2020年8月23日日曜日

生石神社の「石の宝殿」(兵庫県高砂市)


兵庫県高砂市阿弥陀町生石

石の宝殿の構造


日本三奇の一つとして著名な「石の宝殿」。




「浮石」の異名を持ち、水を湛えた堀から浮いているかのように見える構造は、元々は地山の大岩盤を底面ぎりぎりまで削り出したことによる。

また、巨石と下の岩盤の間には亀裂が走っており、厳密には地上からは分離した存在だという。この亀裂は奥の岩盤から続いており、「大ズワリ」と呼ばれる摂理だと考えられている。

石の宝殿の巨石を切り出した後の背後の岩盤。


石の宝殿の外形の特徴を一言で表すと、よく「屋根を横倒しにしたような形」といわれる。

石の宝殿の奥側の突起


拝殿が建つ側を正面とするなら、奥側に屋根状の突起がついているからだが、石の宝殿研究会編集委員会『魅力再発見!石の宝殿と竜山周辺史跡~浮石の謎~』(2019年)がまとめたところによると、

  • 家の形
  • 容器の形
  • 祭壇の形
  • ノミ(鑿)の形

など、それ以外の見方があることも指摘されており、あまり家形一辺倒で考えるのも、解釈の幅を狭めることになるだろう。


播磨国風土記に記された石の宝殿


「原の南に作石(つくりいし)あり。形、屋の如し。長さ二丈、廣さ一丈五尺、高さもかくの如し。名號を大石(おほいし)といふ。傳へていへらく、聖徳の王の御世、弓削の大連の造れる石なり。」
秋本吉郎校注『風土記』(日本古典文学大系2)岩波書店 1958年 より


石の宝殿の最古とされる記述は『播磨国風土記』にある。

奈良時代当時は、石の宝殿ではなく「大石(おほいし)」と呼ばれていたことがわかり、それは現在の「生石(おうしこ)」の地名・神社名に通ずる。


この風土記本文の前段には「石作連」が登場していて、そして、本文では「作石」の字が見られる。

本文後半では「大連が造れる」の表現のとおり「造」の字も併用され、それぞれ、岩石を整形する、されることの表現と考えて良いだろう。

石の宝殿は明らかに人為的な巨石構造物ではあるが、奈良時代当時においても、人々が目の前の巨石をそのように表現していたことは興味深い。


なぜ作ったのかという目的は不明だが、岩石を自然のままでは良しとせず、彫り削ることで岩石の真の価値が出るという論理は、後世の石屋や仏師にも共通する価値観である。


石の宝殿の調査状況


石の宝殿の学術的調査について、オンライン上に公開されている文献では前掲文献のほか、『史跡石の宝殿及び竜山石採石遺跡保存活用計画』(高砂市教育委員会 2017年)が詳しい。


石の宝殿が奈良時代の『播磨国風土記』に記されているのは前述したとおりだが、平安時代の『延喜式』神名帳には生石神社の記載はなく、養和元年(1181年)成立の『播磨国内神名帳』を待たなければならない。

『播磨国風土記』の記述を読む限りでも、大石は「作石」であり、人が作った遺構以上の認識は読み取れない。平安時代に神が作った石として神社の神体としてまつられることと比べれば、奈良時代人のほうが人が作った石という意味で現実的である。


石の宝殿を語る際は、周辺の採石跡との関連性も外せない。

周辺の山塊からは、加工に適した凝灰岩が多く眠っており、竜山石という名前で知られている。

この竜山石は遠く畿内の古墳石棺などにも用いられたことが考古学的に判明しており、当地がヤマト王権との深い影響下における一大石材産出地であったことは疑いない。

生石神社裏の宝殿山から見た石の宝殿。岩盤の四方を切り出していることがわかる。

宝殿山頂上から竜山の採石跡を望む。

採石跡


石の宝殿は横口式石槨の未成品か


このような現在の研究状況のなかで問われる論点が2つある。

1つは「石の宝殿=横口式石槨」説である。

石の宝殿の目的には古来から様々な仮説が立てられているが、現在、最も考古学的に有力とされるのがこの説である。


奈良県の「益田の岩船」なども類例とされ、古墳時代終末期の埋葬施設である横口式石槨に形状および加工技術が類似しており、その未成品が石の宝殿とされている。

加工技術は、施された溝の幅の一致など確かに共通したものがあることから、石の宝殿の加工時期が古墳時代終末期にある可能性は同意するが、横口式石槨と断定していいかというと、私はまだ留保したい。

理由は、技術は共通していても、作られたものが古墳石室用一択とは言い切れないものがあり、また、形状もあくまでも類似レベルにとどまるものであり、一致レベルとは言えないからである。

他の多様な用途を捨て去るには、まだ根拠が揃いきっていないと思う立場である。
(横口式石槨説を否定しているわけではない)


石の宝殿と周辺の採石跡・古墳との関係


2つ目の論点は、石の宝殿と周辺の採石跡との関連性または相違性である。

現状、石の宝殿のような特異な構造物は、まさに石の宝殿にしか見られず、それは周辺におびただしく残る採石跡とは性質が異なるものである。

もちろん、未成品だからそこに唯一残されただけと考えることもできるのだが、他の採石跡との時間的先後関係もわからないなかで、この巨石構造物が「放置された」「未完成」と解釈していいかに一抹の不安がある。

その後の数々の採石行為があったなかで、この巨石構造物に手を入れたり、再利用・再切削・再加工しようとはしなかったか。すでにされた後の形がこれなのかもしれないし、されていなかったのだとしたら、それはすでにこの巨石への何らかの特別視の現れである。


石の宝殿が属する宝殿山にも複数の採石跡が確認されているが、隣接する竜山地区に比べればその数は少ない。その中での、石の宝殿の規模と存在感に特異性がある。

また、石の宝殿の南には竜山1号墳という横穴式石室を持つ古墳が確認されており、石の宝殿の築造者との関係が指摘されている。

当山は単なる石採り場としての利用だけではなく、墓域でもあったことを示しており、そこには少なからず宗教性を帯びる。

では、同じ山に「放置」されたという石の宝殿の巨石とは何だったか、まだ指摘されていない用途や性格が想定されるのではないか。

私はそれを即、宗教的な石に絡めるつもりではないが、複数の可能性を無理に絞り込む段階でもないと思っている。

生石神社境内にまつられる「霊岩」。各種文献に記載はなかった。


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