2022年1月9日日曜日

佐田の京石と熊のこしき石(大分県宇佐市)


大分県宇佐市安心院町佐田および熊


京石(きょういし)



安心院町の佐田地区にある京石なので、佐田京石の名がある。

元来、京石は9本露出していたが、平成3年に水田の整備作業をしていたところ、地中から19本の棒状石が新たに見つかった。



平成に見つかった京石を立てたもの。

「ドルメン」と形容された岩石。

これら19本は、平成4年に「平成の京石」として、石を立ててある状態に「復元」された。実際に今のような形で立っていたかは不明な点が残る。


神々がこの地に都を作ろうとし、米神山から100本の石を麓に飛ばそうとしたが、99本目でみだりに騒ぐ者がいたため、そこで作業は中断され、都が建設されることはなかったという。麓に残る京石はその名残という。


京石の名は、この石の上に立つと京が見えるという由来のほか、清ら石、経石という通称もある。

経石が京石の名の由来とする傍証として、京石の下から「写経」あるいは「写経の入った石筒」あるいは「一字一石経」のほか、京石からは弥生時代の土器片が見つかったという情報がある。

しかし、これらの遺物に関する調査報告書などの一次情報をまだ突き止められておらず、実際は不明点が残る。


一字一石経は鎌倉時代末期~江戸時代の間に盛行したとされ、埋納形態としては以下のパターンがある(大塚初重・戸沢充則編『最新 日本考古学用語辞典』柏書房、1996年)。

  1. 土坑内に直接埋納。
  2. 甕に入れた上で、その甕を埋納。
  3. 土坑内に石室を造り、そこに埋納。
  4. 埋納地表面に碑や石仏や供養塔を設置する。

京石は、最後者のパターンになるだろうか。


こしき石(こしきいわ)


こしき石は、暴風石の別称を持つ。

立石の上に乗っている蓋石を動かすと、暴風あるいは祟りが起こるといわれる。また、終戦後までは豊作祈願のためのお供えがされていたという。

こしき石

こしき石(写真左下)と背後の米神山

こしき石は、安心院町の熊地区の田んぼの中に所在し、斜めに立つ立石の景観をなす。

その立石の向く方向に米神山がそびえ、米神山頂上から山腹の「日ノ神谷」「月ノ神谷」と呼ばれる山腹にかけて複数の岩群の存在が確認されている。

昭和時代後期の超古代文明ブームの中で米神山の巨石群は注目されるようになり、現在も地元の観光施策の一環で毎年3月に「米神山巨石祭」が開催されている。

(佐田の京石の説明看板に「ペトログラフ」「ドルメン」などの文字が見えるのもこの影響だろう)

米神山の現地看板。未踏。

米神山の南に佐田の京石、そして北にこしき石を擁することから、京石、こしき石と合わせて米神山が語られることが多い。



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