2019年3月24日日曜日

女夫石遺跡 ~縄文時代における自然石信仰の候補事例~(山梨県韮崎市)


山梨県韮崎市穂坂町宮久保 字 女夫石


縄文時代の住居跡、土器の廃棄場、配石遺構などが見つかった遺跡である。

唐沢、または権現沢という名を持つ川が流れており、川沿いに形成された集落と推定されている。

集落であるから生活の痕跡としての遺跡であるが、地中を掘り進んでいくと大きな岩塊(おそらく自然石)が複数地点で見つかった。

岩塊の周辺からは、ミニチュア土器が固まって見つかったものや、破損した状態の石棒が傍らで出土した。
また、遺跡全体からは約50個体の土偶が見つかり、祭祀行為を思わせる遺物が多いとされる。

女夫石遺跡については正式な発掘調査報告書が刊行されていないが、韮崎市ホームページの中で発掘調査当時の調査速報や現説資料をPDF化されている。
女夫石遺跡の発掘概要 | 韮崎市

また、文化庁[編]『発掘された日本列島2007』(朝日出版社 2007年)の図録には見開き2ページにわたって女夫石遺跡が紹介されており、その中に地中から出た岩盤の発掘写真と遺跡の鳥瞰写真が位置関係と共に図化されておりわかりやすい。報告書がなく貴重であるため以下に写真を引用する。

地中から見つかった自然岩塊と傍らから出土した石棒(前掲『発掘された日本列島2007』より)

遺跡の空撮写真と位置関係(前掲『発掘された日本列島2007』より)

秋分の日、遺跡地から地蔵ヶ岳を眺めると、ちょうど地蔵ヶ岳の山頂に日が沈むという。
また、その1ヶ月前には、甲斐駒ケ岳の山頂に日が沈むのを見られるのだという。
遺跡の人々がこの現象を当時どれほど意識していたかはわからないが、発掘調査者が気付くぐらいであるから、そこにずっと住んでいた人々も体感できた現象だろう。遺跡地がここに選ばれた理由の一つかもしれない。

さらに、遺跡地から川を挟んだ対岸、斜面上に「女夫石」と呼ばれる2体の岩石が現存する。
由来は情報収集不足につき不明だが、女夫石も自然の露岩と思われ、であるなら女夫石遺跡が集落として機能していた頃からすでにそこにあったものと思われる。
女夫石
女夫石の大きなほう。ここから遺物が見つかったわけではないので注意。

女夫石
写真右奥に見えるのが、女夫石の小さなほう。


女夫石
女夫石の下は、川に向けて斜面が続いている。

遺跡と女夫石との関わりは不明だが、地中の岩塊群と遺物群の関係といい、なにかと岩石と祭祀の縁を感じる。

縄文時代における自然石信仰の有無はまだ証明されていないテーマだが、その自然石信仰の候補事例として資料価値の高い遺跡であることは間違いない。

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