2022年4月3日日曜日

石座神社境内の石座石(愛知県新城市)


愛知県新城市牛倉

 

石座(いわくら)神社社頭に「境内 石座石(いわくらいし)」の標示がある。

場所は本殿右奥隅に位置し、一見して石垣と玉垣に阻まれているが、社殿向かって右側から玉垣の側を巡るように拝観することができる。

社頭掲示

切り株左の斜面のキワを進んでいく。

見下ろして接写した限りでは、くびれ部をもつ立石を中心として、その周囲に石垣石材とは異にする自然石が8個環状に集められている。

(玉砂利の石敷きも確認できる)

石垣隅の下に存在。

ズームして撮影。

上から撮影。

藤本浩一『磐座紀行』(向陽書房、1982年)によれば、次のとおり聞き取りがなされている。

「石座神社の本殿裏、末社との間などに村内から集めたという石が置かれている。それぞれ、前には石の神の扱いを受けていたというから、一種の末社というべきであろう。」

この記述を信頼するなら、これらの岩石群は村内に散らばっていた石神の可能性がある。

「石座神社の本殿裏」に当たる石群が現在の「境内 石座石」で、「末社との間」に当たる石群はたとえば下写真だろうか。

境内末社祠の傍らに集められた石祠・石塔群。丸石も見られる。

他社でも同様の岩石群などはしばしば見られ、一般にはただの自然の石とみなされるが、石座神社例を踏まえてその来歴の可能性を見つけなおす必要がある。


また、大場磐雄博士は昭和27年に石座神社を訪れ、その際に次の一文を記録している。

一の奇石ありて俚人荒神様と称し、今も山の神の日(舊二月七日と十一月七日)にぼた餅をあげる風あり、石の前に多数の箸あり、これは納め箸と称し小児生まれ百十日間に使いし箸をあげるなりと、この石はもと本殿の鬼門にありしを今この地に轉ぜりと
茂木雅博(書写・解説)・大場磐雄(著) 『記録―考古学史 楽石雑筆(補)』博古研究会 2016年

現在、これに相当する箸の光景は見られず、どのような形状の奇石なのか書かれていないが、もしかしたら境内の石のうちのどれかかもしれない。


石座神社では、神社の起源を北方の雁峯山(神峯山/雁峰山)頂上付近の額岩(石座石)に求め、中腹の稚子石(石座石)を文字どおり稚児的な存在に位置付けて奥の院とも称す。そこに列する形で山麓の本事例も「境内 石座石」と名付けている。

すなわち、当社にとって石座石とはまつる対象としての岩石を指す一般名詞であり、山頂・山腹・山麓のそれぞれを石座石と呼んだものだろう。

一般的には山腹の石座石がもっとも知名度が高いが、錯誤を防ぐため山頂を額岩、山腹を稚子石、そして境内は異名がないため境内石座石と呼んで区別したい。


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インタビュー掲載(2024.2.7)