山梨県南巨摩郡身延町

七面山に坐す七面大明神が、女人に扮してこの場所で日蓮と出会った。

日蓮はここで初めて説法を行い、それを聞いた七面大明神は法華経を守護する神となることを彼に約束した。

その時、日蓮はこの石の上で説法をおこなったことから、高座石の名がある。

境内にはその時の様子を描いた絵も掲示されている。
――ごろんところがした研磨も彫石も受けていない、不恰好な形の、どうかすると欠け目や傷だらけの石の不完全さそのものから、洗練された完全な石の一糸乱れぬ端正な純粋さにはない、汲めども尽きせぬ雑多な記憶がこんこんと湧き上がってくる。
■ 『北国巡杖記』
飢饉に困った村人が神に祈りをささげたところ、石のような真っ白なものが降ってきて、食べたら乳のように甘かった。これで命を長らえる人が多かった。
■ 『本草綱目』
石麪(いしそうめん)はめでたいもの。中国でも何度か石が麺になったという記録があり、さいたい飢饉のときに貧民が食べた。
■ 『日本霊異記』 下巻第三十一
美濃国の娘が処女解体して3年の後、石を2つ産んだ。1つはまだらの青色、もう1つは真っ青で、だんだん大きくなった。卜者に占ってもらったところ、これは伊奈婆大神の子であるということで、以後まつった。
■『日本霊異記』下巻第十九
肥後国の女が卵形の肉の塊を生んだ。不吉に思ってその肉を山の石の中に7日間置いておいたところ、肉の塊の中から女子が生まれた。
この女子には顎と生殖器がなかったが、7歳には法華経華厳経を暗誦し、嫁ぐことなく出家して人に敬われた。
身体に起こる微弱な電子共鳴の変化を聴くことができる古代人ならば、磐座の共鳴現象を利用してそれを増幅し、特定の石や金属に拘って音階の効果を極めるということはできる。— Casasagi (@Casasagi2107) 2018年3月13日
孔子が愛したのは詩経(博物学)と礼楽(式典に使う音楽)だったが、特に音楽を愛していた。和の周波数の効用を知っていた。
――石はどうやら形態・規模はちがっていても、原初的なものをわたしたちに伝えるらしい。
――わたしは墓に、霊魂が眠っているとは信じない。しかし、墓にはその人の全体験が凝縮している
――磐座とは、物を言う岩や木が沈黙し、朝の太陽を受け、存在そのものが生命の輝きであり美である世界であらねばならない。
――磐境の解釈には諸説がある。磐座と同じものだとする説、磐座は岩石の御座をいい、磐境はその区域を広くいうとする説、あるいは磐座を自然の神座とし、磐境を人工のそれとする説などである。わたしは自然と人工という第三説を採りたい。
――「石だけならホンモノの龍安寺にも負けへん。庭師は川の石のほうがうんと安上がりやいいよったが、川石は卑しうてアカン」
――「あの石のことは言うてはならんことになっておる。この村では・・・・・・な」
――その石を見かけた途端、立ちすくむような気分になった。(略)千枚田のような田のなかに坐っており、まことに異様であった。(略)自然石とは思えないほどの球体である。雨露にさらされて黒ずみながら、きのう天から落下したばかりのような恰好でどっしりと田に坐りこみ、重量感と威厳と、大らかなユーモアを示しており、まったくおかしい石であった。
――だが、わたしの好きな、そのまるく大きい石については触れられていない。石仏でないので当然ではあるが――。