や巨石をたくさん知ることができました。なかば、思い出のサイトなのです。

ネットの情報も「有名な磐座」を決めるための大事な目安になりますので、今回は同サイトをデータベースにさせていただきます。


4.須田郡司氏『日本の巨石―イワクラの世界―』パレード 2008年

ここから時代がぐっと下がって2008年。
日本の磐座巨石写真家の第一人者・須田郡司さんの著作から1冊選ばせていただきました。

須田さんの写真集の中では、日本の巨石・磐座を写したものとしては初期作に属し、表紙の三重県入道ヶ嶽の仏岩は出色の出来。
須田さんが初期作で収録したいと思った場所は、代表的な磐座群とみなしていいでしょう。



5.アスペクト編集部『巨石巡礼―見ておきたい日本の巨石22―』アスペクト 2011年

出版社のアスペクトが選定した「日本の巨石22か所」。
本書の位置付けからして、広く一般層に日本の巨石の世界を知ってほしいという意図で発売されたガイドブックだと思います。

今までと毛色が違うのは、1~4はすべて"業界人"の手によるものでしたが、アスペクト編集部は言ってしまえば"業界に染まっていない眼"ということ。
こういう視点で選ばれた「磐座代表」も参考にしたいところですね。



6.岡田謙二氏『日本のパワースポット案内 巨石巡礼50』秀和システム 2011年

岡田謙二さんのwebサイト「巨石巡礼」を書籍化した本です。モノクロ写真で統一されたその雰囲気が、巨石に独特の風合いを感じさせてくれました。

なぜか、アスペクトが出した巨石本と発行年(2011年)・タイトル(巨石巡礼)がかぶりましたが、岡田さんのサイトは2005年オープンとこちらのほうが老舗です。

「日本のパワースポット」の冠名がついているように、この時はもうパワースポット・スピリチュアルブームが席巻していました。
このあたりの世相も踏まえて、代表的な磐座の位置付けも変化してきたように思います。


7.池田清隆氏『磐座百選』出窓社 2018年

さて、2018年まで来ました。
7つ目に挙げたいのは、池田清隆さんの『磐座百選』です。
まさに本記事と重なり合う趣旨で、磐座を半生渡り歩いた池田さんが、代表的・典型的と思う磐座を100カ所選定しました。
選定基準も明記されており、同書から引用します。
  1. 各都道府県すべてに一座以上の磐座を選ぶこと。
  2. だれでも「気軽に」訪ねることができるもの。
  3. その地域の歴史や風土を色濃く伝承しているもの。

磐座が、神の領域ではなく人の生活空間の境目にある存在と考えたら、高山険所ではなく、足を運ぶことが容易な磐座を取り上げたのは磐座の本義に沿うと思います。


8.山村善太郎氏『IWAKURA 磐座―悠久の日本人のこころ―』求龍堂 2018年

最後の1冊は、山村善太郎氏の写真集『IWAKURA 磐座』をエントリーします。
本日執筆時点で最新の磐座巨石本と言ってよく、須田さんとはまた異なる視点での選定眼を取り入れたいと思います。


以上7冊1サイトの計8つで取り上げられた磐座・巨石を集計していきます。

なお、私の旧ウェブサイト「岩石祭祀学提唱地」(2001年~)と、本『岩石を信仰していた日本人』(2011年)は、公平性を期して完全除外します。


集計方法

  1. 各文献&サイトに取り上げられている磐座・巨石をリストアップしていく。
  2. ただし、目次からはじかれていて、例示やコラムなど補助的に出された程度の事例は省いた(磐座の代表格を決める趣旨のため)。
  3. 都道府県別にまとめ、この8つの中で重複して登場した磐座・巨石を「有名な磐座」として結果発表する。

集計結果をまとめたのが下の表です。リストアップ合計499ヶ所。自由に閲覧できます。

「磐座巨石本の掲載場所まとめ」(Googleスプレッドシート)

https://docs.google.com/spreadsheets/d/1urJ0yKf5YB-dwvRGluj0k6RYBFjIlbOP9Dmri44V7yw/edit?usp=sharing
中身はこんな感じです。


次に、集計しての傾向を述べたいと思います。


各文献の傾向をふりかえる


『磐座紀行』

著者の藤本氏は関西を活動圏としていたためか、東日本の掲載事例は少なく西日本に偏りがち、特に兵庫県の事例はマニアックなものも含めて多い。
また、当時は磐座=神道という固定観念も強かったと思われ、神道系の聖地が多い。
時代事情を考慮すれば、じゅうぶんすぎるほどの掲載量なのは間違いありません。

ムー『日本ミステリー・ゾーン・ガイド』

ムーなので、日本ピラミッド、超古代文明オーパーツ的な場所が多い。
しかし、一方で民俗的なスポットもカバーしており侮れません。
地域的な偏りはなく、西日本編・東日本編にバランス良く紙幅を分けています。

しゃこちゃんのお部屋

運営者の浅野さんは東北→関東をお住まいにされているので、東日本側の掲載量が多め。
関心のひとつが縄文時代にあるようなので、環状列石やストーンサークルが多く紹介されているのが特徴です。

『日本の巨石』

須田さんが沖縄に在住していたことや、御嶽との出会いで聖地の写真を撮るようになったという経歴もあり、沖縄県の事例がまず突出しています。
そして、気に入った場所はページを複数に分けて写真を掲載しています。 高知県の唐人駄馬巨石群や、佐賀県の巨石パーク(下田の石神群)。イワクラサミットin宮崎の時期と近いので宮崎の磐座・巨石なども。
また、福島県の宇宙岩や奈良県の長寿岩など"新しいイワクラ"も登場。

アスペクト『巨石巡礼』

「22か所」掲載ということで、今回挙げた8つの中では最も厳選されている書籍。
今回の集計では、本書に掲載されているかどうかが票数を大きく分けました。

岡田さんの『巨石巡礼』

アスペクト版より倍以上多い50か所を掲載。
活動圏が東日本なので、中国~九州地方の事例はやや寂しいところもあります。

『磐座百選』

先述の選定記述のとおり、各都道府県から平等に1ヶ所以上が紹介されており、分布の偏りは8つの中で最もない文献。
記紀・風土記や古典などからの選定も多いので、自然と時代が古めの社寺や遺跡が多くなっています。

『IWAKURA磐座』

リストアップして気づいたのが、全国各地の夫婦岩の収録数の多さ。
山村氏の興味関心の中心なのではないかと感じられました。


頻出磐座ランキング発表

お待たせしました。
それでは結果発表いたします。

さっそく、一番収録数が多かったNo.1の場所を発表しましょう。
前掲のスプレッドシートでフィルタリングしたスクリーンショットを掲載します。

1位 7票 花の窟神社(三重県)・磐船神社(大阪府)



8つすべてに掲載されている場所は・・・ありませんでした!
主にアスペクト『巨石巡礼』のせいです(笑)。22か所選出なので。

しかし、それ以外の7つに全掲載されているというだけで、じゅうぶん「代表格」と呼べるのではないでしょうか?

それが2ヶ所。同率1位。

花の窟神社(三重県)と磐船神社(大阪府)です。

花の窟神社(三重県)

磐船神社(大阪府)

こうやって写真を載せてみて気づきましたが、私の写真では実物の空気感をこれっぽっちも表現できていません(泣)

花の窟は写真に収まりませんし、磐船も周囲の社殿や川などとの対比でその場に立たないと、この存在感は表現できません。
行かれたことがない方は、一度現場を訪れてみてください。


磐座・巨石業界の関係諸氏の皆様は、この結果を見ていかがでしょうか?
勝手ながら、私は集計してみてこの2つが最多得票数で表示された時、いろいろ個人的に好みの場所は他にあるものの、名前を見て確かにそうだよねと納得できました。
8分の7という収録数の前に、ぐうの音も出ないというのが正直な感想です。ハッキリわかって良かった。


3位 6票 筑波山(茨城県)・神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県)



神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県)


3位も2ヶ所です。

筑波山(茨城県)・神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県)

これも納得のラインナップだと、私も太鼓判を押します。
筑波山は初めての東日本事例で、事実上、東日本知名度No.1の磐座・巨石と題してOKです。

ゴトビキ岩は、1位の花の窟神社のすぐ近くで、みんな熊野の磐座・巨石に惹かれるのかなあと傾向を感じます。


5位 5票 忍路環状列石から米神山まで9か所



三輪山周辺の磐座群の一つ(綱越神社境内)



499ヶ所のうち、5票獲得した場所は次の9か所。さすがに数が多くなってきましたね。

忍路環状列石(北海道)
縄文時代環状列石としては、秋田県の大湯環状列石をしのぐ位置となりました。確かに規模も大規模で見ごたえ感は強い遺跡です。

榛名山(群馬県)
神仏習合の雰囲気色濃い、境内一帯が奇岩怪石の山岳聖地。周辺の榛名湖にかけての巨石群を含めると、1日かけても巡りきれないボリュームの濃さも人気の理由か。

金鑚神社の鏡岩(埼玉県)
この選出は私には意外でした。有名な巨石の一つには間違いありませんが、あまり深く語られているイメージがありませんでした。鏡のようなツルツルとした岩肌を見せた奇岩です。

丸石神(山梨県)
山梨県を中心に甲信地方に700ヶ所以上分布するといわれる土着の丸石信仰の場。1個の巨石の大きさではなく、なぜ丸石を信仰したのかという謎に惹かれるのでは。

諏訪大社(長野県)
「諏訪の七石」が有名ですが、それだけではなく、諏訪大祝が即位した時に座ったといわれる石(現在不詳)、裏山の守屋山の巨石群、そしてミシャクチなどの諏訪独特の信仰など、興味関心の入口が多岐にわたっています。

三輪山(奈良県)
磐座の王道とも言える三輪山一帯の磐座群。1位になってもおかしくないと思う同好の士は多いと思いますが、私の仮説では「写真撮影禁止」というのがネック。本にしてもネットにしても、磐座の魅力を物語る画像がなければ表現するのは難しいでしょう。百聞は一見にしかず、その目で見てほしい磐座です。

厳島の弥山(広島県)
日本三景の宮島はそれだけでも一大観光地ですが、厳島神社裏山の弥山には山頂にかけて巨石群が広がります。ロープウェイでアクセスも容易。巨石群横に施設が立ってなければというのは池田清隆さんの言で同感。

下田の石神群(佐賀県)
いわゆる「巨石パーク」です。私は『風土記』の当初の名称を優先したいので、下田の石神表記にしています。巨石に対してどの態度で臨むかが試される場所になった気がします。

京石・こしき石・米神山(大分県)
ここも有名な場所の一つですが、それでもこのラインナップの中に入るとは、予想以上でした。ただ、磐座巨石本によって京石をメインにする場合と、こしき石をメインにする場合と、米神山の巨石群をメインにする場合に分かれている印象です。


代表的な磐座の決定版はこれだ

まとめます。

"磐座で有名な場所はどこですか?"

といわれたら、次の4カ所で決まりです。

1.花の窟神社(三重県熊野市)
2.磐船神社(大阪府交野市)
3.筑波山(茨城県つくば市)
4.神倉神社のゴトビキ岩(和歌山県新宮市)

これまでの関連本の収録実績に基づいているので、自信をもってオススメしますよ。

Wikipediaの磐座の参考写真も、上のどれかにどなたか差し替えておいてください(笑)
(私はWikipediaの編集にタッチしていません)


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岩石信仰の種類と見分けかた~石神・磐座・磐境・奇岩・巨石の世界~


2019年2月11日月曜日

岩石信仰の種類と見分けかた~石神・磐座・磐境・奇岩・巨石の世界~


1.巨石・磐座の歴史的経緯を知ることが最初の一歩


巨石信仰・巨石祭祀という言葉が使われて久しい。

しかし、巨石や巨岩という表現を遡っていくと、『記紀』を代表とする古典には登場していない。
大石神社や大岩神社は全国に残っているが、巨石神社や巨岩神社という名の社はない。地名や神名に広げても同じだろう。
ならば、大石信仰や大岩信仰という呼び方のほうが古来のありかたに沿っているが、これらの呼称はなぜかまったく一般的になっていない。

ここに違和感をもつことから、今回の話を始めたい。

なぜ「大」ではなく「巨」が勝利したのだろうか?

ここには仕掛け人がいた。
戦前に、海外の巨石記念物が日本国内にもあるとみなした巨石文化論が勃興して、海外の研究にならって用語が翻訳・移植されたという過去がある。
しかし、岩石という素材が共通しているだけで、必ずしも海外と国内の巨石が同一であるというわけではなかった。
これは、国内の代表的な巨石文化論者である鳥居龍蔵博士でさえ、海外と国内の巨石を同一視することは適切ではないと警告していたほどである。

しかし、この当時の影響で、現代まで私たちが使う用語が「巨石」に固定化され続けたということは、認めなければならないだろう。


同じように、巨石信仰とほぼ同じ意味で磐座信仰・磐座祭祀という言葉が出回っている。

しかし、たとえば民俗学の祖といわれる柳田國男や折口信夫などの研究を紐解くと、石の信仰に関して言及はあるものの、そこに「磐座」という語はまったくといっていいほど登場せず、現代との温度差がすさまじい。

たとえば、折口信夫「石の信仰とさえの神と」が青空文庫で公開されているので読んでほしい。石の信仰の話をしているのに「磐座・いわくら・いはくら」は一語も登場しない。他の石関連の文章も同様で、折口は「石」を統一用語として使用していたようである。

柳田國男も「石神問答」などで石神こそ名前に出すものの、磐座に対してはほぼ無視である。
念のため、これは折口や柳田が無知だったということではない。
専門家として磐座という語を知っていて、しかし石の信仰としてはあくまでも一分野を示す語であるとも理解していたから、全体を示す語として頻出するものではなかったということである。

このように、巨石信仰と同様、磐座という言葉が独り歩きしている異常事態にも違和感を持たないといけない。

過去に書かれた文献を渉猟するかぎり、1930年代以降、磐座をこの種の統一用語として押し出した動きが認められ、それ以降の研究に磐座の語が無批判的に用いられるようになってきた。
なお、磐座を統一用語にすることに論理上の誤りがあることは、大場磐雄「磐座・磐境等の考古学的考察」(『考古学雑誌』第32巻8号、1942年)で早くも指摘されているが、この指摘がなぜか一般化することはなかった。

おそらく、それに代わるこの種の統一的な用語がなかったからだろう。
 
宗教的な岩石をすべて磐座にまとめる風潮に対して、私は2003年から疑義を挙げているが(「岩石祭祀遺跡に関する包括的な考察」『考古館』第11号で本問題を初発表)いまだ力及ばず、この誤認が根強いままである。

2000年代に入っても、今度は磐座を「イワクラ」という表記で統一用語にする動きも始まった。
1942年に指摘された誤りに基づく磐座を、さらにリバイバルするものであり、以上の経緯をふりかえると、賛もあれば否もあってしかるべきではないだろうか。


2.岩石信仰をいろどる用語
~いろんな文脈が交錯して飽和状態~


もともと、祭祀や信仰に関わる言葉は巨石・磐座だけではなかった。
思いつくまま、この種の用語をざっくりとだが列挙してみよう。


■ 神道系
  • 磐座
  • 磐境
  • 石神・岩神
  • 御形・形石・像石
  • 湯津石村・湯津岩群・五百個磐石
  • 神体石
  • 石占
  • 玉 

■ 仏教・道教・民間信仰系
  • 影向石
  • 腰掛石
  • 石仏・磨崖仏
  • 岩屋・岩窟
  • 仏足石
  • 礼拝石・遥拝石
  • 石敢当
  • 庚申塔
  • 山ノ神碑
  • 板碑
  • 町石
  • 経塚
  • 盃状穴・杯状穴
  • 力石
  • 百度石 
  • 金精様
  • 道祖神・サエノカミ
  • シャグジ・シャゴジ・ミシャクチ

    ■ 後世の学問から派生したもの
    • 弄石
    • 水石
    • 神籠石
    • 石棒
    • 性石
    • 鏡石・鏡岩
    • 姿石
    • 形状石

    ■ 海外の巨石文化研究
    • 巨石記念物
    • メンヒル・立石
    • アリニュマン・列石
    • ストーンサークル・ストーンヘンジ・クロムレック・環状石籬・環状列石
    • ドルメン・支石墓
    • ツムルス
    • トリリトン
    • モノリス

      ■超古代文明系
      • イワクラ
      • 天体観測装置
      • 日本ピラミッド(太陽石・方位石・机石)
      • ペトログラフ・ペトログリフ・古代岩刻文様

      ■ニューエイジ・スピリチュアル系
      • パワーストーン 
      • パワースポット

      ※すべての用語が必ずしも岩石だけを指すものではない。ジャンル分けはざっくりとしたものであり厳密ではない。


      「神聖な岩石」を呼称する名称が、本当に色んな文脈(古典由来、海外由来、オカルト由来・・・)から生まれ、煩雑に使われてきたことがわかる。
      これらの用語の間には体系的な関連性や統一性といったものはなく、言葉によっては同じ意味を表している用語さえ見られる(影向石=磐座など)。

      このように煩雑とした用語を安易に使い続けていくことは、使い手によって解釈の揺らぎが生まれる原因になり、それは読み手や聞き手に思いもよらぬ誤解を持たれる原因にもつながる。

      たとえば、巨石記念物関係の用語は海外の巨石文化論を前提とした言葉だから、これらの用語を用いると、巨石文化論を下地にしていると誤解されてもおかしくない。
      また、磐座という言葉を一般名詞として使う場合も、上記に書いた歴史的経緯を知らないと受け止められるだろう。
      さらに「イワクラ」の語を使用するのであれば、その前にいろいろと解決してもらわないといけない前提が多すぎる。
      これでは岩石信仰についての話を始める前に、すでに見えないハードルがあるようなものであり、議論は平行線をたどるだろう。

      このような問題意識から、私はこういった用語の批判的な分析と、岩石信仰の種類をわかりやすい形で分類化しないといけないと考え、『岩石を信仰していた日本人―石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究―』(遊タイム出版、2011年)を発表した。

      くわしい分析は本書に譲るが、ここではそのエッセンスを紹介することで、石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれてきた世界を、一歩先の新たな段階に進めたい。


      3.岩石信仰の種類
      ~5つのタイプに分類する~

      私は『岩石を信仰していた日本人』で、岩石祭祀の類型分類を提示した。

      いわば、岩石信仰の種類を一覧にしたもので、2011年時点で約2000例の石・岩を調べて、この石はこの性格だ、あの岩はこういう機能を持っている、と整理していったものである。
      集成データはこちらのexcelファイル(岩石祭祀事例集成表)で公開している。

      下が拙著に掲載した実際の分類である。

      これは機能別に整理整頓したものなので、従来の神道・仏教などの宗教による用語の違いや、第2章で列挙した用語の煩雑さやカテゴライズの呪縛から解き放たれたものである。

      2003年頃にこの分類の第1案ができて、以後、2000例をカウントするまで幾度かの分類の見直しがあった。時には、根底からのクラッシュアンドビルトを迫られる場面もあったが、目の前の資料が絶対であるので粛々と分類作業をやり直した。

      その連続の果てに、2011年に上記の分類が完成した。それ以後、現在2019年にいたるまで、この分類を見直す事態には出会っていない。
      つまり、新たに知った事例は山ほどあるが、すべてどれかの類型には当てはまってきた。その意味で、ある程度の信頼性を担保できる分類であると今も考えている。

      とはいえ、上記分類は専門的となりやや種類が多いので、覚えにくいところもある。
      そこで、この記事では5つのグループ(A~E)に集約して、岩石信仰の種類を簡単に説明していこう。


      A 信仰対象

      神や仏や精霊として信仰された岩石。
      岩石が信仰の中心となっている場合、このグループに入る。

      気をつけないといけないことがひとつある。
      一見、岩石が祭祀の中心(拝まれている対象)になっている場合でも、信仰しているのは岩石ではなく形而上的な別概念の存在(神話上の神、仏典の仏菩薩、故人の祖霊など)であった場合は、これに属さない。

      祭祀対象=信仰対象とは限らないのである。
      祭祀している対象は目で見えるが、信仰対象は必ずしも目に見えないから、このような違いが起こる。
      あくまでも、岩石から発する要因で岩石を信仰する場合、岩石が信仰対象と言える。

      岩石信仰とは、岩石を用いて信仰した分野一般の総称として私は使っている。
      しかし、関心の中心は「人はなぜ岩石に惹かれ、信仰にまで至ったのか」にある。
      狭義の岩石信仰と呼ぶとしたら、なぜその岩石を信仰したのかという、岩石そのものに理由を求める時にあるだろう。

      三重県鳥羽市の石神さん
      山梨県山梨市の大石神社



      B 媒体


      祭祀をするために、人が道具として使った岩石。
      祭りに使った石製品や装身具、聖域を囲うための列石、奉げ物を置く石、信仰対象や司祭者が座るための石など。石の鳥居や参道の石段も、祭祀のために用いられた道具(装置)と言える。

      これらの道具や装置は、人が信仰対象とコミュニケーションをとるために必要ものとして使用された。
      すなわち、人と信仰対象をつなぐ「媒体」として働いているので、一言でまとめるなら最適な概念として「媒体」の語を使用した。

      磐座や磐境も、まさに神と人をむすぶ媒体である。
      祭祀に用いられ、磐座などは神が使用する岩石なのだから、神聖な岩石には違いない。
      しかし、磐座はそれ自体が神にはならなかった。
      磐座は、神をその場にとどまらせるにふさわしい霊力をもつ岩石だったのである。
      これも一つの岩石信仰である。神そのものではない岩石信仰というかたちにも、理解を巡らせてほしい。


      京都府京都市上賀茂神社の岩上。宮司が岩上に座す岩盤。

      福岡県北九州市の一宮神社にある磐境。祭祀場の領域を示す神籬施設とされる。


      C 聖跡


      岩石信仰は、祭祀の時だけ信仰されるものではない。
      祭祀が終った後、岩石がどのような扱いを受けるかにも注目したい。

      全国各地の事例を総覧すると、「神聖な痕跡」と表現できる一群を認めることができる。

      説明すると、かつてそこで神聖な行為が行われていたが、今はもう使われていない岩石で、なのに今も神聖なものだと信じられているものを意味する。

      「腰掛石」と呼ばれる一群はその代表的なものだろう。
      かつて、偉人や聖者が腰かけた(と信じられている)石である。
      腰かけただけで、石そのものはただ座られた素材のはずだが、なぜかその石に名前がつけられ、聖地化している。

      磐座と呼ばれている事例の中にも、実質上は聖跡と呼んでいいものが相当数あることに気づかないだろうか。
      磐座と呼ばれている岩石の前で、今の定期的に神を招く祭祀がなされている場所は、意外と少ない。「元・磐座」「磐座跡」を、今も現役稼働中の磐座もひとくくりにして「磐座」と総称してしまっているのが現状なのである。
      実際は、今も祭祀中の磐座と、磐座としての機能を終えた岩石は、位置付けが異なる存在のはずである。


      山梨県南巨摩郡身延町の高座石。日蓮がこの石の上に座り説法をした由縁をもつ聖跡。

      愛知県一宮市の七ッ石。日本武尊が剣を研いだ石と伝承される聖跡。



      D 痕跡

      一方、祭祀終了後に神聖なものとして保存されることはなく、撤収・廃棄される岩石のグループも想定できる。
      廃棄まで含めて祭祀行為と見る考えもある。媒体と信じられた岩石が媒体でなくなった時、岩石はどのような扱いを受けるのか、そこにも心性は宿るだろう。

      また、祭祀中や祭祀後だけではなく、祭祀をする前の岩石の採取地にも思いをはせてみよう。
      聖なる石はどこから採られたのだろうか。石材としての岩石と霊石となる岩石の関係。祭祀集団の活動範囲を知る資料にもなる。

      このような生産の跡、廃棄の跡も、岩石祭祀の一連の流れを証明する痕跡として把握できるという点で、痕跡型のグループを設定した。

      群馬県前橋市の大室古墳群にある石採り山。葬送施設の石室石材を採掘した生産跡。
      三重県桑名市の町屋川。石取祭で供える「献石」を拾う河原として指定されている。



      E 祭祀に至らなかったもの


      祭祀には用いられなかったが、特別視され、大切にされてきた岩石たち。
      簡単に言えば「岩石信仰の外のグループ」ということになる。

      祭祀・信仰とは無関係の民話に登場する岩石や、風光明媚な奇岩名勝などはその一例だ。
      教訓を教えてくれる石や、鑑賞の対象としての石、記念碑やモニュメント作品としての石。
      鉱物をコレクションしている人や、宝石を大切に保管している人も、このグループに入れることができる。

      ただし、美的対象が信仰の対象に変化することも多く、美・芸術と信仰の境界線は曖昧なところがある。
      岩石信仰と岩石信仰に至らなかったものの差は紙一重とも言える。だからこれらの事例を知ることも大切である。

      和歌山県東牟婁郡串本町の橋杭岩
      福井県福井市の一乗谷朝倉氏庭園。庭園は観賞対象であるが、宗教的要素と無縁ではない。




      4.岩石の観察方法
      ~これから岩石に出会った時は、こうやって見分ける~


      第3章では、岩石信仰の種類を5つのグループに分けてみた。
      この分類は、誰でも追試・再現可能な方法であり、新しく知った事例に対しても、誰もが同じ基準で調査していけるようにしてみたつもりである。
      多くの人に活用されてこその研究と考えるからである。

      そこで、今からお伝えしたいのが「これから岩石に出会った時の見分け方法」である。

      観察・分析すべきポイントなどを前もって決めておかないと、ある事例では着目していたポイントが、別の事例では全く考慮されていないという事態が起こり、一貫性のある情報収集や分析ができなくなる。
      だからここで簡単に、岩石祭祀事例の調査手引きみたいなものを作っておこう。


      特別視されている岩石か、特別視されていない岩石かを見分ける

      最初の一歩は、出会ったその岩石が、特別視されている岩石なのか、それともそうではない「ただの石」なのかを見極めるところから始まる。

      とはいえ、つきつめれば、"あなた" がその石を見極めたいと思った時点で、その石はあなたにとってすでに特別視されていることは間違いない。
      調査者・研究者は、自らが岩石の歴史を変えてしまうという、こういう危険があることは自覚しないといけない。

      しかし今回はそういう話ではなく、"ほかのだれか"にとって特別な扱いを受けているかどうかを考えることにしよう。

      特別視の有無は、名前がつけられていたり、柵や台などの付属設備があれば簡単である。そのような付加行為をすること自体が特別視と言えるからだ。

      目に見える付加行為がない場合は、難しい時がある。
      内面の特別視をどう認定するかは、人に聞かないとわからないからである。
      その石の周辺で仮に100人に聞き取りをして、100人全員がその石のことを気にも止めていない答えを返したからと言って、聞き取りをしていない誰かが内面で特別視しているかもしれない。
      99%の人がNo.と言っても、1人でもYes.を言えば存在するものが、特別視というものである。

      また、インタビューをしたことで「言われてみれば・・・」と、初めてそこでその石を特別視する場合がある。調査をすることで歴史を変えるのである。

      ここまで書くと、なんだか認定が難しく業の深い行為に聞こえるが、その重みを自戒としていれば、大きく間違ったことにはならないと思う。

      また、基本的には、世界で一人くらいが特別視している石は資料として挙がりにくく、そもそも問題の俎上にも乗らないだろう(私はとても関心がある存在だが)。
      つまり、簡単な調査をするぶんには枠外にいる存在なので、結果的に難しいと感じる機会は少ないはず。

      ある程度の人が特別視されている岩石は、まず目に見える付加行為があって、見分けは容易であることが多いと言って良いだろう。


      祭祀に用いられている岩石か、祭祀とは関係がない岩石かを見分ける

      さて、特別な岩石がすべて祭祀・信仰に関わるものかというと、そうではない。
      いわゆる前章で取り上げた「E.祭祀に至らなかったもの」の一群が存在する。

      祭祀・信仰と関係あれば、当然、祭祀に用いられれている岩石であり、それを岩石祭祀事例と呼ぶことができる。

      では、祭祀・信仰の有無はどう見分けるか。

      祭祀・信仰の定義にも関わる深いテーマになるが、 そのあたりを割愛して簡単にまとめるなら、祭祀・信仰には神や仏と呼ばれる、信仰対象がいることが条件となる。

      信仰対象は、超自然的存在・超人間的存在・超常識的存在という表現を使って説明したい。
      自然の理を超えた存在、人間にはできない力をもった存在、常識では考えられない力をもった存在。人が信仰する対象は、多かれ少なかれ、そのような存在ではないだろうか。それを神と呼んだり仏と呼んだりしてきた。

      人を神や仏と呼ぶ場合もあるが、本心からはどうかはさておき、おおむね上の条件を備えた時に呼ぶだろう。

      単に尊敬しているという感情との違いは、霊力を認めて、それに畏れを抱いているかどうかの有無で判断したい。
      自分にはできないし、他の人間にもできず、人類にはできないと思う力を持っている時に、霊力は認定できる。それに対して、自分に霊力を使ってくれることを願うが、一方で、怒りを買うと災厄が訪れることも危惧する。このような心の動きを信仰心と規定している。

      さて、目の前の岩石に込められた人々の思いに、そのような信仰対象の存在が含まれているか。
      そこが見分けポイントだろう。


      神聖視されている岩石か、神聖視とまでは言えない岩石かを見分ける

      祭祀に用いられた岩石は、すべて神聖な岩石と言えるだろうか?
      祭祀に使うわけだから、いずれも欠けてはいけない、大切な岩石であることに異論の余地はない。

      神聖な岩石と呼ぶからには、その岩石には聖性が宿っていないといけない。
      それは先述した、超自然的・超人間的・超常識的な性格である。

      岩石を、祭祀をするための実用的な素材として石材のように用いたなら、上記の性格は認められず、祭祀事例ではあるけれども神聖な岩石とは呼べないだろう。

      たとえば、お供え物を盛った石皿や、火焚き祭祀の時に使った炉の石材、境内の石の橋や石段は、メインはあくまでも供え物、火を灯すこと、川を渡ること、上へ登ることであり、石はそのために用意された実用的な素材と言える。
      私はそれらを「BE.祭祀遂行上必要な部品・利器・石材」として一括している。

      そのような実用的な機能が第一義に来るのではなく、別に岩石でなくてもいいのに岩石が用いられる祭祀が第一義となった時、実用から離れた「聖性」というものが認められるのではないか。


      信仰しているものは岩石そのものか、岩石とは別の概念かを見分ける

      いよいよ最終段階の見分けである。
      神聖な岩石は、すべて信仰対象かというとそうではない。

      それは前章で「A.信仰対象」と「B.媒体」の2つを取り上げたことで、その違いを知っていただけたのではないかと思う。

      見分け方は、祭祀の構図をよくイメージしてほしい。
      祭祀に必要な要素は、

      • 信仰をする人(信仰者)
      • 信仰をされる対象(信仰対象)
      • 信仰者と信仰対象をつなぐもの(媒体)

      この三者である。
      前二者は絶対不可欠要件であり、最後者は信仰者しだいでは不必要な場合もある(媒体など必要ではない人もいるだろう)。
      ただ、ほとんどの場合は、祭祀に媒体は登場する。媒体がないと、信仰者は願いが届いているのか心配になるし、信仰対象も何かしらの形で信仰者に結果を返さないと伝わらないからである。また、それを第三者にしらしめたい時にも媒体は有効な存在である。

      さて、目の前の岩石は、信仰されている対象として語られているか、信仰対象は別にいて、岩石は人と信仰対象の間を取り持つものとして機能しているかで、結論は出されるだろう。
      信仰対象と祭祀対象の違いを先述した時にも触れたが、祭祀の中心として磐座が鎮座していた場合も、信仰しているのは磐座ではなく別概念の存在(神話上の神、仏典の仏菩薩、故人の祖霊など)ということもあるので注意したい。

      最後にもう一つの注意点に触れると、昔から現在までその事例がずっと同じ性格だったという保障はない。
      時代・時期ごとで、人々がその岩石に与えていた役割や認識というのは異なる可能性がある。さらには同時期だったとしても、人によって、所属集団によって、岩石への認識には差異やグラデーションがあった可能性も考えておきたい。

      したがって、その岩石がどのような性格であったかについては、時期ごと、人単位でどうだったかを、追究できるかぎり細かく触れてあげてほしい。掬い出されなかった歴史は消えてしまうからである。


      最後に

      私が岩石信仰の分類を提示した理由は、拙著で記したので再掲したい。

      今後、考古学において祭祀遺跡が見つかった場合や、過去に神聖視の対象だったと推測されるものの、すでに記録が途絶えている岩石に出会った場合、この分類を活用することで少しでも現実性のある歴史の復元に寄与できればと願っている。


      この分野を研究して約20年になろうとしているが、その間に多くの岩石に出会い、そして多くの関連本や研究を見聞きしてきた。
      その多くが、さまざまな岩石信仰の差異を見過ごして、「巨石信仰」や「磐座」の一言でまとめようとしてきた。そのたびに、当時の人々や信仰の当事者に対して心を痛めてきた。

      せめて岩石に出会った時、岩石信仰には少なくとも5つの種類に大別され、いずれなのかを考えることで、その多様性に思いを巡らせるきっかけとしてほしい。

      この分類に当てはまらない岩石祭祀事例を見かけた方は、ぜひお教えください。

      2019年2月3日日曜日

      智者の石(静岡県榛原郡川根本町)


      静岡県榛原郡川根本町

      大井川鉄道の千頭駅から徒歩15分、「智者の石」がある。
      英訳"Philsopher's stone"
      洒落たネーミングがついている。


      「智者」の名は、東にそびえる智者山(一名、神戸山)および山中に鎮座する智者山神社に由来する。
      「智者の石」は、山裾と大井川の境に立地する。

      智者山神社は真偽不明ながら風土記の時代に遡る古社とされているが、ではこの石はそれに比肩するものなにかというと、そういうわけではない。

      智者の石

      こちらが「智者の石」。
      裏山を借景とし、左には大井川の川音が聞こえる素晴らしい立地である。

      智者の石

      「智者の石」は1個の石ではなく、2個の石が支え合うように寄り添っている。
      横に由来を書いた看板がある。

      智者の石

      詳しくは上の由来をご覧いただきたいが、つまるところこの石は、平成16年(2004年)11月25日にまつられたとはっきり書かれている。

      現代の岩石信仰と言って良い。
      この石が選ばれた理由も明記されている。

      • この石は長い間、智者の聖水を浴びた。
      • この地を訪れる人々の心身を清め、活力の沸く石として祈願された。

      智者の石

      「智者の聖水」は石のすぐ東にある。
      こちらは、智者山神社や地元の城主・小長谷氏が造った浅間山を参拝する前に、身を清めるために使ったと伝えられる。

      禊ぎの聖なる水であり、それを浴びた石も同じ聖性を帯び、禊ぎや清めの祭祀装置として変貌したことになる。
      石自体が祈願の対象になっているが、大元は智者山の信仰から始まるものであるから、石自体は一種の眷属としての信仰と言っていいだろう。

      私感だが、三重県伊勢市の伊勢神宮外宮の「三ッ石」や、高知県高知市の土佐神社の「禊岩」などと同じ発想に属する信仰である。

      また、説明板の記述が正しければ、「智者の石」はこの水を浴び続ける位置に元々あったということになる。
      それを人為的に移設して、わざわざまつるようになった動機付けは何だったのだろうか。

      観光協会が立てた看板なので町おこしの可能性も否定できないが、あえての石を選出した「担い手」は誰で、その人はどんな心の動きだったのか、現代民俗として気になっている。
      山と川の境に石を設けたあたりも自然祭祀をよくわかっていて、看板がなければコロッと勘違いしてしまう心憎い演出である(あるいは当然の帰結か)。
      調べきれていないが、平成16年当時の地区の広報冊子などに当たれば、このあたりの祭祀経緯が記録されているかもしれない。というより、たった15年前の歴史であるから、後世のためにも記録されていてほしい。