岩石信仰の始まりはいつか?
これは大きなテーマです。
しばしば、縄文時代から巨石信仰があったという前提で話をされている方や、超古代文明・古史古伝・神代文字・ペトログリフ・ペトログラフ・日本ピラミッドと絡めて、後代に下る磐座を取り上げられる方がいます。
このあたりについての調査はかつて数年自分なりに納得するまで追究したことがありますが、結局確たる根拠を掴むことはできなかった思い出があります。
確たる根拠がないのに、それを前提として語ることは、歴史への捏造にもつながるわけですから、歴史を語る者は自制するべきでしょう。
今回は、あくまでも考古学的根拠からこのテーマについて回答しようと思います。
回答内容は地味に見えるかもしれません。でも、おおむね歴史というのはそういう性質のものだと思います。地味と片付けられがちなものに、どう目線を向けるかです。
ひとつ間違いなく言えるのは、文字が登場する前の時代から岩石信仰はあったということです。
文字がない以上、土の中から出てきた石の遺物や遺構を、考古学者がどのように判断するかにかかっています。
私は、次の3つのパターンがあると考えています。
(1)自然石を信仰した場合
(2)人工的に整えた岩石を信仰した場合
(3)岩石を使って、別のものを信仰した場合
考古学的に、日本最古と言えるのは(2)か(3)のパターンでしょうか。
旧石器時代の岩石信仰の有無
最古級の考古学的発見としては、後期旧石器時代(約20000~15000年前)に岩偶が出土した事例があります(大分県岩戸遺跡出土例)。
岩戸遺跡 文化遺産オンライン
岩偶は、自然石の表面に刻み線を入れて人間などの生物の姿を表現した遺物とされています。
岩戸遺跡の出土例も線刻が施されています。
これが人を模したものであるなら、当時、石を加工しようとここまで手間をかけて作ったものが単なる人形であるとは言い切れず、信仰に関わるものだったのではないかと推測されるわけです。
当時は打製石器の時代でしたから、石器は「割る・欠く」だけでした。
その時代に「人の形に整える」「線を彫る」までしたことで、単なる石器を超えた手の掛けよう、力の入れようが見られます。
これは私の考えですが、当時で言う「最先端技術」を込めた石に、信仰の意味を持たせたというのはあながちおかしい論理ではないと思います。
(時代は下りますが、弥生時代の銅鐸や、古墳時代の須恵器がそれぞれの時代で祭りの道具として神聖視された理由も、それらが当時最高の技術を持って作られた最先端の品だったからとする考えが考古学の研究であります)
つまり、最古級の岩石信仰が自然石ではなく人工の岩石(岩偶)だったとするならば、その理由はここにあったかもしれないということです。
ただし、この岩偶が本当に人間を模したものかは、線刻がまだ曖昧な部分もあるので分かりません。
また、石の人形だからといって、イコール(2)の信仰の対象かとも言い切れません。(3)のようにお祭りに使う道具として人形を作った可能性も否定できません。
しかも、自然石を当時の人々が信仰した証拠がまだないからと言って、自然石への信仰がなかったという証明にもならないでしょう。
つまり、まだまだ旧石器時代の信仰については不明点が多いのです。だから、岩石信仰の始まりというテーマは語りにくいのですね。
縄文時代の岩石信仰について
そこで縄文時代になるとどうかという話ですが、岩偶や岩版と言われる線刻遺物の類の出土が増加します。
ここまで来ると明らかに人を模したものが登場するのですが、旧石器時代の岩偶と同じように、石の人形=信仰とは言い切れないものがあります。
さて、縄文時代早期になると、集石土壙墓が登場します。
これは、地面に穴を掘ってその下に死者を葬るというお墓の一種で、その墓穴を覆った土の上に小石が集められています。
行司免遺跡の土坑墓(配置墓)
お墓と言うのは、亡くなった人を葬ってその心を鎮め、死者の心を祖先の霊に転化させ、自分たち子孫をいろいろな面で守護する存在に導く施設と考えられます。
お墓は葬儀の場所ということで、祭祀行為とは別物に思われがちなのですが、祖霊を対象にまつるという点で、お墓も立派な祭祀施設です。
そんなお墓に、小石を集めて地表に露出させることで、ここが祖先の眠る場だとわかるようにしたのでしょう。
土を埋めるだけでいいはずなのに、あえて地表面にだけ岩石を集めた。この心の動きをどうとらえるか。
土は流され、木は腐りますが、岩石は土より重くて流されにくく、木より見た目に変化が出ません(朽ちない)。
神道考古学の大場磐雄先生いわく、岩石は長年の風化侵食にも耐え現状をとどめるので、「恒久不変の象徴」「永久性」を持つ素材だとかつて述べられました。
こういった実用的な側面が、他の素材ではなく岩石を墓標とした理由の1つなのかもしれません。
しかし、岩石を一種の墓標としたことで、岩石はおのずと、祖先の霊と交流できる場所の意味を持ち、信仰の要素を帯びます。
墓標は「(3)岩石を使って、別のものを信仰した場合」です。
集石を通して、祖先の霊をまつったのです。
岩石そのものをまつっているわけではないので、はじめは実用的な理由で人工的に岩石を並べて、信仰の道具としたのだと言えます。
というわけで、岩石そのものへの信仰ではないのですが、岩石を使って信仰をしていたことは縄文時代早期には認めて良いと私も思います。
自然石信仰が始まった時期
ところで、おそらく岩石信仰という言葉でイメージされやすいのは、「(1)自然石を信仰した場合」のパターンなのではないかと思います。
これの最古級はどこまで遡れるかという話ですが、考古学者によって見解が分かれていて、縄文時代という人と、弥生時代という人と、古墳時代からだという人がいます。
・縄文時代派
縄文時代の集落遺跡から丸い石(おそらく川の浸食作用で磨かれた自然石)が固まって出土する例が複数見られる。この丸石を信仰の石とみなす説がある(ただしそれ以上の論が発展しない)
・弥生時代派
巨大な自然石や岩肌の近くから青銅祭器(銅鐸など)が発見される場合があり、これらの岩石が青銅祭器を奉られる信仰対象だったとする説がある。しかし、これらの青銅祭器は中世の再埋納の痕跡が見つかっている例もあることから、弥生時代の配置のままではないとする反論も根強く有力。
 |
広島県の木の宗山銅鐸出土地。後世、この巨石に再埋納した説が有力。 |
・古墳時代派
奈良県三輪山の磐座、福岡県沖ノ島の磐座、島根県大船山の石神など、自然石を神の座る場所や神そのものとしてまつる遺跡が各地で見つかっています。これに反対する研究者はほぼおらず、定説化している。
 |
奈良県三輪山の山ノ神遺跡。古墳時代の磐座遺跡として有名。 |
よって、自然石への信仰時期について全員が文句なく従うのは古墳時代前期です。
古事記に「磐座」という岩石信仰の記述が登場する300年前ということで、学術的にはそんなに古くは遡れていないのが現状です。
でも、自然の岩石というのは、言葉の通り「自然のまま」のため、科学的に一番証明しにくいものだと思います。
考古学は岩石に限らず何でもそうですが、土の中から見つからない物は「ない」ものとして判断するしかないので、これは逆に言えば「まだわからないロマンの部分」で後世の研究の楽しみに任せられて、それはそれでいいのではないでしょうかと私は思います。
このように、岩石信仰の始まりというテーマだけでも、将来的な研究の余地は大きく残されています。
関連記事
岩石信仰の種類と見分けかた~石神・磐座・磐境・奇岩・巨石の世界~
磐座(いわくら)とはどういう意味ですか?
古代人は巨石をどのように運んだのですか?