2023年5月7日日曜日

二つの猪子石(愛知県名古屋市)


牡石(北の猪子石) 愛知県名古屋市名東区香坂


牝石(南の猪子石) 愛知県名古屋市名東区山の手1丁目


現在は香坂や山の手といった住所になっているが、かつてはこのあたり一帯を猪子石村と呼んだ。

香流(かなれ)川の北岸と南岸の二か所に猪子石(いのこいし/いのこし)と呼ばれる自然石があり、この岩石の存在が猪子石村の地名の発祥とされる。


北岸の猪子石は牡石(おいし)とも呼ばれ、猪子石神社という社号でもまつられる。

住宅地に挟まれる猪子石神社

牡石

対して南岸の猪子石は牝石(めいし)とも呼ばれ、大石神社がまつられる。さらに現地看板によると、この牝石の表面には多数の小石(礫)が付着しているようにみえることから「子持石」の別称もあるらしい。

猪子石公園の隣に接する大石神社

牝石

二つの猪子石は、今はどちらも住宅街の中に埋没しているが、江戸末期~明治初頭成立の『尾張名所図会』では、香流川を挟んだ小高い山村の丘に、二つの猪子石が向かい合うように描かれている。

特に、南岸の牝石の辺りは蓬莱ヶ谷(よもぎがだに)といわれ、ここに蓬莱洞、蓬莱ヶ谷の観音と称される堂があり修験霊場の一つだった。今も牝石に接して御嶽教の影響がみられる石碑などが立ち並んでおり、観音堂のよすがを偲ばせる。

大石神社境内に残る石碑群

大正14年建立の「●子石霊神」

さて、「猪子(いのこ)」と言えば、民俗学ではいわゆる亥の子行事が思い出される。

旧暦の亥の月の亥の日に行われた祭りであるが、時代・地域によってその目的や内容はかなり異なる。

岩石信仰との関連では、亥の子行事では「いのこ石」と呼ばれる石が祭りで用いられるケースがある。石を縄で縛り、主に子どもたちが縄を引っ張りながら石を地面にたたきつけて練り歩く。

この「いのこ石」の行為の意味についても諸説あるが、ここではその結論は求めず、当地の猪子石がこの亥の子行事に用いられていたものなのかどうかが論点である。


岡本柳英氏は『生きている名古屋の坂道 : 写真図説』(1978年)の中で、猪子石村の猪子石はたまたま「いのこ石」に似ていたから亥の子行事と結びつけられたものだと推測している。

現地看板も、猪によく似た自然石があったのでそれが亥の子行事と結びつけられたという論旨であり、すなわち、亥の子行事に使われた石だから猪子石になったという説は採られていない。


この説の蓋然性については判断保留としたいが、二つの猪子石はそれぞれ大きさとしては持ち運び、可動的に祭祀に用いることはできた規模・形状だっただろうとは思う。

いわゆる、自然露出の岩盤で土地から切り離せない存在だったかというと、そうではないので元来の性格・役割は現在の「ご神体」的な機能とはまた異なっていた可能性はある。


参考文献

  • 岡田啓 (文園) , 野口道直 (梅居) 著『尾張名所図会』前編 巻5 愛智郡,片野東四郎,明13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/764884 (参照 2023-05-06)
  • 岡本柳英 著『生きている名古屋の坂道 : 写真図説』,泰文堂,1978.12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9569956 (参照 2023-05-06)


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