2020年5月4日月曜日

白鬚神社の岩戸社と古墳石室石材(滋賀県高島市)


滋賀県高島市鵜川

白鬚神社の概要


高島市の白鬚神社は琵琶湖西岸に社地を持ち、湖上に大鳥居を浮かべることから「近畿の厳島」の美称でも知られる。
全国に約300社あるといわれる白鬚神社(白髭神社)の総本社にも位置付けられている。



祭神は猿田彦命。白鬚明神・比良明神の明神号も併せもつ。
猿田彦命が白い鬚を持つ老翁に擬せられたことや、白鬚神社が比良山系の信仰的影響下にあることによるものだろう。

社記によれば、当社は垂仁天皇期に社殿が再建されたとあり、それ以前から神社が鎮座していたことを匂わせるがその実は不明である。

岩戸社


白鬚神社境内の奥(山側)には、白鬚神社古墳群と呼ばれる4基の円墳(径10m程)が点在し、古墳時代後期に多い群集墳の1例として理解されている(関西学院大学考古学研究会1991年)。

白鬚神社4号墳

そのうちの1基(1号墳)では横穴式石室が開口しており、これを「天の岩戸」と呼んで神聖視されている。石室手前には祠が設けられ、全体を岩戸社としてまつっている。

岩戸社

岩戸社内部

開口した横穴式石室を後世になってまつる例は全国各地に類例があり、京都市天塚古墳や広沢古墳、徳島県段ノ塚穴古墳など、さらに横穴式石室を天岩戸に見立てた点では三重県伊勢市外宮裏の高倉山古墳と同系統とも言える。

岩戸社の石室はただ開口しているだけではなく、石室天井部の石材が地表から一部露出していることに特徴がある。

岩戸社頂部

さながら、大小の露岩がモコモコと地表から屹立している様でもあり、石室の内部構造とは別に、地表上の岩石にも神聖性が芽生える理由になったのではないか。
それを示すがごとく、地表上に露出している天井石のうち、三角錐状に出っ張る岩石の周りにだけ特別に注連縄が巻かれていた。これは、石室内の聖なる空間とは別の聖性の萌芽である。

先述他例の天塚古墳や段ノ塚穴古墳などは、石室の中に人が入り玄室奥の祠に参るという形態をとるのに対し、岩戸社は天岩戸であるから石室内に人が入るのを禁じ、石室内=神の空間としている。
岩石祭祀の見地からは、石室の持つ用途が両者で異なっていることを示す。すなわち、天塚や段ノ塚穴は「石室=境内・社域・祭祀場と日常空間を分ける機能」であるのに対し、岩戸社は「石室=境内・祭祀場の中でも、人間の入れない神のテリトリーを明示する機能」を負っている。

それに加え、岩戸社は「天の岩戸」であるから、かつて、神々が神聖な行為を行なった歴史的な聖地という意味で、聖跡としての評価もできるだろう。
各地に天岩戸は数多あることから、真なる天岩戸としての信仰や、自発的に生まれた信仰という見方だけでなく、後世的な影響で生まれた信仰の地という検討もなされるべきである。

岩戸社の横にある岩塊について


さて、岩戸社に向かって右に目を転じると、高さ1m強の三角形状の岩塊に注連縄が巻かれている。

岩戸社(左)と右の岩塊



注連縄が巻かれた以上、この岩塊が神聖視(最近は注連縄が多用され、まだ特別視の段階でも巻くケースもあるが)の対象とされているのは間違いないが、それがいつ誰によって何のためにという歴史的検討は常に必要である。
この岩塊については、白鬚神社の神職の方にかつてお話を伺ったことがある。おっしゃるところによれば、この岩塊は神社側がまつりはじめたものではなく、篤信者の方がある時から自主的に注連縄をかけてまつっているものなのだという。

以上の点から、岩戸社の信仰とこの岩塊の信仰を同系統でくくることは適切ではないが、岩石の出自は古墳石室石材という点で同系統の可能性がある。
関西学院大学考古学研究会の報告書にも言及があるが、石室石材の転石かどうかは定かになっていない。

また、白鬚神社の背後はなだらかな三角形の山稜を描き、山中にも巨石群があるという話を聞いたことがあるが未訪のためこれ以上の言及は控えたい。

参考文献


  • 白鬚神社社務所「白鬚神社」(由緒書)
  • 関西学院大学考古学研究会 「滋賀県高島郡高島町白鬚神社古墳群」『関西学院考古』No.9 1991年
  • 現地解説板


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