茨城県日立市大みか町
天津甕星が石化した事例として知られる。
高天原から降臨した武甕槌神と経津主神に対し、常陸の天津甕星、またの名を天香香背男と名乗る星神が強く抵抗した。
武甕槌神・経津主神はこれに手を焼き、文武に優れた武葉槌命を派遣することで、とうとう天津甕星を服することができた。
天津甕星は岩石に姿を変えたが、その後も、日に日に岩石が大きくなる。
そこで、武葉槌命は岩石を蹴り上げて破壊し、その上に社を建てることで、まつろわぬ星神を鎮めた。
これが大甕倭文神社の始まりといわれ、社殿の下に鎮まる岩盤を宿魂石(しゅくこんせき)と呼んでいる。
また、神篭岩という岩石が、宿魂石を見張っているというが現地で特定できなかった。神篭岩に布を打ちつけると、布が長持ちするという信仰も付帯している。
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