山梨県韮崎市穂坂町宮久保 字 女夫石
縄文時代の住居跡、土器の廃棄場、配石遺構などが見つかった遺跡である。
唐沢、または権現沢という名を持つ川が流れており、川沿いに形成された集落と推定されている。
集落であるから生活の痕跡としての遺跡であるが、地中を掘り進んでいくと大きな岩塊(おそらく自然石)が複数地点で見つかった。
岩塊の周辺からは、ミニチュア土器が固まって見つかったものや、破損した状態の石棒が傍らで出土した。
また、遺跡全体からは約50個体の土偶が見つかり、祭祀行為を思わせる遺物が多い遺跡だという。
さらに、遺跡地を見下ろすように、「女夫石」と呼ばれる2体の岩石が現存する。
由来は情報収集不足につき不明だが、おそらく女夫石も自然石と思われ、女夫石遺跡が集落として機能していた頃からすでにそこにあったものと思われる。
女夫石と遺跡との関わりは不明だが、地中の岩塊群と遺物群の関係といい、なにかと岩石と祭祀の縁を感じる。

女夫石の大きなほう。ここから遺物が見つかったわけではなく、遺跡地はもう少し斜面下。

奥側の小さなほうの岩石は枯れ草に覆われ気味。

女夫石の下からは、川に向けて斜面が続いている。
秋分の日、遺跡地から地蔵ヶ岳を眺めると、ちょうど地蔵ヶ岳の山頂に日が沈むという。
また、その1ヶ月前には、甲斐駒ケ岳の山頂に日が沈むのを見られるのだという。
遺跡の人々がこの現象を当時どれほど意識していたかはわからないが、発掘調査者が気付くぐらいであるから、そこにずっと住んでいた人々も体感できた現象だろう。遺跡地がここに選ばれた理由の一つかもしれない。
※女夫石遺跡については、韮崎市ホームページの中で発掘調査当時の調査速報や現説資料をPDF化されている。
女夫石遺跡の発掘概要 | 韮崎市
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