愛知県田原市白谷町中畑
「白谷神明様があった所は、今でも巨岩が、海を背にしてそびえていますが(略)南側の大岩の前には、小さな祠が二つあり、秋葉様の燈籠があり、お祭のおのぼりをたてる構えも一対ありました。」(『蔵王:田原区文化誌』5 1998年)
神明社の一社であるが、地名を採って白谷神明社や、地元では尊称をもって神明様(シンメイ様)、ないし併祀された秋葉神社から秋葉様とも呼ばれたらしい。
当社には神明宮由来記(慶長年間以前?)なる文書が伝わる。
同書によれば、天照大神直系という豊丸皇子(史書に登場しない伝説的貴人)と二人の従者が伊勢に向かっていたところ当地に漂着し、生活のために庵を作ったのが始まりという。
その場所は当地からやや南の伽藍明神と呼ばれた所で、そこで伊勢明神をまつっていたが日当たりの悪い場所だったため、東長尾山に遷座した。この東長尾山が当地であり、巨岩が北の潮風を遮り、陽光の差す立地ということで選ばれたらしい。
さらに後年、田原の里に人々が集まると当社は田原に遷座して現・田原神明神社になったという由来記である(『田原町史』1975年)。
白谷は石灰岩の産地であり、今も現役の採石場が稼働している。
伽藍明神の場所は白谷の鎮守社である現・八柱神社の南辺りだったと伝わり、そこには礎石跡と目される岩石群が散在して伽藍様の尊称で呼ばれていた(中根 2002年)。
たしかに八柱神社南には山林が広がり、山林内に不整形の岩石が散在している。これらのいずれか、あるいはすべてを伽藍明神の伝説地とみなすことができる。
八柱神社南の山林内の岩石群 |
参考文献
- 中根洋治『愛知発巨石信仰』愛知磐座研究会 2002年
- 田原区文化誌編集委員会[編]『蔵王:田原区文化誌』5 田原区 1998年
- 田原町文化財調査会 編『田原町史』中巻,田原町教育委員会,1975. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9537311 (参照 2025-06-29)
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