インタビュー掲載(2024.2.7)

2016年11月28日月曜日

『日本の石の民俗』全六巻(明玄書房)

堀田吉雄・橋本鉄男・印南敏秀・小谷方明・酒向伸行・鹿谷勲・吉川寿洋『近畿地方の石の民俗』(明玄書房、1987年)を購入。


200ページ弱で、そこまで分厚い本ではありません。


県別に、各県の専門家が石の民俗を執筆しています。

民俗事例ごとに項目を分けて書いています。
写真の目次を見るとすごそうに見えますが、そこまで一例一例の詳細は書いていません。
民俗調査報告書のように、研究に引用できるほどの詳細さはありません。
そういう場所もあるのか、と事例リストに入れるにはじゅうぶん。その事例を知る手始めの書ですね。

あと、所在地などがはっきり書いていないことが多く、情報検索性は正直低い。
昔の文献によくある、各事例を筆の進むままに書き連ねていく内容です。

でも、正直、この本でまだまだ知らない事例に出会いました。感謝以外の何物でもありません。

そもそも、こんな本が刊行されていたことを知れたのが嬉しかったです。
石の文献を探して15年強。
もう石の民俗事例集は出尽くしたと思っていました。
まだ出会えますね。


『日本の石の民俗』全六巻のシリーズの1つでした。地方別に巻が分かれています。
近畿地方で4800円。全巻だと31800円・・・。
どうしようかな(笑)


2016年11月25日金曜日

乳岩(岐阜県関市)



所在地:岐阜県関市下之保轡野


車1台がやっと通り抜けられる車幅の峠道沿いにある

乳岩
「乳岩」「乳岩さま」と呼ばれる鍾乳石があり、乳岩神社としてまつられる

乳岩
鍾乳石の乳岩

乳岩からは常時雫が滴り落ちており、それを受ける容器にはなみなみと水がたたえられている。
水からは乳の甘い匂いがするといい、乳の出が悪い人や、乳の出すぎる人にとってもご利益のある霊水という。後年には、癌封じにも霊験ありといわれるようになった。

傍らには柄杓があり、霊水をすくえるようになっている。
願いが叶った暁には、布きれを作って奉納するしきたりがあったという。

乳を求めた赤ん坊が、この乳岩の水を飲んで泣き止んだという地元の伝説が残っている(詳細は参考文献参照)

■参考文献
NPO法人日本平成村 武儀のむかし話伝説ロマンウォークの会 『武儀のむかし話伝説ロマンウォーク 下之保轡野コース』(発行年不明)

2016年11月22日火曜日

日本人も日本の巨石に熱い視線を注いでほしいですね

海外には奇想天外な巨石がたくさんあると私は思うのですが、海外の人から見ても、日本の巨石や石造物には何か惹きつける魅力があるのでしょうか。







見ていると、古墳の石室など人工的な造形や、周囲の景色とのギャップに目が止まった感じ。
私も負けずに、造形的におっ?と思ったコレクションを貼ります。


岩室稲荷神社奥の院

五枚岩

2016年11月16日水曜日

「岩石信仰と歴史観」受講者コメント

「歴史観の形成」の授業後、100を越すたくさんの感想をいただきました。

いずれも熱いコメントばかりでした。ありがとうございます。

思う人10000人、始める人100人、続ける人1人といいます。

皆さんのこれからの研究活動に、岩石信仰の世界や視点が加味されることを願います。

すべてのコメントを載せることはできないので、一部をご紹介したいと思います。

学ぶことや研究することに対する、受講者の方々のはちきれんばかりの知的好奇心を感じとっていただければ幸いです。

 
あなたの価値観を考えなおすきっかけを与えられたのなら、こんなにうれしいことはありません。

ぜひ、みんなが注目していないことに注目してみてください。

 
人生一度しかないですから・・・。
あなたの好きなことをを後押しできていたらいいです。


方法論が決まれば、あとは何を研究しても磐石です。
研究対象から学ばされることも多々あります。

 
私もこのことを、大学生の時にだれかに気づかせてもらいたかったなあと。


友達とまったく違うことをやってこそ、アイデンティティが出ます。
無意味とカテゴライズされたものに、執着してみてください。


明日からの大学の授業、目の前の光景が変わりそうですね。


力石の質問ありがとうございました。
「過去の人物の重み」を知って研究していけば、歴史学として間違ったことにはならないと思います。

そのとおりだと思います。


みんなが同じことに興味があったら、変ですよね。


卒論、楽しくなりますよ。


岩石信仰の世界に飛び込んでもらってOKです。待ってます(笑)


人間は金太郎飴じゃないですもんね。


違和感のある価値観を提供できて、安心しました。


「予想通り」を覆すのに必死でした。


でしょう。90分でも短いですが(笑)


本もインターネットも、同じ「人」が書いています。


「選択と集中」をすることは、狭い世界を一点突破するだけに見えますが、一点突破すると、他の世界とつながる視座を手に入れることもできます。


石というキャンパスに、人間が勝手に思い思いの考えをぶつけているのです。


『夏目友人帳』 妻が読んでいました。世界は狭い。


価値相対主義に陥らないように自戒することが、今の私の目標です。


巨石や磐座と違って、たしかに岩石信仰という言葉に先入観はありません。だから流行らないのかな?


ぜひメタ学習していってくださいね。


自分の思ったことを、口に出したり、文字に書いた時点で、心の中からは変節した気になりませんか?
信仰も同様だと思って接することが大事です。



目の前にいる人の心さえ、推し量れないことが多いですからね。過去の人々はなおさらでしょう。
そう思えると、否応なく謙虚に扱います。


心の解釈可能性は、人の個体数だけあると思うと、人生すべて研究ですよね。


悩んだ末の卒論は気持ちいいはず。


11/14は"良い石の日"。言った甲斐がありました。


岩石を愛する人を育てるよりも、岩石に接する人に失礼がないように接する人を育てたいと私は思っています。


なるほど。また新しい受け止め方に私自身が気づかされます。


英米文学の方の心にも響く話ができて良かった。


もう出会っているのかも。


私が、信仰全般に手を出さない、海外に手を広げない、わからないものを判断保留するのは、選択と集中をしないと手に余るレベルだからです。


自分の限界と偏りを自覚すれば、歴史を創ることにも断罪することにも慎重になれます。


そのとおりです。


研究者が研究の対象にしているのは、研究者じゃない人であることがほとんどですからね。


そう、毎日が楽しく行動できますよね。そしていつでも研究に還元できる。


信長の話が皆さんの興味をひく話になっていたようで、ほっとしました。


存分に貫き通してください!


岩石と同じで、自分がいろんなことに対して色を変えるカメレオンになれば、情報の貯蔵庫になれます。
研究者ってそういう人だと思います。


違和感を飲み込むのには、多大なエネルギーを費やすと思います。
研究は、楽しくないこともしてこそ研究になる気がします。


好き勝手喋って良かったです。
市民権を得ていないものを、社会に還元して市民権を得ようと、もがいているところです。


石が原形のイマージュということに納得した方がいて驚きました。
これだから人間は面白い。


西洋史も、歴史を扱う時の手順は共通するものばかりだと思います。


一つのフィールドをつきつめた後に、見えてくる世界があります。


嬉しいコメントです。西洋史概論の先生にナイストスができたわけですね。


ネズミのヒゲに物体を当てるより、ネズミから物体に当たりに行った方が脳波が激しくなるという話を聞きました。


普段からの観察眼が細やか!
石が人を遠ざける、人を避ける厳然たる存在というのも、きわめて最終ゴール的発想ですね。


これからも咀嚼しにくい事態に出会うことが多いかと思いますが、辛抱です。


いま目の前にあるものを見て、その使い方を30通り挙げていく思考実験があります。
意外と、30も解釈が出てこないんです。


哲学者のキェルケゴールさんの発言をお借りしました。


パワーストーンを信じることも一大テーマです。
研究できたら、その結果をぜひ教えてくださいね。


 岩石がありふれすぎなんだと思います。
どこまで岩石のせいにしていいものでしょうか?


神社の資料に石が登場しているもの。
私も知りたいので投稿を待ってます。

岩石信仰を研究していると、岩石信仰の事実認定がまず難しい・・・。
常に、自分が過去の人々に試されている気持ちになれます。


すごい話を聞けました。



岩石も人の心のプレーンな写し鏡とはならず、岩石の姿から心理的に受ける"ノイズ"があると思うので、そこに岩石信仰の特性が眠っている気がします。


最後のコメントが重要ですよね。
「へ~そうなんだ」だと、「続ける人1人」になってくれなさそうなので、ぜひ考えることをあきらめないでほしいなあと、そう願っています。
「続ける人」って、もれなくしつこい人のはずです。