2023年5月14日日曜日

小牧山「ストーンサークル」説(愛知県小牧市)

愛知県小牧市 小牧山(標高86m)頂上付近


尾張小牧山にストーンサークル(環状列石)があるという話を聞く。

提唱者は、日本における巨石文化を主張したことで知られる鳥居龍蔵である。
雑誌『武蔵野』において次の短報が記されている。

「小牧山上にストンサークルらしい跡があります。」(鳥居「尾參通信」1929年11月 )
「小牧山は先日も調査した所で、今回はその時発見して置いたストンサークルの精査をいたしました。町長の厚意で山頂にストンサークルの石が三十余個の並列することを発見させられてくれました。この小牧山をなほよく見ると更に山を廻ぐらすストンサークルが、山頂の下にも、また麓の所にもあることが発見せられました。」(鳥居「尾張の旅より」1929年12月)

このストンサークルとはどのようなものなのか。
鳥居博士は小牧山に対してこれ以上の記述を残しておらず、正式な調査報告書を作成してもいない。
その後、他の研究者に言及されることはあっても、鳥居博士の報告以上の新情報はないまま現在にいたっている。


そこで私のほうで少し調べてみたところ、鳥居博士の報告より2年後の『尾北郷土資料写真集』(1931年)に、このストンサークルの写真が掲載されているのを見つけた。
国立国会図書館デジタルコレクションにおいて著作権保護期間は満了しておりインターネット公開が許諾なしで許されている文献のため、下にその画像を掲載する。

『尾北郷土資料写真集』(1931年)43頁より

添文には「ストンサークルの残存せるものと博士鳥居龍蔵氏の説くところのものである。図はその一部分を示したもの、図中平面に、ある間隔をとれるものがそれで、斜面のは城壘の残石である。(伊藤一郎撮影)」とある。

興味深いのは、写真中で目立つ巨石は城の石垣で、ストーンサークルは写真の平面にあるほうだと切り分けている点である。

しかし、目を凝らしても平面に「ある間隔をとれた岩石」は写真左奥の1個を除いて識別は至難である。


現地に、このような岩石は現存しているかを確認しに行った。
たまたまタイミングが悪かったのが、ちょうど小牧山城の発掘調査をおこなっている期間で、山頂の一部区域が立入禁止だった。

山麓にある小牧山城史跡情報館で、ストーンサークルと呼ばれるこのような岩石があるかを照会したところ、発掘調査をおこなっている方にお話をうかがうことができた。
鳥居龍蔵博士のことやストーンサークルの話はご存知ではなかったが、山頂にそのようにみえるものがあるとすればそれは「転落石」ではないかとのご教示を受けた。


頂上部には実際に下写真のような岩石と標示があった。



その名のとおり、上に築かれた石垣が後世に転がったものである。山頂を取り巻くように小牧山城の石垣は構築されているため、不均等の間隔で転がっている転落石もトータルで見れば頂上を囲繞する環状列石のように見えなくもない。

ちょうど『尾北郷土資料写真集』掲載の写真に規模と形状、岩石同士の間隔が類似している。
ということは転落石はあくまでも城の石垣という認識で、斜面下の平面にあるという岩石群がストーンサークルということになるが、実はそれも小牧山城の石垣と考えられる。
なぜなら、小牧山の山頂の石垣は「3段」あることが確認されており、さらに、段と段の間には川から採取した漬物大の石を敷き詰めた「玉石敷き」と呼ばれる設備が見つかっているからだ。

小牧山城の発掘調査で整備中の山頂部石垣の一部。

小牧山山頂部の石垣の三段構造模式図(小牧山城史跡情報館の展示より ※写真撮影可)

同館展示より

上写真のとおり、最上段だけが石垣のようにみえるが、その下の2段目・3段目も石垣であり、その間を玉石が並べられていたということで、小牧山の頂上部は岩石の囲繞で埋め尽くされている。
これらの石垣・玉石の設備のうち、発掘調査前から地表に露出していた一部を「ストーンサークル」と誤認したものであろうと考えられる。


小牧山城は、近年の発掘調査が進む中で、織田信長が岐阜城や安土城につながる「見せる城」として巨石を石垣に用いるなど、岩石の利用を示威に用いた城郭として注目されている。発掘調査の詳細写真などは下記も参照してほしい。「環状列石」と錯覚してしまう岩石の設備が数多く認められることがわかるだろう。


山に露出する岩石に人為性を感じる場合、城郭や寺院など、さまざまな山地利用を想定して、その影響のうえで現状の景観が存在することを考慮しないとならない。鳥居博士の記述にはその点への考慮・言及がなされていない点で信頼に欠ける説と言わざるを得ないだろう。

小牧山のストーンサークル説については、ほかにも坂重吉氏が「鳥居龍蔵博士の推定された、尾張国小牧山上及び国府宮に存するものの所謂ストンサークル説に就ては肯定し能わざる点が多々ある」(坂「石神堂に参詣しての雑考」1981年)と述べるように、批判的にとらえなければならない。

なお、直接関係しない情報ではあるが、小牧山に関する「怪しげ」な記述を見かけてしまったのでこちらも併せて紹介しておく。

超古代史関係では著名な鳥谷幡山氏が、イエス・キリストの来日伝説(竹内文書に基づく)を主張する著書の中で、イエス=石神説という奇説の傍証として小牧山に「石神神社」なる神社があったことを一文のみ記している。以下引用する。

「秀吉と家康の戦で有名な尾州小牧山に石神神社と云ふのがある。其御祭りの日は徹夜で石塊を山上に運び上げて祈願を罩むる」(鳥谷 1940年)

山上に石を運ぶ風習は近在でも尾張富士の石上げ祭が知られており小牧山でも地域的にまったく不思議ではないが、石神神社という神社の存在と歴史について、他文献でまだ調べられていない。


参考文献

  • 鳥居龍藏「尾參通信」 『武蔵野』14(5),武蔵野文化協会,1929-11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/7932484 (参照 2023-05-14)
  • 鳥居龍藏「尾張の旅より」『武蔵野』14(6),武蔵野文化協会,1929-12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/7932485 (参照 2023-05-14)
  • 坂重吉「石神堂に参詣しての雑考」『尾張の遺跡と遺物』上巻,愛知県郷土資料刊行会,1981.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9538763 (参照 2023-05-14)
  • 小牧中学校郷土部 [編]『尾北郷土資料写真集』,愛知県小牧中学校郷土室,1931年 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1213816 (参照 2023-05-14)
  • 鳥谷幡山 著『神国日本に再顕せるイエスキリスト : 戸来十和田の太古史蹟』,1940年 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1137754 (参照 2023-05-14)


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