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2026年1月4日

自然石祭祀遺構の資料化と分析

自然石祭祀遺構のデータ化を進めています。

考古学という物的側面から、自然石信仰を分析できることがまだあるのではないか、あきらめたくないという目的です。

製作途中なので一例を示しますが、座標データをGoogleマップにエクスポートすると下画像のようになります。

Googleマイマップより

1つ1つの事例に「時代」のデータも入力しているので、たとえば時代を絞ると

弥生時代の場合

古墳時代の場合

これは地図情報の見本でしたが、ほかの分析項目(変数)もデータ化しています。

前回の記事で触れた計量分析をかければ、これまで明らかにされなかった傾向が指摘できるのではという見通しを立てています。


自然石祭祀遺構とは何でしょうか?

自然石を祭祀した可能性が指摘されたことのある遺構です。


この名称の厳密さを定めるだけでも紆余曲折がありました。

この手の資料をまとめるのは2004年発表の「岩石に関わる祭祀行為―祭祀を考古学的に研究するために―」以来です。

あの時は岩石祭祀遺構と題して86例をリスト化しました。岩石祭祀遺跡と書かないのは、遺跡と書くと遺物を含み、祭祀用の石製品が出土した遺跡は膨大になるという思いからでした。

次に、岩石祭祀という括りではいわゆる環状列石、石室を構築する古墳・経塚・葬送祭祀、石仏や神像が彫られた石造物などを含みます。

以上の事例を含むと、僅少な自然石信仰の事例は埋もれてしまうでしょう。分析したい対象に注目するための絞り込みが必要でした。それで今回は自然石祭祀遺構としたわけです。


実際に事例を集計していくと、「自然石」の定義も存外奥が深く、考えざるを得ない分岐点が多くありました。その辺は語り出すと長いので研究として大成した時に文章にします。


そのような作業を経て、現時点で145事例を数えます。

2004年の86例より増えました。近年発掘された遺跡も含みますし、20年前と比べて手作業・目視以外で調べられる方法も増えましたので、それらの網羅的総計です。


それでも145事例です。

これは計量分析にかけるにおいて、まだ小規模データと言わざるを得ません。


前記事の議論を踏まえるなら、これを母集団とみなすか標本数とみなすか?

理念的には、これは「かつて存在した自然石祭祀の総体」において「現存した事例を数えたもの」という意味において、標本数とみなすべきでしょう。

とはいえ、これが母集団(存在したすべての自然石祭祀)における無作為抽出かというと疑問符が付きます。さまざまな理由により発掘調査の多かった場所、されにくかった場所から生じる偏りは間違いなくあります。


しかし埋蔵文化財の特性上、そのような限界がなくなり理念どおりにデータが揃う(=無作為に発掘される)時代は来ないと考えます。

ということで、その限界を認めつつ一歩を進める作業となります。

前提として145例を「現存する事例」の母集団と設定すれば、145例中の145例の分析は全数調査と言えます。

(そのうちの縄文・弥生などの「時代」で絞り込みをかけたものは無作為抽出ではないので結局、標本にはなりません)

全数調査は外れ値とも言えるような極端な事例の存在も含み、それを145例という規模で集計すれば凸凹とした事例に左右された分析結果となるでしょう。


それでも、それを明記して提示したいのです。なぜなら、今はそれ以前の「主観の意見表明」の段階を脱していないからです。
(縄文時代の巨石信仰は●●だねとか、古墳時代の磐座は●●県には多い少ないなど)


145例を「過去の歴史の表層に残った断片」と前置きして、定量化した基礎的研究を後世に提示しておくこと自体に意味を置いています。


それにしても、大学卒業と同時に一度手放した考古学の資料と、ここにきて差し向うことになりました。

まだ先の話ですが、困っているのは、これが形になった時に投稿できるような、適した考古学雑誌の縁がとっくにないことです。

私の所属学会が民俗学系と地質学系なので、今回のテーマが両方ともかみ合いません。

今ふりかえれば、お世話になった教授の退官記念論集に掲載するチャンスが数年前ありましたが、その時は研究のタイミングが合わず見送りました(記紀風土記と設楽町の研究中でした)。

考古学関係で良い投稿先がございましたらご紹介お待ちしています。


分析結果がどのクオリティになるかで、論文なのか研究ノートレベルなのかブログレベルでいいのかも、まだわかりません。

ただ、ブログの内容は私が死ぬ前に本にするつもりなので、まずはブログ以外の場所で残しておきたいです。

AI全盛とSNS時代の今、このブログ埋もれがちですし…


良い投稿先が見当たらなければ、実験的にAmazonのKDP(Kindle ダイレクト・パブリッシング)も視野に入れます。

私はAmazonに著者セントラルというページも持っていますし、KDPで論文や雑誌を発表されている実績も知っているので、選択肢の一つとして十分です。最終的に形にできる場所は確保できそうなので、後は分析作業を進めていこうと思います。


しばらくこの作業(統計学の学習と並行)に没頭するため、ブログの投稿数に影響する見通しです。

存在感がなくなりますが、やることはやっているので陰ながらお見守りいただき、ときどき様子を見にご訪問いただけましたら幸いです。


2026年1月2日

統計学まなびはじめ(『人文学のための計量分析入門』『基礎から学ぶ統計学』)

今後の研究に統計学的な手法を取り入れたいと思い、勉強をスタートしました。

クレール・ルメルシエ、クレール・ザルク[著] 長野壮一[訳]『人文学のための計量分析入門―歴史を数量化する―』(人文書院 2025年)

内容の忠実な要約とはなっていませんが、自分自身の申し送りとして以下にまとめました。


ーーー

・「しばしば」「一般的に」などの歴史叙述は「疑似定性的な手法」であり、単なる意見の表明で終わってしまう。

・歴史研究に有益な数量的手法を紹介。数学的原理、ソフトウェアの操作方法には触れず、使用する前の目的、注意点、落とし穴などに重点を置いた。

・統計学的に誤差の許容範囲を決めるのは標本数の大きさ。60,000人のうち1,000人でも、25,000人のうち1,000人でも、4億5000万人のうち1,000人でも誤差範囲は同じ。母集団における割合は関係ない。

・1,000人の標本であれば、誤差は通常許容される範囲にとどまる。標本の20%にある特性が認められた場合、母集団においての割合が19~21%の間に入る可能性は高く、15~25%に広げれば「ほぼ確実」である。

・しかし、歴史研究において1,000件の標本を用意することは難しい(他の標本と比較しようとすると2,000件)。歴史研究者は1つ1つの標本(事例)の多様な側面に関心を持つからだ。

・理に適った妥協点は300件の標本。300件中に見られる20%の特性は、母集団においても15~25%の間に収まる。

・事例収集の留意事項
①標本抽出の頻度より標本の大きさ(標本数)を重視する。
②小数点以下の記述は不要。それより有意差を記述。
③標本数は現実的な妥協点が300件で、1000件まで増やす分には誤差を減らすという点で価値があるが、それ以上は微小な誤差の修正となるので(母集団がいくつであっても)ほとんど意義がない。
④これらの標本は、無作為抽出されたものであること。

・無作為抽出は、表計算ソフトでRAND関数を用いればよい。特定の順番ごとに抽出するなどの手動抽出は偏りを生む危険が拭えない。

・百分率を表示する際の留意事項
①母集団の総数をNで示すこと。N>100の場合、小数点以下は不要。N>1000の場合、小数点は一桁で十分。
②百分率は比率であり、単純に足したり引いたりできない。10%から20%に増えた場合、増加率は100%でパーセンテージポイントが10ポイントである。

・分割表(ピボットテーブル)は、2つの変数(人物の年齢、書籍の長さ、訪問先の場所などの情報)に関係があるか、関係がないかを示すに有効。

・カイ二乗検定を行うと、分割表で注目した変数同士が、事例数の小ささゆえに偶然生じたのか、実際に関係性があるのかを、合理性に基づいた確信をもって述べることができる。

・オンライン上でカイ二乗検定を行える時代。百分率ではなく、事例の数を分割表に入力すると検定結果が出力される。p値(2つの変数が独立=無関係である確率)が5%未満であれば、慣例的に相関関係があるとみなされる。

・分割表とカイ二乗検定は、歴史学的な論証に強力な役割を果たすため、歴史研究者が学ぶべき最も重要な道具である。

・歴史研究者にとってデータ入力の時間は退屈ではなく、民俗学者や社会学者にとってのフィールドワークに比するものと言える。

・データ入力の十戒
①最初の一行は変数の見出しのみに使用。
②識別子に一列を使用。
③資料の表記にできるかぎり沿って入力。
④資料の典拠を示す。
⑤欠損データもデータとして残す。
⑥1つの情報に見えても、その情報を可能な限り多くの列に分割。(例)「姓名」→「姓」「名」など
⑦年月日はソフトウェアの日付形式を使わず、「年」「月」「日」の3列で入力。
⑧時間軸で情報が変容する場合、「何が起こったか」「いつ始まったか」「いつ終わったか」の3列以上で入力するエピソード形式が実用的。
⑨表計算ソフトでできる機能を使いこなせるようにしておく。
⑩データは頻繁に保存。

・数件から数十件しかない小さな母集団に対しては、論理学と集合論に立脚した質的比較分析(QCA)でアプローチする。

・少ない標本で大量の変数を取り扱う場合は因子分析でアプローチする。2つ、3つ程度の変数であれば因子分析は不要で、分割表とカイ二乗検定で十分。

・読みとりやすい図表を意識する。問題となりやすいのが円グラフ。人間は面を比較することが得意でなく、棒グラフで良い場合も多い。立体の円グラフなどは、遠近感による歪みで分かりにくくなるので、より悪い。男性の10%は色を識別することがうまくできないという研究もあるので、色付けでの識別も避けるべき。単純なほどよい。

・単純さという点で、スモールマルチプルは今なお有用。単純にグラフを連続して配置するだけなので、視覚的な比較が容易。

・棒グラフは、垂直方向より水平方向に表示が推奨。見出しが読み取りやすいため。1本の棒グラフに十数色の情報を詰め込むより、1つ1つの情報を棒グラフとして可視化して並べる方が理解しやすい。

・テキスト分析ソフトの使用は、主観や見落としを防止する。二つの用語が頻繁に近接すること、代名詞や前置詞の使い方、語彙の豊富さや貧弱さ、テキスト間の距離など、人が自明としてしまい読めていない傾向を浮かび上がらせる。そのためにはコーパスの構築が不可欠で、そのコーパスはソフトウェアの有意性検定にかける。

・数量的手法には過失や改竄の危険性が伴うが、数量的手法をとるということは、選択や手順を明確にしないといけない。仮説を明示し、その限界も考慮されないといけない。これらの前提が明示されるので、他の研究者がアプローチできるという意味で利点である。歴史学における直感や創造性を制限するものではなく、むしろ刺激することにつながると考えている。

ーーー


一読して得た知見をメモしましたが、前提知識が足らず、主に後半部は消化不良となりました。最低限、歴史学に携わるものとしてカイ二乗検定を扱えるようになりたいと思いますが、さらなる基礎学習の必要を痛感しました。

そこで、統計学の手始めの書を求めて次の本へ移りました。


中原治『基礎から学ぶ統計学』(羊土社 2022年)

しかし、p.9で本書の前提知識が示され、高校数学で学ぶ「確率」「場合の数」「数列」の知識が必要である旨が書いてありました。

あくまで基礎でよいとのことですが、私は高校2年生以降数学を学んでいない人間なので、ここで高校数学の学び直しを迫られました。こうやって、過去に逃げたことのツケをいつか払うことになるわけです。

実際に本書を読み始め、p.35の二項分布の節で数式が増えてきて足踏みしてしまいました。いったんここまでです。


ということで、統計学の前に数学A、数学Bまで立ち戻って学び直しています。テキストを手にしてまだ序盤も序盤ですが、はたしてどこまで理解できるやら。ハラハラしながら1ページずつ自学しています。

遠回りなことをしているように見えるかもしれませんが、最終的にたどりつきたいゴールがあります。そのために必要な知識にしばらく向き合っていきます。


2025年10月13日

「霊神碑」の岩石信仰

霊神碑(れいじんひ)とは、下写真のような石碑を指す。

愛知県名古屋市名東区 大石神社境内

寺社巡りをされている方の中には、このような「●●霊神」と刻まれた岩石を、境内でご覧になった経験があるのではないだろうか。

石面に刻まれた神号を見ると、日本神話では聞いたことがない神々ばかりであり、個人の姓名を冠した霊神号も多く見かける。

岐阜県各務原市 迫間不動境内。無数の石柱に家の霊神名や個人の霊神名が刻まれる。

三重県四日市市 福徳寿御嶽神社境内。こちらは「霊神」以外に「大神」表記も見られ人名以外の事象にも神号が贈られる。霊神碑からの派生と見てよい。

「霊神」というカテゴリーの中で一定の統一性はありながら、刻まれる内容は多様性に富んでおり、これは神なのか墓なのか記念碑なのか、前提知識なしでは評価に困る特異な岩石である。


霊神碑は、木曽御嶽山を信仰する人々が結成する講によって建立された石碑である。

御嶽山は岐阜県と長野県の県境にそびえるが、中部地方のみにとどまらず、東北から中国・四国地方にも霊神碑の存在を確認できる。

これは御嶽山を信仰する御嶽講の人々が日本各地に広めた結果と考えられ、御嶽山との直接的な関係だけでなく、人が岩石に神の名を刻む行為としての視点からも興味深い社会的現象である。

この記事では、霊神碑の現在的な学説をおさらいした上で、岩石信仰という観点に立った時の霊神碑の位置づけについてまとめておく。


御嶽山と霊神碑の基礎知識

2022年、霊神碑を専門的に研究する愛知学院大学教授の小林奈央子氏の研究発表を聴講する機会があった。その後、その発表内容は下記論文として結実した。

本記事では、小林氏の研究に基づき御嶽山と霊神碑の最新の研究状況を紹介しよう。


■ 御嶽山の名称

御嶽という尊称は他地域にも認められるので、区別のため木曽御嶽と記されることもある。

また、歴史的な雅称としては「王の御嶽」「金の御嶽」がある。特に「王の御嶽」は、その読みかた「おうのみたけ」が転訛して「おんたけ」となった可能性も指摘されている。


■ 御嶽山の開山者

御嶽山の山中および山麓には御嶽神社が鎮座する。江戸時代中期までは御嶽神社による所定の潔斎の上で登拝許可を受けた者しか登れない山だった。

このような状況を一変させ、庶民が登れるようにした18世紀の「開山者」が2名いる。後に集団化された各地の御嶽講にとっての開祖とされる。

  • 覚明(1719~1786年)…尾張国出身
  • 普寛(1731~1801年)…武蔵国出身

この2名を慕った人々により、中部地方と関東地方では御嶽行者や御嶽行場が多く生まれることになった。


■ 霊神碑の歴史

本来は、覚明・普寛を死後に追善しようと供養塔を建てたのが最初である。

「霊神」の字を刻んだ最古例は、弘化2年(1854年)の「大阿闍梨覚明霊神」である。ただし、それに先行する天保14年(1843年)の「覚明神霊」の事例もあり、当初は「霊神」と「神霊」の号が定まっていなかった模様である。

明治時代に入ると、覚明・普寛以外の行者や信者にも「霊神」号がつけられた霊神碑が増加する。とりわけ功績高い行者や、講活動に尽力した篤信者に霊神号が授けられるようになった。生前に霊神号を授けられるケースもあった。

霊神碑の脇や背面には俗名・造立年・享年・造立者が刻まれるのが一般的で、霊神碑の建立年代調査によれば昭和戦前期にかけて造立のピークを迎えるが、1950~1960年代にも造立の小ブームがあったようである。

御嶽山の山中には、現在約3万基が存在するといわれている。御嶽山だけが造立の場ではなく、さまざまな地域の講が自らの講社・教会の敷地などに「霊神場」と呼ばれる、霊神碑を建立するための空間を形成した。

覚明から「覚」または「明」の一字を採った霊神碑と、普寛の「普」「寛」の一字を採った霊神碑の系譜に分かれる。それぞれの開祖の出身地に合わせて、前者は東海地方に多く、後者は関東地方に多いとのことである。


■ 霊神碑の形態

扁平な自然石をそのまま石碑に用いたものと、自然石を整形して表面を平らに削ったものがある。いずれにしても「扁平」が良いらしい。

岩石のフォルムは、角のない丸みを帯びたものもあれば角柱状のものもあり定まっていない。

標準的なサイズは、高さ1.5m、幅1m、厚さ20㎝程度で、墓石よりはやや小ぶりのサイズと評価できる。大きい事例では高さ3mを越える。


■ 霊神碑の性格の変化

先述のとおり、霊神碑はもともと供養塔だった。すなわち故人への鎮魂や作善のための奉納物だった。

しかし、時代を経て建立数が増えるにつれて、奉納物から「御霊の宿る施設」へ性格が変化した。

その証拠として、霊神碑には「御霊移し」という祭祀行為が伴うようになった。

御霊(みたま)とは故人の霊魂であり、人が亡くなると墓が建てられる。墓は遺骨が埋葬される施設だが、それとは別で、御霊を宿すための施設として霊神碑が用いられる。

生前に霊神碑を造っておく場合、霊神碑の刻字の「霊」の部分に赤を入れておく。没後すぐではなく、半年~1年の間に赤を消して、故人の御霊を霊神碑に宿す「御霊移し」がおこなわれるという。

これらの点から、小林氏は霊神碑が供養塔から「御霊の依り代」に変化したと表現しており、それはまるで墓石が当初「死者が極楽往生するための菩提」を目的にしていたものから、宝暦年間(1751~1764年)以降は「霊位」(死者の霊魂の依り代)に変化した流れと類似性があることに触れている。

※なお、「依代」概念は折口信夫が創出した分析概念であり、歴史的な事物に対して真に同時代的な説明をするに適切な用語であるかどうかには批判点もある(参考記事「依代と御形と磐座について―祭祀考古学の最新研究から―」)。その議論を踏まえるなら、霊神碑や霊位は「故人の魂の憑依物」と表現するのがより客観的かもしれない。


岩石信仰の観点からのまとめ

小林氏による霊神碑の最新研究を以上紹介した。今後、各地の霊神碑を観察して歴史の中に位置付ける際に学ぶ点が多い。


江戸中期~後期の墓石の性格変化、江戸後期~明治以降の霊神碑の性格変化は、それぞれ岩石信仰(岩石を用いた信仰)の変遷と言える。

私が作成した「岩石祭祀の機能分類」においては、墓石や霊神碑の元来的機能「供養のための奉納物」は、「BBB類型 鎮め・清めの道具」「BBC類型 奉納物」の2つの要素が複合していると考えることができる。

そして、墓石や霊神碑が変容した「故人の魂の憑依物」は「BAA類型 憑依物(旧・依代概念)」の機能であり、願いをかなえる道具から信仰対象が宿る施設に岩石に込められたものが変化したとまとめられる。


岩石信仰の諸事例を鑑みれば、同一の岩石が単一の機能のみを永続的に保ち続けるわけではなく、人々によって同時に複数の機能(性格)を込められることもあれば、時代変化の中で岩石に期待されたものもしばしば変化する。そのような事例は他にも多く見られる。

しかし、自然石の場合は元来込められていた人間の意図が見えにくいために至極当然の変化と言えるが、霊神碑は単なる自然石ではない。文字情報がある岩石(石造物)である。このように明確に人間の意図が読み取れる場合であっても、岩石の機能が変化しうるケースを示したと言える。

もしかしたら文字情報があることで、文字に引っ張られた要因もあるのではないかと感じる。元来は供養の対象としての「人名+霊神」が、「霊神」という文字の強さに引っ張られて霊神を物体化・可視化する祭祀対象に変わったという見方である。


自然石の岩石信仰においては、神への畏敬的信仰から信仰心なしの特別視へと人々の認識が親近的に変わるという仮説がある(たとえば林宏氏『鏡岩紀行』中日新聞社 2000年 における鏡石・鏡岩信仰のケースでの指摘)。

人々の知(文化・技術)が成熟するにつれて、岩石に対する「未知」が薄れることによるものという理解に立った仮説である。


一方、霊神碑のケースでは奉納のためのツールが御霊の憑依物として、限りなく信仰対象に近い存在へ聖化した(霊肉分離の考え方に基づけば、信仰対象と同一とまでは言えない)。

同じく人々の知(文化・技術)の結晶である文字が、岩石の「未知」を言語化した結果、岩石そのものの性質に左右される必要なく、文字から岩石に聖性を読みとったのではないか。

文字が一種の権威性を発揮し、聖なる要素を強化したのではないかという私見を記して本記事を終えたい。


2025年8月1日

研究会「宗教認知科学からみる考古学―顔身体象徴を中心に―」メモ(2025.7.26)

國學院大學研究開発推進センター・国立歴史民俗博物館による合同研究会「宗教認知科学からみる考古学―顔身体象徴を中心に―」が、一般向けにも無料開放されていたのでZoom参加した。

事前に発表されていた出席者の名前を見るだけでも、信仰心・宗教心なるものを研究する第一人者が集うイベントであることは明白で、非常に有難い勉強の機会となった。

あくまでも岩石信仰の研究としての立場からではあるが、参加しながらメモした内容を以下にまとめる。吉川の主観を含む部分は「→」の記号で表した。


松本久史先生の挨拶

國學院大學の主催側としてのメッセージとして、現在大学として取り組んでいる「カミ学」の話。

カミ学では、カミを3つの深化(進化?)で考えようとしているとのこと。

→その3つは話し言葉と書き言葉の違いもありちょっとわからないところがあり、まとめられなかった。


いずれにしてもこのイベントが「カミ学」の弾みになればと願っている。

→現地会場に何名いるかはわからなかったが、オンライン上には約80名が参加していた。名前の知っている方もちらほら…。


中村耕作先生の挨拶

今回のサブタイトルである「顔身体象徴」を専門にされている。考古学以外では心理学などのアプローチも活用されている。

顔がついた縄文土器に関心を抱いている。顔身体土器という。土器に顔がついているという行いはどういう意味をもつのか。

土偶はそれ自体の機能が形から読み取りにくいが、顔身体土器は土器であるので、土偶と違ってある程度、器の形などの考古学的側面からその器の物理的機能を推定しやすい。


小林達雄の土偶論では、各人がそれぞれに「ナニモノカ」を知覚していたが、ある時、誰かが「実体化」をおこなった。それが他の人々の共通認識になったとする仮説がある。

→土偶以外のカミにも使えそうな論理である。


顔造形表現にどんな意味があるのかについては、山口真美「赤ちゃんは顔をよむ」(2003年)やスチュアート・E・ガスリー「神仏はなぜ人のかたちをしているのか」(2016年)などにおいて、なぜ壁のシミが顔に見えるのかなどのヒトの認知傾向について参考になるところが多い。

そのガスリーの文献訳者であり宗教認知科学の研究者である藤井修平先生を今回招聘した。


藤井修平先生の講演「神・霊魂をいかに考えるか―宗教認知科学と考古学の連携可能性―」

宗教認知科学(CSR)の概要については、当ブログの過去記事「『科学で宗教が解明できるか』(2023年)学習メモ」参照。その前提の上で新しく得た知見を以下に追記する。


素早く自動的、直観的な傾向、ヒトの認知メカニズム、普遍的なもの(いわゆるシステム1)を扱うのがCSR。

→個別性・後天性をどうするか問題。CSRは敢えて取り扱わないという姿勢もありか。岩石信仰は非言語領域に根っこがあるとしたらCSRの研究は有用性が高いと考える。


ヒトの遺伝子は、生物進化のなかで淘汰・適応されて現生人類になってからはその後変化していないというのが、ヒトの認知メカニズムの普遍性の根拠(もし遺伝子由来と仮定するならば)。


「超自然的行為者」…神仏から精霊、妖怪までを含めた概念。

→吉川が超自然的存在とか信仰対象とか呼んでいたものに相当。これからこの用語を使うか…。


超自然的行為者をどう認知するか。

1.反直観(ボイヤー)…常識的予想をわずかに裏切る存在に超自然的行為を認知する。

→簡単に言うと、いわゆるサプライズは記憶に残るということに通ずる。しかしサプライズすぎてはいけない。

2.パターン認識…ヒトがパターンに当てはめる傾向。アポフェニアともいう。詳しくは次の3つ。 

  1. 錯誤相関(現代の陰謀論などもこれに含まれる)
  2. パレイドリア(擬人観など)
  3. 行為者検知(ADD)
  4. 心の理論


自然物や人工物が、顔をもっている(パレイドリア)、意図をもっている(ADD)、生きている(アニマティズム)、感情や信念をもっている(心の理論)というようにCSRでは解釈される。

→岩石の場合、岩石特有の心理要因は何か。顔に似た姿石や巨石巨岩などはわかりやすいが、そういった要素を取り除いた「何の特徴もない単なる石ころ」が神聖となる要因は何かを追究しており、そこにはまだ応えきれていない。


霊魂のメカニズム

1.社会的交換(Cohen 2007)…何かをしたら、何かをしてもらうという取引の公平性の感覚。返報性の原理と同質か。(例)祖霊から恩恵をもらったら捧げものをする、災厄が起こったら祟りを鎮めるなど

2.心身二元論…身体と別の実態が宿っているという信念。デカルトほか哲学での長い議論がある。子ども、非西洋文化においても、体と別に魂があるという考えはあり、普遍性が認められる考え。

3.シミュレーション制約(自分が死んだ後をシミュレーションしきれず、想像できず、そこから祖霊が生まれるなどの仮説)、心理的本質主義(ヒトには本質や不変のものを求める傾向がある。身体が入れ物で魂が本質という考えへ行く)、オフライン社会的推論(その場にいない、その場に見えないものを考えることができるヒトの能力。目に見えない霊魂を考えられるということ)、埋葬・葬送儀礼(他の生物よりも人の遺体には過剰に危険性・不快感を感じる傾向が指摘されている。儀礼は集団を結束を強める)

4.ビッグ・ゴッド理論


認知考古学について、カートパトリック、ロッサノの研究(2022)によるヒトの宗教認知の歴史仮説

  • 16万年前~ 肉抜きされた頭蓋骨の事例。骨、頭に本質を見出しているとしたら心理的本質主義の表れか。
  • 7万年前~ 洞窟の絵の事例。絵を捧げものとするなら社会的交換の表れか。
  • 2万3千年前~ 動物霊の絵の事例。アニミズムの表れ。
  • 3千年前~ 神に危機の助けを求める捧げもの。愛着の表れ。


認知考古学ひいてはCSRへの批判的な見方

極めて原初的・先天的な認知能力には有用だが、認知能力が複雑化・後天的影響を受けた後の時代にどこまで当てはめられるのか。更新世までの研究にしか使えないのでは。

あそこもそうなら、ここも同じじゃないか、は暴論かもという指摘。

これらについては、普遍的なものがわかれば、そうではないものがその文化の固有的なものと言えるのではないかという考え方で当たりたい。

さらに、最近は認知歴史学が提案されている。

認知歴史学ではどちらを重視するではなく、人類共通の要素と、文化特有の要素の二重構造で考えるというのが今の流れ。

考古学においては、過去の資料を定量化・統計処理して分析していくことで、過去の人々に「アンケート」をとり、過去の人々を「可視化」できる方向性がある。


日本の歴史、日本の考古学にどのようにCSRを導入できるかは、笹生先生例を紹介した。

→弥生・古墳時代にはすでに文化的・固有的なものはあったと思われる。その点で、その時代をCSRだけで語り切ってよいか(吉川個人としては笹生先生の坐す神→招き迎える神の直線的な変遷には2022年拙論で疑問を呈していた。同時併存的な可能性も想定してほしい)。また、日本列島の自然環境に言及される一幕もあったが、日本列島は変動帯であるからこその地質学的なアプローチも環境が育む固有性を補強するに必要かもしれないと感じた。


笹生衛先生のコメント

神道においての祭祀儀礼の重要性から、儀礼を重視。繰り返される儀礼により超自然行為者(神)はさらに強化される日本列島の特徴を指摘。

人が亡くなり一定期間たち、生前のその人を知る人々がいなくなると、ボイヤーの人物ファイル理論でいう人物ファイル(人格)が喪失されるので、個人人格のない祖霊になると言えるのではないか。柳田国男の個別霊→先祖になるという話と照合。

古墳祭祀は、なくなりそうな人物ファイルを保存しようと、被葬者の副葬品や食膳を通しておこなったCSRでいう「適応」行為の例ではないかと指摘。頭部を赤彩したり石枕を置いたり頭部への副葬が多いのも頭部重視、つまり人物ファイルにおける個人の人格を強く表す頭部重視の表れ。遺体と個人の人格がかなり結びついているという点で、『礼記』の魂魄論のような霊肉二元論を素朴に当てはめることはできないのではないか。

→まとめかたや発表のしかたの印象と思うが、理論が先で考古学的物証をそれらに当てはめていくあたりが演繹的でよいかどうか。論文化される折には、他の可能性(ないとは言えない)への批判的検証のフェーズもほしいところ。

→石枕にも頭蓋骨同様に赤彩する事例があるとのこと。石枕と頭蓋骨の同質性が浮かぶ。骨と石を同質視する精神観や、山を肉体とする精神観もある。コメントを聞いていて、地中から出る岩盤は肉の中から出る骨に通じ、視覚的には反直観性に当たるのではないかという着想を得た(根拠なし)。石枕の存在は岩石との関わりから引き続き注目したい資料である。


認知考古学の松本直子先生のコメント

Joseph HenrichのWEIRD(ウィアード)における指摘

1.ヒトの心理に関する研究の多くは、極めて偏ったサンプルに基づいている。欧米系のサンプルによる研究が多い。

2.ヒトの心理は予想以上に多様性に富んでいる。現代人においてもそう。

3.非西洋の人々のサンプルを含めた研究によれば、西洋人のサンプルは分布の最端部に位置するという話。

→普遍性を標榜するCSRの偏りを暗示するという点で、重要かつ同意できる視点。


マテリアマインドの概念(物と心の共創関係)

ホモサピエンスになってから脳の容量は変わらないが、この1.5万年で急速にいろいろな物にあふれ、それによりヒトの行動は複雑化したと言える。その中で生まれるヒトの心の変化をマテリアマインドととらえる。

つまり、意識は生得的なものではなく、文化や言語による「ソフトウェア革命」によって変容したと言えるのではないかという仮説。その点で、CSRをそのまま移植することへの批判的姿勢を示した。

パレイドリアであれば、今の人も昔の人も、同一のものをみれば同じように顔と認知したと言えるのか? 欧米圏では四角い模様と認知した画像が、非西洋圏では四角に見えず丸に見えたなどの実験結果がある。私たちは「四角」に見える文明に生きた特殊な人々と自覚して、むしろ先史時代の人類から離れた後天的認知に影響を受けている危険性を指摘。

→同時代でも地域で異なる認知結果が出るのであれば、時間軸で離れた人々の認知も想像をはるかに越えた違いがあるのかもしれない、という前提で物事を考えることが大事。


ヒト形人工物についての考え

日本列島の場合は初期の土偶岩偶などの身体表現において、女性の胴部(胸など)を表現した遺物が多く、顔を表現しないという傾向が指摘できる。ならば、顔を重視したという認知科学的な見方とはかみ合わない事実。

  • 松本先生による縄文土偶の特徴…小さい、女性が多い、身体的特徴の表現、写実的ではない、集落から出土、そして初期には頭・手足がない
  • それに対しての弥生時代絵画の特徴…小さい、男女ともいる、顔・行為の表現がある、象徴的・記号的、集落から出土
  • 古墳時代の人物埴輪…大きい、男女とも、衣服・装身具、行為の表現、墓から出土

→時代ごとの差異が浮き彫りになり興味深い。異なる時代ごとに固有性の差があることは否めず、通史的に一つの認知に立脚した歴史観は語れなさそう。どこまでが先天的でどこからが後天的かという議論につながる。


質疑応答

・立ち位置の違い

藤井先生は更新世・旧石器時代のヒトの認知は現代まで基本的に変わらないという立場で、松本先生はその後マインドが変わったという立場であり、大きな分かれ目なので質疑応答レベルではコメントをするのに難しい。藤井先生は、昔と今に共通性があるとみなす、それがよりシンプルに考えることにつながるという科学的立場に立つ。


・超自然的行為者の認識をどう認めるか

笹生先生コメント…祭祀遺跡の立地。特に山と川を重視。延喜式祝詞の山口に坐す神の話が残る山に祭祀遺跡がある。日本の場合は、認知だけでなく他の要素を絡めて立論可能。


・顔身体表現について、人じゃなくて神や精霊のようなものだとみなすとき、どうやってカミ的なもの(条件)と評価するかに関心がある。また、顔身体表現が消える時代が来る。それはCSRでどう説明できるか。

藤井先生…CSRでは「傾向」があるからといって必ずそうなるということを示すわけではない。出てきやすい要因・条件があったということを分析するのはあり。

中村先生…現代日本において、このような顔身体表現の例が見られないのはどうしてだろうということを考えたい。

藤井先生…土偶が神なのか人なのか何なのかは、複合的に考えたい。神の条件。もしかしたら、場所が変われば機能も変わるのかもしれないという話。


・吉川から藤井先生への質問

吉川「最近、竹沢尚一郎氏の『ホモ・サピエンスの宗教史:宗教は人類になにをもたらしたのか』という本を読みました。私の読解不足かもしれませんが、この本によれば、宗教の発生においてカミ観念の成立を先に置かず、まずは儀礼を重視した立場と理解して読みましたが、このような竹沢氏の研究をどのように位置づけていらっしゃるでしょうか?」

藤井先生回答…昨年、竹沢説について議論した。どちらが宗教の本質というわけではないと考えている。観念も儀礼も、順次、相互的な作用でそれぞれ成立していったという理解。(やや困りながらもご返答いただきました、ありがとうございます)

→反直観的な直観が最初にあり、非言語領域で儀礼が成立し、その後にシステム2的にカミ観念を編み出したとすれば論理は通るが、そういう理解で吉川は当面行きたいと思う。


・吉川のもう一つの疑問

社会を論じる中で埋没しやすい、人の個体差の問題。

遺伝子は同じでも、感受性には個体差があるのでは。岩石においては、それに含まれた地磁気の感知の違いなど。まったく感受しない人に対して、無意識下でも感知する人が一方でいるから、宗教者と呼ばれる存在が生まれるのではないか。そのような突然変異的なものや、統計に埋もれた外れ値へのまなざし。そして、感知できない側の人がそのような存在の影響によって、どうやって変容していくか。

ビッグヒストリーを語る場合、どうしても社会全体の語り口になってしまい社会的な研究となりやすいが、個人性の研究の視点が特に信仰・宗教史には必要ではないか。

CSRは統計の科学の道を歩むが、ヒト個体の分析の集積体でもあるので、統計からはじかれた個体こそ宗教的成立の要因が潜むという問題意識と、個人と社会の鍔迫り合いでヒトの先天的認知がどのように後天的影響で変化していくかの絵も描けるのではないかと思う。


2025年7月19日

『郷土』石特集号の岩石再点検


『郷土』第2巻第1・2・3号合冊(1932年)は「石特集号」と題され、岩石と民俗の関係を語る上では古くから著名な一冊である。


さて、この石特集号に記された数多の岩石について、誰が一つ一つをあらためて吟味しただろうか。


同書では住所も旧村単位の表記が多く、それに加えて「私の郷里の山の中」「●●氏邸の裏山」などの困った紹介も散見する。

発刊当時の時代背景を加味すればやむなしだが、『郷土』石特集号を手に携えて現地を訪ねても特定は困難を極めるだろう。


掲載された一つ一つの記録を、まさに岩石の文化財として再点検しなければならない。

このページでは、調べられる範囲で掲載事例の岩石の現在地をGoogleマップで示した。

※追記:複数のGoogleマップを同時掲載するとページが重くなり正常に表示されなかったので、最初の事例を除いて後はリンクを貼るのみに変更した。


その他の留意事項は次のとおりである。

  • 私が見聞きしたことない事例をメモした(既知の事例は除外)。
  • 喜田貞吉と折口信夫の論考は事例記録とは性質が異なる内容のため除外した。
  • 日本国内の事例のみメモした。
  • 自然石のみをメモした。石仏・石像などの石造物のほか、陰陽石などの性石は数が多く石棒遺物との類別が難しく除外した(例外あり)。
  • 地域一帯に広がり特定の場、特定の岩石を指さない風習(石拾いなど)は除外した。
  • 個人宅所有も基本的に除外したが、外から確認できそうな一部の事例はメモした。
  • 以上を踏まえて、合計269事例に上った。
  • 推測地がいまだ多いため、現地確認された方や、緯度経度の座標で特定できた方はお知らせください。都度修正します。


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2025年6月14日

公開シンポジウム「これからの宗教民俗学の可能性」メモ(2025.6.14)

2025年6月14日、日本宗教民俗学会の第34回大会シンポジウム「これからの宗教民俗学の可能性」をオンラインで聴講した。

学会発足35周年という節目で、宗教民俗というものをこれからの時代に向けて再び輪郭づけようとした題目だと受け止めた。

結果として、現今の民俗学分野で知名度の高い「ヴァナキュラー」概念が当日の大きな論点になったように思う。

聞きながらのメモのため読者向けにまとまってはいないが、私吉川が問題意識を抱いた部分でフィルターをかけてお届けする。


島村恭則氏「民俗学とヴァナキュラー―来歴と可能性―」

ヴァナキュラーという概念をなぜ使うのか。

どこまでが民俗学の対象なのかを試し続けた40年だった。

すべてが民俗と呼んでもいいのだが、ヴァナキュラーという概念がさらにぴったりくる。

ヴァナキュラーは「俗語」の訳。国語の対比概念。

俗語と国語の関係は、俗的なものと国的なものとの対比関係で語られる。

つまり、社会的に正統・公式とされるものに対立する概念が「俗」。対覇権性(対抗覇権主義)とも。

聖・俗の俗の概念とは異なることに注意。


民俗にはフォークロアという言葉もある。しかしこれらの語のイメージが持つ、田舎のものや牧歌的なもののみに縛られていてはいけない。

ノスタルジーや昔に限定されるのが民俗研究ではなく、現代的なものまで含めて考えていけるのがヴァナキュラーの考えである。

ヴァナキュラーという概念をつくる、こだわるのが最終目的地なのではない。ヴァナキュラーから学ぶことが多いので広く紹介するというスタンス。


最初は来宮信仰をフィールドにしていた。そのような精霊論に最近回帰している。来宮は「来」の字から漂着神とみなす立場があるが、伊豆諸島の木霊様が神社化した地域の影響下に入ることから、「木」の宮としての、木の神様の信仰が本義だろうという結論に最近たどりついた。


■ 吉川感想

覇権・中心に対する俗の人々を学問するという視点だが、俗の人々も集団であるかぎり、その人々の中でまた主流や中心が生まれる。

俗とされる人々の中に埋没して、個人によっては周縁・対抗も生まれる。そこまでまなざしをむけることができるか。それでこそ反覇権の学問たりえるように感じる。

言い換えれば、民俗学は、俗という言葉で覆われて見えなくなっている個人の心まで研究たりえるか。俗を生み出し、俗の成立の下にあるベースとなるものだが、俗と一括されるものからははみ出ているような反支配性の「個」である。

民俗学が集団研究(再現性のない個人ではなく、文化に焦点を当てる)を前提とするものかによる。


橋本章彦氏「怪しきモノの宗教民俗学―「ゴジラ」の日本的性格を論ず―」

ゴジラもヴァナキュラーたりうるか。

ゴジラという作品の中に潜む俗的(一般化される)な部分に、皆さんの心にも共感できるものがあるかという問い。


第1作でのゴジラは出現時に暴風を伴い、神棚が崩壊したという映像制作者の表現が流れる。

出現時の天候不順は、全30作品の3分の1に見られる。

たとえば「赤い月」はヴァナキュラーと言えるかもしれない。

ゴジラは、鵺と同じ性格構造をもつ。


ゴジラ表現を一例としたが、このような俗の営みを、見えない世界、見えない存在(≒それが宗教的なものか)の関係から分析するのが宗教民俗研究方法と位置付ける。

見えないもの見えるものの境界を、表現作品から分析したということである。


■ 吉川感想

「皆さんの心にも共感できるものがあるか」

この問いかけ自体が、主流か反主流かが試されるような趣をまとい、学会発表という場の「俗」を感じざるをえなかった。

2003年以降の作品では、シンゴジラなどでは暴風を伴わないが、これを表現者の俗という立場からはどうとらえるのだろうか。

表現者・視聴者の世代を問わない普遍性があるのか、昭和レトロのような世代間の問題にただ帰属するような錯覚なのか、別の視点でも見極めもほしいところ。

解釈時、俗をみようとして通俗的パターン・定型パターンで解釈してしまうことで、捨象されてしまう個人の心がないかに注意したいと思った。

なお、境界は意味が出現または消滅する直前の混沌さを表すものであるという山口昌男『文化と両義性』の概念は、見えないものを扱う信仰研究において汎用性が高いものと感じた。


村上紀夫氏「宗教のメディア史的考察―恵信と遍路関係史料の周辺―」

文献史学の立場からの発表。

文献史料に民俗を読みとることは、これまでもこれからもおこなわれていく手法であるという例。


文献史料をメディア論という切り口から取り上げた。

四国遍路で知られる恵信(安永5年・1776年生まれ)は、出版物というメディアを多用・駆使した人物。

恵信は衛門三郎の木像に自分の髪を植えた。衛門三郎は欲深い豪農だったが弘法大師と出会って改心した人物。死去時に大師が衛門三郎と書いた石を衛門三郎に渡した。その石は、来世で生まれ変わりたいと衛門三郎が願った河野氏(伊予豪族)の子が生まれた時に握っていた。

恵信は衛門三郎と同一視の行動をとる。生まれ変わり、後継者。

その際、仁和寺や高野山などの監修・公認としての出版物を作り、口頭や耳で聞く以上に、文字というメディアで遍路に権威性をもたせた。

また、「光明」という文字をさまざまな書体で表現した。文字を美的なものとして用いた。これも文字メディアの一方法。

文字が読める経済資本・文化資本をもつ人(遍路ニーズ)をターゲットにした戦略が仏教界にもあった。仏教世界は、常に文字や書物と共にある。


このメディア論は現代の問題にも通ずる。

日本遺産にも四国遍路のストーリーがあるが、19世紀に創られたステレオタイプなイメージの再生産ではないかという問題提起。


■ 吉川感想

正しく文献史学の手法でおこなわれた30分。

文字資料というメディアは、書いた人、書かれたもの、読む人、すべてに一定の資本フィルターがある。

文献からしか見えないものの限界を自覚しつつ、文献が作られたからこそ、ターゲットとされた対象を読みとることができるというケースを示した。


メディアが変わってくると、情報を受け取る側の反応も変わってくるという点でメディア論の重要性を村上氏が説かれていた。

その例として、学会もオンラインになると、対面時代と違い内職ができるようになるなどの受け取り側の変化を挙げていた。

面白い視点だが、ただ、受け止め方は本当に千差万別である。その推測どおりの反応だけでないのは私の例であり、私はむしろオンラインになったほうが周りを気にせず集中でき、パソコンを2台使って1台でスライドを見てもう1台でメモを取り、このように即ブログで公開できる。そして、この行為自体が対面で座りながら話を聞く以上のアウトプットの場になっている。対面空間には社会性が伴うので、そこでつぶされる効能というものを感じている。これは周縁、反権威的な俗の反応の一つと言えないか。


西村明氏「宗教学とヴァナキュラー―宗教概念批判を踏まえて―」

宗教学の立場からの発表。

宗教学でもヴァナキュラーの概念は、大勢ではないが扱われることがある。

「大文字の宗教」と呼ぶものが、従来の宗教イメージ。組織宗教・制度宗教なども類語。欧米由来のreligionの訳語をどう訳してきたかだが、これらの宗教概念はプロテスタント色が強い。内面の信仰を重視していて、教会、組織、教義、教典がないと宗教とみなされにくいという限界があった。


そのような「大文字の宗教」からあぶれたものがある。

「信仰なき宗教」というような呪術から、プロテスタントの文脈では想定されていない民間信仰、俗もそれに含まれるだろう。

かつては民俗宗教かなあと思っていたが、今はヴァナキュラー宗教がはまるのではないかとアプローチしている。


ヴァナキュラー宗教とは「生きられた宗教」。

人が解釈しつづける宗教という意味。

宗教には解釈が伴う。だから「個人の宗教がヴァナキュラーでないことは有り得ない」というが、それだとなんでもありになってしまう問題を現在自問自答していて、よく細かく分析したい。


制度化された、システム化された宗教は、人の日常から「離床」「自立・自存」している。

その反・離床、つまり日常に根差した実践を研究するのがヴァナキュラーか。


宗教者も24時間、宗教者でいつづけるわけではない。宗教者ではない顔を持ち、その日常の中での思い、解釈ももちうる。そこに宗教者の俗がある。

現代社会では、ヴァナキュラー宗教は、人が創造し、消費するということをどちらもしうる。

大文字の宗教だけではとらえられない、個人のクセとして閑却されていたようなものが、ヴァナキュラー概念によって陽の目が当たるのではないか。


■ 吉川感想

西村氏のヴァナキュラー論では、個人のクセとして省かれそうな心にも焦点を当てようというまなざしがみられた。

内面の信仰なしの宗教(呪術)が存在するという話もあったが、信仰の定義にもよって扱いの変わる問題提起と思う。信仰告白のような大仰なものだけではない。

信じるというシンプルな精神は、宗教というイメージに関わらず行われている。それを宗教でないものと見るのか、それらも宗教的なものと無関係ではないとみなすのかの違いに行き着きそうである。

そして、信仰を教典で表せない、文字や言葉で表せない心の内面があると想定するのは、とりわけ一個人の心において当然想定されるべきである(全員が文章を書くわけがない)。


そうすると、最終的には個人の内面の「信じる」という心を無視することはできない。

何を信じ、何を信じないのか、そして、そこに理屈はあるのかないのか、理屈は言語化されているのかされていないのか断片的なのか、「末端」「枝葉」扱いされるようなイレギュラーな個人の目線に寄り添った分析・記述が求められている。

そして、そのイレギュラーな個人の心が周りの人々にどう扱われたかによって、社会宗教化するか個人の私的な「呪術」扱いされるかも変わってくるという点で、何が決定要因だったかを各個人の心と社会関係から研究することも求められるだろう。

俗の人が言葉で表していないものを、学者が言葉(講演、論文)で表そうとする行為の危うさと隣り合わせのヒリヒリとするテーマだった。


星優也氏のコメントから

星氏のコメントは、4名の発表を聞きながら同時にまとめたというパワポに基づいており、このスピードでよくぞという内容をまとめられていた。以下メモ。


  • ヴァナキュラーの理解に時間がかかったが、ヴァナキュラーと歴史学は接続可能ではないかと感じた。
  • 俗は、常民とどう関係するか、国民も越えていけるか、どこまで拡大する民の概念か。
  • 共有される<俗>と、共有されることによる「国民」化をいかにずらしていく議論ができるか。
  • ヴァナキュラー宗教から教祖が生成されることはありうるか。
  • 日常の宗教的実践と宗教の日常的実践


3つ目の「俗の国民化」は、数ある質問の中でも特に警句だと感じ、私吉川の問題意識とも重なった。社会性をもつことの暴力性というか、そこへのまなざしである。


登壇者からの回答


■ 島村氏回答

民俗学は現代と日常を研究する。その際、過去を参照するので、従来の歴史民俗学と当然対立するものではない。

社会集団としての「民」は恋人2人からでもいい。数はテーマ設定により伸縮自在するもの。死者やペットも入れてもいい「かも」しれない。

ヴァナキュラーは拡散している(?)ものなので、そこから宗教・教祖は生まれるのかは?宗教学への質問でもある。


■ 西村氏回答

教祖としてなるつもりがなくても、生き神として教祖化されてしまう。教祖以外の周りの信者の力学がある。

概念やカテゴリーなどに、何が入るのか何が入らないのかとこだわるとそれだけの分析概念の論争に終始してしまう。

研究する側、記述する側が、ここまでは宗教、ここからは宗教ではないと線引きすること自体が、近代以降の思考にはまりすぎている。

(宗教2世問題 すべての子弟、子供達が生来的に宗教の枠組の下にあることも)


会場参加者からの質問


■ 質問1

ヴァナキュラーは流行の概念だが、なぜ外国語を取り入れるのか、俗語のままではいけなかったのかの理由。支配的なものに対する対抗という意味合いを持つというが、それは民俗学も同じではないか。

■ 島村氏回答

民俗学が支配的なものに対抗する学問というのはそのとおりだが、しかし、実際には民俗学辞典の民俗学の定義にそれが明記されていない。なので、その意味を明確に持たせるために自分が再定義した。

世の中では民俗学という言葉が持つイメージは強く、民俗学の変革の方向性が伝わりにくい。ヴァナキュラーと呼ぶことで注目されるという戦略でやっている。また、外国語圏で研究する時は俗ではなくヴァナキュラーのほうが誤解がない。カタカナ語に過剰反応する必要はない。

学術的には、ヴァナキュラーでも民俗でも本来はどちらでもいい。

※島村氏の戦略、意図が伝わる質疑応答だった。


■ 質問2

書物の権威性についてさらに詳しく。

■ 村上氏回答

文字は国語(俗語に対する国語)であり、言葉と違って字を学べば同じ字を読める。その点で統一的なメディアであると言え、俗に対比される統一的・権威的な存在である。

そこから発展した議論として、文字資料を使って民俗を研究することは、かなりアクロバティックな読みかたをしないといけない。

文字資料は俗に対する権威的な書き手による情報であり、書き手の意図にからめとられないように、書き手の裏をかくような読みかたをより一層研究者は自覚しないといけないと考えている。


■ 司会の本林靖久氏からの問題提起

宗教民俗学はこれまでいわゆる固有信仰を研究するというのが中心だったが、これからはどのようなものを研究していく学問としていけばいいのか。

現実問題としては、学会として査読者が対応できないテーマも出てきている。編集委員側としての悩み。

■ 島村氏

いかにもヴァナキュラーな研究テーマも積極的に加えていっていいのでは。それも民俗なのだから。

あくまでも加えるのであって、今までの宗教民俗学をそっくり入れ替えることではない。

査読の問題は、外部に頼ってでも学会として対応するほかない。戦略として、学会として閉じてはいけない。雑誌の投稿先を投稿者側も見ている。研究者は好きなテーマをすればよく、その時に受け入れる先であれればいい。何なら、私はこれを機に入会するので手に余るテーマは査読を回してください(!)

ありのままにみる、というのは現象学(フッサール)。民俗学やヴァナキュラーは、ありのままに見るようであり、それに別の視点や意図が加わるもの。表現文化、物質文化など。

■ 西村氏

自分が解明したいテーマを研究していく中で、裾根を広げていく場面が出てくる。それは宗教や民俗とくくれるものではないかもしれない。そういったものも通過していきたいと自分は思っている。ヴァナキュラーもそういうものの一例。

■ 村上氏

各研究者は各研究者の専門を突き詰めて、読み手は自由な立場で、たとえばヴァナキュラーとして読んでもいい。

■ 橋本氏

ある聞き取り調査の時、「わしらは毎年同じことをやっているだけなんじゃ」と聞き取り相手から返されて、「民俗なんてないんだ」と目からうろこが落ちたことがある。

研究者が民俗と呼んでカテゴライズしているにすぎないのだということ。

このように、言語が世界を作っている。ということで、宗教民俗やヴァナキュラーという言葉から議論を始めるのは意味があることにはならない。文学における、書き手の意図と読み手の読みかたは異なるという問題にも通ずる。

対象が変われば問題や世界が変わるので、どのように自由であってもよいのではないか。

■ 本林氏

これから若い研究者がさらに登場する中で、さまざまなテーマが広がるのは自明ということを学会としても受け止め、それによって宗教民俗学・学会を盛り上げていきたい。


■ 吉川感想

学会や学問で取り上げられる研究テーマについても主流や中心があるというのなら、そうではないような怪訝な目でみられるテーマも研究され、そのような研究を受け入れていけば良いと思う。

なぜなら、その関係自体が反主流・反中心を内在するということであり、現代に生きる私たち「民」の「俗」の実践になるのではないか。

学会自体が、中心・主流に対するカウンター(反権威)になるという、新しい民俗学を体現していることになる。


査読委員側の問題は現実として問題山積だと思われるが、これは多様性を認めることに伴う出血であり、多様性社会のどこでも起こっている現在的事象と言える。

イレギュラーな各個人との軋轢をどう受け止めていくかということに尽きると思う。

人それぞれ、大事にしている自分の価値観があり、そこと他者が同一化するわけがないので、軋轢が生じてどうしても苦痛を伴う。

世代間格差もあろうと思うが、学会や先行研究者自身がそれ自体権威性をどうしても帯びてしまうものと自覚して、民俗学が反権威であることを体現するため、権威側ではない存在へ歩み寄っていくことを願いたい。


2025年2月16日

イワクラ(磐座)学会の閉会に寄せて

イワクラ(磐座)学会が2025年4月末に閉会することを知りました。

理事の平津豊氏のFacebookの投稿で詳細経緯を見ましたが、学究をつきつめていくことで組織・団体内の制御不能な膨張に悩まれていたのだと拝察します。

「岩石があると何でも『イワクラ』だと言い出す人が非常に増えた」のくだりはおっしゃるとおりですが、これはイワクラ学会が始まる前からよく見た現象であり、人の性のようなものと受け止めています。

今後も関係ないところで何度も同じ発想の繰り返しが生まれていくものと思われ、そういうインフルエンサーや社会の空気とある種併存して、学術活動は粛々と地道にやっていくほかありません。


学会活動もそういう地道なものを背負うものです。たとえば私は長らく、イワクラ学会にイワクラの保存活動(物理的保存・記録的保存)を期待していました。

HPや会報などでそのような視点の活動も見かけることがありましたが断片的・枝葉的であり、今回の閉会により途上で終わり、HPも存続しなければ再び散逸となるでしょう。

イワクラの文化財上の立ち位置の脆弱さ(=自然石として消滅しやすい性質)を考えれば、会員各個人の関心を差し置いても、さらに優先的に取り組まれればと。

個人では太刀打ちできない組織力によって、学会の歴史上の存在感もより一層だっただろうと思いますが――本当に外部から勝手なことを思っているだけでした。


かつて会員の方からお誘いを受けたこともありましたが。私は気にしいなので研究に心理忖度の余地は入れたくないと思い、自由勝手気ままにさせていただきたく、結果的に入会することはありませんでした。

創立以来変わらず会長の渡辺豊和氏の思想強く、外から見るかぎり個人組織・個人誌感が否めなかったのもあります。

理事の高木寛治氏、江頭務氏などの路線であれば、また異なる「イワクラ」観が社会に浸透したかもしれません。


とはいえ、イワクラ学会の活動の延長線上で設立された日本天文考古学会で今後研究が進展していくのだと思います。

学会名称から、岩石以外の天文考古学に軸足を移していかないとならないことは自明と思われますが、考古天文学会議を主催する北條芳隆氏など、本職の考古学者との協業が進めば学術的な未来が見えてきそうだと楽しみに受け止めています。

天文学を中心に据えて、理系分野の方々が多いと拝察するので、文系歴史学にカウンターを食らわす学際の嚆矢になることを期待しています。

ただし、文系歴史学の知の蓄積も半端なく、門外漢がいっちょ噛みすると大やけどします。お互い敬意を持って協業できる将来を願います。

私も文系という限界の中で自分にできる研究をしてまいりますが、自分の問題意識の延長線上でご教授を乞う日がいつか来るでしょう。


2024年1月21日

資料報告「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」

 


資料報告「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」を『地質と文化』第6巻第2号(2023年12月31日発行)で発表しました。

電子ジャーナルとして雑誌のpdfも下記で公開されていますので、どなたでもご覧いただけます。81~106頁です。

Geology_Culture_6-2.pdf 


2019~2023年にかけてフィールドワークとして調査を続けてきた地域です。

設楽町では岩石信仰や特別視された岩石についての事例が多く存在していることが確認され、そのあたりの文献情報は以前2019年に下の記事でまとめました。

愛知県設楽町名倉(大名倉・東納庫・西納庫)における岩石信仰の文献調査


私が早期調査の必要性を感じたきっかけが、設楽ダムの建設工事です。水没するエリアに沈む岩石も複数ある様子で、記録・保存をおこなおうとしたのが本報告です。


したがって、本報告の最大の目的は一つの文化財報告として位置づけておりますが、単なる個別事例の紹介にとどまらず、一般化できる歴史的意義としては次のようなことまで派生しています。


1点目として、いわゆる「磐座」の通説的見解の再考を促す予察を記しました。

原始的磐座(古墳時代の磐座)と歴史的磐座(修験道以降の磐座)の見直しや、イワクラと呼ばれた概念の歴史的位置づけについての示唆を盛り込んだものとなっています。


2点目として、岩石信仰の地質の関連について記しました。

歴史・地理のみに限らず、岩石の地質的な側面と岩石信仰のありかたに影響する可能性を、特に「遥拝」祭祀の点で言及しました。


3点目は最も大事な提言として、神聖視・特別視された自然石も文化財であるという「自然石文化財」の視点を提示しています。

私はこれまで岩石信仰の研究で人工的に加工・設置された岩石と自然のままでまつられた岩石の両方を一括して続けてきましたが、設楽町の調査を通して、とりわけ自然石の信仰・特別視の文化保存が重要であることを明確に意識できました。

本報告は、自然石文化の初の事例報告集として上梓して、今後の全国各地の記録保存の嚆矢になればという願いを込めたものであります。


奇しくも、自然石文化財に対する問題提起となる出来事が最近立て続けに起こりました。令和6年能登半島地震における見附島の崩落などの自然地形の変化や、大阪万博で岩石が利用されることになった残念石のニュースなどです。


残念石は厳密には人為的加工が施されている岩石ですが、多くの人々の認識は"路傍"の"不要"な自然石としての扱いだったと思います。

そのような、歴史がその姿形からは見えにくい「自然石」が、人々の思いを込めた文化財なのだという意識を新たにできる資料として、時節柄、本報告が寄与するところはあると確信しています。


2023年11月26日

『出雲と大和』の磐座祭祀論


村井康彦氏の『出雲と大和―古代国家の原像をたずねて―』(岩波書店 2013年)に 「磐座祭祀をたどる」と題された一節がある。

この中で大略、磐座は出雲系統の祭祀・信仰を象徴するものだったとする仮説が提示されている。

書名タイトルが示すとおり、本書は大和朝廷成立にいたるまでの出雲の影響を論ずる内容であり、古代史において出雲は熱く注目される存在の一つであるだけに、本書の磐座論の影響も古代史研究において今後大きな比重を占めるのではないかと思われる。

本記事では、村井氏の磐座論がどのような根拠で展開されているかを読みながら所見をメモしていきたい。


村井氏の磐座論の最初の例示は、京都府亀岡市の出雲大神宮の磐座から始まる。

社殿背後の御蔭山山麓から山裾にかけて数ヶ所の磐座が分布しており、山岳信仰や岩石信仰が盛んだったことを推測させる。

しかし、残念ながらこれらの岩石群は歴史的に文献で確認できる存在ではない。この1点を以て、岩石群を神社以前に先立つ歴史資料として私は根拠に用いない判断をする。

本書では交野市の磐船神社も例示され、饒速日尊の天磐船の社伝が紹介されて出雲との関連が説かれるが、社伝で語られる神社創建の由緒をそのまま実際の歴史の古さに置き換えられない。

磐船神社の他にも、各地の神社の祭神から出雲とのつながりが模索されているが、各神社の社伝や『先代旧事本紀』や『倭姫命世紀』などの文献の引きかたを読むかぎり、文献登場以前の古層を伝える記述とて信頼するにじゅうぶんな史料批判をおこなったようにはみえなかった。

たとえば、三輪山における奥津磐座・中津磐座・辺津磐座概念が古代まで遡りうるかは懐疑的であるにも関わらず、特に疑問なく採用されて岡山県宮座山の奥津・中津・辺津と対照させているあたりなどに、史料批判の不足を感じる。


また、村井氏は磐船神社の磐船の織りなす雰囲気から縄文・弥生の時代まで遡りうるものと記したり、籠神社の真名井神社磐座が木の根が絡みついた光景から由緒の古さや神さびた雰囲気を感じたり、見た目が立派な磐座は●●であるなどと記すが、これらの感想は生活基盤も知識背景も隔絶した現代人の主観であり、学術研究としては書くものではない。客観性担保の観点から言えば、この記述の中で巨石でない岩石は閑却されている。


本節には「訪れた磐座所在地」という分布図が掲載されている。

出雲を中心に磐座が濃密な分布を見せるが、キャプションが書くとおり、これは村井氏が訪れた場所を分布に落としたものに過ぎず、分布論的には何の意味もなさない。キャプションが堂々と書いているからミスリードさせる意図はないのだろうが、「出雲に磐座が多い」という感想を視覚的に抱く読者は一定数いるだろう。


村井氏は日本古代・中世史の専門研究者であるが、祭祀・信仰の世界に関しては明文化されていない資料が多いからこそ、その解釈には自らが抱いた宗教的感情・精神に沿って論じて良いという一種のロマンが許されているように思う。しかし、これらの危うい記述を重ねていくことで論証として許されるというなら、それは楽観的に過ぎるだろう。


ほかにも『古事記』の「出雲の石硐(いはくま)の曽宮」を、特に根拠なく「岩陰だろうか」という着想からスタートして、いつのまにか「磐座祭祀そのものであろう」と展開する論理を、認めることはできない。

私は、本例の「石」が物質の岩石を指すか不明のため、積極的評価はしていない。歴史を復元する人は、そう慎重であるべきだと思う。


加茂岩倉遺跡とその近くにある大岩、そして近くの山中にある矢櫃神社の巨石も例示される。

この事例は古くから遺跡(青銅器)と巨石信仰の関連性を語る事例として取りあげられやすいが、当地の場合解決しないといけないのは、遺跡から目に見える範囲の近さに巨石があるわけではなく徒歩数十分かかる距離を「近く」と呼んでいいのかという問題である。「近い」の概念に本来検討すべき問題がある。

徒歩数十分の距離にある岩石と何らかの遺跡を結びつけて良いのなら、もはや色々なものが「関係がある存在」として扱えてしまうだろう。


なぜこのことを重くとらえるのかというと、不明な問題を解決して安心を得たいため、すべてに関係性を見出そうとしてしまうのがヒトの認知構造だからである(ステュアート・ガスリーの「宗教の認知的理論」ほか、宗教認知科学の諸研究より)。

自己批判なしの関連性や結びつけは無尽蔵であり、どのような仮説でもできあがってしまう素地がある。しかし現実はその結びつけどおりでないことも当然多い。現代に生きる私たちどうしでさえ、相手が何を考えているかわからないから、その不安を解決するために主観的な理屈を結びつけてしまうことはある。今を生きていない過去の人々を物するならば、なおのことだろう。

その点で、本書にはいくつもの出雲系との関連を窺わせる岩石が登場するが、数をいくつ重ねていっても、当事者が残した明示的な記録がない限り(当事者が残した記録でさえ文字通りに解釈できないこともあるのに)、判断基準は私たち現代人側にある。

研究対象の人間と自分との間に価値観の断絶があるという配慮をもち、確定的でないものを結びつけていって自他同一の錯覚に陥るのではなく、自己批判の上で錯覚を極力そぎ落としていく姿勢が望まれる。


ただし念を押すと、村井氏は磐座信仰を「出雲系の信仰圏に限るものではない」とも釘を刺していることは触れておきたい。

村井氏は「あえて」磐座を表現するなら「出雲系の神々の世界の徴証」だとみなしており、出雲族が鉱山開発、鉄生産のために山中に分け入る中で巨石に出会ったことが磐座信仰につながり、出雲の特徴的な信仰になったと評価しているのである。

ただその場合は、出雲族以外が鉱山に手を出さず製鉄に関与しなかったという前提が必要なように思う。一部族のみが金属をつかさどったと考えるほうが難しいのではないか。しかも、その生業を文献伝承上の神名・地名・氏族研究などの形而上概念で証明させることは難しいだろう。

つまり、「出雲系の神々の世界の微証」という前提でさえ、土台がゆるぎないテーゼというわけではないのである。


歴史研究とは、常に自己批判的でありたいと思う。

村井氏のいう磐座は、いわゆる自然石としての巨石に対する信仰を一括した用語になっている。厳密にいえば村井氏は「巨石に神の霊が宿るとする磐座信仰」と述べているが、それ以外の石そのものを神とする石神信仰や、巨石以外の岩石信仰は言及されていない。実質的に、古代の石の信仰はすべて磐座に一括されている理解に落ち着いている。

そもそも石神と磐座を同列に並べて良いものか、岩石の祭祀はおしなべて磐座なのかといった疑問は、村井氏著書より前の拙著(2011年)で問題提起済みのテーマであり、この議論を通過して解決しなければ古代の磐座論は先へ進めない。


磐座や巨石は、真に「出雲系の神々の世界の微証」と言えるのだろうか。

村井氏は「丹後から飛び立った天磐船は、各地の出雲系の神々をあらたに見出し、繋ぎ合わせるという役割を果した」と記すが、自然信仰である巨石・磐座を、人格神をベースとした体系的神話のみで成立させる危うさはないだろうか。


たとえば『出雲国風土記』に登場する「石神」は、特定の神名がつく前の自然神としてのありかたを伝えている。

琴引山の石神の記述では一切の神名が記されず、大船山(神名樋山)の石神の記述では「謂はゆる石神は、即ち是、多伎都比古命の御託なり」と追記的に触れられ、前後関係から考えれば多伎都比古命が後世付加的で人格神以前の石神が元来のありかただろうと考えられる。

したがって、出雲系の磐座信仰を論ずる際に、いわゆる出雲神話という体系に拠ること自体が、磐座信仰・石神信仰なるものの本質を見えなくしてしまう恐れがある。


本記事は岩石信仰研究の立場から、村井氏著書のとりわけ磐座祭祀論の部分のみに絞って取り上げたものに過ぎないが、以上を踏まえた結論としては、磐座祭祀が出雲系祭祀の徴証だったという論には賛同いたしかねる。


2023年6月4日

勝尾寺の八天石蔵からみる「イワクラ」「イシクラ」の諸問題(大阪府箕面市)


大阪府箕面市 勝尾寺一帯

 

八天石蔵の由来

勝運祈願の勝ちダルマで有名な勝尾寺に、八天石蔵(はってんいしぐら)と呼ばれる石積施設がある。

八天石蔵とは何か。『箕面市史』から引用する。

「寛喜二年(筆者注:1230年)正月の四至注文に『四角四天王石蔵』と呼ばれた石蔵が、勝尾寺の開基と伝えられる開成皇子の結界に際して設けられ、その後に八天之石蔵がつくられたと解することができる。(略)勝尾寺のまわり八ヵ所に八天之形像が埋められ、その上に石を畳んで壇を築いた、いわゆる『八天之石蔵』のあったこと、そしてそれが勝尾寺領の境界を示す牓示であったことを知ることができる。」

箕面市史編集委員会 編『箕面市史』第1巻 (本編),箕面市,1964. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3008156 (参照 2023-06-04)

八天石蔵の一つ「持国天王石蔵」

八天石蔵のなかでは、東の境界に建つ石蔵である(冒頭GoogleMap参照)

現地看板

持国天王石蔵には、勝尾寺園地の駐車場から案内標識が出ている。
(勝尾寺園地は無料駐車場であり、勝尾寺参拝時にも有用である)

すなわち、八天石蔵とは寺の領域を示すために置いた施設である。

寺社の四至(東西南北)の領域を確定するために牓示の石柱が建てられた例は各地にみられるが、八天石蔵の特異な点は牓示が石柱ではなく3段からなる石壇を構築し、さらにその下に八天(四天王・四明王)の仏像を壺に入れて埋納したというところにある。

単なる境界標示の目的にとどまらず、それぞれが仏を宿す結界という意味も込められ、その名を「石蔵」と呼んだのである。


このような施設の類例はほとんどないとされており、規模・時代が違ってもいいなら岡山県赤磐市の熊山遺跡や奈良県奈良市の頭塔(ずとう)が僅かながら類似形態として挙げられるだろうか。いずれも広くとらえて仏塔の範疇で考えることはできる。

しかし、頭塔については見た目こそ石の塔の趣だが、実質は盛り土の表面に石を葺いたものであり、どちらかというと古墳の造り方に近い。どちらかといえば、熊山遺跡のように総石造りの壇状施設の文脈でとらえたほうがよさそうだ。

(熊山遺跡の石壇が、熊山山頂の露岩上に構築されているのも、岩石信仰の観点からは注目できる。ただし熊山の露岩が即・磐座と呼ばれるような祭祀対象だったかは即断できない)


考古学者の狭川真一氏がweb上で報告した「瀬戸内周辺における古代仏塔の研究-経納遺跡の研究を中心に-」によると、八天石蔵・熊山遺跡と比較に足る事例として兵庫県佐用町の経納遺跡を取り上げている。こちらも3段からなる石壇遺構であり熊山遺跡と同時期・同時期の可能性が示唆されている。


なお、勝尾寺境内の三宝荒神社(荒神堂)の裏手に「八天要石」または「影向石」と呼ばれる八角柱の石柱があり、石柱下には不動明王像が埋まっているという逸話もあるようで、これも伝承上では石蔵と同機能と言える。

立地的には勝尾寺境内ということで石蔵の中枢的役割を担うかのようだが、埋納されるのが不動明王であるなら冒頭前掲書のとおり、八天石蔵において当初設けられたのは「天王」であり「明王」は後出するため、八角柱という形態も考えあわせて石蔵成立後の聖跡かもしれない。

三宝荒神社。探訪時、八天要石を知らず残念ながら見過ごした。


石蔵と経塚の異同点

積み石の下に仏を埋納したという石蔵の祭祀に近いものとしては、経文を筒などの容器に入れてそれを積み石で覆った経塚が想起される。

経塚については、末法思想に伴い経文を未来に保存するために構築されたもの、そこから派生して作善のために構築されたことが多く、石蔵の牓示の機能からは少し性格が離れたもののようにも思える。

しかし岩石信仰の観点に立つと、自然石信仰の地を後世に経塚として用いた事例が知られており、静岡県浜松市の渭伊神社境内遺跡(通称・天白磐座遺跡)、三重県桑名市の多度経塚、三重県伊賀市の猪田経塚、京都府宮津市の真名井神社経塚などを挙げることができる。

最前者の渭伊神社境内遺跡は古墳時代の祭祀遺物群が見つかった巨岩群をそのまま経塚として利用している。他の例も多度大社・猪田神社・真名井神社いずれも延喜式内社クラスの古社であり、それらの神社が神聖視する自然岩群の近くに経塚を設けている。

このように、まずは神祭りの場がありそこに経塚の機能を追加したと考えることができる。経塚も単に単独で成立した存在ではなく、それ以前からの祭祀や聖地の影響を受けたうえで複合する場合がある。


石蔵と岩倉 ~京都四岩倉との比較~

八天石蔵の石蔵は「イシグラ」「イシクラ」と読むが、石蔵を「イワクラ」と呼ぶ例もある。そうすると、石蔵も自然石信仰のいわゆる「磐座」などと無関係ではなくなってくる。

その一例として、経塚と石蔵の牓示の関係でも思い起こされるのが、平安京の四方に桓武天皇が一切経を埋納したとされる「四岩倉」伝説である。

これは桓武天皇の同時代文献に明記された事跡ではないが、少なくとも『雍州府志』(1682~1686年成立)、『京羽二重織留』(1685年成立)までは本伝説の記述を認めることができる。

それ以前の文献に本伝説の記述を見つけることがまだできていないが、伝説を抜きにして四岩倉の名称自体はさらに古く遡ることができる。たとえば北岩倉は『日本三代実録』(901年成立)において「石座神社」の名で、西岩倉は『今昔物語集』(平安末期成立)に「西石蔵」の名で登場する(「西」と冠しているので、この頃には他の方位の「石蔵」もあった可能性は高い)。


京都四岩倉伝説については下記事で詳述しているので、これ以上はそちらを参照されたい。

京都「四岩倉」伝説について


「イワクラ」「イシクラ」概念史の中の八天石蔵の位置づけ

ということで、長い寄り道をしてきたが、ここで勝尾寺の八天石蔵と同じ「石蔵」の表記と初めて出会う。岩石信仰の見地から、他例と比較した八天石蔵の位置づけを試みてみよう。


平安京四岩倉伝説は「岩倉」の表記で知られるが、上述のとおり「岩倉」表記は17世紀文献までしか遡れない。それ以前は「石蔵」表記であり、『今昔物語集』の平安末期(12世紀後半)と八天石蔵が構築・記述された寛喜2年(1230年)頃は最大100年ほどの開きはありそうだが比較的近い年代観を共有している。

そして、さらに遡り『日本三大実録』の10世紀初頭では「石座」の表記である。この石座神社は京都四岩倉の中で唯一、自然の露岩をまつる「磐座」としての場所であり、ほかの三岩倉とは性格を異にした出自だった可能性もある。たとえば、神祭りの磐座祭祀の一字である石座だった場所が、中世以降に経塚・牓示の文脈である石蔵の影響を受けて四岩倉として再編された可能性などである。


もう一つの傍証として、兵庫県相生市の磐座神社の事例を取り上げておきたい。

詳しくは上リンクを参照してほしいが、磐座神社は『万葉集』にうたわれた「矢野神山」の候補地といわれ、山麓の境内および裏山の数か所に巨岩群が分布している。

今でこそ磐座神社表記であるが、当社はかつて石蔵明神・磐蔵地蔵権現・岩倉権現などと複数の表記で記されていたことがわかっている。山中の奥の院とされる巨岩には、背中合わせに神社の社祠と阿弥陀堂がまつられており、中世には神仏習合の地であったと思われる。

磐座神社も「石蔵」「磐蔵」「岩倉」などの「蔵・倉」グループに属す時代があり、いやむしろ、現代の「磐座」の表記が本来的であったかどうかも批判的にみないといけないかもしれない。

「磐座」は奈良時代の『日本書紀』、平安時代の『延喜式』祝詞・神名帳に登場する「イワクラ」の古い表記用例ではあるが、全国各地の実例を踏まえるかぎり、その後は中近世の長い時代にわたり積極的に用いられることはなかったように思われる。おそらく、神道に携わる一部の人々にしか広まらなかった概念だったのだろう。

それが江戸時代末期に国学者により神道的なものを復古・喧伝するにあたり、"神社以前の原始信仰"の一つである「磐座」にスポットが再び当たり、明治時代以降にかけて磐座の使用例は神道学者、神社関係者、研究者(市井含む)の間で増えていったことは、いちいち例示しないが当時の文献・雑誌のテキスト検索を行えば明らかと言える。この動きの中で、古代からの「磐座」と近代以降命名の「磐座」が混濁して現代に至っていることは、この20年ばかりの筆者の調査研究の中でも多く感じることである。

八天石蔵の事例から話を広げて、「イワクラ」「イシクラ」の語を巡る岩石信仰の諸問題を書き連ねることになったが、そのような点でも八天石蔵は数々の系統からなる事例群の結節点とも言える存在である。

冒頭に引用した『箕面市史』の文中にあるとおり、八天石蔵は勝尾寺開祖・開成皇子の結界に際して設けられたといういわれがあるが、開成皇子は桓武天皇の庶兄に当たる。四岩倉伝説で平安京の四至に経文を埋めたという桓武天皇と奇しくも絡んでくるのも興味深い。


まとめると、「イワクラ」の字は石座(古代)→石蔵(中世)→岩倉(近世以降)の時系列で追うことができ、八天石蔵は中世のイワクラ表記の影響を受けた事例として位置づけることができる。

そして、石座と石蔵とは直線的な系譜が結べるとは限らず、同じ「イワクラ」の音を共通するものでも、出自が「神祭りの磐座系統」と「経塚・牓示の石蔵系統」の二系統から始まっており、それが神仏習合で祭祀を同じくしていく中で岩倉などの表記も生まれていき、現在の複合的なイワクラ概念世界に至ったという流れが想定される。

他にも、音は異なるが仏像が立つ「岩座(イワザ)」の系統や、石垣や城郭施設に用いられる「石椋(イシクラ ※石蔵表記も用いられることがある)」の系統なども無関係だったとは思えず、音または字が近い概念同士は時代経過の中でどんどん混ざり合い、相互に影響しあっていったのではないか。


単に「イワクラ」を神祭りのそれとみるのではなく、また、音だけでなく字からも文脈・系統は異なり、磐座・石座・石蔵・岩倉などのそれぞれの字に込められた意味を細かく腑分けしていくことも重要な歴史学上のテーマであるように感じる。


2023年3月27日

鄭家瑜「日台の石信仰――神話から民俗へ」(2022年)書評 ~日本と台湾の岩石信仰研究のために~

 

角南聡一郎・丸山顕誠編著『神話研究の最先端』(笠間書院 2022年)は、題名のとおり神話に関する最新研究を収録した論集である。

その第5章「神話の比較研究」の一例として収載されたのが、台湾国立政治大学日本語文学科教授の鄭家瑜(てい かゆ)氏「日台の石信仰――神話から民俗へ」である。

岩石信仰を取り上げた論文はもともと数少ないが、日本と台湾の比較で考察された論考は初めてではないか。

台湾の石信仰(本記事では以下、岩石信仰の語を用いる)を知る機会はなかなかないと思われるので、本記事では鄭氏の本論文を紹介しながら私見も述べたいと思う。


台湾の岩石信仰の事例


台湾の原住民に複数伝わる「石生始祖伝説」

台湾では現在、16部族の原住民が生活しているが、そのうち、卑南族・阿美族・雅美族(達悟族)・泰雅族などに、大きな石が割れてその部族の始祖が誕生したという伝説が広く流布している。


石頭公

宜蘭県の呉沙村・冬山郷八賀村ほか台湾各地で、大きな石をまつる廟が存在している。その石は石頭公・石公・石頭神などと呼ばれる男神であり、福徳正神・福徳爺と同一視されることもある。

所によっては、わが子を石頭公の仮の養子にすると神の加護が得られるという民俗信仰が今も続けられている。

岩石は、比較的な大きいものや、色が黄色であること、形が奇異であることなどの特徴が指摘できるようだが、すべてに共通しているわけでもなさそうだ。


石母・石母娘娘

石を仮の養母・養女として契りを結ぶ民俗信仰である。

桃園市八徳區霄裡・苗栗県・台中東勢・高雄美濃羌寮布などに石母祠・石母娘娘廟がみられ、いずれも子供の加護を願うものである。

その分布は、客家人(大陸から渡来した人々)の居住者数が多い地域であるという。


石敢當

特に彰化県・雲林県に多いという。

石敢當は中国大陸由来の信仰として知られ、魔除けや村の安寧を願うものとして建立された。

台湾でも同様の目的で建てられているが、どんな石でも良いわけではなく呪法のできる道士にお願いしないと霊験が発動しないとか、洪水が起きた時に石敢當が洪水の向きを変えて村を守ったなど、石敢當そのものに高い霊力を認めるところに特徴があるとされる。


新生児と石の風習

子供が生まれたら、1か月後に赤子の髪を剃る風習があるが、その時にお盆を供えてお盆の中に茹で卵、茹で水、銭、ネギ、小石を入れる。

また、親は親戚に赤い色を塗った卵などを贈るが、その返礼として親戚は赤い紙の上に長方形の小石をつけて赤子に贈り返す。


日台の岩石信仰の異同点


鄭氏は、台湾と日本のそれぞれの岩石信仰を比較し、次のようにまとめている。

  • 台湾・日本は共に、石を神や魂の入れ物としてまつることがある。
  • 台湾・日本は共に、石が魂を鎮めるものとして用いることがある。
  • 台湾・日本は共に、石敢當の信仰がある。
  • 台湾・日本は共に、形や色が特殊なものを信仰の対象とすることがある。
  • 日本は、入れ物、鎮魂、境界線としての石の信仰は多いが、子どもの守護神としての信仰は台湾に比べると日本は少ない。
  • 台湾には、人間が石から生まれた石生始祖伝説が多くみられるが、それに比べて日本は皆無というわけではないが、間接的に石と人間の誕生を示唆する程度にとどまる。
  • 石敢當は、日本では村の内外の区切りを重視する境界線としての機能が色濃いが、台湾では自然災害や災厄を防止する霊験の機能が色濃い。


それぞれの指摘は、台湾との比較という点でも従来なされることがなかったものであり、特に台湾では石を人格化する事例の多さや、養父・養母・養子関係の契約を結ぶ子供の守護神としての性格や始祖神としての石など、石と親子関係に関する特徴の強さは肯定できるだろう。日本の岩石信仰の独自的なものと普遍的なものを考えるうえでも傾聴すべき点が多い。

一方で、主に日本列島の岩石信仰を調べてきた私からみると、本論文に記されていないことで情報提供したいことや、考察に対する疑問点もいくつか抱いたため、いつかこの記事が鄭氏の目にとどまることを期待して記しておきたい。


日本神話にまつわる岩石の事例について


鄭氏は「石にまつわる日本の神話・伝説といえば、まず、黄泉国訪問神話に記されている『千引石』が思い出されよう」(p.338)と述べるが、まず、この前提が正しいかというところにひっかかりがある。


僭越ながら、私は2022年夏に論文「『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか―奈良時代以前の岩石信仰と祭祀遺跡研究に資するために―」(『地質と文化』第5巻第1号)を発表しており、併せて『記紀』『風土記』に登場する岩石の記述をデータ公開している。

詳しくは上記リンク先をご覧いただきたいが、一読すると千引石の記述はあくまでも数ある神話(記紀神話としての)の中の一つであることがわかると思う。

千引石はあくまでも関係者の人口に膾炙しているというだけで、資料としては知名度の軽重は本来度外視すべきで、千引石以外の岩石の記述にも目を向けたうえで日本神話と岩石の関係をまとめることが望ましいだろう。


鄭氏は千引石の例から「境界線」の性格、神功皇后鎮懐石の例から「鎮魂」の性格、天之日矛伝説の例から「玉=魂としての石」の性格を抽出して、それらを日本の岩石信仰の特徴とみなして論じている。

しかし昨年の拙稿で明らかにしたように、『記紀』『風土記』に表れる岩石信仰の姿はさらに多様であり、それらを「境界性」「忌避性」「生死性」「堅固性」「移動性」「永遠性」「非実用性」という7種類の精神性で提示した。

事例数の多い「境界性」「忌避性」「生死性」については鄭氏論文で触れられているが、事例数の少ない「堅固性」「移動性」「永遠性」「非実用性」については言及されておらず、この点において日本神話の岩石信仰を論ずるには抜け漏れが認められる。

日本には~が多い、~が少ないと論ずるには、明確な事例数などの数値化したデータが求められ、そのデータを作る中できっと他の性格・機能が見つかるはずである。


石を神としてまつることと、石を魂の入れ物としてまつることは同じか


鄭氏は日台の岩石信仰の共通点として、「石は神として祭られている。つまり、石は神の入れ物・乗り物なのである。それと同時に、魂の入れ物でもあり、『石=魂』という信仰がある。」(p.351)と述べている。

これは、折口信夫の「たま」論を引用していることに立脚しており、木・竹・卵など硬いものの中に空洞がある存在と同様、石に魂が出入りすると信じられていたという折口の着想を背景としている。


問題提起したいのは、石に魂が出入りすることと、石が魂である、石が神であるという論理には飛躍があるのではないかということである。

卵を例にするなら、卵において魂の部分は中の黄身にあり、外側の殻ではない。卵と石を同一視するなら、外側の固い石の部分は魂ではないことになる。卵と石が完全同一ではない存在だからこそ、台湾の新生児に対する風習においても、卵と別で石も供えられているのではないか。石には石の、別の機能があるように思われる。


そして、仮に石の内部という「見えない部分」にこそ魂があるのなら、それは、岩石という見えている部分から端を発する岩石信仰とは、また別種のものだろう。

視覚的には同じ岩石信仰でも、岩石そのものを神とする石神と、岩石の内部の不可視の形而上的存在に神を見出す「入れ物・乗り物」は別概念として取り扱った方が厳密である。

この問題については、昨年の拙稿でも触れているが、それより前に2011年の拙著『岩石を信仰していた日本人』(遊タイム出版)においても「岩石祭祀の機能分類」として切り分けて分類している。

「岩石祭祀の機能分類」には、鄭氏が論じた「入れ物(拙分類ではBA類型に該当)」「鎮魂(拙分類BBB類型)」「境界線(拙分類BC類型)」以外にも、多数の機能を提示している。これらの言及されなかった機能にも広げて日台の事例を分析していただけると、また異なる結論が導き出される可能性がある。

残念ながら、鄭氏論文には拙著が参考文献として挙げられておらず私の研究の知名度不足を悔やむしかないが、この機会にインターネット上で書評を掲載しておき後考に供したい。


2023年3月19日

『科学で宗教が解明できるか』(2023年)学習メモ


藤井修平氏『科学で宗教が解明できるか 進化生物学・認知科学に基づく宗教理論の誕生』(勁草書房 2023年)を読みながら、私自身が今後覚えておきたいと思った重要な部分をメモしたものである。

自分用申し送りの色が濃いため、読者に読ませる体裁で文章を書いていないが、本書の概要紹介と同様の問題意識をもつ方の検索向けに掲載しておく。

(私の誤読・解釈が入り混じるため、正確な理解は本書を参照されたい)


ミルチャ・エリアーデへの批判とそれ以降の宗教研究


批判点① 反歴史主義

人類の心には普遍的な共通性があるというエリアーデの前提は、原初性を絶対視して反証不能。歴史的変化を考慮に入れていない。


批判点② 非還元主義

宗教および宗教研究は他の分野には還元できない固有・独自の存在であるというエリアーデの非還元主義は、信仰者にのみ理解が可能で非信仰者には介入不可能という断絶をもたらす。


批判点③ 規範性・神学性

エリアーデは聖なるものの実在を仮定しており、学術活動ではなく宗教的活動になっている。また、エリアーデ自身に政治的な偏りが指摘されている。


→以上の批判点により、世界的にはエリアーデは宗教学者ではなく思想家として位置づけられており、エリアーデ研究を無批判に用いる時代は終わっている。


宗教研究と宗教活動を区別する神学性批判から、科学を重視するモダニストが生まれた。具体的には、宗教認知科学(CSR)で普遍的な宗教研究を可能として、エリアーデの非還元主義を超克するという取り組みが盛んになった。

そのモダニストに対立するのがポストモダニスト。科学にも人間の主観が入り、科学知の絶対性・普遍性を疑問視する立場。CSRについても科学絶対視を疑問視。系譜学(過去の言説の分析)でエリアーデの半歴史主義や政治的イデオロギーを超克する。


日本においては、モダニスト側の研究が日本語に翻訳されることは少なく、ポストモダン側に寄った状況が続いた。日本におけるモダニスト不在は宗教研究・知見の多くを見落とすことになり大きな問題。だから本書が詳細を取り上げて補う。


モダニストの理論的根拠としての生物学・自然科学


ダーウィンの進化論

ダーウィンの進化論は非常に単純な原則ということもあり、多様な分野に応用してすべてを説明しつく「現代総合説」が誕生。しかし、これは「万能酸」という危険性も指摘されている。

生物学の進化に、本来、進歩の意味は含まれない。変化の意味にとどまる。


進化(変化)の要因は自然選択。自然選択とは、ある環境下で有利な形質をもった個体が生き残り、それにより特定の形質をもった生物に変わること。この自然選択の主体には3つの説がある。

  • 生物集団内には遺伝的な変異が存在し、個体差が生じる。突然変異やランダムに遺伝子が変化する個体説。
  • 集団選択で自己犠牲する説。
  • 現代総合説は、遺伝子レベルで「利他行動」「血縁選択」があるという説を重視。この現代総合説が他の分野にもこの進化理論を応用していく。


現代総合説・社会生物学

現代総合説を『社会生物学』(1975年)と銘打って人間研究に用いたのが生物学者エドワード・O・ウィルソン。

人間は、遺伝子によって本性が決まり、攻撃行動、男女差、利他行動、宗教などの社会行動を行うとした。

人間の本性は変えられないから戦争や不平等を肯定するという道徳的な批判があり、後年、遺伝的な影響と本性が変えられないことはイコールではないことを言及して理論修正した。

遺伝子の影響を絶対視して、人間が生み出す文化による後天的変化を考慮しないという批判もあり、これにも理論修正して「遺伝子と文化の共進化」を論じるようになった。

これによって社会生物学は生き残り、宗教に関する分野では次の2つの研究が生まれた。


進化心理学

自然選択により最適化をめざそうとする人間の心理メカニズムに着目(1992年の論文集『適応した心』で創唱)。

人間の自然選択は約250万年前~約1万年前の更新世のあいだに形成されたもので、狩猟採集社会の心理メカニズムがそれ以後の現代までの1万年間の人間行動の基盤となっていると考える。この1万年間では十分な進化の時間がとれず、だから現代社会において人間が非適用的になっている場面がみられる。

配偶者選択、親族関係の構築、集団内での協力と対立など、生存と再生産に関する研究が中心。宗教は生存と再生産には直接寄与せず、生物の適応によるものではなく、人間が進化して得たさまざまな心的能力・認知的能力の副産物とみなす。

その点で、文化や学習による後天的な変化の可能性はほとんど考慮されない。その点で非歴史的だが還元性はある。


具体例① 人類学者スチュアート・ガスリーによる「擬人観」…人間以外の対象に人間的特徴を見出すこと(1993年~2015年)

ある対象が、自分と同じ人間のような人格を持つか、持たないかを判断する時に、人格を持つと判断したほうが生存に有利に働くから、一種の適応となる。この適応行為の副産物から宗教が生まれたと考える。

多数の例から、擬人観は人類普遍の現象と結論付ける。

擬人観は科学など他の分野でも現れるが中心的ではない。しかし宗教において擬人観は中心的であるという(しかし、擬人観が宗教成立の必須条件というわけではない)。

後年、心理学者ジャスティン・バレットは(2000年~2004年)は、無生物が生きているようにみえること、偶然の出来事に何者かの意図を感じること、自然界に意図・目的・デザインを感じる人間の心的傾向を「過敏な行為者探知装置(HADD)」と名づけた。擬人観もその一種であり、HADDが人に備わっていることで、実際は行為者がいなくてもそこに行為者を見出すことで宗教観念が生み出されるとした。

→HADDへの反論あり。何らかの起源の説明は現時点での機能を説明することにはならないという「発生論的誤謬」に該当し、HADDのような認知能力の誤作動で宗教が生まれたとしても、現在もその宗教が保持される理由はHADDに限られないというもの。


具体例② マヤ人の子供の実験(2002年)

普段トルティーヤが入っている箱を見せて、中のトルティーヤは食べてズボンを入れておいたと説明する。下の3者が見たら中に何が入っていると思うだろうと子どもに聞く。

  • 人間の場合→トルティーヤ
  • 森の精霊→トルティーヤとズボンが半々
  • キリスト教の神の場合→ズボン

→子供は直観的に、人より神のほうが能力を有していると考えていると言える。


具体例③ ニュージーランドの社会調査(2015年)

宗教と出生率の関係。教会出席頻度が高いと出生率も良いという相関関係が統計的に出た。

教会出席が社会的評判を生み性的魅力につながるからかという推論。

宗教が生存選択と再生産に寄与するから宗教は適応的行為であるという説。


文化進化論

ロバート・ボイドとピーター・リチャーソンが代表的な研究者(1985年)。

人間の行動は、遺伝的な心理メカニズムよりも文化が大きく影響するという考え方で、進化心理学に相対するもの。進化心理学が反歴史主義・普遍主義的なのに対し、文化進化論は歴史主義・個別主義に立つ。

文化の定義は「教育や模倣によって種の他の成員から獲得される、個人の表現型に影響を及ぼしうる情報」。

文化は、遺伝子の進化とは異なる過程で伝達され、文化は工業製品のように徐々に洗練されたものになっていくと考えられる。

文化の選択の方法は次の3つ。

  1. 内容バイアス…何らかの本質的魅力を有するものが支持される
  2. 頻度依存バイアス…多く見られるものに従う
  3. モデルによるバイアス…地位が高く模範的な人物の好みを模倣する

宗教が例に挙げられる。

宗教は、集団内にシンボル体系を作り上げることによって、社会統合やコミュニケーションの推進という利益を与えられる。宗教を有さないより宗教を有したほうが生存する、利益を得るという視点(世俗的有用性)で宗教をとらえる。

したがって、宗教は集団を維持するために必要な制度と言え、それは人類にとって適応の産物とみなすことができ、そこが進化心理学とは異なる。

キリスト教神学は現世での節制を命じており、これは遺伝子レベルの適応的行動とは言えず、宗教文化の影響下にある集団行動の一例で、遺伝子より文化が人間行動の決定要因として上回ることを示す。


具体例① アラ・ノレンザヤンの実験(2013年)と超自然的懲罰仮説

不正を行える状況下で知識テストを実施。参加者の一部には、十戒を想起させた。結果、十戒を想起した群は、他の群に比べて不正率が低かった。

人が監視するより、神が監視するほうが、人はより道徳的・向社会的にふるまう。

神の概念を有していない場合でも、運命やカルマといった形で超自然的懲罰の観念はみられるという。


具体例② ビッグ・ゴッド(2013年)

小集団では統制が効いていたものが、集団が大きくなるとさらに強力な統制システムが求められる。そこでゴッドがビッグゴッドになり、社会が大規模になると道徳性と宗教はますます結びつき、教義は規則的になり、超自然的な罰は強化される。


CSR(宗教認知科学)


認知科学・認知心理学の見地に依拠して宗教を研究する。テスト可能な科学であることを自認し、人類に普遍的な心的傾向・宗教現象を説明できるような一般法則を導き出すことが目的。

CSRは科学的・自然科学的とみなされているが、それは人文学・社会科学と両立不可能というわけではない。両者の境界は曖昧である。


ステュアート・ガスリーの「宗教の認知的理論」(1980年)

1.世界に見出される現象は曖昧であり、人間は解釈を必要とする。

2.その現象は、類似した現象をモデルにして人間に解釈される。

3.そのモデルは、頻繁に起こる現象や重要な現象に従って選ばれる。

4.人間は周囲にいる他者から重要な影響を受けるので、人間を見出すモデルが解釈に用いられやすい。実際、周囲の現象に人間的特徴を読みとる事例が多い。

5.このモデルが、宗教の認知的基盤となる。

→これが、先述した「擬人観」の根拠となる。


人類学者ダン・スペルベルの「表象の疫学」(1984年)

表象の伝播を疫病の広がりにたとえる。伝播の誘因子は次の2種

1.人間の心的能力要因…「石炭は黒い」などの直観的信念

2.生態学的要因(社会形態など)…「すべての人間は生まれつき平等」などの反省的信念


トーマス・ローソンとロバート・マコーリーの儀礼能力理論(1990年)

人間は言語を自ずから獲得できるように、儀礼の行為者は儀礼を自然に形成する能力がある。儀礼は言語とのアナロジーによって理解できるという考えに基づく。

宗教的儀礼の普遍法則を2つ提示する。

1.超人間的行為者の原則…すべての儀礼には超人間的行為者を含み、儀礼の行為者か儀礼の受容者・行為とむすびついている。

2.超人間の近接性の法則…超人間的行為者が儀礼に深くかかわるほどその儀礼は重要視される。

(例)インドのヴェーダ文献における供儀の研究および、通常/特別の2種類の人物・素材による儀礼のテキストを読ませた心理学的実験で、通常より特別なほうが効果を感じるという直観結果が統計的に有意に出た。


バスカル・ボイヤーの研究(1990年~2001年)

伝統が反復されるのは、単に人々が保守的だからではなく、それは記憶のプロセスと関連しているからと考える。記憶には、記憶されやすいものとされづらいものがあるとの主張。

人の心に共通性があるのなら、宗教にも普遍的な現象が生まれ、それが世界中で類似した信仰体系として複数出現するのではないか。

反直観的概念…カメルーンのファン人は魔女にだけある臓器があり夜中に臓器が飛んでのりうつる人に能力を授けるという話があるが、これは当のファン人の間でも奇妙なことと思う人がいるらしい。しかし、この奇妙と思う、直感から反するために、逆にこの信念は信じられると述べる。宗教はこうした反直観的概念を含み、これによって特徴づけられるとした。

直観は、人は年を取ると死ぬ、死者は話さない、木や石などの自然物は自分から動かないなどの常識的観念と言い換えられる。こうした1つ1つの常識を「存在カテゴリー」と呼び、それぞれの存在カテゴリーに関して反直観的情報を含むと宗教家が促されるとした。

この反直観はあまりにも大きい(破天荒)すぎると人々には記憶されにくく人々に広まりにくいが、存在カテゴリーの直観をわずかに違反した「最小反直観」が、人々には記憶されやすく宗教として広まりやすいとボイヤーは考えた。

(例)存在カテゴリーにおいて違反を含む記述と含まない記述を複数読ませ、その後思い出せた記述を集計した結果、違反がある記述の萌芽「裏切り」の印象深い記憶として残るという結果が出た。フランス、ガボン、ネパールの3つの地域で類似した結果が出たので、通文化的な心理学実験として知られる。


ミッキーマウス問題(2002年)

ボイヤーの反直観は、たとえばミッキーマウスなどの創作物にも多く存在するが、それらは宗教にならない。反直観だけをもって宗教ができるわけではないことをどう説明するかという問題。

※類語…大人になると信じられなくなる「サンタクロース問題」、時代によって信じられなくなる「ゼウス問題」、一切の文化から切り離された人でも神を信じるのかという「ターザン問題」


ピュシアイネンがこれに説明を試みた。

・反直観は宗教の必要条件ではあるが十分条件ではない。

・反直観は、宗教以外にも科学、創作、妄想にもみられる。

・科学の直観は自発的に生まれない、創作は真実とみなされない、妄想は集団的にならない。

・反直観のうち、自発的に生まれ、真実とみなされ、集団化するものが宗教的概念と定義づけられる。

・それに加えて、儀礼に参加して怒りや恐怖の感情を喚起することで宗教は信じられるとする。


トッド・トレムリンは、神の条件として「社会的機能を有すること」を考えた(2006年)。

通常の人間は、他者の情報を把握しているわけではない。神は、社会的な情報を際限なく完全にアクセスできる存在とみなされるからこそ、宗教的行為者は重要視されるとした。反直観的行為者の中でも社会的機能を持つものが宗教的行為者となった。


ハーヴィー・ホワイトハウスの「宗教性の二様態理論」(1995年~2004年)

1.教義的様態…教義などの言語が意味記憶によって記憶され、言語の繰り返し記憶によって形成されるので知的で統一的で反復的で感情的な要素は少ない。

2.写象的様態…強烈な宗教体験などの図像的イメージがエピソード記憶として鮮烈に記憶されるので、感情的、多様的、散発的となる。

(例)二つのグループに分けて儀礼をおこない、片方は赤い照明を用いて、音楽や太鼓の音量を大きくした(写象として強烈にした)。その結果、照明と音を写象的にしたグループのほうが、おこなった行為に対する自分の感情を解釈する言葉の数が増えた(感情的になった)という心理学的実験。


その他のCSRの知見

・宗教の二重過程理論…人の思考には、素早い・自動的・直観的な思考の「システムⅠ」と、慎重・意識的・反省的な思考の「システムⅡ」があるという心理学の研究があり、それを宗教に応用し、一つの宗教や宗教者の中にもこの2つの思考が入り混じること。

・種々雑多な目的論…子供が自然界に機能・目的・デザインを見出す傾向。

・子供が、生物の死後もその生物に心理的機能や認知的機能が継続していると考える傾向。

→子供の心理は後天的な学習の影響をあまり受けていないので、人間心理の普遍性を示すものとして用いられる。人間の自然的な認知は6歳までの幼児期に起こるという説もある。それに対して、子供が宗教的な心理を示すのはあくまでも発達の一段階の特徴であり大人の宗教観をそのまま表すわけではないとみなす立場もある。


CSRへの批判


マッカチオンの指摘(2012年)

「心や脳に宗教の起源を求めるのに夢中になって……彼らは部分から全体へ、偶然から必然へ、歴史から非歴史へ、個別から普遍へ、文化から本性へと移ることの明らかな安易さに関する疑問に答えられていない。」


・CSRには理論的・方法論的な核がなく、進化心理学などの学問との明確な区別がないため分野として不安定。

・科学者としての訓練を受けていない学者が、心理学的な論文を満足に読めているのか。

・仮説をテストするというより、すでに存在する事例に対して心理学の理論を適用するだけの「アームチェア科学」である。

・普遍主義的であり、文化や歴史の文脈性を無視している。 

・還元主義的であり、生物学・心理学・神経科学などの枠組みで単純化しており、宗教の要素の重要な部分をそぎ落としている危険性。


論点① 普遍主義か個別主義か

認知メカニズムは、普遍的に神が信じられるのはなぜかという問いには答えられているかもしれないが、ある個人がなぜ神を信じているかという個別的な問いに答えているわけではない(アク・ヴィサラ2018年)。特定の人にだけなぜ宗教心が生まれるのかを説明できていない。

→個別事象の取り扱いは別の回答方法が必要で、両主義の長所・短所を取り上げたうえで異なるアプローチで対話するのが最善である。


論点② CSRは客観的な説明で、解釈ではないと言いきれるか

説明を行う際には解釈は必須であり、説明アプローチを用いる科学でも、意味や解釈の問題から逃れることはできない(ギャヴィン・フラッド1999年)

宗教者の行動や宗教者が使う言葉をそのまま受け入れずに、研究者が別の用語や概念に置き換えて説明する時点で、意味論の観点ではそれは二次的であり宗教現象と正しく一致した説明と言えるか担保できない(マーク・ガーディナー、スティーヴン・エングラー2015年)

CSRは文化や意味を考慮に入れない「文化消去主義」であり、無意識の認知に、文化的な意味や言語を組み込まなければならない(イェベ・シンディング・イェンセン2013年)


論点③ 「宗教」の概念の取り扱いかた

いかなる宗教の概念にも何らかの偏りが指摘できる。大きくは、宗教を集団活動とみなす定義と信念と結びつける定義の2つに分かれる。

  • E.O.ウィルソン「個人を説得し、集団の利益のためにその直接的な利己的利益を抑えさせるための過程」(1990年)
  • D.S.ウィルソン「人々が求める利益の生産のための集合的活動」(2002年)
  • アトラン「死や欺きといった人々の実存的不安を抑制する超自然的行為者の反事実的・反直観的世界に対する、ある共同体の負担の大きく偽りがたい参加」(2002年)
  • ボイヤー「観察不可能な、自然の外の行為者と過程に関する観念の群」(1994年)
  • ピュシアイネン「個人的な反直観表象およびそれと関連する実践や組織」(2001年)


既存の概念の再記述のみに陥らないように。「超越→超自然・反直観」「神→反直観的・超人間的行為者」など。

宗教(自然発生的で直観的で普遍的なもの)と神学(意図的で反省的で個別的なもの)の上下優劣をイデオロギーとして抱いていないか。どちらかを好むということの偏り。

組織化された宗教だけに着目しないこと。癒し手や霊媒師などの「非公式の専門家」に頼る人々への軽視。


論点④ 「科学」の概念の取り扱いかた

  • マイケル・ルース「科学はその定義上、ナチュラルで、反復可能で、法則に支配されるものを扱う」(1982年)
  • ウィルソン「世界についての知識を集め、その知識を検証可能な法則や原理に凝縮する、組織化された体系的な事業」(1998年)

というが、これらの科学の定義にも批判がある。

理論がテスト可能であることが科学の要件とされやすいが、創造科学をテストすることは不可能であり、反証主義では進化論も疑えてしまうことなど、さまざまな反例によって要件とは言えないことが明らかとなっている。

科学と宗教は対立物ではなく、どちらかというとそれは政治的対立だったのであり、神学も進化論から示唆が得られるように、両立可能といわれている。


まとめ

1.人間行動はどこまで普遍的共通要素により説明可能で、どこからそれが不可能になるのか。

2.自然科学と人文・社会科学の差異はどこまで認めることができるか。

3.社会的水準と生物的水準の双方を反映する視点はいかにして可能か。


科学が抱える「ナチュラリズム」という一つの宗教思想


9.11テロ以降に、神は妄想であるとして宗教批判をおこなったドーキンスは進化心理学やCSRに立脚したものであるが、その研究の理論選択が恣意的であり、つまり無神論原理主義ともいうべきイデオロギー性が批判されている。

(例)意識や心の存在は唯物論では説明できない、宗教を否定しない科学者もおり科学から必然的に無神論が導かれるわけではない

→現代科学がナチュラリズムを内包するかぎり超自然的存在は否定され、そのような世界観はイデオロギー的であって受け入れるべきではない。


ダーウィンの進化論が正しければ、生物は自然選択の産物でありそこに人生の意味や道徳は存在しなくなる。宗教を否定すれば代わりにどのような世界観、価値観を提供すればよいのかという問題が取り上げられている。

ドーキンスは、自然科学がもたらす自然への畏敬の気持ちは宗教心と比肩しうる価値観であると説き、科学は伝統的信仰より魅力的な観念としての「事実の宗教」と位置付けられうる。


「宗教的ナチュラリズム」の誕生

超自然(神、魂、天国など)は存在しないという仮定のもと、自然のなかで認識できる宗教的と呼ぶのにふさわしい出来事、過程、反応。科学的知識がもたらす世界観を信頼する中でも生まれる宗教的機能。自然が崇拝対象。


具体例① クロスビーの「自然教」

宗教の6つの機能を提示した。

  1. 独自性
  2. 優先性
  3. 浸透性
  4. 正当性
  5. 永続性
  6. 秘匿性


さらに、自然の四つの価値を提示した。

  1. 生物の行列(生物の歴史的な繫がり)は聖なるもの
  2. 生物多様性は聖なるもの
  3. バイオリージョン(特定の環境を有する生態学的な地域)は聖なるもの
  4. ガイアは聖なるもの

→自然は、宗教の6側面をすべて備えるから宗教たりうるとする。


宗教を「超自然的・超越的存在への信仰」とする定義もナチュラリズムでは否定でき、新たな定義として「意味や価値の源泉となるもの」が代表的。

神は宗教の絶対条件ではない。無神論でも、価値の完全で独立した実在性を受け入れる態度は経験であり宗教的態度といえる(ロナルド・ドゥオーキン2014年)。

科学的世界観が浸透した社会では、既存の宗教は衰退していくだろう。それと同時に、環境問題が深刻化して地球が破滅になった時、人間は新たな宗教を生み出し、それが宗教的ナチュラリズムだろう(ルー『宗教は神についてのものにあらず』2005年)


科学と宗教の共存の研究領域


イアン・ハーバーの「科学と宗教」の関係の4分類(2000年~2004年)

1.対立…科学と宗教の闘争は不可避

2.独立…科学と宗教は扱う対象も目的も異なり独立する

3.対話…宗教は科学が提起する問いに答えていくべき

4.統合…宗教と科学が協力し合って同一を目指す →これを目指す研究領域


CSRが取り上げる心の理論やHADDは、人間に備え付けられた「神の機構」ではないか。カルヴァンの「神性の感覚」の概念と一致し、それにより生み出された信念は誤りとは言えない。自然的な説明と超自然的な説明の双方が正しいのかもしれない(バレット2011年)。


神経科学と宗教を結びつけた「神経神学」

・人間の脳には、神的なものを感じて宗教体験を引き起こす能力がある(アシュブルック・オルブライト1997年)

・神秘体験は脳の活動と推定でき、人間には宗教活動をおこなう生物学的・神経科学的機構が存在する(アンドリュー・ニューバーグ2001年~2003年)


アーミン・ギアーツによる神経神学の批判(2009年)

1.宗教者の文化的・社会的文脈が無視されている。

2.宗教を体験に還元し、特定の専門家のみが宗教を特権的にアクセスできるというスタンスの問題。

3.科学と宗教を混ぜ合わせることはこれまでの研究でも問題点が指摘されている。

4.研究者が宗教的主張をおこなうことの問題。


意味管理理論

宗教は人生において究極の意味となり、それによって信仰者は実存的な諸問題に対処できるようになるので、宗教は人の幸福や精神的健康に肯定的効果をもたらすものとして人の利益になるから宗教は存在する。

進化生物学と同じく、宗教を信じることは人にとって利益があるという点で副産物ではなく適応の結果とするところに通ずる。また、現代においても宗教にメリットがあるという主張に通ずる。

(例)マインドフルネスなど、宗教の実践行為が精神的健康につながるとする臨床試験結果もあり、これらも宗教の現代における共存の一例として挙げられる。


科学と宗教の共存に対する批判点

・既存宗教の現世的な利益だけを略奪する点で、宗教の一面だけをくりぬいた危険性があり、倫理的な側面が考慮されていない。既存宗教にとっては対立の素にもなる。

・宗教の効果を取り入れた方法論は、それ自体が宗教側面を有することになり、宗教としての扱いを受けうること。

・宗教研究者と宗教実践者の境界が曖昧になり、宗教研究が神学的になり権力としての宗教組織との結びつきが生まれ、研究がイデオロギー的になるところに批判の余地がある。


まとめ

理論は、地域の社会的背景に影響される。

宗教的ナチュラリズム、無神論はアメリカ主体の現象。CSRはヨーロッパが中心。宗教の行程・否定にはキリスト教を母体とした議論にもなり、キリスト教圏の社会的背景で理論や議論が生まれる。

より多くの他地域での理論の社会参加が望まれる。


宗教研究においては、宗教者や神学的な研究を排除すべきではなく、宗教者がかかわることで有意義な議論が生まれる。宗教者が抱える前提と同様に、科学者も同等に前提を抱えて研究している。

そして、神学的ではないとされる科学研究においても、「宗教擁護/宗教批判/どちらの姿勢も見られない残余としての中立」のいずれのイデオロギーが窺われるかという批判的視点が向けられて、神学的立場と均等な関係になる。

イデオロギー的な偏りを意識すること。社会との結びつきにおいてバランスを欠いていないか、議論の中で修正を施していく。理論は、現実の社会・政治を動かす力を秘めており、だからこそいかに社会的・政治的問題を生み出しうるかまでを明らかにして批判していくことが求められる。


北米の宗教学と比較して日本国内の宗教学においては、本書で取り上げた科学的宗教理論の紹介・周知・議論が不足していた。科学的宗教理論を用いて宗教を研究する土台がこれで構築でき、同時に、科学的宗教理論の批判を踏まえて導入していく必要性も提示されている。

科学的宗教理論を批判的に導入する手順としては、

・科学の普遍主義(後天的な社会・文化の個別要素を下位に置く)は支持できるか、支持できないか。

・科学の還元主義(対象の要素を断片化)は支持できるか、支持できないか。

・科学の説明(文化や意味を消去して、研究者が外部の立場から宗教者の信念を別の用語に置き換えること)は支持できるか、支持できないか。

・神学批判(特定の宗教的信念を肯定する根拠を提供する研究への批判)は支持できるか、支持できないか。


筆者が挙げる具体的な論点としては、

・人間行動はどこまで普遍的共通要素により説明可能で、どこからそれが不可能となるのか。

・自然科学と人文・社会科学の差異はどこまで認めることができるか。

・社会的水準(後天的文化)と生物学的水準(生得的遺伝)の双方を反映する視点はいかにして可能か。

・科学の発展によって宗教がどのように影響を受け、新たな宗教が生まれたかを、対象化する必要性。(例)無神論、宗教的ナチュラリズム、神経神学の宗教的な要素の取り扱い。


2023年3月9日

倉石忠彦「道祖神伝承における自然石道祖神」(2023年)書評


倉石忠彦氏の論文「道祖神伝承における自然石道祖神」(『信濃』第75巻第1巻、2023年)は、道祖神の素材として用いられる岩石のうち、自然石のままでまつられた道祖神に着目して書かれた論考である。

挑戦的な研究・提言にあふれており、大きく4つに分けて紹介したい。


地質環境と照らし合わせた取り組み


長野県を例にして、本考では地質環境と自然石道祖神に相関関係があることを論ずる。

よく知られるとおり、長野県は南北に中央構造線が走り、松本盆地から静岡にかけて糸魚川・静岡構造線が走る地質環境にある。

倉石氏は、この地質図に自然石道祖神の分布と、その対比として道祖神碑石(人工的に整形された道祖神)の分布の種類の分布図を作成した。

その結果、道祖神碑石はフォッサマグナ内外に分布しており地質との関係は明確でないのに対し、自然石道祖神は大きく千曲川流域、犀川中~下流域、天竜川上流~三峰川流域の3か所に分布が色濃いことがわかった。

そして、前2者はフォッサマグナ内の堆積岩・火山岩を主たる地質で共通し、最後者は一部異なる地質をみせるもののフォッサマグナの西側に分布するという特徴をもち、その意味が何を示すかは不明ながらも「地質環境が自然石道祖神に何らかの影響を与えているだろうことは推測される」と評価した。


一つ一つの自然石道祖神の岩石の種類が同定されている段階ではないということで、倉石氏はこれ以上の言及を避けるが、道祖神以外の自然石信仰を分布に落としたならどのように展開が運ぶか興味深いところである。

私も常々、岩石を取り上げる一人として地質や岩石鉱物との比較分析を試みたいと考えているが、難作業でありなかなか手が付けられていない。

地質環境が伝承文化にも影響していることに着目する研究は、近年、地質学者からも挙がっている。日本列島が変動帯のなかにあるということをもって、変動帯から起因するさまざまな地質的特徴が日本文化の独自性に影響を及ぼしたとの仮説をもつ方もいる。

このように、民俗信仰を人文学の文脈のみで語らず、「岩石」という自然環境との関係で位置づけようとした点が挑戦的である。


道祖神の認識過程 ~自然風景が神になるまで~


本考には「道祖神の認識過程」としてまとめられた図が掲載されている。

これが、道祖神にかぎらず、世界をどのように認識して神を知覚するかという流れも論ずることができそうな、大変普遍的なものとなっている。

  1. まず、非文化としての無秩序・混沌な「バ(場)」「シゼン」があり、
  2. その「バ」「シゼン」の中で、人が体系化した「文化」の中で「自然」を認識して、
  3. 文化の中で位置づけられた自然は「風景」となり、
  4. その風景の中に、石が認識され、
  5. 伝承文化の影響下で、石が「碑石道祖神」「自然石道祖神」として知覚される。


ある人が見れば単なる自然石でも、ある人にとってはその石は神なのだとする、この同一物に対する二つの反応の違いを、背景となる「文化」の違いから切り分ける考え方と言える。


「自然」の中に「石」を見出し、それが伝承者の伝承の世界観のなかで位置づけられ、その一つが道祖神となるというくだりは、言語化されていなかった認識の機微をさらに丹念に選り分けてみていけそうだと感じた。


自然という風景の中で、しばしば石が目に止まる時がある。

これは私の考えだが、この「目に止まる」という反応は、一種の「異物感」があるということなのだと今は理解している。

異物感に対する不安定な感情が、その人自身の思想背景の中で理屈(安定)を求めることで、異物感への一種の解消をおこなった結果が道祖神であり、また、ほかの何かの機能・性格に分かれるのではないか。

倉石氏は、不変でありながら成長するという相反した石の感情があると例示しているが、こういった相反した不安定さも、石への異物感につながるのかもしれない。


また、神の気配を認めるための形状は人によって広がりがあり、だから依代は一定の形状や岩石のみを持つわけではなく、それが現状の自然石信仰のバリエーションにつながっているという指摘にも同意したい。


自然石道祖神の形態分類


本考では、自然石を形態から分類しようとする挑戦的な案が提示されている。


私の場合は、これまで機能の分類で岩石信仰を整理してきた。

その理由は、自然石は自然物なのだから、それらは意図しない造形をしており、その不整形、多面的な形状を分類することの至難さもあるし、人としての意図がないものを分類することの無意味さを感じることによるものだった。


しかし「道祖神」として知覚された自然石の一群を分類することは、人が自然風景の何に(道祖)神を見出したのかという点で、価値あるものと思う。

倉石氏は、長野県内の自然石道祖神の事例を集成したことで、自然石道祖神をA・B・C・Dの4つの大きさ、E・Fの2つの形状、G・Hの祭祀形態に分類した。


法量による分類

  • A 小型自然石 … 20㎝未満
  • B 中型自然石 … 20㎝以上~200㎝未満
  • C 大型自然石 … 200㎝以上
  • D 巨石


形状的分類

  • E 自然石
    ①定型 … a.球形 b.性器形態石 c.仏塔残欠
    ②不定型 … a.多孔石塊 b.多瘤石塊 c.多棘石塊 d.その他
  • F 巨石


祭祀形態分類

  • G 放置石
    ①単独放置
    ②集積放置
  • H 碑状立石
    ①単独立石
    ②列石


自然石の形態分類として一つの画期と言え、今後、本考を元に他の自然石信仰も研究されていくべきだろう。


なお、巨石の自然石道祖神の例はほとんど確認されていないらしい。たしかに私もほとんど頭に思い浮かばない。

データをたどって1つだけ思い当たったのは、佐賀県佐賀市の下田山(通称「巨石パーク」)にある「道祖神石(さやのかみいし)」と呼ばれているものである。人々の道中安全の守護神とされ、3つの岩石がいわゆるドルメン状に集積しており、若干の室状空間を形成している。いわゆる自然の巨石と言える規模だ。

下田山の道祖神石

ただし、この道祖神石がいつから道祖神と呼ばれているのかは歴史的にたどれていない。本例においては昭和10年代までその名を遡ることはできたものの、当時、これらの巨石を一種の町おこしに利用した歴史があり、その時に道祖神石の名前が後付けられた可能性がまだぬぐえない。参考の参考として付記しておく。


自然石道祖神 調査項目表の提案


そして、本考末尾に掲げられた「自然石道祖神 調査項目表」の案にも触れなければならない。

一見してとても有用性の高いもので、調査項目の種類、そしてその細目の一つ一つから、倉石氏のこれまでの研究の蓄積を読みとれる。

倉石忠彦「道祖神伝承における自然石道祖神」(2023年)掲載


以下、本調査票に対しての私の所感を記す。


・呼称

岩石1個1個の名称と、岩石が寄り集まって群をなした状態での名称に違いがあるケースを熟知した項目分けになっている。


・自然石はどのようなところにまつられているか

この項目は、路傍・辻といった道の立地、または碑石型道祖神とのセット関係があって、初めてその自然石が道祖神として把握されることがわかる。


・自然石道祖神の祭祀形態

先述した形態分類の項目となる。

道祖神から離れても、単独存在であるか集積存在であるか、定型として括れるような形状かそうではない不定型か、不定型なら多孔・多瘤・多棘のいずれかといった分類は自然石信仰において示唆に富む。


・まつられている自然石の種類

産地の項目があり、それが必ずしも自然科学的な分析ではなく、①村内(どこにでもある) ②地域外(産地から運んでくる) ③川原から拾ってくる ④その他 となっており、その石を何と呼んでいるかといった聞き取りも含めて、現地の方からの視点に立脚した民俗学的なアプローチと言える。


・自然石を道祖神としてまつるようになったことについての言い伝えはあるか

2段階の聞き取り項目となっており、単に言い伝えの有無を記録するだけでなく、「同じような形の自然石を、道祖神として追加することがあるか」という2段階目がある。

信仰を定点的なものとせず、時間軸の中で変化する可能性を理解し、自ずと、未来に変化する可能性についても記録するという所に独自の着眼点がある。

さらに、その理由としても「神体として追加する」「奉賽物として追加する」「何ということなく道祖神のところに持ってくる」の3細目が用意されているのが奥深い。研究者が早急に理由付けず、「何ということなく」という反応を記すことは重要である。


・自然石はどのように扱われるか

この項目では、大きく「まつりの時」と「まつりの時以外」の2パターンを記録する。

まつり以外での岩石の用いられかたに目を配ることで、年間・季節・天候・昼夜といった環境変化で岩石の認識、位置づけが変化する可能性に着目している。それはひいては、岩石と神の関係性を解く鍵にもなりうるだろう。


道祖神をテーマにした調査票ではあるが、上記に所感を織り交ぜたとおり、私自身も自らの岩石信仰の調査にも取り入れたいと刺激を受けた部分が多々ある。

かつて私は「岩石祭祀事例の調査表」を作成したことがあるが、ここに今回の自然石道祖神を反映してアップデートし、複数の現場で試行錯誤してみたいと思う。


2022年7月17日

論文紹介「『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか―奈良時代以前の岩石信仰と祭祀遺跡研究に資するために」(2022年)

『地質と文化』第5巻第1号(2022年6月30日発行)に論文を発表しました。


『古事記』『日本書紀』『風土記』は岩石をどう記したか
―奈良時代以前の岩石信仰と祭祀遺跡研究に資するために―


・論文(掲載誌オンライン公開pdf)
https://drive.google.com/file/d/1Mi3lGIblp-0D_SOXAdxTO2u1YI-IsonD/view

・論文使用データ(excel)
https://researchmap.jp/multidatabases/multidatabase_contents/download/542368/bccf29a0d97bee9f7e3f5397cb8d71b6/26280?col_no=2&frame_id=1068049

――目次――

1.問題の所在

2.論点の整理

2-1.先行研究の整理方法
2-2.論点その1 岩石に帯びる普遍的な精神性とは
2-3.論点その2 神は岩石に対してどのように宿ったか
2-4.論点のまとめ

3.『古事記』『日本書紀』『風土記』における岩石記述のデータ化

3-1.分析史料
3-2.分析方法
3-3.岩石の精神性に関する記述
3-4.岩石とともに登場する自然物の記述
3-5.岩石の機能に関する記述

4.神の宿りかたについての再検討

4-1.石神に関する記述
4-2.磐座に関する記述
4-3.磐境に関する記述
4-4.神の宿りかたに関する記述

5.まとめ

補遺

――――

本文34ページ、表37ページの計71ページです。
字数制限のない掲載誌でしたので、それに甘えて論文としても長くなりました。お時間のある時にどうぞ。

自己書評

本論文のダイジェストは、論文冒頭に載せた要旨のとおりですが、論文紹介も兼ねて、著者なりのポイントを章別にコメントいたします。

■ 1章(問題の所在)

問題の所在は、2002年の頃から私の中ではずっと変わっていません。
その状況を動かすために、論文を書いているのだと思います。
毎回同じ問題を取り上げているなと思われたヘビーユーザーの皆様がおられたら恐縮です。

今回は「時間軸・空間軸を絞ること」「他の時代や外国の史資料に安易に依拠しないこと」をテーマに置いています。
論文サブタイトルが示すように、私の最終研究テーマは文献登場以前の岩石信仰にあります。
その土台は、まず国内最古級をもっとも遡及できる文献群『記紀』『風土記』に求めました。
ですので、文献登場以前を解明する論文ではなく、「隣接」することが目的だと書きました。

なお、『萬葉集』もその点においては有用な史料ですが、歌謡を明示的に解釈することは現状難しいため分析からは外しました。いつか、分析の手立てが自分なりに掴めればと思います。

■ 2章(論点の整理)

先行研究をまとめた章です。
ただし、網羅的にはまとめていません。紙幅が足らないのと、論点がぼやけるのが理由です。
査読のなかで、取り上げる論点についてさらにわかりやすくできないかとご意見もいただいたので、最終的には「論点その1」と「論点その2」に節を分けて、最後に箇条書きで論点を書きだしたという流れです。

研究史は、各研究者の研究紹介を事実面で記していくのが基本形です。
しかし、特に石井匠氏の研究については本論の研究方針を決定づける内容でもあったため、本論では研究史の中で石井氏と私の立場を対比することにボリュームをとりました。

■ 3章(データ分析)

本論文のメインとなるデータ分析の章です。
掲載誌が地質学分野ということもあり、分析史料である『記紀』『風土記』についての基本的な紹介にも紙幅を割きました。時折、歴史学畑の方には初歩的な記述や注もありますがご寛恕を。
概要とはいえど、いざ文章にしようとすると下手なことは書けず、国文学の先学にかなり頼っています。

さて、本論文に自己批判を入れるとしたら、データ分析の手法が正しいかということです。

本論では、岩石の記述を文の固まりで1事例化しましたが、文献記述は本来定性的なものでそれを定量化することには困難が伴います。
だから、単語単位で分析をかけるテキストマイニングであればまだ大方が肯定される範囲ですが、意味のある文章の固まりで1事例とするとその事例の分け方に恣意的なリスクが出てきます。

たとえば、岩石の単語が1カ所しか出てこない記述を1事例とするのと、岩石の単語が一文に複数出てくる記述を1事例とするのを、同じ1事例と扱ってよいのか。
悩むところでしたが、データとしては同じ1事例でも、分析項目別に数値化してその数値を考察に用いれば問題は解消されると考え、「岩石の精神性」「岩石とともに登場する自然物」「岩石の機能」の3つのアプローチで3種のデータを考察に用いる形で対応しました。

もう一つの自己批判点は、精神性や機能といった定性的評価に陥りやすいものを認定する際に、分析者各自で揺らぎが出ないかという問題です。
基本姿勢は、本論文中で記したとおりです。文字に書かれていること以上の暗示的解釈を極力省くことで、どなたがみても肯定いただけるレベルまで消極的評価にこだわりました。さらに、生データもさらけ出し、細部においてもマスクデータをなくすようにしました。

それでも多少のデータ解釈の揺らぎはあることと覚悟しています。
しかしそれはいわゆる誤差の範囲内に収まると認識しており、第5図、第6図、第10図などに示したグラフの各要素の比率などについては大きく評価が変わるものではないと考えています。

いずれにしても、他者(この場合は『記紀』『風土記』という時代の離れた他者)の文章を現代人が論理的文章という論理の中で定性的に解釈することの限界を感じて、最低限明示できるデータを提示することに価値を置いたのが本論文です。

■ 4章(考察)

3章のデータを受けて、本論の結論部分となる考察の章です。

一見、3章のデータと絡まない独立した章のようにも見えますが、石神においては第4表に「岩石の精神性」「岩石とともに登場する自然物」の分析項目を入れて、p.25~p.26でわずかながらできうる歴史叙述もおこないました。
磐座は、その石神に対する対比としての第5表とp.27~p.28の奈良~平安時代の歴史叙述。
磐境は、よくいわれる磐座と磐境の異同性について、岩石の精神性から概念差を論じました。
ほかにも、私なりに考えていた石神・磐座・磐境に関する着想や視点を諸々ちりばめたつもりです。その評価はいつか登場するだろう後学に託します。

最後の第4節では「神の宿りかた」の考察を据えて、研究史で触れた笹生衛氏の「坐す神」論について私見を述べました。
論文ですので批判めいた部分もありますが、真っ向から否定しているような「択一的」な考察ではありません。
目指したのは、択一・収斂ではなく多様性・個別性の提示です。「坐す神」も存在することを認めたうえで、それだけではない信仰のありかたを岩石信仰の領域で指摘したものになります。

現在の祭祀考古学の主流が、やや一面的な方向で世界観が固定されていることに危惧を感じたのも、本論文の執筆にとりかかった動機の一つです。
文献登場以前の信仰世界を研究する際の、ある種の揺り動かしが成功していたなら私の問題意識はかなえられたと言えます。

■ 5章(まとめ)

まとめは第11図に込めました。

第11図の諸要素に「ほか」と補足したのは、この概念図が未成であり、今後の研究の中で批判されながら拡充されていくべき期待を込めています。
なぜなら、個々人の世界観は多様であり、一人がその歴史を語りきることはまだできないと自覚しているからです。

2011年の『岩石を信仰していた日本人』では、第11図のうちの「選択」を取り上げました。
2022年の本論文では、第11図の「現象」を取り上げました。
今後は、迂遠的にはなりますが、第11図の「背景」を追究していく必要性を感じます。

それと同時に、本論文で提示した岩石の精神性、機能などが本来私が関心を持つ文献登場以前の時代にどこまで蓋然性をもてるかの追究も必要です。

一つの方向性は、たとえば奈良時代以外のほかの時代の史資料でも同様のデータ分析をおこない、その数値化をおこなうことで、もし本論文と同傾向であれば時代を超えた普遍性と言える蓋然性は上がります。一方で、そうではない傾向が出れば安直な文献以前への当てはめは戒めなければなりません。前向きに言えば、岩石信仰の多様性・個別性はさらに具体化される結果になったとも評価できるでしょう。

時間軸だけでなく、空間軸でも同傾向か異なる傾向かをはっきりしていくと、人間の普遍性にいきつくか人間の個別性にいきつくかを見定めることも可能です。
その点では、海外における岩石信仰の諸文献も同様のデータ分析が求められますが、私一人でどこまでいけるやら、という気の遠くなる展望を書きました。

■ 補遺

本文より頁数の多い37ページです。
『地質と文化』編集委員会の方々には、そもそも表を掲載する紙幅も含めて検討、調整を重ねていただきました。
表のExcelデータ散逸を危惧して、紙媒体で将来的に残せるように掲載していただきました。

Excelデータがオンライン公開されているうちは、インターネットでExcelファイルをダウンロードして、項目別にフィルターをかけたほうが参照しやすいです。

本記事の冒頭にもダウンロードリンクを貼りましたが、pdf論文内の注20からリンクも飛べるようにしてありますので、お手数ですが論文本文は印刷してExcelはパソコンで開いて照らし合わせるのが一番読みやすいのではないかと思います。


電子ジャーナル掲載であれば、ネットから消えない限りは多くの読者の方に開かれた状態で、今後検索の便にも果たせるかと願っています。
一人でも多くの方に届けば著者として幸甚です。お力をお借りできるのなら、皆様からお知り合いの方へのご紹介もよろしくお願いいたします。

2021年10月3日

石を使った祭祀儀礼には、どのような種類がありますか?


吉川さんのやっていることがやっとわかりました。地質のほうだと思っていました!


周りの人には、私の趣味が石ということは伝えています。

石が好きと伝えておくと、思ってもみなかった情報を不意にいただくこともあるからです。

しかし、それ以上の自分語りは説明しにくいので控えています。


鉱物や宝石、ときには化石に関するニュースやイベントを○○で見たよという情報をいただくことがあります。

多いのは、ブラタモリで取り上げられたときと、三重県民ということから2021年は三重県総合博物館(MieMu)の企画展「やっぱり石が好き!三重の岩石鉱物」のお知らせもたくさんいただきました。


そのいずれも、石に関心を持っていただいたことを踏まえて、大変ありがたい思いでいっぱいです。

でも、石そのものというより、石と人の関係、とりわけ岩石と祭祀の歴史にやはり真の興味があるのです。


岩石と祭祀(信仰・宗教)というワードの2つが結びつかないことが多いようで、また時には宗教くさいのも敬遠されると考え、神社やお寺でまつられている石、山の中の巨石、奇妙な形をした石とか、相手によって手を変え品を変えイメージのすり合わせをおこないます。


私自身は使わない言葉ですが、最近ではパワースポットやパワーストーンという言葉でイメージしやすくなった面もあります。磐座(いわくら)はまだ通じないですね。

それでも、これらのイメージはどちらかといえば「まつられている岩」のほうで、岩石信仰のもう半分の側面は「石でまつること」、つまり、岩石を使った祭祀儀礼にあります。

まつられている岩に対して、祭祀儀礼の道具に使われている石はさらに地味なのか、伝わりにくく、さらに、文章としてしたためられる場面もそこまで見ません。


前置きが長くなりましたが、ここでは、岩石を使ったさまざまな祭祀儀礼をパターン別に紹介しようと思います。

祭祀という行為は、人が神仏に願いを届けるために、あれこれと働きかけた行動パターンと言い換えることもできるでしょう。

その視点で岩石の祭祀を見つめてみると、岩石をそういう風に使うんだという驚きにあふれています。それはそのまま、人間の心がみんな一緒ではなくて当然だということを表しているんだと思います。

目次別に列挙しました。これ以外の祭祀儀礼のパターンも募集中です。情報をどんどんお寄せください。


岩石を置く

・祭祀対象にする (類例)沖ノ島21号遺跡(福岡県宗像市)

・鎮める・供養する (類例)水枕石(岡山県新見市)

・信仰対象が喜ぶ (類例)大瀬神社の石奉納(静岡県沼津市)

・墓標の代わりにする (類例)大興寺の子生まれ石(静岡県牧之原市) 

・聖域であることを示す (類例)稲荷山神蹟(都府京都市伏見区)

・過去の歴史を偲ぶ (類例)今宮神社の偲石(埼玉県秩父市) 


岩石を積む

・信仰対象が喜ぶ (類例)尾張富士の石上げ祭り(愛知県犬山市)

・鎮める・供養する (類例)恐山の積石(青森県むつ市)

・功徳を積む (類例)岩舟山の賽の河原(栃木県下都賀郡岩舟町)

・自分を清める (類例)富士塚(静岡県富士市)

・子宝安産祈願 (類例)滝尾神社の子種石(栃木県日光市)

・神聖なものを秘匿する (類例)貴船神社の船形石(京都府京都市左京区)


岩石を並べ立てる

・聖域であることを示す (類例)中庄八幡神社の建石(徳島県三好郡東みよし町)


岩石を敷きつめる

・聖域であることを示す (類例)一宮神社の古代祭場跡(福岡県北九州市)

・お産の場所にする (類例)梅宮大社の産砂(京都府京都市右京区)


岩石の上に座る

・座禅・読経・説法・祝詞を読む (類例)身延山の高座石(山梨県南巨摩郡身延町)

・信仰対象が憑依する (類例)賀茂別雷神社の岩上(京都府 京都市北区)

・身ごもる (類例)秀常寺の弘法大師腰掛け子授け石(埼玉県飯能市)

・病気が治る (類例)脚気石神社の脚気石(山梨県甲府市)

・子供の健康につながる (類例)佐久神社の要石(山梨県笛吹市)

・飲食・花見・相撲など集落行事を催す (類例)たいち墓(岡山県和気郡和気町)


岩石をなでる、さする

・病気が治る (類例)頭之宮四方神社のお頭さん(三重県度会郡大紀町)

・霊力を分けあたえてもらう (類例)野宮神社の神石(京都府京都市右京区)

・罪が消える (類例)石老山の文殊岩(神奈川県相模原市)

・子宝安産祈願 (類例)安産もたれ石(滋賀県高島市安曇川町)


岩石に抱きつく

・子宝安産祈願 (類例)岩角山岩角寺の懐胎石(福島県本宮市和田東屋口)


岩石を腰に挟む、巻きつける

・鎮める (類例)鎭懐石八幡宮の鎭懐石(福岡県糸島市)


岩石を動かす

・雨が降る (類例)御座石神社の雨乞石(秋田県仙北市)

・信仰対象の意思に基づいて動かす (類例)石神社の石神(愛知県岡崎市)

・岩石の祟りを鎮める (類例)弁慶石(京都府京都市中京区)

・村に持ってきて信仰対象にする (類例)国津神社の白石(奈良県奈良市)

・自分の力を誇示する (類例)藤森神社のかへし石(京都府京都市伏見区)

・吉凶を占う (類例)湯宮神社の動き岩(長野県下高井郡山ノ内町)


岩石を持ちあげる

・病気が治る (類例)今宮神社の阿呆賢さん(京都府京都市北区)

・吉凶を占う (類例)ためし持ちの石(福井県三方郡美浜町)

・自分の力を誇示する (類例)江島神社の力石(神奈川県藤沢市) 


岩石を叩く

・雨が降る (類例)龍石(富山県魚津市)

・念仏の調子をとる (類例)青龍寺の念仏石(京都府京都市東山区)

・吉凶を占う (類例)元伊勢内宮皇大神社のカネの鳴る石(京都府福知山市)


岩石を割る

・吉凶を占う (類例)破磐神社のわれ岩(兵庫県姫路市)


岩石を投げる

・祭祀場を決める (類例)三女神社の三柱石(大分県宇佐市)

・吉凶を占う (類例)石刀神社の胴体岩(愛知県一宮市)

・供養する (類例)朝比奈地区の石投げ(静岡県志太郡岡部町)

・子宝祈願 (類例)礫石(三重県飯南郡飯高町)


岩石を拾う

・奉納物に使う (類例)石取祭における町屋川の栗石(三重県桑名市)

・魔除厄除に使う (類例)水見色地区のハマゾウジ儀礼(静岡県静岡市)


岩石を持ち帰る

・子宝安産祈願 (類例)石體神社の石塔(鹿児島県霧島市)

・お守りにする (類例)笠森稲荷の赤石(静岡県磐田市)

・祭祀対象にする (類例)川上山若宮八幡神社の御石・お返り石(三重県津市)


岩石の一部を欠く

・お守りにする (類例)猫石(神奈川県三浦市)

・飲み薬にする (類例)釜壇の石(神奈川県横浜市)

・別の祭祀場に転用する (類例)劔主神社の白石(奈良県宇陀市) 

・火打石にする (類例)甑石(愛媛県松山市)


岩石にたまった水をすくう、かきまぜる、入れかえる、増減を見る

・雨が降る (類例)石船神社の大石(茨城県東茨城郡城里町)

・病気が治る (類例)いぼ石(岐阜県恵那市)

・吉凶を占う (類例)大師の硯石(奈良県山辺郡山添村)


水をかける、水に漬ける

・雨が降る (類例)猪田神社の雨石(三重県伊賀市)

・雨を止める (類例)猪田神社の晴石(三重県伊賀市)

・岩石を清める (類例)こだま石神社のこだま石(静岡県榛原郡川根本町)

・病気が治る (類例)花の窟神社手水所脇の丸石(三重県熊野市)

・信仰対象が喜ぶ (類例)母智丘神社の陰石(宮崎県都城市)

・岩石の祟りを鎮める (類例)三島神社の竜宝石(愛媛県四国中央市)


岩石の上で何かを燃やす

・吉凶を占う (類例)ナギガエシ儀礼のマスカケ石(石川県小松市)

・雨が降る (類例)笹ヶ岳のヨイッサン(三重県伊賀市)


岩石の上に登る

・修行 (類例)本宮山のめいめい岩(愛知県豊川市)


岩石の上に立つ

・足が丈夫になる (類例)晴明石(神奈川県鎌倉市)

・子供の健康につながる (類例)七日子神社の小児寿福石(山梨県山梨市)

・修行 (類例)伊吹山の行者岩(岐阜県不破郡関ヶ原町~滋賀県米原市)

・雨が降る (類例)押戸石山の押戸石(熊本県阿蘇郡南小国町)

・遥拝する (類例)拝ヶ石(熊本県熊本市)

・人を集める (類例)貝吹山の貝吹岩(京都府木津川市)


岩石から岩石の間を歩く、飛びうつる

・吉凶を占う (類例)地主神社の恋占いの石(京都府京都市東山区)

・修行 (類例)大峯山の両童子岩(奈良県吉野郡天川村)


岩石の周りを回る

・願いを叶える (類例)知恩院の瓜生石(京都府京都市東山区)


岩石をまたぐ

・子宝祈願 (類例)梅宮大社のまたげ石(京都府京都市右京区)


岩石の割れ目や岩穴をくぐる

・吉凶を占う (類例)神行堂山の巨石(宮城県本吉郡南三陸町)

・聖域であることを示す (類例)太郎坊宮の夫婦岩(滋賀県東近江市)

・禊祓となる (類例)立石寺の胎内くぐり(山形県山形市)

・健康祈願 (類例)姥宮神社の胎内くぐり(埼玉県児玉郡寄居町)

・縁結び祈願 (類例)岩角山岩角寺の胎内くぐり(福島県本宮市)

・安産祈願 (類例)筑波山の母の胎内くぐり(茨城県つくば市)


岩石のなかで死ぬ

・葬る (類例)仙ヶ岳の仙の石(三重県亀山市)


岩石に仏を刻む

・祭祀対象にする (類例)岩面大仏(岩手県西磐井郡平泉町)

・功徳を積む (類例)石山観音(三重県津市)


岩石に文字を刻む、書く

・祭祀対象にする (類例)猪子山の烏帽子岩(滋賀県東近江市)

・鎮める (類例)小夜の中山の夜泣石(静岡県掛川市)

・願いを込める (類例)車折神社の祈念神石(京都府京都市右京区)


岩石の上に物品を置く、立てかける、貼りつける

・信仰対象が喜ぶ (類例)伏見稲荷大社の御饌石(京都府京都市伏見区)

・霊力を分けあたえてもらう (類例)建鉾山の建鉾石(福島県白河市)

・奉納物を清める (類例)鮭神社の俎石(福岡県嘉麻市)

・神輿の一休み (類例)賀茂神社の休め石(群馬県桐生市)

・魔除厄除に使う (類例)送り狼石(奈良県山辺郡山添村)

・信仰対象が憑依する (類例)榛名神社の御姿岩(群馬県群馬郡榛名町)

・縁切り・縁結び祈願 (類例)縁切り・縁結び祈願石(京都府京都市東山区)

・雨が降る (類例)鍋石(静岡県浜松市)


岩石に物品を収納する

・信仰対象が喜ぶ (類例)山王神社の夫婦岩(京都府京都市右京区) 

・霊力を分けあたえてもらう (類例)岩蔵の大岩(東京都青梅市)

・鎮める・供養する (類例)恵北高椅神社の包丁塚(岐阜県中津川市) 

・経塚にする (類例)蓬莱山遺跡(和歌山県新宮市)

・祭祀対象を安置する (類例)枡形岩(奈良県山辺郡山添村)


岩石をくりぬく

・祭祀対象を安置する (類例)竪破山の堅破和光石(茨城県多賀郡十王町)


岩石を蓋代わりにする

・下に道具を納める (類例)火振遺跡(静岡県伊豆市)

・鎮める (類例)多倍神社の首岩(島根県出雲市)


穴の開いた岩石を選ぶ

・病気が治る (類例)荒滝観音堂の耳石(山口県宇部市)

・遥拝する (類例)覗き石(高知県高岡郡檮原町~愛媛県上浮穴郡久万高原町)


岩石の上に仏像や寺社を築く

・台座にする (類例)長谷寺の金剛寶磐石(奈良県桜井市初瀬)

・鎮める (類例)大甕倭文神社の宿魂石(茨城県日立市)


岩石を磨く

・鏡面を保つ (類例)金鑽神社の鏡岩(埼玉県児玉郡神川町)


岩石を真綿や和紙で包む

・神聖なものを秘匿する (類例)こだま石神社のこだま石(静岡県榛原郡川根本町)


岩石に藁の鉢巻をかける、正月飾りをする

・病気が治る (類例)オコリ石(青森県東津軽郡平内町)