2018年3月29日木曜日

大頭龍神社(静岡県菊川市)


静岡県菊川市加茂

神社の概要

創建は詳らかではないが、延暦11年(792年)勧請の口碑が残る。
祭神は大物主大神・大山咋大神であり、当社の旧地名は加茂村白岩字馬場と呼んだことなどから、賀茂氏・大神氏の影響色濃い神社とされている。

野本寛一氏の『石の民俗』(雄山閣出版、1975年)では、大頭龍神社の例祭が石の祭祀に関わる特殊神事であることを明らかにしており、祭祀の様子を詳述している。
本項は氏の記述から要点を紹介したい。

大頭龍神社

例祭神事の次第

例祭は現在、8月第4日曜日に行われるが、元々は11月19~20日の2日間に行われていたという。

大頭龍神社では例祭の時に、竹と紙四手でできた御幣を氏子や崇敬者が大量に供える。
最盛期(戦前という)には26000本の御幣が大頭龍神社の鎮座する山を彩り真っ白だったという話が残る。

社殿の背後には小高い丘があり、御山(おやま)と呼び神聖視している。

大頭龍神社
御山

その頂上を「御天上」と称する。
御天上は禁足地であるが、例祭の「お山のぼり」という特殊神事の時のみ、御天上に足を踏み入れ神饌と祝詞が捧げられる。

大頭龍神社

御山御門から仰いだ御天上。入口には「これより内、入山をご遠慮下さい」と掲示がある。

御天上の中心には大小6個の自然石が群集しているらしい。
大きいものでも直径30㎝、小さいものが直径15㎝ほどである。

この自然石群の背後に1本の榊があり、これらを隠すように手前に竹で作った御簾が下げられる。
さらにその四方を竹垣で囲み、完全に外部からは目視できない構造にしている。
南東隅にだけ入口を作り、これを胎内潜り門と呼ぶ。この門から中腹の境内まで竹垣で仕切られた参道があり、その距離は約25mである。
境内側には御山御門という山門がある。

19日の午後8時頃、神職者は禊の後に境内の祓所に向かう。
祓所は3m四方の区間に円状の平石を敷き詰めた敷石の祭祀場であり、その祓所の北側に祝詞石と呼ばれる平石の上で祝詞を奏上する。
祝詞石はこの例祭の時だけに使用される岩石であり、祝詞石の奥には御天上の山が控えていることから、祝詞は御天上に対して捧げられたものとされる。

20日の午前4時頃になると「お山のぼり」が始まる。
部外者は参加できず、氏子も胎内潜り門の手前までしか入れない。
神職者は御天上内部に設置された神饌棚に七十五膳の強飯や魚のイナダ、大根などを供える。
その後、自然石群の手前に玉串が奉納され、地面に神酒が注がれ、祝詞が改めて奏上される。この神事の間はずっと無灯で無言、暗闇のなか執行されるという。

大頭龍神社の現在

極めて興味深い内容の祭祀である。
野本寛一氏は御天上の自然石群を磐座と評価しており、大神氏が司った三輪山祭祀と共通する形態と位置付けている。

ただし、この自然石群が磐座と断定できるかというとそうとも言えない。
自然石群は御簾と竹垣で完全に隠されており、神が人々の前にその姿を現す磐座としての役割とは完全に合致していない。この点ではむしろ、自然石群は姿を直接拝まざるべき石神そのものとも言える。
ただし、年1回という定期的間隔で神と交信するという祭祀のあり方は磐座的である。磐座と見る人もいれば石神と見る人もいる複合的事例なのかもしれない。


このような祭祀場をぜひ見たいと思い現在の大頭龍神社を訪れたのだが、野本氏が記録していた当時の祭祀場の状態とは様子が異なっていたことを記しておかなければならない。

野本氏は社殿の東に祓所と祝詞石が位置することを『石の民俗』の中で写真と共に図示もしているが、その場所には現在、本殿とロマネスクパーク大頭龍(神社境内にあるセレモニーホール)を結ぶ渡り廊下が建設されている(前掲写真参照)。
周辺も各種の石碑などが建っていて『石の民俗』に掲載された写真の祭祀施設はおろか、その名残すら確認できない。

大頭龍神社
御山御門の基壇部分に、円状の平石が敷き詰められているが…。

上写真の丸石の基壇は祓所を多少想起させる作りではあるが、『石の民俗』の写真に載っているものとは違うものである。

さらに野本氏によれば、祝詞石はもう1つあり、これは直径1mほどの平石で元々は本殿の手前にあったが、本殿と拝殿の間に幣殿を建てた際、祝詞石の場所を幣殿の西側に移転したという。
あらゆる祝詞はこの岩石の上で奏上されたという貴重な祭祀事例であるはずが、幣殿の西側を隈なく見渡しても、このもう1つの祝詞石さえも確認できなかった。

大頭龍神社
本殿横の玉垣内を覗いたところ、無造作に横倒しされている石造物があった。

大頭龍神社
境内には石材や石造物の一部が残されている。

大頭龍神社
詳細不明

どうやら野本氏の報告から現在までの約30年の間に、かなり神社の祭祀景観は変容してしまったようだ。
色々な事情があったのだろうが、岩石祭祀の観点から述べる限りは何とも残念と言うしかない。

御天上については現在も禁足が守られており、その旨の掲示もされており、御山御門から山頂を仰ぐと竹垣に囲われた一画を認めることができる。あの竹垣の中に自然石群や榊が控えているのだろう。

出典

野本寛一 『石の民俗』 雄山閣出版 1975年

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