インタビュー掲載(2024.2.7)

2018年5月3日木曜日

足立巻一『石の星座』(編集工房ノア、1983年)

――石はどうやら形態・規模はちがっていても、原初的なものをわたしたちに伝えるらしい。

詩人は、石を原初的なもののイメージとして取り上げることがある。

これはガストン・バシュラールの一連の著作にも取り上げられているとおりであり、このブログでも何度か紹介してきた。
ガストン・バシュラール「岩石」(及川馥・訳『大地と意志の夢想』思潮社、1972年)その1 

ここでいう「原初」とは、地球創成期への興味関心を表すといわれている。

足立巻一氏は、詩人の草野心平氏が「地球創成期への郷愁」とたとえたのに対して、やや異なる気持ちを抱いたらしい。
いわく、地球への郷愁というよりも人間の原初の心に惹かれる、らしい。
しかも、人間の原初の生活に「悲哀」「哀感」が見えるらしい。

――わたしは墓に、霊魂が眠っているとは信じない。しかし、墓にはその人の全体験が凝縮している

墓石に霊魂は宿らないが、人の生涯を象徴するものが石の造形だと足立氏は考える。
人が祖霊になるのならば、神の生涯を象徴するのも石だろうか。
古墳祭祀も、墳丘が被葬者の権力を象徴していることは考古学者が指摘する通りだ。
それは、横穴式石室の規格にすら表れている。
ひいては、神の墓が石である事例も各地で見られる現象である。
ただし、石の造形がどこまで生涯を語りきれるかはわからない。

――磐座とは、物を言う岩や木が沈黙し、朝の太陽を受け、存在そのものが生命の輝きであり美である世界であらねばならない。

これは解釈が難しい一文である。
足立氏はまた『祝詞』の一節「語問ひし磐根樹立」を引き、岩や木がものをいうということを「幻想」と評する。

神が磐座に降臨する時、岩も木もものをいうのをやめ、ぴたりと鎮まるという。
この時の磐座は、単なる施設ではなく、ひとつの意思をもった生き物としてみなされている。
もっと言えば、あらゆる石が生き物としてあるのが足立氏の世界観である。

目に見えないものである神を、目に見える石に降ろすという論理のために必要な理解のしかたとして、私は受け止めている。
ただ、あらゆる石が生き物であるなら、祭祀の石が特別視されるのはなぜか。
石にも区別があり、峻別されている現実がある。

――磐境の解釈には諸説がある。磐座と同じものだとする説、磐座は岩石の御座をいい、磐境はその区域を広くいうとする説、あるいは磐座を自然の神座とし、磐境を人工のそれとする説などである。わたしは自然と人工という第三説を採りたい。

私は大場磐雄博士以来の第二説を肯定する立場だが、足立氏は磐座を自然の岩、磐境を人工の岩による祭場とみなす。

これについては、人工の磐座の例が多く見られることをもってじゅうぶんな反証となると思われるが、磐境は区域を区画することから人工物となることは自明とも言える。
ただし、自然の岩塊を結界石とみなす例も管見では把握しており、洞穴も自然の結界をなしていることから、聖域を区画するものは自然物でも成り立つことは疑いない。
それを磐境という言葉で一括するか、岩屋や結界などと別の概念で把握するかの違いといったところだろう。

私は磐境という言葉で一括することはしないが、機能的には同じ概念を、地域と時間が変われば言葉が変わるとみなすものである。

――「石だけならホンモノの龍安寺にも負けへん。庭師は川の石のほうがうんと安上がりやいいよったが、川石は卑しうてアカン」

上は、龍安寺の石庭をうんと小型にした庭を自宅につくった足立氏の友人の言とのこと。
足立氏は「この頓狂な男が川石を軽蔑し、生駒石を絶賛する口調がおかしかった」と評す。
川石はまさに悲哀の存在である。

庭師や石工、愛石家たちが「味がある」と品評するポイントや、名石として指定する基準はある程度定まっているように思えるが、内心穏やかな気持ちにはならない。

――「あの石のことは言うてはならんことになっておる。この村では・・・・・・な」

それは、奈良県の生駒谷・大門の集落にある大福寺の下にあった棚田の中の3つの石のことである。

村人は三体石と呼び、かつては毎朝手を合わせていた信仰の対象だったが、その下で石材業者が名石・生駒石を採掘していたところ、三体石のうちの一体が転落し、今の場所に転がりこんだのだと語りつがれている。
この「事件」があって以降、三体石は「村の禁忌」となって、いわゆる「お言わず様」と化した。

足立氏は初めてこの石を見た時の衝撃を次のとおり記している。

――その石を見かけた途端、立ちすくむような気分になった。(略)千枚田のような田のなかに坐っており、まことに異様であった。(略)自然石とは思えないほどの球体である。雨露にさらされて黒ずみながら、きのう天から落下したばかりのような恰好でどっしりと田に坐りこみ、重量感と威厳と、大らかなユーモアを示しており、まったくおかしい石であった。

巨石信仰に対する、一つの具体的な回答かもしれない。
足立氏は7年後にもこの石を見るために再訪している。

本書にはその石の写真も掲載されているが、写真からでも惹きつける存在感を感じる。
実見してみたいという気持ちにさせられた。

この石の下には「地蔵さん」という石があり、そちらは梵字や名が刻まれ、菜の花がいっぱい供えられていた。石仏の雑誌にも取り上げられており、詳細な解説もあるようだ。

――だが、わたしの好きな、そのまるく大きい石については触れられていない。石仏でないので当然ではあるが――。

足立氏の悲哀は、単なる判官贔屓と片付けられない哀感だろう。
足立氏はこの感情を、あとがきで「石が好きになったのは老いぼれたしるし」ではなく、「石に寄せるわたしの雑歌」とまとめている。

足立氏は詩や歌を、目に見えないものを目に見えるようにしたもので、祈りと同質のものと154ページで示している。
ひとりの岩石信仰の当事者の物語として読むことができる本である。

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