2019年12月15日日曜日

三河本宮山・砥鹿神社奥宮・岩戸神社の岩石信仰(愛知県豊川市・岡崎市・新城市)



愛知県豊川市・岡崎市・新城市にかけてそびえる東三河最高峰、標高789.2mの本宮山。
一称に本茂(ほのしげ)山の名がある。

愛知県犬山市にある本宮山(標高292.8m)と区別するため、犬山市のものを尾張本宮山、当山を三河本宮山と通称することがある。

麓に鎮座する三河国一宮の砥鹿神社(豊川市一宮町)の神体山として信仰され、麓に通称・里宮が鎮まるのに対し、本宮山頂には砥鹿神社奥宮が鎮まる。
また、山頂には奥宮とは別に「奥の院 岩戸神社」もあり、山中各所に岩石信仰の地が残る。
本記事では、現地の状況と残された文献記録をまとめておく。

本宮山の岩場

馬背岩


本宮山南麓の長山登山口から砥鹿神社奥宮をつなぐ表参道には、1~50町目までの石標が立ち登山の目安となる。

ちょうど折り返しの26町目を越した辺りから、名前の付いた岩石が登場しだす。
まず、26町目~27町目に馬背岩(馬の背岩)が存在する。

馬背岩

岩石の形状を事物になぞらえる、いわゆる「姿石」の1つと思われるが、中近世、修験者の行場にもなったから岩に名がつけられた可能性がある。

杉下五十男氏は『本宮山あれこれ探索』(2017年)で「馬の背岩は梯子岩の上に連続するので、現在の標識位置は不適切である」と記しており、注意を要している。

蛙岩


28町目は麓の見晴らしが良く展望台も造られた好立地で、展望台の手前に蛙岩がある。
この蛙岩は参照した文献群には記されていないので、最近の命名だろうか。

蛙岩

日月岩


展望台を越したらすぐに日月岩(ひづきいわ)に出会う。
弘法大師による刻字と伝承される「日月」の線刻が岩石表面に見られ、この線刻を小石でなぞると筆の腕が上がると信じられる。

日月岩

ゑびす岩と天狗岩


37町目に石鳥居が建ち、「是より 霊峯本宮山 砥鹿神社境内」と書いてある。

ここから東を望むと、谷間を挟んだ東尾根上に天狗岩が見え、西を望むと、谷間を挟んだ西尾根上にえびす岩が見えるとの標識が立つが、森が深くどちらの岩石も肉眼で確認できなかった。

看板は建つが見えない。


ゑびす岩は鯛釣岩、または行人岩の名前も残る。岩の頂に行人が座して修行したという。

天狗岩は立岩の別称もあり、天狗の棲み処としての民話が残る。

表参道上にないため到達は至難だが、先出の杉下五十男氏『本宮山あれこれ探索』では両岩への踏査を敢行し、一節を設けて詳細なレポートを上げている。

杉下氏の踏査によれば、荒沢の右又沢の最上部の滝を越えた奥に、高さ約26mの岩峰があり、中腹に角ばった岩が出っ張っている。これがゑびす岩と思われるが、長居無用を感じさせる危険な場所だという。
天狗岩は林道上に標識もあり、天狗岩の頂上まではアクセス容易とのことである。杉下氏は全貌を確認すべく天狗岩の下部までザイル懸垂をおこない、高さ約50mの「フレミングの右手」のような三段構成の岩峰であることを明らかにしている。

山姥の足跡


32町目には山姥坂と呼ばれる斜面が広がり、39町目は地表面に露岩が多く見られる。
この岩盤の最上部を「山姥の足跡」と呼ぶ。

39町目に広がる露岩群

山姥の足跡(写真中央の窪み)

本宮山の山姥伝説は、かつて怪力を持った山姥がおり、本宮山と石巻山に足を跨げて豊川で髪を洗ったという内容である。
変型として、山姥が本宮山と吉祥山をまたいで小便したら豊川になったというものもある。

その山姥が本宮山に足を乗せた時についた足跡がこれだ。
登山時・下山時、靴底をこの足跡に擦らせると足が軽くなり、下山時、これをし忘れると逆に足が重くなるという話がある。
現代説話のように見えるが、1944年の『三河国一宮砥鹿神社史』にも「登山者はその窪みに足を入れゝば、疲れを軽くすると傳へてゐる」と書いてあり、戦前まで遡る習俗であることは間違いない。

「天の磐座」


山頂直下に青銅鳥居が建ち、ここから第一神域との標示がある。砥鹿神社奥宮境内に入る。
鳥居の奥一帯に露岩群が広がり、傍らに「天の磐座」の立て札が見える。


しかし、参考文献群を開く限り古文献には「天の磐座」の名称はなく、磐座という用語自体、本宮山の岩石信仰には用いられてこなかった。
いわゆる、磐座研究が戦前におこなわれたなかで後世付会された名称と判断できる。

現状の扱いを想像するに、どれか特定の岩石を「天の磐座」と定めたものではなく、一帯に分布する岩石群全体を総称したのだろう。

露岩群の上を表参道が通る形となるため、一部の露岩が人為的に切削されている。
遠山正雄氏は「『いはくら』について」第3回 (『皇学』第1巻第5号、1933年)のなかで、この本宮山奥宮の露岩改変工事に触れている。
「本宮とイハクラと思しき處との間一丁餘の間を、態々無理して小道を開き、あまつさへ累々たる巨巖の一部を無残にも破壊されております。之は新しき工事であり、その當時の責任者も分つて居るそうでありますが、我々はその無智を愍むよりは、あまりの心なしの無謀に呆然たらざるを得ぬ次第であります。」
磐座を愛するがあまりの感情ほとばしった一文で、事の善悪は本来ないものであるが、現在残る岩石信仰の地の今後の扱いにおいて警鐘の句となるのではないか。

石段を取ればそこは一大岩盤だっただろう。

元は一つの母岩を掘削して通路を造ったように見える。

荒羽々気神社


奥宮末社。
国幣小社砥鹿神社社務所編『三河国一宮砥鹿神社史』(1944年)の記述によると、祭神は大己貴命荒魂一柱で、由来は不明とのこと。
社殿の背後に巨岩が位置するが、神社としては特に関連性は指摘していない。

荒羽々気神社(写真右奥)

八柱神社


奥宮末社。五男三女神の八柱を祭神とし、江戸時代には八王子社と呼ばれた。
荒羽々気神社と同じく、社殿の背後に巨岩が控え、こちらは隣接しているためか、『三河国一宮砥鹿神社史』においても「一巨巌を背景として鎮まります」と記される。

八柱神社

行人岩/廻々岩


廻々岩は「めいめい岩」と読む。
斜面地表面から60度ぐらいの角度で立石が屹立している。

手を使わずにこの岩の先端まで登り、戻ってくることができたら願望成就という霊岩。
今は石の頂部に登ってはいけないようだ。

上から撮影

下から撮影

国見岩と岩戸神社(奥の院)


奥宮からは西方の谷間に、奥の院・岩戸神社が鎮座する。
山頂駐車場の南端に赤鳥居があるのでそれを道なりに進むと、5分ほどで柵内に囲われた国見岩に到着する。

国見岩

国見岩にも「天の磐座」の標示がある。やはり、天の磐座は特定の岩石の固有名称を指すのではなく、山頂一帯の岩石信仰の場を総称した表現であることがわかる。

その一角を担う国見岩は「昔、大己貴命がこの岩山に神霊を留め、この岩上から国見をして、“穂の国”を造ったといわれる」場所だ。
砥鹿神社信仰の最淵源と言える。


実は国見岩は、岩戸神社を構成する岩峰の最上部のみを指した名である。
つまり、国見岩を下ると岩戸神社にたどりつく。

今でこそ奥の院への参拝方向は「山頂→国見岩→岩戸神社」が一般的だろうが、元来は「谷間→岩戸神社→国見岩→山頂」で、それが修行にもなっていただろう。私達とは異なる体感のしかたをしていた。そのことを考慮しなければ、この場所の捉え方を誤りかねない。

国見岩の東西に道が分岐し、東の道を男道、西の道を女道と呼び、これを下ると岩戸神社がある。男道は急峻な道、女道は石段付きの道らしい。

国見岩の前に立つ男道・女道の標示

結論からいうと女道を下ったほうが良い。
やや滑るがしっかりした階段が敷設されており、国見岩の直下まで降りられる。そこには岩の亀裂に不動がまつられていた。

女道を下る。

下りきったところに亀裂の祭祀空間が。

亀裂内にかつてまつられていた不動

かつてここには古い不動が置かれていたそうだが盗難にあい、代替の不動を新たにまつった。しかし、なんとこの新たな不動も盗難にあった。どうなっているのだろうか?

年末に歩いた本宮山 その4(最終):岩戸神社をお参りして、今度は登山道で下る - ぶちょうほうのさんぽみち(旧名:「気ままに野山」)

不動の横には鎖付きの岩場があり、その中腹に注連縄が巻かれた亀裂がある。

岩戸神社(写真下の空洞内)

この亀裂内が岩戸神社である。しかし、私は探訪時この亀裂内を見逃してしまった。亀裂内に小祠がまつられているようだ。

承応2年(1653年)「三河國一宮砥鹿大菩薩縁起」に「奥院有岩窟名岩戸岩戸之中有慢蛇羅石其之文非常所有成」の記述、貞享3年(1686年)「本宮山縁起」に「山頂南向岩窟是神明之霊跡也」の記述があるという(『三河国一宮砥鹿神社史』)。
このことから、岩戸神社は「奥院」「岩窟」と呼ばれ、岩窟内には「慢蛇羅石」なる岩石が特に神聖視されていたことがわかる。この慢蛇羅石が岩窟内のどの石に該当するかは亀裂内を見ていないので何とも言えない。

岩戸神社隣の鎖は男坂につながるらしいが、現在、この鎖は撤去されてしまったという情報がある。

本宮山の山頂付近を周遊:(最終回)岩戸神社をお参りして帰途につく - ぶちょうほうのさんぽみち(旧名:「気ままに野山」)

行者岩


国見岩の分岐まで戻り、男道も下ってみたが酷い道だった。

途中に落差5mほどの岩場があり、鎖が渡されていた。

男道の鎖場

登る分にはまだ何とかなりそうだが下るには岩の窪みが少なく(特に上方)、足を引っ掛ける場所も一苦労な鎖場だ。
慎重に三点支持をおこなって下りてみると、そこは谷間水源の祭祀場だった。

谷間水源

岩陰にまつられた祠

近くの岩陰

三方を岩に囲まれた岩陰に祠がまつられ、左隣から清水が樋に乗って常時注がれている。岩と岩の合間から染み出る水はまさに水源であり、この沢は他の沢と合流して麓で豊川となる。
そしてここは、国見岩から続く岩盤が落ち着く最終地点でもある。

現地には何の看板もないが、杉下五十男氏『本宮山あれこれ探索』は、ここを行者岩だと指摘している。近年まで山伏の修行姿を見かけた場所だそうだ。
『三河国一宮砥鹿神社史』には「行者岩 ― 岩戸社より更に下方の岩窟前に存する」と記された存在で、位置的には岩戸神社の亀裂の奥方に当たる。

国見岩・不動・岩戸神社・行者岩は一つの岩峰にそれぞれ帰属した祭祀場であることから、これらを包括して奥の院と考えて良いのではないか。

なお、行者岩から谷間を挟んだ西側の尾根上を目指すと、岩にペンキで×点がしてあるが、この谷間から西方尾根にかけては巨岩累々とした露岩地帯であることも付記しておきたい。

行者岩の西方谷間

谷間を越えた先にある西方尾根の一大巨岩。

参考文献


  • 国幣小社砥鹿神社社務所・編『三河国一宮砥鹿神社史』(原著1944年。2012年復刻版を参照)
  • 杉下五十男『本宮山あれこれ探索』一粒書房 2017年
  • 遠山正雄「『いはくら』について」第3回 『皇学』第1巻第5号(1933年)



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