2021年2月7日日曜日

岩倉神社(岡山県倉敷市)


岡山県倉敷市日畑

足守川西岸、水田が広がる一帯のなか、丘状に盛り上がる森の中にここだけ巨岩が群集している。









1つ1つが巨大で、全体としてよく磨耗された丸っこい形状のものが多いが、スパッと割れた鋭角的な断面を持つものも所々で目立つ。

岩倉神社の北西には間宮神社から王墓山遺跡群(王墓の丘史跡公園)、楯築遺跡にいたる弥生墳丘墓の一群があり、足守川を挟んだ東岸には吉備の中山が近い。

岩倉神社の南に隣接した微高地上には、弥生時代の集落跡が検出された岩倉遺跡も存在する。

王墓山丘陵の南まではかつて内海が入り込んでいたと考えられ、岩倉神社の森は河口や岬に該当するような立地ではなかったかと推測されている。
社伝では、吉備津彦命のために船に積んでいた稲をここで下ろして献上したことから、この地を稲倉と呼び、それが岩倉に転訛したといわれているが、さすがに当地の岩倉の語源は、境内に群がる巨石を磐座に見立てて呼んだものと考えるのが妥当だろう。

巨岩群の成因については、かつて岬の岩礁だった頃の名残と見る説や、周囲の耕地開拓に伴い不要の岩石をここに集積したものが後世神聖視されたと見る説がある。

八木敏乗氏は『岡山の祭祀遺跡』(1990年)の中で以下のとおり言及している。

隣辺耕地造成に不用とされた周辺の巨石をここまで搬送集積した模様が察知される。その数、数十個におよび巨大な石が、累々と積み上げられ、水田地盤線より高さ10メートルばかり、土石をもって丘状に積み、築土の頂に盤状巨石を据え付け神石とした状況が、現地の状態などからして推考される。

もともとは稲作のために開拓されたときの土石の集積が、後世その経緯を見ずに生まれた世代からすると「偉観」となり、神聖視の対象に転じたという歴史的な重層性が考慮されている。

全国各地の平野部における巨石群集の類例を考える時にも、参考に資する考え方になるだろう。


参考文献


追記

コメント欄にて、滝おやじさんから「花崗岩類の地中風化によるコアストーン群が地表に露出し、その後に地震震動による破断を受けたもの」の説をいただきました。滝おやじさんは巨石を含めた地形観察の専門家であり、傾聴に値します。詳しくはコメント欄にてご覧ください。


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