2019年11月3日日曜日

春日大社と御蓋山の岩石信仰(奈良県奈良市)


奈良県奈良市春日野町 春日大社・御蓋山一帯

春日大社の岩石信仰については、大場磐雄氏が「日本に於ける石信仰の考古学的考察」(『國學院大學日本文化研究所紀要』第八輯、1961年)において、南門前に存在する赤童子出現石を神の降臨する磐座と報告しており、これが昭和から平成のある時期まではもっとも有名な存在だった。

しかし、近年では春日神社本殿の磐座の公開など、ほかにも岩石信仰の事例と類推される場所があり、それは春日大社裏山の御蓋山(みかさやま)の山中にもおよぶ。
そのいくつかは禁足地のため、全貌は不明な点が多いが、今まで収集した情報をここに整理しておこう。

赤童子出現石/若宮出現石/額塚


南門の手前に、柵で囲われた小石がある。



大きく分けて2種類の伝説が付帯している。
1つは、赤童子(境内摂社の若宮神社の祭神とされる)が降臨した磐座という説で「赤童子出現石」「若宮出現石」の名の由来となる。
もう1つは、宝亀3年(772年)の雷火によって落下した社額を埋納した塚という説があり、「額塚」の名の由来となる。

大きさこそ小規模だが、磐座の事例としても比較的著名なものとして知られ、僅かな露頭という形態も茨城県鹿島神宮の要石などの小型磐座事例群を想起させる。

水谷神社の二つの石


春日大社境内の北側に、摂社の水谷(みずや)神社が鎮座する。

大場磐雄氏の『楽石雑筆』巻四十一によると、昭和37年10月28に大場氏は水谷神社を訪れ、以下の記述を残している。

水谷神社(摂社)にゆき、本殿下の陽石を見る、これは同社境外(道を隔てて)に存する陰石と相対するものにてその形状出現石に類し、同じく石灰を以て塗れり。
(茂木雅博書写解説・大場磐雄著 『記録―考古学史 楽石雑筆(補)』博古研究会、2016年)

水谷神社の本殿下と、道を隔てたところに二つの石があり、大場氏はそれを陰石と陰石に見立てている。
その見立てが正しいかは批判的に見たほうがいいが、現在はその陰石のほうを「子授石」と名付けてまつっている。



今は子宝の霊験を有する神石と信じられており、岩石の形状を女陰に擬したものであることに疑いはない。
岩石は石壇の一部に組み込まれていて元来どのような出自を持つのかは不明である。

一方、水谷神社の本殿の土台基礎部分に注目すると、井桁に組んだ土台の中央部に、木材に半ば押しつぶされているかのような岩塊が確認できる。


大場氏が「石灰を以て塗れり」と記したように、漆喰で塗り固められている。
全国各地にも類を見ない「特異」な岩石信仰のありかただが、数少ない類例が後述する春日大社の本殿玉垣内にある。
漆喰で塗り固めるという共通項は、そのままこの二者が同一の意図をもって認知された存在だったことを示している。

石荒神社


春日大社の境外末社。
若草山の南東裾、若草山の入山ゲート(有料区域)内にあり、野上神社と隣り合って石荒(いしこう)神社が鎮座している。
野上神社は祠を有するが、石荒神社は祠を持たず岩石をそのまま神社としてまつる場である。
祭神は火産霊神で、春日大社の式年造替の折には荒神祓之儀が執行され、神職の身を清める場という。

写真左が石荒神社。右は野上神社。背後は若草山。



御蓋山の石敷遺構(禁足地)


御蓋山は春日大社の背後にそびえる春日山の別称で、標高297mを測る。
春日大社から神山として聖域視されているため、現在は禁足地に指定されている。

この御蓋山には、山頂から山腹にかけて広大な規模の「石敷」の存在が報告されている。
禁足地ではあるが、石敷の分布状況が、春日顕彰会『春日大社古代祭祀遺跡調査報告』(1979年)で図化されている。

春日大社祭祀遺跡分布図(春日顕彰会『春日大社古代祭祀遺跡調査報告』1979年に所収)

上の図をご覧いただきたい。
御蓋山南麓に鎮座する紀伊神社(春日大社境内摂社)の辺りから、御蓋山の山頂やや東を経由して、北麓の水谷川(吉城川)付近にかけてまで、石敷の分布が網掛け表示で図化されているのがわかるだろうか。
等高線を追う限り、複数の尾根と谷間を横断する石敷である。

三宅和朗氏『古代の神社と祭り』(吉川弘文館、2001年)によれば、石敷とは別に、山中3ヶ所に広場のような場所もあるといい、石敷に用いられた岩石も花崗岩以外は御蓋山で採れない石種であることから、これは人工的な遺構であり磐境の一種ではないかと述べている。
春日大社国宝殿内にも、御蓋山に「石敷の道」を描画した絵が展示されている。

かつて、この石敷を実際に見たという方から情報をいただいたことがある。
その方によると、石敷は図化された北斜面・南斜面だけではなく、西斜面にも石敷が残っているという。

写真も見させていただいたが、確かに、列状に無数の石が続いている。
第一印象は奈良県山添村の鍋倉渓に近いが、御蓋山の石敷は鍋倉渓の石よりも1個1個が一回り小さい。また、鍋倉渓はその名のとおり渓流(谷間)に落ち集まった自然の景観だが、御蓋山の石敷は谷間だけでなく尾根にも分布しており、自然の石の流れに反している。
以上の点からも、御蓋山の石敷は人為遺構という説に賛同できる。

人為の造作であるなら、なんと壮大な規模だろうか。

いわゆる、山の等高線に沿って囲繞するタイプの磐境ではないのも特異である。
この種の類例を他に求めるなら、三重県南伊勢町の龍仙山の神籠石が頭に浮かぶ。龍仙山も、山の頂上から麓にかけて石の列が見られる。
しかし、龍仙山の石は御蓋山の石より一回り大きく、また、石は立石状のものもあり石の大きさもあまり一定していない。また、石の敷詰め具合も粗いところがあり、この点が御蓋山とは異なる。

御蓋山の石敷は、やや小ぶりのゴロ石を敷き詰めた感があり、1個1個の岩石の大きさも差はあるものの、ある程度大きさを揃えているような向きがある。
「石敷の道」とはいうが、人がこの上を歩くにはやや歩きにくそうである。ならば、神が歩く道なのか。それとも、道ではなく境を示すものなのか。いわゆる文献上の記録というものはないらしく、謎に包まれた存在である。

考古学的資料として、御蓋山から見つかった複数の経塚関係遺物がある。
前掲書『春日大社古代祭祀遺跡調査報告』によると、青銅製・瓦質の経筒、石製・陶製・瓦質の経筒外容器、仏が線刻された穿孔つきの和鏡(懸仏としたものか)、北宋銭などが御蓋山頂上の本宮神社に接して採集されている。
同書によれば、出土遺物を通観するかぎり吉野金峯山経塚・伊勢朝熊山経塚・紀伊那智山経塚・比叡山如法堂地経塚と類似していると記す。
北宋銭は11~12世紀の鋳造だが、日本に伝世したことを踏まえれば鎌倉時代の埋納経塚と推測されるだろうか。

以上のことから御蓋山頂に経塚が築かれたことは明らかだが、石敷遺構が経塚と同時期の産物という証拠にはならない。
より一層の多方面からの研究が求められる岩石祭祀事例と言える。


春日大社の他の岩石祭祀事例


前掲『春日大社古代祭祀遺跡調査報告』には、もうひとつ注目すべき情報がある。

春日大社祭祀遺跡分布図を見ると、春日大社から御蓋山にかけて複数の地点に「×」印が打たれている。
凡例を見ると「×」印は「磐座」を指す。

私が数えたところでは、地図中の「×」印は次のとおりである。

御蓋山…山頂本宮神社南東に2か所
春日大社周辺…10か所

合計12か所の「磐座」を数える。
すべてが本来の意味での「磐座」と認めるのは尚早で、いわゆる「神聖な岩石」という意味合いでの名称として把握しておきたい。

この12か所のなかには、先述した水谷神社や赤童子出現石、石荒神社の例も含まれているが、私がまだ見ていないものも多い。

そのうちの一つは、2015年に特別公開された本殿玉垣内の「大宮磐座」である。

謎の磐座が初公開!『国宝御本殿特別公開』春日大社「第六十次式年造替特別公開」 | 奈良県 | LINEトラベルjp 旅行ガイド

漆喰で塗り固められた岩石で、かつ、社殿に接して切り合うように存在しているという2点が、水谷神社の本殿下の岩石と共通している。

また春日大社を訪れる機会に、今回の記録まとめを元にひとつひとつの岩石を拝見したいと思う。


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