2020年10月19日月曜日

大洗磯前神社(茨城県東茨城郡大洗町)


茨城県東茨城郡大洗町磯浜町


大洗海岸に出現した「怪石」

大洗海岸

斉衡3年(856年)12月戊戌日(29日)の夜、海上に光の柱が立っているのが目撃された。

翌朝、その海のほとりに2体の「怪石」があった。
高さは両方とも1尺(約30cm)ほどで、人間ではなく神の造形だった。

さらに翌日になると、その周囲に20個あまりの小石が、まるで2体の「怪石」に付き従うかのように集まっていた。
これらの小石は彩色おびただしく、見た目は沙門(僧)のようだったが、耳と目だけはなかった。

この時、ある人に神が憑依し、「我々は大奈母知命(オオナモチノミコト)と少比古奈命(スクナヒコナノミコト)である。昔この国を造って東の海へ去っていたが、再びこの国の民を救うために帰ってきた」と語った。

これを受け、国司は朝廷に上奏し、翌天安元年(857年)8月に大洗磯前神社が創建された。


以上は、『日本文徳天皇実録』(879年完成)に記された大洗磯前神社の創建由来となっている。

時期がはっきりしており、神の現れた経緯も具体的である。文字どおりの実録としてはありえず、誰彼による作為性はあるものの原型となる出来事はあったのだろう。

当時の「神の現れ方」や「ある事物が神としてまつられる流れ」を考える上において、非常に貴重な資料の一つと思われる。

大洗磯前神社より大洗海岸を望む


怪石が果たした役割


この「怪石」を岩石信仰の観点から考えると、どのような存在として位置づけることができるだろうか。

神の姿形として語られることから、石神の事例と一見考えられる。

しかし、怪石自身はあまり動的な行動をしていない。記録中ではまるで置き物のような扱いとなっていることに注意したい。
声を発するのも、怪石自身ではなく、人を介して発している。実際の事象として岩石が音声を発するわけはないが、物語上の作りとしては岩石が話していてもいいはずなのに、それをしない。


物語上、石自身に意思も垣間見られない。意思を発しているのは、石の背景に控えるオオナモチノミコトとスクナヒコナノミコトである。

まるで、普段は人間にとって「不可視」な神が、肉体は岩石を使い、言語は人間の口を借りることで「可視化」させているかのようだ。

人間の側から論理立てれば、怪石は、神をイメージさせやすくするために用意した視覚的な肉体であり、視点を集中させるための対象物である。


これを「神そのもの」と言えるかというと、少し違う気がする。
むしろ、怪石は神と人がコミュニケーションするために登場した「媒体」であり、その役割は「一時的に人間達に見せる体」だったと位置づけられる。


しかし、石神的な性格も消せないのが本事例の特徴的なところである。反証要素を列挙しよう。

  • 物語において、光の柱を放ったのは誰なのか。2神が降臨した時の光と考えるのが自然だが、怪石自身が発光して光の柱を出したという可能性も否定できない。
  • 怪石は自ら動いて現れたのか、それとも形而上の2神が用意してそこに出現させたのか、どちらともとれる。
  • 怪石の翌日に現れた小石の位置付けについて。これも2神が用意したとも解釈できるが、一方で怪石自身が行動してはべらせたと解釈できたり、怪石が分裂・増殖してつくったという「成長・増大する石」伝承の見方で解釈することもできる。


受け取り方によっては石神的要素も見え隠れする。
そのような両機能の境界線に立つ事例と言えるだろう。

すなわち、1つの類型機能だけで性格付けすることを避けないといけない。
一見矛盾しあう複数の要素は、内包し得るのだということを示唆しているだろう。


現在の怪石の所在


現在、この怪石たちがどこにあるのか、よくわからない。
神社創建後、本殿の中に移されたのだろうか。しかし、記録の中に石の行方が書かれているわけではない。

大洗磯前神社


もし本殿に移されたのなら石神的といえるが、そうではなくそのまま放置されていたり、撤収処理されたのならば、怪石は神そのものというより、やはり祭祀の時に使った道具(媒体)としての側面が強くなる。


ちなみに、怪石の周りに出現した20個余りの「小石」は、怪石の神聖性をより高めるために付き従った「陪従者的存在」として捉えることができる。

本体の神聖性を高めるために、別の岩石が置かれるというのは珍しく聞こえるが、『出雲国風土記』にも、石神の側に小さな石神が百余りあるという記述があり、このような岩石同士の力関係の差を利用した発想を、当時の記録から読み取ることができる。


神磯


大洗磯前神社沿いの海岸に岩礁があり、これを神磯と呼んでいる。
祭神降臨の地と語られており、ここが件の怪石が現れた場所とされたのだろう。





今も神磯は、元旦に日の出奉拝祭祀が執り行われている。
祭祀空間としての岩礁であり、その空間テリトリーを視覚的に示す岩石と言って良い。空間的な広がりを持つ、自然の磐境といった位置づけである。


もちろん、祭神降臨の旧跡という意味では、この神磯は聖跡としての要素も忘れてはいけない。

怪石が神磯の上に出現したと思考実験した場合、岩石の上に別の岩石が乗った構造ともなる。これはどのように理解するべきか。

わかりやすい理解は、いわゆる磐座の上に磐座を乗せたというものだろうか。
怪石を磐座と呼んでいいかは、前述の議論を踏まえれば石神要素も相待った存在であり粗っぽい評価だが、物語の構成上、怪石は置き物的存在であり一時的な神の体としての性質もなくはない。それを通俗的に磐座と呼んでいるものと、広い意味での機能は一緒と見ることもできる。

怪石は、座所ではなく憑依物としての体であるため「座」という漢字を当てることは適切ではない。あえていうなら、神磯が座としての岩石であり、そこに体としての怪石がやってきたという構図である。

これ以上の資料が揃わないと何とも言えないが、岩石を語る時に1つの機能には収まらないというのが、難しくややこしいところだろう。


参考文献


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