ラベル 栃木県 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 栃木県 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年6月25日

岩船山の岩石信仰(栃木県栃木市)


栃木県栃木市岩舟町静 岩船山高勝寺

 

船形の山容をもち、岩肌が各所に露出しているところから岩船山(標高172.2m)の名がある。

山腹には岩船山高勝寺があり、関東の高野山、関東の善光寺、日本三大地蔵などの異名も有す。いわく、岩船山は故人の霊魂が宿る山と信じられ、高勝寺は故人の供養、子供の安産や子育てなどの霊験を包括する霊場として篤い信仰を集めた。現在、境内には水子供養のための「賽の河原」や、罪を犯した女性が堕ちるといわれる「血の池」などが残る。

岩船山(2005年撮影)


高勝寺境内の卒塔婆群

賽の河原


宝亀元年(770年)に弘誓坊明願が、岩船山北尾根にある船形の岩で地蔵尊と出会ったのが岩船山信仰の始まりといわれる。

この船形の岩は「岩船」「奥の院地蔵」と呼ばれ、一帯が高勝寺の奥の院として聖性視されてきた。


しかしながら、奥の院地蔵に辿り着くまでの尾根道は両側とも急峻な崖に挟まれており、地蔵橋という鉄橋が渡されていたが崖崩壊の危険性があるので、私が訪れた時(2005年)には立入禁止だった。

その後、2011年の東日本大震災によって、地蔵橋を含めた一帯が山体ごと崩落したと聞く。奥の院地蔵の岩船そのものは残存しているようだが、そこへ行きつく道の復旧予定はなく、奥の院は立入禁止エリアの手前に移設されている。

移設後の現・奥の院。奥に続く道は立入禁止。

岩船山は良質の岩舟石(安山岩質角礫凝灰岩)が採掘できるため、江戸時代以降、山中各所で採石が進み山体が大きく変容した。現在崖だらけなのはそのためである。

岩肌の露出する山を霊山として神聖視したところから始まっているはずなのに、その岩肌を採掘してしまうに至るその心の流れが興味深い。山を守った人々と、山を削ろうとした人々にあったはずの衝突の歴史が気になるところである。


最後に、岩船山研究の最新トピックも紹介しておきたい。

近年、岩船山をフィールドに調査研究を進める林京子氏らのグループが、ドローンを使って奥の院地蔵の岩船を撮影して、その結果、岩船上で「ブロッケン現象」が発生することを確認した(林氏、2023年)。

ブロッケン現象とは、山上などにおいて太陽の当たり具合によって人型の影や、光の輪のようなものが見える自然現象である。仏教における「光背」の概念との関係も深く、山がなぜ神仏と出会える他界・異界となりうるかを自然科学の観点から説明できる一説として注目される。

岩船山におけるブロッケン現象の撮影は、YouTube動画でも公開されている。



参考文献

  • 「日本三大地蔵 子育て子授け地蔵 岩船山」(高勝寺由緒書)
  • 林京子「寺社縁起と『近世王権神話』―栃木県栃木市岩船山高勝寺の事例から―」『宗教民俗研究』第33号 2023年

2019年7月8日

日光滝尾神社と滝尾道の岩石信仰(栃木県日光市)


栃木県日光市山内 滝尾神社

滝尾(たきのお)神社は、日光三社権現(日光二荒山神社本社・本宮神社・滝尾神社)の一つとして知られる。
女峰山(標高2483m)に、祭神の田心姫命が降臨したといわれ、その麓に滝尾神社がまつられた。

日光三社権現の中では最も山奥に鎮座し、ひっそりとした参道を進んだところにある。
しかし、日光東照宮の鎮座以前は参詣の中心地だったとされ、盛時には五百坊にも及ぶ院々僧坊が立ち並んでいたとも伝えられる。

日光東照宮より滝尾神社に至る参詣道を滝尾道と呼び、この道沿いに複数の岩石祭祀事例が見られるのでまとめておきたい。

仏岩・陰陽石

仏岩

仏岩

滝尾道の途上、日光の地を開山した勝道上人をまつる開山堂がある。

その背後に仏岩と呼ばれる岩壁がそびえる。
岩壁の頂部に岩峰状の突起が並んでおり、それを仏と見立てたことにちなむといわれるが、いつの時代かに崩落したようで今はその突起を確認できない。
その代わりに、岩壁の前に6体の仏を並べ、そのよすがを伝えている。

仏岩の上部にはかつて勝道上人の遺骨を納めたといい、その後、日光東照宮を建てた時に仏岩の下に移され、当地には墓所と開山堂が作られたという。

開山堂と並んで観音堂があり、その左手に陰陽石と呼ばれる2体の石があるが探訪当時知らず見落とした。


北野神社

北野神社

北野神社から仏岩を撮影


仏岩の近くに、江戸前期、菅原道真を勧請した北野神社がある。
石祠の背後に岩塊を置き、その表面に天満宮の神紋を刻印しているという特殊な形態をもつ。
神社の神域を構成する磐境のごとく景観演出されている。


手掛石(てがけいし)

手掛石

北野神社の近くに手掛石がある。
田心姫命が手を掛けたという岩石。
北野神社を参った後にこの石に手を掛けると字がうまくなるとも、学力向上するともいい、北野神社と関連する岩石信仰を伝えている。

「手欠け石」の別称もあり、手で石の一部を欠き、そのかけらを神棚に供えると学力向上するという祭祀もかつてあったようだ。
時代の流れもあり、 現在は岩石を欠ける行為は控えられていると言えるだろう。


影向石(ようごうせき)

影向石

影向石(背面から)

川を渡り、滝尾神社の境内に入ったばかりのところに影向石がある。

弘仁11年(820年)、弘法大師が田心姫命と出会った場所とも、後年、勝道上人が地蔵尊と出会った場所ともいわれる。
磐座の仏教版解釈とも言える「影向」のスタンダードな祭祀事例であり、滝尾神社の神の最初の顕現地としての聖跡であるとも評価できる。


運試しの鳥居

運試しの鳥居。額束に穴が開いている。

運試しの鳥居は、元禄2年(1689年)に奉納された石鳥居である。
額束の部分の丸い穴を開けられている。
石を三回投げ、この丸い穴に何回通ったかで運を占う。
立派な岩石祭祀と言える。


無念橋

無念橋
三本杉


境内にかかる無念橋を渡ると、俗世と縁を切り、最も神聖な場といわれる三本杉に至る。
三本杉越しに、遥か遠くにそびえる女峰山を遥拝する。

無念橋は、聖域を区画する石橋という働きをもつ岩石祭祀施設である。
また、無念橋を自分の齢の数で渡りきると、女峰山まで登りきった分の霊験が得られるといい、願い橋とも呼ばれている。


子種石

子種石

滝尾神社の最奥部に子種石がある。
岩塊の上部および周囲に、所狭しと無数の礫石が積まれている。
子宝安産の霊験を有する子種権現としてまつられてきたといい、積み石の量がその信仰の激しさを物語っている。
石自体が子種の神として神格化しており、石神と呼んで差し支えないだろう。


未見だが、滝尾道に入る前の四本竜寺にも聖なる岩石がある。
一つは、勝道上人が玄武・青龍・朱雀・百虎の霊気(四雲・紫雲)に出会い、日光開基の契機となった四本竜寺紫雲石。
もう一つは、勝道上人が笈をおろしてかけたという笈掛石がある。